ショットオーヴァー

和名:ショットオーヴァー

英名:Shotover

1879年生

栗毛

父:ハーミット

母:ストレーショット

母父:タクサファライト

牝馬として史上唯一の英2000ギニー・英ダービーの2競走を制した名牝は、世界有数の名牝系の祖ともなる

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績14戦5勝2着2回3着3回

誕生からデビュー前まで

英国の政治家及び貴族だった初代チャップリン子爵ヘンリー・チャップリン卿の生産馬である。1歳時のセリにおいて、初代ウェストミンスター公爵ヒュー・グローヴナー卿の代理人ロバート・ペック調教師により見出された。グローヴナー卿はそれほど馬体が大きくない本馬の事をあまり気に入らなかったようで、購入に際して躊躇ったそうだが、ペック師の強い薦めにより1600ギニーで購入することに同意した。成長しても体高は15.3ハンド程度であり、確かに大きな馬ではなかったが、引き締まって勇敢そうな顔立ちと、すらりとした脚を有しており、外見自体はなかなか良い馬だった。

競走生活(3歳初期まで)

ペック師の管理馬となった本馬だが仕上がりが遅く、デビューは2歳10月となった。しかしそのデビュー戦がいきなり英国2歳戦最大の競走の1つミドルパークプレート(T6F)だったところに、ペック師が本馬に寄せていた期待のほどが伺える。しかしペック師以外の人は評価していなかったようで、単勝オッズ51倍の人気薄。それでも13頭立ての5着(勝ち馬はニューS・ジュライS・英シャンペンSを勝ってきたケルメッセという牝馬)と、人気以上の走りは見せた。次走のプレンダーガストS(T6F)では、バーウィックの2着。続いて出たナーサリーHではマジシャンの着外に敗れて、2歳時は結局3戦未勝利に終わった。この年限りでペック師が調教師を引退したため、本馬はジョン・ポーター厩舎に転厩した。

本馬はこの2歳から3歳になる間の冬季に肉体的に非常に成長し、所有者のグローヴナー卿をして「私が所有する馬の中で最も顕著な成長を見せた馬」と言わしめた。ポーター師が4月に本馬を非公式のトライアル競走に出走させてみたところ、英国クラシック競走を狙うのに十分な走りを見せ、ポーター師を感銘させた。

本馬の同世代には牡馬勢にこれといった馬がおらず、逆に牝馬勢はケルメッセ、リッチモンドS・デューハーストプレート勝ち馬ダッチオーブン、それにセントマルゲリート、本馬の同厩馬ゲハイムニスとタレント揃いだった。そのために陣営は本馬を牡馬相手の英2000ギニー(T8F17Y)に参戦させる事に決めた。正式な出走表明はレース5日前であり、その段階における本馬の前売りオッズは単勝26倍だったが、出走表明を受けて急激に下がり、レース当日には単勝オッズ11倍となっていた。本馬を含む18頭が顔を連ねたレースは悪天候の中で行われ、馬場状態は非常に悪化していた。スタートが切られると、トム・キャノン騎手騎乗の本馬は真っ先にコースに飛び出していき、逃げ馬を先に行かせて好位につけた。そして残り2ハロン地点で仕掛けると、実にあっさりと先頭に立った。そしてそのまま先頭を走り続け、ゴール前では手綱を抑える余裕ぶりで、2着クイックライムに2馬身差、3着マーデンにはさらに4馬身差をつけて完勝。牝馬が英2000ギニーを勝ったのは、1878年のピルグリメージュ以来4年ぶり史上5頭目(1868年のフォーモサは同着であり、その後の決勝戦を回避したから勝ち馬として認められない場合も多く、それを除けば史上4頭目)だった。

それから2日後には英1000ギニー(T8F17Y)に出走した。出走馬は本馬を含めて6頭だけであり、本馬が単勝オッズ1.25倍という圧倒的な1番人気に支持された。しかしさすがに英2000ギニーの疲労が抜け切っていなかったようで、スタート直後の行き脚が前走ほど良くなく、後方からの競馬となってしまった。それでも残り1ハロン地点では先頭に立ったが、後方から差してきたセントマルゲリートとネリーの2頭にゴール前で並びかけられた。そして3着ネリーは頭差抑えたものの、セントマルゲリートに頭差かわされて2着に惜敗した。ちなみにセントマルゲリートもネリーもハーミット産駒であり、上位3頭をハーミット産駒が独占する形となった。

競走生活(3歳中期)

その後は英ダービー(T12F)に直行した。後にパリ大賞を勝利するブルースという牡馬が1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ6.5倍、3歳初戦のダッチオーブンが単勝オッズ9倍で、共に対抗馬としての評価を受けた。スタートが切られて本馬を含む14頭が飛び出していくと、キャノン騎手は本馬を馬群の好位につけた。レースはブルースがマーデンやクイックライム以下を引き連れて先頭を飛ばし、そのままの体勢で丘を越えて下り坂に入ってきた。ところが快調に逃げていたブルースが、ここで飛んできた紙切れに驚き、タッテナムコーナーで外側に大きく膨らむアクシデントがあった。ブルースのすぐ後方につけていた本馬鞍上のキャノン騎手はその隙を逃がさす、外側に膨らんだブルースの内側を突いた。そして直線では、ブルースに代わって先頭に立ったクイックライム、体勢を立て直したブルース、そして本馬の3頭が先頭争いを展開。この3頭のうち直線半ばで一番脚色が良く見えたのはクイックライムであり、そのまま押し切って勝つかと思われた。しかしゴール前でキャノン騎手の激に応えた本馬が一気にクイックライムを抜き去り、3/4馬身差をつけて優勝した。牝馬が英ダービーを勝ったのは1857年のブリンクボニー以来25年ぶり史上3頭目で、英2000ギニーと英ダービーをダブル制覇した牝馬は本馬が史上初(現在でも史上唯一)という快挙だった。

それから2日後の英オークスにもエントリーはしていたが、結局は回避となった。本馬不在の英オークスは同厩馬ゲハイムニスがセントマルゲリートを2着に、ネリーを3着に破って勝利した。英オークスを見送った本馬はその代わりにアスコットダービー(T12F・現キングエドワードⅦ世S)に向かった。対戦相手4頭は全て牡馬だったが、斤量は本馬のほうが重くなった。キャノン騎手は慎重に本馬を最後方から進ませ、直線に入ると内側を突いて他馬勢を全て抜き去った。そして2着となったセントジェームズパレスS勝ち馬バトルフィールドに4馬身差をつけて圧勝した。その後に出走したトリエニアルS(T7F・現ジャージーS)では対戦相手が集まらず、単走で勝利した。

競走生活(3歳後期)

その後は秋の英セントレジャー(T14F132Y)に向かった。ここでは1866年のロードリオン以来16年ぶり史上4頭目の英国三冠馬が懸かっていただけでなく、前述のとおり英2000ギニーと英ダービーを両方勝った牝馬は本馬が史上初だったから、牝馬として史上初の英国三冠馬という栄誉も懸かっていた。このレースには本馬と同厩のゲハイムニスも参戦してきて、2頭の初対決となった。ゲハイムニスと本馬は同厩ではあっても馬主が異なっており、ポーター師にしてみれば本馬の英国三冠達成だけに拘るわけにはいかなかった。キャノン騎手は本馬だけでなくゲハイムニスの主戦も務めていたのだが、彼は何故か2頭のいずれでもなくロメオという牡馬に騎乗する事になった。理由は資料に記載が無く不明であるが、下手に片方に騎乗するともう一方の所有者に嫌われることを避けたのかもしれない(ゲハイムニスの所有者第7代スタンフォード伯爵ジョージ・グレイ卿も英国の有力な貴族及び馬主だった)。

ゲハイムニスが単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持され、ロシター騎手騎乗の本馬は単勝オッズ8倍に留まった。牝馬が4頭、牡馬が10頭の合計14頭がスタートと同時に飛び出していくと、まずはヨークシャーオークス2着馬アクトレスが先頭に立ち、本馬は好位で様子を伺った。そして直線に入ってきたのだが、ここからいつものような末脚を披露することが出来なかった。レースは直線でいったん先頭に立ったゲハイムニスを、最後方からの追い込みに賭けたダッチオーブン(英ダービーで着外に敗れた後にヨークシャーオークスを3馬身差で勝ったが、前走グレートヨークシャーSで完敗したためにここでは単勝オッズ41倍の人気薄だった)が一気にかわして優勝。ゲハイムニスはダッチオーブンから1馬身半差の2着で、本馬はゲハイムニスからさらに4馬身差の3着に敗れた。この年の英セントレジャーは上位3頭を全て牝馬が占めることになったが、これは同競走史上において現在でも唯一の出来事だった。また、この年の英国クラシック競走は全て牝馬が勝利した事になったが、これもまた現在でも史上唯一の出来事だった。

英国三冠馬の栄誉を逃してしまった本馬は、それから2日後のパークヒルS(T14F132Y)に出走した。英セントレジャーと同コースの競走であり、日程面だけでなく距離面でも不安視されたはずだが、キャノン騎手が鞍上に戻ってきた本馬が単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された。レースでは4頭立ての3番手を進み、残り1ハロン地点で満を持して仕掛けると、瞬く間に先頭に立って突き抜けた。そしてゴール前では馬なりのまま走り、2着ウィンブロッサムに4馬身差をつけて圧勝した。その後はニューマーケット競馬場に向かい、セレクトSに出走。対戦相手は2頭の牝馬のみだったが、その2頭はミドルパークプレートで本馬を破ったケルメッセと、英1000ギニー・英オークスでいずれも3着のネリーだった。そして他2頭に対して10ポンドのハンデを与えることになった本馬は、斤量差が響いて3着最下位に敗れた。ちなみにレースはケルメッセとネリーが同着でゴールして、その後の決勝戦をネリー陣営が拒否したために結局2頭共に勝ち馬という事になっている。3歳時の成績は8戦5勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時も現役を続け、まずは4月のシティ&サバーバンH(T10F)から始動した。単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持されたが、1歳年上の牡馬ロイスタラーの着外に敗退。しかしロイスタラーの斤量は98ポンドで、本馬は121ポンドだったから、その差は23ポンドもあった。次走は5月のエプソム金杯(T12F10Y・現コロネーションC)だった。このレースにはハードウィックS・ジュライC・ドーヴィル大賞・英チャンピオンSなどを勝っていた1歳年上の牡馬トリスタンも出走してきた。トリスタンも本馬と同じくハーミット産駒であり、このレースはハーミットの牡牝の代表産駒同士の対決となった。しかし3馬身差で楽勝したトリスタンに対して、本馬は4頭立ての4着最下位に敗れ、好勝負にはならなかった。次走にはアスコット金杯が予定されていたが回避(トリスタンが快勝している)し、代わりにトリエニアルS(T7F)に出走した。しかし19ポンドのハンデを与えた牡馬パレルモの3着に終わり、4歳時3戦未勝利で現役を引退した。

血統

Hermit Newminster Touchstone Camel Whalebone
Selim Mare
Banter Master Henry
Boadicea
Beeswing Doctor Syntax Paynator
Beningbrough Mare
Ardrossan Mare Ardrossan
Lady Eliza 
Seclusion Tadmor Ion Cain
Margaret
Palmyra Sultan
Hester
Miss Sellon Cowl Bay Middleton
Crucifix
Belle Dame Belshazzar
Ellen
Stray Shot Toxophilite Longbow Ithuriel Touchstone
Verbena
Miss Bowe Catton
Orville Mare
Legerdemain Pantaloon Castrel
Idalia
Decoy Filho da Puta
Finesse
Vaga Stockwell The Baron Birdcatcher
Echidna
Pocahontas Glencoe
Marpessa
Mendicant Touchstone Camel
Banter
Lady Moore Carew Tramp
Kite

ハーミットは当馬の項を参照。

母ストレーショットは詳細な競走成績が不明だが、全妹のベルフィービーが英1000ギニー・コロネーションSの勝ち馬、伯父ビーズマンが英ダービー馬で名種牡馬、祖母メンディカントが英1000ギニー・英オークスの勝ち馬という良血馬だった。

本馬の全妹ペニテントの牝系子孫には、ワードン【ワシントンDC国際S・ローマ賞】、ルファビュリュー【リュパン賞・仏ダービー】、亜国から米国に移籍した無敗の名馬キャンディライド【サンイシドロ大賞(亜GⅠ)・ホアキンSデアンチョレーナ大賞(亜GⅠ)・パシフィッククラシックS(米GⅠ)】などがいる。

本馬の全妹シーシェルの孫にはシフレ【仏2000ギニー】、牝系子孫にはイエール【パリ大障害3回】などが、本馬の全妹シルヴァーシーの子にはロードボブス【デューハーストS・ジュライC】が、本馬の半妹アンブレサイド(父ペトラーク)の孫にはクエリード【仏共和国大統領賞】、曾孫にはアリスティッポ【ローマ賞・ミラノ大賞】がいるが、この3頭の牝系はあまり発展していない。

また、ストレーショットの半妹マグダレン(父ハーミット)の牝系子孫には、名種牡馬プリンスリーギフトデザートオーキッド【キングジョージⅥ世チェイス4回・チェルトナム金杯・ティングルクリークチェイス・愛グランドナショナル】、ロックソング【ナンソープS(英GⅠ)・アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)2回】、ビッグゼブ【クイーンマザーチャンピオンチェイス(英GⅠ)・パディパワーダイアルAベットチェイス(愛GⅠ)3回・パンチェスタウンチャンピオンチェイス(愛GⅠ)】、エイブルフレンド【香港マイル(香GⅠ)・香港スチュワーズC(香GⅠ)・クイーンズシルバージュビリーC(香GⅠ)・チャンピオンズマイル(香GⅠ)】、それにビワハヤヒデ【菊花賞(GⅠ)・天皇賞春(GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)】、ナリタブライアン【朝日杯三歳S(GⅠ)・皐月賞(GⅠ)・東京優駿(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】、ファレノプシス【桜花賞(GⅠ)・秋華賞(GⅠ)・エリザベス女王杯(GⅠ)】、キズナ【東京優駿(GⅠ)】、アドマイヤジュピタ【天皇賞春(GⅠ)】といった日本の名馬達が出ている。→牝系:F13号族①

母父タクサファライトは現役成績13戦9勝、アスコットダービーなどを勝っているが、英ダービーは惜しくも2着だった。19世紀豪州最高の名馬カーバインの父方の祖父としても知られる。タクサファライトの父ロングボウはスチュワーズCの勝ち馬で、ロングボウの父イズリエルはタッチストン産駒。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、グローヴナー卿が所有するイートンスタッドで繁殖入りした。母としては1891年の英チャンピオンSを勝った牡駒オリーン(父ベンドア)、英国三冠馬アイシングラスが勝った1894年のプリンセスオブウェールズSで、英2000ギニー・英ダービー勝ち馬ラダスや、アイシングラスの好敵手ラヴェンズベリとレーバーン達に先着する短頭差2着に入った牡駒バリンドン(父メルトン)などを産んだ。晩年は不受胎が続いたため、19歳時の1898年に安楽死の措置が執られた。

本馬の繁殖成績は、悪くは無いが競走馬時代ほどではないといったところだったが、優秀な牝系を構築して後世に大きな影響力を残したという点においては、競走馬時代を上回る成功を収めたと言えるだろう。

牝駒イシス(父ベンドア)の牝系子孫からは、デヴィルダイヴァー【ホープフルS・メトロポリタンH3回・カーターH・ブルックリンH・ホイットニーS・サバーバンH】、ブルーマン【プリークネスS・フラミンゴS・ドワイヤーS】、日本で活躍した1964年の啓衆社賞最優秀五歳以上牝馬及び最良短距離馬トーストと、その妹である重賞5勝馬フラワーウッド、トーストの息子である1977年の東京優駿勝ち馬ラッキールーラ、重賞5勝のジュウジアローなどが登場した。

また、牝駒オルニス(父ベンドア)の孫には大繁殖牝馬フリゼットが出現。その牝系子孫の詳細はフリゼットの項に譲るが、主だった子孫をここに挙げると、トウルビヨンパーソロンダリアミスタープロスペクターシアトルスルーといったところで、それ以外にも日本を含む各国の活躍馬が多く出ている。

また、牝駒シムーン(父セントサイモン)は南米の名門牝系として発展して、ダークブラウン【ダービーパウリスタ大賞(伯GⅠ)・サンパウロ大賞(伯GⅠ)・クルゼイロドスル大賞(伯GⅠ)・伯ラティーノアメリカーノジョッキークラブ協会大賞(伯GⅠ)】など多くの活躍馬を出し、今世紀にも続いている。

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