ヴィミー

和名:ヴィミー

英名:Vimy

1952年生

鹿毛

父:ワイルドリスク

母:ミミ

母父:ブラックデヴィル

英国調教馬以外として初のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬は日本で種牡馬として活躍する

競走成績:2・3歳時に仏英で走り通算成績6戦4勝2着1回

誕生からデビュー前まで

仏国の歴史的ファッションデザイナーだったココ・シャネル女史と組んで成功を収めた服飾業者で、馬産活動も行っていたピエール・ヴェルトハイマー氏により生産・所有された仏国産馬で、ヴェルトハイマー氏の専属調教師だったアレック・ヘッド調教師が管理した。

競走生活

2歳時は、スタートで致命的に出遅れたデビュー戦で着外に敗退。2戦目の距離1300m戦で勝ち上がったが、陣営は本馬を距離が伸びて良い馬だと判断したようで、2歳戦はこの2戦のみで終えた。

3歳時は距離不足の仏2000ギニーは目指さず、仏ダービーを目標とした。まずは4月にメゾンラフィット競馬場でラグランジュ賞(T2000m)に出走して、ノルディックと同着で勝利。次走のノアイユ賞(T2200m)では、ラグランジュ賞で3着だったジノスカを4馬身差の2着に破って圧勝した。そして迎えた仏ダービー(T2400m)だったが、オカール賞を勝って臨んできたラパスとのゴール前の大接戦で敗れて、短頭差の2着に終わった(3着馬ベニエには6馬身差をつけていた)。馬主のヴェルトハイマー氏は、馬場状態が悪かった事を敗因として挙げた。

その後は英国に渡って、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(T12F)に挑戦。主な対戦相手は、英ダービーとパリ大賞を勝ってきたフィルドレーク、エイコムS・ニューマーケットSの勝ち馬で英ダービー3着のアクロポリス、ニューマーケットS・カンバーランドロッジS・ハードウィックSの勝ち馬で前年の英セントレジャー・英チャンピオンS2着のイロープメント、ベレスフォードS・ガリニュールSの勝ち馬アークティックタイムなどだった。フィルドレークが単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持される一方で、ロジャー・ポワンスレ騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ11倍に留まった。スタートが切られると、単勝オッズ6.5倍のアクロポリスが先頭に立って馬群を牽引し、2馬身ほど後方をアークティックタイムやフィルドレークが追走。本馬は馬群の中団につけた。そのままの態勢で直線に入ると、伸びを欠くフィルドレークを尻目にアクロポリスが快調に逃げ脚を伸ばした。本馬は直線入り口でもまだ馬群の中で揉まれていた。しかし鞍上のポワンスレ騎手が仕掛けると、本馬は一気にスパート。残り1ハロン半地点で2番手に上がると、残り1ハロン地点でアクロポリスに並びかけた。そして内側で粘るアクロポリスを競り落として、2着アクロポリスに頭差、3着イロープメントにはさらに3馬身差をつけて勝利した(フィルドレークは6着だった)。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを英国調教以外の馬が勝ったのは創設5年目で初めての事だった。レース後にヴェルトハイマー氏は、デビュー戦の出遅れと仏ダービーの馬場状態の悪さという不運が無ければ、無敗のまま勝つことが出来たはずですと語った。

その後は英セントレジャーやワシントンDC国際Sに出走する計画もあったらしいが、結局キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS以降はレースに出ることなく、3歳時4戦3勝の成績で競走馬を引退した。

この年の秋はメルドが英セントレジャーを勝って英国牝馬三冠を達成したり、伊国からやって来たリボーが凱旋門賞を楽勝したりしたため、春の活躍馬は相対的に印象が地味になってしまった。英タイムフォーム社のレーティングでも本馬とフィルドレークの2頭は共に132ポンドで、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2着後に出走したグレートヴォルティジュールSを勝ったアクロポリスと同値であり、この年トップの短距離馬パッパフォーウェイより7ポンド低かった。それでも130ポンド以上であれば平均値以上ではあるし、この年のリボーは133ポンド、メルドは128ポンド、仏ダービーで本馬を破ったラパスは130ポンドだったから、本馬の評価が抑えられたわけではないようである。

血統

Wild Risk Rialto Rabelais St. Simon Galopin
St. Angela
Satirical Satiety
Chaff
La Grelee Helicon Cyllene
Vain Duchess
Grignouse Kilglas
Simper
Wild Violet Blandford Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Wood Violet Ksar Bruleur
Kizil Kourgan
Pervencheres Maboul
Poet's Star
Mimi Black Devil Sir Gallahad Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
La Palina Ambassador Dark Ronald
Excellenza
Parthenis Ajax
Medeah
Mignon Epinard Badajoz Gost
Selected
Epine Blanche Rock Sand
White Thorn
Mammee Bruleur Chouberski
Basse Terre
Mackwiller Verwood
Marveldt

ワイルドリスクは当馬の項を参照。

母ミミは現役時代仏国で走り3勝。シュマンドフェールデュノール賞で2着がある。繁殖牝馬としては本馬の半妹ミジェット(父ジェベ)【チェヴァリーパークS・コロネーションS・フォレ賞・クイーンエリザベスⅡ世S・モートリー賞・モーリスドギース賞】も産んでいる。ミジェットの子にはミゲ【チェヴァリーパークS】、孫にはマビッシュ【英1000ギニー(英GⅠ)・ロベールパパン賞(仏GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)】、曾孫にはフルーツオブラヴ【ドバイシーマクラシック・プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)・ハードウィックS(英GⅡ)2回】、玄孫世代以降にはキステナ【アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)】、リーガルローラー【ドバイレーシングクラブS(豪GⅠ)・トゥーラックH(豪GⅠ)・豪フューチュリティS(豪GⅠ)】、ベラード【デューハーストS(英GⅠ)】などがいる。ミミの曾祖母マックウィラーは、仏1000ギニーなどを勝った名牝で、母としても英1000ギニー馬メサを産んだ。→牝系:F1号族③

母父ブラックデヴィルはサーギャラハッド産駒の米国産馬で、競走馬としては英国で走り現役成績17戦4勝。ドンカスターC・デュリングハムS・ニューベリーサマーCを勝っている。競走馬引退後は仏国で種牡馬入りしたが、殆ど成功できなかった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国ナショナルスタッドで種牡馬入りした。そして1961年の愛セントレジャー馬ヴィマディーや、1963年のエクリプスSの勝ち馬カルキスなどを送り出した。その後の1964年に日本に輸入され、1965年から日本で種牡馬生活を開始した。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬が日本で種牡馬入りしたのは、モンタヴァル(1961年輸入)に次いで2頭目だった。そのモンタヴァルが活躍馬を出しながらもこの1965年に早世したため、その分だけ本馬に対する注目度が高くなった一面はあるかもしれない。

初年度は57頭、2年目は67頭、3年目も67頭、4年目の1968年は63頭の繁殖牝馬を集めた。日本における初年度産駒はこの1968年にデビューしたが、すぐには結果が出なかった。しかしこの初年度産駒からショウフウミドリ、スピーデーワンダー、キームスビィミー、パッシングゴールと4頭の重賞勝ち馬が出て、それなりに評価される事になった。5年目は57頭、6年目は55頭、7年目は42頭、8年目は47頭、9年目は40頭、10年目は39頭、11年目は37頭、12年目は21頭の交配数だった。しかし25歳を迎えた13年目の交配数は4頭まで減少した。それでもこの年に交配した4頭は全て受胎したが、翌14年目に2頭と交配していずれも受胎しなかったために、この1978年をもって種牡馬を引退した。その2年後の1980年8月に28歳で他界した。

スピーデーワンダーが1971年の天皇賞秋でトウメイの2着、キームスビィミーが1972年の天皇賞春でベルワイドの2着、パッシングゴールが1972年の天皇賞秋でヤマニンウエーブの2着と、産駒が天皇賞で3回連続2着したが勝つことは出来ず、結局八大競走の勝ち馬を出すことは無かった。それでも1972年には全日本種牡馬ランキングで6位に入っており、種牡馬としては成功したと言えるだろう。ワイルドリスクの系統らしく長距離を得意とする産駒が多かったが、それ故に直系は伸びなかった。しかし母父として出した英2000ギニー馬ハイトップが出したトップヴィルを経て後世に影響を残している。日本でも母父としてミナガワマンナ、プレクラスニーなど多くの重賞勝ち馬を出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1958

Song of Even

加プリンスオブウェールズS・加ブリーダーズS

1958

Vimadee

愛セントレジャー

1959

Pavot

クイーンズヴァーズ

1959

Vimy Ridge

エッジミアH

1960

Duplation

リングフィールドダービートライアルS

1960

Khalkis

エクリプスS・グラッドネスS

1966

キームスビィミー

京都記念・ハリウッドターフクラブ賞

1966

ショウフウミドリ

宝塚記念

1966

スピーデーワンダー

中日新聞杯・阪神大賞典・ダイヤモンドS・新春グランプリ(名古屋)

1966

パッシングゴール

新潟記念・関屋記念

1967

シュンサクリュウ

京都記念

1968

エリモジェニー

桜花賞トライアル四歳牝馬特別

1969

オカザキジョウ

福島記念・瑞穂賞(岩見沢)

1969

トキ

東京障害特別秋

1969

ビイミホマレ

宇都宮記念(宇都宮)・織姫賞(足利)

1971

プリンスビミー

織姫賞(足利)

1971

ミトモオー

新潟記念

1972

ハクバタロー

目黒記念

1974

ライジングコーター

出塚記念(新潟)・若草賞(三条)・日本中央競馬会理事長賞典(新潟)

1975

シルクラディカ

開設9周年記念(佐賀)

1977

トキワキミコ

こまくさ特別(上山)

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