ディキシーランドバンド

和名:ディキシーランドバンド

英名:Dixieland Band

1980年生

鹿毛

父:ノーザンダンサー

母:ミシシッピマッド

母父:デルタジャッジ

現役時代はGⅠ競走で全く通用しなかった二流馬ながら種牡馬としては100頭を超えるステークスウイナーを出して大活躍する

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績24戦8勝2着3回3着4回

誕生からデビュー前まで

母ミシシッピマッドの生産・所有者でもあった、デラウェアパーク競馬場の取締役兼ブラッドホース社の社長ベイヤード・シャープ氏が米国メリーランド州に所有する牧場で誕生した。シャープ夫人の名義で競走馬となり、米国チャールズ・ピープルズ調教師に預けられた。ピープルズ師は10代のときに、当時4歳だったシャープ氏が池で溺れかけていたのを助けた縁で親しくなり、この頃にはシャープ氏の専属調教師となっていた。

競走生活(2歳時)

2歳7月にデラウェアパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦で初出走して、2着ボールドアマチュアに1馬身差で勝利した。次走は10月にボウイー競馬場で行われたマールボロナーサリーS(D7F)となったが、ここではトゥーデイヴィッズの半馬身差3着に敗退した。それから12日後に出走したローレルフューチュリティ(GⅠ・D8.5F)では、勝ったキャストパーティから13馬身差をつけられて8着に終わった。翌11月にはローレル競馬場ダート6ハロンの一般競走に出走して、後のゴーサムSの勝ち馬アソールトランディングを1馬身差の2着に抑えて勝利した。

それから11日後に出走した新設競走メリーランドジュヴェナイルCSS(D8.5F)では、2着ディピューティドテスタモニーに首差、3着となったブリーダーズフューチュリティS・ピルグリムS2着馬カヴィアトにはさらに1馬身差をつけて勝利した。ここで本馬に負かされた2頭がいずれも米国三冠競走の勝ち馬となる事を考えると、このレースが本馬の競走馬生活における頂点だったのかもしれない。2歳時の成績は5戦3勝だった。

競走生活(3歳時)

3歳時はケンタッキーダービーを目標として、4月にキーストーン競馬場で行われたダート6.5ハロンの一般競走から始動した。しかし結果は前年のマールボロナーサリーSで屈したトゥーデイヴィッズにまたも敗れて、3馬身1/4差の3着だった。次走のフェデリコテシオS(D8.5F)では、前年のメリーランドジュヴェナイルCSSで破ったディピューティドテスタモニーに屈して、2馬身1/4差の2着に敗退。続いてダービートライアルS(D8F)に出走し、ケンタッキーダービー参戦最後の望みをこのレースに託したが、トロピカルパークダービー・アーカンソーダービーで2着してきたカヴィアトに11馬身差をつけられた6着と大敗。これでケンタッキーダービーは断念となった。

今度はプリークネスSを目指してピムリコ競馬場に向かい、ダート8.5ハロンの一般競走に出走。しかしヤングアメリカS2着馬ベットビッグの1馬身半差3着に敗れ、プリークネスSも断念となった。

代わりにプリークネスSの翌週にキーストーン競馬場で行われたペンシルヴァニアダービー(GⅡ・D9F)に出走して、ゴーサムS3着馬ジャックスチップを首差の2着に抑えて勝利を収めた。

そこでベルモントS(GⅠ・D12F)に参戦を決定。ケンタッキーダービー馬サニーズヘイローはプリークネスS6着大敗により回避しており、対戦相手は、ケンタッキーダービーを回避して出走したプリークネスSを制覇したディピューティドテスタモニー、ダービートライアルS勝利後に出走したケンタッキーダービーで3着だったカヴィアト、ウッドメモリアルS・ピーターパンSの勝ち馬でケンタッキーダービー4着のスルーオゴールド、プリークネスS3着馬ハイオナーズ、ウィルロジャーズHを勝ってきたバーバースタウン、フラミンゴS・ハッチソンSの勝ち馬カレントホープなどだった。1番人気は前哨戦ピーターパンSを12馬身差で制したスルーオゴールド、2番人気がカヴィアトで、ディピューティドテスタモニーは5番人気とかなり混戦模様だった。そんな状況なので、11番人気の低評価だった本馬にもチャンスがあるかと思われたが、そんなに甘くは無く15頭立ての14着(1頭競走中止した馬がいたので実質最下位)。右前脚を故障しながらも勝利を収めたカヴィアト(怪我のためこのレースを最後に引退)から25馬身差をつけられた。

夏場は休養に充て、秋は9月にローレル競馬場で行われた日本中央競馬会H(T8.5F)に出たが、セリマSの勝ち馬でケンタッキーオークス3着のビーミスドから10馬身差の5着と大敗。同月末に出走した分割競走ラトガーズH(GⅡ・T11F)では、いずれも後にGⅠ競走を2勝するウインとヒーローズオナー、ウッドメモリアルSの勝ち馬バウンディングバスクといった有力馬の多くが本馬不在の方に回ったためにチャンスと思われたが、勝ったアーカンソーダービー3着馬エグザイルキングから22馬身差をつけられた9着と惨敗した。

その後はダート路線に戻り、10月にローレル競馬場でダート8ハロンの一般競走に出走して、フォースフルインテントの1馬身1/4差2着。その後はキーストーン競馬場に向かい、11月のミヌットマンH(D8.5F)に出走したが、ここでもフォースフルインテントに敗れて、2馬身3/4差の3着。同月末のサウザンプトンH(D8F70Y)では2着ウィリーワンクに1馬身1/4差で勝利を収め、3歳時の成績は11戦2勝となった。

競走生活(4歳時)

4歳時も現役を続け、5月にキーストーン競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動。ここでは2着シュプリームグロウに6馬身半差をつけて圧勝した。それから11日後に同コースで出走した一般競走も、2着シュプリームグロウに3馬身半差で快勝。この勢いを駆ってメトロポリタンH(GⅠ・D8F)に出走したが、ジェロームH・スタイヴァサントHの勝ち馬フィットトゥファイト、ヴォスバーグS・ジムダンディS・ジェロームHの勝ち馬アフェノメノン、グレイラグHの勝ち馬モロ、後のBCマイル馬コジーンの4頭に後れを取り、勝ったフィットトゥファイト(この後にサバーバンH・ブルックリンHも制してニューヨークハンデキャップ三冠馬となっている)から9馬身差の5着と惨敗した。

翌6月にサフォークダウンズ競馬場で出走したマサチューセッツH(GⅡ・D9F)では、2番手追走という先行策から押し切り、2着ワンドオブトラブルに2馬身1/4差で勝利した。

次走は8月にモンマスパーク競馬場で行われたサルヴェイターマイルH(GⅢ・D8F)となったが、勝ったランプシャスに7馬身半差をつけられて7着に終わった。引き続きモンマスパーク競馬場でフィリップHアイズリンH(GⅠ・D9F)に参戦したが、トムフールS・トゥルーノースHの勝ち馬ビリーヴザクイーン、ペガサスH・セミノールH・ジャージーダービー・オーシャンポートSの勝ち馬ワールドアピール、カーターHの勝ち馬ベットビッグなどに屈して、勝ったビリーヴザクイーンから4馬身3/4差の7着に敗退した。9月にはロッキンガムパーク競馬場に向かい、ニューハンプシャーH(D9F)に出走。結果は後にスタイヴァサントH・サルヴェイターマイルHを勝ちモンマスHで3着するヴァリアントラークの3馬身半差2着とまずまずだった。しかし同月にペンナショナル競馬場で出走したペンシルヴァニアガヴァナーズC(GⅢ・T8.5F)では、勝ったカステレッツから8馬身1/4差をつけられた9着と惨敗。このレースを最後に、4歳時8戦3勝の成績で競走馬生活に別れを告げた。

本馬はグレード競走を2勝しているが、いずれもあまり強いとは言えないメンバー構成で、GⅠ競走には4回出走したが全く通用しなかった。競走馬としては二流という程度の評価しかされない馬だった。

血統

Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Lady Angela Hyperion Gainsborough
Selene
Sister Sarah Abbots Trace
Sarita
Natalma Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Almahmoud Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose 
Mississippi Mud Delta Judge Traffic Judge Alibhai Hyperion
Teresina
Traffic Court Discovery
Traffic
Beautillion Noor Nasrullah
Queen of Baghdad
Delta Queen Bull Lea
Bleebok
Sand Buggy Warfare Determine Alibhai
Koubis
War Whisk War Glory
Tidy Whisk
Egyptian Heliopolis Hyperion
Drift
Evening Mist Eight Thirty
Misty Isle

ノーザンダンサーは当馬の項を参照。

母ミシシッピマッドは現役成績34戦11勝。マッチメイカーS(米GⅠ)・オープンファイアS(米GⅢ)・ホワイトマーシュH(米GⅢ)・シュヴィーHなどに勝ち、ラフィアンH(米GⅠ)・デラウェアH(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)などで2着した活躍馬。4歳時のデラウェアHでは1歳年下の名牝アワーミムズより7ポンド重い斤量を背負い、アワーミムズの鼻差2着だった。ミシシッピマッドの半姉ビーチバギー(父フランシスエス)の子にはビショップスリング【デラウェアオークス(米GⅠ)】がいるが、全体的に近親には活躍馬に乏しい。

同じ牝系からは、サビン【ゲイムリーH(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)】、ミスオシアーナ【アーリントンワシントンラッシーS(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・セリマS(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)・ガゼルH(米GⅠ)・マスケットS(米GⅠ)】、1985年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬ライフズマジック【BCディスタフ(米GⅠ)・オークリーフS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)】、アミリンクス【ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)2回】、2000年のカルティエ賞最優秀短距離馬ニュークリアディベート【ナンソープS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】、ジョシュアツリー【加国際S(加GⅠ)3回】、2012年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬ドーンアプローチ【英2000ギニー(英GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)】などが出ているが、いずれも近親と言うには少し遠いかなという印象。米国顕彰馬セイフリーケプト【BCスプリント(米GⅠ)・テストS(米GⅠ)】も同じ牝系だが、こちらは近親どころか遠縁とも呼べないくらい遠い。→牝系:F4号族④

母父デルタジャッジは、現役時代サプリングS・フォールハイウェイトH・グレーブゼンドH勝ちなど16戦8勝の成績を残した中堅競走馬。種牡馬としては現役時代以上の成功を収め、313頭の産駒のうち31頭がステークスウイナーとなった。日本で優駿牝馬を制したシャダイアイバーの母父にもなっている。デルタジャッジの父トラフィックジャッジはユアホストの父アリバイ産駒で、プレーリーステートS・ウィザーズS・オハイオダービー・ベントナーターフH・ジェロームH・ウッドワードS・ローレルターフC・メトロポリタンH・サバーバンH勝ちなど44戦13勝の成績を残した一流馬。種牡馬としては現役時代よりやや見劣りしたが、それでも22頭のステークスウイナーを出した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、シャープ夫妻が所有するデラウェア州ミドルタウンの牧場で種牡馬となった。米国における馬産の中心地ケンタッキー州からは遠く離れており、しかも現役成績の影響もあり、繁殖牝馬には恵まれなかった。ところが初年度産駒からアスコット金杯を2連覇したドラムタップスなどを輩出。その後も安定して活躍馬を出し、いつの間にか人気種牡馬となっていた。

産駒のステークスウイナーは117頭(そのうちグレード及びグループ競走勝ち馬は43頭)に達している。ノーザンダンサーの有力後継種牡馬は多数いるが、100頭以上のステークスウイナーを出したのは7頭だけだそうであり、本馬はその中の1頭である(他の6頭のうち筆者が確認できた5頭は、155頭のニジンスキー、115頭のリファール、188頭のダンチヒ、135頭のヌレイエフ、323頭のサドラーズウェルズ。残り1頭はおそらくノーザンテースト)。

また、繁殖牝馬の父としてもモナーコスストリートセンスの両ケンタッキーダービー馬や、菊花賞馬デルタブルース、阪神ジュベナイルフィリーズ勝ち馬レッドリヴェールを出すなど活躍。北米母父種牡馬ランキングトップ10の常連となり、2004年には北米母父首位種牡馬を獲得した。

この程度の競走成績でも種牡馬として成功したのは、父ノーザンダンサーの血の凄さか、活躍馬だった母ミシシッピマッドの賜物か。それともこの程度の競走成績でも種牡馬入りさせてくれる米国馬産界の懐の広さのおかげか。本馬の全弟である不出走馬ラグタイムバンドや、同じく本馬の全弟である7戦未勝利馬プロフェッサーブルーが種牡馬入りしたが成功できなかったところを見ると、本馬自身の繁殖能力の高さを最も褒めるべきなのだろう。

こうして現役時代の二流馬という評価を見事に覆して一流種牡馬となった本馬は、その後の2002年にシャープ氏が死去すると、ケンタッキー州レーンズエンドファーム(ここの所有者ウィリアム・スタンプス・ファリッシュⅢ世氏は、シャープ夫妻の娘サラの夫だった)に移動。2008年に持病の関節炎が悪化したため24年間に及ぶ種牡馬生活に幕を下ろした。その後もレーンズエンドファームで余生を送り、2010年4月に老衰のため安楽死の措置が執られた。30歳の大往生だった。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1986

Box Office Gold

テンプテッドS(米GⅡ)

1986

Dixieland Brass

ファウンテンオブユースS(米GⅡ)・ハッチソンS(米GⅢ)

1986

Drum Taps

アスコット金杯(英GⅠ)2回・WLマックナイトH(米GⅡ)・ジェフリーフリアS(英GⅡ)・ローレンスアーマーH(米GⅢ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)・ミラノ金杯(伊GⅢ)2回・ヘンリーⅡ世S(英GⅢ)

1987

Bedeviled

レイザーバックH(米GⅡ)

1988

He is Risen

ポリネシアンH(米GⅢ)

1988

Stark South

ルイジアナダウンズH(米GⅢ)2回

1989

Dixie Brass

メトロポリタンH(米GⅠ)・ウィザーズS(米GⅡ)

1989

Primitive Hall

ノリスタウンH(米GⅢ)

1989

Spinning Round

バレリーナS(米GⅠ)・アルキビアデスS(米GⅡ)・フォワードギャルBCS(米GⅡ)・ヴェイグランシーH(米GⅢ)

1990

Beal Street Blues

デルマーデビュータントS(米GⅡ)

1990

Del Mar Dennis

サンバーナーディノH(米GⅡ)3回・マーヴィンルロイH(米GⅡ)・サンパスカルH(米GⅡ)

1990

Devoted Brass

サンラファエルS(米GⅡ)・スワップスS(米GⅡ)

1990

Didyme

ロベールパパン賞(仏GⅡ)

1990

Dixieland Heat

ルイジアナダービー(米GⅢ)

1990

Snake Eyes

ラウンドテーブルS(米GⅢ)・ホーソーンダービー(米GⅢ)・スターズ&ストライプスH(米GⅢ)

1991

Chimes Band

キングズビショップS(米GⅡ)・フォールハイウェイトH(米GⅡ)・ロシェット賞(仏GⅢ)

1991

Dixie Luck

カムリーS(米GⅡ)

1991

Rhapsodic

ランダルースS(米GⅡ)

1991

Southern Rhythm

レキシントンS(米GⅡ)

1992

Dixieland Gold

ボーモントS(米GⅡ)

1992

Igotrhythm

アグリームH(米GⅡ)・ラスフローレスH(米GⅢ)

1992

Jambalaya Jazz

ケンタッキージョッキークラブS(米GⅢ)・シーオーエリンH(米GⅢ)

1992

Knockadoon

ベンアリS(米GⅢ)

1992

Tajannub

プリンセスマーガレットS(英GⅢ)

1993

Dixie Bayou

ケルソH(米GⅡ)・クリフハンガーH(米GⅢ)

1994

Dixie Flag

ファーストフライトH(米GⅡ)・トップフライトH(米GⅡ)・カムリーS(米GⅢ)・ベッドオローゼズBCH(米GⅢ)

1994

Love That Jazz

ヴァーノンOアンダーウッドS(米GⅢ)

1995

A Lady From Dixie

チュラヴィスタH(米GⅡ)

1995

Jazz Club

クレームフレーシュH(米GⅢ)・ベンアリS(米GⅢ)

1995

Wised Up

フォートマーシーH(米GⅢ)

1996

Mutaahab

ロイヤルロッジS(英GⅡ)

1996

Roaring Twenties

シリーンS(加GⅠ)

1997

Dixie Union

ハスケル招待H(米GⅠ)・マリブS(米GⅠ)・ノーフォークS(米GⅡ)・ハリウッドジュヴェナイルCSS(米GⅢ)・ベストパルS(米GⅢ)

1997

Egyptband

仏オークス(仏GⅠ)・シャンティ大賞(仏GⅡ)

1997

Hook and Ladder

ガルフストリームパークBCスプリントCS(米GⅡ)・ミスタープロスペクターH(米GⅢ)

1998

Bowman's Band

メドウランズCS(米GⅡ)

1998

Shiny Band

シュヴィーH(米GⅡ)

2000

Makhlab

ホーリスヒルS(英GⅢ)

2001

Menhoubah

伊オークス(伊GⅠ)

2002

Dixie Talking

シケーダS(米GⅢ)

2002

Sharp Lisa

ラスヴァージネスS(米GⅠ)・サンタイネスS(米GⅡ)・サンタバーバラH(米GⅡ)

2004

Sandwaki

ボワ賞(仏GⅢ)

2005

Alwajeeha

クイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅠ)・アパラチアンS(米GⅢ)

2005

Simmard

マックディアーミダS(米GⅢ)・ルイビルH(米GⅢ)

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