シーホーク

和名:シーホーク

英名:Sea Hawk

1963年生

芦毛

父:エルバジェ

母:シーニンフ

母父:フリーマン

種牡馬として天皇賞春の優勝馬を2頭、東京優駿の優勝馬も2頭輩出したスタミナ自慢のサンクルー大賞の勝ち馬

競走成績:2・3歳時に仏で走り通算成績7戦3勝2着1回

誕生からデビュー前まで

愛国キルデア郡グレンジウィリアムスタッドにおいて、A・D・D・ロジャーズ大尉により生産され、コンテス・ド・ラヴァルデン氏の所有馬となり、当時まさに史上最強馬シーバードを手掛けている最中だった仏国エチエンヌ・ポレ調教師に預けられた。

競走生活

2歳時はデビュー戦のトレパ賞(T1800m)を勝利。さらにクリテリウムドサンクルー(T2000m)に向かうと、後のモーリスドニュイユ賞の勝ち馬キンバリーを3馬身差の2着に、コンデ賞の勝ち馬で後にギシュ賞・エドモンブラン賞・ラクープドメゾンラフィットも勝つアテンポをさらに4馬身差の3着に破って快勝。2歳時の成績は2戦2勝となった。

この時点では仏ダービーの有力候補だったが、3歳になると不調に陥ってしまう。シーズン初戦となった4月のグレフュール賞(T2100m)では、クリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬で仏グランクリテリウム2着のオーバン(後の本邦輸入種牡馬だが失敗に終わった)、シェーヌ賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム3着のベヒストウンなど3頭に敗れて、勝ったオーバンから6馬身差の4着に終わった。次走のノアイユ賞(T2200m)でも、名馬リュティエの全兄プリミエヴィオロン、エヴリ大賞の勝ち馬ネルシウス(この馬も後の本邦輸入種牡馬だが失敗に終わった)、アテンポの3頭に敗れて、勝ったプリミエヴィオロンから7馬身差の4着に終わった。翌5月に出たオカール賞(T2400m)ではオーバンの半馬身差2着となり、3着ボンモー(この馬も後の本邦輸入種牡馬だがこれまた失敗に終わった)には3馬身差をつけた。

そして6月の仏ダービー(T2400m)に参戦した。しかし、ネルシウス、ボンモー、グレフュール賞2着後にリュパン賞を勝っていたベヒストウンなどに屈して、ネルシウスの5着に敗れてしまった。

次走は古馬相手のサンクルー大賞(T2500m)となった。前年の凱旋門賞でシーバードの3着した後にワシントンDC国際S・ボイアール賞・ガネー賞を勝っていた当時仏国古馬最強のダイアトム(やはり後の本邦輸入種牡馬だが、この馬は一定の成功を収めた)、仏ダービー3着のベヒストウンなどが対戦相手となった。結果は本馬が2着ダイアトムに2馬身差、3着ベヒストウンにはさらに半馬身差をつけて勝利。しかしこれが現役最後のレースとなり、3歳時5戦1勝の成績で競馬場を後にした。ベヒストウンは同年のワシントンDC国際Sと翌年のガネー賞を、ボンモーは同年の凱旋門賞を勝っており、同世代馬のレベルはなかなか高かったようである。

血統

Herbager Vandale Plassy Bosworth Son-in-Law
Serenissima
Pladda Phalaris
Rothesay Bay
Vanille La Farina Sans Souci
Malatesta
Vaya Beppo
Waterhen
Flagette Escamillo Firdaussi Pharos
Brownhylda
Estoril Solario
Appleby
Fidgette Firdaussi Pharos
Brownhylda
Boxeuse Teddy
Spicebox
Sea Nymph Free Man Norseman Umidwar Blandford
Uganda
Tara Teddy
Jean Gow
Fantine Fantastic Aethelstan
Fanatic
Sif Rialto
Suavita
Sea Spray Ocean Swell Blue Peter Fairway
Fancy Free
Jiffy Hurry On
Juniata
Pontoon Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Ponteba Belfonds
Poet's Star

エルバジェは当馬の項を参照。

母シーニンフは現役成績9戦2勝、マルレ賞の勝ち馬。本馬の1歳年下の全妹ラフシーの子にはノースシー【フロール賞(仏GⅢ)】、孫にはやはり本邦輸入種牡馬であるサンテステフ【コロネーションC(英GⅠ)・モーリスドニュイユ賞(仏GⅡ)・アルクール賞(仏GⅡ)】がいる。シーニンフの半兄にはスフラン(父ファストフォックス)【フォワ賞】が、シーニンフの半妹スワレラ(父タイロン)の子にはサニュール【フォルス賞(仏GⅢ)】、曾孫には日本で走ったマキシムシャレード【デイリー杯三歳S(GⅡ)】がいる。

シーニンフの母シースプレーの半妹マイポペットの牝系子孫には、スターパレード【サンタマリアH(米GⅠ)・ミレイディH(米GⅠ)・サンタマリアH(米GⅠ)】などが、シースプレーの半妹で日本に繁殖牝馬として輸入されたレディアリスの子にはメジロマジョルカ【クイーンC】、メジロタイヨウ【天皇賞秋・目黒記念・アルゼンチンジョッキークラブC】、トーヨーチカラ【京都新聞杯】、曾孫にはメジロアイガー【中山大障害春】、メジロマスキット【中山大障害秋】、エイシンサニー【優駿牝馬(GⅠ)】などがおり、牝系を発展させている。

シースプレーの母ポンツーンの半兄にはポンレベック【英ダービー】がおり、ポンツーンの曾祖母レディサイノシュアの1歳年上の全兄には大種牡馬ポリメラス【英チャンピオンS】がいる。→牝系:F3号族③

母父フリーマンは仏2000ギニー・ドラール賞・ダフニ賞などの勝ち馬で、仏ダービーはシカンブルの2着だった。フリーマンの父ノーズマンはモンタヴァルの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、愛国で種牡馬入りした。欧州における種牡馬成績は良好で、サンインローの直系らしくスタミナ豊富な産駒を多く出した。1974年には英愛繋養種牡馬ランキングでトップになり、翌1975年にも同ランキング2位に入った。本馬が日本に輸入されたのは、このように種牡馬としての名を上げる直前の1973年であり、翌1974年から北海道浦河町荻伏地区で日本における種牡馬生活を開始した。この段階では既に欧州で複数のGⅠ競走の勝ち馬を送り出していた事もあり、種牡馬人気は最初から高かった。1年目は67頭、2年目は64頭、3年目は67頭、4年目の1977年は71頭の交配数だった。日本における初年度産駒はこの1977年にデビュー。しかし晩成の長距離血統だった故か、すぐには結果が出なかった。それでも種牡馬人気は下がらず、5年目は70頭、6年目は60頭、7年目の1980年は68頭の交配数だった。この1980年にモンテプリンスがクラシック戦線で活躍した。8年目は65頭、モンテプリンスが天皇賞春を勝った9年目の1982年は62頭、10年目は61頭、モンテプリンスの全弟モンテファストが天皇賞春を勝った11年目の1984年は60頭の交配数だった。さすがにこの時期から年齢の影響で交配数は減少に転じ、12年目は48頭、13年目は46頭、14年目は27頭、15年目は19頭、ウィナーズサークルが東京優駿を勝った16年目の1989年は26頭、アイネスフウジンが東京優駿を勝った17年目の1990年は14頭の交配数だった。晩年になって2年連続で東京優駿の勝ち馬を出した事から分かるとおり、産駒の質は最後まで下がらなかった。1991年に28歳で他界した。

欧州でも長距離傾向が強かったが、それは日本でも同様であり、1980年代に「スタミナ豊富な名種牡馬」と言えば本馬の名が真っ先に挙がるほどだった。全日本種牡馬ランキングはモンテプリンスが最も活躍した1982年の9位が最高だった。長距離競走であれば芝でもダートでも問題なく走り、1986年には地方競馬の種牡馬ランキングでも9位に入っている。

しかし後継種牡馬はどれも失敗し、本馬の直系は現在ほぼ見かけなくなっている。それでも本馬の血が入っている馬は国内外を問わず比較的頻繁に目にする。例えば名種牡馬インザウイングスの祖母の父は本馬、筆者が史上屈指の英1000ギニー馬だと思っているルシアンリズムや、名種牡馬ケープクロスの曾祖母の父も本馬、安田記念に参戦したディクタットの4代母の父も本馬である。ウィジャボードシーザスターズゴールデンホーン(いずれもケープクロス産駒)の血統表を見ると、本馬の名前が密かに含まれているわけである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1968

Erimo Hawk

アスコット金杯(英GⅠ)・グッドウッドC(英GⅢ)

1968

Irvine

ローマ賞(伊GⅠ)・ジョッキークラブC(英GⅢ)

1968

Sea Friend

ロイヤルロッジS・ニジンスキーS(愛GⅡ)・キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)

1970

La Zanzara

サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・伊1000ギニー(伊GⅡ)・ビヴァリーヒルズH(米GⅡ)2回・リンダヴィスタH(米GⅢ)

1971

Grey Thunder

ゴードンS(英GⅢ)

1971

Paulista

ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・ノネット賞(仏GⅢ)・ミネルヴ賞(仏GⅢ)

1971

Richard Grenville

ブランドフォードS(愛GⅡ)

1972

Bruni

英セントレジャー(英GⅠ)・ヨークシャーC(英GⅡ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)

1972

Matahawk

パリ大賞(仏GⅠ)

1973

Claire Valentine

伊オークス(伊GⅠ)

1973

General Ironside

クイーンズヴァーズ(英GⅢ)

1973

Hawkberry

グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)

1973

Sharper

バーデン大賞(独GⅠ)

1975

エースライン

浦和桜花賞(浦和)・関東オークス(川崎)

1975

スズカシンプウ

日経新春杯・小倉記念

1977

モンテプリンス

天皇賞春・宝塚記念・NHK杯・セントライト記念・東京新聞杯

1978

トラストホーク

東京大賞典(大井)・帝王賞(大井)・東京記念(大井)

1978

フロリダホーク

ジュニアゴールデン賞(高知)・足摺特別(高知)

1978

モンテファスト

天皇賞春(GⅠ)・目黒記念

1980

ナンタイホーク

高崎大賞(高崎)

1981

センゴクエーユー

こまくさ賞(上山)

1982

ジュサブロー

オールカマー(GⅢ)・ダイヤモンド特別(名古屋)・東海桜花賞(中京)・ゴールド争覇(中京)

1982

スダホーク

弥生賞(GⅡ)・アメリカジョッキークラブC(GⅡ)・京都記念(GⅡ)・阪神大賞典(GⅡ)

1982

ベルモントホーク

中島記念(佐賀)

1982

ロンスパーク

鳴尾記念(GⅡ)

1983

アイランドハンター

浦和記念(浦和)・金杯(浦和)・ダイオライト記念(船橋)

1983

コオテンチカラ

北斗盃(岩見沢)

1984

イソノボーイ

サラブレッドチャンピオン(中津)

1985

ヤグラステラ

サファイアS(GⅢ)・福島記念(GⅢ)

1986

ウィナーズサークル

東京優駿(GⅠ)

1986

カチウマホーク

鳴尾記念(GⅡ)

1986

マルタカタイソン

目黒記念(GⅡ)

1987

アイネスフウジン

東京優駿(GⅠ)・朝日杯三歳S(GⅠ)・共同通信杯四歳S(GⅢ)

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