ササフラ

和名:ササフラ

英名:Sassafras

1967年生

鹿毛

父:シェシューン

母:ルタ

母父:ラティフィケイション

当時無敗を誇っていた英国三冠馬ニジンスキーに初黒星をつけたスタミナ自慢の凱旋門賞馬

競走成績:2・3歳時に仏で走り通算成績11戦6勝2着2回3着1回

誕生からデビュー前まで

ハンガリー人実業家のアルパ・プレシュ氏により仏国ドランスタウン牧場において生産・所有され、仏国フランソワ・マテ調教師に預けられた。主戦は名手イヴ・サンマルタン騎手が務めた。

競走生活(ロワイヤルオーク賞まで)

2歳時にヴィシー競馬場で行われたラブルスブ賞でデビューした。このレースを10馬身差で圧勝して鮮烈なデビューを飾ったが、その後の2歳戦は今ひとつ。2戦目のボルドーグランクリテリウムは、半馬身差の2着に敗退。9月にロンシャン競馬場で出たシェーヌ賞(T1600m)では、エクスペリオの4着に敗退。10月にメゾンラフィット競馬場で出たエクリプス賞(T1300m)でも、ベルモンの5着に敗退。2歳時の成績は4戦して1勝のみとなった。

3歳時は3月にサンクルー競馬場で行われたラグランジュ賞(T2000m)から始動して、マジックホープの2着。4月にはメゾンラフィット競馬場でアンドロクレス賞を勝利。5月にはロンシャン競馬場でフォルス賞(T2000m)に出走して、2着ルヴァルマラールに1馬身半差で勝利した。続いてリュパン賞(T2100m)に出走したが、クリテリウムドサンクルーやギシュ賞を勝っていた同父馬スティンティノ、ノアイユ賞を勝ってきたドラグーンの2頭に後れを取り、勝ったスティンティノから2馬身1/4差の3着に敗れた。

しかし仏ダービー(T2400m)では、仏2000ギニー・イスパーン賞を勝ってきたカロや、後にパリ大賞を勝つロールオブオナーといった強豪相手に激走を見せ、2着ロールオブオナーに3/4馬身差で優勝した。

夏場は休養に充て、秋はロワイヤルオーク賞(T3100m)から始動した。しかしサンクルー大賞3着馬アレツに3馬身差をつけられて2位入線。アレツが本馬に対する進路妨害を取られて2着に降着となったため、本馬が繰り上がって1着になったが、内容的には完敗だったという。

凱旋門賞

次走は凱旋門賞(T2400m)となった。このレースにおける最大の注目馬は、誰が何と言ってもニジンスキーだった。この年の英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャーを制して35年ぶりの英国三冠馬となっていたニジンスキーは、他にもデューハーストS・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSなど11戦無敗で臨んできていた。他の対戦相手は、5年前の凱旋門賞を圧勝したシーバードの息子でサンクルー大賞・オカール賞・ダリュー賞を勝ち英ダービーでニジンスキーの2着だったジル、14年前に凱旋門賞の2連覇を達成したリボーの再来とまで言われていた伊ダービー・イタリア大賞の勝ち馬オーティス、リュパン賞の勝利後にイスパーン賞と英ダービーで3着していたスティンティノ、イスパーン賞・ガネー賞・ギシュ賞・ドラール賞・アルクール賞・ゴントービロン賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞3着のグランディエ、ミラノ大賞・オカール賞・トーマブリョン賞の勝ち馬で前年の仏ダービー2着のボージャンシー、フィユドレール賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞2着のミスダン、前年の英ダービー馬でアスコット金杯・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2着のブレイクニー、プランスドランジュ賞を勝ってきたアチャラ、ドーヴィル大賞の勝ち馬ソワイユなどだった。

ニジンスキーが単勝オッズ1.4倍という圧倒的な1番人気に支持され、ジルが2番人気、オーティスが3番人気で、前走で実質的に完敗を喫していた本馬は4番人気ながらも単勝オッズは20倍という伏兵扱いだった。

スタートが切られると、オーティス陣営が用意したペースメーカー役のラーと、ジル陣営が用意したペースメーカー役のゴールデンイーグルが先頭に立って馬群を牽引。本馬、オーティス、ジル、ブレイクニー、ミスダンなどが先行集団を形成。ニジンスキーはいつもどおり馬群の中団後方からレースを進めた。そのうちにオーティスが失速してジルとミスダンが上がって行き、本馬も続いて上がっていった。直線に入ると本馬が外側からジルとミスダンをかわして先頭に立ったが、さらに外側後方からニジンスキーが一気にやってきて、残り150m地点で本馬に並びかけて前に出た。このままニジンスキーが突き抜けて勝利すると思われた次の瞬間、信じられないことが起こった。ニジンスキー鞍上のレスター・ピゴット騎手が右鞭を使った拍子に、ニジンスキーが大きく左側によれたのである。ニジンスキーに並びかけられた後も粘っていた本馬がその隙に再度先頭を奪ったところがゴールだった。頭差の2着に敗れたニジンスキーは生涯初の敗戦を喫し、本馬はニジンスキーに初黒星をつけた馬として長く語り継がれることになった。

サンマルタン騎手のレース後における第一声は「今日は私が勝った日ではなく、ニジンスキーが負けた日です」だった。ニジンスキーが右鞭を入れられた際によれた原因に関しては、海外の資料において「夏場に患った白癬の影響で万全の状態ではなかった」「レース前にファンや報道関係者がニジンスキーの周囲で大騒ぎして精神的に悪影響を与えた」「英セントレジャーを使ったことによる疲労が溜まっていた」などが挙げられているが、スピードで勝負するタイプのニジンスキーを、本馬の類稀なスタミナと闘争心が上回ったという面も見逃せないところである。

本馬はこの凱旋門賞を最後に3歳時7戦5勝の成績で競走馬を引退。この年の仏最優秀3歳牡馬に選出された。20世紀有数の名馬ニジンスキーの連勝記録を凱旋門賞でストップさせたことであまりにも有名な本馬だが、もちろんただそれだけの馬ではなく、貴重なハリーオン直系の血を引く豊富なスタミナを有する一流馬であった。

血統

Sheshoon Precipitation Hurry On Marcovil Marco
Lady Villikins
Tout Suite Sainfoin
Star
Double Life Bachelor's Double Tredennis
Lady Bawn
Saint Joan Willbrook
Flo Desmond
Noorani Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Empire Glory Singapore Gainsborough
Tetrabbazia
Skyglory Sky-Rocket
Simone
Ruta ラティフィケイション Court Martial Fair Trial Fairway
Lady Juror
Instantaneous Hurry On
Picture
Solesa Solario Gainsborough
Sun Worship
Mesa Kircubbin
Mackwiller
Dame d'Atour Cranach Coronach Hurry On
Wet Kiss
Reine Isaure Blandford
Oriane
Barley Corn Hyperion Gainsborough
Selene
Schiaparelli Schiavoni
Aileen

父シェシューンはプリシピテイションの直子で、現役成績は16戦8勝。3歳時まではそれほど目立った存在ではなかったが、4歳になると素質を開花させ、アスコット金杯・サンクルー大賞・バーデン大賞などを制した。種牡馬としては本馬やスティンティノの活躍により1970年の仏首位種牡馬になっている。本馬以外の代表産駒は、ロワイヤルオーク賞の勝ち馬サモア、クリテリウムデプーリッシュの勝ち馬ヴェラ、リュパン賞の勝ち馬スティンティノ、パリ大賞(仏GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)の勝ち馬プルバン、英2000ギニー(英GⅠ)の勝ち馬モンフィルス、クリテリウムデプーリッシュ(仏GⅠ)の勝ち馬オークヒルなど。日本でも持ち込み馬のシェスキイがクモハタ記念2回・中山記念・安田記念・毎日王冠を勝つなど活躍した。筋金入りの長距離馬であるが、モンフィルスやシェスキイがマイル路線で活躍しているように、決してスタミナだけの馬ではなかった。

母ルタは現役成績3戦1勝。母としては本馬の半弟で日本に種牡馬として輸入されたパーシィコ(父ペティンゴ)などを産んでいる。本馬の半姉タイファ(父タンティエーム)の子にシェシューン産駒のオークヒル【クリテリウムデプーリッシュ(仏GⅠ)】がいる。ルタの牝系子孫はオークヒルや本馬の半妹ラティフィア(父アシュモア)から後世に伸びているが、それほど目立つ活躍馬は出ていない。

ルタの半弟にはロイダゴバート(父シカンブル)【リュパン賞・ノアイユ賞・グレフュール賞】がいる。ルタの母ダムダトールの半妹アンバーリンの孫にはペイサンヌ【ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、曾孫にはポーラーファルコン【スプリントC(英GⅠ)】、玄孫にはルアーヴル【仏ダービー(仏GⅠ)】が、ダムダトールの半妹ディアゴナールの曾孫にはワキリヴァー【クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)】がいる。また、ダムダトールの半妹シャネルの娘で日本に繁殖牝馬として輸入されたシェリル【オペラ賞(仏GⅡ)】はメジロ牧場の基礎繁殖牝馬となり、子にメジロティターン【天皇賞秋・セントライト記念・日経賞】、孫にメジロフルマー【目黒記念(GⅡ)・日経賞(GⅡ)】、メジロアニタ【京都大障害春】、メジロライアン【宝塚記念(GⅠ)・弥生賞(GⅡ)・京都新聞杯(GⅡ)・日経賞(GⅡ)】などを出し、今はなきメジロ牧場の屋台骨を支えた。→牝系:F8号族②

母父ラティフィケイションはコートマーシャルの直子で、現役時代は主にマイル戦で活躍し、コヴェントリーS・リッチモンドS・グリーナムSに勝つなど13戦6勝を挙げた。引退後は英国で種牡馬となったが、それほどの活躍は出来ず、後に日本に輸入された。日本では、阪神大賞典の勝ち馬スインホウシュウや中山記念の勝ち馬ジンデンなどを出し、一定の活躍を示した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国バリーリンチスタッドで種牡馬入りした。しかし、重厚なスタミナ血統が敬遠された事に加えて、健康を害した(一説によると、ダンシングブレーヴが罹患したことで知られるマリー病だったとされる)事もあり、それほどの活躍は出来ないまま1980年に米国ケンタッキー州ピラースタッドに輸出された。その8年後の1988年に21歳で他界し、遺体はピラースタッドに埋葬された。本馬の能力は競走馬の父よりも繁殖牝馬の父として発揮されたようで、BCターフ優勝馬シアトリカルを筆頭に多くの活躍馬を輩出。日本馬ではタイキブリザードなどが本馬を母父として誕生している。なお、本馬の直系は産駒のベイノウンを通じて現在も南米で続いており、北米芝路線で活躍したサンドピットなどが登場している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1972

Henri le Balafre

ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)

1973

Floressa

ロワイヨモン賞(仏GⅢ)

1973

Galway Bay

コヴェントリーS(英GⅡ)・VRCクレーブンAS・VRCジョージアダムスS

1974

Dom Alaric

ドーヴィル大賞(仏GⅡ)・リグスH(米GⅢ)

1974

Glenaris

ハリウッドオークス(米GⅡ)

1975

Naasiri

グレフュール賞(仏GⅡ)

1976

Ho Han Wai

コリーダ賞(仏GⅢ)

1977

Lotar

エマヌエーレフィリベルト賞(伊GⅡ)・プリンチペアメデオ賞(伊GⅡ)・伊セントレジャー(伊GⅡ)

1977

Marmolada

伊オークス(伊GⅠ)・リディアテシオ賞(伊GⅠ)・フェデリコテシオ賞(伊GⅡ)

1977

Moulouki

ジャンドショードネイ賞(仏GⅡ)

1978

Gap of Dunloe

エドヴィル賞(仏GⅢ)

1979

Sorabancies

伊2000ギニー(伊GⅠ)

1981

Baynoun

ジェフリーフリアS(英GⅡ)・クイーンズヴァーズ(英GⅢ)

1983

The Sassman

ロバートFケアリー記念H(米GⅢ)

1984

Come on Sassa

エマヌエーレフィリベルト賞(伊GⅡ)

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