ニードルズ

和名:ニードルズ

英名:Needles

1953年生

鹿毛

父:ポンダー

母:ニードルスープ

母父:ジャックハイ

フロリダ州産馬として史上初めてケンタッキーダービー馬となりフロリダ州の馬産界における希望の星となる

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績21戦11勝2着3回3着3回

誕生からデビュー前まで

フロリダ州の馬産家ウィリアム・E・リーチ氏により生産された。しかし誕生から5日目にして肺炎に罹って生死の境をさまよった。牧場スタッフや担当獣医、それに看護師の資格を有していたリーチ氏の妻マデリーン夫人達が24時間体制で看病に当たったために、一命を取り留めることができた。この際に、本馬の身体には注射の針がたくさん刺されていた事から、英語で「針」を意味する“Needles”という名前を付けられたという。ちなみに酸素ボンベが治療に使用されていた事から、英語で「酸素」を意味する“Oxygen”という名前も候補に挙がっていたという。肺炎だけでなく肋骨を骨折した事もあったらしく、生誕直後はとにかく病弱で手がかかる馬だった。

しかしそれらが全て回復すると非常に見栄えが良い馬となり、1歳時にフロリダ州で実施された品評会で1位を獲得するまでになった。この品評会で本馬を見初めたのが、テキサス州の石油業者ボニー・マッコイ・ヒース氏とジャクソン・カーティス・ダドリー氏の2人だった。本馬はこの2人の共同馬主団体D&Hステーブルの所有馬となり、ヒュー・L・フォンテーヌ調教師に預けられた。しかし調教においてはあまり真面目に走らず、自由気儘に振る舞っていた。趣味は昼寝と、親友の猫と遊ぶことだったという(猫を見つめながら目を細めている本馬の写真が残っている)。本馬は猫に限らず猫科の動物全般が好きだったようで、本馬の馬屋には色々な猫科の動物の写真が飾られており、本馬はそれを見ながら楽しそうにしていたという。

競走生活(2歳時)

2歳3月に地元フロリダ州のガルフストリームパーク競馬場で行われた未勝利戦でJ・チョケッテ騎手を鞍上にデビューし、5馬身差で圧勝した。それから1週間後には同コースで行われたガルフストリームパークジュヴェナイルS(D4.5F)に出走したが、ここでは後のグレートアメリカンS・トレモントSの勝ち馬ゲットゼアージャックの2馬身3/4差4着に敗退。しかし3戦連続同コースとなった一般競走では、52秒4のコースレコードを計時して3馬身差で勝利した。モンマスパーク競馬場に場所を移して6月に出走したダート5ハロンの一般競走も、2着バットファーストに3馬身差で勝利した。次走のタイロS(D5.5F)では、3・4歳時に2年連続で米最優秀短距離馬に選ばれる快速馬デカスロンがコースレコードで勝利を収め、本馬は4馬身1/4差の4着に敗れた。

しかし次走のサプリングS(D6F)では、5戦無敗だったデカスロンを2馬身差の2着に破って初黒星をつけると同時に、ステークス競走の初勝利を挙げた。次走のホープフルS(D6.5F)では、グランドユニオンホテルS・ユナイテッドステーツホテルSの勝ち馬で翌年に米最優秀芝馬に選ばれる実力馬キャリアボーイを3馬身半差の2着に破って完勝し、2歳トップクラスの実力を有する事を示した。

次走のワールズプレイグラウンドS(D7F)では、ブッシャーファンタジーの1馬身差3着と惜敗。当時世界最高賞金額の競走だったガーデンステートSを目指して、ガーデンステート競馬場に移動して出走したダート8ハロンの一般競走では、2着ナホダーに2馬身差で勝利。本番のガーデンステートS(D8.5F)では、ワシントンパークフューチュリティ・レムセンS・サンフォードSと2着が続いていた後の名種牡馬プリンスジョンが勝利を収め、キャリアボーイにも僅かに及ばなかった本馬は、勝ったプリンスジョンから1馬身差の3着に敗れた。

2歳時の成績は10戦6勝で、ベルモントフューチュリティS・ピムリコフューチュリティを制したネイルと並んで米最優秀2歳牡馬に選ばれた。2歳時フリーハンデ(エクスペリメンタルフリーハンデ)における評価は125ポンドで、首位のキャリアボーイより1ポンドだけ低かった。

競走生活(3歳時)

3歳時は2月に地元フロリダ州のハイアリアパーク競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走から始動。今まで主戦を務めてきたチョケッテ騎手に代わって、このレースからデヴィッド・アーブ騎手が主戦を務める事になった。初コンビとなったこのレースでは、コールミーラッキーの5馬身差2着だった。次走のフラミンゴS(D9F)では、3歳になってから徐々に頭角を現し始めていた後の好敵手ファビウスが挑んできたが、本馬が2着ゴルフエースに2馬身3/4差で完勝し、ファビウスは3着だった。次走のフロリダダービー(D9F)では、2着カウントチック(サンミゲルSの勝ち馬でサンフェリペSでは2着だった)との着差は3/4馬身差ながらも、1分48秒6のコースレコードを計時して勝利した。

そしてケンタッキー州に向かい、ケンタッキーダービー(D10F)に参戦した。道中は先頭から10~15馬身も離された後方を進み、まるで雷鳴と評された強烈な末脚で追い込んで勝つ本馬のレーススタイルは既に米国競馬ファンの心を掴んでおり、ダービートライアルSを勝ってきたファビウス、ゴーサムSを勝ちブルーグラスSで2着してきたキャリアボーイ、サンフォードS・ウッドメモリアルSの勝ち馬でシャンペンS・ベルモントフューチュリティS2着のヘッドマン、フロリダダービー2着馬カウントチック、サンタアニタダービー馬テラングといった面々を抑えて堂々の1番人気に支持された。17頭立てで行われたレースでは、先頭から一時期は24馬身も離された後方2番手を追走していたが、「過去82年間のケンタッキーダービー史上最大の追い込み」と評されたほどの強烈な末脚を繰り出して、2着ファビウスに3/4馬身差で勝利。フロリダ州産馬としては史上初のケンタッキーダービー制覇であり、フロリダ州の競馬ファン達は狂喜したという。また、祖父ペンシブ、父ポンダーに次ぐ父子3代のケンタッキーダービー制覇でもあり、これはレイカウントカウントフリート、カウントターフに次ぐ史上2例目の快挙であった。

次走のプリークネスS(D9.5F)でも1番人気に支持された。今回も先頭から20馬身程度離された後方を追走したが、ここではファビウスを捕らえることに失敗し、1馬身3/4差の2着に敗れた。

しかし再度1番人気に支持されたベルモントS(D12F)では追い込みが決まり、2着キャリアボーイに首差をつけ、ファビウスを3着に退けて勝利を収めた。

その後は父ポンダーも勝っていたアメリカンダービーを目指してワシントンパーク競馬場に向かったが、本馬の現役時代3年間は、アメリカンダービーは芝コースで行われていた(完全に芝競走になった1992年より前は、創設以来この3年を除いてずっとダート競走だった)。そのため前哨戦として芝6ハロンのハンデ競走に出走したが、6馬身1/4差の8着最下位に敗退。それでも本番のアメリカンダービー(T9.5F)では1番人気に支持されたが、後の米国顕彰馬スウォーンズサンの2馬身3/4差5着に終わった。3歳時はこれが最後のレースとなったが、8戦4勝の成績で、この年の米最優秀3歳牡馬に選ばれた。

競走生活(4歳時)

4歳時は3月にガルフストリームパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンのハンデ競走から始動して、アドミラルヴィーの鼻差2着。次走のガルフストリームパークH(D10F)では、好敵手ファビウスとの顔合わせになったが、勝ったのはバーズタウンで、ファビウスは2着、125ポンドのトップハンデを課せられていた本馬はバーズタウンから1馬身半差の3着に敗れた。次走のフォートローダーデールH(D8.5F)でも125ポンドのトップハンデを課せられたが、2着タッスルパッチに2馬身差をつけ、1分42秒0のコースレコードタイで勝利した。しかし故障のために、このレースを最後に4歳時3戦1勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Ponder Pensive Hyperion Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Penicuik Buchan Sunstar
Hamoaze
Pennycomequick Hurry On
Plymstock
Miss Rushin Blenheim Blandford Swynford
Blanche
Malva Charles O'Malley
Wild Arum
Lady Erne Sir Gallahad Teddy
Plucky Liege
Erne White Eagle
Orris
Noodle Soup Jack High John P. Grier Whisk Broom Broomstick
Audience
Wonder Disguise
Curiosity
Priscilla Star Shoot Isinglass
Astrology
Yankee Sister Yankee
Sister Cheerful
Supromene Supremus Ultimus Commando
Running Stream
Mandy Hamilton John o'Gaunt
My Sweetheart
Melpomene Son-in-Law Dark Ronald
Mother in Law
Golden Harp Llangibby
Goldscleugh

父ポンダーは、本馬の好敵手ファビウスの所有者でもある米国の名門牧場カルメットファームの生産・所有馬で、現役成績41戦14勝。ケンタッキーダービー・アーリントンクラシックS・ピーターパンS・アメリカンダービー・ローレンスリアライゼーションS・ジョッキークラブ金杯・サンタアニタマチュリティS・サンアントニオHを勝っている。本馬と同様に後方からの強烈な追い込みを得意としていた。

ポンダーの父ペンシブは現役成績22戦7勝。ケンタッキーダービー・プリークネスSを勝っており、前述のとおりペンシブ、ポンダー、本馬で父子3代のケンタッキーダービー馬となっている。ペンシブの父は英ダービー馬ハイペリオン、その父は英国三冠馬ゲインズボローなので、英米を股にかけた父子5代ダービー馬という表現をしている海外の資料も見かけた。

母ヌードルスープは現役成績14戦1勝。母としては本馬の半姉メノレーネ(父ボールドルーラー)【ジャスミンS】を産んでいる。また、本馬の半妹ファーストノミニー(父ラフンタンブル)の子にはエレクトザルーラー【サンフェリペS】、孫にはビリーブザクイーン【フィリップHアイズリンH(米GⅠ)・トムフールH(米GⅡ)・トゥルーノースH(米GⅢ)】、曾孫にはフラー【コーフィールドC(豪GⅠ)】がいる。

ヌードルスープの祖母メルポメネの半姉ハープシコードの子にはロイヤルミンストレル【エクリプスS・セントジェームズパレスS】、クッラトゥルアイン【コロネーションS】、ハイラン【デューハーストS・サセックスS】がいる。クッラトゥルアインの娘マジデーは愛1000ギニー・愛オークスの勝ち馬で、その子にはマサカ【英オークス・愛オークス】と米国顕彰馬ギャラントマン【ベルモントS・トラヴァーズS・ジョッキークラブ金杯・メトロポリタンH・ハリウッド金杯】がいる。→牝系:F5号族②

母父ジャックハイは現役成績34戦15勝、ホープフルS・メトロポリタンH・トレモントS・フラッシュS・シェヴリンS・ブルックデールH・ローレルSの勝ち馬。ジャックハイの父ジョンピーグリアはウィスクブルーム産駒で現役成績17戦10勝。クイーンズカウンティH・エッジメアH・アケダクトH・アナポリスHを勝ち、ドワイヤーSではマンノウォーに生涯唯一の鞭を使わせ、マンノウォーを本気にさせた唯一の馬という評価を得た。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬に対しては、ケンタッキー州の牧場から種牡馬入りの提案があったが、ヒース氏達はそれを断り、地元フロリダ州に新設した牧場で本馬を種牡馬入りさせた。繁殖牝馬の質量ともにケンタッキー州より劣るフロリダ州における種牡馬生活だったために、それほど目立つ活躍を見せることは出来なかった。それでもフロリダ州繋養種牡馬としては多い27頭ほどのステークスウイナーを送り出し、ステークスウイナー率は13%という高率だったから、種牡馬として失敗だったとは一概には言えない。1984年に31歳という高齢で他界した。本馬の活躍はフロリダ州における馬産を活気付け、後にキャリーバックアファームドがフロリダ州から登場する事になる。そうした功績も認められたのか、2000年に本馬は米国競馬の殿堂入りを果たしている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1960

Vitamin Shot

パッカーアップS

1962

Chinatowner

カナディアンターフH

1962

Slystitch

トレントンH

1963

Single Needle

コーンハスカーH

1964

Irish Rebellion

パンアメリカンS

1964

Needles Stitch

パームビーチS

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