ノーザリー

和名:ノーザリー

英名:Northerly

1996年生

鹿毛

父:セリード

母:ノースベル

母父:ベルウォーター

その卓越した闘争心で接戦を制するレースぶりと勝負服の模様から「闘争する虎」の異名で呼ばれた、21世紀初頭の豪州最強中距離馬

競走成績:3~8歳時に豪で走り通算成績35戦19勝2着7回3着2回

20世紀末から21世紀初頭にかけての豪州競馬界では牝馬の活躍が目立っており、短距離路線ではブラックキャビア、マイル路線ではサンライン、長距離路線ではマカイビーディーヴァという名牝が猛威を振るった。しかし中距離路線における同時代の最強馬とされるのは騙馬である本馬であり、牡馬(騙馬)勢の意地を見せている。後続に圧倒的な差をつけて勝つ事は少なく、ゴール前の競り合いにおいて凄まじいまでの闘争心を発揮して勝つタイプの競走馬であり、勝負服が黄色と黒の組み合わせであった事から、“The Fighting Tiger(闘争する虎)”の愛称で呼ばれた。

誕生からデビュー前まで

豪州における馬産の中心地は豪州東部のニューサウスウェールズ州(シドニーがある州)なのだが、本馬が誕生したオークランドパークスタッドは、豪州西部の西オーストラリア州にあった。生産者であるネヴィル・G・ダンカン夫妻とフレッド・カーズリー調教師夫妻の共同所有馬として、カーズリー師の管理馬となった。カーズリー師は繫駕速歩競走(二輪馬車を使用する競馬)における伝説的な名調教師でもあった。

競走生活(3・4歳時)

西オーストラリア州の州都で豪州第4位の大都市パースにあるアスコット競馬場で本馬がデビューしたのは結構遅い時期であり、3歳も後半になった2000年3月だった。デビュー戦のフェイトアカンプリH(T1500m)は頭差の3着だった。次走のリステッド競走アクアニタH(T1400m)を2馬身差で制して初勝利を挙げた。このシーズンは2戦のみで休養入りした。

翌00/01シーズンは、11月のセッペルトパラリキュールポートH(T1400m)から始動したが、勝ったグレートボウから5馬身差の4着に敗退。続くスタージョH(T1400m)では短頭差で勝利した。次走のRJピータースS(GⅢ・T1500m)では、2着スペシャルジェスターに4馬身3/4差をつけて完勝した。

それから7日後の大晦日前日には、アスコット競馬場で行われるGⅠ競走の中で最も古い1894年創設であるレイルウェイS(GⅠ・T1600m)に出走した。トゥーラックH2連覇のウムラム、フルーツアンドヴェジSを勝ってきたオールドコムレイドなど19頭が対戦相手となったが、本馬は斤量に恵まれた面もあり(出走20頭中最軽量の51kgで、トップハンデのウムラムとは7.5kgの差があった)、単勝オッズ7倍の2番人気に推された。レースではGⅠ競走勝ち馬でありながら本馬と同じく最軽量だったオールドコムレイドを2馬身3/4差の2着に下して勝利を収め、GⅠ競走初勝利を挙げた。

翌年は1月末のリステッド競走オーストラリアデイS(T1200m)に出走して、イグジットレーンの首差2着。この後に陣営は本馬を豪州東部に送ることにした。目標はメルボルンのフレミントン競馬場で行われるGⅠ競走オーストラリアンCだった。

まずは同じメルボルンにあるコーフィールド競馬場で行われるカリヨンC(GⅡ・T1600m)に、新国出身のグレッグ・チャイルズ騎手(当時の豪州競馬を席巻していたサンラインの主戦でもあった)を鞍上に出走。1分35秒1のコースレコードを計時して、2着オーバルオフィスに3馬身3/4差で勝利を収めた。その後は本番9日前に行われるヴィクトリア金杯(T2020m)に出走して、グリーンストーンチャームの1馬身差の3着と無難にまとめた。

そして、オーストラリアンC(GⅠ・T2000m)に参戦した。ヴィクトリアダービー馬ヒットザルーフ、ローズヒルギニー・コーフィールドCの勝ち馬ディアトライブ、クイーンズランドオークス・新国際Sの勝ち馬ジオヴァナ、アンセットオーストラリアSの勝ち馬ヒルオブグレイス、ケルトキャピトルS・キャプテンクックSの勝ち馬セントホーム、サウスオーストラリアンダービー・ニュージーランドSの勝ち馬ショウェラ、次走のローズヒルギニーを勝つセールオブセンチュリーといった強豪馬が対戦相手となった。しかし本馬が2着ヒットザルーフに3馬身1/4差をつけて、1分59秒46のコースレコードで完勝を収め、豪州東部にもその名を知らしめた。鞍上のチャイルズ騎手は「彼はまだサンラインの領域には達していませんが、王者としての全ての特徴を持っています」と賞賛した。

その後は西オーストラリア州に戻って休養入りし、このシーズンの成績は8戦5勝となった。

競走生活(5歳時)

翌01/02シーズンは、アスコット競馬場と並ぶパースの代表的競馬場であるベルモントパーク競馬場で8月に行われるリステッド競走グッドウッドスプリント(T1300m)から始動した。61kgという酷量を課せられたが、それでも2着プリンスオブポップに2馬身差で勝利した。次走のリステッド競走ファーンリーS(T1400m)では62kgが課せられてしまい、GⅢ競走ベルモントスプリントの勝ち馬コーポレートブルースの1馬身1/4差2着に敗れたが、斤量を考慮すると順調な調整ぶりであり、ここで再びメルボルンに向かうことになった。

まずはジョンFフィーハンS(GⅡ・T1600m)に出走。しかしこのレースにはかつてない強敵が待ち受けていた。それは、コックスプレート2回・香港マイル・フライトS・ドンカスターH・クールモアクラシック・オールエイジドS・マニカトS・ワイカトドラフトスプリントとGⅠ競走で9勝を挙げていた世界的名牝サンラインだった。チャイルズ騎手がサンラインに騎乗したため、本馬にはテン乗りのダミアン・オリヴァー騎手が騎乗した。サンラインにとっては得意のマイル戦であり、当然のように断然の1番人気に支持されていた。ところがレースでは先行したサンラインを本馬がゴール前で差し切り、首差で勝利した。

次走のアンダーウッドS(GⅠ・T1800m)では、AJCダービー・カンタベリーギニー・スプリングチャンピオンSの勝ち馬ユニヴァーサルプリンス、ヒットザルーフ、ローズヒルギニーの勝ち馬セールオブセンチュリー、サウスオーストラリアンダービー馬ビッグパット、ドゥーンベンCの勝ち馬キングカイテル、AJCダービー・ローズヒルギニー・コーフィールドC・ヤルンバSの勝ち馬スカイハイツ、レイルウェイSの勝ち馬スラヴォニック、ザTJスミスクラシック・クイーンズランドダービーの勝ち馬フリーメーソンなどが対戦相手となった。しかし単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された本馬が、ユニヴァーサルプリンスとの接戦で闘争心を発揮して、短頭差で勝利した。

次走のヤルンバS(GⅠ・T2000m)では、アンダーウッドSで本馬に敗れた馬の大半が姿を消したが、その代わりにジョージメインS・エプソムH・クイーンエリザベスSの勝ち馬ショーグンロッジと、この直後にコーフィールドCとメルボルンCを勝つクイーンズランドオークスの勝ち馬エセリアルが相手となった。しかし単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された本馬が、2着ショーグンロッジに3/4馬身差、3着エセリアルにはさらに1馬身差をつけて勝利した。

次走のコックスプレート(GⅠ・T2040m)では、サンライン、ユニヴァーサルプリンス、サイアーズプロデュースS・シャンペンS・ジョージメインSの勝ち馬ヴォイカウント、キングカイテル、ジョージライダーSの勝ち馬リファラル、それに、クイーンエリザベスⅡ世C・アーリントンミリオン・ウニオンレネン・メルセデスベンツ大賞を勝っていたシルヴァノ、アラルポカル・伊ジョッキークラブ大賞・ウニオンレネン・バーデンエアパック大賞・ハンザ賞・ボスフォラスCを勝っていたカイタノという独国調教馬2頭といった強力ラインナップとの対戦となった。チャイルズ騎手が騎乗するサンラインが単勝オッズ2.8倍の1番人気に支持され、オリヴァー騎手鞍上の本馬は単勝オッズ3.5倍の2番人気となった。スタートからサンラインが逃げを打ち、ヴォイカウントや本馬がそれを追撃。そしてムーニーバレー競馬場の短い直線に入ると、ヴォイカウントと叩き合いながら、先頭のサンラインを猛追した。ゴール前の大激戦を制したのは本馬であり、2着サンラインに3/4馬身差、3着ヴォイカウントにはさらに頭差をつけていた。しかしゴール前で3頭の馬体が接近しすぎて接触する場面があり、大外を走っていた本馬が内側によったのが原因ではないかとして審議が行われた。審議の結果、着順に変更は無かったが、この件については現在でも議論の的になっている。

少し後味が悪い結果ではあったが、それでも豪州最強馬の地位を獲得した本馬は、アスコット競馬場に凱旋してレイルウェイS(GⅠ・T1600m)に出走した。しかし前年は最軽量だった本馬も、今回は61.5kgのトップハンデであり、他馬とは7.5kg以上の斤量差があった。そして激戦に次ぐ激戦の疲労もあったらしく、結果は前年の同競走2着馬オールドコムレイドの5馬身差11着と完敗してしまった。

少し休養を取った本馬は、翌年2月に再びメルボルンに向かい、CFオーアS(GⅠ・T1400m)に出走した。オールドコムレイド、セントホーム、ヴィクトリアダービー馬アマルフィ、オーストラリアンギニー・フューチュリティS・イートウェルリヴウェルCの勝ち馬ミスターマーフィーなどが対戦相手となった。本馬は単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持されたのだが、ここでは少々距離が短かったようで、バルカダの1馬身1/4差2着に敗れた。

距離が伸びたセントジョージS(GⅡ・T1800m)では、2着オールドコムレイドに3/4馬身差で勝利した。次走は2連覇がかかるオーストラリアンC(GⅠ・T2000m)となった。オールドコムレイド、エセリアル、セントホームなどを抑えて、単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。しかしオールドコムレイドに首差屈して2着に敗れてしまい、このシーズンの出走はこれが最後となった。

この年10戦6勝(うちGⅠ競走3勝)の成績を挙げ、豪最優秀中距離馬を受賞した本馬だが、豪年度代表馬の座はコックスプレート敗戦後にワイカトドラフトスプリント・クールモアクラシック・ドンカスターH・オールエイジドSとGⅠ競走を4連勝したサンラインのものとなった。

競走生活(6歳時)

翌02/03シーズンは、前年と同じく8月のリステッド競走グッドウッドスプリント(T1300m)から始動した。斤量は前年より1kg軽かった(それでも60kg)のだが、GⅡ競走リースティアSなどグループ競走で7勝を挙げる地元の快速馬トリブラの4馬身差5着に敗れた。

それでもそのままメルボルンに向かい、まずはメムジーS(GⅡ・T1400m)に出走。しかし本馬の類稀な闘争心がここでは仇となってしまい、道中で隣を走っていたフィールズオブオマー(この時点では無名だったが、後にコックスプレートを2勝する事になる)に噛み付こうとして失速し、MRC1000ギニー・クラウンオークスとGⅠ競走2勝の名牝マジカルミスの3馬身3/4差4着(フィールズオブオマーは2着だった)に敗れた。

2連敗スタートとなった本馬だが、いずれも本馬にとっては距離不足だった。距離が伸びたクレイグリーS(GⅡ・T1600m)では、ウォーターフォードクリスタルマイル・JJリストンS・メムジーSとGⅡ競走を3勝するルザガレッタを半馬身差の2着に抑えて勝利した。

次走のアンダーウッドS(GⅠ・T1800m)では、マジカルミス、AJCダービー馬ドンエデュアルド、オーストラレイシアンオークスの勝ち馬タリーサンダー、マッキノンSの勝ち馬ラベラダーマ、オークランドCの勝ち馬マクガイア、スカイハイツ、ライカガヴとヘレンヴァイタリティの2頭の新ダービー馬といったGⅠ競走勝ち馬達が大挙して出走してきた。勢いに乗るマジカルミスが単勝オッズ2.9倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ3倍で僅差の2番人気となった。しかし本馬がマジカルミスを頭差の2着に抑えて勝ち、2連覇を達成した。

さらにターンブルS(GⅡ・T2000m)では、オーストラリアンギニー・豪フューチュリティSの勝ち馬ダッシュフォーキャッシュを首差の2着に抑えて勝利。次走のコーフィールドC(GⅠ・T2400m)では、AJCオークス馬リパブリックラス、ブリスベンC・ケルトキャピトルSの勝ち馬プライズドジェム、新ダービー馬ヘイル、ユニヴァーサルプリンス、フリーメーソン、タリーサンダー、ダッシュフォーキャッシュ、ヘレンヴァイタリティなどが本馬に挑んできた。出走馬の層が厚かった上に、本馬はこの距離を走るのが初めてであり、しかもトップハンデとなる58kgが課せられたため、1番人気と言っても単勝オッズは5.5倍に過ぎなかった。スタートが切られるとタリーサンダーが先頭に立ち、本馬はダッシュフォーキャッシュと共に2~3番手につけた。レースは極めて遅いペースで進行し、直線に入ると本馬の直後につけていたリパブリックラス、フリーメーソン、フィールズオブオマーなどが一気に押し寄せてきた。しかし四角で先頭に立っていた本馬がフィールズオブオマーの追い込みを短首差で凌いで勝利した。コーフィールドCを58kgで勝ったのは、過去20年間においては初めてのことだった(1990年に57kgで勝ったサイドストンが最高だった)。

そして2週間後のコックスプレート(GⅠ・T2040m)に出走。この年のコックスプレートは、同レース史上最高のメンバーが揃ったと言われたほどの強豪馬が名を連ねた。コーフィールドギニー・ヤルンバSなど既にグループ競走10勝を含む17戦12勝の成績を挙げて次代の最強馬候補と目されていた2歳年下のロンロ、これが引退レースのサンライン、直前のジョージメインSでGⅠ競走2勝目を挙げて勢いに乗るクイーンエリザベスSの勝ち馬デフィール、デビューから11戦してブルーダイヤモンドSなど7勝を挙げ2着3回のベルエスプリ(ブラックキャビアの父)、フィールズオブオマー、サイアーズプロデュースS・豪シャンペンS・ドンカスターマイルの勝ち馬アサーティヴラッド、海外からはこの年のカルティエ賞最優秀古馬に選ばれるシンガポール航空国際C・プリンスオブウェールズS・愛チャンピオンSの勝ち馬グランデラも参戦していた。本馬とロンロが並んで単勝オッズ4倍の1番人気に支持される一方で、豪州GⅠ競走3勝のアサーティヴラッドが最低人気になるほどのレベルだった。チャイルズ騎手はやはりサンラインに騎乗したため、本馬にはP・ペイン騎手が騎乗した。スタートからサンラインが逃げを打ち、本馬はそれを見るように2番手を追走した。そして最終コーナーで外側からサンラインに並びかけて叩き合いに持ち込んだ。直線半ばでサンラインを競り落としたところで、後方からデフィールとグランデラの2頭が追い上げてきた。しかし本馬が2着デフィールに1馬身差をつけて勝ち、2連覇を達成した。

その後はメルボルンCに向かうのではという予想もされていたが、陣営は距離が長すぎるし、斤量60kgも厳しすぎるとして、それを否定。その後はしばらく休養入りした。実はこの時期、何度かドバイへの遠征も取り沙汰されていたのだが、これも結局実現することはなかった。

翌年は2月のCFオーアS(GⅠ・T1400m)から始動した。フィールズオブオマー、ミスターマーフィー、ドンエデュアルド、ドバイレーシングクラブSの勝ち馬パーノッドなどが対戦相手となったが、本馬も含めて全体的に距離不足の馬が多いと判断されており、人気を集めていたのはGⅠ競走未勝利のアスコットヴェイルSの勝ち馬イノヴェイションガールと、ノーマンカーリオンSの勝ち馬イェルの2頭だった。レースではこの2頭にフィールズオブオマーを加えた3頭が大接戦を演じた末にイェルが勝利を収め、本馬は1馬身半差の4着に敗退した。

続くセントジョージS(GⅡ・T1800m)では、フィールズオブオマーを3/4馬身競り落として勝利した。続くリステッド競走ヴィクトリア金杯(T2020m)は60kgの斤量が影響したのか、勝ったミスタートリックスターから3/4馬身差の2着に敗れた。

次走のオーストラリアンC(GⅠ・T2000m)では、ドンエデュアルド、フィールズオブオマーなどが対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ1.7倍という断然の1番人気に支持された。そして2着ナチュラルブリッツに4馬身差をつけるという本馬には珍しい圧勝で、同競走2年ぶりの勝利を挙げた。

過去2年は、オーストラリアンCが終わると西オーストラリア州に帰っていたのだが、この年は初めてシドニーに向かい、ランヴェットS(GⅠ・T2000m)に出走した。リパブリックラス、フリーメーソン、ドンエデュアルド、カンタベリーギニー・ローズヒルギニーの勝ち馬カーネギーエクスプレス、ザメトロポリタンの勝ち馬ドレスサークルなどの有力馬が相手となったが、本馬が単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持された。しかし結果はリパブリックラスの鼻差2着だった。それから僅か1週間後にはNEマニオンS(GⅢ・T2400m)に出走。しかし61kgという斤量も響いたのか、勝ったグランドシティから3馬身差の6着に敗れた。

さらに翌週には、ザBMW(GⅠ・T2400m)に出走。リパブリックラス、フリーメーソン、コーフィールドギニー・ヴィクトリアダービー・ローズヒルギニーを勝ってきたヘレナス、シドニーCの勝ち馬ヘンダーソンベイ、新ダービー馬セントレイムズなどが対戦相手となった。シドニーで2連敗中の本馬だったが、ここでも単勝オッズ1.45倍という断然の1番人気に支持された。レースでは逃げるフリーメーソンを2番手で追いかけ、残り1000m地点で並びかけた。そしてここから内側のフリーメーソンと外側の本馬の2頭による非常に長い叩き合いが開始された。叩き合いが始まってから最終コーナーを回って直線に入り、ゴールラインを通過するまで、一度たりとも2頭の馬体が離れることは無いという壮絶な一騎打ちだった。いつもの本馬であれば競り合いに負ける事は無かっただろうが、ここでは最後の最後にフリーメーソンが僅かに前に出て鼻差で勝利し、本馬は2着に敗れた。しかしこの一騎打ちは素晴らしく、豪州競馬史上最高の名勝負の一つとまで讃えられている。

このシーズンの出走はこれが最後となったが、6歳時14戦7勝(うちGⅠ競走4勝)の成績で、豪年度代表馬・最優秀中距離馬に選出された。

競走生活(7・8歳時)

しかし連戦と激闘が祟ったのか、8月になって本馬は前脚に屈腱炎を発症してしまった。そのため現役を引退する事が一度は発表されたが、前走から1年5か月が経過した04/05シーズンの9月に、症状が癒えたとして現役復帰させられた。

復帰初戦は地元ベルモントパーク競馬場で行われたウェルターH(T1600m)となった。本馬の復帰戦を一目見ようと、3万人もの大観衆が詰め掛けていた。ここでは他馬より10kg以上も重い64.5kgを課せられてしまったが、勝ち馬から2馬身差の4着と、長期休養明けとしてはまずまずの内容だった。

即座にメルボルンに移動して、前走から僅か8日後のアンダーウッドS(GⅠ・T1800m)に出走。本馬が競走生活から離れている間に、豪州競馬における活躍馬はすっかり様変わりしており、本馬の後を受けて豪州最強馬として君臨したロンロさえも既に競馬場を去っていた。このレースにおける本馬の対戦相手は、ヴィクトリアダービー馬エルヴストローム、サウスオーストラリアンオークスの勝ち馬シーズアーチー、AJCオークス馬ワイルドアイリス、サウスオーストラリアンダービー・アンダーウッドS・コーフィールドCの勝ち馬マミファイ、クイーンズランドオークスの勝ち馬ザガリア、ブリスベンCの勝ち馬デインストーム、MRC1000ギニー・クラウンオークス・アローフィールドスタッドSの勝ち馬スペシャルハーモニー、トゥーラックHの勝ち馬ローマンアーチといった、本馬には馴染みがない馬ばかりであった。そして結果は勝ったエルヴストロームから8馬身差の10着と大敗。

次走のターンブルS(GⅡ・T2000m)でもエルヴストロームの6馬身差9着に終わり、その後屈腱炎が再発したという理由で再度引退。結果的に陣営が行った本馬の現役復帰作戦は、本馬を無意味に苦しめただけだった。

通算獲得賞金934万1850豪州ドルはサンラインに次いで豪州競馬史上第2位(当時)だった。

血統

Serheed Nijinsky Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Flaming Page Bull Page Bull Lea
Our Page
Flaring Top Menow
Flaming Top
Native Partner Raise a Native Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Dinner Partner Tom Fool Menow
Gaga
Bluehaze Blue Larkspur
Flaming Swords 
North Bell Bellwater ベリファ Lyphard Northern Dancer
Goofed
Belga Le Fabuleux
Belle de Retz
Paddle ジムフレンチ Graustark
Dinner Partner
Pram Fine Top
Gourabe
North Fleur Far North Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fleur Victoria Park
Flaming Page
Yoka Triple Bend Never Bend
Triple Orbit
Royal Hula Raise a Native
Grecian Queen

父セリードはニジンスキーの直子で、現役成績は18戦5勝と振るわなかったが、母が名牝ネイティヴパートナー(アラジ、ダンスパートナー、ダンスインザダーク、ダンスインザムードの曾祖母)、半弟が欧州の名短距離馬アジャダルという良血が評価されて西オーストラリア州で種牡馬入りしていた。27頭のステークスウイナーを送り出し、豪州西部ではトップクラスの種牡馬として活躍した。豪州種牡馬ランキングは本馬が年度代表馬に輝いた2002/03シーズンの2位が最高だが、豪州西部限定の種牡馬ランキングでは首位に5回なっている。しかし本馬が大活躍中の2001年12月に他界している。

母ノースベルは現役成績24戦5勝。本馬の半弟ノースボーイ(父ローリーズジェスター)【アスコットヴェイルS(豪GⅡ)・クリスフライヤー国際スプリント(星GⅢ)】も産んでいる。母系は豪州由来ではなく、元々は米国で地道に続いていた血統である。ノースベルの曾祖母ロイヤルフラの半姉グレシャンメロディーの曾孫には日本で走ったイシノラッキー【東京プリンセス賞・かしわ記念】が、ロイヤルフラの半妹エターナルクイーンの子にはエターナルプリンス【ウッドメモリアル招待S(米GⅠ)】がいる。ロイヤルフラの母グレシャンクイーンは、CCAオークス・スカイラヴィルS・アスタリタS・デモワゼルS・プライオレスS・モンマスオークス・デラウェアH・ガゼルHの勝ち馬で、1953年の米最優秀3歳牝馬にも選ばれた名牝。グレシャンクイーンの祖母アルバニアの牝系子孫からは、ベニーザディップ【英ダービー(英GⅠ)】、日本で走ったサイレンススズカ【宝塚記念(GⅠ)】、ビッグテースト【中山グランドジャンプ(JGⅠ)】、カンパニー【天皇賞秋(GⅠ)・マイルCS(GⅠ)】、トーセンジョーダン【天皇賞秋(GⅠ)】、マグニフィカ【ジャパンダートダービー(GⅠ)】などが出ているが、ここまで来ると近親とは言えない。→牝系:F9号族②

母父ベルウォーターは現役時代に仏で走り4戦して僅か1勝だが、リュパン賞(仏GⅠ)で3着、仏ダービー(仏GⅠ)で4着と、それなりの力は持っていた。ベルウォーターの父ベリファはリファール直子で、現役時代は11戦6勝。主にマイル路線で活躍し、トーマブリョン賞(仏GⅢ)・ジャンシェール賞(仏GⅢ)・クインシー賞(仏GⅢ)・ダフニ賞(仏GⅢ)に勝ち、ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)ではアイリッシュリヴァーの2着に入った。種牡馬としては当初欧州で供用され、ムーランドロンシャン賞の勝ち馬メンデスなどを出し、後に日本に輸入された。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のオークランドパークスタッドで余生を過ごした。2010年に豪州競馬の殿堂入りを果たした。2012年5月に疝痛から合併症を起こしてしまい、15歳で安楽死の措置が執られた。

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