トリプティク

和名:トリプティク

英名:Triptych

1982年生

鹿毛

父:リヴァーマン

母:トリリオン

母父:ヘイルトゥリーズン

母親譲りの頑健さと強烈な末脚を武器に日本を含む世界中で走り続け、牡馬混合GⅠ競走で8勝を挙げた「鉄の女」は繁殖入り直後の事故で他界する

競走成績:2~6歳時に仏英愛加米日で走り通算成績41戦14勝2着5回3着11回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ブルーグラスファームにおいて、母トリリオンの生産・所有者でもあった石油業者ネルソン・バンカー・ハント氏と、彼の長年の友人エドワード・L・スティーブンソン氏の両名により生産された。1歳時のキーンランドサマーセールに出品され、アラン・クロア氏により215万ドルで購入され、愛国のデビッド・スマガ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳8月に仏国のドーヴィル競馬場で行われたマレッテ賞(T1600m)でデビューして勝利。次走のオマール賞(仏GⅢ・T1600m)では、後にレゼルヴォワ賞を勝つアンタルチカを6馬身引き離して、クードフォリー(1989年の仏国最優秀2歳牡馬で種牡馬としても成功したマキャヴェリアンの母)と一騎打ちを演じた末に、鼻差2着に惜敗した。

しかし3戦目のマルセルブサック賞(仏GⅠ・T1600m)では、アラン・ルクー騎手を鞍上に、後の仏1000ギニー馬シルヴァーマインを4馬身差の2着に、クードフォリーをさらに5馬身差の3着に破って圧勝。2歳時は3戦2勝の成績で、この年の仏最優秀2歳牝馬に選ばれた。

競走生活(3歳時)

3歳時は愛国デビッド・オブライエン厩舎に転厩した。オブライエン師は愛国の名伯楽ヴィンセント・オブライエン調教師の息子であり、この前年の英ダービーをセクレトで制して名を馳せていた。3歳初戦はいきなり英1000ギニー(英GⅠ・T8F)となった。しかし結果はソラリオS・フィリーズマイル・ネルグウィンSなど4戦無敗で臨んできたオーソーシャープが、ロウザーS・プリンセスマーガレットSの勝ち馬アルバハスリやプレステージSの勝ち馬ベラコロラとの大接戦を制して勝利を収め、本馬はオーソーシャープから4馬身差の7着だった。

その9日後には、1000ギニートライアル(愛GⅢ・T7F)に出走して、2着バーニングイシューに3/4馬身差で勝利した。次走は2週間後の愛1000ギニーかと思われたが、翌週の愛2000ギニー(愛GⅠ・T8F)に参戦。C・ロシェ騎手を鞍上に、2着セレスティアルバウンティに2馬身半差で勝利した。愛2000ギニーを牝馬が勝ったのは、後にも先にもこれが唯一の例である。

さらにそれから1週間後の愛1000ギニー(愛GⅠ・T8F)にも出走したが、僅か24日の間に4回出走という過酷な日程ではさすがに好走は出来ず、英1000ギニー2着馬アルバハスリや、チェリーヒントンS・フレッドダーリンSの勝ち馬で仏1000ギニー2着のトップソーシャライトなどに屈して、アルバハスリの5着に敗れた。

しかも愛1000ギニーの2週間後には、ロシェ騎手と共に英オークス(英GⅠ・T12F)に出走。英1000ギニーから直行してきたオーソーシャープと再び顔を合わせた。ここでは1番人気のオーソーシャープよりも早めに直線で抜け出したのだが、瞬く間にオーソーシャープに差されて、6馬身差をつけられて2着に敗れた。後にリディアテシオ賞・ロイヤルホイップSを勝利するドゥビアンが本馬から3/4馬身差の3着だった。

さらにそれから3週間後の愛ダービー(愛GⅠ・T12F)に参戦し、アングルシーS・愛ナショナルS・チェスターヴァーズの勝ち馬で英ダービー2着のロウソサイエティ、デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬で後のBCターフ馬シアトリカル、ジャンプラ賞を勝ってきたバイアモン、サンダウンクラシックトライアルS・ダンテSの勝ち馬でウィリアムヒルフューチュリティS2着・英ダービー3着のダミスターといった牡馬勢に挑戦。しかし結果は勝ったロウソサイエティから4馬身半差の5着だった。

その2週間後の愛オークスはさすがに見送り、次走は愛ダービーから約1か月後のベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ・T10F85Y)となった。しかし結果は、前年の英セントレジャーやゴードンS・ブリガディアジェラードSを勝っていたコマンチランの4馬身3/4差3着だった。コマンチランから3/4馬身差の2着に入ったオーソーシャープとの対戦はこれが最後で、対戦成績は本馬の3戦全敗となってしまった。

続いて5週間後の愛チャンピオンS(愛GⅠ・T10F)に出たが、コマンチランの9着と惨敗。シーズン前半の過密日程がまだ尾を引いている雰囲気が漂っていた。

ところが陣営は、今度は本馬に大西洋を渡らせ、ロスマンズ国際S(加GⅠ・T13F)に挑ませた。米国の名手ウィリアム・シューメーカー騎手とコンビを組んだ本馬は奮闘したが、ディキシーH・セネカHの勝ち馬でボーリンググリーンH・ソードダンサーH2着のナッシポア、この年のパリ大賞・オイロパ賞を勝っていたシュメルの2頭に屈して、勝ったナッシポアから半馬身差の3着と惜敗した。ここでようやく休養入り。3歳時の本馬は5か月間に9回出走、うちGⅠ競走が8回という壮絶な日程をこなしたが、勝ち星は前年と同じ2つに留まった。

競走生活(4歳前半)

4歳時は、オールアロングサガスなどを手掛けた仏国パトリック・ビアンコーヌ厩舎に転厩した。そして5月に復帰した本馬は、前年に負けず劣らずの過密日程で走り続ける。

まずはガネー賞(仏GⅠ・T2100m)に出走したが、前年の愛ダービーでは本馬より下の6着に終わっていたバイアモン、ロワイヤルオーク賞・ロワイヤリュー賞の勝ち馬マージー、モーリスドニュイユ賞・アルクール賞を勝ってきたサンテステフの3頭に屈して、勝ったバイアモンから1馬身半差の4着に敗れた。

続くコロネーションC(英GⅠ・T12F)では、ガネー賞で3着だったサンテステフの頭差2着と惜敗したが、前年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・プリンセスオブウェールズSを勝っていたペトスキには先着した。

4歳3戦目となったラクープ(仏GⅢ・T2400m)では、イヴ・サンマルタン騎手とコンビを組み、後に伊ジョッキークラブ大賞・ラクープドメゾンラフィットを勝利するアンテウス、エドヴィル賞の勝ち馬で後にドーヴィル大賞を勝利するベイビータークの2頭の牡馬との大激戦を制して、2着アンテウスに短頭差、3着ベイビータークにもさらに短頭差をつけて勝利。愛2000ギニー以来1年1か月ぶりの勝ち星を挙げた。

それから1週間後にはエクリプスS(英GⅠ・T10F)に出走。英2000ギニー馬で英ダービー2着のダンシングブレーヴ、ソラリオSの勝ち馬で仏グランクリテリウム・ケンタッキーダービー2着のボールドアレンジメント、前年のアーリントンミリオンを筆頭にクイーンエリザベスⅡ世S・愛国際S2回・デズモンドS・クインシー賞を勝っていたテレプロンプターなどが対戦相手となった。超大物の誉れ高かったダンシングブレーヴが単勝オッズ1.44倍の1番人気に支持され、A・レグリックス騎手とコンビを組んだ本馬とテレプロンプターが並んで単勝オッズ10倍の2番人気となった。本馬はダンシングブレーヴと一緒に馬群の中団を走り、直線に入る前にダンシングブレーヴより先に外側から仕掛けて残り2ハロン地点で先頭に立った。しかし瞬く間にダンシングブレーヴに差されてしまい、4馬身差をつけられて2着に敗れた。それでも3着馬テレプロンプターには1馬身半差をつけており、これは相手が悪かったという印象だった。

続くキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、サンマルタン騎手とコンビを組んだ。対戦相手は、ダンシングブレーヴ、英ダービーでダンシングブレーヴを破った後に愛ダービーを圧勝してきたシャーラスタニ、2連覇を狙うペトスキ、プリンセスオブウェールズS・カンバーランドロッジS・セントサイモンSの勝ち馬シャーダリなどだった。今回は本馬より先にダンシングブレーヴが仕掛けて早めに先頭に立ったが、仕掛けが早かったのかダンシングブレーヴはいつもの切れが無く、いったんかわしたシャーダリに詰め寄られた。一方の本馬は直線の末脚に賭け、1番人気のシャーラスタニをかわして追い上げてきたが、シャーダリを捕らえる事にも失敗し、勝ったダンシングブレーヴから4馬身3/4差の3着に敗れた。

競走生活(4歳後半)

次走は、ベンソン&ヘッジズ金杯から名を変えたマッチメイカー国際S(英GⅠ・T10F110Y)となった。ここでも直線でシャーダリが逃げ粘り、ジョン・リード騎手騎乗の本馬が追い上げる展開となった。しかし今回もシャーダリを捕らえる事が出来ずに、3/4馬身差の2着に敗れた。それでも、本馬が着外に敗れた前年の愛ダービー・愛チャンピオンSでいずれも3着だったグレートヴォルティジュールSの勝ち馬ダミスターは6馬身差の3着に退けていた。

次走の愛チャンピオンS(愛GⅠ・T10F)では、ナッソーS・ランカシャーオークスの勝ち馬でヨークシャーオークス2着の3歳牝馬パークエクスプレス、コートノルマンディ賞を勝ってきた3歳牡馬ダブルベッドの2頭に屈して、勝ったパークエクスプレスから5馬身差、2着ダブルベッドから2馬身半差の3着と完敗した。

次走は凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)となった。この年の凱旋門賞は史上有数の豪華メンバーが揃ったと言われており、前哨戦のセレクトSを10馬身差で圧勝してきたダンシングブレーヴ、シャーダリ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS4着から直行してきたシャーラスタニ、コロネーションC勝利後にサンクルー大賞・プランスドランジュ賞で2着していたサンテステフ、前哨戦のフォワ賞を勝ってきたマージー、ラクープ3着後にドーヴィル大賞を勝っていたベイビータークといった既対戦組の他に、仏ダービーを驚異的なレコードタイムで制覇していたノアイユ賞・オカール賞・ニエル賞の勝ち馬ベーリング、独ダービー・アラルポカル2回・サンクルー大賞・ベルリン大賞・バーデン大賞・ヘルティー国際大賞・ウニオンレネン・メルセデスベンツ大賞・ゲルリング賞など12連勝中の独国最強馬アカテナンゴ、ヴェルメイユ賞・プシシェ賞を勝ってきたダララ、日本から遠征してきた前年の東京優駿優勝馬シリウスシンボリなどが出走していた。スタートが切られると、前走に続いてコンビを組んだアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手鞍上の本馬は、好位7~8番手辺りにつけて様子を見た。そして直線を向くと内側の馬群の中に突っ込み、素晴らしい伸び脚を見せて残り200m地点でいったんは先頭に立った。しかしここから外側のベーリング、さらに外側から追い上げてきたダンシングブレーヴの2頭に抜かれてしまった。さらにシャーラスタニが追いすがってきたが、これは抑え込み、勝ったダンシングブレーヴから2馬身差、2着ベーリングから半馬身差の3着となった。戦った相手の実力を考えれば大健闘と言えるものだった。

ここまでは鞍上がころころ変わっていた本馬だったが、次走の英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)からは、アンソニー・“トニー”・クルーズ騎手(騎手引退後に調教師に転身して、香港の英雄サイレントウィットネスや安田記念馬ブリッシュラックを手掛ける)を主戦として迎えた。ここでは、馬群の中団好位追走から残り2ハロン地点で一気に先頭に立つと、そのまま粘り切って、2着セレスティアムストームに3/4馬身差、3着パークエクスプレスにはさらに4馬身差をつけて勝利を収めた。

通常の牝馬ならとっくに休養入りしているところだが、本馬はこの年さらに走り続ける。まずは米国に遠征してサンタアニタパーク競馬場で行われたブリーダーズカップに参戦。しかもBCターフではなく初ダートのBCクラシック(米GⅠ・D10F)に出走した。ワイドナーH・マールボロC招待H・オークローンH・アファームドHの勝ち馬でスワップスS・トラヴァーズS・ジョッキークラブ金杯2着のターコマン、BCスプリント・スワップスS・サンフェルナンドS・チャールズHストラブS・カリフォルニアンS・ウッドワードS・サンラファエルS・デルマーH・マリブS・マーヴィンルロイH・サンパスカルH・サンバーナーディノHの勝ち馬プレシジョニスト、サンタアニタダービー・マーヴィンルロイH・ロングエーカーズマイルH・サンディエゴHの勝ち馬スカイウォーカー、ウィリアムヒルフューチュリティS・サンダウンクラシックトライアルS・リングフィールドダービートライアルS・ハリウッドターフカップSの勝ち馬でハリウッド金杯2着のアルファベイティム、チャールズHストラブS・アリバイHの勝ち馬ノスタルジアズスター、エクリプスS着外後は振るわなかったボールドアレンジメント、シャンペンS・ゴーサムSの勝ち馬モガンボなどが対戦相手となった。ターコマンが単勝オッズ2.6倍の1番人気、プレシジョニストが単勝オッズ2.7倍の2番人気と、当時の米国ダート路線を代表する有力馬2頭に人気が集中したが、本馬は単勝オッズ11倍と離されながらも3番人気に推された。しかしこの過密日程で米国ダートの一線級で走ってきた強豪馬相手では分が悪く、馬群の中団から直線で伸びずに、勝ったスカイウォーカーから8馬身差の6着に敗れた。

ここでようやく休養入りかと思いきや、来日してジャパンC(日GⅠ・T2400m)にも参戦してきた。毎日王冠と天皇賞秋を連続レコード勝ちしてきたサクラユタカオー、前年の皐月賞・菊花賞・スプリングS・京都新聞杯の勝ち馬ミホシンザン、東海桜花賞やオールカマーなど9連勝中の地方代表馬ジュサブロー、NHK杯・高松宮杯の勝ち馬ラグビーボール、天皇賞秋・安田記念・東京新聞杯の勝ち馬ギャロップダイナ、天皇賞春・中山記念・中山金杯の勝ち馬クシロキング、アメリカジョッキークラブC・京都記念・弥生賞の勝ち馬で東京優駿・菊花賞2着のスダホークといった日本馬勢と、前哨戦の富士Sを勝ってきたオセアニア代表馬アワウェイバリースター、オイロパ賞・ゴードンSの勝ち馬アレミロード、ハリウッドパーク招待ターフH・WLマックナイトH2回・ブーゲンヴィリアH2回の勝ち馬フライングピジョン、ハードウィックS・コンセイユドパリ賞・セントサイモンS2回・ジョンポーターSの勝ち馬ジュピターアイランド、加国三冠競走最終戦ブリーダーズSの勝ち馬キャロティーン、伊ダービー・ミラノ大賞・ハンザ賞の勝ち馬トミーウェイといった海外馬勢が対戦相手だった。サクラユタカオーが単勝オッズ4.1倍の1番人気、アワウェイバリースターが単勝オッズ4.5倍の2番人気、過密日程ながらも実績では最上位と言える本馬が単勝オッズ7倍の3番人気となった。しかしさすがに疲労がピークに達していたのか、中団好位から伸びずに、勝ったジュピターアイランドから6馬身3/4差の11着に敗れてしまった。

ここでようやく休養入りした。4歳時は6か月半の間に11回出走、うちGⅠ競走が10回という凄まじい日程をこなしたが、勝ち星は一昨年や前年と同じ2つだった。

競走生活(5歳前半)

本馬は翌5歳時も世界各国で走りまくったが、前年までの疲労は微塵も感じさせず、この年は過去最高の活躍を見せる。まず初戦のガネー賞(仏GⅠ・T2100m)では、後にイスパーン賞を勝つ仏2000ギニー・ジャンプラ賞2着のハイエストオナー、後にドラール賞を勝つタクファヤームド達を蹴散らして、2着タクファヤームドに3馬身差で勝利を収め、トリリオンとの母子制覇を果たした。次走のコロネーションC(英GⅠ・T12F)では単勝オッズ1.8倍の1番人気に応えて、ジョンポーターS・オーモンドSを勝ってきたラカポシキングを3/4馬身差の2着に、前年の凱旋門賞7着後にゲルリング賞を勝ってきたアカテナンゴをさらに首差の3着に抑えて勝利。前年は勝てなかった両競走をいずれも制覇した。

続くエクリプスS(英GⅠ・T10F)では、英ダービー・ウィリアムヒルフューチュリティS・ダンテSなど4連勝中の超大物3歳馬リファレンスポイント、ブリガディアジェラードS・プリンスオブウェールズSを連勝してきたムトトとの対戦となった。リファレンスポイントがスタートから問答無用の逃げを打ち、本馬とムトトは共に後方待機策を採った。しかし内側を走っていた本馬は直線に入ると前が壁になって抜け出せなくなってしまい、その隙に外側のムトトが先に仕掛けてリファレンスポイントに詰め寄っていった。ムトトの直後に持ち出した本馬はワンテンポ遅れて追い始めたが、リファレンスポイントとムトトの叩き合いには少し及ばなかった。結果はムトトが勝利を収め、リファレンスポイントが3/4馬身差2着、本馬はリファレンスポイントから1馬身半差の3着だった(4着馬は10馬身後方だった)。

次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、リファレンスポイント、コロネーションC3着後にハンザ賞を勝ってきたアカテナンゴ、英セントレジャー・サンクルー大賞の勝ち馬ムーンマッドネス、伊共和国大統領賞・ミラノ大賞の勝ち馬で伊ジョッキークラブ大賞・サンクルー大賞2着の伊国最強馬トニービン、前年の英チャンピオンSで本馬の2着だったプリンセスオブウェールズSの勝ち馬セレスティアルストームなどが対戦相手となった。今回もリファレンスポイントが逃げを打ち、そのまま直線で押し切ろうとした。本馬は直線で必死にそれを追撃したが、その差はなかなか縮まらず、後方外側から来たセレスティアムストームにゴール寸前で首差かわされて、勝ったリファレンスポイントから3馬身1/4差の3着に敗れた。

競走生活(5歳後半)

次走のマッチメイカー国際S(英GⅠ・T10F110Y)では、クルーズ騎手ではなくスティーブ・コーゼン騎手とコンビを組み、単勝オッズ2.625倍の1番人気に支持された。そして2着となったダンテS2着馬アスコットナイト(後の加首位種牡馬)に2馬身差、3着となった愛ダービー馬サーハリールイスにはさらに3馬身差をつけて勝利を収め、これも前年勝てなかったレースを制覇した(このレースには前年のジャパンC2着後にゴードンリチャーズSを勝っていたアレミロードも参戦していたが惨敗している)。

鞍上がクルーズ騎手に戻った次走の愛チャンピオンS(愛GⅠ・T10F)では、デズモンドSの勝ち馬で愛2000ギニー2着・愛ダービー3着のエンタイトルドを2馬身半差の2着に、ロジャーズ金杯の勝ち馬コックニーラスをさらに3馬身差の3着に破って勝利を収め、3度目の挑戦でようやく同競走を制した。

さらに凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に挑戦。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの勝利後にグレートヴォルティジュールS・英セントレジャーを連勝してきたリファレンスポイント、仏ダービー馬ナトルーン、エクリプスS勝利から直行してきたムトト、リュパン賞・コンデ賞・ギシュ賞・ダフニ賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬グルームダンサー(愛チャンピオンSでは本馬の前に12着最下位に終わっていた)、ニエル賞を勝ってきた仏ダービー・リュパン賞2着馬トランポリノ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで5着だったトニービン、ローマ賞・ハードウィックSの勝ち馬オーバン、ベルトゥー賞・エスペランス賞・ラクープドメゾンラフィットを勝ってきたタバヤーン、ミネルヴ賞・ロワイヤリュー賞・エヴリ大賞の勝ち馬シャラニヤなどが対戦相手となった。レースはラビット役のシャラニヤに競られたリファレンスポイントが猛烈なペースで先頭を飛ばす展開となった。一方の本馬は馬群の中団やや後方を追走。そして直線に入ると、失速するリファレンスポイントの脇をすり抜けて先頭に立とうとした。しかしここで本馬より後方で我慢していたトランポリノが外側から瞬く間に突き抜けていった。さらにその後方から来たトニービンにも抜かれてしまったが、その後から来たムトトの追撃は抑えて、勝ったトランポリノから5馬身差の3着となった。

さらに英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)に出走した。凱旋門賞で4着だったムトトとの対戦となったが、単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された本馬が、2着となったセレクトSの勝ち馬で英ダービー2着のモストウェルカムに2馬身半差、3着セントアンドリュースにはさらに4馬身差をつけて勝利を収め、ムトトは8着に沈んだ。英チャンピオンSの2連覇は、1972年のブリガディアジェラード以来15年ぶり史上9頭目だったが、牝馬による2連覇は史上初だった(この12年後に2連覇したアルボラーダが牝馬として史上2頭目)。

この年の本馬は米国には向かわず、ジャパンCを目指して日本に直行してきた。まずはジャパンCの前哨戦である富士S(T1800m)に出走。前年のジャパンC5着後にチッピングノートンSを勝っていたアワウェイバリースターも出走していたが、本馬が単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持され、アワウェイバリースターが単勝オッズ4.8倍の2番人気、浦和記念・関東盃・報知オールスターCを勝っていた地方代表馬ガルダンが単勝オッズ9.6倍の3番人気となった。スタートからしばらくは中団やや後方につけていたが、道中で位置取りがどんどん下がり、最終コーナーではぽつんと1頭離れた最後方というポジションだった。ところが直線を向くと内埒沿いからものすごい末脚を繰り出して、並ぶ間もなく全馬を抜き去り、そこからぐんぐんと後続馬を突き放して、2着アワウェイバリースターに5馬身差をつけて圧勝した。このレースを見ていた者は、口を揃えて「トリプティクがワープした」と評した。

本番のジャパンC(日GⅠ・T2400m)では、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS4着後にジェフリーフリアS・カンバーランドロッジSを勝ちバーデン大賞で2着していたムーンマッドネス、ベルリン大賞・ワシントンDC国際S・ヘルティー国際大賞の勝ち馬でオイロパ賞・マンノウォーS2着のルグロリュー、英セントレジャーでリファレンスポイントの1馬身半差2着だったマウンテンキングダム、コックニーラス、ドラール賞・リス賞・ルイジアナダウンズHの勝ち馬イアデス、アワウェイバリースター、セクレタリアトS・ロスマンズ国際Sの勝ち馬サウスジェット、ブーゲンヴィリアH・ディキシーHの勝ち馬でパンアメリカンH・ボーリンググリーンH2着のアカビールといった海外馬勢と、セントライト記念の勝ち馬で前走の天皇賞秋2着のレジェンドテイオー、毎日王冠・函館三歳S・京王杯オータムHの勝ち馬ダイナアクトレス、東京優駿2着馬サニースワロー、優駿牝馬・京都大賞典の勝ち馬トウカイローマン、前走5着のガルダンといった日本馬勢が対戦相手となった。前走の勝ち方が評価された本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、ムーンマッドネスが単勝オッズ3.6倍の2番人気、ルグロリューが単勝オッズ8.6倍の3番人気となった。スタートが切られると日本馬では最上位の7番人気だったレジェンドテイオーが先頭に立ち、本馬は後方3番手につけた。しばらくしてムーンマッドネスが加速してレジェンドテイオーをかわし、そのまま後続を大きく引き離していった。最終コーナーで先頭のムーンマッドネスに後続馬が詰め寄っていったが、本馬は相変わらず後方の位置取りだった。直線に入ってすぐにルグロリューが抜け出して先頭に立ったが、馬群に突っ込んだ本馬は他馬が壁になって抜け出す事が出来なかった。ようやく外側に持ち出して追い上げてきたが時既に遅く、好位から伸びたサウスジェットや本馬より後方から来たダイナアクトレスにも後れを取り、勝ったルグロリューから3馬身差の4着に終わった。

5歳時は7か月間で10回出走して6勝をマーク。GⅠ競走出走は9回で、そのうち5勝を挙げた。

競走生活(6歳前半)

本馬が6歳になった1988年に所有者のハント氏が破産申請した(その経緯はトリリオンの項に記載した)ために、本馬は売りに出され、製糸業・出版業・映画製作などで成功を収めた米国の実業家ピーター・M・ブラント氏(後にサンダーガルチの生産者となる)の所有馬となって現役を続行した。管理調教師はビアンコーヌ師のままだったが、所有者が変わったためか過去3年よりは穏やかな出走日程となった。

まずは3度目の出走となったガネー賞(仏GⅠ・T2100m)から始動したが、前年の英チャンピオンSで3着に破ったセントアンドリュースから5馬身差、2着となったアンドレバボワン賞の勝ち馬グランフルーヴからも3馬身差をつけられた3着だった。

同じく3度目の出走となったコロネーションC(英GⅠ・T12F)では、前年のジャパンCで5着に終わるも前走ヨークシャーCを勝ってきたムーンマッドネス、サンチャリオットS・ゴードンリチャーズSの勝ち馬インファミー、ヨークシャーオークス・ヴェルメイユ賞・プリティポリーSの勝ち馬ビントパシャの4頭立てだった。前走に続いてコーゼン騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持された。そして直線入り口最後方から追い込み、2着インファミーに3/4馬身差で勝利。コロネーションCの2連覇は、1961年のプティトエトワール以来27年ぶり史上4頭目だった。

さらにこれまた3度目の出走となるエクリプスS(英GⅠ・T10F)に、今度はクルーズ騎手を鞍上に参戦。ここでは、プリンスオブウェールズSを2連覇してきたムトト、前年のサンタラリ賞・仏オークスの勝ち馬インディアンスキマー、ギョームドルナノ賞・ロッキンジSの勝ち馬ブロークンハーテッド、英2000ギニーで2着してきたチャーマー、ロジャーズ金杯の勝ち馬でデューハーストS2着のシェイディハイツなどが対戦相手となった。ムトトが単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ4倍の2番人気となった。本馬は馬群の中団後方からレースを進めたが、直線では最後方から追い込んできたムトトに差され、先に抜け出したシェイディハイツにも及ばず、2連覇を達成したムトトから3馬身1/4差の3着に敗れた。

競走生活(6歳後半)

その後は北米に遠征して、アーリントンミリオン(加GⅠ・T10F)に挑んだ。なお、この年はアーリントンパーク競馬場改修のために、加国ウッドバイン競馬場での代替開催だった。鞍上には米国の名手ゲイリー・スティーヴンス騎手を迎えたが、勝ったシュマンドフェルデュノール賞・メシドール賞の勝ち馬ミルネイティヴから7馬身1/4差をつけられた10着と大敗。ユナイテッドネーションズH・サラナクS・レッドスミスH・カナディアンターフH・フォートマーシーHの勝ち馬エクワライズ、まだ本格化一歩前だったレキシントンS・ヒルプリンスSの勝ち馬サンシャインフォーエヴァー、サンセットHの勝ち馬ロワノルマン、サンフアンカピストラーノ招待H・サンルイオビスポH・ゴールデンゲートHの勝ち馬グレートコミュニケーターといった米国芝の強豪馬達や、前年の英チャンピオンSで2着に負かしたロッキンジSの勝ち馬モストウェルカムに先着を許した。

その後は欧州に戻って、4度目の愛チャンピオンS(愛GⅠ・T10F)に出走した。セントジェームズパレスSの勝ち馬で英国際S1位入線3着降着のパーシャンハイツ、エクリプスS2着後にダルマイヤー大賞を勝ち英国際Sではパーシャンハイツの降着により2位から1着に繰り上がっていたシェイディハイツ、エクリプスS4着後に出走した英国際Sで3位入線2着繰り上がりのインディアンスキマー、愛1000ギニー馬トラステッドパートナーなどとの対戦となった。パーシャンハイツが単勝オッズ3倍の1番人気に支持され、ドミニク・ブフ騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ7倍の4番人気だった。今回も馬群の最後方から追い込んできたが、先行したインディアンスキマー、逃げたシェイディハイツの2頭に届かず、勝ったインディアンスキマーから1馬身3/4差の3着までだった。

2週間後に出走したプランスドランジュ賞(仏GⅢ・T2000m)では、フレデリック・ヘッド騎手とコンビを組んだ。そして直線殿一気の追い込みを決めて、前年の仏オークスでインディアンスキマーとミエスクに続く3着に入っていたマスムーダを3/4馬身差の2着に抑えて勝利。

そして3度目の凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に向かった。エクリプスS勝利後にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・セレクトSを連勝してきたムトト、英ダービー・愛ダービーの勝ち馬カヤージ、英オークス・愛オークス・ヨークシャーオークス・フィリーズマイルの勝ち馬で英セントレジャー2着のディミニュエンド、ヴェルメイユ賞の勝ち馬インディアンローズ、前年の凱旋門賞2着後に伊ジョッキークラブ大賞・伊共和国大統領賞・ミラノ大賞を勝っていたトニービン、仏グランクリテリウム・パリ大賞・ニエル賞の勝ち馬でジャンプラ賞2着のフィジャータンゴ、プリンセスオブウェールズSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着のアンフワイン、愛セントレジャー・プリティポリーSの勝ち馬ダークロモンド、サンクルー大賞・コンセイユドパリ賞・アルクール賞の勝ち馬で前年のBCターフ3着のヴィレッジスターなどが対戦相手となった。既に競走馬としてのピークを過ぎていたと思われる本馬にとってこの相手では厳しく、結果は馬群の最後方から伸びずに、勝ったトニービンから7馬身差をつけられた13着に終わった。

その後は4度目の北米遠征を行い、チャーチルダウンズ競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)に出走した。愛チャンピオンSに続いてサンチャリオットS・英チャンピオンSを連勝してきたインディアンスキマー、アーリントンミリオン3着後にマンノウォーS・ターフクラシックS・バドワイザー国際を3連勝してきたサンシャインフォーエヴァー、コロネーションC2着後に加国際Sを勝ってきたインファミー、ガネー賞の勝利後にイスパーン賞・サンクルー大賞で2着していたセントアンドリュース、アーリントンミリオンでは7着だったグレートコミュニケーターなどが対戦相手となった。本馬は単勝オッズ12.9倍の5番人気という評価だった。スタートが切られるとグレートコミュニケーターが逃げを打ち、サンシャインフォーエヴァーが2番手、本馬が3番手を追走した。そして直線入り口ではこの3頭と後方から上がってきたインディアンスキマーの合計4頭が横並びとなった。しかし本馬は4頭の中で真っ先に失速してしまい、勝ったグレートコミュニケーターから11馬身差をつけられた4着と完敗。このレースを最後に、6歳時8戦2勝の成績で遂に現役生活にピリオドを打った。

本馬は世界6か国で通算35回もGⅠ競走に出走(このうち31回が牡馬混合戦)し、1着が9回、2着が4回、3着が11回の成績を残した。牡馬混合GⅠ競走勝ちは実に8勝に上っており、これはゴルディコヴァの9勝に次いで欧州調教牝馬史上2位である(ダリアも牡馬混合GⅠ競走で8勝を挙げているが、うち1勝は米国転厩後である)。牡馬を含む数々の強豪馬達と互角に戦い、頑健に走り続けた本馬は“The Iron Lady(鉄の女)”と評された。

血統

Riverman Never Bend Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Lalun Djeddah Djebel
Djezima
Be Faithful Bimelech
Bloodroot
River Lady Prince John Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Not Afraid Count Fleet
Banish Fear
Nile Lily Roman Sir Gallahad
Buckup
Azalea Sun Teddy
Coquelicot
Trillion Hail to Reason Turn-to Royal Charger Nearco
Sun Princess
Source Sucree Admiral Drake
Lavendula 
Nothirdchance Blue Swords Blue Larkspur
Flaming Swords 
Galla Colors Sir Gallahad
Rouge et Noir
Margarethen Tulyar Tehran Bois Roussel
Stafaralla
Neocracy Nearco
Harina
Russ-Marie Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Marguery Sir Gallahad
Marguerite

リヴァーマンは当馬の項を参照。

トリリオンは当馬の項を参照。→牝系:F4号族④

母父ヘイルトゥリーズンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州クレイボーンファームで繁殖入りした。初年度はミスタープロスペクターと交配され受胎したが、それから間もなくして不慮の事故により、お腹の子共々命を落としてしまった。この事故の詳細に関して載っている海外の資料を見つけることが出来なかったので、日本の資料を参照に記載しておく。1989年5月24日の夜、牧場を走るトラックのライトに驚いた本馬は、思わずトラックの前に飛び出してしまったとの事である。1980年代の世界競馬を席巻した“鉄の女”の子の走りを見ることは永久に叶わなくなった。この2年前の1987年には本馬の母トリリオンも出産時の事故のため13歳で他界しており、頑健さでは折り紙つきだったこの母子は2頭とも早世してしまった。本馬の姉妹の牝系子孫から凱旋門賞2連覇のトレヴや地方競馬の名馬フリオーソなど数々の活躍馬が登場しているのが救いであろうか。

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