和名:テトラテーマ |
英名:Tetratema |
1917年生 |
牡 |
芦毛 |
父:ザテトラーク |
母:スコッチギフト |
母父:シミントン |
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父ザテトラーク譲りの快速で2歳時から猛威を振るい英2000ギニーを制覇するなど英国短距離界を席巻したトキノミノルの祖父 |
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競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績16戦13勝2着1回 |
“驚異の斑点”の異名をとった芦毛の快速馬ザテトラークの牡馬の代表産駒で、父譲りの素晴らしいスピードを武器に短距離戦で活躍した。
誕生からデビュー前まで
ザテトラークの共同馬主だったダーモット・マッカルモント少佐が、自身の所有する愛国バリーリンチスタッド(ザテトラークが種牡馬生活を送っていた)において生産・所有した。父と同じく芦毛馬であり、ある評論家は「醜くて注目するに値しない」と酷評したという。マッカルモント少佐の従兄弟でザテトラークのもう1人の共同馬主兼調教師でもあったヘンリー・シーモア・“アティー”・パース師に預けられ、豪州出身のブラウニー・カースレイク騎手が主戦を務めた。
競走生活(2歳時)
2歳7月にサンダウンパーク競馬場で行われたナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)でデビューして、2着となった牝馬レディフィービィー以下を圧倒して勝利した。同月にはグッドウッド競馬場で行われたモールコームS(T5F)に単勝オッズ1.5倍という断然の1番人気で登場。まったくの馬なりのまま走り、ニューSの勝ち馬オルフェウスを4馬身差の2着に破って完勝した。3戦目は9月にドンカスター競馬場で行われた英シャンペンS(T6F)となった。そしてここでもオルフェウスを4馬身差の2着に、後の愛ダービー馬ヒーゴーズを3着に破って快勝した。翌10月にはケンプトンパーク競馬場で行われたインペリアルプロデュースプレート(T6F)に出走。本馬を恐れた他馬陣営の回避が多かったために対戦相手は僅か2頭となってしまい、本馬が6馬身差で勝利した。それから英国の最重要2歳戦であるミドルパークプレート(T6F)に向かった。そして単勝オッズ1.25倍という圧倒的な1番人気に応えて、2着となったジムクラックSの勝ち馬サザンに6馬身差をつけて圧勝した。当時の報道には「対戦相手4頭をこてんぱんにやっつけた」とある。
2歳時は5戦全勝の成績で、2歳フリーハンデでは、コヴェントリーS・ジュライS・クリテリオンS勝利など6戦5勝の成績を残した同じザテトラーク産駒のサーチドンに12ポンド差をつけてトップにランクされ、英最優秀2歳牡馬に選ばれた。英国2歳フリーハンデにおいて2位の馬に12ポンド以上の差をつけた馬は史上本馬1頭のみである(父ザテトラークでも10ポンド差)。この年に本馬が獲得した賞金総額は1万951ポンドで、3歳以上の馬も含めて英国調教馬ではトップとなった。英国競馬関係者からの評価も軒並み高く、「電撃のような速さ」「リズミカルの極致」「驚くべき最高の2歳馬」と言われた。英ブラッドストックエージェンシー社が発行している“The Bloodstock Breeders' Review(ブラッドストック・ブリーダーズ・レビュー)”には、本馬はザテトラークに匹敵するかそれ以上かもしれないという説が掲載された。
ところで、本馬が2歳戦で猛威を振るっている頃、大西洋を挟んだ米国でもマンノウォーという名前の2歳馬が猛威を振るっていた。本馬とマンノウォーはどちらが強いのかという議論が英国や米国内で盛んにかわされ、2頭のマッチレースを行うべきだという意見も噴出した。もしこの2頭が対戦していたらと考えると筆者的にはわくわくするのだが、実現はしなかった。英国最強馬と米国最強馬の直接対決が実現するのは、この4年後の1923年に実施されたケンタッキーダービー馬ゼヴと英ダービー馬パパイラスのマッチレースまで待たねばならなかった。さて、本馬は当然のように英ダービーの最有力候補に祭り上げられたわけだが、距離が保つかどうか疑問であるという声も上がり、ロンドンスポーツマン紙のW・アリソン記者は「1マイルが限度ではないか」と、後から見れば非常に的確な見解を述べた。
競走生活(3歳時)
ひとまず3歳時は英2000ギニーを目標として、4月にニューベリー競馬場で行われたグリーナムS(T7F)から始動した。過去の本馬のレースぶりは後方待機策が多かったが、ここではスタートから逃げを打った。しかし生憎の不良馬場に脚を取られてスタミナを浪費してしまい、3ポンドのハンデを与えたシルヴァーン(後にコロネーションC・リヴァプールセントレジャーを勝ちエクリプスS・英セントレジャー・セントジェームズパレスSで2着している)に残り1ハロン地点で差されて半馬身差の2着に敗れた。本馬が初黒星を喫したという一報に、英国競馬界は大騒ぎになったという。
それから19日後の英2000ギニー(T8F)では、単勝オッズ3倍の1番人気となった。ここでは好スタートを切ると単騎の逃げに持ち込み、そのまま2着となった後のセントジェームズパレスS・ニューマーケットSの勝ち馬アレンバイに1馬身差、3着となった後のグレートジュビリーH・シティ&サバーバンHの勝ち馬パラゴンにはさらに3馬身差をつけて逃げ切った。芦毛馬が英2000ギニーを勝ったのは、1838年のグレイモーマス以来82年ぶりだった。勝ちタイムは公式には1分43秒2とされているが資料によって差異が大きく、一番速いものでは1分39秒8となっている(1分43秒6、1分44秒6などの数字もある)。
続く英ダービー(T12F)でも、サーチドン、アレンバイ、オルフェウスなどを抑えて単勝オッズ4倍の1番人気となった。エプソム競馬場には英国王ジョージⅤ世とメアリー王妃を含む25万人の大観衆が詰め掛けた。このレースでは、父ザテトラークの主戦だったスティーヴ・ドノヒュー騎手が手綱を取るアボッツトレイス(ニアークティックの母でノーザンテーストの祖母であるレディアンジェラの母父として血統界に名を残す)に競りかけられて、スタートから非常に速いペースで先頭を走った。一時期は3番手以下に10馬身もの差をつけたが、レース中盤では既にスタミナが切れて、直線に入る前には失速。そのまま14着に惨敗した。勝ったのは単勝オッズ17.67倍の伏兵スピオンコップで、2馬身差の2着にアルカイック、3着にはかつてモールコームSや英シャンペンSで本馬に屈したオルフェウス、4着には本馬と同父のサーチドンが入った(本馬に競りかけたアボッツトレイスはレース終盤でサーチドンと接触した拍子に転倒して競走中止となった)。本馬が刻んだハイペースの影響により、スピオンコップの勝ちタイム2分34秒8は、1910年にレンベルグが計時した2分35秒2を更新する、エプソム競馬場12ハロン29ヤードで行われた英ダービーのレースレコードとなった。
英ダービーから2週間後にはアスコット競馬場に移動してファーンヒルS(T5F)に出走。ここでは単勝オッズ1.73倍の1番人気に応えて、2着ゴールデンゲートに6馬身差をつけて圧勝した。
次走はエクリプスS(T10F)となった。英ダービーは距離が長すぎたが、この距離ならばどうかといったところだったが、結果は前年のエクリプスS・英チャンピオンS・プリンセスオブウェールズS・クレイヴンSを勝ち英2000ギニー・英ダービー2着・英セントレジャー3着だった4歳馬バッカン(昭和初期の日本競馬界をリードした大種牡馬シアンモアの父)の5着に敗れた。当時10ハロン路線では最強を誇っていたバッカンに敗れたのは致し方ないにしても、1馬身半差の2着だったシルヴァーンや、さらに2馬身差の3着だったアレンバイといった同世代馬にも後れを取る結果となってしまった。これにより、以後は完全に短距離路線に的を絞ることになった。
まずは7月にグッドウッド競馬場で行われたキングジョージS(T5F)に出走。ここでは3年前の英1000ギニーを勝ち英オークスで2着するも、5歳時に短距離路線に転向してキングズスタンドS・ジュライC・ロウス記念Sをいずれも2連覇するなど大活躍していた6歳牝馬ダイアデム(最終的に39戦24勝の成績を残し、ダイアデムSのレース名にその名を残している)が対戦相手となった。ここでは2歳時に採っていた後方待機策に戦法を戻し、先に抜け出したダイアデムを差し切って3/4馬身差で勝利した。ちょうどこの頃、マッカルモント少佐に対して本馬を売ってほしいという申し込みがあったが、マッカルモント少佐がそれを拒否したという噂が流れた。その真偽は明らかではないが、噂された申込価格は10万ポンド(今日の価格に換算すると約10億円)だったと言われており、本馬に対する評価の高さが伺える。その後はニューマーケット競馬場で行われたケンネット3歳S(T6F)を勝利して、3歳時を7戦4勝の成績で終えた。
競走生活(4歳時)
4歳時は、6月にアスコット競馬場で行われたキングズスタンドS(T5F)から始動。ここではヴェンセドールという評判馬が対戦相手となった。本馬には143ポンドという酷量が課せられたが、それでも単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。結果は1分01秒8というタイムで走破した本馬が1馬身差で勝利した。着差は小さかったが、カースレイク騎手はその気になればもっと差をつけて勝つことが出来たと語った。次走のジュライC(T6F)では、3歳牝馬プリンセスオブマーズを一蹴して勝利。さらにキングジョージS(T5F)に出走。ここでは何度か本馬と対戦したことがあるオルフェウスが改めて本馬に挑んできた。オルフェウスは前年の英ダービー3着後に英チャンピオンS・デュークオブヨークHを勝ち、この年もプリンセスオブウェールズS・英チャンピオンSを勝つという強豪馬に成長していた。しかし短距離戦ではやはり本馬に一日の長があったようで、結果は本馬が2着オルフェウスに1馬身差で勝利した。これも着差は小さかったが、カースレイク騎手は鞭を振るう素振りさえも見せず、ゴール前では流しての勝利だった。
それから間もなくの8月にいったん競走馬引退が発表されたが、すぐに撤回されて、10月にニューマーケット競馬場で行われたスネイウェルS(T5F)の1戦のみ走ることになった。ここでは136ポンドの斤量が課せられたが、1分01秒6のタイムで走破して楽勝。これを最後に4歳時4戦4勝の成績で競走馬を引退した。6ハロン以下の短距離戦では生涯無敗だった。
本馬はとても内気な馬で、他馬にはあまり近づこうとしなかったらしいが、その一方で非常に賢い馬でもあったそうである。嘘か真か、スタートからゴールまでレース展開を自分で判断していたとまで言われている。スタート直後は馬群を避けるように後方に位置を取り、レース半ばで他馬をかわしながら位置取りを上げて行き、最後は自分で勝手にスパートをかけて勝利していたのだという。カースレイク騎手は落馬しないように気をつけていれば良く、手綱操作の必要も無ければ、鞭を使う機会も1度も無かったという。英2000ギニーや英ダービーで逃げを打ったのは、他頭数の競走で馬群に包まれて脚を余すのを本馬が危ぶんだからだとまで言われるほどである。
血統
The Tetrarch | Roi Herode | Le Samaritain | Le Sancy | Atlantic |
Gem of Gems | ||||
Clementina | Doncaster | |||
Clemence | ||||
Roxelane | War Dance | Galliard | ||
War Paint | ||||
Rose of York | Speculum | |||
Rouge Rose | ||||
Vahren | Bona Vista | Bend Or | Doncaster | |
Rouge Rose | ||||
Vista | Macaroni | |||
Verdure | ||||
Castania | Hagioscope | Speculum | ||
Sophia | ||||
Rose Garden | Kingcraft | |||
Eglentyne | ||||
Scotch Gift | Symington | Ayrshire | Hampton | Lord Clifden |
Lady Langden | ||||
Atalanta | Galopin | |||
Feronia | ||||
Siphonia | St. Simon | Galopin | ||
St. Angela | ||||
Palmflower | The Palmer | |||
Jenny Diver | ||||
Maund | Tarporley | St. Simon | Galopin | |
St. Angela | ||||
Ruth | Scottish Chief | |||
Hilda | ||||
Ianthe | The Miser | Hermit | ||
La Belle Helene | ||||
Devonshire Lass | Hampton | |||
Hippodrome |
父ザテトラークは当馬の項を参照。
母スコッチギフトはサマーヴィルSの勝ち馬。その産駒には、本馬の半兄ロイデコス(父ロイヘロド)【クレイヴンS】、全兄アーチギフト【ブレットビーS】、1926年の英最優秀2歳牡馬に選ばれた全弟ザサトラップ【ジュライS・リッチモンドS・チェシャムS】などがいる。
本馬の半姉ラムミント(父スペアミント)の曾孫に加国顕彰馬キングアーヴィー【キングズプレート(現クイーンズプレート)・加CSS】が、本馬の半妹アストライア(父サンスター)の牝系子孫にゲイブリーフ【英チャンピオンハードル・エイントリーハードル】などが、スコッチギフトの全妹モーンディサーズデイの牝系子孫に、アクラミティス【AJCサイアーズプロデュースS・アスコットヴェイルS】、リトルブラウンジャグ【新2000ギニー(新GⅠ)・アンダーウッドS(豪GⅠ)】などが、スコッチギフトの全妹ラモーラの曾孫にブルーベア【仏1000ギニー】、玄孫世代以降に、マスターボーイング【ワシントンDC国際S】、ルパイヨン【凱旋門賞・仏チャンピオンハードル】、イヴレス【独1000ギニー・独オークス】、日本で走ったイソノルーブル【優駿牝馬(GⅠ)】などがいる。→牝系:F14号族②
母父シミントンはエアシャー産駒。現役成績12戦2勝と平凡な競走馬で、種牡馬としてもそれほど成功は出来なかった。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のバリーリンチスタッドで種牡馬入りした。本馬は種牡馬としても成功し、1929年には英愛首位種牡馬に輝くなど、1928年から10年連続で英愛種牡馬ランキング10位以内に入った。1939年7月に20歳で他界した。3頭の英セントレジャー勝ち馬を出すなど長距離馬も輩出した父ザテトラークと異なり、本馬の産駒は仕上がり早い快速馬ばかりであり、10ハロンを克服した子は稀にいるが、それを超える距離で活躍した子はいない。母父としては、英2000ギニー・サセックスSを勝ったパレスタインなどを出した。エクワポイズ、トップフライト、シルヴァースプーン、カウンターポイントなどの馬主として知られる米国の名馬産家コーネリウス・ヴァンダービルト・ホイットニー氏は本馬のことを高く評価しており、本馬の産駒を積極的に導入した。その中で最も成功したと言えるのはロイヤルミンストレルで、ファーストフィドル(メジロアサマの母父)など活躍馬を多く出した。また、日本には直子のセフトが種牡馬として輸入され、無敗の二冠馬トキノミノルを筆頭に数々の名馬を出し、5度の首位種牡馬となって日本競馬の発展に大きく貢献した。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1923 |
Doushka |
ヨークシャーオークス |
1924 |
Fourth Hand |
愛2000ギニー |
1925 |
Royal Minstrel |
エクリプスS・セントジェームズパレスS・クレイヴンS・コーク&オラリーS |
1925 |
Stadacona |
クイーンメアリーS |
1926 |
Mr. Jinks |
英2000ギニー・セントジェームズパレスS・ニューS・ジュライS |
1926 |
Tiffin |
チェヴァリーパークS・ジュライC・キングジョージS |
1927 |
Teacup |
ジュライS |
1928 |
Atbara |
クイーンメアリーS |
1928 |
Four Course |
英1000ギニー・ジュライS・リッチモンドS・ジムクラックS |
1928 |
The Leopard |
チェヴァリーパークS |
1929 |
Strathcarron |
キングジョージS |
1929 |
Timadora |
アランベール賞 |
1930 |
Myrobella |
ジュライC・英シャンペンS・キングジョージS・チャレンジS |
1931 |
Alishah |
ジュライS・ディーS |
1931 |
Bazaar |
ホープフルS・テストS |
1932 |
Lady Gabrial |
チェヴァリーパークS |
1932 |
グリーナムS |
|
1933 |
Crosspatch |
モールコームS |
1934 |
Flying Thoughts |
ジョンシェール賞 |
1934 |
Foray |
ジュライS・英シャンペンS・キングズスタンドプレート |
1935 |
Pumpkin |
サラトガスペシャルS |
1936 |
Prometheus |
ジュライS |