和名:ムムタズマハル |
英名:Mumtaz Mahal |
1921年生 |
牝 |
芦毛 |
父:ザテトラーク |
母:レディジョセフィン |
母父:サンドリッジ |
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驚異的なスピードを武器に英国短距離戦線で活躍し、繁殖入り後に後世に絶大な影響を与えた芦毛の快速牝馬「天を駆ける牝馬」 |
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競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績10戦7勝2着2回 |
類稀な快速を武器に競走馬として活躍しただけでなく、繁殖入り後にその快速を存分に子孫に伝え、競馬界がスタミナ重視からスピード重視へと移行していく上で非常に大きな役割を果たした。おそらく20世紀における最も重要な繁殖牝馬の1頭であり、現役時代は“Flying Filly(天を駆ける牝馬)”の二つ名で知られた。
誕生からデビュー前まで
英ダービー馬スペアミントなどを世に送り出した英国ヨークシャー州の名門牧場スレッドメアスタッドにおいて、同牧場の所有者だったタットン・サイクス卿の妻ジェシカ夫人により生産された。“The Spotted Wonder(驚異の斑点)”の異名をとった芦毛の快速馬ザテトラークを父に持ち、父から斑点模様の芦毛を受け継いでいた。母レディジョセフィンはスレッドメアスタッドの管理人ヘンリー・コルモンデリー氏が第一次世界大戦中に1200ギニーの金額で購入してきた馬だった。父ザテトラークはその奇妙な毛色からデビュー前は嘲笑の対象だったが、本馬は同じ毛色を有するにも関わらず、素晴らしく立派な馬体を持っていた事もあって酷評する者はいなかった。気性難の代名詞とされる孫のナスルーラとは異なり、気性面でも優れていたという。
1歳時のドンカスターセールに出品された際には「個性的なだけでなく素晴らしい牝馬。人間が想像できる完璧な馬体に最も近い馬。彼女の体格は大きさも質も含めて理想的です」と絶賛されていた。父ザテトラークが極めて低い交尾意欲ながらも、快速馬テトラテーマや、カリギュラ、ポレマークの2頭の英セントレジャー馬を出すなど種牡馬として既に成功を収めていた事もあり、本馬は大変な注目馬だった。そんな本馬を購入したのは名伯楽とした名高かったジョージ・ラムトン調教師であり、購入金額9100ギニーは当時英国史上2番目の高額(1位は1900年に1万ギニーで取引された英国クラシック競走4勝馬セプター)だった。
ラムトン師は名馬主として名高かった第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリー卿の専属調教師として著名だったが、このセールにおいてはスタンリー卿ではなく新進気鋭の馬主アガ・カーンⅢ世殿下の代理人であった。当時の英国領インド帝国カラチ出身のアガ・カーンⅢ世殿下は、イスラム教シーア派の一派だったイスマーイール派の分派ニザール派のイマーム(指導者)だったアガ・カーンⅡ世殿下の息子で、1885年に父の後を継いでイマームになっていた。彼は近代化志向の持ち主で、積極的に英国との関係を強め、英国の上流階級とも繋がりを深めていた。1904年には後のウェバートリー卿ウィリアム・ホール・ウォーカー大佐(プリンスパラタインやブランドフォードの生産者)と知り合いになり、第一次世界大戦終了後に本格的に馬主活動を始めていた。後に大馬産家として名を馳せるアガ・カーンⅢ世殿下も、この時点においては、まだ駆け出しの馬主であった。彼はラムトン師をアドバイザーとして、優秀な馬を買い集めていたのだった。この時期に彼が手に入れた馬の中には本馬の他に、後の英2000ギニーの勝ち馬ダイオフォン(日本に輸入された英2000ギニー馬ダイオライトの父であり、ダイオライトの代表産駒である日本初の三冠馬セントライトの祖父に当たる)、後のグッドウッドC・ジョッキークラブSの勝ち馬テレシナ(米国で種牡馬として成功したアリバイの母。ケンタッキーダービー・プリークネスSの勝ち馬ファニーサイドの牝系先祖でもある)、後のチェヴァリーパークS・コロネーションSの勝ち馬パオラ、コス(エクリプスS・英チャンピオンSの勝ち馬ラスタムパシャの母)、サピエンス(凱旋門賞馬サモスの祖母)、フライアーズドーター(英国三冠馬バーラムの母)などがいた。これらの馬のうち本馬を含む牝馬達は、アガ・カーンⅢ世殿下の馬産における基礎繁殖牝馬として、大きな貢献を果たす事になる。
本馬は英国バークシャー州ワットコムに厩舎を構えていたリチャード・セシル・“ディック”・ドーソン調教師に預けられた。本馬は2歳時の調教で既に極めて高いスピード能力を示し、既に勝ち上がっていた同世代のフライアーズドーター(前述したとおり英国三冠馬バーラムの母である)と一緒に走った2歳4月のデビュー前調教においては、フライアーズドーターより28ポンドも重い斤量を背負いながら先着してみせた。この走りはドーソン師を驚かせただけでなく、「ワットコムに天才少女現る!」と世間でも評判になった。
競走生活(2歳時)
2歳5月にニューマーケット競馬場で行われたスプリングS(T5F)で、ジョージ・ヒュルム騎手を鞍上にデビューを迎えた。好スタートを切った本馬はひたすら先頭を走り続け、最後は馬なりのまま流して、後の英オークス馬ストレイスレースを3馬身差の2着に下して快勝。勝ちタイム57秒8はコースレコードで、当時の2歳戦としては考えられない好タイムだった。
アスコット競馬場に場所を移して6月に出走したクイーンメアリーS(T5F)ではゴール前で手綱を緩める余裕を見せながら、10馬身差の逃げ切り勝ち。あまりの速さから、この時点で既に本馬は“Flying Filly”の異名を頂戴した。
7月にサンダウンパーク競馬場で出走したナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)は4馬身差で快勝。同月にグッドウッド競馬場で出走したモールコームS(T6F)は過去3戦より距離が1ハロン伸びたが、再び2着馬に10馬身差をつけて勝利した。
次走の英シャンペンS(T6F)では、2歳にしてナンソープSに出走してゴールデンボスの2着と健闘していたオブリテレイト(アスコット金杯で米国三冠馬オマハとの死闘を制した英オークス馬クワッシュドの父)との対決となったが、本馬が2着オブリテレイトに3馬身差で勝利した。
10月にはケンプトンパーク競馬場でインペリアルプロデュースS(T6F)に出走した。しかしこのレースにおける本馬は明らかに調子落ちだった上に、かなり馬場状態が湿っていた影響もあってか、いつもの走りが見られなかった。ゴール前では過去5戦で1度も使われなかった鞭を初めて入れられて、7ポンドのハンデを与えたアーカードという牝馬と勇敢に戦ったものの半馬身差の2着に敗れて、デビューからの連勝は5で止まった。
2歳時の成績は6戦5勝で、2歳馬フリーハンデにおいては2位になった同厩の牡馬ディフォンより2ポンド高いトップの評価を得た。この時点における本馬の評価は「かつて英国の競馬場で見られた最高の2歳牝馬であるばかりか、牡馬を含めても史上最高の2歳馬ではないだろうか」というもので、父ザテトラークにも匹敵するほどの評価だった。
競走生活(3歳時)
冬場はハイクレアスタッド(後にブレニムが誕生した牧場)で過ごした本馬は、前年よりも一段と馬体が大きくなってワットコムに戻ってきた。そしてぶっつけ本番で英1000ギニー(T8F)に出走した。休養明けながら圧倒的な1番人気に支持された。スタートが切られると過去のレースと同様に快速を活かして先頭を飛ばしたが、残り2ハロン地点から失速。ミドルパークS2着馬で後にジョッキークラブCを勝つプラックに差されて、1馬身半差(半馬身差とする資料もある)の2着に敗退した。
英オークスは距離が長すぎるとして見送りとなった。本馬不在の英オークスは、英1000ギニーで本馬から半馬身差の3着だったストレイスレースが、プラックを1馬身半差の2着に抑えて勝利した。
一方の本馬はコロネーションS(T8F)に向かった。このレースには、英オークスを勝ってきたばかりのストレイスレースの姿もあった。前年のスプリングSではストレイスレースを相手にもしなかった本馬だが、ここではストレイスレースの5着(7頭立て)に敗れてしまった。
マイル戦を走り切れないほどスタミナが不足している事を露呈してしまった本馬を、陣営は短距離路線に進ませた。まずは7月にグッドウッド競馬場でキングジョージS(T6F)に出走して勝利。次走のナンソープS(T5F)では、前年のジュライCを筆頭にミドルパークS・コヴェントリーS・英シャンペンSを勝っていた1歳年上のドレイクを6馬身差の2着に破って圧勝した。このレースを最後に、3歳時4戦2勝の成績で競走馬を引退した。
英国クラシック競走で活躍できるスタミナ能力は持っていない事が暴露されてしまった本馬だが、それでもその快速に魅せられたファンの支持が衰える事は無く、引退レースのナンソープS勝利後には、本馬に付いていた応援団的な多くのファンから拍手喝采で見送られながら競馬場を後にしたという。
馬名は、アガ・カーンⅢ世殿下の出身地であるインドのムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの王妃ムムターズ・マハル(世界文化遺産タージ・マハルの埋葬主)にちなんでいる。本馬の愛称としては“Flying Filly”が最も有名だが、競馬記者クラブにより付けられた“Mumty(マムティ)”の愛称も有名だった。
血統
The Tetrarch | Roi Herode | Le Samaritain | Le Sancy | Atlantic |
Gem of Gems | ||||
Clementina | Doncaster | |||
Clemence | ||||
Roxelane | War Dance | Galliard | ||
War Paint | ||||
Rose of York | Speculum | |||
Rouge Rose | ||||
Vahren | Bona Vista | Bend Or | Doncaster | |
Rouge Rose | ||||
Vista | Macaroni | |||
Verdure | ||||
Castania | Hagioscope | Speculum | ||
Sophia | ||||
Rose Garden | Kingcraft | |||
Eglentyne | ||||
Lady Josephine | Sundridge | Amphion | Rosebery | Speculum |
Ladylike | ||||
Suicide | Hermit | |||
Ratcatcher's Doughter | ||||
Sierra | Springfield | St. Albans | ||
Viridis | ||||
Sanda | Wenlock | |||
Sandal | ||||
Americus Girl | Americus | Emperor of Norfolk | Norfolk | |
Marian | ||||
Clara D. | Glenelg | |||
The Nun | ||||
Palotta | Gallinule | Isonomy | ||
Moorhen | ||||
Maid of Kilcreene | Arbitrator | |||
Querida |
父ザテトラークは当馬の項を参照。
母レディジョセフィンは現役成績6戦4勝。栗毛のスマートな体つきを有しており、1歳時のセリにおいて1700ギニーで取引された。2歳時から活躍し、英エイコーンS・コヴェントリーS・ビルベリークラブシャンペンS勝ちなど5戦4勝の成績をマークして、2歳フリーハンデにおいては同世代の牝馬1位にランクされた。しかし3歳初戦で前脚を損傷、そのまま競走馬引退となった。その後は1200ギニーで取引されてスレッドメアスタッドで繁殖入りしたのは前述のとおりである。競走馬として活躍したにも関わらず、1歳時の取引価格より引退後の取引価格のほうが安いのは、第一次世界大戦の影響で馬の値段が下落していたからである。
母としては、7歳時にレディジュラー(父サンインロー)【ジョッキークラブS】、9歳時に本馬、10歳時にジョイアス(父ゲイクルセイダー)という、根幹繁殖牝馬3頭を産んだ。
レディジュラーの子にはザブラックアボット【ジムクラックS】、ザレコーダー【クイーンアンS・プリンセスオブウェールズS】、ライオット【ジュライS】、名種牡馬フェアトライアル【クイーンアンS】、孫にはコモーション【英オークス】、ネオライト【チェヴァリーパークS】、テューダーミンストレル【英2000ギニー・セントジェームズパレスS】、スコット【ロワイヤルオーク賞・カドラン賞】、曾孫にはコンバット【サセックスS】、フォウティラージュ【セントジェームズパレスS】、亜国の歴史的名馬フォルリの父となったアリストファネス、アジテイター【サセックスS】、玄孫世代以降には、フューチャー【豪フューチュリティS・アンダーウッドS2回・コーフィールドS】、カシミール【英2000ギニー・ロベールパパン賞】、エリモホーク【アスコット金杯(英GⅠ)】、シーユーゼン【英チャンピオンハードル3回】、インディアンクイーン【ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・アスコット金杯(英GⅠ)】、サイエダティ【英1000ギニー(英GⅠ)・モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)】、ゴールデンスネイク【ジャンプラ賞(仏GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)】、日本で走ったカネケヤキ【桜花賞・優駿牝馬】、カネヒムロ【優駿牝馬】、カネミノブ【有馬記念】、ミホシンザン【皐月賞(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)・天皇賞春(GⅠ)】などがいる。
ジョイアスの牝系子孫は主にオセアニアで発展して、イグルー【チッピングノートンS・コーフィールドS】、ペンディル【キングジョージⅥ世チェイス2回】、モデム【レイルウェイS(豪GⅠ)・フルーツアンドヴェジS(豪GⅠ)】などが出た。
レディジョセフィンの母アメリカズガールは、フェニックスプレート・ロイヤルS・ファーンヒルS・ポートランドH・グレートサリーH勝ちなど29戦12勝の成績を残した活躍馬。アメリカズガールの父アメリカスは、米国の歴史的大種牡馬レキシントンの直系最大級の大物エンペラーオブノーフォークの直子。当初「レイデルカルデス」という名前で米国において競走生活を送り、後に英国に渡って「アメリカス」と改名された。種牡馬としては初年度産駒からアメリカズガールを出したが、後に欧州各地を転々とした流浪の馬でもあった。→牝系:F9号族③
母父サンドリッジは当馬の項を参照。
本馬は父も母父も牝系も徹底的なまでにスピードが凝縮された血統であり、現役時代に短距離馬だったのも、むべなるかなである。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、アガ・カーンⅢ世殿下が愛国で新たに手に入れたシェシューンスタッドで繁殖牝馬となった。
5歳時に初子となる牡駒ダーラーシュコー(父ゲインズボロー)を産んだが、ダーラーシュコーは1勝を挙げるに留まった。
6歳時はゲインズボローとの間に出来た双子を流産してしまった。
7歳時に産んだ2番子の牝駒マーマハル(父ゲインズボロー)は15戦2勝。
8歳時に産んだ3番子の牡駒フロークサイヤー(父コロラド)は仏国で8戦して、フリスキーマトロン賞・スナイイ賞の2勝を挙げた。
9歳時に産んだ4番子の牡駒アウラングゼーベ(父ゲインズボロー)は英国では未勝利に終わり、インドに送られていった。
その後本馬はシェシューンスタッドから、アガ・カーンⅢ世殿下が仏国ノルマンディーで手に入れたマルラヴィル牧場に移動した。そこで10歳時に産んだ5番子の牡駒バドルディン(父ブランドフォード)は、サセックスS・ミッドサマーS・ウォーターフォードSに勝ち、英2000ギニーで3着するなど16戦4勝の成績を挙げ、本馬の産駒として初めての活躍馬となった。
11歳時には6番子の牝駒ムムタズビガム(父ブレニム)を産んだ。ムムタズビガムは2歳時に英国で8戦2勝の成績を残し、3歳時に早々と繁殖入りした。
13歳時には7番子の牝駒ラストムマハル(父ラスタムパシャ)を産んだ。ラストムマハルは調教で騎乗した名手ゴードン・リチャーズ騎手をして、過去に乗った牝馬で最も速かったと言わしめた素質馬だったが、故障により不出走に終わった。
14歳時には8番子の牡駒ミルザ(父ブレニム)を産んだ。ミルザは本馬の産駒の中で最も競走馬として活躍した馬で、ベッドフォードS・チェスターフィールドS・ジュライS・コヴェントリーSを勝ち、英シャンペンS・ミドルパークSで2着、英2000ギニーで3着など11戦6勝の成績を残した。ミルザは管理したフランク・バターズ調教師をして、過去に手掛けた馬の中では最も速かったと言わしめた。
16歳時には9番子の牡駒ニザミ(父フィルダウシー)を産んだが、ニザミは2歳時に5戦して未勝利に終わった。そしてニザミが本馬の最後の産駒となった。
本馬が18歳時の1939年に第二次世界大戦が勃発し、独国軍が仏国に進駐してきて、マルラヴィル牧場にいた馬は本馬を含めて全て独国軍に接収された。そのうち本馬を除く全馬が独国内に連れ去られたが、本馬だけは何故かマルラヴィル牧場に留め置かれた。その理由は高齢だったためだと言われており、一説によると本馬の偉大さを評価した独国軍が高齢である本馬を他の場所に移すことを躊躇ったためとも言われている。独国に連行されて悲惨な目に遭った他の馬達に比べればまだ幸運だったとも言えるが、全ての仲間を失って1頭だけ牧場に取り残されてしまった本馬もまた大戦の犠牲馬である事には変わりが無いだろう。本馬は1945年2月、第二次世界大戦が終わる直前に、繋養先のマルラヴィル牧場において24歳で他界した。死因については何も伝わっていないが、本馬が他界した時期は既に独国軍が仏国から追い出されていた後だったため、少なくともプリンスローズのように戦火に巻き込まれたための死ではなさそうなのが、せめてもの救いだろうか。
後世に与えた影響
さて、本馬の真価は産駒が繁殖入りしてから発揮されたと言える。特に、マーマハル、ムムタズビガム、ラストムマハルの3頭の娘が繁殖牝馬として大成功した。
まずマーマハルは、マームード【英ダービー・リッチモンドS・英シャンペンS】と、新国の名種牡馬となったフェロッシャー【コーク&オラリーS】の母となった。そのマームードは牝駒アルマームードを経由してノーザンダンサーやヘイローにその血を伝えた。マーマハルの孫にはミゴリ【凱旋門賞・エクリプスS・英チャンピオンS・デューハーストS】、曾孫にはプティトエトワール【英1000ギニー・英オークス・サセックスS・ヨークシャーオークス・英チャンピオンS・コロネーションC2回】、ダラノーア【モルニ賞】、玄孫世代以降には、ザインタ【仏オークス(仏GⅠ)・サンタラリ賞(仏GⅠ)】、アルボラーダ【英チャンピオンS(英GⅠ)2回】、アルバノヴァ【ドイツ賞(独GⅠ)・ラインラントポカル(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)】、アラムシャー【愛ダービー(愛GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ)】、オージールールズ【仏2000ギニー(仏GⅠ)・シャドウェルターフマイルS(米GⅠ)】、ザルカヴァ【凱旋門賞(仏GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)】、アランディ【愛セントレジャー(愛GⅠ)・カドラン賞(仏GⅠ)】、ヨセイ【AJCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・MRC1000ギニー(豪GⅠ)・ウインターS(豪GⅠ)】、イググ【ダーバンジュライ(南GⅠ)・SAフィリーズクラシック(南GⅠ)・ウーラヴィントン2000(南GⅠ)・J&Bメトロポリタン(南GⅠ)】、日本で走ったワールドクリーク【東京大賞典(GⅠ)】、スマートファルコン【JBCクラシック(GⅠ)2回・東京大賞典(GⅠ)2回・帝王賞(GⅠ)・川崎記念(GⅠ)】、タニノギムレット【東京優駿(GⅠ)】などがいる。
次にムムタズビガムは、ナスルーラ【英チャンピオンS・コヴェントリーS】、リヴァズ【クイーンメアリーS・ジュライS】の母となった。ナスルーラの種牡馬としての大活躍に関しては今更ここで述べるまでも無いだろう。ムムタズビガムの孫には、日本で猛威を振るうヘイルトゥリーズン系の始祖ロイヤルチャージャー【クイーンアンS】、仏首位種牡馬2回のプリンスタジ、パラリヴァ【キングズスタンドS】、スパイシーリヴィング【エイコーンS・マザーグースS】、曾孫にはジネッタ【仏1000ギニー・ムーランドロンシャン賞】、玄孫世代以降には、カラムーン【仏2000ギニー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、シャーガー【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ)】、オンザハウス【英1000ギニー(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)】、ハビブティ【アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)・キングズスタンドS(英GⅠ)】、オーソーシャープ【英1000ギニー(英GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・英セントレジャー(英GⅠ)】、リズンスター【プリークネスS(米GⅠ)・ベルモントS(米GⅠ)】、リトルブリアン【サンタマリアH(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)】、デーンウイン【スプリングチャンピオンS(豪GⅠ)・ローズヒルギニー(豪GⅠ)・ドゥーンベンC(豪GⅠ)・コーフィールドS(豪GⅠ)・マッキノンS(豪GⅠ)】、オクタゴナル【コックスプレート(豪GⅠ)・サイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・カンタベリーギニー(豪GⅠ)・ローズヒルギニー(豪GⅠ)・メルセデスクラシック(豪GⅠ)2回・AJCダービー(豪GⅠ)・アンダーウッドS(豪GⅠ)・チッピングノートンS(豪GⅠ)・オーストラリアンC(豪GⅠ)】、リヴァーベイ【ハリウッドターフカップS(米GⅠ)・チャールズウィッティンガムH(米GⅠ)】、シャントウ【英セントレジャー(英GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)】、ムーアワッド【豪フューチュリティS(豪GⅠ)・ジョージライダーS(豪GⅠ)・オーストラリアンギニー(豪GⅠ)】、マンダー【ターフクラシックS(米GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)】、レフトバンク【ヴォスバーグS(米GⅠ)・シガーマイルH(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)】、コリアーヒル【愛セントレジャー(愛GⅠ)・加国際S(加GⅠ)・香港ヴァーズ(香GⅠ)】、モルシュディ【伊ダービー(伊GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】、ヴォイカウント【AJCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・豪シャンペンS(豪GⅠ)・ジョージメインS(豪GⅠ)】、マンデシャ【アスタルテ賞(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・オペラ賞(仏GⅠ)】、ヒバーイェブ【フィリーズマイル(英GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)】、ブラックステアマウンテン【中山グランドジャンプ(日JGⅠ)】、プライオアフィリップ【伊グランクリテリウム(伊GⅠ)・ヴィットーリオディカープア賞(伊GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)】、ディランマウス【伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)】、ゴールデンホーン【英ダービー(英GⅠ)・凱旋門賞(仏GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】、日本で走ったホクトベガ【エリザベス女王杯(GⅠ)・川崎記念2回・帝王賞・マイルCS南部杯】などがいる。
ラストムマハルは、英国史上最強短距離馬の誉れ高きアバーナント【ジュライC2回・英シャンペンS・ミドルパークS・キングズスタンドS・キングジョージS2回・ナンソープS2回】の母となった。ラストムマハルの牝系子孫は、マーマハルやムムタズビガムほど凄まじい発展はしなかったが、現在も主に日本で残っており、ラガーチャンピオン【セントライト記念(GⅡ)】、コウエイロマン【小倉三歳S(GⅢ)】、コウエイトライ【小倉サマージャンプ(JGⅢ)2回・阪神ジャンプS(JGⅢ)4回・東京オータムジャンプ(JGⅢ)・新潟ジャンプS(JGⅢ)】といった活躍馬が出ている。
また、本馬の牡駒も種牡馬として後世に影響力を有している。フロークサイヤーは長年に渡り愛国で種牡馬生活を送ったにも関わらず不成功に終わったが、牝駒ウッドサイドの牝系子孫がなかなかの発展を示しており、コロニアルアッフェアー、ユニオンラグズの2頭のベルモントS勝ち馬を筆頭とする世界各国の活躍馬を送り出している。当初は仏国で種牡馬入りしていたが第二次世界大戦の勃発と時を同じくして南米の亜国に移動したバドルディンは、亜国の種牡馬ランキングで最高4位、母父種牡馬ランキングで最高3位に入る活躍を見せた。しかしバドルディン最高の功績は、牝駒パフュームがマイバブーの母となった事であろう。マイバブーの直系から登場したシンボリルドルフ、メジロマックイーン、トウカイテイオーなどにはバドルディンの血が入っているのである。バドルディンと同じく仏国で種牡馬入りしたが、第二次世界大戦勃発後に独国に連行されて、後に英国に戻ってきたミルザは、こうした経緯も影響したのか種牡馬としてあまり成功できなかった。しかしミルザの牝駒スカイラーキングの牝系子孫が大きく発展し、グローリアスソング、デヴィルズバッグ、ラーイ、シングスピール、グラスワンダー、ヴィルシーナなどが登場した。新国と豪州で種牡馬入りしたニザミも彼の地で種牡馬として成功して、メルボルンCの勝ち馬2頭を含む多くの活躍馬を出した。1972年のプリークネスSの勝ち馬ビービービーの母の父もニザミであるし、1972年の天皇賞秋を勝ったヤマニンウエーブや、五冠馬シンザンの初期の代表産駒である重賞5勝馬シルバーランドの曾祖母の父もニザミである。
本馬の生命は第二次世界大戦の最中に終わったが、本馬の血は第二次世界大戦終了後も脈々と子孫達に受け継がれていった。果たして本馬の血を一滴も引かないサラブレッドが現存するのだろうか。