マートルウッド

和名:マートルウッド

英名:Myrtlewood

1932年生

鹿毛

父:ブルーラークスパー

母:フリジュール

母父:スウィーパー

米国競馬の殿堂入りも果たしている優雅で美しき快速牝馬はミスタープロスペクターやシアトルスルーの牝系先祖

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績22戦15勝2着4回3着2回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ビライアーファーム(後のジュドモントファーム)において、ブラウネル・コムズ氏により生産・所有され、米国レイ・カインドレッド調教師に預けられた。主戦はジョージ・サウス騎手が務めた。素晴らしいスピードを誇った優雅で美しい牝馬だったようで、現役時代は主に短距離戦を走った。しかし本馬の現役時代はまだ米国短距離路線が未整備の時代で、本馬の競走成績もあまり詳しく残っていない。

競走生活(2・3歳時)

デビューしたのは2歳時だった。ケンタッキージョッキークラブS(D8F)では、この年の米最優秀2歳牝馬に選ばれるメイトロンS・セリマS勝ち馬ネリーフラッグ(プリークネスSを勝った女傑ネリーモスの娘で、後に本馬に負けず劣らずの名牝系の祖となっている。その子孫から出た代表馬は、米国ではフォアゴー、日本ではベガなど)の3着に入っている。2歳時の成績は4戦2勝2着1回3着1回で、ステークス競走勝ちは無かった。

3歳時は、イリノイ州ワシントンパーク競馬場で行われたフランシスSピーボディ記念H(D10F)、イリノイ州ホーソーン競馬場で行われたホーソーンスプリントH(D6.5F)と、2つのステークス競走に勝利した。他のレースでは、1914年にアイアンマスクが計時したダート6ハロンの世界レコード1分09秒6を21年ぶりに更新する1分09秒4を樹立している。レコード樹立後には、本馬と同世代の騸馬クラング(通算成績35戦12勝。主な勝ち鞍は4歳時のカーターH・ヨンカーズH。7歳時に病気で早世している)と2度に渡りマッチレースを行った。本馬とクラングとは、フランシスSピーボディ記念HやホーソーンスプリントHなどで既に3回戦っており、いずれも本馬が勝っていた。最初にホーソーン競馬場で行われたホーソーンマッチレースでは本馬が鼻差で勝利し、自身が記録したダート6ハロンの世界レコードをさらに更新する1分09秒2を計時した。それから17日後にニューヨーク州シープスヘッドベイ競馬場で行われたコニーアイランドマッチレースではクラングが鼻差で勝利し、1905年にローズベンが樹立したダート7ハロンの世界レコードと同タイムの1分22秒0を計時している。この年の本馬は他にも、リンカーンH(D8.5F)でシャンペンS勝ち馬スウィーピングライトの2着、クレタH(D6F)で3着するなどして、8戦5勝2着2回3着1回の成績を残した。

競走生活(4歳時)

4歳時は、ケンタッキー州ラトニア競馬場で行われたクイックステップH(D6F)、ワシントンパーク競馬場で行われたレイクサイドH(D8F)、マイアミ州デトロイト競馬場で行われたモーターシティH(D8.5F)、同じくデトロイト競馬場で行われたキャディラックH(D6F)、前年にも勝利したホーソーンスプリントC(D6.5F)、ケンタッキー州キーンランド競馬場で行われたアッシュランドS(D8.5F)、それにキーンH(競馬場や距離は不明)と7つのステークス競走に勝利した。

上記競走のうち、現在でも米国における主要競走となっているのはアッシュランドSのみである。そのアッシュランドSもこの年に創設されたばかりだったが、内容は2着スパルタと3着ワイズベッサ(2頭ともラトニアオークスの勝ち馬)に12馬身差をつける圧勝劇だった。レイクサイドHでは1分35秒6のコースレコードタイ(ダート1マイルにおける牝馬世界レコードでもあった)を計時して、3馬身差で勝利している。モーターシティHでは1分43秒4のコースレコードを計時して、無名時代のシービスケットを4着に破っている(これはシービスケットが相棒のレッド・ポラード騎手と初コンビを組んだ記念すべきレースでもあった)。キャディラックHでもコースレコードで勝っているようだが、資料にタイム記載が無いので詳細は不明である。現役最後のレースはキーンランド競馬場で行われた、1歳年上の牝馬ミスメリメント(通算成績77戦29勝。フォールハイウェイトH2回・インターボローH・ベイショアHなどを勝っている)とのマッチレースとなった。本馬はこのレースで騎手が鞭を使うこともなく勝利し、4歳時10戦8勝2着1回の成績で引退した。

生涯唯一の着外はイリノイ州アーリントンパーク競馬場で出たスターズ&ストライプスH(D9F)だが、勝ち馬スタンドパットとの着差は僅か2馬身差だった(このレースで9着に惨敗した同年の米最優秀ハンデ牡馬ディスカヴァリーには先着している)。

この4歳時には米最優秀ハンデ牝馬に選ばれている。また、同じ1936年には米最優秀短距離馬の選考が初めて行われ、本馬が初の選出馬になった(翌年からは選考がしばらく行われず、1947年にポリネシアンが2頭目の米最優秀短距離馬になって以降は概ね毎年選考されている。記録が飛んでいるのか、何らかの理由があるのかは不明。ポリネシアンの資料にはポリネシアンが史上初の米最優秀短距離馬であると書かれており、この名馬列伝集のポリネシアンの項にもそのように記載したため矛盾が生じている事を了承いただきたい)。「サルヴェイター」の筆名で知られたデイリーレーシングフォーム社の競馬記者ジョン・ハーヴェイ氏は本馬に関して「最も美しい走り方!優しく煌めくような輝きを持つ彼女に比肩する牝馬は存在しませんでした!」と賞賛している。馬名はクスノキ科の木の一種であるオレゴン産の月桂樹のことである。

血統

Blue Larkspur Black Servant Black Toney Peter Pan Commando
Cinderella
Belgravia Ben Brush
Bonnie Gal
Padula Laveno Bend Or
Napoli
Padua Thurio
Immortelle
Blossom Time North Star Sunstar Sundridge
Doris
Angelic St. Angelo
Fota
Vaila Fariman Gallinule
Bellinzona
Padilla Macheath
Padua
Frizeur Sweeper Broomstick Ben Brush Bramble
Roseville
Elf Galliard
Sylvabelle
Ravello Sir Hugo Wisdom
Manoeuvre
Unco Guid Uncas
Genuine
Frizette Hamburg Hanover Hindoo
Bourbon Belle
Lady Reel Fellowcraft
Mannie Gray
Ondulee St. Simon Galopin
St. Angela
Ornis Bend Or
Shotover

ブルーラークスパーは当馬の項を参照。本馬は父の初年度産駒。

母フリジュールは、仏国で繁殖生活を送っていた米国産まれの歴史的大繁殖牝馬フリゼットの6番子で、仏国産馬である。誕生した年にフリゼットの所有者ハーマン・B・デュリエー氏が死去したため、米国の大馬主ジョン・E・マッデン氏により購入されて米国に輸入されたが、競走馬としては2勝を挙げた程度に終わった。しかしその血統の良さから繁殖牝馬としての期待を掛けられ、本馬の生産者コムズ氏により6千ドルで購入されていた。フリジュールはコムズ氏の期待に応えるだけの繁殖成績を残しており、本馬の半姉ブラックカール(父フライアーロック)【アルバーンH・ベイショアH・テストS】、半兄ペアバイペア(父ノア)【ハイドパークS】、半兄クラウニンググローリー(父ブラックトニー)【ハイドパークS】など複数のステークス競走勝ち馬を出している。フリゼットの娘であるフリジュールの近親には活躍馬が綺羅星のごとくいるのだが、それらの紹介はフリゼットの項に譲る事にする。→牝系:F13号族①

母父スウィーパーは米国の名馬ブルームスティック直子だが、誕生したのは仏国である。競走馬としては英国で走り、英2000ギニー・リッチモンドSを勝利した。競走馬引退後は仏国で種牡馬入りし、後に米国に移動している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、コムズ氏が甥のレスリー・コムズⅡ世氏と共同で1937年に新規開設したばかりの米国ケンタッキー州スペンドスリフトファームで繁殖入りした。本馬は繁殖牝馬としても優秀で、11頭の子を産み、そのうち8頭が競走馬となり、6頭が勝ち上がった。勝ち上がった馬の中には2頭のステークスウイナーがいる。その2頭は、2番子であるミスドッグウッド(父ブルドッグ)【ケンタッキーオークス・シュテーガーH・フェニックスH】と、名牝ブッシャーとのマッチレースで名勝負を演じた事で知られる1943年の米最優秀2歳牝馬ドゥラズナ(父ブルリー)【ブリーダーズフューチュリティS・プレイリーステートS・ホーソーンジュヴェナイルH・クラングH・シェリダンH・ビヴァリーH】である。本馬は1950年、ウォーアドミラル牡駒を産んだ直後に18歳で他界し、遺体はスペンドスリフトファームにあった母フリジュールの墓の隣に埋葬された。

後世に与えた影響

本馬の牝系は孫世代以降も発展を続け、後世に絶大な影響をもたらした。

本馬の初子クリープマートル(父エクワポイズ)は競走馬としては1勝止まりだったが、母として1948年の米最優秀2歳牝馬マートルチャーム(父アルサブ)【メイトロンS・スピナウェイS・モデスティH】を産んだ。このマートルチャームは、母としてマートルズジェット【フリゼットS】を産んだ他に、マイチャーマーの祖母となった。マイチャーマーは米国三冠馬シアトルスルー【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)・ベルモントS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・フラミンゴS(米GⅠ)・ウッドメモリアルS(米GⅠ)・マールボロC招待H(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)】とロモンド【英2000ギニー(英GⅠ)】の母となった。また、マートルチャームの半妹スピノザの牝系子孫も伸びており、ビワハヤヒデの父であるシャルード、ジョリーズヘイロー【ドンH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)・フィリップHアイズリンH(米GⅠ)】、サザンイメージ【サンタアニタH(米GⅠ)・マリブS(米GⅠ)・ピムリコスペシャルH(米GⅠ)】などが出ている。

また、本馬の代表産駒の1頭ミスドッグウッドは、ゴールドディガーの祖母となった。ゴールドディガーは大種牡馬ミスタープロスペクターの母である。ゴールドディガーの牝系子孫からは、チーフベアハート【BCターフ(米GⅠ)・加国際S(加GⅠ)・マンハッタンハンディH(米GⅠ)】、プライヴェートゾーン【ヴォスバーグS(米GⅠ)2回・シガーマイルH(米GⅠ)】、日本で走ったオウケンブルースリ【菊花賞(GⅠ)】なども出ている。ゴールドディガーを経由しないミスドッグウッドの牝系子孫には、ベモ【アメリカンダービー(米GⅠ)・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)】、スイークレイ【ヴォスバーグS(米GⅠ)2回】、エスシーナ【BCディスタフ(米GⅠ)・ラモナH(米GⅠ)・アップルブロッサムH(米GⅠ)・ヴァニティ招待H(米GⅠ)】、キャッシュラン【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)】、プレシャスパッション【ユナイテッドネーションズS(米GⅠ)2回・クレメントLハーシュ記念ターフCSS(米GⅠ)】などもいる。

また、ミスドッグウッドと並ぶ本馬の代表産駒ドゥラズナの牝系子孫も発展している。ドゥラズナの曾孫には1972年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬タイプキャスト【サンタモニカH・ミレイディH・ハリウッドパーク招待ターフH・サンセットH・マンノウォーS】が出て、さらにタイプキャストは日本に繁殖牝馬として輸入されて、プリテイキャスト【天皇賞秋】の母となった。ドゥラズナの牝系子孫には他に、シベリアンエクスプレス【仏2000ギニー(仏GⅠ)・モルニ賞(仏GⅠ)】、バーリ【セントジェームズパレスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】、アジーナ【BCディスタフ(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)】、ロヴェジョン【セレクシオン大賞(亜GⅠ)・サンタマリアH(米GⅠ)】、マルディヴィアン【コックスプレート(豪GⅠ)・ヤルンバS(豪GⅠ)・CFオーアS(豪GⅠ)】、クオリティロード【フロリダダービー(米GⅠ)・ドンH(米GⅠ)・メトロポリタンH(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)】、ゼンセーショナル【トリプルベンドH(米GⅠ)・ビングクロスビーS(米GⅠ)・パットオブライエンS(米GⅠ)】などがいる。

また、本馬の娘スプリングビューティ(父サーギャラハッド)の牝系子孫にはハリウッドストーリー【ハリウッドスターレットS(米GⅠ)・ヴァニティ招待H(米GⅠ)】が、本馬の娘ムーンフラワー(父ブルドッグ)の曾孫にはジャンピングヒル【ワイドナーH(米GⅠ)】が、本馬の娘ドラゴナ(父ブルリー)の子にはロイヤルアタック【サンタアニタダービー】がいる。

本馬の牝系子孫からはミスタープロスペクターとシアトルスルーという、今日でも米国競馬界を牛耳る両巨頭が出ている。この2頭の血を両方引く馬は米国内に溢れかえっているため、本馬の牝系は血統研究家達の格好の研究材料となっている。本馬は競走成績のみならず、優秀な牝系を構築した功績も考慮されたのか、シアトルスルーが競走馬を引退した翌1979年に米国競馬の殿堂入りを果たした。

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