スウィープ

和名:スウィープ

英名:Sweep

1907年生

黒鹿

父:ベンブラッシュ

母:ピンクドミノ

母父:ドミノ

反賭博運動の影響で早期引退を余儀なくされたベルモントSの勝ち馬は、母の父としてウォーアドミラル、ワーラウェイと2頭の米国三冠馬を送り出す

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績13戦9勝2着2回3着2回

誕生からデビュー前まで

ドミノコマンドコリンなどの所有者として知られる20世紀初頭米国の名馬主ジェームズ・R・キーン氏により、米国ケンタッキー州キャッスルトンファームにおいて生産・所有され、コマンドやコリンなどを手掛けた名伯楽サー・ジェームズ・G・ロウ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳5月にベルモントパーク競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦において、ジェームズ・H・バットウェル騎手を鞍上にデビュー。1番人気に応える8馬身差の圧勝で勝ち上がった。9日後に出走した同コースの一般競走も、R・スコヴィル騎手を鞍上に、2着メダリオンに5馬身差をつけて楽勝した。さらに2日後に出走したナショナルスタリオンS(D5.5F)では、直線コースで後続馬をちぎり捨て、2着ニューマーケットに8馬身差をつけて圧勝。

しかし3戦連続の圧勝劇が仇となって、次走のグレートトライアルS(D6F)では130ポンドという酷量を課されてしまった。その結果、勝ったダルメシアンに6馬身差をつけられて3着に敗れてしまった。次走のサラトガスペシャルS(D6F)も、トレモントS・フラッシュSを勝ってきたウォルドに3馬身差をつけられて2着に敗退した。同コースで行われた次走のハンデ競走では、スコヴィル騎手に代わってバットウェル騎手と再びコンビを組み、2着となった牝馬ルイーズエスに頭差で辛うじて勝利した。しかしその2日後に出走したホープフルS(D6F)では再び130ポンドを課されてしまい、ロッキーオーブルンの1馬身半差2着に敗退。

しかし斤量125ポンドとなったベルモントフューチュリティS(D6F)では、バットウェル騎手がゴール前できつく抑えて減速しながらも、2着キャンドルベリーに6馬身差をつけて圧勝し、その実力を見せ付けた。2歳時は8戦5勝の成績で、後年になってこの年の米最優秀2歳牡馬に選ばれた。

競走生活(3歳時)

その後は8か月間の休養を経て、3歳5月に復帰。復帰初戦のベルモントパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走を2馬身差で楽勝すると、続いてベルモントS(D11F)に参戦。回避馬が続出し、デュークオブオーモンドという馬との僅か2頭立てのレースとなった。結果は単勝オッズ1.1倍という断然の1番人気に支持された本馬が、デュークオブオーモンドに6馬身差をつけて完勝した。

続くカールトンS(D8F)も3/4馬身差で勝利した。ブルックリンダービー(D10F)では、ダルメシアン、プリンスインペリアル(この年のウィザーズS・メトロポリタンH・サバーバンHでいずれも2着)の2頭に屈して、勝ったダルメシアンから4馬身差の3着に敗退した。しかし次走のローレンスリアライゼーションS(D13F)では、2着サフラジストに5馬身差をつけて楽勝した。これが現役最後のレースとなった。

やや早い引退だったが、その理由はおそらく2年前の1908年、ニューヨーク州において賭博禁止法が成立していたことによる。この法律に基づく競馬の締め付けは既に始まっていたが、いよいよ全面的に禁止されることになり(翌1911・12年はベルモントSも施行されなかった)、出るレースが無くなったために本馬も引退に追い込まれたと思われる。3歳時の成績は5戦4勝で、後年になってこの年の米最優秀3歳牡馬に選出された。

血統

Ben Brush Bramble Bonnie Scotland Iago Don John
Scandal
Queen Mary Gladiator
Plenipotentiary Mare 
Ivy Leaf Australian West Australian
Emilia
Bay Flower Lexington
Bay Leaf
Roseville Reform Leamington Faugh-a-Ballagh
Pantaloon Mare
Stolen Kisses Knight of Kars
Defamation
Albia Alarm Eclipse
Maud
Elastic Kentucky
Blue Ribbon
Pink Domino Domino Himyar Alarm Eclipse
Maud
Hira Lexington
Hegira
Mannie Gray Enquirer Leamington
Lida
Lizzie G War Dance
Lecomte Mare 
Belle Rose Beaudesert Sterling Oxford
Whisper
Sea Gull Lifeboat
Wild Cherry
Monte Rosa Craig Millar Blair Athol
Miss Roland
Hedge Rose Neptunus
Woodbine

ベンブラッシュは当馬の項を参照。

母ピンクドミノの詳細な競走成績は不明だが、勝ち星は挙げているようである。

ピンクドミノの牝系子孫はかなり繁栄している。

本馬の半姉キュリオシティ(父ヴォーター)の子には1910年の米最優秀2歳牡馬ノーヴルティー【サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティS・ホープフルS】、孫には1920年のドワイヤーSでマンノウォーに食い下がったジョンピーグリア【クイーンズカウンティH】、曾孫にはダストモール【メイトロンS】、玄孫世代以降には、ジョンヘンリー【サンタアニタH(米GⅠ)2回・バドワイザーミリオン(米GⅠ)・バドワイザーミリオン・サンルイレイS(米GⅠ)2回・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・ハリウッドパーク招待ターフH(米GⅠ)3回・オークツリー招待H(米GⅠ)3回・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・ハリウッドターフカップS(米GⅠ)・サンセットH(米GⅠ)・ターフクラシック(米GⅠ)】、ファミリースタイル【スピナウェイS(米GⅠ)・アーリントンワシントンラッシーS(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・ラカナダS(米GⅠ)】、ヘネシー【ホープフルS(米GⅠ)】、エディターズノート【ベルモントS(米GⅠ)・スーパーダービー(米GⅠ)】、ホールドザットタイガー【仏グランクリテリウム(仏GⅠ)】などがいる。

本馬の半妹スウィーパウェイ(父ワイルドミント)の牝系子孫には、クラフティアドミラル【ガルフストリームパークH2回・ブルックリンH】、レッドゴッド、ボーパープル【ブルックリンH・サバーバンH・マンノウォーS・ワイドナーH】などがいる。

本馬の全妹スワンソングの孫にはサンクスギビング【トラヴァーズS】がいる。

ピンクドミノの半姉ロイヤルローズ(父ロイヤルハンプトン)は世界的名牝系の祖と言える存在で、その子にはペナント【ベルモントフューチュリティS】、牝系子孫にはポットラック【ピムリコフューチュリティ・アーリントンクラシックS・ジョッキークラブ金杯】、ビウィッチ【アーリントンラッシーS・アッシュランドS・ヴァニティH】、インテント【サンタアニタマチュリティS・サンフアンカピストラーノ招待H2回】、ハイヴォルテージ【メイトロンS・セリマS・エイコーンS・CCAオークス】、ジャイプール【ベルモントS・ホープフルS・カウディンS・トラヴァーズS】、ワットアトリート【アラバマS・ガゼルH・ベルデイムS】、ステューペンダス【ホイットニーH】、アイスカペイドラフィアン【エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・ソロリティS(米GⅠ)・スピナウェイS(米GⅠ)】、ビーマイゲスト、マジェスティックライト【スワップスS(米GⅠ)・モンマス招待H(米GⅠ)・エイモリーLハスケルH(米GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)】、グリーンフォレスト【モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】、ゴールデンフリース【英ダービー(英GⅠ)】、ストームキャット【ヤングアメリカS(米GⅠ)】、ロイヤルアカデミー【BCマイル(米GⅠ)・ジュライC(英GⅠ)】、コロナドズクエスト【ハスケル招待H(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】、フサイチペガサス【ケンタッキーダービー(米GⅠ)】、アイランドファッション【アラバマS(米GⅠ)・ラブレアS(米GⅠ)・サンタモニカH(米GⅠ)】、レヴェランス【ナンソープS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】、コックニーレベル【英2000ギニー(英GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)】、オーブ【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)】、サジェスティヴボーイ【ラウル&ラウルEチェバリエル大賞(亜GⅠ)・エストレージャス大賞ジュヴェナイル(亜GⅠ)・ドスミルギネアス大賞(亜GⅠ)・亜ジョッキークラブ大賞(亜GⅠ)・フランクEキルローマイルS(米GⅠ)】、アンクルモー【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)】、レックレスアバンドン【モルニ賞(仏GⅠ)・ミドルパークS(英GⅠ)】、日本で走ったドリームジャーニー【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】、オルフェーヴル【皐月賞(GⅠ)・東京優駿(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)2回・宝塚記念(GⅠ)】などがいる。→牝系:F8号族③

母父ドミノは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のキャッスルトンファームで種牡馬となった。1918・25年に北米首位種牡馬になるなど、種牡馬としても成功した。繁殖牝馬の父としてはさらに優秀で、ウォーアドミラルワーラウェイ、バブリングオーバーと米国三冠馬2頭を含む3頭のケンタッキーダービー馬を輩出し、1937・41年には北米母父首位種牡馬を獲得した。また、牝駒ワシューベルの牝系子孫からは、ケンタッキーオークス馬プリンセスタリアとケンタッキーダービー・プリークネスSの勝ち馬フォワードパスの母子、1961年の米最優秀芝馬ティーヴィーラーク、アリダー、プリークネスSの勝ち馬コーデックス、グランドスラム、阪神三歳牝馬Sの勝ち馬スティンガーなどが、牝駒ラチカの牝系子孫からは、ネイティヴダンサー、桜花賞・優駿牝馬の勝ち馬テイタニヤ、インサイドインフォメーションなどが登場している。本馬は1931年8月に他界したらしいが、1936年に他界したとする資料もある。最終世代の産駒が1932年産まれなので、いずれが正しいという判定は出来ない。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1916

Eternal

ホープフルS・ブルックリンH

1916

Pen Rose

ガゼルH

1918

Leonardo

ホープフルS・ウィザーズS

1920

Untidy

ケンタッキーオークス・アラバマS・ガゼルH

1921

Sheridan

トボガンH

1932

Mantagna

ワイドナーH

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