サートリストラム

和名:サートリストラム

英名:Sir Tristram

1971年生

鹿毛

父:サーアイヴァー

母:イゾルト

母父:ラウンドテーブル

競走馬としては凡庸だった上に牧場で火災に見舞われて九死に一生を得るという奇禍もあったが、オセアニアで種牡馬として記録的な大成功を収める

競走成績:2~4歳時に愛英仏米で走り通算成績19戦2勝2着6回3着3回

誕生からデビュー前まで

サーアイヴァーの現役時代の所有者だった愛国駐在の米国大使レイモンド・G・ゲスト氏により生産・所有された愛国産馬である。英国クライヴ・ブリテン調教師に預けられて2歳時に欧州でデビューしたが、後に数々の名馬を手掛けるブリテン師もこの当時は開業して間もない新米調教師であり、本馬の能力を発揮させることは出来なかった。

競走生活

2歳時は仏国でサンピエールアジフ賞(T1800m)というマイナー競走で1勝を挙げたのみに留まった。

3歳時は一時的に米国チャールズ・G・ミルバンク厩舎に転厩している。その目的はゲスト氏が試みにケンタッキーダービー(米GⅠ・D10F)に出してみようと考えたからであるが、結果は23頭立て7番人気でキャノネイドの11着に終わっている。

その後は再び欧州に戻って仏国を本拠地として走り、ティルゲルベ賞(T1600m)というマイナー競走で2勝目を挙げたが、これが現役最後の勝利となった。ゲスト氏がケンタッキーダービーに出すために米国に転厩させたくらいだから、少なくとも彼はその素質を評価していたはずであるが、どうも本馬は気性面に難があったようで、それが競走馬としての大成を妨げる一因となったと言われている。

血統

Sir Ivor Sir Gaylord Turn-to Royal Charger Nearco
Sun Princess
Source Sucree Admiral Drake
Lavendula 
Somethingroyal Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Imperatrice Caruso
Cinquepace
Attica Mr. Trouble Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Motto Sir Gallahad
Maxima
Athenia Pharamond Phalaris
Selene
Salaminia Man o'War
Alcibiades
Isolt Round Table Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Knight's Daughter Sir Cosmo The Boss
Ayn Hali
Feola Friar Marcus
Aloe
All My Eye My Babu Djebel Tourbillon
Loika
Perfume Badruddin
Lavendula
All Moonshine Bobsleigh Gainsborough
Toboggan
Selene Chaucer
Serenissima

サーアイヴァーは当馬の項を参照。

母イゾルトは米国産馬で、競走馬としては仏国で走り6戦1勝だった。本馬の半妹リトルシルヴァー(父テューダーウェイ)の孫にオプレッサー【トゥーラックH(豪GⅠ)】がいる。また、本馬の半姉オペラ(父ヴィエナ)と全姉ゲネヴァーは共に繁殖牝馬として日本に輸入されているが、その子孫からは特筆できる活躍馬は出ていない。イゾルトの半姉キャプティヴェイター(父プリンスキロ)の孫にはヴァラエティーロード【サンフェリペS(米GⅠ)・サンフェルナンドS(米GⅠ)】が、イゾルトの全妹ラウンドアイの玄孫にはラッドオブザマナー【マッキノンS(豪GⅠ)】がいる。イゾルトの母オールマイアイの半兄には種牡馬として活躍したモスボローがいる。さらにオールマイアイの母オールムーンシャインは大繁殖牝馬シリーンの娘であり、シックルファラモンドハイペリオンはオールムーンシャインの半兄達である。ハイペリオンから見れば、本馬は姪の孫に当たるわけである。→牝系:F6号族②

母父ラウンドテーブルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は新国ケンブリッジスタッドの所有者パトリック・ホーガン卿に購入される事になった。優秀な血統を持つ種牡馬を求めて欧州を訪れていたホーガン卿は、ハイペリオンの近親に当たる上にバランスが取れた血統構成を持つ本馬に興味を抱き、米国から戻ってきていた本馬を探すために仏国に向かった。しかしホーガン卿は本馬を発見できなかった(それだけ本馬が走っていたレースは下級競走ばかりだったわけである)ため、英ブラッドストックエージェンシー社のフィリップ・ペイン・ガルウェイ卿に本馬の調査を依頼した。英ブラッドストックエージェンシー社の組織力をもってしても本馬の現況調査には手間がかかり、ホーガン卿に対する回答をなかなか返せなかった。ようやく本馬の状況を把握したガルウェイ卿は、その競走成績があまりに凡庸だった上に、馬体も見栄えがしないものだったため、ホーガン卿に対して(購入は)推奨できませんと伝えた。しかしかつて完璧な馬など存在しないと父親から言われた事があったホーガン卿は、構いませんと応じた。そこでガルウェイ卿はゲスト氏と話をつけ、本馬はこの段階で競走馬引退が決まったのだった。

本馬は新国に向かう前に検疫を受けるため、しばらく英ブラッドストックエージェンシー社が所有していた英国の牧場に滞在していたのだが、ある日の晩にこの牧場で火災が発生。その混乱の中で本馬は炎に追われながら必死に逃げ回り、全身に火傷を負いながらも何とか生き延びることが出来た。この火災で生き残った馬は本馬を含めて2頭だけだった。このときの経験が本馬の気性難にさらに拍車を掛けてしまったようで、ようやく新国ケンブリッジスタッドに到着した本馬は、いきなり暴れて柵を壊すと牧場内に乱入し、他馬を見つけ次第蹴ろうとする危険な馬になっていた。所有する繁殖牝馬を本馬と交配させるつもりだった馬産家達の多くは、その様子を見て交配をキャンセルした。

そのために当初本馬の交配相手となった繁殖牝馬は質量ともに低かったのだが、初年度産駒の中からコーフィールドギニーやヴィクトリアダービーなどを制したソヴリンレッドなどの活躍馬が登場。2年目産駒や3年目産駒からもGⅠ競走勝ち馬が次々に登場し、種牡馬としての評価を早い段階で確立させた。最終的には45頭のGⅠ競走勝ち馬を含む140頭以上のステークスウイナーを輩出するという記録的大成功を収めた。2000年にブルー(母はジャパンCを勝った名牝ホーリックス)がメルボルンCを制して本馬産駒として最後のGⅠ競走勝ち馬となったのだが、このGⅠ競走勝ち馬45頭というのは、当時の世界記録だった(後の2002年にサドラーズウェルズによって更新される)。豪首位種牡馬は1982/83・84/85・85/86・86/87・88/89・89/90シーズンと6度獲得。1986/87シーズンの新首位種牡馬も獲得した(7度の新首位種牡馬になったとする日本の資料もあるが、海外の資料において明記されているのは1度のみである)。

なお、日本の資料には「オセアニアの競馬史上最大の種牡馬」「南半球のノーザンダンサー」と言われているとあるが、これに近い表現が海外の資料で用いられているのはスターキングダムであり、本馬を紹介する海外の資料には無い。しかしながら、本馬とスターキングダムの種牡馬成績は優劣つけがたく、スターキングダムが上記の表現で紹介されるのならば、本馬もまた同様の表現で紹介されてもなんら不自然ではないのは確かである。

繁殖牝馬の父としても優秀で、200頭以上のステークスウイナーを出し、9度の豪母父首位種牡馬を獲得した。

初年度の種付け料は1200ドルに設定されていたが、最終的には20万ドルまで跳ね上がっていた。自身は気性が激しかったのだが、産駒にはその気性難があまり受け継がれなかった。どちらかと言えば長距離得意の馬を多く出したが、短距離戦で活躍した馬もおり、典型的な距離不問型種牡馬だった。

種牡馬として大成した後も気性の悪さは相変わらずで、牧場で馬衣を着せられる事にも激しく抵抗したらしいが、牧場スタッフからは“Paddy(パディ)”の愛称で呼ばれて非常に大切にされていた。ケンブリッジスタッドは現在でも新国屈指の名門牧場であるが、その礎を築いたのが本馬である事には疑いの余地が無い。1996年に種牡馬を引退し、その翌年1997年5月に放牧中に肩を骨折したために26歳で安楽死の措置が執られた。ケンブリッジスタッドで行われた葬儀では司教が呼ばれて40分間に渡って本馬のために祈りを捧げた。2008年に新国競馬の殿堂入りを果たした。後継種牡馬としてはザビールが父に引けを取らない活躍を示しており、本馬の直系を現在に伝えている。また、日本で走ったヤマニンバイタルも現役引退後に新国で種牡馬入りして2頭のGⅠ競走勝ち馬を出した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1977

Sovereign Red

MRCコーフィールドギニー(豪GⅠ)・WATCウエスタンメイルクラシック(豪GⅠ)・ヴィクトリアダービー(豪GⅠ)・BATCロスマンズ10000(豪GⅠ)・VATCアンダーウッドS(豪GⅠ)

1977

Tasman

SAJCサウスオーストラリアンダービー(豪GⅠ)

1978

Dalmacia

AJCエプソムH(豪GⅠ)・STCローソンS(豪GⅠ)・AJCチッピングノートンS(豪GⅡ)

1978

Gurner's Lane

メルボルンC(豪GⅠ)・MRCコーフィールドC(豪GⅠ)

1978

Noble Heights

新1000ギニー(新GⅠ)

1978

Pride of Rosewood

ゲイムリーH(米GⅠ)

1978

Trissaro

タンクレッドS(豪GⅠ)・VATCアンダーウッドS(豪GⅠ)・AJCシドニーC(豪GⅠ)

1979

Admiral Lincoln

VRCオーストラリアンC(豪GⅠ)

1979

Cossack Prince

STCピーターパンS(豪GⅡ)

1979

Grosvenor

VRCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・MRCコーフィールドギニー(豪GⅠ)・ヴィクトリアダービー(豪GⅠ)

1980

Mapperley Heights

SAJCサウスオーストラリアンダービー(豪GⅠ)

1981

National Gallery

WATCダービー(豪GⅠ)

1981

Noble Peer

VRCオーストラリアンC(豪GⅠ)

1981

Trichelle

VATCマールボロC(豪GⅠ)

1981

Tristarc

AJCダービー(豪GⅠ)・VATCアンダーウッドS(豪GⅠ)・MRCコーフィールドC(豪GⅠ)・VATCコーフィールドS(豪GⅠ)・クイーンエリザベスS(豪GⅠ)

1981

Tristina

QTCクイーンズランドダービー(豪GⅠ)

1981

Tristram Rose

QTCクイーンズランドオークス(豪GⅠ)

1982

Empire Rose

メルボルンC(豪GⅠ)・VRCマッキノンS(豪GⅠ)

1982

My Tristram's Belle

VRCクラウンオークス(豪GⅠ)

1982

Royal Heights

新オークス(新GⅠ)

1982

Tristram's Edtion

QTCキャッスルメインS(豪GⅠ)

1983

Cure

新1000ギニー(新GⅠ)

1983

Military Plume

WATCロスウェルズS(豪GⅠ)・オーストラリアンギニー(豪GⅠ)

1983

Starline

新オークス(新GⅠ)

1983

Trissaring

TVニュージーランドS(新GⅠ)

1984

Kaapstad

VRCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・VRCアスコットヴェイルS(豪GⅡ)

1984

Marauding

ゴールデンスリッパー(豪GⅠ)

1985

Riverina Charm

MRC1000ギニー(豪GⅠ)・カンタベリーギニー(豪GⅠ)・STCローズヒルギニー(豪GⅠ)・ARCニュージーランドS(新GⅠ)

1986

Dr. Grace

AJCチッピングノートンS(豪GⅠ)・AJCダービー(豪GⅠ)・ザBMW(豪GⅠ)・VATCアンダーウッドS(豪GⅠ)

1986

Lurestina

スカイスポートクラシック(新GⅠ)

1986

Tristanagh

MRC1000ギニー(豪GⅠ)・VRCクラウンオークス(豪GⅠ)

1986

Zabeel

オーストラリアンギニー(豪GⅠ)

1988

Glastonbury

AJCザメトロポリタン(豪GⅠ)

1988

Romanee Conti

香港招待C・STCクイーンオブザターフS(豪GⅡ)

1989

Mahaya

AJCオークス(豪GⅠ)

1989

Our Tristalight

オーストラレイシアンオークス(豪GⅠ)

1990

Popsy

新ダービー(新GⅠ)

1990

Tristalove

サイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・オーストラレイシアンオークス(豪GⅠ)

1992

Isolda

AJCシャンペンS(豪GⅠ)

1993

Irish Chance

オークランドC(新GⅠ)

1994

Brew

メルボルンC(豪GⅠ)

1994

Only a Lady

AJCフライトS(豪GⅠ)

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