ティムタム

和名:ティムタム

英名:Tim Tam

1955年生

青鹿

父:トムフール

母:トゥーリー

母父:ブルリー

強烈な末脚を武器に破竹の8連勝でケンタッキーダービー・プリークネスSを制覇するもレース中の故障で米国三冠の夢を絶たれた良血馬

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績14戦10勝2着1回3着2回

誕生からデビュー前まで

米国の名門カルメットファームの生産・所有馬で、カルメットファームの専属調教師ベン・ジョーンズ師とジミー・ジョーンズ師の親子に預けられた。父トムフールと母トゥーリーは共に米国の歴史的名馬で、関係者の期待は絶大なものがあった。しかし1歳の暮れに牧場内の事故で脚を捻挫した影響があり、デビューは少々遅くなった。

競走生活(3歳初期まで)

2歳10月にガーデンステート競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦で、主戦となるビル・ハータック騎手を鞍上にデビュー。トラヴァーズSなどを制したエースアドミラルやピムリコスペシャルやサバーバンHなどを制したヘリオスコープの半弟という期待馬ロイヤルウォリアーを抑えて1番人気に支持された。しかしスタートで出遅れた事に加えて、泥だらけの不良馬場に脚を取られて、勝ったロイヤルウォリアーから4馬身1/4差の4着に敗れた。それでも直線で見せた伸び脚は印象的だったと評された。

2歳時はこの1戦のみで終え、3歳時は1月にハイアリアパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動。ここを2馬身3/4差で制して勝ち上がった。それから5日後にはハイアリアパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走に出走。不得手な不良馬場となったが、半馬身差で勝利した。それからさらに6日後にはハイアリアパーク競馬場ダート6ハロンの一般競走に出走。ここでは本馬と同じカルメットファームの生産・所有馬で、リアルディライト、バブリー、プリンセスタリアと3頭のケンタッキーオークス馬の弟である、その名もケンタッキープライドとの対戦となった。しかしここで本馬に初騎乗したO・スカーロック騎手との相性に問題があったのか、勝ったケンタッキープライドに5馬身1/4差をつけられて3着に敗れた。それからさらに8日後にはバハマズS(D7F)に出走。しかしここでもオリマールの半馬身差3着に敗れた(2着ケンタッキープライドとは鼻差)。そのさらに10日後にはエヴァーグレーズS(D9F)に出走。ここではハータック騎手が鞍上に復帰した。レースでは後方4番手追走から早めに仕掛けて容易に先頭に立ち、2着ケンタッキープライドに1馬身1/4差をつけて勝利した(3着リバティルーラーはさらに6馬身後方)。1か月足らずで5戦を消化する無茶使いだったが、デビューが遅れた本馬を実戦で鍛えてケンタッキーダービーに間に合わせる陣営の作戦だったようである。事実、このエヴァーグレーズSを皮切りに、本馬の快進撃が始まるのである。

エヴァーグレーズSから2週間後に出走したフラミンゴS(D9F)では、シャンペンS・ピムリコフューチュリティ・カウディンS・トレモントS・ワシントンパークフューチュリティの勝ち馬ジュエルズリワード、ガーデンステートSの勝ち馬ナディアという、共に前年の米最優秀2歳牡馬に選ばれていた2頭との対戦となった。レースでは本馬とジュエルズリワードが直線で激しい叩き合いを演じ、ジュエルズリワードがゴール前の一完歩で前に出て、本馬に頭差先着した。しかし直線における叩き合いで本馬にジュエルズリワードの馬体がぶつかる場面があり、長い審議の結果、ジュエルズリワードは2着に降着となり、本馬が繰り上がって勝利馬となった。後にエクセルシオールH・マサチューセッツHなどを勝ちアーリントンクラシックS・サバーバンH・ホイットニーSで2着するタレントショーが本馬から3馬身1/4差の3着に入り、ナディアはさらに3馬身半差の4着だった。審議の結果が出るまでに非常に時間がかかったため、確定時には本馬は既に厩舎に戻っており、勝ち馬表彰式に出ることは出来なかった。

続くファウンテンオブユースS(D8.5F)では、サラトガスペシャルSの勝ち馬グレイモナーク(後に日本に種牡馬として輸入され、スターマンやライブリマウントの祖母の父となっている)、グレートアメリカンS・ジュヴェナイルSの勝ち馬でサプリングS・トレモントS2着のリルフェラとの対戦となった。しかし本馬が3ポンドのハンデを与えた2着グレイモナークに2馬身差で快勝した。

次走のフロリダダービー(D9F)でも再びグレイモナークとの対戦となった。しかしこのレースで本馬を脅かしたのはグレイモナークではなく、単勝オッズ76倍の伏兵リンカーンロードだった。後に米国三冠競走でも活躍を見せるリンカーンロードは、ここで初めてその本領を存分に発揮して快調に先頭を飛ばし、そのまま逃げ切るかに思えた。しかし3着グレイモナークを7馬身も置き去りにして追い上げてきた本馬がゴール前でリンカーンロードをかわして半馬身差で勝利した。レース後にハータック騎手は「私は最高の馬に乗っていると思っていましたが、レース序盤は少し厳しいかもと考え始めていました。しかしいったん彼が本気で走りだしたら、私はやはり勝ちを確信するようになりました」と述べている。

フロリダ州からケンタッキー州に移動して出走したキーンランド競馬場ダート7ハロンの一般競走では、2着ナディアを半馬身抑えて、1分11秒2のコースレコード勝ちを収めた。次走はダービートライアルS(D8F)となった。ベン・ジョーンズ師はまだカルメットファームの専属調教師になる前の1938年に、管理馬のローリンでダービートライアルSを2着した後に本番を見事にものにしてから、このレースをケンタッキーダービーの前哨戦として愛用しており、ワーラウェイサイテーションの2頭の米国三冠馬に加えて、プリークネスSの勝ち馬フォールトレス、ケンタッキーダービー馬ヒルゲイル、プリークネスSの勝ち馬ファビウスなどの有力馬がこのレースを叩いて本番のケンタッキーダービーに臨んでいた。しかしこのダービートライアルSの直前に、主戦のハータック騎手が別のレースでスタート時に立ち上がった馬から落ちて足を骨折する事態が起きており、本馬の鞍上はイスマエル・ヴァレンズエラ騎手に交代となっていた。対戦相手も手強く、ナディアに加えて、ルイジアナダービー3着馬エボニーパール(ジュエルズリワードの同厩馬)、ブルーグラスS3着馬フラミンゴなどが出走していた。本馬は例によって後方待機策を選択。そして直線で「心臓が止まるような」豪快な追い上げを見せると、粘るエボニーパールを首差かわして破竹の6連勝とした。

競走生活(米国三冠競走)

そして本馬はヴァレンズエラ騎手と共にケンタッキーダービー(D10F)に参戦した。対戦相手は、フラミンゴS2着降着後にウッドメモリアルSを勝ってきたジュエルズリワード、エボニーパール、ルイジアナダービー・ウッドメモリアルS2着のノウレディン、ゴーンフィッシン、ウッドメモリアルS3着馬マーティンズルーラ、リンカーンロード、ダービートライアルSで3着だったフラミンゴ、そしてサンタアニタダービー・ゴールデンゲートフューチュリティの勝ち馬シルキーサリヴァンなどだった。ジュエルズリワードとエボニーパールの2頭がカップリングで1番人気に支持され、本馬はデビュー以降初めて1番人気の座を明け渡す単勝オッズ3.1倍の2番人気での出走となった。

しかしこのレースにおいて最も注目を集めていたのはジュエルズリワードでも本馬でもなく、本馬と並んで2番人気となっていた“California Comet(カリフォルニアの彗星)”ことシルキーサリヴァンだった。シルキーサリヴァンは他馬からあり得ないほど離された最後方から追い込んで勝つレースぶりを得意としていた。サンタアニタダービーの勝ち方もそれは凄まじいものであり、前哨戦の一般競走で4着に敗れていたために馬券的には2番人気に甘んじていたが、注目度だけで言えばジュエルズリワードや本馬が霞んでしまうほどだったのである。CBS放送はこの年のケンタッキーダービーをテレビ放送するに当たって、画面の右下にシルキーサリヴァンだけを写すコーナーを用意していた。

スタートが切られると、リンカーンロードが先手を奪い、本馬は馬群の中団後方で様子を伺った。そしてシルキーサリヴァンは大方の予想どおりに他馬勢から30馬身も離れた最後方を追走した。しかしレース終盤で仕掛けたシルキーサリヴァンは伸びを欠いた。一方の本馬は四角出口で仕掛けると、馬群の間をすり抜けるように伸びていき、逃げ粘るリンカーンロードを外側から差し切り半馬身差で優勝。リンカーンロードからさらに半馬身差の3着にノウレディンが入り、ジュエルズリワードはさらに6馬身差の4着、シルキーサリヴァンは12着と惨敗した。

しかしレースが終わった直後もシルキーサリヴァンは主役のままであり、このレースも「ティムタムが勝ったケンタッキーダービー」よりも「シルキーサリヴァンが12着に敗れたケンタッキーダービー」として紹介される場合が多い。ただし、シルキーサリヴァンが主役だったのはあくまでもケンタッキーダービーの直後までであり、その後は本馬が完全に主役の座に躍り出ることになる。

次走プリークネスS(D9.5F)では、リンカーンロード、ジュエルズリワード、シルキーサリヴァンなどを抑えて単勝オッズ2.1倍の1番人気に返り咲いた。ここでも本馬は前走と同様に後方待機策を選択。道中で少し前が塞がる不利もあったが、最後は再び2着となったリンカーンロードに1馬身半差をつけて勝利した。前走で8着だったゴーンフィッシンが3着に入り、ジュエルズリワードやシルキーサリヴァンは共に着外だった。

ここまで来れば目指すは、同じカルメットファームの生産・所有馬だった1948年のサイテーション以来10年ぶりとなる米国三冠馬。ベルモントS(D12F)に出走し、単勝オッズ1.15倍という圧倒的な1番人気に支持された。ここでも後方待機策を選択。そして四角で上がっていったときには、サイテーション以来となる米国三冠馬誕生は確実視された。しかし直線に入ると、先頭を行くキャヴァン(前走ピーターパンSを勝ってきた上がり馬)の脚色が良く、逆に脚色が鈍った本馬はそれに追いつくことが出来なかった。3着フラミンゴ(ケンタッキーダービー12着後にピーターパンSで2着してきた)には5馬身半差をつけたものの、勝ったキャヴァンから6馬身差の2着に敗れ、大記録達成は成らなかった。

そしてレースが終わってすぐにヴァレンズエラ騎手が下馬。本馬は馬運車に乗せられて診療所に搬送されていった。X線検査の結果、種子骨を骨折していることが判明した。明らかに異常が見られたのはゴールまで数ヤードの地点ではあったが、直線入り口でヴァレンズエラ騎手が仕掛けても反応が非常に悪かったことから、直線に入った時点では既に故障していたものと考えられた。故障がなければ三冠を達成していたのではと関係者を大いに嘆かせたが、半年間で13戦も消化する強行軍もこの怪我の一因になっていたような気はする。レース5日後に会見したジミー・ジョーンズ師は「現役続行は不可能であり、種牡馬入りのために救命に全力を注ぐのみです」と発表し、本馬は引退することになった。

ペンシルヴァニア大学の獣病院に搬送された本馬は、ジャック・ジェニー博士とチャールズ・レイカー博士の両名による、14もの骨片摘出手術を受けた。手術は無事に成功し、本馬は一命を取り留めた。ベルモントSが最後のレースとなったが、3歳時13戦10勝の成績で、この年の米最優秀3歳牡馬に選出された。

競走馬としての評価と馬名に関して

ジミー・ジョーンズ師は後に「人々がサラブレッドに関する優秀さと勇敢さについて語るのを耳にすると、私はいつもティムタムの事を思い出します」と述べている。

余談だが、本馬が優勝したケンタッキーダービーを観戦していた、豪州の製菓会社アーノッツ社の創業者ロス・アーノット氏は、1963年から製造販売を開始した自社製品のチョコレートビスケットに、本馬の名前をそのまま名付けた。このビスケット「ティムタム」は豪州土産の定番として世界的によく知られている。

一方、本馬自身の馬名の由来については諸説ある。カルメットファームの所有者ルシール・パーカー・ライト・マーキー夫人によると、本馬が産まれる3年前に再婚した夫ユージーン・ウィルフォード・“ジーン”・マーキー氏の友人である「高貴な身分の」英国人の名前に由来するそうだが、当の英国人が匿名希望ということで名前が明らかになっておらず、具体的に誰なのかは不明である。また、カルメットファームの秘書を務めたマーガレット・グラス女史によると、マーキー夫人が飛行機に搭乗する際にも常に同伴するほど可愛がっていたヨークシャーテリアの“Timmy Tammy(ティミータミー)”にちなんで命名されたという。このティミータミーの名前が先に述べた匿名希望の英国人の名前に由来するという説もある。ちなみにこのティミータミーはサイテーションの天敵であり、いつもサイテーションに噛みつこうとしていたという。

血統

Tom Fool Menow Pharamond Phalaris Polymelus
Bromus
Selene Chaucer
Serenissima
Alcibiades Supremus Ultimus
Mandy Hamilton
Regal Roman Roi Herode
Lady Cicero
Gaga Bull Dog Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
Alpoise Equipoise Pennant
Swinging
Laughing Queen Sun Briar
Cleopatra
Two Lea Bull Lea Bull Dog Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
Rose Leaves Ballot Voter
Cerito
Colonial Trenton
Thankful Blossom
Two Bob The Porter Sweep Ben Brush
Pink Domino
Ballet Girl St. Leonards
Cerito
Blessings Chicle Spearmint
Lady Hamburg
Mission Bells Friar Rock
Sanctuary

トムフールは当馬の項を参照。

トゥーリーは当馬の項を参照。→牝系:F23号族②

母父ブルリーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のカルメットファームに戻り、そこで種牡馬生活を開始した。しかし輩出したステークスウイナーは14頭で、種牡馬としてはやや失敗に終わった。ただ、牝駒のトスマーは大活躍し、後の1984年に米国競馬の殿堂入りを果たしている。なお、本馬も娘に遅れる事1年、1985年に米国競馬の殿堂入りを果たしている。本馬の両親も米国顕彰馬であるが、両親共に米国顕彰馬である米国顕彰馬は、本馬とアフェクショネイトリーの2頭のみである。また本馬は母父として、メトロポリタンHなどGⅠ競走3勝のテンタム、1978年のエクリプス賞最優秀芝馬マックディアーミダ、ニューヨーク牝馬三冠馬ダヴォナデイル、英2000ギニー馬ノウンファクト、1981年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬ビフォードーンなどの活躍馬を出している。どうやらどちらかと言うとフィリーサイアーだったようである(同じくトムフールを父に持つバックパサーにも同様の傾向が見られる)。本馬は1981年に老衰のため種付けが困難になり種牡馬を引退した。その後もカルメットファームで余生を過ごしていたが、翌1982年7月に心臓発作を起こし、5日後に27歳で他界。遺体はカルメットファームに埋葬された。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1960

Sunstruck

ロイヤルパームH・セミノールH

1961

Timmy Lad

コンセイユミュニシパル賞

1961

Tosmah

アスタリタS・フリゼットS・アーリントンクラシックS・アーリントンメイトロンH・ベルデイムS・マスケットH2回・バーバラフリッチーH・ジョンBキャンベルH

1964

Nancy Jr.

ケンタッキーオークス

1967

Sunny Tim

スウィフトS・ベイショアS

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