シリーン

和名:シリーン

英名:Selene

1919年生

鹿毛

父:チョーサー

母:セレニシマ

母父:ミノル

シックル、ファラモンド、ハイペリオンと根幹種牡馬3頭の母となって後世に大きな影響を与えた20世紀最高の繁殖牝馬の1頭

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績22戦16勝2着4回3着1回

誕生からデビュー前まで

英国の政治家及び貴族である第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリー卿により、彼が所有するスタンリーハウススタッドにおいて生産・所有された。第17代ダービー伯爵は、ザ・ダービー・ステークスの名称の由来となった第12代ダービー伯爵エドワード・スミス・スタンリー卿の子孫(第12代ダービー伯爵から見ると玄孫に当たる)である。1908年に父の第16代ダービー伯爵フレデリック・アーサー・スタンリー卿が死去して後を継いだ彼は、先祖達と同じく競馬に興味を抱くことになった。1910年に父から受け継いだスウィンフォードで英セントレジャーを制して英国クラシック競走初勝利を挙げた彼は、曽祖父である第13代ダービー伯爵以降の一族が勝利できていなかった英ダービー制覇を目標に掲げ、独自の配合理論に基づいて馬産を開始した。スタンリーハウススタッドにおいて本格的な馬産を開始したのは、本馬が誕生する数年前の事であり、本馬はスタンリーハウススタッドにおける2世代目の産駒に当たる。彼はどうやら3×4のインブリードに拘りがあったと思われ、彼の生産馬にはこの血量のインブリードが多い。本馬の生産においても3×4のインブリードを使用した。その対象となったのはスウィンフォードの母である英オークス馬カンタベリーピルグリムのそのまた母である英1000ギニー・英2000ギニー勝ち馬ピルグリメージュだった。父馬にはスウィンフォードの半兄であるチョーサーを指名し、母馬にはピルグリメージュの息子でカンタベリーピルグリムの半兄に当たるラヴドワンを母父に持つセレニシマを指名した。こうして誕生したのが本馬であるが、体格が非常に小さかった(成長しても体高15.2ハンドにしかならなかった)。本馬の馬格を見た第17代ダービー伯爵の専属調教師ジョージ・ラムトン師は、この小さな馬では英国クラシック競走では勝負できないと考えた。その結果、本馬は英国クラシック競走には1つも登録されなかった。

競走生活

しかしながら2歳時にデビューした本馬はすぐにその快速を如何なく発揮。ロウス記念S(T6F)を勝ち、クイーンメアリーS(T5F)ではワイルドミントの2着。チェヴァリーパークS(T6F)では後にナンソープSを勝つ快速馬トゥーステップを2着に退けて勝利。2歳最後のレースとなったホーソーンS(T8F)ではリッチモンドS勝ち馬フォダーと同着勝利するなど、2歳時は11戦8勝2着2回3着1回着外なしの成績を残した。

3歳時は英国クラシック登録が無いために、かなり早い段階から古馬相手のレースに出走。夏場のコロネーションC(T12F10Y)では4歳牡馬フランクリン(ハードウィックS勝ち馬で後に英チャンピオンSも勝利)の2着に入り、前年の愛ダービー馬バリーヘロン(3着)に先着した。ファルマスS(T8F)は同世代馬レイトントーアの2着だった。

本馬が真価を発揮したのは秋シーズンに入ってからで、ナッソーS(T10F)・パークヒルS(T14F127Y)・リヴァプールオータムC(T10F)などを勝ち、3歳最後のレースとなったハンプトンコートグレート3歳S(T13F)では、サセックスS勝ち馬ディリジェンス(サンチャリオットの母父)、コヴェントリーS勝ち馬ポンドランド、ジョッキークラブSを牡馬相手に勝ってきた牝馬レディジュロア(ムムタズマハルの半姉。フェアトライアルの母)といった同世代の牡牝の強敵相手に、3馬身差で完勝した。

3歳時を11戦8勝の成績で終えた本馬の評価は、同世代の英1000ギニー馬ポグロムや英オークス馬シルヴァーアーン、それにこの2競走でいずれも2着だったソウブリクエットといった馬達より明らかに上となっていた。そのため、英1000ギニー・英オークスは勿論、同距離のパークヒルSを制している事から、英セントレジャーでも好勝負になったのではないかと言われた(この年の英セントレジャーは愛ダービー馬ロイヤルランサーが勝利したが、英ダービー馬キャプテンカトルが故障のため秋シーズンを待たずに引退するなど、出走馬は手薄となっていた)。

ラムトン師は本馬を4歳時も走らせたい気持ちを持っていたらしいが、第17代ダービー伯爵は本馬を繁殖入りさせて一層優れた馬を生産する事を希望しており、第17代ダービー伯爵の意思に背く事を好まなかったラムトン師は、その産駒に期待することにして、本馬を3歳限りで競走生活から引退させた。

当時の英国競馬界においては馬体が大きい馬が強く、小さい馬はそれだけで不利であるという常識がまかり通っており、本馬が英国クラシック登録を見送られたのはそれが理由だった。しかし本馬は確かに小柄な馬だったが、その馬体は完璧と言っても過言では無いほどバランスが取れていた。脚は短かったがその分だけ頑丈であり、競走生活を通じて故障知らずの馬でもあった。本馬が小さいというだけで英国クラシック登録を見送ってしまった第17代ダービー伯爵とラムトン師は、その反省を活かして、本馬よりもさらに小さかった息子ハイペリオンについては英国クラシック登録を怠ることは無かった。馬名はギリシア神話の月の女神セレーネ(ローマ神話ではルナ)に由来する。

血統

Chaucer St. Simon Galopin Vedette Voltigeur
Mrs. Ridgway
Flying Duchess The Flying Dutchman
Merope
St. Angela King Tom Harkaway
Pocahontas
Adeline Ion
Little Fairy
Canterbury Pilgrim Tristan Hermit Newminster
Seclusion
Thrift Stockwell
Braxey
Pilgrimage The Palmer Beadsman
Madame Eglentine
Lady Audley Macaroni
Secret
Serenissima Minoru Cyllene Bona Vista Bend Or
Vista
Arcadia Isonomy
Distant Shore
Mother Siegel Friar's Balsam Hermit
Flower of Dorset
Galopin Mare Galopin
Mother Superior
Gondolette Loved One See Saw Buccaneer
Margery Daw
Pilgrimage The Palmer
Lady Audley
Dongola Doncaster Stockwell
Marigold
Douranee Rosicrucian
Fenella

チョーサーは当馬の項を参照。

母セレニシマも本馬と同じく第17代ダービー伯爵の生産・所有馬。しかし競走馬としてはそれほど活躍できなかった。その理由は別にセレニシマが弱かったからではなく、彼女が1歳の時に第一次世界大戦が勃発して英国競馬の規模が大幅に縮小された影響をまともに受けたためだった。その競走経歴はかなり簡潔であり、2歳時は未勝利で、3歳時に無名競走で2勝を挙げて引退した。繁殖牝馬としてはその高い潜在能力を十分に発揮し、本馬の1歳年下の半妹トランクイル(父スウィンフォード)【英1000ギニー・英セントレジャー・ジョッキークラブC】と7歳年下の半弟ボスワース(父サンインロー)【アスコット金杯】も産んだ。また、本馬の半妹コンポージュア(父バッカン)の子に仏首位種牡馬フェアコピー【ミドルパークS】がいる他、コンポージュアの牝系子孫から何頭かのGⅠ競走勝ち馬が出ている。

セレニシマの母ゴンドレットはヘンリー・ウォリング氏という人物が生産した馬で、セレニシマを受胎した状態で第17代ダービー伯爵により1550ギニーで購入された馬だった。ゴンドレットの競走経歴は、2歳時は6戦未勝利、3歳時は9戦2勝とそれほど目立つところはなかった。また、ゴンドレットの牝系からもこれといった活躍馬が出ていなかった。そんなゴンドレットが第17代ダービー伯爵に見初められた理由は、その父ラヴドワンがカンタベリーピルグリムの半兄だった事と、ゴンドレットの勝ち星がいずれも英ダービーと同じ距離12ハロンのレースだった事の2つだったようである。もっとも、ラヴドワンもそれほど優れた競走成績を残したわけではなかったし、種牡馬成績もそれほど目立つところはなかった。したがって客観的に見ればゴンドレットには優秀な繁殖牝馬になりそうな雰囲気は無いのだが、しかし第17代ダービー伯爵の見立てどおりか、おそらくはそれ以上にゴンドレットは優れた繁殖牝馬となった。第17代ダービー伯爵がゴンドレットを購入する前に産んだ、セレニシマの1歳年上の半兄レットフライ(父ホワイトイーグル)【デューハーストS・英チャンピオンS・ニューS・グリーナムS】、セレニシマの2歳年下の半妹フェリー(父スウィンフォード)【英1000ギニー】、そしてセレニシマの8歳年下の半弟で、第17代ダービー伯爵に初の英ダービータイトルをもたらしたサンソヴィーノ(父スウィンフォード)【英ダービー・ジムクラックS】と活躍馬を続出させた。

セレニシマの4歳年上の半姉ロレット(父ガリニュール)の牝系子孫には、フィールズオブオマー【コックスプレート(豪GⅠ)2回・豪フューチュリティS(豪GⅠ)】、ハッピートレイルズ【エミレイツS(豪GⅠ)・ターンブルS(豪GⅠ)・マッキノンS(豪GⅠ)】などがいる。また、セレニシマの2歳年上の半姉ドラベラ(父ホワイトイーグル)の子にはミロベラ【英シャンペンS・キングジョージS・ジュライC・チャレンジS】がおり、そのミロベラの子にはビッグゲーム【英2000ギニー・英チャンピオンS】がいる。ドラベラの牝系子孫には、スノーナイト【英ダービー(英GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)・加国際S(加GⅠ)】、リナミックス【仏2000ギニー(仏GⅠ)】などもいる。→牝系:F6号族②

母父ミノルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はスタンリーハウススタッドで繁殖入りした。本馬が繁殖入りするに際して、スタンリーハウススタッドの運営を任されていたウォルター・アルストン氏は、あまりに小柄な本馬では妊娠や出産に耐えられないかもしれないから、もう少し馬体が大きくなるまで待つよう第17代ダービー伯爵に進言した。しかし第17代ダービー伯爵はその進言を退け、本馬は4歳時にファラリスと交配され、翌5歳時に初子となる牡駒シックルを産んだ。シックルに関しては独立した項があるので詳細はそちらを参照してもらう事にして、ここでは簡単に紹介する。シックルは2歳時にマーシーS・プリンスオブウェールズS・ボスコーエンSを勝ち、ミドルパークSで2着するなど7戦3勝の成績を残したが、3歳時は英2000ギニーで3着、英ダービーで5着と健闘するも、英ダービー後に故障を起こして通算成績10戦3勝で競走馬を引退した。種牡馬としては最初1年間英国で供用され、後に米国に移動した。特に米国では成功を収め、1936・1938年と2度の北米首位種牡馬になるなど活躍した。直系からはネイティヴダンサーが登場し、後世に大きな影響を残している。第17代ダービー伯爵がアルストン氏の進言を聞き入れて本馬の繁殖入りを遅らせていたら、ネイティヴダンサーもノーザンダンサーミスタープロスペクターも登場しなかったわけである。

6歳時は2番子の牡駒ファラモンド(父ファラリス)を産んだ。ファラモンドにも独立した項があるので詳細はそちらを参照してもらう事にして、ここでは簡単に紹介する。ファラモンドは2歳時の成績は6戦1勝だったが、唯一の勝利はミドルパークSだった。3歳時は5戦1勝で、英2000ギニーでは4着だった。通算成績は11戦2勝。種牡馬として米国で供用され、35頭のステークスウイナーを出した。北米種牡馬ランキングは1938年の2位(1位が兄のシックル)が最高。直系からはトムフールバックパサーの父子が登場し、やはり後世に大きな影響を与えた。

7歳時は3番子の牡駒ハンティングムーン(父ハリーオン)を産んだ。ハンティングムーンは2歳時こそ2戦未勝利だったが、3歳時には6戦してニューマーケットSなど3勝を挙げた。英2000ギニー・英ダービーでは共に4着だったが、ニューマーケットSではその英2000ギニーを勝ったミスタージンクスを破っている。通算成績は8戦3勝。引退後は南米に輸出されて亜国や伯国など南米各国で多くの活躍馬を出して成功した。直系は残っていないようだが、繁殖牝馬の父としても活躍しており、南米の活躍馬の中にはハンティングムーンの血を受け継ぐ馬も少なくないはずである。

8歳時は4番子の牡駒サラミス(父ファラリス)を産んだ。サラミスは3歳時のみ走り通算成績5戦未勝利に終わった。それでも血統が評価されて愛国で種牡馬入りしたが、不成功に終わった。

9歳時は5番子の牡駒グイスカルド(父ゲイクルセイダー)を産んだ。グイスカルドは通算成績35戦9勝、4歳時にクイーンズ賞というマイナーステークス競走を勝っているが種牡馬入りは出来なかったようである。10歳時は前年にファラリスを不受胎だったため産駒がいなかった。

11歳時は6番子の牡駒ハイペリオン(父ゲインズボロー)を産んだ。ハイペリオンにも独立した項があるので詳細はそちらを参照してもらう事にして、ここでは簡単に紹介する。母である本馬より小柄だったハイペリオンだが、英ダービー・英セントレジャーを勝利し、兄達が勝てなかった英国クラシック競走を制覇した。他にもニューS・デューハーストS・チェスターヴァーズ・プリンスオブウェールズSを勝つなど、通算13戦9勝の成績を残した。そしてハイペリオンは種牡馬としても記録的な大成功を収め、後世に絶大な影響を与えた。

12歳時は7番子にして初の牝駒となるルネット(父サンインロー)を産んだが、ルネットは幼少期に他界した。

13歳時は8番子の牝駒コロナル(父コロナック)を産んだ。コロナルは3歳時に10戦してフレッケンナムSというマイナーステークス競走の1勝だけを挙げ、通算11戦1勝の成績で競走馬を引退した。平凡な成績に見えるが、コロネーションSやファルマスSで3着しており、全く凡庸な馬ではなかったようである。繁殖入りしたコロナルの牝系子孫はオセアニアや南アフリカといった南半球で繁栄し、今世紀も残っている。14歳時は前年にフェルスティードを不受胎だったため産駒がいなかった。

15歳時は9番子の牝駒ヘカーテ(父フェルスティード)を産んだ。ヘカーテは不出走のまま繁殖入りしたが、繁殖牝馬としても活躍は出来なかった。

16歳時は10番子の牝駒ヴァーレオブルーン(父フェルスティード)を産んだが、ヴァーレオブルーンは幼少期に他界した。

17歳時は11番子の牝駒ナイトシフト(父トリムドン)を産んだ。ナイトシフトは3歳時のみ走り、3戦してヨークシャーオークスで唯一の勝利を挙げたが、翌年に夭折したため繁殖牝馬にはなれなかった。

18歳時は12番子の牝駒ムーンプリーステス(父ダスター)を産んだ。ムーンプリーステスは未勝利のまま繁殖入りして、繁殖牝馬としても活躍は出来なかった。

19歳時は13番子の牡駒ムーンライトラン(父ボブスレー)を産んだ。ムーンライトランは6戦1勝の成績に終わったが、血統が評価されて米国カリフォルニア州で種牡馬入りした。ヴァニティH・サンタモニカHを勝ったメアリーマクリーなど3頭のステークスウイナーを出したが、それほど成功したとは言えなかった。20歳時は前年にプリシピテイションを不受胎だったため産駒がいなかった。

21歳時は14番子の牝駒ニュームーン(父ソルフォ)を産んだ。ニュームーンは不出走のまま繁殖入りした。ニュームーンの牝系子孫は今世紀になっても残っており、ワッスル【愛2000ギニー(愛GⅠ)】、シンハリーズ【デルマーオークス(米GⅠ)】 、ワットアウィンター【ケープフライングCS(南GⅠ)2回・マーキュリースプリント(南GⅠ)・コンピュータフォームスプリント(南GⅠ)】、メイソン【ジュライC(英GⅠ)】、トワイライトサン【スプリントC(英GⅠ)】、日本で走っているシンハライト【優駿牝馬(GⅠ)】などが出ている。

22歳時は15番子の牝駒オールムーンシャイン(父ボブスレー)を産んだ。オールムーンシャインは競走馬としては7戦1勝に終わったが、母として名種牡馬モスボロー(名馬バリモスの父)を産んだ。また、オールムーンシャインの曾孫には豪州の大種牡馬サートリストラムがいるし、ラッキーラッキーラッキー【ケンタッキーオークス(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)】、ヴァラエティロード【サンフェリペS(米GⅠ)・サンフェルナンドS(米GⅠ)】、マイトアンドパワー【メルボルンC(豪GⅠ)・コックスプレート(豪GⅠ)・コーフィールドC(豪GⅠ)・メルセデスクラシック(豪GⅠ)・AJCクイーンエリザベスS(豪GⅠ)・ドゥーンベンC(豪GⅠ)・ヤルンバS(豪GⅠ)】、アントレプレナー【英2000ギニー(英GⅠ)】、サリスカ【英オークス(英GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)】、モシーン【クラウンオークス(豪GⅠ)・オーストラリアンギニー(豪GⅠ)・ランドウィックギニー(豪GⅠ)・ヴァイナリースタッドS(豪GⅠ)】など多くの名馬がオールムーンシャインの牝系子孫から登場。オールムーンシャインは本馬の後継繁殖牝馬として最高の活躍馬となった。

23歳時は16番子の牝駒シューティングスター(父ボールドアーチャー)を産んだ。シューティングスターは12戦1勝の成績で繁殖入りしたが、繁殖牝馬としても活躍は出来なかった。本馬はシューティングスターを産んだ1942年に他界しており、シューティングスターを産んだ際に命を落としたのではないかと言われている。

本馬の産駒は幼少期に他界した2頭を除けば14頭いるが、そのうち10頭が勝ち上がり、そのうち7頭がステークスウイナーとなった。各国でトップクラスの種牡馬として活躍した産駒が4頭おり、そのうち3頭は現在でも直系が残っている。そのため、本馬は20世紀において最も影響力を残した繁殖牝馬の1頭として数えられている。

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