ターントゥ

和名:ターントゥ

英名:Turn-To

1951年生

鹿毛

父:ロイヤルチャージャー

母:ソースサクリー

母父:アドミラルドレイク

ケンタッキーダービー目前に故障引退と競走馬としては消化不良に終わるも、種牡馬としてはヘイルトゥリーズンやサーゲイロードを通じて世界中にその血を広める

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績8戦6勝2着1回3着1回

誕生からデビュー前まで

英国でE・R・ミヴィル少佐とG・L・ヘイスティングス夫人により生産された。愛国で種牡馬入りしていた父ロイヤルチャージャーが米国に輸入される前に出した産駒で、1歳時に父に1年先んじて米国に競走馬として輸入された。そしてキーンランドセールに出品され、ハリー・フランク・グッゲンハイム大尉により2万ドルで購入された。グッゲンハイム大尉の詳細な経歴に関してはボールドイーグルの項に譲るが、ネイティヴダンサーに唯一の黒星をつけたケンタッキーダービー馬ダークスター(本馬より1歳年上に当たる)の所有者であり、後にレッドゴッドネヴァーベンドアクアクなどを生産し、サラブレッド界に絶大な影響を残した人物である。グッゲンハイム大尉の馬主名義ケインホイステーブルの所有馬として、ダークスターも手掛けていたエディ・ヘイワード調教師に預けられた。よく筋肉が発達した素晴らしい馬体の持ち主だったが、気性にはやや難があり、また脚部不安も抱えていたという。

競走生活

2歳時にデビューすると、サラトガスペシャルS(D6F)を勝利(ただし、1位入線馬ポーターハウスの降着による繰り上がり)。ホープフルS(D6.5F)ではアルティズモの3着に敗れたが、ガーデンステートS(D8.5F)では、後にフロリダダービー・ウッドメモリアルSを勝ちプリークネスSで2着するコリレーションを2着に破って勝利。5戦3勝で2歳時を終えた。2歳時フリーハンデ(エクスペリメンタルフリーハンデ)においては126ポンドが与えられ、これはベルモントフューチュリティSを勝って米最優秀2歳牡馬に選ばれたポーターハウスと並んで同世代トップの数値だった。

3歳時は初戦の一般競走からフラミンゴS(D9F)まで無傷の3連勝をマークし、ケンタッキーダービーの最有力候補となった。しかしケンタッキーダービーの直前に骨折により現役引退に追い込まれた。

血統

Royal Charger Nearco Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Nogara Havresac Rabelais
Hors Concours
Catnip Spearmint
Sibola
Sun Princess Solario Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Sun Worship Sundridge
Doctrine
Mumtaz Begum Blenheim Blandford
Malva
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Lady Josephine
Source Sucree Admiral Drake Craig an Eran Sunstar Sundridge
Doris
Maid of the Mist Cyllene
Sceptre
Plucky Liege Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Concertina St. Simon
Comic Song
Lavendula  Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Sweet Lavender Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Marchetta Marco
Hettie Sorrel

ロイヤルチャージャーは当馬の項を参照。

母ソースサクリーは仏国で走り4戦1勝。本馬の半兄にはカジル(父トウルビヨン)【オーモンドS】がいる。本馬の半姉ブラックブルーク(父ブラックデヴィル)の曾孫にはアイリッシュリヴァー【モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・仏2000ギニー(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】が、本馬の半妹ギフガフ(父ナスルーラ)の孫にはトロジャンブロンズ【サンルイレイS(米GⅠ)】、曾孫にはノーベンバーレイン【クラウンオークス(豪GⅠ)・AJCオークス(豪GⅠ)・クイーンズランドオークス(豪GⅠ)】がいるなど、牝系子孫は一定の繁栄を見せている。

ソースサクリーの半弟には1961年の北米首位種牡馬アンビオリクス【仏グランクリテリウム・リュパン賞・グレフュール賞】がいる。また、ソースサクリーの半姉シンガデュラ(父シンガポール)の子にはシングルスピーラー【独ダービー・ダルマイヤー大賞】が、ソースサクリーの半姉パフューム(父バドルディン)の子には1953年の仏首位種牡馬サヤニ【ジャックルマロワ賞・アランベール賞・エドモンブラン賞・ダフニ賞】とマイバブー【英2000ギニー・ニューS・シャンペンS・クレイヴンS・サセックスS】の兄弟がおり、日本で活躍したケイキロク【優駿牝馬】、ナリタタイシン【皐月賞(GⅠ)】、ジャガーメイル【天皇賞春(GⅠ)】、ハタノヴァンクール【ジャパンダートダービー(GⅠ)・川崎記念(GⅠ)】などもパフュームの牝系子孫出身馬である。→牝系:F1号族①

母父アドミラルドレイクは現役成績26戦5勝で、主な勝ち鞍はパリ大賞・ビエナル賞・オステンド大賞典。他に仏2000ギニーでブラントームの2着の実績がある。アドミラルドレイクの母は名繁殖牝馬プラッキーリエージュで、半兄にサーギャラハッドとブルドッグ、半弟にボワルセルがいる良血馬。種牡馬としては多くの活躍馬を出し、名血の名に恥じない活躍を示した。アドミラルドレイクの父クレイガンエランは、母がチェヴァリーパークSを勝ったメイドオブザミストで、その母が英国クラシック競走4勝馬セプター、自身の半妹が英オークス馬サニージェーンという、これまた良血馬。自身も英2000ギニー・エクリプスS・セントジェームズパレスSを勝ち、英ダービーでは悲運の名馬ユーモリストの首差2着という名血の名に恥じない活躍馬だった。種牡馬としても英ダービー馬エイプリルザフィフス、凱旋門賞馬モンタリスマンなどを出した。クレイガンエランの父サンスターは、サンドリッジの代表産駒で、英2000ギニー・英ダービーの勝ち馬。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州クレイボーンファームで種牡馬入りしたが、後にクレイボーンファームの所有者アーサー・ブル・ハンコック氏とグッゲンハイム大尉の間に不和が生じたため、スペンドスリフトファームに移動した。初年度産駒から米最優秀2歳牡馬ファーストランディングを出し、1958年の北米2歳首位種牡馬に輝いた。生涯で出した産駒344頭のうちステークスウイナーは25頭で、ステークスウイナー率は7.3%であるから、種牡馬として大成功したとまでは言えないが、かなりの成功を収めた。仕上がりが早くてスピードに長けているため2歳戦で活躍する産駒が多かったが、スタミナと成長力には欠けており、米国三冠競走を勝利した産駒は出なかった。成長力に欠けていると言っても単なる早熟ではなく古馬になっても一定の競走能力を維持することは出来た。1973年に22歳で他界し、遺体はスペンドスリフトファーム(現在はグリーンゲーツファームの一部)に埋葬された。

後継種牡馬としてはファーストランディング、ヘイルトゥリーズンサーゲイロード、ベストターンの4頭が成功を収めた。特にヘイルトゥリーズンはヘイローロベルトを通じて、サーゲイロードもサーアイヴァーハビタットを通じて世界中に本馬の血を大きく広げた。日本では、ヘイロー産駒のサンデーサイレンスや、ロベルト産駒のブライアンズタイムが種牡馬として大成功を収め、本馬の血を含まないサラブレッドを見つけるほうが難しい状態となっている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1956

First Landing

サラトガスペシャルS・ホープフルS・シャンペンS・ガーデンステートS・エヴァーグレイズS・サンタアニタマチュリティS・モンマスH

1956

Waltz

ドワイヤーH・ジャージーS

1958

Hail to Reason

サプリングS・サンフォードS・ホープフルS

1959

Cyane

ベルモントフューチュリティS・ドワイヤーH

1959

Dead Ahead

ローマーH

1959

Sir Gaylord

サプリングS・エヴァーグレイズS

1960

Sally Ship

ケンタッキーオークス・アッシュランドS

1963

Flit-To

ユナイテッドネーションズH・バーナードバルークH・ブーゲンヴィリアH・カナディアンターフH・セネカH・ロングアイランドH・ニッカボッカーH

1964

Favorable Turn

サラトガスペシャルS・セミノールH・ドンH

1965

Captain's Gig

ベルモントフューチュリティS・ジムダンディS

1966

Best Turn

ヴォスバーグS・サラナクH・ジョンBキャンベルH・ポーモノクH・クイーンズカウンティH

TOP