モガミ

和名:モガミ

英名:Mogami

1976年生

青鹿

父:リファール

母:ノーラック

母父:ラッキーデボネア

競走馬としては振るわなかったが日本で大物産駒や障害巧者を多数出して種牡馬として成功を収めシンボリ牧場やメジロ牧場の屋台骨を支える

競走成績:2~4歳時に仏で走り通算成績20戦3勝2着3回3着2回

誕生からデビュー前まで

シンボリ牧場の代表者として知られる和田共弘氏により生産・所有された仏国産馬で、メジロ牧場の代表者として知られる北野豊吉氏との共同所有馬となり、仏国F・パーマー調教師に預けられた。

競走生活

2歳7月にシャンティ競馬場で競走馬デビューし、初戦で勝ち上がった。翌月にドーヴィル競馬場で出走したリステッド競走フォール賞(T1600m)も勝って、2連勝と順調なスタートを切った。しかし9月にロンシャン競馬場で出走したシェーヌ賞(GⅢ・T1600m)では、ディスクレクションの5着に敗退した(2着には後の仏2000ギニー・リュパン賞2着馬シャープマンが入った)。10月に出走した仏グランクリテリウム(GⅠ・T1600m)では、モルニ賞・サラマンドル賞を勝ってきた同世代最強マイラーのアイリッシュリヴァーに全く歯が立たず、12着最下位と惨敗を喫した。2歳時の成績は4戦2勝だった。

3歳時は4月にロンシャン競馬場で行われたリステッド競走クールセル賞(T2000m)から始動したが、後のロワイヤルオーク賞でゴールドリヴァーの2着するムッシュマーセルの6着に敗退。同月にメゾンラフィット競馬場で出走したリステッド競走モンテニカ賞(T1500m)も、後にロンポワン賞・パース賞・リゾランジ賞を勝ちムーランドロンシャン賞・ロッキンジSで2着するヒラルの4着に敗れた。

それでもその後はグループ競走路線を進んだ。まずは5月のジョンシェール賞(GⅢ・T1600m)に出走したが、トーマブリョン賞を勝っていた同父馬ベリファの5馬身3/4差4着に敗退。6月に出走したジャンプラ賞(GⅡ・T1800m)では、リッチモンドS・ロッキンジSを勝ちミドルパークSで2着、英2000ギニー・モルニ賞で3着していたヤングジェネレーション、ロベールパパン賞・クリテリウムデプーリッシュの勝ち馬で、モルニ賞でアイリッシュリヴァーの2着、サンタラリ賞でスリートロイカスの2着していたピタシア、後にモーリスドギース賞を2連覇するサラマンドル賞2着馬ボワトロンの3頭に屈して、勝ったヤングジェネレーションから3馬身差の4着に敗退。7月に出走したユジェーヌアダム賞(GⅡ・T2000m)では、プランニングの2馬身差6着に敗退。8月に出走したコートノルマンディ賞(GⅢ・T2000m)では、英ダービー・エクリプスSで3着していた後の英チャンピオンSの勝ち馬ノーザンベイビーの5馬身半差6着に敗退。3歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は6戦未勝利に終わった。

4歳時はグループ競走路線を捨ててハンデ競走路線に転向した。3月にメゾンラフィット競馬場で出走したラヴァレデ賞(T1600m)では2着。同月にサンクルー競馬場で出走したキャプサン賞(T1600m)では4着。5月にメゾンラフィット競馬場で出走したディクタドレーク賞(T1700m)では2着。同月にロンシャン競馬場で出走したアルジャントゥイユ賞(T1850m)では、本馬が6着に終わった前年のユジェーヌアダム賞で首差2着だったマンガンの3着。6月にエヴリ競馬場で出走したサモス賞(T1800m)では3着。7月にサンクルー競馬場で出走したエテ賞(T1600m)では、2か月後のムーランドロンシャン賞で3着するカトヴィツェの9着。8月にドーヴィル競馬場で出走したムニシパリテ賞(T2000m)では、ビリーザキッドの7着。9月にサンクルー競馬場で出走したビリキル賞(T2400m)では、クリテリウムドサンクルー3着馬ロードザラの4着。ひたすら敗戦が続いていたが、10月にメゾンラフィット競馬場で出走したマシーン賞(T2400m)では、前年のロワイヤリュー賞の勝ち馬シーリーを2着に抑えて勝利。この3勝目は、2勝目のフォール賞から2年以上も経過していた。翌11月にメゾンラフィット競馬場で出走したスカラムーシュ賞(T2400m)でマーライオンの2着になったのを最後に、4歳時10戦1勝の成績で競走馬を引退した。

馬名は、山形県を流れる最上川に由来するという説と、「最も優れている」→「最上」から来ているという説を見かけたが、真相は不明である。

血統

Lyphard Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Goofed Court Martial Fair Trial Fairway
Lady Juror
Instantaneous Hurry On
Picture
Barra Formor Ksar
Formose
La Favorite Biribi
La Pompadour
ノーラック Lucky Debonair Vertex The Rhymer St. Germans
Rhythmic
Kanace Case Ace
Kanlast
Fresh as Fresh Count Fleet Reigh Count
Quickly
Airy Bull Lea
Proud One
No Teasing Palestinian Sun Again Sun Teddy
Hug Again
Dolly Whisk Whiskaway
Dolly Seth
No Fiddling King Cole Pharamond
Golden Melody
Big Hurry Black Toney
La Troienne

リファールは当馬の項を参照。

母ノーラックは米国ケンタッキー州産馬だが、1歳時に仏国に輸入されて仏国で走り、18戦3勝の成績を残した。競走馬引退後は和田氏に購入されて仏国で繁殖入りして、本馬を産んだ直後の1976年に来日してその後は日本で繁殖生活を送った。本馬の半姉ベロネール(父リベロ)の孫にテュルジオン【愛セントレジャー(愛GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・エスペランス賞(仏GⅡ)・ヴィコンテスヴィジェ賞(仏GⅡ)2回・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)】、ティッカネン【BCターフ(米GⅠ)・ターフクラシック招待S(米GⅠ)・グレフュール賞(仏GⅡ)】が、本馬の全姉である本邦輸入繁殖牝馬プリンセスリファードの孫に1992年の中央競馬最優秀五歳以上牡馬及び最優秀父内国産馬メジロパーマー【宝塚記念(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)・阪神大賞典(GⅡ)・札幌記念(GⅢ)・新潟大賞典(GⅢ)】、曾孫にコスモスパーブ【尾張名古屋杯】がいる。

ノーラックの母ノーティージングは、米国の名馬産家・名馬主・名調教師として知られたハーシュ・ジェイコブス氏とイジドール・ビーバー氏の共同馬産団体ビーバージェイコブスステーブルにより生産・所有された米国産馬で、競走馬としては50戦9勝の成績だった。ノーティージングの半妹には1967年の米最優秀ハンデ牝馬ストレートディール【ハリウッドオークス・レディーズH・サンタマルガリータ招待H・サンタバーバラH・トップフライトH・デラウェアH・スピンスターS】がおり、ノーティージングの半姉ミズキャロルの子には1966年の米最優秀2歳牝馬リーガルグルーム【フリゼットS・セリマS】、孫にはロイヤルグリント【サンタアニタH(米GⅠ)・エイモリーLハスケルH(米GⅠ)】、曾孫にはカーリアン【仏ダービー(仏GⅠ)・ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ)】、ヴィジョン【セクレタリアトS(米GⅠ)】、玄孫世代以降にはスキャン【ジェロームH(米GⅠ)・ペガサスH(米GⅠ)】、スカフルバーグ【ペガサスH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)】、キラーグレイシス【ハリウッドスターレットS(米GⅠ)】が、ストレートディールの子にはディザイアリー【サンタバーバラH(米GⅠ)】、孫にはアドード【サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・デラウェアH(米GⅠ)】、クオリファイ【デルマーフューチュリティ(米GⅠ)】、曾孫にはスコーピオン【ジムダンディS(米GⅠ)】、デンジャラスミッジ【BCターフ(米GⅠ)】、玄孫世代以降にはアルワジーハ【クイーンエリザベスⅡ世CSS(米GⅠ)】、日本で走ったサマリーズ【全日本2歳優駿(GⅠ)】などがいる。

ノーティージングの母ノーフィドリングは米国顕彰馬サーチングの半姉で、根幹繁殖牝馬ラトロワンヌの5番子ビッグハリーの娘に当たる。→牝系:F1号族②

母父ラッキーデボネアは現役成績16戦9勝。ケンタッキーダービーを筆頭に、サンヴィンセントS・サンタアニタダービー・ブルーグラスS・サンタアニタHを制した実力馬だった。種牡馬としてはあまり成功せず、直系の孫に有馬記念馬リードホーユーがいるのが目に付く程度である。ラッキーデボネアの父ヴァーテックスはトレントンH・ピムリコスペシャル・ガルフストリームパークH・ジョンBキャンベルH・グレイラグH勝ちなど25戦17勝。ヴァーテックスの父ザライマーはワイドナーH・クイーンズカウンティH勝ちなど56戦13勝。ザライマーの父セントジャーマンズはスウィンフォード産駒で、デヴィルダイヴァーやトゥエンティグランドの父として知られる。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、シンボリ牧場とメジロ牧場により共同で日本に輸入され、シンボリ牧場において種牡馬供用された。良血馬ではあるが競走成績が振るわなかったため、当初の種牡馬人気はそれほど高くなく、初年度の1981年は32頭の交配数に留まった。しかし誕生した産駒の評判が良かったようで、2年目は37頭、3年目は50頭、4年目の1984年は52頭と交配数は上昇。この1984年にデビューした初年度産駒の中から1985年の東京優駿の勝ち馬シリウスシンボリが登場。2年目産駒からは1986年に史上初の中央競馬牝馬三冠馬に輝いたメジロラモーヌが登場と、続けて大物が出た。この1986年は同じリファール産駒のダンシングブレーヴマニラが欧米で猛威を振るった年でもあり、本馬の種牡馬人気にも好影響を与えた。5年目は57頭、6年目は60頭、7年目は62頭、8年目は60頭、9年目は59頭、10年目は52頭、11~14年目は4年連続50頭、15年目は47頭、16年目は42頭、17年目は46頭、18年目は36頭、19年目は25頭、20年目は33頭の交配数だった。21年目は8頭、22年目の2002年は1頭の交配数に留まり、この年限りで種牡馬を引退。その後も、シンボリ牧場において功労馬として余生を送り、2004年10月に心不全のため28歳で他界した。全日本種牡馬ランキングでは、1988年に8位、89年に5位、90年に4位、91年に3位、92年に2位、93年に5位、94年に10位に入り、7年連続7度のトップテン入りを果たしている。

本馬の産駒の特徴として、まず挙げられるのは気性が激しかった事で、毎日王冠のレース前にレジェンドテイオーとダイナアクトレスの2頭に蹴りを入れたシリウスシンボリや、あまりの気性難でレースにならず去勢されたレガシーワールドなどは代表例である(シリウスシンボリは本当はおっとりした性格で、長期にわたる海外遠征で気性が悪くなったという意見もあるが)。

距離適性は明確に中長距離向きで、ダートも走った。メジロ牧場の獣医をしていた田中秀俊氏によると、サラブレッドは一般的に皮膚が薄いほうが良いと言われるらしいが、本馬の産駒は皮膚が厚い傾向があった(「ダービースタリオン公式ガイドブック」より)。さらに骨が頑丈だったために頑健な産駒が多く、長きに渡り活躍する傾向が強かった。

そしてもう一つ、本馬の産駒最大の特徴として、障害レースが抜群に得意だったということが挙げられる。これは、前述した「中長距離得意」「ダートも走る」「頑丈で長持ちする」点に加えて、気性の激しさが障害を恐れない闘争心に転化した影響が強いのではないかと推測されている。あと、これは競馬記者の後藤正俊氏が「競馬〔隠れ名馬〕読本」の中で述べている見解だが、本馬やその産駒は気性が激しくても頭が良くて冷静な一面があり、それも障害を上手に飛越するのに繋がっていたのだという。本馬自身は腹が出ている体型の持ち主で、産駒にもそれが遺伝する事が多かったが、競馬記者の北野海人氏は「競馬種牡馬読本」の中で、腹が出ているからこそ障害にぶつからないように飛越が上手くなるのだという見解を述べている。いずれにしても本馬の産駒の障害競走適性は半端ではなく、出走馬の大半が本馬の産駒という障害競走もあったそうである。そのために本馬を導入したシンボリ牧場やメジロ牧場は、その経営が苦しい時期を、本馬の産駒が障害レースで稼いだ賞金で乗り切ったと後藤氏は述べており、オーナーブリーダー制を採るシンボリ牧場とメジロ牧場は、本馬がいなければ当の昔に倒産していたかもしれない(結局メジロ牧場は2011年に解散してしまったが)。

本馬の直系は残っておらず、繁殖牝馬の父としてもそれほどずば抜けた活躍を見せてはいない(気性の強さが繁殖牝馬の父としては悪影響を及ぼしているという意見もある)が、本馬の血を引く繁殖牝馬は多く、本馬の血の影響力自体は健在である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1982

シリウスシンボリ

東京優駿(GⅠ)

1983

ファンドリボーイ

黒潮ダービーやいろ鳥賞(高知)

1983

メジロアイガー

中山大障害春

1983

メジロラモーヌ

桜花賞(GⅠ)・優駿牝馬(GⅠ)・エリザベス女王杯(GⅠ)・桜花賞トライアル四歳牝馬特別(GⅡ)・オークストライアル四歳牝馬特別(GⅡ)・ローズS(GⅡ)・テレビ東京賞三歳牝馬S(GⅢ)

1984

ナカミジュリアン

クイーンC(GⅢ)

1984

ユーワジェームス

ニュージーランドトロフィー四歳S(GⅡ)

1985

シンボリクリエンス

中山大障害春・中山大障害秋2回・東京障害特別春2回・東京障害特別秋

1985

メジロマスキット

中山大障害秋・東京障害特別秋

1985

メジロワース

マイラーズC(GⅡ)・中京障害S秋2回・中京障害S春

1986

ブラックホラー

赤レンガ記念(札幌)・道営記念(函館)・瑞穂賞(帯広)・ステイヤーズC(旭川)

1986

メジロモントレー

アルゼンチン共和国杯(GⅡ)・アメリカジョッキークラブC(GⅡ)・クイーンS(GⅢ)・中山金杯(GⅢ)

1987

メジログッテン

中山大障害春・東京障害特別春

1988

モガミハヤブサ

北日本オークス(上山)・読売杯(金沢)・トゥインクルレディー賞(大井)

1989

グレイドショウリ

東京ダービー(大井)・東京王冠賞(大井)

1989

レガシーワールド

ジャパンC(GⅠ)・セントライト記念(GⅡ)

1989

ローズムーン

中山大障害秋

1990

クリスタルブラボー

若草賞(三条)

1990

ホッカイセレス

中山牝馬S(GⅢ)・府中牝馬S(GⅢ)

1990

メジロモネ

東国賞(高崎)

1994

マーベラスタイマー

アルゼンチン共和国杯(GⅡ)・日経新春杯(GⅡ)

1996

ヒルノマインド

中京盃(SPⅡ)

1996

ブゼンキャンドル

秋華賞(GⅠ)

1997

ヒノデラスタ

東京ダービー(南関GⅠ)

1998

ブルーオオマサ

青山記念 (新潟)

1998

モガアルテスコ

スプリングC(北関GⅢ)

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