カラジ

和名:カラジ

英名:Karasi

1995年生

鹿毛

父:カヤージ

母:カラミタ

母父:シャンタン

4度も来日して中山グランドジャンプを3連覇して日本でも高い人気を獲得した豪州の名障害競走馬

競走成績:3~13歳時に英豪日で走り通算成績96戦16勝2着9回3着11回(うち障害18戦9勝2着2回3着5回)

豪州調教馬でありながら4度も来日し、中山グランドジャンプ3連覇という快挙を成し遂げた馬であり、おそらく海外の障害競走馬の中で最も日本の競馬ファンに馴染み深い馬だと思われる。

誕生からデビュー前まで

父カヤージの生産・所有者でもあったアガ・カーンⅣ世殿下により生産された愛国産馬で、当初はアガ・カーンⅣ世殿下の所有馬として、英国サー・マイケル・スタウト調教師に預けられていた。成長しても体高は15.1ハンド程度であり、かなり小柄な部類に入る馬だった(後年、日本で走った際の馬体重は430~432kg程度だった)。

競走生活(英国時代)

3歳4月にニューマーケット競馬場で行われたウッドディットンS(T8F)で、ウォルター・スウィンバーン騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ8倍で19頭立ての3番人気に推されたが、先行して失速し、ザサンドフライの15馬身差11着と惨敗した。翌月にリボン競馬場で出た芝9ハロンの未勝利ステークスでは、後方から追い上げて、モラトリアムの1馬身半差2着と好走。翌月にウィンザー競馬場で出た芝10ハロン7ヤードの未勝利ステークスでは単勝オッズ2.625倍の1番人気に支持されたが、クロークオブダークネスの2馬身1/4差4着に敗退。同月にヨーク競馬場で出たクイーンマザーズC(T11F195Y)では、ホワイトチャペルの8馬身半差7着に敗れた。

それから2か月後の8月に出走したブライトン競馬場芝11ハロン196ヤードの未勝利ステークスでは、単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された。ここでは先行してレース中盤で先頭に立ち、そのまま後続を引き離し続けて、2着エイプリルストックに正式な着差不明の大差勝ちを収め、5戦目でようやく初勝利を挙げた。

その後はハンデ競走路線に進み、シティオブリポンH(T12F60Y)に出走。ここではダリル・ホランド騎手を鞍上に、2着コルウェイリッツに1馬身3/4差で勝利した。次走のバトレーズキャッシュ&キャリーH(T13F194Y)では135ポンドどいう厳しい斤量が課せられながらも単勝オッズ6.5倍の1番人気に支持されると、中団から抜け出して2着トーテムダンサーに1馬身半差で勝利。しかしオータムC(T13F61Y)では単勝オッズ5倍の1番人気に応えられずに、ヴェロニカフランコの7馬身1/4差3着に敗退。次走のフォーティーナイナーズH(T14F)では133ポンドのトップハンデが堪えたようで、25ポンドのハンデを与えたマークオブプロフェットの10馬身差5着に敗退。

この時点でアガ・カーンⅣ世殿下は本馬をセリに出し、本馬は豪州の馬主R・ジェラード氏により購入され、豪州デビッド・ホール厩舎に転厩した。3歳時の成績は9戦3勝だった。

競走生活(98/99・99/00シーズン)

ジェラード氏は血統面から本馬の長距離適性に期待していたようで、いずれはメルボルンCに出走させる目的で本馬を購入したようである。4歳3月にベンディゴ競馬場で行われたタイナンエアC(T1600m)で移籍後のデビュー戦を迎えた。しかし結果はシンプリートゥルーの9馬身差16着と惨敗。

翌99/00シーズン初戦となった9月のハイランドC(T2030m)も、勝ったストレンジアディクションから18馬身差をつけられて11着最下位に終わった。しかし次走のRケンブリッジオープン(T2200m)では2着スウォーントゥシークレシーに頭差で勝ち、移籍後の初勝利を挙げた。

その後はVRCメンバーシップ(T2557m)でアイワンダーの6馬身3/4差5着、ワラビーC(T2000m)でゼアプールの3馬身半差5着、ベンディゴC(T2400m)でマジェスティックアベニューの4馬身3/4差5着と、3戦連続で5着に敗れた。しかし11月のステイヤーズボーナスH(T3000m)では、2着セルティックキングに頭差で勝ち、期待されていた長距離適性を垣間見せた。

翌年はトゥルースニュースプレート(T1622m)でローズオウォーの10馬身差10着の後、スウィフトサインズS(T2040m)で1馬身差2着、ニーリムH(T2425m)でザブアンの4馬身半差3着となった。そしてウェストエンドS(豪GⅢ・T3200m)に出走したが、フレンゼルロムの4馬身差10着に終わった。しかしGⅠ競走初出走となった次走のアデレードC(豪GⅠ・T3200m)では、ボヘミアスの2馬身1/4差2着と健闘した。続くブリスベンC(豪GⅠ・T3200m)でも、イッピオの2馬身半差3着に入り、完全な長距離馬であることを立証した。99/00シーズンは12戦2勝で終えた。

競走生活(00/01・01/02シーズン)

翌00/01シーズンは11月のトゥーヘイニューマイル(T1600m)から始動するが、スピリットオブウェストベリーの5馬身差10着。次走のJペインS(T2456m)ではザブアンの1馬身差2着したが、CBコックスS(T2400m)では落馬事故に巻き込まれて競走中止となった。

その後はしばらく休養して翌年5月にレースに復帰するが、タバレットオープン(T1523m)でサーブームの4馬身3/4差6着、グレンローガンPKH(T2200m)でロイヤルトリーンの4馬身半差5着、PJオシェイS(豪GⅡ・T2400m)ではイッピオの23馬身差13着に沈むなど敗戦が続いた。ブリスベンC(豪GⅠ・T3200m)ではスターカヴェットの5馬身3/4差3着と好走したものの、結局00/01シーズンは7戦未勝利に終わった。

翌01/02シーズンは9月のラウダエアプレート(T1500m)から始動して、勝ったパッシングショットから12馬身差の13着最下位。もっとも、シーズン初戦に距離不足の競走を調教代わりに使うのは豪州競馬の特徴であり、その後は調子が上向く。

カラープラスH(T2000m)でジャストオナーの3馬身3/4差5着、ウイニングエッジS(T2400m)でフリーメイソンの1馬身半差5着となり、ジーロングC(T2400m)では2着メイザホースビーウィズユーに短頭差で勝利。

これにより、ジェラード氏が出走させたいと考えていたメルボルンC(豪GⅠ・T3200m)に参戦する事が叶った。単勝オッズ26倍で21頭中13番人気の低評価ではあったが、50kgという軽量にも助けられて、4番手を先行して直線でもそのまま粘り続け、エセリアルの7馬身半差4着に入った。3着となった欧州の名長距離馬パーシャンパンチとは3/4馬身差であり、後の凱旋門賞馬マリエンバード(7着)や、1番人気に推されていたAJCダービー・ローズヒルギニー・コーフィールドC・ヤルンバSとGⅠ競走4勝のスカイハイツ(8着)に先着するなど、かなり健闘したと言える。

ところが年が明けると調子は一気に下降線を辿る。グランドスタンドH(T1410m)でアドレッセンスの4馬身差11着に終わったのは距離面から仕方が無いにしても、ヴィクトリア金杯(T2000m)でイーグルリズムの12馬身差10着最下位、ウェスタンH(T2000m)で6馬身差8着、チェアマンズH(豪GⅡ・T2400m)でヘンダーソンベイの7馬身3/4差15着と、惨敗続きとなってしまった。シドニーC(豪GⅠ・T3200m)ではヘンダーソンベイの18馬身差18着とまったく見せ場を作ることが出来ず、年明け5連敗となった。しかもレース後に故障が判明して長期休養入りした。01/02シーズンは結局10戦して1勝止まりだった。

競走生活(02/03・03/04シーズン)

故障が癒えなかったために翌02/03シーズンの前半はレースに出走せず、2003年3月のプラネットルーラーH(T1600m)で復帰した。しかしここではクラシックベンバラの9馬身差9着最下位。次走のホールオブフェームH(T2000m)ではコンヴァージの16馬身差10着、RSLH(T2500m)でルデスティナの2馬身差7着、カールトンドラフトS(豪GⅢ・T2500m)でルデスティナの5馬身半差12着、アデレードC(豪GⅠ・T3200m)でピラージンプランダーの10馬身3/4差7着と、敗北が続いた。

この時期にジェラード氏はさすがに本馬の平地競走馬としての将来に見切りをつけ、本馬を障害競走馬のセリに出した。本馬を購入したのは豪州の公認会計士ピアース・モーガン氏であり、本馬はエリック・マスグローヴ調教師の管理馬となった。

ビタリオープンH(T2680m)でトゥモローズパーティの3着して、02/03シーズンを6戦未勝利で終えた。

03/04シーズンはまず8月にモーニントン競馬場で行われた芝3000mのハードル未勝利戦に出走して、キングラカの5馬身差3着。このレースでは全ての障害で2馬身ずつの遅れを取ったというから、障害競走馬としての本馬の前途は多難だった。しかし2002年に豪州競馬史上初の障害競走400勝を達成した名伯楽マスグローヴ師は諦めずに「私が彼に飛越する事を教えましょう」と言い、本馬に飛越訓練を施した。

次走は平地のステイヤーズH(T3000m)で、ここではドミニアープリンスの2馬身半差2着だった。そして次走のブレックノック保険ブローカーハードル(T3242m)では、2着ヤングマーヴェリックに短頭差で勝利を収め、障害競走初勝利を挙げた。さらにカールトンドラフトハードル(T3200m)も3馬身半差で勝って2連勝。しかしNECプラズマハードル(T2800m)では、プリンスベンバラの9馬身差4着に終わった。

その後は平地競走に戻り、メルボルンC当日に行われた同競走不参戦馬による断念メルボルンCと言われるロングブラックH(T2800m)に出走。ここではザズマンの3馬身半差3着と好走した。しかしその後はブリック社H(T2400m)で15馬身差7着、バウンティホークH(T2550m)でエルウッドの3馬身3/4差8着、翌年のセントバレンタインS(T1600m)でチェイシングアドリームの4馬身半差8着、ガーラシュプリームH(T2000m)でエディアンドドポストマンの5馬身差6着、ロイヒギンズクオリティH(T2500m)でサザンクラウンの4馬身1/4差7着と、敗戦が続いた。

デュークオブノーフォークS(T3200m)でパンタニの1馬身差4着と健闘したのを最後に障害競走に復帰。ラッキーホースシューゲーミングH(T3284m)を2着トップカラに2馬身差で勝ち、さらにヤルンバクラシックハードル(T3600m)も2着タリアマに1馬身差で勝利した。このまま障害競走一筋で行くかと思いきや、次走は平地競走のジョンダーシーH(T2500m)となり、ダカーポの6馬身半差6着に敗退。続くアデレードC(豪GⅠ・T3200m)も、パンタニの4馬身半差7着に終わった。

この後は本格的に障害競走に腰を据え、ムーニーバレーハードル(T3200m)でトップゾフの6馬身半差2着。次走のLVラシェルハードル(T3430m)では、障害競走における本馬の主戦となる豪州障害界の名手ブレット・スコット騎手と初コンビを組んだが、ここではスペリアーマンの5馬身差4着に敗れた。しかしオーストラリアンハードル(T3400m)では、2着アワーニードルズに6馬身差で圧勝した。ニューグランドナショナルハードル(T4000m)3着を挟んで出走したグランドナショナルハードル(T3520m)では、2着トップカラに半馬身差で勝利。次走となった豪州最大の障害競走ヒスケンズステープルチェイス(T3717m)でも、トップゾフの1馬身1/4差3着と好走した。

このまま豪州障害競馬界における中核馬として活躍するかに思われたが、このヒスケンズステープルチェイスが豪州における本馬最後の障害競走出走となった。ヒスケンズステープルチェイスは日本で施行される国際障害競走中山グランドジャンプに豪州代表馬として出走する馬の選抜競走でもあり、ここで3着した本馬は中山グランドジャンプに出走する資格を得たのである。豪州における障害競走では70kg近い酷量が課せられる事はざらであるが、日本ではそこまでの酷量が背負わされることはなく、陣営にとっては賞金面だけでなく斤量面においても中山グランドジャンプは魅力的な選択肢だった。そこでモーガン氏は中山グランドジャンプを本馬の目標として設定し、以降の本馬は本国では平地競走のみ出走し、障害競走出走は遠く離れた日本国内のみとなるのである。しかし中山グランドジャンプの距離は豪州における障害競走よりもかなり長い4250mであり、障害の高さも豪州よりかなり高かった。そこでマスグローヴ師は本馬のスタミナと飛越力の強化に力を尽くした。

競走生活(04/05シーズン)

03/04シーズンは22戦6勝の成績で終え、04/05シーズンは、カールトンドラフトH(T1500m)でサークライヴの10馬身差6着、トラヴィスハリソンアプレンティスズC(T1600m)でオカナーヴァスの13馬身差12着最下位、ジャーナルH(T2400m)でウインクラーの4馬身1/4差4着と、平地競走で3連敗。

その後のゴールデンダブルスH(T3000m)では2着フェイエスチップに2馬身3/4差で勝ち、2001年10月のジーロングC以来3年3か月ぶりに平地競走で勝利を挙げた。続くMVレーシングサタデーH(T3000m)も、フェイエスチップの3馬身1/4差2着と好走。そしてマスターアヴェニールH(T2400m)でトランスファーラルの8馬身1/4差6着した後に日本に向かった。

来日後はまず前哨戦のオープン特別ペガサスジャンプS(T3350m)に出走。前年に小倉サマージャンプ・阪神ジャンプS・京都ハイジャンプの重賞3連勝を含む5連勝を飾っていたロードプリヴェイル、前年の中山大障害を制したメルシータカオー、3年前の中山大障害勝ち馬でその年の中央競馬最優秀障害競走馬に選ばれていたギルデッドエージ、新国調教馬フォンテラなどが対戦相手となった。単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持されたのはロードプリヴェイルで、メルシータカオーが単勝オッズ4.9倍の2番人気、フォンテラが単勝オッズ5.9倍の3番人気で、本馬は単勝オッズ15.8倍の6番人気だった。レースでは5番手追走から直線で粘り、バローネフォンテンの3馬身差3着と好走を見せた。

そして迎えた本番の中山グランドジャンプ(JGⅠ・T4250m)では、本馬が単勝オッズ3.4倍で堂々の1番人気に支持され、ペガサスジャンプSで4着だったロードプリヴェイルが単勝オッズ3.8倍の2番人気、同2着だったフォンテラが単勝オッズ5.2倍の3番人気、同9着だったギルデットエージが単勝オッズ7.9倍の4番人気、中山新春ジャンプS・春麗ジャンプSを連勝していたチアズシャイニングが単勝オッズ8.7倍の5番人気と続いた(バローネフォンテン、メルシータカオー、阪神スプリングジャンプ勝ち馬ナムラリュージュは回避)。

レースでは、ライトパシフィックとアズマビヨンドが逃げを打ち、本馬を含む有力馬勢は揃ってその後方を追走した。最初の大竹柵障害手前でフォンテラがいったん先頭に立ったが、フォンテラはこの大竹柵障害で飛越に失敗して落馬競走中止。再度ライトパシフィックとアズマビヨンドが先頭に立ったが、本馬がローレスロイスと共に徐々に位置取りを上げてきてやがて先頭に立った。直線では本馬とローレスロイスが叩き合うところに後方からチアズシャイニングが差してきて3頭による争いとなったが、スコット騎手の風車鞭に応えた本馬がゴール前で一伸びして、2着チアズシャイニングに1馬身1/4差をつけて優勝した。この勝利により04/05シーズンの成績は8戦2勝となり、豪州最優秀障害競走馬に選出された。

競走生活(05/06シーズン)

帰国後は9か月間休養し、翌年1月に自身の中山グランドジャンプ勝利を記念した平地競走カラジ中山グランドジャンプウィナーH(T1612m)に出走するが、5着最下位に終わった。その後も、コロイトIGAコミュニティC(T1700m)でカシミールの8馬身1/4差11着最下位、シティオブグレンエイラH(T2100m)でハイクレの14馬身差9着、グレンフェルH(T2400m)でザバーバリアンの13馬身差14着と、惨敗続き。しかしもうお解りだと思うが、これらの平地競走出走は、大目標である中山グランドジャンプに向けたマスグローヴ師流の調整手段だった。

ミッティーズH(T3000m)では64.5kgを課せられながらも、勝ったクィルターから半馬身差の2着と好走。次走のトランプH(T2400m)でも5着ながら、勝ったシングルピークからは半馬身差と調子を上げた本馬は再度来日。

まずは前年と同じく前哨戦のペガサスジャンプS(T3350m)に出走した。やはり2年連続で来日してきたフォンテラ、2年前の中山大障害3着馬マイネルオーパー、春麗ジャンプSを勝ってきたアインオーセン、前年の中山大障害4着馬テレジェニックなどが対戦相手となった。日本の競馬ファンもこれは前哨戦に過ぎない事を理解しており、本馬は単勝オッズ5.7倍の4番人気止まりだった(単勝オッズ3.9倍の1番人気はフォンテラ)。レースでは馬群の中団後方につけると、徐々に位置取りを押し上げていった。最後にテレジェニックにかわされて敗れたが3馬身差2着と堅実にまとめた。

そして中山グランドジャンプ(JGⅠ・T4250m)に参戦した。前年の中山大障害優勝馬で前哨戦の京都ハイジャンプも勝ってきたテイエムドラゴン(本馬より1歳年下の東京優駿勝ち馬アドマイヤベガの産駒)が単勝オッズ2.3倍の1番人気となり、本馬が単勝オッズ3.2倍の2番人気で、親子ほども年齢が違う2頭による2強対決と目された(3番人気のテレジェニックは単勝オッズ11.3倍、4番人気の中山大障害2着馬メルシーエイタイムは単勝オッズ13.7倍)。前年のペガサスジャンプSで本馬に3馬身先着したバローネフォンテンが、中山大障害ではテイエムドラゴンに11馬身差をつけられていたため、モーガン氏は(それが競馬界においてはあまり論理的な考えではない事を理解した上で)「テイエムドラゴンの実力はカラジより14馬身ほど上かもしれない」と思っており、本馬の勝利に自信を抱けないでいたという。

レースではバルトフォンテンとフォンテラが逃げを打ち、その様子を伺いながらテイエムドラゴンが先行、本馬は後方馬群の中で追走した。最初の大竹柵障害手前でバルトフォンテンが急激に失速してフォンテラが単騎で先頭に立った。今年は無事に大竹柵障害を飛越したフォンテラだったが、そこへメジロオーモンドがやって来て先頭を奪い、2頭が後続を引き離していった。相変わらずテイエムドラゴンは逃げ馬を見る形で先行していたが、そこへ本馬が上がってきてテイエムドラゴンをかわした。残り800m地点でフォンテラが失速すると、本馬とテイエムドラゴンがほぼ同時に仕掛けた。先にメジロオーモンドをかわして先頭に立ったのは本馬で、その直後をテイエムドラゴンが追撃。その状態で直線に入り、いったんは本馬がテイエムドラゴンを引き離したが、テイエムドラゴンもゴール前で猛然と差を詰めてきた。しかしスコット騎手の風車鞭に応えた本馬が首差で粘り切って勝利(3着テレジェニックは7馬身後方)を収め、同レース2連覇を果たした。

モーガン氏は「彼は去年より10馬身以上良くなっていました。私達はドラゴンを打ち負かしました」と喜んだという。05/06シーズンの成績は8戦1勝だったが、このシーズンも豪州最優秀障害競走馬に選出された。

競走生活(06/07シーズン)

帰国後は8か月間休養し、2007年1月にレースに復帰。例によって平地競走ばかり出走したが、ルークラティヴH(T1600m)でパープルチョコレートの13馬身差11着最下位、スタークラフトH(T1800m)でルビセントの16馬身差12着最下位、オールウェイズウェルカムH(T2100m)で12馬身差9着最下位、グレンファーンH(T2400m)でミスセロンの13馬身差10着と、惨敗続きだった。それでも66kgを課せられたジャイコH(T3000m)でアーサーペンドラゴンの6馬身差4着、トランプH(T2400m)でグレフティの6馬身差6着と、少しだけ調子が上向いた。

そして三度日本に向かい、3年連続でペガサスジャンプS(T3350m)に出走した。小倉サマージャンプの勝ち馬フミノトキメキ、中山大障害で2年連続2着だったメルシーエイタイム(この年の中山大障害を制してこの年の中央競馬最優秀障害競走馬に選ばれることになる)、前年の中山大障害3着馬アグネスハット、テレジェニックなどが対戦相手となった。フミノトキメキが単勝オッズ2.6倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ5倍の2番人気となった。5番手の好位を追走した本馬はゴール前で粘り、メルシーエイタイムの1馬身差3着と、前哨戦としては上出来の走りを見せた。

そして迎えた本番の中山グランドジャンプ(JGⅠ・T4250m)では、3連覇が期待される本馬が単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持され、メルシーエイタイムが単勝オッズ4.3倍の2番人気、ペガサスジャンプS2着のアグネスハットが単勝オッズ6.2倍の3番人気、中山新春ジャンプの勝ち馬リワードプレザンが単勝オッズ8.6倍の4番人気と続いた。

レースはストームセイコーとマウントフォンテンが先頭を引っ張り、メルシーエイタイムと本馬は馬群の中団を追走した。最初の大竹柵障害を飛越した頃にスリーオペレーターが前の2頭をかわして先頭を奪った。本馬も徐々に位置取りを上げて行き、2度目の大竹柵障害飛越時点では3番手まで上がってきた。そのうち後方にいたメルシーエイタイムが仕掛けて残り800m地点手前で一気に先頭に立った。それを見た本馬もすぐにメルシーエイタイムに並びかけて直線入り口手前では先頭に立った。直線でメルシーエイタイムは伸びを欠き、本馬がいったんは後続を大きく引き離した。ゴール前ではリワードプレザンが猛然と追い込んできたが、もはやお馴染みになったスコット騎手の風車鞭に応えた本馬が3/4馬身差で粘り切って優勝。2000年と2001年に同競走を制したゴーカイの2連覇を上回り、史上初の中山グランドジャンプ3連覇を達成した。時に本馬は12歳だった。

この06/07シーズンの成績は前シーズンと同じく8戦1勝だったが、豪州最優秀障害競走馬のタイトルは逃してしまい(グランドナショナルハードルを制したサムアーベントが受賞)、こちらの3年連続は成らなかった。

競走生活(07/08シーズン)

帰国後は7か月間休養し、12月に復帰。平地競走を6回走ったが、ウッドフォード金杯(T1700m)で10着、キャンプオーストラリアキッズH(T1794m)でエスケープアーティストの7着最下位、カウントシーヴァスH(T1800m)でダートボルトの9着、FCMトラヴェルH(T2500m)でブリトマートの12着、ページズイヴェントイクイップメントH(T2500m)でチェファルの10着最下位、トランプH(T2400m)で9着と悉く見せ場無く敗れた。

それでも、中山グランドジャンプ4連覇を目指して4度目の来日。前哨戦である3月29日のペガサスジャンプSに出走予定であったが、レース2日前の最終追い切り後に右前浅屈腱炎を発症してしまい、そのまま07/08シーズン6戦未勝利の成績で現役引退となってしまった。

しかし日本における本馬の人気の高さを考慮した日本中央競馬会は、ファンから本馬宛てのメッセージを募集し、4月6日に中山競馬場で関係者にメッセージ124通の贈呈式を行った。競走馬を引退した本馬は長年暮らしたマスグローヴ厩舎で余生を過ごしている。

本馬は地元豪州国内における障害競走の戦歴は最高レベルというほどではないが、中山グランドジャンプ3連覇が高く評価されて、豪州競馬史上における最も偉大な障害競走馬の1頭として扱われており、海外の資料においても「世界で最も賞金が高いスティープルチェイス競走である中山グランドジャンプを3年連続で勝利した事で良く知られています」と紹介されている。

血統

Kahyasi イルドブルボン Nijinsky Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Roseliere Misti Medium
Mist
Peace Rose Fastnet Rock
La Paix
Kadissya Blushing Groom Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
Kalkeen Sheshoon Precipitation
Noorani
Gioia Crepello
Bara Bibi
Karamita Shantung Sicambre Prince Bio Prince Rose
Biologie
Sif Rialto
Suavita
Barley Corn Hyperion Gainsborough
Selene
Schiaparelli Schiavoni
Aileen
Shahinaaz ヴェンチア Relic War Relic
Bridal Colors
Rose O'Lynn Pherozshah
Rocklyn
Cherry Prince Bio Prince Rose
Biologie
Baghicheh Nasrullah
Mehmany

カヤージは当馬の項を参照。

母カラミタは英で走り7戦4勝2着3回と安定した成績を残した活躍馬で、現役最後のレースとなったプリンセスロイヤルS(英GⅢ)を勝利している。繁殖牝馬としても活躍しており、本馬の半姉にはカルタジャナ(父シャーナザー)【ガネー賞(仏GⅠ)・ダルマイヤー大賞(独GⅠ)・ナッソーS(英GⅡ)・サンチャリオットS(英GⅡ)】がいる。また、本馬の半姉カザヴィーナ(父ブレイクニー)の子にはカザバイーン【エクスプローシヴビッドH(米GⅢ)】がいる。カラミタの半弟にカラダール(父ラインゴールド)【ドンカスターC(英GⅢ)・ジョッキークラブC(英GⅢ)】が、カラミタの半姉カーリダ(父タネルコ)の子にカリーダ【リディアテシオ賞(伊GⅠ)・EPテイラーS(加GⅡ)】が、カラミタの半姉カミヤ(父カラムーン)の孫にタートルボウル【ジャンプラ賞(仏GⅠ)】が、カラミタの半妹ディナリナ(父トップヴィル)の子にカーリーナ【仏オークス(仏GⅠ)】、曾孫に日本で走ったヒカルアマランサス【京都牝馬S(GⅢ)】がいるなど、近親からは複数の活躍馬が出ている。カラミタの母シャヒナーズはロワイヤリュー賞の2着馬で、その母チェリーは愛オークス2着馬。チェリーの母バギシェはグロット賞の勝ち馬で仏オークスの2着馬。バギシェの母メーマニーはプリンセスロイヤルSの勝ち馬。メーマニーの母デュルセは仏1000ギニー2着馬。デュルセの母ドリナは仏オークス・ヴェルメイユ賞・仏グランクリテリウム・サラマンドル賞の勝ち馬。→牝系:F16号族①

母父シャンタンは現役成績6戦3勝で、主な勝ち鞍はエドガールデラシャルム賞。競走馬としては目立たなかったが、種牡馬としては名種牡馬シカンブルの後継として多くの活躍馬を出して成功した。

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