ジョンズタウン

和名:ジョンズタウン

英名:Johnstown

1936年生

鹿毛

父:ジェームスタウン

母:ラフランス

母父:サーギャラハッド

断然の人気に応えてケンタッキーダービー・ベルモントSを逃げ切り圧勝したが故障のため早期引退に追い込まれ米国競馬の年度表彰では無冠に終わる

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績21戦14勝3着3回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州クレイボーンファームにおいて、同牧場の創設者アーサー・ハンコック氏により生産された。もっとも事実上の生産者は、メリーランド州ベルレアスタッドの所有者ウィリアム・ウッドワード卿であり、ウッドワード卿が母ラフランスをクレイボーンファームに預託していたから生産者名義がハンコック氏となっているものである。1歳時にウッドワード卿により形式上購入され、ウッドワード卿の馬主名義ベルレアステーブルの所属馬となり、ウッドワード卿の学友で、彼が所有した名馬の大半を手掛けていた名伯楽“サニー”・ジェームズ・エドワード・フィッツシモンズ調教師に預けられた。主戦騎手はジェームズ・スタウト騎手で、本馬の全レースに騎乗した。

競走生活(2歳時)

2歳4月にジャマイカ競馬場で行われたダート5ハロンの一般競走でデビューしたが、後のサンフェリペSの勝ち馬アワーマットの2馬身3/4差4着に終わった。4日後に同コースで出走した未勝利戦では、後にローレンスリアライゼーションS・ケナーS・エッジメアH2回・ナラガンセットスペシャルHなどに勝利するハッシュを1馬身半差の2着に破って勝ち上がった。

その後は3か月間休養し、7月のフラッシュS(D5.5F)で復帰。しかしレースレコードで勝利した後の米国顕彰馬エイトサーティから7馬身差をつけられて4着に敗れた。その1か月後のサラトガ競馬場ダート6ハロンの一般競走では、2着ポンティウスに頭差で勝利。さらに5日後にはホープフルS(D6.5F)に出走したが、エルチコ、フラッシュSで3着だったアリエルトイの2頭に屈して、エルチコの3馬身差3着に敗れた。その後のバビロンH(D6F)では、サンフォードSの勝ち馬バーチロッドを4馬身差の2着に破って快勝した。そしてジュニアチャンピオンS(D6.5F)で再度エルチコに挑むが、返り討ちにあい、ヴォリタントという馬にも後れを取り、勝ったエルチコから1馬身差の3着に敗れた。次走のベルモントパーク競馬場ダート6ハロンのハンデ競走では、2着バーチロッドに5馬身差で圧勝した。しかしベルモントフューチュリティS(D6.5F)では、ポーターズマイト、エイトサーティ、サードディグリーの3頭に屈して、ポーターズマイトの3馬身差4着に敗退。ここ一番では勝てない状況が続いた。

しかし、リチャードジョンソンS(D6F)では2着インパウンドとの着差は首差ながらも、1分11秒8のレースレコードタイで勝利した。レムセンH(D6F)では、2着ラヴリーナイトを7馬身引き離して圧勝。ブリーダーズフューチュリティ(D6F)では2着アレグロに首差で勝ち、ようやく2歳戦の大競走を制した。

2歳時の成績は12戦7勝となかなか優秀だったが、米最優秀2歳牡馬の座はホープフルS・ジュニアチャンピオンSの他にユナイテッドステーツホテルS・ユースフルS・グレートアメリカンS・サラトガスペシャルS・ドーバーSと7戦全勝の成績を残したエルチコのものとなった。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にジャマイカ競馬場で行われたポーモノクH(D6F)から始動して、2着パリアッチに6馬身差をつけて圧勝。10日後に出走した一般競走では、2着ラヴリーナイトに6馬身差をつけて、1分40秒8のコースレコード勝ちを収めた。次走はその4日後に同コースで行われたウッドメモリアルS(D8F70Y)となった。勝ちタイムこそ前走より1秒2遅かったが、着差は前走を上回る8馬身差で、2着ヴォリタントや3着インパウンド以下に大勝した。

この3戦連続の圧勝劇により、3歳4戦目のケンタッキーダービー(D10F)では、フラミンゴSの勝ち馬でダービートライアルS2着のテクニシャン、ローレルフューチュリティ・ピムリコフューチュリティの勝ち馬シャルドン、ブルーグラスSを勝ってきたヘザーブルーム、ダービートライアルSを勝ってきたヴィスカウンティ、バビロンHで本馬の3着だったケンタッキージョッキークラブSの勝ち馬ティーエムドーセット、エルチコなどを抑えて、単勝オッズ1.6倍の圧倒的1番人気に支持された。スタートはあまり良くなかったが、すぐに前を行くエルチコを抜き去って先頭に立ち、そのまま後続との差を引き離していった。そして最終的には2着シャルドンに8馬身差をつけて圧勝した。本馬の単勝オッズ1.8倍は、1905年に単勝オッズ1.33倍で勝ったアジル以降では同競走最少の払い戻しとなった。

この勝ち方からマンノウォーの再来とも呼ばれるようになった本馬は三冠確実と目され、次走のプリークネスS(D9.5F)でも、シャルドン、ヴォリタント、チェサピークSを勝っていた同厩馬ギルデッドナイト、サンタアニタダービーを勝ってきた牝馬シエンシアなどを抑えて断然の1番人気に支持された。レースではスタートから先行したが、生涯初めての不良馬場に脚を取られて後続を引き離すことが出来ず、逆にギルデッドナイト、シエンシア、シャルドンなどに追いつかれてしまい、そのままの状態で直線を向くことになった。そして直線の叩き合いで遅れて、勝ったシャルドンから11馬身差の5着とまさかの大敗を喫してしまった。

その後は2週間後のウィザーズS(D8F)に向かい、ハッシュを6馬身差の2着に、ポーターズマイトを3着に破って圧勝。これでプリークネスSの汚名を返上した。

そして迎えたベルモントS(D12F)には、プリークネスS2着のギルデッドナイトの姿こそあったが、シャルドンは不在だった。さらに当日は良馬場であり、本馬が単勝オッズ1.1倍という圧倒的な1番人気に支持された。レースでは最初の1マイルを1分37秒2というハイペースで逃げると、そのまま後続馬に影を踏ませず、2着ビレイに5馬身差をつけて完勝した。

その後は2週間後のドワイヤーS(D9F)に出走し、シャルドンと3度目の対決となった。結果はスタートから逃げ続けた本馬が、2着となったケントHの勝ち馬サンラヴァーの追撃を1馬身差抑えて、1分48秒4のレースレコードタイで勝利。シャルドンはさらに6馬身後方の3着に敗れた。

次走のアーリントンクラシックS(D10F)でも、シャルドンと対戦となった。本馬の強さはもはや圧倒的であり、シャルドンに勝ち目は無いかと思われたが、好事魔多しで、本馬は6馬身1/4差3着に敗退。レースはシャルドンが2着サンラヴァーを首差抑えて勝利した。レース後にフィッツシモンズ師は、アケダクト競馬場で実施された事前調教で速く走らせすぎた(この調教の走破タイムはダート1マイル1分35秒2だった)自分の失敗であると語った。

次走はローレンスリアライゼーションSが予定されていたが、風邪を引いて体調を崩した上に、後脚で前脚を蹴って負傷してしまい回避。本馬はこの時の怪我が癒えず、復帰を目指すも叶わず、このまま3歳時9戦7勝の成績で競走馬引退に追い込まれてしまった。そして年末の年度表彰では、シーズン後半に古馬相手のレースも含めて6連勝したシャルドンが米年度代表馬・米最優秀3歳牡馬に選ばれ、本馬はケンタッキーダービー・ベルモントSの三冠競走2戦を圧倒的な強さで制しながら、年度表彰では無冠に終わってしまった。馬名は米国ペンシルヴァニア州にあるジョンズタウン市に由来する。

血統

Jamestown St. James Ambassador IV Dark Ronald Bay Ronald
Darkie
Excellenza Haut Brion
Gulbeyaz
Bobolink Willonyx William the Third
Tribonyx
Chelandry Goldfinch
Illuminata
Mlle. Dazie Fair Play Hastings Spendthrift
Cinderella
Fairy Gold Bend Or
Dame Masham
Toggery Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Tea's Over Hanover
Tea Rose
La France Sir Gallahad Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Plucky Liege Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Concertina St. Simon
Comic Song
Flambette Durbar Rabelais St. Simon
Satirical
Armenia Meddler
Urania
La Flambee Ajax Flying Fox
Amie
Medeah Masque
Lygie

父ジェームスタウンは、2歳時にベルモントフューチュリティS・グランドユニオンホテルS・ユナイテッドステーツホテルS・フラッシュS・サラトガスペシャルSを勝利。特にベルモントフューチュリティS・サラトガスペシャルSではエクワポイズに土をつけ、エクワポイズと1930年の米最優秀2歳牡馬の座を分け合った。3歳以降はウィザーズSを勝ったが、ケンタッキーダービーは不出走、ベルモントSではトゥエンティグランドの3着までだった。通算成績は19戦12勝。種牡馬としては本馬の他にも活躍馬を出している。

ジェームスタウンの父セントジェームスも息子同様に主に2歳戦で活躍。ベルモントフューチュリティS・ユナイテッドステーツホテルS・サラトガスペシャルS・ポーモノクHに勝つなど通算7戦4勝の成績を残し、1923年の米最優秀2歳牡馬に選ばれている。セントジェームスの父アンバサダーはダークロナルド産駒で、現役時代は英国で走りジュライSなど4勝。競走馬引退後は米国で種牡馬入りして、主に2歳戦の活躍馬を出している。

母ラフランスは不出走馬だが繁殖牝馬としては優秀で、1937年の米最優秀2歳牝馬に選ばれた本馬の1歳年上の半姉ヤコラ(父ジャコポ)【セリマS・ワシントンH・メリーランドH・ローレルS・ヴィクトリアンH】も産んでいる。ヤコラの子には1947年の米最優秀3歳牡馬に選ばれたファランクス【ベルモントS・ジョッキークラブ金杯・ウッドメモリアルS・ドワイヤーS】が、曾孫にはリフレクテッドグローリー【フラミンゴS】、ボールドファシネイター【仏1000ギニー(仏GⅠ)】が、玄孫世代以降には、ダンチヒコネクション【ベルモントS(米GⅠ)・ピーターパンS(米GⅠ)】、レイヴンズパス【BCクラシック(米GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】、ピュアクラン【アメリカンオークス(米GⅠ)・フラワーボウル招待S(米GⅠ)】、レインボービュー【フィリーズマイル(英GⅠ)・愛メイトロンS(愛GⅠ)】などがいる。また、本馬の半妹フレンチヴァンプ(父スティミュラス)の曾孫にはディサイデッドリー【ケンタッキーダービー・モンマスH】がいる。

ラフランスの母フランベッティはCCAオークスを勝った名牝であるだけでなく、第二次世界大戦前の米国を代表する名牝系を構築している。ラフランスの半姉フランビーノ(父ラック)【ガゼルH】の子には、フリーム【エイコーンS】、米国三冠馬オマハ【ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS・ドワイヤーS・アーリントンクラシックS】、フレアズ【アスコット金杯・英チャンピオンS・プリンセスオブウェールズS】が、ラフランスの全妹ギャレットの子には米国競馬史上屈指の名牝ギャロレット【ピムリコオークス・エイコーンS・メトロポリタンH・ブルックリンH・ベルデイムH・クイーンズカウンティH・カーターH・ホイットニーS】がいるのである。ギャロレットの全妹ギャリタの牝系子孫からは、マークオブエスティーム【英2000ギニー(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】、日本で走ったエイシンチャンプ【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)】などが、ギャロレットの牝系子孫からも、2005年のエクリプス賞年度代表馬セイントリアム【BCクラシック(米GⅠ)・ドンH(米GⅠ)・スティーヴンフォスターH(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)】などが出ており、フランベッティの牝系子孫は現在も繁栄している。→牝系:F17号族

母父サーギャラハッドは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のクレイボーンファームで種牡馬入りした。しかし227頭の産駒中、ステークスウイナーは6頭に留まり、種牡馬として好成績を挙げることは出来なかった。1950年5月に14歳の若さで他界し、遺体はクレイボーンファームに埋葬された。種牡馬としての最大の功績はナシュアの母セグーラを輩出した事であり、1950年代半ばにおいては有力な繁殖牝馬の父の1頭として君臨していた。1992年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第73位。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1942

Flood Town

カーターH

1943

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ケンタッキーオークス

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