和名:ドンカスター |
英名:Doncaster |
1870年生 |
牡 |
栗毛 |
父:ストックウェル |
母:マリーゴールド |
母父:テディントン |
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種牡馬の皇帝ストックウェルと大種牡馬ベンドアの間を繋いだ英ダービー・アスコット金杯の優勝馬 |
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競走成績:3~5歳時に英仏で走り通算成績10戦4勝2着3回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
英国スレッドメアスタッドにおいてタットン・サイクス卿により生産された。顔には流星が走り、美しい褐色の栗毛の馬体を有したグッドルッキングホースだった。タタソールズの競売に出品され、ジェームズ・メリー氏により950ギニーで購入された。メリー氏はかつて、英2000ギニー馬マグレガー、クイーンズスタンドプレート・英シャンペンS・プリンスオブウェールズS・プリンセスオブウェールズSの勝ち馬キングオブザフォレスト、モールコームSの勝ち馬マークスマンなど何頭かの活躍馬を所有していたが、英ダービーではマークスマンがハーミットの2着に入ったのが最高成績だった。セリ出品時点では“All Heart and No Peel(芯だけで皮は無い)”といういかにも弱そうな名前だった本馬だが、メリー氏により英セントレジャーが行われるドンカスター競馬場の地名にちなんで命名され、ロバート・ペック調教師に預けられた。
競走生活(3歳時)
しかし本馬は成長が遅く、しかも後突症(後脚を前脚にぶつけること。下半身の力が強く、かつ前脚を掻きこむようにして走るタイプの競走能力が高い馬が起こしやすく、日本の名馬シンザンやタケシバオーもこれに悩まされていた)に悩まされた影響もあって、デビュー戦は3歳時の英2000ギニー(T8F17Y)となった。このレースでは、同父馬ギャングフォワード、ミドルパークプレート(同着)・英シャンペンSの勝ち馬カイザーなどに屈して、ギャングフォワードの着外に敗れた。しかし1戦叩いた効果が出たのか、この直後から本馬は急上昇した。
次走の英ダービー(T12F29Y)では単勝オッズ46倍の人気薄ながらも、2着同着となったギャングフォワードとカイザーに1馬身半差をつけて優勝。初勝利を英ダービーで挙げ、メリー氏にも嬉しい英ダービータイトルをプレゼントした。
続いて仏国に向かい、パリ大賞(T3000m)に参戦したが、仏ダービー・ダリュー賞・ギシュ賞の勝ち馬ボイアール、モルニ賞・クリテリオンSの勝ち馬で仏ダービー2着のフラジョレの2頭の仏国調教馬に敗れて、ボイアールの3着に終わった。
秋は自身の名の由来となったドンカスター競馬場に向かい、英セントレジャー(T14F132Y)に参戦。直線で先頭に立ち、勝ったと思われたが、ゴール寸前で同厩の英オークス・ヨークシャーオークス・ニューS・コロネーションSの勝ち馬マリースチュアートに捕まって、頭差の2着に敗れた(本馬から3馬身差の3着には、英ダービー2着後にプリンスオブウェールズSを勝っていたカイザーが入った)。
次走のグランドデュークマイケルSでは、パリ大賞で短首差の2着した後にアスコット金杯でも2着してグッドウッドCを30馬身差で勝っていたフラジョレに完敗した。さらにニューマーケットダービー(T12F)に出走したが、カイザーの4馬身差2着に終わった。3歳時の成績は6戦1勝だった。
競走生活(4・5歳時)
4歳時はアスコット金杯(T20F)から始動した。このレースには、パリ大賞で本馬を破った後にロワイヤルオーク賞・カドラン賞・シャンティ賞・ビエナル賞など長距離戦を勝ちまくっていたボイアール、グランドデュークマイケルS勝利後にジョッキークラブC・フリーH・クラレットSを勝ちカドラン賞で2着していたフラジョレの2頭も出走してきて、さながらパリ大賞のリターンマッチの様相を呈した。結果はボイアールが勝利を収め、本馬とフラジョレが3/4馬身差の2着同着だった。その後に出走したグッドウッドC(T20F)では、7ポンドのハンデを与えたカイザーを首差の2着に、この年の英オークス2着馬ミストトを3着に抑えて勝利した。4歳時の成績は2戦1勝だった。
5歳時には2日間の間にアスコット金杯(T20F)とクイーンアレクサンドラプレート(T24F)の2レースに出走。前者では、前年のナッソーS・パークヒルS・シザレウィッチHを勝っていたアヴァンチュリエレを6馬身差の2着に、仏国から参戦してきたこの年の仏ダービー・パリ大賞2着馬ヌガーを3着に破って勝利。後者も2着スキャンプに1馬身差をつけて勝利を収め、このレースを最後に5歳時2戦2勝の成績で競走馬を引退した。
1886年6月に英スポーティングタイムズ誌が競馬関係者100人に対してアンケートを行うことにより作成した19世紀の名馬ランキングにおいては、第37位にランクインした。
血統
Stockwell | The Baron | Birdcatcher | Sir Hercules | Whalebone |
Peri | ||||
Guiccioli | Bob Booty | |||
Flight | ||||
Echidna | Economist | Whisker | ||
Floranthe | ||||
Miss Pratt | Blacklock | |||
Gadabout | ||||
Pocahontas | Glencoe | Sultan | Selim | |
Bacchante | ||||
Trampoline | Tramp | |||
Web | ||||
Marpessa | Muley | Orville | ||
Eleanor | ||||
Clare | Marmion | |||
Harpalice | ||||
Marigold | Teddington | Orlando | Touchstone | Camel |
Banter | ||||
Vulture | Langar | |||
Kite | ||||
Miss Twickenham | Rockingham | Humphrey Clinker | ||
Medora | ||||
Electress | Election | |||
Stamford Mare | ||||
Ratan Mare | Ratan | Buzzard | Blacklock | |
Miss Newton | ||||
Picton Mare | Picton | |||
Selim Mare | ||||
Melbourne Mare | Melbourne | Humphrey Clinker | ||
Cervantes Mare | ||||
Lisbeth | Phantom | |||
Elizabeth |
父ストックウェルは当馬の項を参照。
母マリーゴールドは現役時代にスチュワーズCを勝ち、英オークスでクイーンバーサの2着している。母としては本馬の半弟バリオル(父ブレアアソール)【グレートヨークシャーH】も産んだ。しかし牝系を後世に伸ばすことは出来なかった。近親にはあまり活躍馬がおらず、マリーゴールドの曾祖母リスベスの半妹プリズムの子にリフラクション【英オークス・ナッソーS】、孫に第1回のバーデン大賞を勝ったラマラデッタ、曾孫にセルダーニュ【アンペルール大賞(後のリュパン賞)・バーデン大賞】がいるくらいである。プリズムの牝系子孫は現在も残っており、日本でも桜花賞・優駿牝馬の勝ち馬スウヰイスー、川崎記念の勝ち馬スヰートハート、菊花賞馬ホリスキー、フェブラリーSの勝ち馬グルメフロンティアなどが出ているが、それほど繁栄はしていない。→牝系:F5号族②
母父テディントンは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、初代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナー卿の主要調教師でもあったペック師により1万ポンドで購入され、グローヴナー卿に1万4千ポンドで転売され、グローヴナー卿が所有していたイートンスタッドで種牡馬入りした。1780年に創設されたイートンスタッドは、かつてはタッチストンやニューミンスターを擁して栄華を誇ったが、この当時は英国三冠馬グラディアトゥールが失敗するなど有力種牡馬がおらず、グローヴナー卿は優秀な種牡馬探しに余念が無かった。本馬は種牡馬として十分な成功を収めてグローヴナー卿の期待に応え、イートンスタッド再建の礎となった。
その後、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世のエリザベート皇后(当時の欧州における絶世の美女として著名だったが、奔放な性格で地元を離れて旅行ばかりしていた。後に旅行先で暗殺される)が英国に来てイートンスタッドを訪問した際に、本馬を見て非常に気に入ったため、グローヴナー卿に本馬の購入を申し出た。ちょうどこの頃、本馬の代表産駒であるベンドアがイートンスタッドで種牡馬入りしており、ベンドアの代表産駒オーモンドが1886年に無敗の英国三冠を達成していた。そのため、本馬が不在でもベンドアが居れば十分と判断したグローヴナー卿はこの申し出を了承。本馬は5千ポンドでオーストリア・ハンガリー帝国に売却された。本馬は国立キシュベルスタッドで種牡馬生活を続行し、1892年1月に22歳で他界した。
本馬の直系は後継種牡馬ベンドアにより後世に伝えられ、現在サラブレッド界の主流血統となっている。また、本馬の直系の血は、名牝プリティポリーや名馬ベイヤードの母系にも入っており(いずれもベンドアを経由するものではない)、こちらにおける影響力も大きい。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1877 |
英ダービー・セントジェームズパレスS・英チャンピオンS・リッチモンドS |
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1878 |
Thora |
モンマスオークス・アラバマS・サラトガC |
1881 |
Cambusmore |
セントジェームズパレスS |
1881 |
Sandiway |
コロネーションS・ナッソーS |
1881 |
Sir Reuben |
プリンスオブウェールズS |
1882 |
Escarboucle |
ロワイヤルオーク賞・グラディアトゥール賞 |
1882 |
Farewell |
英1000ギニー |
1882 |
Russley |
AJCドンカスターH |
1885 |
Derwentwater |
ジムクラックS |