和名:アイルハヴアナザー |
英名:I'll Have Another |
2009年生 |
牡 |
栗毛 |
父:フラワーアレイ |
母:アーチズギャルエディス |
母父:アーチ |
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当初の低評価を覆してケンタッキーダービー・プリークネスSを制して米国三冠馬に王手をかけるも、ベルモントSの寸前で故障により夢絶たれる |
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競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績7戦5勝2着1回 |
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州においてハーヴェイ・クラーク氏により生産された。1歳9月のキーンランドセールに出品され、競走馬育成業者ヴィクター・M・ダヴィラ氏により1万1千ドルという安値で購入された。ダヴィラ氏は育成した本馬が2歳になると、フロリダ州オカラで実施されたセリに改めて出品。ここで本馬は加国の実業家J・ポール・レッダム氏により3万5千ドルで購入され、ダグラス・F・オニール調教師(ジャパンCダートを制覇したフリートストリートダンサーや、やはりジャパンCダートにも参戦したカリフォルニア州の名馬ラヴァマンを管理していた事で日本では知られる)に預けられた。
馬名の“I'll Have Another”は英語で「おかわり」という意味で、本馬の名前を思案中だったレッダム氏が、妻が作った焼き立てのクッキーを食べた際に、そのあまりの美味しさに“I'll Have Another!”と口にした瞬間に、それを名前にしようと思い立ったのだという。
競走生活(2歳時)
2歳7月にハリウッドパーク競馬場で行われたオールウェザー5.5ハロンの未勝利戦で、ジョエル・ロザリオ騎手を鞍上にデビュー。ここではスコーピオンウォリアーという馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気に推されており、本馬は単勝オッズ5.8倍の2番人気だった。レースは、好スタートを切った本馬がそのまま先頭を走り、スコーピオンウォリアーが1馬身ほど後方の2番手を追いかけてくる展開となった。直線に入るとスコーピオンウォリアーが並びかけてきて叩き合いとなったが、本馬が競り勝って3/4馬身差で勝利した。
次走は翌月にデルマー競馬場で行われたベストパルS(GⅡ・AW6.5F)となった。未勝利戦を4馬身3/4差で快勝してきたクリエイティヴコーズが単勝オッズ1.8倍の1番人気、ハリウッドジュヴェナイルCSSで2着してきたブリガンドが単勝オッズ4.5倍の2番人気で、ロザリオ騎手騎乗の本馬は単勝オッズ7.8倍の3番人気だった。今回も好スタートを切った本馬はそのまま先頭に立ったが、ブリガンドが競り掛けてきて先頭争いが激しくなった。四角でブリガンドを振り切って直線には単独先頭で入ってきたが、道中は中団でじっくりとレースを進めていたクリエイティヴコーズにかわされて、1馬身3/4差の2着に敗れた。
その後は米国東海岸に飛び、9月のホープフルS(GⅠ・D7F)に出走した。バッシュフォードマナーS・サンフォードSで連続2着してきたパワーワールドの姿があったが、人気を集めていたのは未勝利戦を6馬身差で圧勝してきたカレンシースワップ(単勝オッズ2.9倍)、未勝利戦を3馬身1/4差で快勝してきたジェイシーズプライド(単勝オッズ3.2倍)といった底を見せていなさそうな馬達であり、パワーワールドは単勝オッズ5.3倍の3番人気、ダート競走を走るのが初めてである本馬は単勝オッズ12.9倍の6番人気に留まった。
泥だらけの不良馬場の中でスタートが切られると、単勝オッズ69.5倍の最低人気馬トリニバーグ(ただし翌年のBCスプリントを制覇してエクリプス賞最優秀短距離馬を受賞しているから凡馬ではない)が先頭に立ったが、ジュリアン・ルパルー騎手騎乗の本馬はスタートが悪かった上に行き脚も付かず、10頭立ての9~10番手を付いていくのが精一杯だった。直線に入っても、ばてた馬達をかわしただけで殆ど何の見せ場も無く、ゴール直前でトリニバーグを捕らえて勝ったカレンシースワップから19馬身差の6着と完敗した。
2歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は3戦1勝という平凡な馬だった。
競走生活(3歳初期)
3歳時は2月にサンタアニタパーク競馬場で行われたロバートBルイスS(GⅡ・D8.5F)から始動した。3連勝でキャッシュコールフューチュリティを制してGⅠ競走勝ち馬となっていたリエゾン、キャッシュコールフューチュリティで首差2着だったラウジングサーモン、キャッシュコールフューチュリティ4着後に一般競走を4馬身半差で勝ってきたスカイキングダムなど7頭が対戦相手となった。リエゾンが単勝オッズ2.5倍の1番人気、ラウジングサーモンが単勝オッズ4.2倍の2番人気、スカイキングダムが単勝オッズ4.7倍の3番人気で、この3頭に人気が集まった。一方で、マリオ・グティエレス騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ44.3倍の最低人気。7番人気のグルーヴィンソロでも単勝オッズ19.4倍だったから、(変な言い方だが)断然の最低人気だった。
スタートが切られると単勝オッズ8.2倍の4番人気馬イズントヒークレヴァーが先頭に立ち、本馬とリエゾンが1~2馬身ほど後方の2~3番手につけた。しかしリエゾンの手応えはあまり良くなく、本馬が少しずつ前に出て、イズントヒークレヴァーを追いかけていった。直線に入ると本馬がイズントヒークレヴァーをかわして先頭に立った。その一方で後方ではリエゾンがグルーヴィンソロが斜行した拍子に落馬競走中止となっていた。後方で混乱する馬群の中から抜け出して本馬を追ってきたのは、内埒沿いを走っていたため巻き込まれずに済んだ単勝オッズ12.9倍の5番人気馬エンパイアウェイだった。しかし本馬がそのまま押し切り、2着エンパイアウェイに2馬身3/4差、3位入線のグルーヴィンソロ(進路妨害で最下位に降着)にはさらに2馬身3/4差をつけて勝利した。
次走はサンタアニタダービー(GⅠ・D9F)となった。対戦相手は、ベストパルS勝利後にノーフォークS・サンフェリペSを勝ち、BCジュヴェナイル・デルマーフューチュリティでも共に勝ち馬から1馬身差3着と好走していたクリエイティヴコーズ、競走中止となったロバートBルイスSの後にサンフェリペSに出走するも4着に敗れていたリエゾン、サンフェリペS3着馬ミッドナイトトランスファー、未勝利戦を4馬身1/4差で勝ち上がって来たペインター、ハリウッドプレビューS2着・キャッシュコールフューチュリティ3着のブラザーフランシスなど8頭だった。クリエイティヴコーズが単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、前走に続いてグティエレス騎手が騎乗する本馬が対抗馬として単勝オッズ5.1倍の2番人気となった。
このレースに本馬が出走するに際して、競走馬引退後にオニール厩舎の帯同馬の役割を担うことになっていたラヴァマンも同行しており、本馬がスターティングゲートに向かうまで本馬の隣に付き添っていた。スタートが切られると、単勝オッズ43.3倍の8番人気馬ブルースカイーズンレインボーズが先頭に立ち、本馬が2~3馬身ほど後方の2番手、クリエイティヴコーズがさらに1~2馬身ほど後方の好位につけた。ブルースカイーズンレインボーズの逃げは快調で、三角から四角を回って直線に入ってきても先頭を死守。本馬は三角手前から追撃を開始したが、内側を通って上がっていったクリエイティヴコーズのほうが先に先頭に入っていった。そして直線では、逃げるブルースカイーズンレインボーズと、叩き合いながら追う内側のクリエイティヴコーズと外側の本馬による三つ巴の戦いが展開された。残り50ヤード地点では3頭が横並びとなったが、最後に本馬が僅かに抜け出し、2着クリエイティヴコーズに鼻差、3着ブルースカイーズンレインボーズにはさらに半馬身差をつけて勝利した。
ケンタッキーダービー
この勝利により、本馬は4週間後のケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)へ駒を進める事になり、帯同馬のラヴァマンと一緒にケンタッキー州へ飛んだ。対戦相手は、前走2着のクリエイティヴコーズ、同6着のリエゾンの他、BCジュヴェナイル・ゴーサムSの勝ち馬で、前走ブルーグラスSで2着だった前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬ハンセン、サンフェリペSでクリエイティヴコーズの2着だった馬で、アーカンソーダービーを9馬身半差で圧勝してきたボードマイスター、シャンペンS・サラトガスペシャルS・ファウンテンオブユースS勝ち馬でBCジュヴェナイル2着のユニオンラグス、ウッドメモリアルS・ケンタッキージョッキークラブSなど5戦無敗のジェモロジスト、フロリダダービーを勝ってきたテイクチャージインディ、3年前のケンタッキーダービー馬マインザットバードの半弟で、ブリーダーズフューチュリティ・ブルーグラスSを勝っていたデュラハン、エルカミノリアルダービー・サンランドダービーを連勝してきたダディーノーズベスト、ウィザーズS勝ち馬でシャンペンS・ウッドメモリアルS2着のアルファ、UAEダービーを勝ってきたロイヤルロッジS勝ち馬ダディロングレッグス、リズンスターS勝ち馬エルパドリノ、スパイラルSを勝ってきたウェントザデイウェル、デルタダウンズジャックポットS勝ち馬でアーカンソーダービー3着のサーベルキャット、イリノイダービーを勝ってきたダントーキング、ロバートBルイスS3着後にサンフェリペS5着・ルイジアナダービー3着だったラウジングサーモン、レベルS2着馬オプティマイザー、本馬が惨敗したホープフルSの2着馬で、スウェイルS・ベイショアSを連勝してきたトリニバーグ、タンパベイダービー勝ち馬プロスペクティヴの合計19頭で、本馬と既に対戦した馬が4頭、初顔合わせが15頭だった。
この年のケンタッキーダービーは例年以上に粒揃いであると言われており、同競走史上最高となる16万5307人という大観衆がチャーチルダウンズ競馬場に詰め掛けていた。前走アーカンソーダービーの勝ち方を評価されたボードマイスターが単勝オッズ5.2倍の1番人気、ユニオンラグスが単勝オッズ6.1倍の2番人気、ジェモロジストが単勝オッズ9.6倍の3番人気、クリエイティヴコーズとテイクチャージインディの2頭が並んで単勝オッズ12.9倍の4番人気と続き、主戦として固定されることになったグティエレス騎手が騎乗する本馬は、ケンタッキーダービーでは致命的とも言える19番枠(外側から2番目)発走と、当時25歳のグティエレス騎手がケンタッキーダービー初参戦だった事なども嫌われて、単勝オッズ16.3倍の9番人気だった。
スタートが切られると1番人気のボードマイスターが果敢に先頭に立ち、それにこの年のエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれる快速トリニバーグが絡んで2頭が先頭を牽引。対抗馬であるユニオンラグスは対照的に後方からレースを進めた。外枠発走の本馬は無理に先頭争いに参加せず、6~7番手の好位につけた。ボードマイスターがトリニバーグを引き連れて先頭を飛ばしまくったため、最初の2ハロン通過は22秒32、半マイル通過は45秒39というハイペースとなった。ペースが速くなったために馬群が縦長となり、外枠発走の本馬も外側を回らされるコースロスを最小限に抑えることが出来ていた。三角まではボードマイスターにしがみついていたトリニバーグだったが、四角に入ったところで一気に失速。それと入れ代わるように本馬を含む後続馬が追い上げてきた。しかしボードマイスターと後続馬勢の差は直線入り口でも4馬身程度あり、そのままボードマイスターが勝つような雰囲気が漂っていた。しかし3番手で直線に入ってきた本馬が一気に追い上げてきて、残り50ヤード地点でボードマイスターをかわして先頭に立ったところでゴールイン。2着ボードマイスターに1馬身半差、追い込んで3着に入ったデュラハンにはさらに首差をつけて優勝した。
19番枠(又はさらに外側の枠)から発走した馬がケンタッキーダービーを勝ったのは史上初の快挙だった。グティエレス騎手にとっても嬉しい米国三冠競走初勝利となった。
プリークネスS
次走は当然のようにプリークネスS(GⅠ・D9.5F)となった。対戦相手は前走から半減して10頭となった。そのうちケンタッキーダービーで戦った馬は、ボードマイスター、前走4着のウェントザデイウェル、前走5着のクリエイティヴコーズ、前走10着のダディーノーズベスト、前走11着のオプティマイザーの5頭であり、ウッドメモリアルS3着馬ティースオブザドッグ、同4着馬タイガーウォーク、パツィープロスペクトSなど3連勝中のゼッターホルム、タンパベイダービー3着馬コゼッティ、キャノネロSを勝ってきたプレテンションの5頭がケンタッキーダービー不参戦馬だった。
新規参戦組には人気を集めるような馬はおらず、上位人気はケンタッキーダービー参戦馬が占めた。ボードマイスターが単勝オッズ2.7倍の1番人気、本馬が単勝オッズ4.2倍の2番人気、ウェントザデイウェルが単勝オッズ6.7倍の3番人気、クリエイティヴコーズが単勝オッズ7.3倍の4番人気となった。
スタートが切られると即座にボードマイスターが先頭に立って逃げを打ち、クリエイティヴコーズが2~3番手につけ、本馬はその後方4番手につけた。前走ではトリニバーグに絡まれてハイペースで逃げたボードマイスターだったが、トリニバーグがいない今回はスローに落として逃げることに成功。最初の2ハロン通過が23秒79、半マイル通過は47秒68で、前走よりかなり遅くなった。三角に入ったところで本馬やクリエイティヴコーズを始めとする後続馬が追撃を開始したが、ボードマイスターも加速したために差は縮まらなかった。本馬は3番手で直線に入ってきたが、ボードマイスターとの差は前走と同じくまだ4馬身ほどあった。しかしここから本馬が徐々に差を詰めると残り50ヤード地点で並びかけ、そしてゴール寸前で首差だけ前に出て優勝。3着クリエイティヴコーズはボードマイスターからさらに8馬身3/4差をつけられていた。
これで1978年のアファームド以来34年ぶり史上12頭目の米国三冠馬に王手を掛けた本馬の次走に設定されたのは、当然ベルモントSだった。レース前の盛り上がりは大変なもので、本馬の名前の意味が「おかわり」である事から、「三冠馬、おかわり」が米国競馬ファンの合言葉となるほどだった。
ベルモントS直前に故障引退
しかしそんなファンの期待はベルモントSの直前になって粉々に砕かれてしまった。レース2日前の調教後に、本馬の左前脚に腫れが見つかった。いったん腫れは引いたのだが、翌日の調教後に再び腫れてしまった。超音波検査の結果、左前脚に軽微な浅屈腱炎を発症している事が判明。完治までには3~6か月はかかると診断されたためにベルモントSは出走取消、さらにはそのまま現役を引退する旨がレース前日に発表され、34年ぶりの米国三冠馬誕生の夢はベルモントSの直前に消えてしまった(私事だが、この時期の筆者は我が子同然に可愛がっていたフェレットが重病に罹ったために看病に専念しており、本馬がベルモントSに出ずに引退した事を知ったのはかなり後だった)。
アファームドの米国三冠達成以降にケンタッキーダービー・プリークネスSを制した馬は1979年のスペクタキュラービッドから2008年のビッグブラウンまで合計11頭いたが、その全てがベルモントSに参戦して敗れたために米国三冠馬を逃しており、ベルモントSに出る事なく米国三冠馬を逃したケンタッキーダービー・プリークネスS勝ち馬は1932年のバーグーキング、1936年のボールドヴェンチャー以来76年ぶり史上3頭目だった(バーグーキングが不参戦の理由は諸説あり、書類の不備という説や、故障のためベルモントSを回避してアメリカンダービーを目標としたという説があるが、いずれにしてもプリークネスS以降はレースに出る事なく引退している。ボールドヴェンチャーが不参戦だった理由は本馬と同じ屈腱炎で、やはりそのまま引退している)。
前2頭の頃はまだ現在ほど米国三冠馬の称号に価値がある時代ではなかった(米国三冠馬という用語が一般的に使用され始めたのはギャラントフォックスが達成した1930年で、その価値が確立されたのはウォーアドミラルが達成した1937年と言われている)から、米国三冠馬の夢がベルモントSの直前に潰えたのは今回が史上初と言っても過言ではないだろう。
本馬の出走回避が発表された直後には、1969年に無敗でケンタッキーダービー・プリークネスSを制覇するも脚の負傷を押して強行出走したベルモントSで2着に敗れて引退したマジェスティックプリンスと並べて議論されることが多かった。
本馬だけでなくボードマイスターやクリエイティヴコーズも回避したためにプリークネスS上位馬が全て不在となったベルモントSは、ケンタッキーダービーで7着だったユニオンラグスが、サンタアニタダービーで本馬の4着だったペインターを首差抑えて勝っている。このベルモントS当日に本馬の引退式が行われたが、本馬の隣にはやはりラヴァマンが近衛兵のように付き添っており、一緒にベルモントパーク競馬場を周回していった。
なお、本馬の屈腱炎はそれほど重度では無かったが、ベルモントSを回避しただけでなく即座に現役引退が決定された背景には、管理調教師がオニール師だった事が影響しているのではないかと推測する声もある。実はオニール師は「ドラッグ・オニール」の異名で呼ばれたほど頻繁に管理馬の薬物検査に引っ掛かっており(本馬引退時点で15回。2014年10月時点では19回まで増えている)、本馬が回避したベルモントSの翌7月から45日間の業務停止処分を受ける事が決まっていた。
4年前のケンタッキーダービー・プリークネスSを制したビッグブラウンを管理していたリチャード・E・ダトロー・ジュニア調教師も薬物(ただしこの段階では禁止薬物ではなかった)を使用していた事が公になっており、後に米国競馬界から追放されている。ビッグブラウンがベルモントSで惨敗した理由は、検査が厳しい米国三冠競走前には毎月欠かさなかった薬物をさすがに投与できず、過去に投与してきた薬の効果がプリークネスSとベルモントSの間で切れたからだとも言われる。
米国競馬界においては以前から薬物疑惑が囁かれた競走馬が少なくないが、その決定的証拠には乏しい(利尿剤ラシックスにより証拠隠滅された事例も多々あると思われる)。しかしこの時期の米国競馬界が薬物で汚染された状態だったのは確実である。
オニール師の管理馬である本馬に関しても当然薬物疑惑はあり、ベルモントSに出ずに早々に引退したのは、それ以上の詮索をかわす目的があったからだと言うのである。もっともビッグブラウンと異なり本馬に関しては決定的な証拠は無いし、いずれにしても本馬自身に罪があるわけではないから、本項ではこれ以上触れることはしない。
本馬の3歳時の成績は4戦全勝で、この年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬を受賞した。
血統
Flower Alley | Distorted Humor | フォーティナイナー | Mr. Prospector | Raise a Native |
Gold Digger | ||||
File | Tom Rolfe | |||
Continue | ||||
Danzig's Beauty | Danzig | Northern Dancer | ||
Pas de Nom | ||||
Sweetest Chant | Mr. Leader | |||
Gay Sonnet | ||||
プリンセスオリビア | Lycius | Mr. Prospector | Raise a Native | |
Gold Digger | ||||
Lypatia | Lyphard | |||
Hypatia | ||||
Dance Image | Sadler's Wells | Northern Dancer | ||
Fairy Bridge | ||||
Diamond Spring | Vaguely Noble | |||
Dumfries | ||||
Arch's Gal Edith | Arch | Kris S. | Roberto | Hail to Reason |
Bramalea | ||||
Sharp Queen | Princequillo | |||
Bridgework | ||||
Aurora | Danzig | Northern Dancer | ||
Pas de Nom | ||||
Althea | Alydar | |||
Courtly Dee | ||||
Force Five Gal | Pleasant Tap | Pleasant Colony | His Majesty | |
Sun Colony | ||||
Never Knock | Stage Door Johnny | |||
Never Hula | ||||
Last Cause | Caucasus | Nijinsky | ||
Quill | ||||
Last Bird | Sea-Bird | |||
Patelin |
父フラワーアレイはディストーテッドユーモア産駒で、日本で活躍したマイルCS勝ち馬トーセンラーや天皇賞秋勝ち馬スピルバーグの半兄に当たる。現役成績は14戦5勝で、トラヴァーズS(米GⅠ)・レーンズエンドS(米GⅡ)・ジムダンディS(米GⅡ)・サルヴェイターマイルS(米GⅢ)を勝ち、BCクラシック(米GⅠ)でセイントリアムの2着している。しかしケンタッキーダービー(米GⅠ)ではジャコモの9着と振るわなかった。競走馬引退後はケンタッキー州スリーチムニーズファームで種牡馬入りしていたが、本馬の活躍にも関わらず2015年からは南アフリカで種牡馬入りする事になった。
母アーチズギャルエディスは3歳9月にベルモントパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビューして僅差で勝利したが、その1戦のみで競走馬を引退した。3親等内の近親には活躍馬がいないが、4親等以上離れれば活躍馬はいる。アーチズギャルエディスの祖母の半弟であるロアノーク【カリフォルニアンS(米GⅠ)】、アーチズギャルエディスの母の従姉妹の孫であるイントゥミスチーフ【キャッシュコールフューチュリティ(米GⅠ)】と、ビホルダー【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・BCディスタフ(米GⅠ)・ラスヴァージネスS(米GⅠ)・サンタアニタオークス(米GⅠ)・ゼニヤッタS(米GⅠ)3回・クレメントLハーシュS(米GⅠ)・パシフィッククラシックS(米GⅠ)・ヴァニティS(米GⅠ)】の兄妹などがそれに該当する。→牝系:F23号族②
母父アーチはブレイムの項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬に対して、各方面から種牡馬入りのオファーが来た。その中には日本のビッグレッドファームも含まれていた。レッダム氏によると、米国の牧場が提示した購入金額は300万ドルや、500万ドル(厳密には種牡馬権利の半分を250万ドルで購入希望という内容)だった。この金額が高額なのかと言うとそんな事はなく、4年前にビッグブラウンがケンタッキーダービーを勝った直後に組まれたシンジケート額が5千万ドルだった事を考慮すると、はっきり言って安かった。一方でビッグレッドファームの代表者岡田繁幸氏が提示した購入金額は1千万ドルだった。まだ日本のほうが繁殖牝馬に恵まれるかもしれないと考えたレッダム氏は、本馬の売却先をビッグレッドファームに決定。翌2013年から本馬はビッグレッドファームで種牡馬生活を開始した。種付け料は320万円に設定された。
現在のところ種牡馬人気は高く、初年度は152頭、2年目は123頭の繁殖牝馬を集めている。薬物疑惑があった本馬だが、初年度の交配相手152頭のうち69%に当たる105頭が産駒を誕生させている(実際には受胎したが無事に産まれなかった事例もあり、受精率は8割程度だったという)から、同じ疑惑があったコタシャーン(初年度の産駒誕生率47%で、しかも数年で20%以下まで低下した)やシガーに比べれば特に問題は無さそうである。
本馬が日本に来た後も米国における人気は高く、ビッグレッドファームは米国にいるファン達のためにフェイスブックを開設している。