アラブ首長国連邦ドバイ
ドバイの主要競走は2009年まで全てナドアルシバ競馬場で施行されていましたが、同競馬場は同年限りで閉鎖され、2010年からはメイダン競馬場で施行されるようになっています。ナドアルシバ競馬場はダートコースでしたが、メイダン競馬場は当初オールウェザーだったため、ナドアルシバ競馬場で施行されていたダート戦は2010年以降しばらくオールウェザーで施行されました。しかし2014年限りでオールウェザーを取り止めて2015年からはダート戦となっています。また、ドバイは地理的には北半球に属しますが、競走馬の年齢は南半球を基準にしています。そのため南半球産馬と北半球産馬で出走可能年齢が異なっています。
名称:アルマクトゥームチャレンジR3 | 英名:Al Maktoum Challenge Round 3 | ||||
場所:ナドアルシバ競馬場→メイダン競馬場 | 距離等:ダート2000m | 出走馬:4歳以上(北半球産)3歳以上(南半球産) | |||
創設:1994年 | 格付け:GⅠ(2012年~)GⅡ(2001~11年) | 施行時期:3月第1週 | |||
「アルマクトゥームチャレンジ」とはドバイの競馬を主催するエミレーツレーシングクラブが主催する競馬シリーズの事で、ラウンド1からラウンド3までの3戦がある。ラウンド1が1月上旬、ラウンド2が2月上旬、ラウンド3が3月上旬に施行されるため、その気になれば1頭の馬で3競走全てに出走する事は十分に可能である。3競走全て1994年創設だが、最も最後に施行される本競走はドバイワールドCの前哨戦として最も適しており、出走馬のレベルは最も高く、賞金も一番多い。そのために他2競走が現在GⅡ競走なのに対して本競走のみが先んじてGⅠ競走に格付けられた。ドバイワールドCの歴代優勝馬は本競走から臨戦して勝った馬が最も多い。2010年に日本調教馬のレッドディザイアが本競走を勝利してドバイワールドCに向かったが本番では惨敗した。
名称:ジェベルハッタ | 英名:Jebel Hatta | ||||
場所:ナドアルシバ競馬場→メイダン競馬場 | 距離等:芝1777m→1800m | 出走馬:4歳以上(北半球産)3歳以上(南半球産) | |||
創設:2000年 | 格付け:GⅠ(2012年~)GⅡ(2005~11年)GⅢ(2002~04年) | 施行時期:3月第1週 | |||
ドバイターフ(ドバイデューティーフリー)がダート戦から芝競走に変更された2000年に同競走の前哨戦として創設された。ドバイターフの歴代優勝馬の臨戦過程は多種多様だが、一応は本競走から臨戦して勝った馬が最も多い。出走馬のレベルは高いようで、現在はGⅠ競走に格付けられている。創設年のみ距離1700mで、2年目の2001年からは1777m、2010年からは1800mと、2年目以降は必ずドバイターフと同距離で施行されている。
名称:ゴドルフィンマイル | 英名:Godolphin Mile | ||||
場所:ナドアルシバ競馬場→メイダン競馬場 | 距離等:ダート1600m | 出走馬:4歳以上(北半球産)3歳以上(南半球産) | |||
創設:1994年 | 格付け:GⅡ(2002年~)GⅢ(2001年) | 施行時期:3月第4週 | |||
ドバイミーティングの一環として施行される。しかしダートのマイル戦はダート競走の本場米国で軽視されてきた(BCダートマイルが創設されたのがブリーダーズカップ創設24年目の2007年だったのがそれを証明している)ためか、本競走の出走馬のレベルはそれほど高くならず、賞金総額100万ドルと並の米国のGⅠ競走を大きく上回る高額賞金競走であるにも関わらず未だにGⅠ競走には格付けられていない。2006年に日本調教馬のユートピアが勝利している。
名称:UAEダービー | 英名:UAE Derby | ||||
場所:ナドアルシバ競馬場→メイダン競馬場 | 距離等:ダート1800m→ダート1900m | 出走馬:3歳馬(北半球産)4歳馬(南半球産) | |||
創設:2000年 | 格付け:GⅡ(2002年~)GⅢ(2001年) | 施行時期:3月第4週 | |||
ドバイのダービーだが、ドバイミーティングの一環として施行されるため、国外から参戦してくる馬も多い。創設当初は距離1800mで、2002年に2000m、2004年に再び1800mとなり、メイダン競馬場に移された2010年から1900mとなった。賞金総額200万ドルを誇る高額賞金競走で、出走馬のレベルもそれなりに高いのだが、現時点ではGⅠ競走には格付けられていない。ダート競走の本場米国の有力3歳馬は何を置いてもケンタッキーダービーが大目標であるため遠征競馬となる本競走に目が向くことはあまり無く、それで出走馬のレベルが上がり切れないのが影響しているのだろう。
名称:ドバイ金杯 | 英名:Dubai Gold Cup | ||||
場所:ナドアルシバ競馬場→メイダン競馬場 | 距離等:芝3200m | 出走馬:4歳以上(北半球産)3歳以上(南半球産) | |||
創設:2009年 | 格付け:GⅡ(2014年~)GⅢ(2011~13年) | 施行時期:3月第4週 | |||
ドバイミーティングの一環として施行される7競走の中では最も歴史が新しい。創設から一貫して3200mで施行されている長距離戦で、賞金総額100万ドルは長距離戦としては世界有数の高さを誇る。そのため出走馬のレベルはそれなりに高く既にGⅡ競走にはなっているが、長距離戦の権威が低下している現在ではGⅠ競走まで出世するのは難しいだろう。
名称:アルクォズスプリント | 英名:Al Quoz Sprint | ||||
場所:ナドアルシバ競馬場→メイダン競馬場 | 距離等:芝1200m→芝1000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:2007年 | 格付け:GⅠ(2012年~)GⅡ(2011年)GⅢ(2009・10年) | 施行時期:3月第4週 | |||
ドバイミーティングの一環として施行される7競走の中では2番目に歴史が新しい。しかし芝の短距離戦という欧州や豪州においてはかなり重要な路線の競走であるために出走馬のレベルは高く、先に創設されたゴドルフィンマイルやUAEダービーを差し置いてGⅠ競走に格付けされている。2010年までは距離1200mだったが、2011年に1000mに短縮され、直線コースで施行されるようになった。
名称:ドバイゴールデンシャヒーン | 英名:Dubai Golden Shaheen | ||||
場所:ナドアルシバ競馬場→メイダン競馬場 | 距離等:ダート1200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1993年 | 格付け:GⅠ(2002年~)GⅢ(2001年) | 施行時期:3月第4週 | |||
ドバイミーティングの一環として施行される7競走の中では最も歴史が古く、創設はドバイワールドCより前である。ダートの短距離戦としては北米のBCスプリントと並ぶ世界最高峰の競走で、賞金総額はこちらのほうが多く、米国の有力短距離馬の参戦も多い。創設当初は距離1000mだったが、1995年に1200mとなり、その後に距離の変更はない。ナドアルシバ競馬場時代は直線コースだったが、メイダン競馬場に移動した後は直線コースではなくなっている。創設1年目の名称は「ガルフニュースS」、1994年から「ナドアルシバスプリント」となり、2000年から現行名になった。
名称:ドバイターフ(ドバイデューティーフリー) | 英名:Dubai Turf(Dubai Duty Free) | ||||
場所:ナドアルシバ競馬場→メイダン競馬場 | 距離等:芝1777m→芝1800m | 出走馬:4歳以上(北半球産)3歳以上(南半球産) | |||
創設:1996年 | 格付け:GⅠ(2002年~)GⅡ(2001年)GⅢ(1999・2000年) | 施行時期:3月第4週 | |||
ドバイミーティングの一環として施行される。賞金総額500万ドルという超高額賞金競走であり、世界各国の芝のマイル路線と10ハロン路線の有力馬が揃って出走してきて高レベルな戦いが展開されることが多い。創設当初は当時のスポンサーだったドバイの空港免税店の名称そのままの「ドバイデューティーフリー」という名称で、ダート2000mで施行されていた。2000年に芝競走に変わって1800mで施行され、翌2001年から1777mという半端な距離で施行されるようになった。2010年に開催場所がメイダン競馬場になると距離は1800mとなった。スポンサーがメイダングループに変わったために2015年に「ドバイターフ」と改名された。2007年に日本調教馬のアドマイヤムーンが勝って同馬にとってのGⅠ競走初勝利を挙げた。2014年にはジャスタウェイが圧勝し、ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングにおいて130ポンドを獲得して、日本調教馬として史上初めて単独世界最高評価を獲得した。
名称:ドバイシーマクラシック | 英名:Dubai Sheema Classic | ||||
場所:ナドアルシバ競馬場→メイダン競馬場 | 距離等:芝2400m→芝2410m | 出走馬:4歳以上(北半球産)3歳以上(南半球産) | |||
創設:1998年 | 格付け:GⅠ(2002年~)GⅡ(2001年) | 施行時期:3月第4週 | |||
ドバイミーティングの一環として施行される。賞金総額600万ドルという超高額賞金競走であり、欧州芝12ハロン路線の有力馬はこのレースをシーズン最初の目標とする場合が多い。ナドアルシバ競馬場時代は距離2400mで、メイダン競馬場に変わった2010年から2410mになった。ドバイミーティングの中では最も日本調教馬の活躍が目立つ競走で、2001年にステイゴールド、2006年にハーツクライ、2014年にジェンティルドンナが勝利しており、他にも2着が2回ある。ステイゴールドが勝った時はGⅡ競走だったが、当時世界最強馬の1頭と言われていたファンタスティックライトをゴール直前で鼻差捕らえて世界中にその名を知らしめたもので、同馬が同年暮れの香港ヴァーズにおいて悲願のGⅠ競走初勝利を達成する出発点となった。
名称:ドバイワールドC | 英名:Dubai World Cup | ||||
場所:ナドアルシバ競馬場→メイダン競馬場 | 距離等:ダート2000m | 出走馬:4歳以上(北半球産)3歳以上(南半球産) | |||
創設:1996年 | 格付け:GⅠ(1998年~) | 施行時期:3月第4週 | |||
ドバイミーティングのメイン競走で、ダート戦としては北米のケンタッキーダービーやBCクラシックと並ぶ世界最高峰の競走である。競馬好きとして知られるドバイの王族シェイク・モハメド殿下が、自分の趣味と自国の観光業発展の両方を満たす目的で、1995年時点で賞金総額300万ドルだった北米のBCクラシックを上回る賞金総額500万ドルという当時世界最高賞金競走として創設した。第1回において連勝街道を邁進中だった米国の歴史的名馬シガーの招待に成功し、シガーが期待に応えて勝利した事で、ダート競走の本場米国からも大きな注目を集めるようになり、現在の地位を確立するに至った。その後はBCクラシックと世界最高賞金競走の座を争い、双方が賞金の増額を続けた。現在の本競走の賞金総額1000万ドルは500万ドルのBCクラシックを上回っており現在でも世界最高を誇っている。しかしオールウェザー時代に北米調教馬の成績が不振だったため米国の競馬関係者から敬遠されるようになり、出走馬のレベル自体は本競走よりBCクラシックの方が上となっている。2015年にメイダン競馬場がオールウェザーをやめてダートに戻したのはそれが大きな理由の1つである(他に維持費等の問題もあったらしい)。日本調教馬もほぼ毎年のように参戦しており、特に第2回において砂の女王ホクトベガがレース中の事故で落命してからは本競走の優勝は日本の競馬ファンにとっても悲願であった。その悲願は2011年、東日本大震災の15日後にヴィクトワールピサが優勝した事で達成された。
香港
香港は9月から翌年7月までが1つのシーズンです。これは8月の高い気温を避ける目的と、香港の競走馬には南半球産馬が多い事が関係しているようです。香港競馬は歴史的にハッピーバレー競馬場が当初の主要競馬場でしたが、現在は沙田(シャティン)競馬場が主要競馬場となっています。
名称:香港スプリント | 英名:香港短途錦標(Hong Kong Sprint) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝1000m→芝1200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1999年 | 格付け:GⅠ(2002年~)GⅡ(2001年)GⅢ(2000年) | 施行時期:12月第2週 | |||
香港国際ミーティングにおいて行われる4つのGⅠ競走の1つで、この4競走の中では最も創設が新しく、GⅠ競走に格付けられたのも一番最後。しかし香港の短距離馬のレベルは世界でもトップクラスになっていると言われているから、香港最大の短距離戦である本競走の価値は世界的に見てもかなり高い。香港国際ミーティングの他3つのGⅠ競走はかなり早い段階に日本調教馬が勝利を収めていたが、本競走は日本トップクラスの短距離馬が参戦しては惨敗を繰り返す状況が続いていた。しかし2012年にようやくロードカナロアが勝利。同馬は翌2013年も勝って2連覇を達成し、その勝利が最後の決め手となって同年の中央競馬年度代表馬の座を射止めた。創設当初は距離1000mの直線コースで施行されていたが、2006年に1200mに変更されると直線コースではなくなった。
名称:香港ヴァーズ | 英名:香港瓶(Hong Kong Vase) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝2400m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1994年 | 格付け:GⅠ(2000年~)GⅡ(1996~99年) | 施行時期:12月第2週 | |||
香港国際ミーティングにおいて行われる4つのGⅠ競走の1つ。香港においては香港チャンピオンズ&チャターCと並ぶ距離2400mの大競走であるが、逆に言えばこの2戦以外に香港には距離2000mを超える大競走が無いため、香港国際ミーティングにおいて行われる4つのGⅠ競走の中では最も地元香港調教馬の成績が悪い。世界的に見ると距離12ハロン路線における年末最大の競走であり、欧州や北米の12ハロン路線の有力馬が東アジアに遠征してくる場合、ジャパンCではなくこちらを選択する事が多い。日本調教馬も毎年のように参戦しているが、勝った事例は1度のみである。しかしその1度とは、GⅠ競走で2着や3着を繰り返していたステイゴールドが引退レースで悲願のGⅠ競走初制覇を遂げた2001年であり、ここでステイゴールドが勝っていなければ同馬が人気種牡馬になる事も無く、同馬の子であるドリームジャーニーやオルフェーヴルやゴールドシップ達がこの世に生を受ける事も無かったかも知れない。創設当初の名称は「香港国際ヴァーズ」で、現行の名称になったのは1999年。
名称:香港マイル | 英名:香港一哩錦標(Hong Kong Mile) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1991年 | 格付け:GⅠ(2000年~)GⅡ(1995~99年)GⅢ(1994年) | 施行時期:12月第2週 | |||
香港国際ミーティングにおいて行われる4つのGⅠ競走の1つ。欧州芝路線の有力マイラーが参戦してくることも多いが、特にGⅠ競走に格付けられて以降の欧州馬の成績ははっきり言って悪く、多くは地元香港調教馬が勝利を収めている。香港調教馬に次いで成績が良いのは日本調教馬で、2001年にエイシンプレストンが、2005年にハットトリックが、2015年にモーリスが勝利している。特にモーリスはこの勝利が決め手となって同年の中央競馬年度代表馬の座を射止めた。GⅠ競走に格付けられる前の時期には豪州調教馬の成績が最も良かった。創設1年目の名称は「香港招待ボウル」で、2年目の1992年から「香港国際ボウル」となり、これらの名称の時代は距離1400mだった。1999年にマイル戦になるのと同時に現行の「香港マイル」となった。
名称:香港C | 英名:香港盃(Hong Kong Cup) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1988年 | 格付け:GⅠ(1999年~)GⅡ(1994~98年)GⅢ(1993年) | 施行時期:12月第2週 | |||
香港国際ミーティングにおいて行われる4つのGⅠ競走の1つで、香港国際ミーティングのメイン競走でもあり、欧州10ハロン路線の有力馬やジャパンCや有馬記念では距離不適の日本調教馬が多く参戦して、地元香港の有力馬達と好勝負を展開している。創設は1988年で、1981年創設のジャパンCの成功を意識した香港ジョッキークラブが「香港招待C」の名称でスタートさせた。1993年に国際競走となると同時に「香港国際C」と改称し、1999年に香港の競走としては初の国際GⅠ競走になると同時に「香港C」となった。創設当初は距離1800mで、現行の2000mになったのは1999年。日本調教馬は1995年にフジヤマケンザンが、1998年にミッドナイトベットが、2001年にアグネスデジタルが、2015年にエイシンヒカリが勝っている。
名称:香港スチュワーズC | 英名:董事盃(Stewards' Cup) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1954年 | 格付け:GⅠ(2015年~) | 施行時期:1月第4週 | |||
香港の伝統的なマイル戦で、1954年にハッピーバレー競馬場において創設された。1991/92シーズンからは香港金杯・香港チャンピオンズ&チャターCと共に香港三冠競走に入れられ、その第1戦となった。もっとも、この3競走を1シーズンで全て制して香港三冠馬となったのは1993/94シーズンのリヴァーヴァードン唯1頭である。米国の金融グループであるシティグループがスポンサーであるため、「シティグループ香港スチュワーズC」と呼称されることもある。香港調教馬しか参戦できなかったため長らく国際グループ競走では無かったが、2014/15シーズンに香港三冠競走の他2競走と同じく国際競走化されると同時にGⅠ競走に格付けられた。
名称:チェアマンズスプリントプライズ | 英名:主席短途獎(Chairman's Sprint Prize) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:4歳以上 | |||
創設:1979年 | 格付け:GⅠ(2016年~) | 施行時期:2月第2週→5月第1週 | |||
香港短距離路線の大競走の1つで、センテナリースプリントC・クイーンズシルヴァージュビリーCと共に香港短距離三冠競走路線を形成しており、その第2戦に当たる。創設から一貫して距離1200mで施行されている。創設当初の名称は「チェアマンズプライズ」で、現行の名称になったのは2001年。香港調教馬しか参戦できなかったため長らく国際グループ競走では無かったが、2015/16シーズンに国際競走化される事が決定し、2016年からはGⅠ競走に格付けられる事になった。同時に施行時期も2月から5月に変更されるようである。センテナリースプリントC・クイーンズシルヴァージュビリーCの施行時期は変更されなかったため、2016年からは本競走が香港短距離三冠競走の最終戦ということになる。
名称:香港金杯 | 英名:香港金盃(Hong Kong Gold Cup) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1979年 | 格付け:GⅠ(2015年~) | 施行時期:3月第1週 | |||
香港スチュワーズC・香港チャンピオンズ&チャターCと共に香港三冠競走を形成しており、その第2戦に当たる。創設は香港三冠競走の中で最も新しく、最初から沙田競馬場で施行されている。創設当初の距離は1800mで、1993年から2000mとなった。米国の金融グループであるシティグループがスポンサーであるため、「シティグループ香港ゴールドC」と呼称されることもある。香港調教馬しか参戦できなかったため長らく国際グループ競走では無かったが、2014/15シーズンに香港三冠競走の他2競走と同じく国際競走化されると同時にGⅠ競走に格付けられた。
名称:クイーンズシルヴァージュビリーC | 英名:女皇銀禧紀念盃(Queen's Silver Jubilee Cup) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝1400m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1977年 | 格付け:GⅠ(2015年~) | 施行時期:3月第2週 | |||
香港短距離路線の大競走の1つで、センテナリースプリントC・チェアマンズスプリントプライズと共に香港短距離三冠競走路線を形成しており、その最終戦だったが、チェアマンズスプリントプライズの施行時期が2016年から5月に変更されるため、本競走は2戦目となる。1977年に当時香港を統治していた英国のエリザベスⅡ世女王陛下の即位25周年(シルバー・ジュビリー)を記念してハッピーバレー競馬場において創設された。創設当時は「シルバージュビリーチャレンジC」という名称で、距離も2230mだった。その後はしばらく様々な距離や条件の変更が行われ、1989年に現行の名称に、1996年に距離1600mに、2003年に1400mになり現在に至る。香港調教馬しか参戦できなかったため長らく国際グループ競走では無かったが、2014/15シーズンに国際競走化されると同時にGⅠ競走に格付けられた。
名称:香港ダービー | 英名:香港打吡大賽(Hong Kong Derby) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:4歳馬 | |||
創設:1873年 | 格付け:なし | 施行時期:3月第2週 | |||
香港のダービー。しかし他の多くの国のダービーと異なり、4歳馬限定戦である。もっともこれは現在の香港調教馬の多くが南半球産馬であるためでもあり、1980年までは3歳馬も出走可能だった。英ダービーをモデルとしてハッピーバレー競馬場において創設された。香港ジョッキークラブの設立は1884年なので、本競走のほうが歴史は古い。当初は英国からの輸入馬が中心だったが、1932年頃から豪州産馬が導入されるようになった。創設当初は距離12ハロンだったが、1961年に11ハロン65ヤード、1963年に10ハロン、1967年に8ハロン171ヤード、1973年にメートル法に変更して2230m、1977年に1800m、2000年に2000mとなって現在に至る。日本語版ウィキペディアには創設以降中止が無いと書かれているが誤りで、日中戦争の影響により1942~46年の5年間は中止されている。香港調教馬しか参戦できないために国際グループ競走には指定されないが、香港内においては最大の競走の1つである。2004~12年までメルセデスベンツ社がスポンサーだったため正式名称は「メルセデスベンツ香港ダービー」だった。2013年からはBMW社がスポンサーとなっているため、正式名称は「BMW香港ダービー」である。
名称:クイーンエリザベスⅡ世C | 英名:愛彼女皇盃(Queen Elizabeth II Cup) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1975年 | 格付け:GⅠ(2001年~)GⅡ(1999・2000年) | 施行時期:4月第4週 | |||
1975年5月に英国エリザベスⅡ世女王陛下夫妻が初めて香港を訪問されたのを記念して、同年にハッピーバレー競馬場において創設された。1年目はダート1575mで、2年目に芝1800m、1979年に場所を沙田競馬場に移して芝1600mとなった。その後も頻繁に条件の変更があり、ダート1400mから芝2200mまでバラエティに富んでいたが、1997年から芝2000mで固定された。1995年に国際競走化され、2001年からGⅠ競走となった。日本調教馬も頻繁に参戦しており、2002・03年にエイシンプレストンが、2012年にルーラーシップが勝利している。スイスの時計会社オーデマピゲ社がスポンサーだった1999~2012年の期間は「オーデマピゲ・クイーンエリザベスⅡ世C」が正式名称だった。
名称:チャンピオンズマイル | 英名:冠軍一哩賽(Champion's Mile) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:4歳以上 | |||
創設:2001年 | 格付け:GⅠ(2007年~) | 施行時期:5月第1週 | |||
今世紀創設の歴史が新しいマイル戦で、香港マイル路線のレベル向上を目的として誕生した。2005年に国際競走となり、2007年にGⅠ競走に格付けられた。もっとも香港調教馬が勝つことが殆どであり、国外からの参戦馬の勝利は2014年の1度しか無い。2011・12年はBMW社がスポンサーだったため、「BMWチャンピオンズマイル」が正式名称だった。
名称:香港チャンピオンズ&チャターC | 英名:冠軍暨遮打盃(Champions & Chater Cup) | ||||
場所:沙田(シャティン)競馬場 | 距離等:芝2400m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1870年 | 格付け:GⅠ(2015年~) | 施行時期:5月第4週 | |||
香港スチュワーズC・香港金杯と共に香港三冠競走を形成しており、その最終戦に当たる。創設は1870年で香港三冠競走の他2競走と比べると断然古く、1873年創設の香港ダービーより歴史が長い、香港競馬における現存する最古のステークス競走である。創設当初は「チャンピオンS」という名称で、1872年に当時の有力馬主だったポール・チャター卿の名称を冠して「チャターC」と改称された。1926~54年までは施行されず、1955年の再開時に現行の「チャンピオンズ&チャターC」という名称となった。創設当初は距離2200mで、ハッピーバレー競馬場から沙田競馬場に場所が移された1980年に1800mに変更。1992年に2200m、1995年に2400mとなって現在に至っている。香港ではこの距離の大競走は他にあまりなく、本競走は「香港長距離チャンピオンの戦い」と評されるが、1991/92シーズンに開始された香港三冠競走路線において香港三冠馬が1頭しか誕生していないのは本競走の距離が影響しているとも言われる。現在は英国のスタンダードチャータード銀行がスポンサーであるため、正式名称は「スタンダードチャータード・チャンピオンズ&チャターC」である。香港調教馬しか参戦できなかったため長らく国際グループ競走では無かったが、2014/15シーズンに香港三冠競走の他2競走と同じく国際競走化されると同時にGⅠ競走に格付けられた。
シンガポール
名称:シンガポール航空国際C(廃止) | 英名:Singapore Airlines International Cup | ||||
場所:クランジ競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:2000年 | 格付け:GⅠ(2002~15年) | 施行時期:5月第3週 | |||
シンガポール初の国際競走として創設された。その名称のとおりシンガポール航空がスポンサーだった。地元シンガポール調教馬が勝つことは殆ど無く、ほぼ国外からの参戦馬が勝利している。日本調教馬も2006年のコスモバルクと2007年のシャドウゲイトの2頭が勝利しており、日本国内ではGⅠ競走を勝てなかった2頭のいずれにとっても本競走が唯一のGⅠ競走勝利となった。長らくシンガポールにおける目玉競走だったが、2015年限りをもって廃止された。同時にクリスフライヤー国際スプリントも廃止されたためシンガポールの国際GⅠ競走は消滅した。廃止の理由は表向きはシンガポール競馬の地位向上という創設の目的が達成されたためだが、実際の理由はシンガポール航空のスポンサー撤退で、その裏には様々な事情があるらしいがいずれも憶測の域を出ないためここには記載しない。
名称:クリスフライヤー国際スプリント(廃止) | 英名:Kris Flyer International Sprint | ||||
場所:クランジ競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:2001年 | 格付け:GⅠ(2010~15年)GⅢ(2001・02年) | 施行時期:5月第3週 | |||
シンガポール航空国際Cに続くシンガポール2つめの国際競走として創設された。シンガポール航空国際Cと同じくシンガポール航空がスポンサーで、名称はシンガポール航空が実施するマイレージサービス「クリスフライヤー」に由来する。シンガポール航空国際Cと同じ理由により2015年限りで廃止された。
南アフリカ
名称:ダーバンジュライ(ロスマンズジュライ) | 英名:Durban July Handicap(Rothmans July Handicap) | ||||
場所:グレイヴィル競馬場 | 距離等:芝2200m | 出走馬:2歳以上 | |||
創設:1897年 | 格付け:GⅠ(1973年~) | 施行時期:7月第1土曜日 | |||
南アフリカが完全に英国の支配下にあった時期に創設された南アフリカ最大の競走。創設当初は距離8ハロンで、10ハロン、10.5ハロン、11ハロンなどいくつかの距離の変遷を経て、メートル法が採用された1970年から現行の2200mで固定された。全年齢の馬が出走可能なハンデ戦で、2歳馬は1911年の1回だけ勝利している。名称のとおり施行は毎年7月で、現在は第1土曜日に施行日が固定されている。1964年に「ロスマンズジュライ」という名称に変更されたが、2002年から元の名称に戻っている。
アルゼンチン
名称:カルロスペレグリーニ大賞 | 英名:Gran Premio Internacional Carlos Pellegrini | ||||
場所:サンイシドロ競馬場 | 距離等:芝2400m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1887年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:12月第2週 | |||
ブエノスアイレス郊外にあるサンイシドロ競馬場で施行される亜国最大の競走。亜国のみならず南米全体で見ても最大の競走で、地元だけでなく南米各国から有力馬が集結する南米最強馬決定戦となっている。日本では「南米の凱旋門賞」と例えられており、これはおそらく日本のみの呼称ではあるが、本競走の地位を示すのには的確な表現と思われる。ポージャデポトリジョス大賞・ジョッケクルブ大賞・ナシオナル大賞の亜国三冠競走を全て勝った馬が同シーズンの本競走も勝った場合には亜国四冠馬(Cuadruple Corona)という名誉を手にすることが出来る。名称は本競走の創設者で後に亜国の大統領となったブエノスアイレスジョッキークラブの初代会長カルロス・エンリケ・ホセ・ペレグリーニ氏に由来する。創設されたのはサンイシドロ競馬場と並ぶ亜国最大の競馬場でもあるパレルモ競馬場で、条件はダート3000mだった。1935年にサンイシドロ競馬場が創設されると同時に施行場所が移され、芝3000mとなった。1971年に一時的にサンイシドロ競馬場が閉鎖されたためパレルモ競馬場のダート3000m戦に戻り、1979年のみ2500mで施行された後、1980年にサンイシドロ競馬場に戻って2400m戦となり、これ以降に条件の変更はない。
オーストラリア
豪州では8月から翌年7月が1つのシーズンです。また、メルボルン地区の「メルボルンレーシングクラブ(MRC)」、「ヴィクトリアレーシングクラブ(VRC)」、「ムーニーバレーレーシングクラブ(MVRC)」、シドニー地区の「オーストラリアンターフクラブ(ATC)」、アデレード地区の「サウスオーストラリアンジョッキークラブ(SAJC)」、ブリスベン地区の「ブリスベンレーシングクラブ(BRC)」、パース地区の「ウェスタンオーストラリアンターフクラブ(WATC)」など多くの主催団体があり、大半の競走の正式名称には主催団体のイニシャルが頭に付いています。なお、「オーストラリアンターフクラブ(ATC)」は、1840年設立の「オーストラリアンジョッキークラブ(AJC)」と1943年設立の「シドニーターフクラブ(STC)」が2010年に合併して誕生した団体です。当初は英国と同じく距離の単位にハロン等を使用していましたが、1972/73シーズンにメートル法に変更しています。
名称:ジョージメインS | 英名:ATC George Main Stakes | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝1600m→芝1500m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1945年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:9月第3週 | |||
豪州競馬の春シーズンの初期に施行されるGⅠ競走で、マイラーだけでなくもっと長い距離を得意とする馬でも調教代わりに出走してきて、豪州の有力馬が一堂に会する場合も多い。創設から長年に渡りマイル戦で施行されてきたが、2011年に距離が1500mに短縮された。名称はオーストラリアンジョッキークラブ(AJC)の会長でもあった馬産家ジョージ・メイン氏に由来する。
名称:アンダーウッドS | 英名:MRC Underwood Stakes | ||||
場所:コーフィールド競馬場 | 距離等:芝1800m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1924年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:9月第3週 | |||
歴代優勝馬にはファーラップ、アジャックス、ノーザリーなどがいる豪州競馬の春シーズンの大競走。コックスプレートの前哨戦としての位置づけもある。創設当初は距離8ハロンで、1943年に7ハロン、1949年に9ハロン、1954年に10ハロン、1972年に2000m、1994年に1800mとなった。
名称:フライトS | 英名:ATC Flight Stakes | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳牝馬 | |||
創設:1947年 | 格付け:GⅠ(1985年~)GⅡ(1979~84年) | 施行時期:10月第1週 | |||
コックスプレート2連覇など数々の大競走で牡馬を蹴散らして勝利を収め豪州顕彰馬にも選ばれている名牝フライトを記念して、フライトが競走馬を引退した1947年に創設された。豪州3歳牝馬にとっての大競走の1つとなっている。創設から現在まで一貫してマイル戦となっており、ウォーウィックファーム競馬場で施行された1983・2001年の2回を除いてランドウィック競馬場で施行されている。
名称:ザメトロポリタン | 英名:ATC Metropolitan Handicap(The Metropolitan) | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝2400m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1863年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:10月第1週 | |||
豪州の伝統競走の1つで、正式名称は「メトロポリタンH」だが、米国に存在する同名のGⅠ競走との混同を避けるために世界的に「ザ・メトロポリタン」と呼称される。米国のメトロポリタンHはマイル戦だが、こちらのほうはマイル戦だった時期は一度も無く、必ず2400m以上の距離で施行されてきた長距離戦である。創設当初は距離2マイルで、1891年に12ハロン、1920年に13ハロン、1972年に2600m、1983年に2400m、1984年に2600m、2001年に2400mとなっている。創設当初の名称は「グレートメトロポリタンS」で、1989年に「メトロポリタンS」、1898年にハンデ戦となるのと同時に現行名となった。「ザ・メトロポリタン」と呼称されるようになったのは1979年頃。
名称:エプソムH | 英名:ATC Epsom Handicap | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1863年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:10月第1週 | |||
豪州マイル路線の伝統的な大競走で、賞金総額は100万豪ドルという高額である。創設から一貫してハンデ戦として施行されている。歴史的には創設当時から現在までほぼマイル戦だが、1879~84年は9ハロン、2001年は1400mで施行されている。名称は英ダービーや英オークスが施行されている英国エプソム競馬場に由来する。
名称:ターンブルS | 英名:VRC Turnbull Stakes | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:4歳以上 | |||
創設:1865年 | 格付け:GⅠ(2006年~)GⅡ(1979~2005年) | 施行時期:10月第1週 | |||
豪州の伝統競走だが、基本的にはコーフィールドC・コックスプレート・メルボルンCといった大競走の前哨戦としての位置付けであり、それはGⅠ競走に格付けられた現在でも変わっていない。歴代優勝馬にはザバーブ、バーンボロー、ベタールースンアップ、サンライン、ノーザリー、マカイビーディーヴァなどが名を連ねており、2005年にマカイビーディーヴァが本競走をステップにコックスプレートとメルボルンCを連勝した事が決め手となってGⅠ競走になったようである。前哨戦である故か距離の変遷が極めて激しく、創設当初は16ハロン、1884年に14ハロン、1885年に16ハロン、1891年に13ハロン、1892年に12ハロン、1895年に10ハロン、1915年に12ハロン、1923年に10ハロン、1924年に9ハロン、1925年に8ハロン、1948年に12ハロン、1971年に10ハロンとなり、この後はメートル法になった以外の距離の変更はないが、歴史的には最短で1マイル、最長で2マイルの時期があった事になる。名称の変遷も多く、創設当初は「ロイヤルパークS」、1895年に「セプテンバーS」、1898年に「オクトーバーS」、1936年に「メルボルンS」となり、1948年にヴィクトリアレーシングクラブ(VRC)の会長だったリチャード・ターンブル氏を記念した現行名となった。1864~1963年まではハンデ戦で、1964~70年は定量戦だった。現在は別定重量戦となっている。
名称:スプリングチャンピオンS | 英名:ATC Spring Champion Stakes | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳馬 | |||
創設:1971年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:10月第2週 | |||
歴史は比較的新しいが、1979/80シーズンのグループ制度導入時からGⅠ競走に格付けられた豪州10ハロン路線の大競走。他国で施行されている「チャンピオンS」という名称の多くの競走と異なり3歳馬限定戦で、10ハロンを得意とする3歳馬の目標競走の1つとなるだけでなく、有力3歳馬がコックスプレートに向かう場合の前哨戦として使われる事も多い。創設当初は「オーストラリアンチャンピオンS」という名称で、1978年に現行名となった。創設からほぼ一貫して10ハロン(1972年以降は2000m)で施行されているが、1983年は2100m、2001年は1800mで施行されている。
名称:コーフィールドS(ヤルンバS) | 英名:MRC Caulfield Stakes(Yalumba Stakes) | ||||
場所:コーフィールド競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1886年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:10月第2週 | |||
豪州の伝統競走で、創設以降ほぼ10ハロン(又は2000m)の距離で施行されている。同距離を得意とする馬の目標競走の1つで、歴代優勝馬にはアジャックス、バーンボロー、キングストンタウン、ノーザリー、ロンロ、ソーユーシンクなどがいる。現在はコックスプレートの重要な前哨戦の役割も果たしている。創設からずっと「コーフィールドS」という名称だったが、1997年に「ヤルンバS」と改称された。しかし2011年に「コーフィールドS」に戻っている。創設当初の距離は9ハロン、1888年に10ハロン、1889年に9ハロン、1968年に10ハロンとなり、その後は1972年にメートル法に変わった以外の距離の変更はない。
名称:コーフィールドギニー | 英名:MRC Caulfield Guineas | ||||
場所:コーフィールド競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳馬 | |||
創設:1881年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:10月第2土曜日 | |||
豪州3歳マイル路線の大競走で、賞金総額は100万豪ドルに及ぶ。創設はかなり古いが一貫してマイル戦であり、メルボルン地区の2000ギニーに相当すると言える。アジャックス、タラック、マニカト、ロンロといった歴史的名馬達が勝利を収めている。施行日は10月第2土曜日に固定されており、この日から3日間に渡って行われるコーフィールドスプリングカーニバルの開始を宣言する競走でもある。
名称:MRC1000ギニー | 英名:MRC The Thousand Guineas | ||||
場所:コーフィールド競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳牝馬 | |||
創設:1946年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:10月第2土曜日 | |||
正式名称は単に「1000ギニー」だが、さすがにこれでは本場英国の英1000ギニーとの区別がつかないため、一般的には主催団体の名称を冠した「MRC1000ギニー」と呼称される。その名のとおりメルボルン地区の1000ギニーに相当し、マイルを得意とする3歳牝馬の目標競走となっている。以前はコーフィールドギニーと別の日に施行されていたが、2014年から同じ10月第2土曜日に固定された。
名称:コーフィールドC | 英名:MRC Caulfield Cup | ||||
場所:コーフィールド競馬場 | 距離等:芝2400m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1879年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:10月第3月曜日 | |||
創設以来1度の例外もなく距離12ハロン(又は2400m)で施行されている豪州伝統の大競走。現在の賞金総額300万豪ドルはコックスプレートと同額で、同距離のレースとしては世界屈指の高額であり、この距離を得意とする馬にとって春シーズンの最大目標となり得る競走である。メルボルンCの前哨戦としての役割も持っている。コーフィールドスプリングカーニバルの最終3日目に施行される。正式名称に「ハンデキャップ」は付いていないがハンデ戦である。日本調教馬の参戦がしばしば見られ、2014年にアドマイヤラクティがトップハンデを克服して優勝し同馬にとってのGⅠ競走初勝利を挙げた事で日本における本競走の知名度は上昇した。アドマイヤラクティはそのままメルボルンCに向かったがレース中に体調に異変を起こして最下位に終わり、その直後に心臓麻痺で他界してしまった。
名称:マニカトS | 英名:MVRC Manikato Stakes | ||||
場所:ムーニーバレー競馬場→コーフィールド競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1968年 | 格付け:GⅠ(1989年~)GⅡ(1979~88年) | 施行時期:8月第2週→10月第4週 | |||
豪州短距離路線の大競走の1つ。創設当初は「フリーウェイS」という名称だったが、本競走を2回勝利した歴史的名短距離馬マニカトが1984年に早世すると、同馬の功績を讃えて同年に改称された。短距離戦ではあるが、勝ち馬にはストロベリーロードやサンラインといった別距離を得意とする馬の名前も見受けられる。これは本競走がその当時8月、つまり豪州春シーズンの開始月に施行されていたためで、2頭ともシーズン初戦の叩き台としての出走だった。2002年に9月開催、2012年に10月開催と、どんどん施行時期は後にずれてきており、現在では本競走が別競走の叩き台にされる例はまず無く、純粋に短距離馬にとっての目標競走となっている。しかし豪州短距離女王ブラックキャビアは本競走に出走していない。2007年まではムーニーバレー競馬場で行われていたが、2008年にコーフィールド競馬場に移された。しかし距離は創設から現在まで一貫して6ハロン(又は1200m)となっている。
名称:コックスプレート | 英名:MVRC W.S. Cox Plate | ||||
場所:ムーニーバレー競馬場 | 距離等:芝2040m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1922年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:10月第4週 | |||
19世紀創設の競走がごろごろしている豪州競馬界においては新参競走の部類に入るかもしれないが、現在ではメルボルンCに次ぐ豪州最大級の競走としての地位を確立している。メルボルンCは現在世界的には格が落ちている長距離戦の上にハンデ戦であるため、世界的な視野で見ると距離が約10ハロンという近年最も重視されている路線の上に定量戦である本競走のほうが価値が高いと言える。しかしメルボルンCと異なり日本調教馬の参戦は滅多に無く、好走した例も無い。10日後に施行されるメルボルンCまでの間隔は極めて短いが、本競走からメルボルンCに向かうという二兎を追う馬も少なくなく、ナイトマーチ、ファーラップ、ライジングファスト、セイントリー、マカイビーディーヴァの5頭が両競走を連勝していいる。創設当初は距離9.5ハロンで、1943年に10ハロン、1972年に2000m、1974年に2050m、1986年に現行の2040mとなった。距離に変遷はあっても施行場所は創設から一貫してムーニーバレー競馬場である。1番人気馬の勝率は40%以上とかなり高く、特に単勝オッズ1倍台の断然人気馬の勝率は70%以上に達する。名称はムーニーバレーレーシングクラブ(MVRC)の創設者ウィリアム・サミュエル・コックス氏に由来する。
名称:クールモアスタッドS(アスコットヴェイルS) | 英名:VRC Coolmore Stud Stakes(Ascot Vale Stakes) | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:3歳馬 | |||
創設:1863年 | 格付け:GⅠ(2006年~)GⅡ(1979~2005年) | 施行時期:9月第1週→11月第1週 | |||
豪州の伝統競走だが、創設当時は2歳馬限定戦であり、1969年に3歳馬限定戦に変更されており、昔と今ではその位置づけは全く異なる。創設当初は距離5ハロンで、1872年に6ハロン、1972年に1200mとなった。直線コースで施行される。創設から長らく「アスコットヴェイルS」という名称だったが、2007年に「クールモアスタッドS」に改称された。以前は9月施行であり、GⅠ競走となった2006年からメルボルンカップカーニバルの初日に施行日が固定された。
名称:マッキノンS | 英名:VRC LKS Mackinnon Stakes | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1869年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:11月第1週 | |||
豪州の伝統競走だが、創設当時はメルボルンCの前哨戦だったり、メルボルンCを除外されてしまった有力馬が参戦する「断念メルボルンC」という位置づけだったりした。しかし長距離戦のメルボルンCと異なり創設から一貫して距離10ハロン(又は2000m)で施行されている事もあり、メルボルンCでは距離が長すぎる有力馬が最初からこちらを目標に据える事例も増え、現在ではコックスプレートに次ぐ豪州10ハロン路線の最重要競走となっている。もっとも、メルボルンCの前哨戦としての役割は完全には消えておらず、本競走から僅か3日後という強行軍にも関わらず本競走からメルボルンCに向かう馬は時々見られる。歴代優勝馬にはカーバイン、ファーラップ、アジャックス、タラック、ホーリックス、ベタールースンアップ、ロンロ、ソーユーシンクなどがおり、オセアニアの歴史的名馬の展覧会状態である。特にホーリックスとベタールースンアップの2頭は本競走を勝った次走のジャパンCを制覇しており、本競走の日本における知名度はこの2頭によるところが大きい。施行日はメルボルンカップカーニバルの初日に固定されている。創設当初の名称は「メルボルンS」で、1935年にヴィクトリアレーシングクラブ(VRC)の会長だったL・K・S・マッキノン氏が死去すると彼の功績を讃えて1937年に改称された。一般的には「マッキノンS」と呼ばれるが、「LKSマッキノンS」が正式名称である。
名称:ヴィクトリアダービー | 英名:VRC Victoria Derby | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝2500m | 出走馬:3歳馬 | |||
創設:1855年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:11月第1週 | |||
メルボルン地区のダービーで、豪州で施行されている「ダービー」と名が付く競走の中ではシドニー地区のオーストラリアンダービー(ATCダービー)に次ぐ権威を誇る。創設当初から長い間に渡って距離12ハロンで、メートル法導入の1972年に2400mとなったが、スタート地点から最初のコーナーまでの距離があまりにも短く危険と判断されたため、翌1973年にスタート地点が100m後方にずらされて距離2500mとなって現在に至っている。施行日はメルボルンカップカーニバルの初日に固定されている。
名称:クラウンオークス(VRCオークス) | 英名:VRC Crown Oaks(VRC Oaks) | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝2500m | 出走馬:3歳牝馬 | |||
創設:1861年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:11月第1週 | |||
メルボルン地区のオークスで、豪州で施行されている「オークス」と名が付く競走の中ではシドニー地区のオーストラリアンオークス(ATCオークス)と並んで最高の権威を誇る。創設当初から長い間に渡って距離12ハロンで、1972年のメートル法導入時に2400mとなったが、ヴィクトリアダービーと同じ理由で翌1973年から2500mに延長された。施行日はメルボルンカップカーニバルの3日目に固定されている。創設から長年に渡り「VRCオークス」という名称だったが、豪州のカジノであるクラウンカジノエンターテイメントコンプレックスがスポンサーになったため、2007年に「クラウンオークス」が正式名称となった。
名称:メルボルンC | 英名:VRC Melbourne Cup | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝3200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1861年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:11月第1火曜日 | |||
豪州競馬における最大の競走で、賞金総額620万豪ドルは豪州の競走の中で最高を誇っているだけでなく、芝競走としては世界最高級でもある。施行日は11月の第1火曜日と固定されており、この日を基準にメルボルンカップカーニバルの日程が決定される(本競走は4日目)。19世紀の時代から本競走の施行日はメルボルン地区の祝日に指定されており、競馬の枠を飛び越えた国民的行事となっている。創設から一貫して距離16ハロン(メートル法導入後は3200m)で施行されている。名称に「ハンデキャップ」は付いていないがハンデ戦である。出走馬の斤量は50kgが下限で、上限設定は無いがトップハンデ馬は原則57kg未満であってはいけないとされている。この斤量は毎年9月上旬に発表され、発表後の成績は斤量には影響しない。トップハンデを課せられた馬は長い距離に耐え切れずに敗退する事が多い。そのため「本競走の優勝馬=豪州最強馬」とは言えない場合も多く、国民的行事である点や賞金の多さなども含めて英国最大の障害競走である英グランドナショナルと色々通ずるものがある(いずれもトップハンデで勝てば文句なしに最強馬と言えるが)。毎年300~400頭の馬が初期登録を行うが、最終的には過去2年間の獲得賞金や指定競走における成績等により24頭まで絞られる(これは現在の話で、過去の最大出走頭数はカーバインが勝った1890年の39頭立て)。そのためにある程度の実績馬で無ければ出走する事は出来ず、最軽量馬でも本競走に出走が認められる程度の実績は有している。日本調教馬の参戦も時々見られ、2006年にデルタブルースが優勝している。
名称:ダーレークラシック(パティナックファームクラシック) | 英名:VRC Darley Classic(Patinack Farm Classic) | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1960年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:11月第2週 | |||
豪州の重要な短距離戦の1つだが、過去の経緯に関しては以下に記すとおり海外の各種資料と日本の各種資料が大きく食い違っており不明瞭である。海外の各種資料には1960年創設となっているが、日本の各種資料には1868年創設の「フライングS」という競走(1907年に「リンリスゴーS」と改称)が前身であるとなっている。海外の各種資料には1979年にGⅠ競走に格付けされたとあるが、日本の各種資料には1979年当初はGⅡ競走で2007年にGⅠ競走に昇格したとなっている。海外の各種資料によると、1960年時点の名称は「クレイヴンAS」で、1980年に「ピュアパックS」、1985年に「ガズデンS」、1994年に「サウスコープパッケージングS」、1996年に「サリンジャーS」、2007年に「ジ・エイジ・クラシック」、2008年に「パティナックファームクラシック」、2013年に「スプリントクラシック」、2014年に「ダーレークラシック」と名称が変わっている。しかし日本の各種資料には、1907年から1996年までは「リンリスゴーS」、1997~2003年まで「エミレーツクラシック」、2004年に「レクサスクラシック」、2005~07年が「ジ・エイジ・クラシック」となっている(2008年以降の変更は同じ)。海外の各種資料によると距離は1960年から一貫して6ハロン(1972年から1200m)だが、これも日本の各種資料には1960年当時は8ハロン、1968年から1991年までは7ハロン(1400m)だったとなっている。そしてもっとも不可解なのが歴代優勝馬一覧で、2007年以降は海外の資料も日本の資料も同じ馬の名前が並ぶのだが、2006年以前は全く違う馬の名前が並んでいる。という事は、2つの別競走が存在し、海外と日本のいずれかがそれを混同するという勘違いを犯し、その間違いが一方の側に広まったとしか思えない。筆者が検証した結果、海外の資料のほうが正解のようである。その根拠となるのが2004年の勝ち馬である。日本の各種資料では2004年に本競走を勝ったのはファストネットロックという馬となっているが、海外の各種資料では2004年に本競走を勝ったのはテイクオーバーターゲットである。テイクオーバーターゲットは2006年に日本のスプリンターズSを勝った馬なのでその成績は上記日本の各種資料だけでなく日本中央競馬会のサイトにも掲載されているが、いずれにもテイクオーバーターゲットは2004年にGⅠ競走サリンジャーSを勝っていると記載されていた。この記載と矛盾しないのは海外の資料のほうであるから、2つの別競走を混同しているのは日本側であると判断できるのである。豪州には本競走とは別に長年に渡って「サリンジャーS」という名称の競走が存在しており(1979年からずっとGⅡ競走で、GⅠ競走に昇格したことは無い。2012年に「イエローグレンS」、2014年に「リンリスゴーS」と改名されている)、これが日本の各種資料において本競走と混同されているようである。
名称:エミレーツS(カンタラS) | 英名:VRC Emirates Stakes(Cantala Stakes) | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1919年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:11月第2週 | |||
豪州の伝統的なマイル戦。創設当初は距離9ハロンだったが、1895年にマイル戦になると、それ以降はほぼ一貫してマイル戦として施行されている(1994年は1616m、2006年は1610mで施行)。名称の変遷が多く、創設当初は「コーバーグS」、1919年に「カンタラS」、1961年に「ジョージアダムスH」、1985年に「アンポルS」、1989年に「ホンダS」、1993年に「ニッサンS」、1996年に「クライスラーS」となり、1998年に現行の名称「エミレーツS」となった。もっとも「ジョージアダムスH」以降の名称はどれもスポンサーやその関係者の名を冠したものばかりであるから、現在でも「カンタラS」という名称で呼ばれることが多い。
名称:レイルウェイS | 英名:WATC Railway Stakes | ||||
場所:アスコット競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1894年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:11月第3週 | |||
オーストラリア大陸西部のパース地区において施行される伝統的なマイル戦の大競走。歴代優勝馬の中にはベタールースンアップやノーザリーといった歴史的名馬もいる。創設当初は距離10ハロンで、1926年にマイル戦となった。1972年にメートル法に変更されると1500mになったが、1984年から1600mとなりマイル戦に戻った。
名称:CFオーアS | 英名:MRC C.F. Orr Stakes | ||||
場所:コーフィールド競馬場 | 距離等:芝1400m | 出走馬:2歳以上 | |||
創設:1925年 | 格付け:GⅠ(1993年~)GⅡ(1980~92年) | 施行時期:2月第2週 | |||
豪州競馬の秋シーズンの初期に施行されるGⅠ競走で、短距離馬は勿論のこと、もっと長い距離を得意とする馬でも調教代わりに出走してきて、豪州の有力馬が一堂に会する場合も多い。そのために歴代優勝馬にはマニカトやブラックキャビアのような名短距離馬から、セイントリーやロンロのような短距離馬とは言い難い馬まで名を連ねている。創設当初は距離8ハロンで、1957年に7ハロン、1961年に再び8ハロン、1964年に再び7ハロンとなり、1973年に1400mとなった。施行競馬場の変遷も非常に激しいが、ここでは省略する。1943~45年の期間だけハンデ戦だった。
名称:ブラックキャビアライトニングS(ライトニングS) | 英名:VRC Black Caviar Lightning Stakes(Lightning Stakes) | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝1000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1955年 | 格付け:GⅠ(1987年~)GⅡ(1980~86年) | 施行時期:2月第3週 | |||
メルボルン地区秋シーズンの初期に実施される短距離戦の大競走。創設から一貫して距離5ハロン(又は1000m)の直線コースで施行されている。創設当初は「ライトニングS」という名称だったが、同競走を2011・12年に連覇した通算成績25戦全勝の名牝ブラックキャビアを讃えて、ブラックキャビアがまだ現役競走馬だった2013年から現行名となった。この2013年にもブラックキャビアが参戦してきて、自分の名を冠した競走を勝利している。他の主な優勝馬にはテイクオーバーターゲットがいる。
名称:豪フューチュリティS | 英名:MRC Futurity Stakes | ||||
場所:コーフィールド競馬場 | 距離等:芝1400m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1898年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:2月第4週 | |||
豪州の伝統的な短距離戦。世界各国で同様の名称の競走が施行されている事から、施行団体名を頭につけて「MRCフューチュリティS」と表記するか、「豪フューチュリティS」と表記する場合が多い。他国のフューチュリティSの多くは2歳戦だが、本競走は3歳以上の馬による競走であり2歳馬は出走できない。創設当初からほぼ一貫して距離7ハロン(又は1400m)で施行されているが、1979年は1800m、1996年は1411m、2006~10年は1600mで施行されている。
名称:チッピングノートンS | 英名:ATC Chipping Norton Stakes | ||||
場所:ランドウィック競馬場→ウォーウィックファーム競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1925年 | 格付け:GⅠ(1986年~)GⅡ(1980~85年) | 施行時期:3月第1週 | |||
現在はGⅠ競走に格付けられているが、どちらかと言えばドンカスターマイルの前哨戦としての位置づけである。名称はシドニーから南西に27kmほどいったところにあるリヴァプール市の中心地域チッピングノートン地区に由来しており、本競走がリヴァプール市の祭典の一環として施行されるためにこの名が付いた。ファーラップ、バーンボロー、タラック、ロンロといった歴史的名馬が優勝馬に名を連ねているが、本競走で最も名を馳せたのは1999~2002年に4連覇したタイザノットである。創設当初は距離10ハロンで、1972年に2100m、1980年に1600mとなった。施行場所はランドウィック競馬場とウォーウィックファーム競馬場を行き来しており、2010~15年はウォーウィックファーム競馬場開催だったが、2016年からはランドウィック競馬場に戻るようである。
名称:ニューマーケットH | 英名:VRC Newmarket Handicap | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:2歳以上 | |||
創設:1874年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:3月第2週 | |||
豪州の主要短距離戦としては最も歴史が古く、現在でも豪州短距離路線の最高峰競走とされている。創設から一貫して距離6ハロン(又は1200m)で施行されている。2007年に1度だけコーフィールド競馬場で施行された際には違ったが、直線コースで施行される。その名のとおりハンデ戦である。歴代優勝馬にはアジャックス、バーンボロー、テイクオーバーターゲット、ブラックキャビアなどがいる。
名称:オーストラリアンC | 英名:VRC Australian Cup | ||||
場所:フレミントン競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1863年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:3月第2週 | |||
現在ではメルボルン地区秋シーズンの10ハロン路線を締めくくる大競走となっているが、歴史的に見ると長距離戦だった時期の方が長い。創設から長年に渡り18ハロンというメルボルンCより長い距離で施行された。1943に17.5ハロンとなり、1963年に14ハロンとなってようやくメルボルンCより短くなった。1964年に10ハロンとなり、1973年以降は2000mで実施されている。現在は定量戦だが、創設から1978年までと、1982~86年はハンデ戦であり、ハンデ戦時代のほうが長い。
名称:ランドウィックギニー(カンタベリーギニー) | 英名:ATC Randwick Guineas(Canterbury Guineas) | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳馬 | |||
創設:1935年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:3月第2週 | |||
ローズヒルギニー・オーストラリアンダービーと共にシドニー秋季三冠競走を形成しており、その第1戦に当たる。元々はカンタベリーパーク競馬場において「カンタベリーギニー」という名称で施行されていたが、同競走は2005年を最後に廃止。それと入れ代わる形で2006年に創設されたのが「ランドウィックギニー」である。本項では同一競走であるかのように書いているがそれは便宜上のもので、本来は「カンタベリーギニー」と「ランドウィックギニー」は別競走である。しかしいずれにしてもシドニー秋季三冠競走の第1戦である事には変わりが無い。1935年の創設時の距離は9ハロン80ヤードで、1957年に9.5ハロン、1958年に再び9ハロン80ヤード、1973年に1850m、1976年に1900m、1997年に1800m、2000年に1900mとなり、「ランドウィックギニー」時代は一貫して1600mである。
名称:ランヴェットS | 英名:ATC Ranvet Stakes | ||||
場所:ローズヒル競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1902年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:3月第3週 | |||
シドニー地区の重要な10ハロン戦。創設当初はシドニーがあるニューサウスウェールズ州の知事だったハリー・ホールズワース・ローソン卿にちなんで「ローソンS」という名称だった。1988年に「セジェンホS」と改名され、さらに1991年には獣医薬品会社のランヴェット社がスポンサーとなったため現行名となった。距離の変遷は結構多く、創設当初は9ハロン、1955念に10ハロン、1956年に再び9ハロン、1963年に7.5ハロン、1973年に1750mで、1979年以降は代替開催を除いて2000mで施行されている。
名称:クールモアクラシック | 英名:ATC Coolmore Classic | ||||
場所:ローズヒル競馬場 | 距離等:芝1500m | 出走馬:3歳以上牝馬 | |||
創設:1973年 | 格付け:GⅠ(1986年~)GⅡ(1980~85年) | 施行時期:3月第3週 | |||
シドニー地区の牝馬限定戦の大競走。1973年創設と歴史は比較的新しいが、名称の変遷は壮絶である。創設当初は「フィリーズ&メアズクラシック」、1975年に「NSWサラブレッドブリーダーズS」、1977年に「マールボロクラシック」、1980年に「ローズマウントワインズクラシック」、1986年に「オーランドクラシック」、1989年に「オーランドワインズクラシック」、1992年に「ウィンフィールドクラシック」となり、1996年にようやく現行名となった。名称は基本的にスポンサーが変わる度に変わっており、現在は愛国の馬産団体クールモアグループがスポンサーなのでこの名称がついている。名称の変遷は多いが距離の変遷は皆無で、一貫して1500mである。
名称:ウィリアムレイドS(オーストラリアS) | 英名:MVRC William Reid Stakes(Australia Stakes) | ||||
場所:ムーニーバレー競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:2歳以上 | |||
創設:1925年 | 格付け:GⅠ(1987年~)GⅡ(1980~86年) | 施行時期:3月第4週 | |||
豪州の短距離路線の大競走の1つ。マニカト、ブラックキャビアという豪州競馬史上の短距離馬両巨頭も勝っている。特にマニカトは5連覇しており、マニカトの名を高めた要因の1つとなった競走でもある。名称はムーニーバレーレーシングクラブ(MVRC)の会員だった馬主ウィリアム・レイド氏に由来する。もっとも、1994・95年は「オーストラリアメイドS」、1996~2009年は「オーストラリアS」という名称で、2010年に元の「ウィリアムレイドS」に戻った。創設から一貫して距離6ハロン(又は1200m)で施行されている。
名称:ローズヒルギニー | 英名:ATC Rosehill Guineas | ||||
場所:ローズヒル競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳馬 | |||
創設:1910年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:3月第4週 | |||
ランドウィックギニー(カンタベリーギニー)・オーストラリアンダービーと共にシドニー秋季三冠競走を形成しており、その第2戦に当たる。歴代優勝馬にはファーラップ、アジャックス、タラック、キングストンタウン、ストロベリーロード、オクタゴナルと歴史的名馬がずらりと並ぶ。創設当初は距離7ハロンで、1915年に9ハロン、1948年に10ハロンとなり、その後はメートル法の導入で2000mになったのみの変更である。
名称:ジョージライダーS | 英名:ATC George Ryder Stakes | ||||
場所:ローズヒル競馬場 | 距離等:芝1500m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1903年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第1週 | |||
ドンカスターマイルの前哨戦としての位置づけだが、本競走自体も賞金総額100万豪ドルを誇る大競走であり、歴史も結構古い。創設当初は「レイルウェイS」という名称で、1915年にハンデ戦となって「レイルウェイH」に、1946年に「レイルウェイクォリティH」に、1968年に「CPエアクォリティH」に、1971年に「レイルウェイクォリティH」に戻り、1974年に事業家兼馬産家だったジョージ・E・ライダー氏の名を冠した現行名に変更されると同時に定量戦となった。創設当初の距離は6.5ハロンで、1915年に7ハロン、1973年に1400m、1985年に1450m、1986年に1500mとなって現在に至る。2015年に日本から遠征したリアルインパクトが勝利を収め、同馬にとっては2011年の安田記念以来となるGⅠ競走2勝目を挙げた。リアルインパクトは引き続きドンカスターマイルに出走したが、ここでは惜しくも2着だった。
名称:ザBMW(タンクレッドS) | 英名:ATC BMW(Tancred Stakes) | ||||
場所:ローズヒル競馬場 | 距離等:芝2400m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1963年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第1週 | |||
シドニー秋季開催における距離12ハロン路線の大競走。創設当初の名称は1961年に死去したシドニーターフクラブ(STC)の会長ヘンリー・ユージン・タンクレッド氏の名を冠した「HEタンクレッドC」だった。1977年に「HEタンクレッドS」、1981年に「タンクレッドS」と改名。1990年にBMW社がスポンサーとなったため「BMW国際S」となり、翌1991年から「BMWステークス」となった。1996年にBMW社に変わってメルセデスベンツ社がスポンサーとなったため同年からしばらく「メルセデスクラシック」の名称だった。2002年にBMW社がスポンサーに復帰すると現行名となった。この現行名は単に「BMW」だが、これではスポンサーの名前そのままなので、一般的には「ザ・BMW」と定冠詞をつけて呼称する。距離は1964年のみ10ハロンで、それ以外の時期は全て12ハロン又は2400mで施行されている。主な歴代優勝馬にはキングストンタウン、オクタゴナル、マカイビーディーヴァがいる。
名称:ゴールデンスリッパーS | 英名:ATC Golden Slipper Stakes | ||||
場所:ローズヒル競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:2歳馬 | |||
創設:1957年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第1土曜日 | |||
豪州最大の2歳戦で、賞金総額350万豪ドルは豪州のみならず世界全体で見ても2歳戦としては最高の金額である。豪州の歴史的大種牡馬スターキングダムは本競走の勝ち馬を多く輩出した事でその名声を確固たるものとした。いずれも本競走より歴史が古い豪シャンペンS・ATCサイアーズプロデュースSと共に豪州2歳三冠競走「Juvenile Triple Crown」を形成しており、その第1戦となっているが、他2競走より賞金は桁違いに多い。距離は創設から一貫して6ハロン(又は1200m)である。2009年からは施行日が4月の第1土曜日に固定されている。
名称:ATCサイアーズプロデュースS | 英名:ATC Sires Produce Stakes | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝1400m | 出走馬:2歳馬 | |||
創設:1867年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第2週 | |||
豪州の伝統的な2歳戦。現在ではゴールデンスリッパーS・豪シャンペンSと共に豪州2歳三冠競走「Juvenile Triple Crown」を形成しており、その第2戦となっている。豪州では「サイアーズプロデュースS」という同名の2歳グループ競走が他に4つもあり、それらと区別する意味で主催団体を頭に付けて「ATCサイアーズプロデュースS」と表記する事が多いが、他の4競走は現在全てGⅡ又はGⅢ競走であるため、単に「サイアーズプロデュースS」と言った場合には本競走を指すのが普通である。
名称:TJスミスS | 英名:ATC T.J. Smith Stakes | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1997年 | 格付け:GⅠ(2005年~)GⅡ(2002~04年)GⅢ(1998~2001年) | 施行時期:4月第2週 | |||
歴史はかなり新しいが、賞金総額250万豪ドルは豪州の短距離戦としては最高クラスであり、既に豪州を代表する重要な短距離戦としての地位を確立させている。テイクオーバーターゲットやブラックキャビアも本競走を勝っている。創設当初の名称は「エンデバーS」で、1998年にシドニー地区の名調教師だったトーマス・ジョン・スミス元調教師が死去すると彼の功績を讃えて翌年に改名された。距離は創設から全く変わっていない。
名称:オーストラリアンダービー(ATCダービー) | 英名:ATC Australian Derby | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝2400m | 出走馬:3歳馬 | |||
創設:1861年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第2週 | |||
シドニー地区のダービー。ランドウィックギニー(カンタベリーギニー)・ローズヒルギニーと共にシドニー秋季三冠競走を形成しており、その最終戦に当たる。歴史は1855年創設のヴィクトリアダービーより少し新しいが、優勝賞金200万豪ドルはヴィクトリアダービーの150万豪ドルより多く、レースとしての格はこちらのほうが少しばかり上である。創設当初の名称は「AJCランドウィックダービーS」で、1865年に「AJCオーストラリアダービーS」と改称。1873年に「AJCダービー」と改称され、この名称が長く続いた。1994年に正式名称が「AJCオーストラリアンダービー」となった後も一般的には「AJCダービー」と呼ばれることが多かった。2010年に主催団体の「オーストラリアンジョッキークラブ(AJC)」が「シドニーターフクラブ(STC)」と合併して「オーストラリアンターフクラブ(ATC)」になると本競走は「ATCオーストラリアンダービー」となり、近年は「ATCダービー」という呼び名が徐々に浸透している様子である。距離は創設から一貫して12ハロン(又は2400m)である。1932~56年まで騙馬出走不可だった期間があった。ザバーブ、ファーラップ、タラック、キングストンタウン、ストロベリーロード、オクタゴナルなどが歴代優勝馬に名を連ねている。
名称:オーストラリアンオークス(ATCオークス) | 英名:ATC Australian Oaks | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝2400m | 出走馬:3歳牝馬 | |||
創設:1885年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第3週 | |||
シドニー地区のオークス。賞金総額100万豪ドルはメルボルン地区のオークスであるクラウンオークス(VRCオークス)と並んで豪州各地で行われている「オークス」と名が付くレースの中では最も高く、豪州調教の3歳牝馬にとっては最大目標の1つとなっている。創設は1885年だが、1895~1921年までの中断期間があったため、その歴史の長さに比べると施行回数はやや少ない。創設当初の名称は「AJCオークス」で、1922年の復活時に「エイドリアンノックスオークスS」と改称され、1994年に「AJCオーストラリアンオークス」となったが、この時代にも一般的には「AJCオークス」の名で呼ばれることが多かった。2010年に主催団体の「オーストラリアンジョッキークラブ(AJC)」が「シドニーターフクラブ(STC)」と合併して「オーストラリアンターフクラブ(ATC)」になると本競走は「ATCオーストラリアンオークス」となり、近年は「ATCオークス」という呼び名が徐々に浸透している様子である。創設当初は距離12ハロンで、1922年の復活時に8ハロン、1946年に10ハロンとなり、1956年以降は12ハロン(又は2400m)で施行されている。
名称:ATCクイーンエリザベスS | 英名:ATC Queen Elizabeth Stakes | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1851年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第3週 | |||
正式名称は「ATCクイーンエリザベスS」で、メルボルン地区にも「VRCクイーンエリザベスS」という主催団体名を頭に付さなければ名称が同じになってしまう競走が存在するため、正式名称で呼ばれることが豪州の他の競走より多い。しかしメルボルン地区の「VRCクイーンエリザベスS」は歴史こそ本競走とほぼ同じ長さを有するものの2005年にそれまでのGⅡ競走からGⅢ競走に格下げになっており、本競走のほうが現在では完全に格上であるため、一般的に豪州で「クイーンエリザベスS」と言った場合には本競走の方を指す。本競走の賞金総額は400万豪ドルで、300万豪ドルのコックスプレートより高く、豪州国内の10ハロン路線競走では最高額を誇っている。そのために10ハロン路線の有力馬は勿論の事、別路線の有力馬も秋シーズンの目標の1つとして本競走を選択する場合があり、出走馬のレベルは豪州競馬の秋競走ではおそらく最高である。創設当初の名称は当時の英国王だったヴィクトリア女王に敬意を表した「クイーンズプレート」で、1873年に「AJCプレート」となり、1954年にエリザベスⅡ世女王陛下が豪州を訪問された事を記念して現行名に改称された。距離の変遷はここに書ききれないほど激しく、大雑把に書くと創設当初は24ハロン、1923年に18ハロン、1955年に14ハロン、1970年に12ハロン、1973年に2400m、1979年に現行の2000mとなった。
名称:シドニーC | 英名:ATC Sydney Cup | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝3200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1862年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第3週 | |||
メルボルンCと並ぶ豪州の伝統的な長距離戦。創設はメルボルンCと同じ1861/62シーズン(間に年変わりがあるため表向きは本競走が1年遅い)で、当初の格は2競走ともほぼ同じだった。距離も同じためメルボルンCの勝ち馬が本競走を次の目標としたりその逆の事例がしばしば見られ、いずれもメルボルンC優勝馬であるザバーブやカーバインは2頭とも本競走を2連覇している。現在ではメルボルンCのほうが格上となっているが、それはメルボルンCの権威が非常に上昇したためであり、本競走の地位が大きく下がったわけではなく、賞金総額160万豪ドルは豪州のGⅠ競走の中でも上位に位置する。有力3歳馬が後のメルボルンC参戦を見据えて長距離適性を確かめるために出走してくることもあり、キングストンタウンはAJCダービーを勝った次走として本競走を選択している。メルボルンCと同じく名称に「ハンデキャップ」は付いていないがハンデ戦である。距離は創設から一貫して16ハロン(又は3200m)。
名称:ドンカスターマイル(ドンカスターH) | 英名:ATC Doncaster Mile(Doncaster Handicap) | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1866年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第3週 | |||
正式な名称は長らく「ドンカスターH」だったが、地元でも国外でも一般的には「ドンカスターマイル」と呼称されており、2010年からは「ドンカスターマイル」が正式名称になったようである。賞金総額300万豪ドルを誇る豪州最大級のマイル戦で、マイル路線の有力馬にとっては秋シーズン最大の目標となっている。歴史的には復活祭の翌日月曜日に施行されてきたが、現在ではランドウィックカーニバルの初日に施行されている。春シーズンのマイルの大競走エプソムHを勝った馬が参戦してくる場合も多いが、両競走ともハンデ戦であるためか両競走を連覇するのはなかなか難しいようで達成馬は少ない。創設当初の距離は9ハロンで、マイル戦になったのは1885年。
名称:オールエイジドS | 英名:ATC All Aged Stakes | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝1400m | 出走馬:2歳以上 | |||
創設:1865年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第4週 | |||
創設から一貫してマイルで施行されてきた豪州の伝統的なマイル戦だったが、2004年から距離1400mに短縮された。その名のとおり2歳馬から古馬まで競走年齢に達している全年齢の馬が出走可能である。もっとも2歳馬が勝った事例は殆ど無く、筆者が確認できた限りでは1885年の1回のみである。当時も今も豪州競馬における最高級の馬達が出走しており、カーバイン、アジャックス、バーンボロー、タラック、サンラインなどが本競走を優勝している。日本調教馬の参戦はハナズゴールが出走した2014年の1度だけだが、同馬は最初で最後のGⅠ競走制覇を本競走で達成している。
名称:豪シャンペンS | 英名:ATC Champagne Stakes | ||||
場所:ランドウィック競馬場 | 距離等:芝1600m | 出走馬:2歳馬 | |||
創設:1864年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:4月第4週 | |||
豪州の伝統的な2歳戦。同名の有力2歳戦が米国や英国で施行されているため、区別するために正式名称の「ATCシャンペンS」で呼ばれることが多い。日本では「豪シャンペンS」と表記する事が多く、この名馬列伝集でもそのようにしている。創設から長年に渡り豪州最大の2歳戦だったが、1957年にゴールデンスリッパーSが創設されるとその座を取って代わられた。それでも豪州屈指の2歳戦の地位は失っておらず、ゴールデンスリッパーS・ATCサイアーズプロデュースSと共に豪州2歳三冠競走「Juvenile Triple Crown」を形成しており、その最終戦となっている。創設当初は距離5ハロンで、1862年に8ハロン、1865年に7ハロン、1867年に5ハロン、1881年に6ハロン、1882年に5ハロン、1883年に6ハロンと、概ね短距離戦として施行されてきたが、1972年にマイル戦となり、翌1973年からは一貫して1600mで施行されている。
名称:ウィリアムヒルクラシック(ロバートサングスターS) | 英名:SAJC William Hill Classic (Robert Sangster Stakes) | ||||
場所:モーフェットヴィル競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:3歳以上牝馬 | |||
創設:1983年 | 格付け:GⅠ(2005年~)GⅡ(1999~2004年)GⅢ(1986~98年) | 施行時期:4月第4週 | |||
アデレード地区で施行される牝馬限定の短距離戦。創設当初は競走馬育成場スウェッテナムスタッドにちなんだ「スウェッテナムスタッドS」という名称だったが、2004年に英国の実業家兼馬主でクールモアグループと協力して豪州競馬界の発展に尽力したロバート・エドモンド・サングスター氏(スウェッテナムスタッドの創設者でもあった)が死去すると、彼の功績を讃えて翌年に「ロバートサングスターS」と改名された。2010年にブックメーカーのスポーティングベット社がスポンサーになったため「スポーティングベットクラシック」と、2015年に同じくブックメーカーのウィリアムヒル社がスポンサーになったため「ウィリアムヒルクラシック」というのが正式名称になったが、現在でもこれらの正式名称より「ロバートサングスターS」が使われる場合が多い。代替開催だった2002年に1250mで施行された以外は創設から全て1200mで施行されている。本競走を有名にしたのはブラックキャビアで、彼女の記念すべきデビュー20連勝目が本競走だった。
名称:サウスオーストラリアンダービー | 英名:SAJC South Australian Derby | ||||
場所:モーフェットヴィル競馬場 | 距離等:芝2500m | 出走馬:3歳馬 | |||
創設:1860年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:5月第1週 | |||
アデレード地区のダービー。シドニー地区のオーストラリアンダービー(ATCダービー)やメルボルン地区のヴィクトリアダービーに比べると賞金は安いが、豪州各地で施行されている「ダービー」と名が付く競走の中ではブリスベン地区のクイーンズランドダービーと並んで前2競走に次ぐ権威を有しており、歴史の古さも他3競走とほぼ同じである。創設当初は当時の施行競馬場だったザバートン競馬場にちなんだ「ザバートンダービー」という名称だった。1862年に名称が単に「ダービー」となったが、これでは他のダービーと区別がつかないため、いつの間にか「サウスオーストラリアンダービー」と呼ばれるようになり、現在ではこれが正式名称になっている。創設からずっと距離12ハロンで施行され、1972年も2400mで実施されたが、1973年に2500m、1978年に2400m、1980年に2600m、1981年に2500m、1996年に2400m、2006年から現在まで2500mと、メートル法導入後の距離の変遷は多い。
名称:ブリスベンターフクラブC(BTCカップ) | 英名:BRC Brisbane Turf Club Cup(BTC Cup) | ||||
場所:ドゥーンベン競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1964年 | 格付け:GⅠ(2006年~)GⅡ(1987~2005年)GⅢ(1979~86年) | 施行時期:5月第2週 | |||
ブリスベン地区最大の短距離戦で、ブラックキャビアも本競走を勝っている。名称の「ブリスベンターフクラブ(BTC)」とは以前ブリスベン地区に存在した競馬施行団体のこと。2009年にブリスベンターフクラブがクイーンズランドターフクラブ(QTC)と合併してブリスベンレーシングクラブ(BRC)が施行団体になったのだが、本競走の名称は変更されなかった。もっとも、現行名になったのは2004年の話。創設当初はブリスベンアマチュアターフクラブの会長だったJ・T・デラニー氏の名にちなんだ「JTデラニークォリティH」という名称だった。1983年に「パワーホテルズクォリティH」、1984年に「ステファンスプリント」、1985年に「ツーリストミニスターズC」、1991年に「ロビンズキッチンC」、1995年に「フォスターズC」、1998年に「カールトンC」、2001年に「カールトンドラフトC」、2002年に「ウィンダムエステートC」と、改名が延々と続いた。距離も結構変遷があり、創設当初は7ハロン、1973年に1200m、1980年に1350mとなり、1991年に現行の1200mとなった。
名称:グッドウッドH(ザグッドウッド) | 英名:SAJC Goodwood Handicap(The Goodwood) | ||||
場所:モーフェットヴィル競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1881年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:5月第2週 | |||
豪州の伝統的な短距離戦で、豪州の古馬出走可能な1200m戦としてはダーレークラシック・ニューマーケットHと共に1979/80年のグループ制度導入時からGⅠ競走に格付けられている貴重な存在。マニカトは参戦していないが、テイクオーバーターゲットやブラックキャビアは参戦して勝っている。創設当初は距離8ハロンで、1889年に6ハロン戦となって以降はメートル法になった以外の変更はない。創設から100年以上に渡って「グッドウッドH」が正式名称だったが、2007年に「ザ・グッドウッド」が正式名称となった。しかし「ザ・メトロポリタン」などと比べるとあまり浸透していないようで、現在でも「グッドウッドH」と呼ばれることが多い。
名称:ドゥーンベンC | 英名:BRC Doomben Cup | ||||
場所:ドゥーンベン競馬場 | 距離等:芝2020m→芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1933年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:5月第3週 | |||
ブリスベン地区の大競走で、過去にはバーンボローが勝っているが、本競走で最も名を馳せたのは1991~93年に3連覇したラフハビットである。創設当初から「ドゥーンベンC」という名称だったが、1983年に「XXXXカップ(フォーレックスカップと読む)」、1988年に「チャンネルナインC」、1989年に再び「XXXXカップ」となり、1992年に元の「ドゥーンベンC」に戻った。創設当初の距離は10ハロンで、1938年に11ハロン、1973年に2200m、1989年に2160m、1990年に2020m、1996年に2040m、1997年に2200m、2007年に2020m、2012年に2000mとなっている。
名称:ドゥーンベン10000 | 英名:BRC Doomben Ten Thousands | ||||
場所:ドゥーンベン競馬場 | 距離等:芝1350m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1933年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:5月第4週 | |||
BTCカップと並ぶブリスベン地区最大の短距離戦。過去にはバーンボロー、マニカト、テイクオーバーターゲットなどが勝っている。創設当初の名称は「ドゥーンベンニューマーケットH」だったが、1947年に当時の豪州短距離戦としては最高の賞金1万ドル競走となったために「ドゥーンベン10000」と改称。その後は賞金が1万ドルよりどんどん増えていったが、しばらくは名称変更は無かった。しかし1980年に「ロスマンズ10万」、1990年に「キャッスルメイン10000」、1993年に再び「ドゥーンベン10000」、2001年に「トレジャリーカジノ10000」となり、2002年に三度「ドゥーンベン10000」に戻って現在に至る。現在の賞金総額は75万ドルで、名称より断然多い。創設当初の距離は6ハロンで、1942年に7ハロン、1973年に1350mとなって以降は変更なしである。
名称:クイーンズランドダービー | 英名:BRC Queensland Derby | ||||
場所:イーグルファーム競馬場 | 距離等:芝2400m | 出走馬:3歳馬 | |||
創設:1868年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:6月第1週 | |||
ブリスベン地区のダービー。シドニー地区のオーストラリアンダービー(ATCダービー)やメルボルン地区のヴィクトリアダービーに比べると賞金は安いが、豪州各地で施行されている「ダービー」と名が付く競走の中ではアデレード地区のサウスオーストラリアンダービーと並んで前2競走に次ぐ権威を有しており、歴史の古さも他3競走とほぼ同じである。有力3歳馬が秋シーズンの締めくくりとして参戦してくる場合が多く、歴代優勝馬にはタラック、キングストンタウン、ストロベリーロードなどの名前も見られる。創設から一貫して距離12ハロン(又は2400m)で施行されてきたが、ドゥーンベン競馬場における代替開催だった2015年は2200mだった。
ニュージーランド
名称:スプリングクラシック(ケルトキャピタルS) | 英名:Spring Classic(Kelt Capital Stakes) | ||||
場所:ヘイスティングス競馬場 | 距離等:芝2040m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1920年 | 格付け:GⅠ(1996年~)GⅡ(1993~95年)GⅢ(1979~92年) | 施行時期:10月第1週 | |||
1920年におそらく無敗の英国三冠馬オーモンドの名を冠したと思われる「オーモンド記念ゴールドカップ」の名称で創設された。1976年に「オーモンド記念S」に改称されたが、その3年後のグループ制度導入時にはGⅢ競走であり、それほどの大競走では無かった。1988年に「ビーミッシュブラッドストックS」と、1991年に「ケルトキャピタルS」と改称された。その後は賞金額が徐々に増えていき、それにつれて出走馬のレベルも上がり、1996年にGⅠ競走に昇格。さらに21世紀に入ってから賞金額がどんどん増え、2000年には25万ドルだったのが、2002年に新国最高に並ぶ50万ドル、2004年には新国競馬史上初の100万ドル、2007・08年には200万ドルまで達した。しかしこんな無茶な金額は長続きせず、2009年に120万ドルに減少。そしてスポンサーだったケルトキャピタル社が撤退して「スプリングクラシック」の名称に変わった2010年には25万ドルと、2年前の8分の1まで下落した。それでも新国内においては高額賞金である事には変わりが無く、現在も新国春シーズンにおける10ハロン路線の大競走としての地位は保っている。創設当初は距離8ハロンで、1955年に10ハロンとなり、1968年には他の新国の主要競走に先んじてメートル法を導入して2000mとなり、1995年に現行の2040mとなった。
名称:ザビールクラシック(TVニュージーランドS) | 英名:ARC Zabeel Classic(Television New Zealand Stakes) | ||||
場所:エラズリー競馬場 | 距離等:芝2000m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1985年 | 格付け:GⅠ(1987年~)GⅡ(1986年)GⅢ(1985年) | 施行時期:12月26日 | |||
歴史は比較的新しいが、創設3年目にGⅠ競走に格付けられて現在まで一貫してその地位を保っている新国最大の10ハロン戦。日本では1989年のジャパンC馬ホーリックスが2度に渡り勝利した競走として知られている。距離は創設から一貫して2000mだが名称にはかなり変遷があり、創設当初は「テレビジョンニュージーランドS」、1992年に「オークランドS」、1993年に「ブルーバードフーズクラシック」、1994年に「オークランドクラシック」、1996年に日本中央競馬会がスポンサーとなると「JRAクラシック」、2001年に「オークススタッドクラシック」となり、2003年に大種牡馬ザビールの名を冠した現行名でようやく固定された。施行時期も何度も変わっており、ホーリックスの現役当時は4月開催で、1993年に1月開催となり、2006年から12月26日で固定された。ちなみに正式名称に付いている「ARC」とはエラズリー競馬場を管轄するオークランドレーシングクラブの事。
名称:レイルウェイS | 英名:ARC Railway Stakes | ||||
場所:エラズリー競馬場 | 距離等:芝1200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1890年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:1月1日 | |||
NRMスプリントと並ぶ新国最大の短距離戦で、比較的歴史が新しいNRMスプリントとは対照的に19世紀創設の伝統競走である。距離が1400mのためマイラーの出走もしばしば見られるNRMスプリントと異なり、生粋の短距離馬しか出走してこない場合が多い。ここ数年は単勝100倍前後の超人気薄馬が2回勝ったり、長らく勝っていなかった3歳馬が勝ったりと意外な結果が続いている。距離は創設から一貫して6ハロン(又は1200m)で、施行日は現在1月1日に固定されている。
名称:NRMスプリント(ワイカトドラフトスプリント) | 英名:NRM Sprint(Waikato Draught Sprint) | ||||
場所:テラパ競馬場 | 距離等:芝1400m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1974年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:2月第2週 | |||
レイルウェイSと並ぶ新国最大の短距離戦で、短距離馬のみならずマイラーも出走してきてレベルが高い戦いとなる事も多く、豪州競馬夏開催のハイライト競走となっている。新国出身の歴史的名牝サンラインも本競走を2連覇している。創設当初はスポンサーである地元のビール会社ワイカトドラフトの名を冠した「ワイカトドラフトスプリント」という名称だったが、1994年に「ワイカトスプリント」となり、2014年に地元の家畜飼料会社ノーザンローラーミリング社(Northern Roller Milling Company)がスポンサーとなるとその頭文字を冠した「NRMスプリント」と改名された。距離は創設から一貫して1400m。
名称:新ダービー | 英名:ARC New Zealand Derby | ||||
場所:エラズリー競馬場 | 距離等:芝2400m | 出走馬:3歳馬 | |||
創設:1973年 | 格付け:GⅠ(1979年~) | 施行時期:3月第1週 | |||
新国のダービー。新国は地理的に北島と南島の2つに大別されるが、一昔前まで同国のダービーは1860年創設の南島の「ニュージーランドダービー」と1875年創設の北島の「グレートノーザンダービー」に分かれていた。この2つのダービーは当時の新国における2大競走でありどちらが格上という事は無く、前者が春シーズン、後者が秋シーズンに施行されていた事もあって、いずれもダブル制覇を果たしたグローミングやその好敵手だった名牝デザートゴールドのように両競走に出る馬も珍しくなかった。しかし1973年に新国の競馬が大きく再編成され、この際に2大ダービーが統合されて「ニュージーランドダービー」として北島で施行されることになり、ダービーを失った南島には同年新たに1000ギニーと2000ギニーが創設される事でバランスが図られた。統合後は12月末に施行されていた時期もあったが、現在は3月の「オークランドカップ・ウィーク」の初日に施行される。距離は統合前の2つのダービーも統合後も全て一貫して12ハロン(1973年にメートル法が導入された後は2400m)となっている。
名称:オークランドC | 英名:ARC Auckland Cup | ||||
場所:エラズリー競馬場 | 距離等:芝3200m | 出走馬:3歳以上 | |||
創設:1874年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:3月第1水曜日 | |||
新国の伝統的な長距離戦で、ハンデ戦である事など共通点が多いことから豪州で言うところのメルボルンCに相当する競走だと考えて良い。賞金はメルボルンCの10分の1にも満たないが、それでも新国においては最高級の高額賞金競走である。新国競馬の祭典「オークランドカップ・ウィーク」5日目に施行される同祭典のメイン競走で、現在施行日は3月第1水曜日に固定されているが、2005年までは概ね1月1日開催だった。創設当初は距離16ハロンで、一時的に18ハロンだった事もあるが概ねこの距離で施行されてきた。1973年にメートル法が導入されると3200mになっている。
名称:マナワツサイヤーズプロデュースS | 英名:Manawatu Sires Produce Stakes | ||||
場所:アワプニ競馬場 | 距離等:芝1400m | 出走馬:2歳馬 | |||
創設:1908年 | 格付け:GⅠ(1980年~) | 施行時期:3月第4週 | |||
新国最大の2歳戦。正式名称は「サイヤーズプロデュースS」だが、豪州で同名の競走が数多く施行されているため、区別するために施行されるアワプニ競馬場があるパーマストンノース市があるマナワツ・ワンガヌイ地方の名を冠して「マナワツサイヤーズプロデュースS」と呼称される。創設当初は距離6ハロンで、1927年に7ハロンとなり、1973年にメートル法に変わって1400mとなって現在に至る。