エリシオ

和名:エリシオ

英名:Helissio

1993年生

鹿毛

父:フェアリーキング

母:エリス

母父:スルーピー

凱旋門賞を逃げて5馬身差で圧勝して「走る機械のような馬」と評されジャパンCでも好走したカルティエ賞年度代表馬だが種牡馬としては今ひとつ

競走成績:3・4歳時に仏日英で走り通算成績13戦8勝2着1回3着2回

誕生からデビュー前まで

キュリースカイマークファームによって生産された仏国産馬で、1歳8月のドーヴィルセールに出品され、スペインの実業家でマドリード競馬場の代表者でもあったエンリケ・サラソラ氏に35万フランで購入され、仏国エリー・ルルーシュ調教師に預けられた。

競走生活(3歳前半)

デビューはやや遅く、3歳3月にエヴリ競馬場で行われたモンターニュ賞(T2000m)だった。合計で4度の仏平地首位騎手を獲得する事になるドミニク・ブフ騎手を鞍上に、重馬場の中を快走して2着ノーベルタイクーンに10馬身差をつける圧勝劇を収め、鮮烈なデビュー戦を飾った。

2週間後のノアイユ賞(仏GⅡ・T2200m)では、単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。ここではコンデ賞の勝ち馬ゴービトウィーンがハナを主張したために、2番手を追走した。そのままの状態で直線に入ると、残り400m地点で失速したゴービトウィーンに代わって先頭に立ち、そのまま2着アルバタクスに4馬身差をつけて完勝した。

5週間後のリュパン賞(仏GⅠ・T2100m)では、前年の仏グランクリテリウム勝ち馬でオリビエ・ペリエ騎手騎乗のルーソリテールを抑えて、単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された。ここでもロシェット賞勝ち馬ルトリトン(この直後にジャンプラ賞を勝つ)がハナを主張したために、2番手を追走した。そのままの状態で直線に入ると、残り400m地点で先頭に立った。そこへ後方2番手を走っていたルーソリテールが猛然と追い上げてきたが、3/4馬身差で勝利を収めた。

そして迎えた仏ダービー(仏GⅠ・T2400m)では、オカール賞を勝ってきたアルバタクス、リステッド競走スレーヌ賞を完勝してきたグレープツリーロード、チェスターヴァーズなど3戦無敗のハイバロック、フォルス賞を勝ってきたラドヴォール、リッチモンドS・クリテリウムドサンクルーの勝ち馬ポラリスフライト、オカール賞2着のダークナイル、グレフュール賞を勝ってきたラグマールなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持され、アルバタクスが単勝オッズ5.8倍の2番人気、グレープツリーロードとハイバロックが並んで単勝オッズ6.4倍の3番人気となった。

スタートが切られるとホイストトゥヘヴンが先頭に立ち、本馬鞍上のブフ騎手は今回抑え気味に進めようとした。ところが本馬はそれに激しく抵抗して、甚だしく折り合いを欠いてしまった。結局は3番手でレースを進めたが、直線に入ると伸びを欠いた。レースは単勝オッズ10.3倍の8番人気だったラグマールが直線の追い込みを決めて勝利を収め、本馬はラグマールから3馬身差の5着に敗退してしまった。騎乗ミスを指摘されたブフ騎手は本馬から降ろされ、以降は仏ダービーで着外に終わったラドヴォールに騎乗していたペリエ騎手が主戦を務めることとなった。

次走のサンクルー大賞(仏GⅠ・T2400m)には、前走コロネーションCを勝ってきたドーヴィル大賞勝ち馬スウェイン、ラグマール、前年の仏ダービーで2着していたクリテリウムドサンクルー勝ち馬ポリグロート(凱旋門賞馬ソレミアの父)、前年の仏オークス・ヴェルメイユ賞勝ち馬カーリングなどの実力馬が参戦していた。スウェインが単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ3.7倍の2番人気、ラグマールが単勝オッズ6.7倍の3番人気となった。

スタートからポリグロートが先頭に立ち、本馬は2番手を追走した。直線に入る手前で仕掛けると、残り400m地点で先頭に立った。そこへ3番手で直線に入ってきたスウェインが追撃してきたが、1馬身差をつけて逃げ切り、3歳馬としては1981年のアカラッド以来15年ぶりの同レース勝ち馬となった。

競走生活(3歳後半)

夏場は休養に充て、秋は凱旋門賞を目指して前哨戦のニエル賞(仏GⅡ・T2400m)から始動。モーリスドニュイユ賞を勝ってきたダラザリ、仏ダービー2着後に愛ダービーでも2着していたポラリスフライト、仏ダービー7着後にパリ大賞を勝っていたグレープツリーロード、仏ダービー惨敗後にユジェーヌアダム賞を勝っていたラドヴォール、仏ダービー3着馬ルデスティンなどを抑えて、単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。スタートから敢然と先頭に立った本馬は、そのまま1度も先頭を譲る事無く、2着ダラザリに1馬身差で勝利した。

そして本番の凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に向かった。なお、この頃に日本から本馬を530万フラン(800万ドル。当時の為替レートで約9億円)で購入したいという申し出があったらしいが、サラソラ氏はそれを断った。

この年の凱旋門賞には、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・愛チャンピオンS・キングエドワードⅦ世S・グレートヴォルティジュールSなどの勝ち馬ペンタイア、英ダービー馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS3着のシャーミット、愛ダービー馬ザグレブ、サンクルー大賞2着後にフォワ賞を勝ってきたスウェイン、英セントレジャー・アスコット金杯・ダンテS・ヨークシャーCの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着のクラシッククリシェ、バーデン大賞・ロイヤルホイップS・ブリガディアジェラードSを勝ってきたピルサドスキー、愛セントレジャー・ハードウィックS・オーモンドSを勝ってきたオスカーシンドラー、サンタラリ賞・ヴァントー賞・ノネット賞の勝ち馬ルナウェルズ、前年の英ダービーでラムタラの2着だったタムレ、ダラザリ、前走3着のラドヴォール、同9着のポラリスフライトなど、当時の欧州におけるトップクラスの馬達が大挙して出走していた。しかし単勝オッズ2.8倍の1番人気に支持されたのは本馬であり、スウェイン、クラシッククリシェ、タムレの3頭がカップリングで単勝オッズ3.5倍の2番人気、ザグレブが単勝オッズ7.6倍の3番人気となっていた。

スタートから先頭に立った本馬はそのまま2番手のピルサドスキーや3番手のザグレブ以下を引きつけて逃げ続けた。直線を向いたときには、後続馬が既に一生懸命追っているのに、まだ馬なりで先頭を維持していた。そして残り500m地点を過ぎた頃に満を持してペリエ騎手が仕掛けると、二の脚を使って後続を瞬く間に引き離していった。残り70m地点で後方を振り向いて勝ちを確信したペリエ騎手は馬上で立ち上がってガッツポーズをしながらゴールイン。2番手追走のピルサドスキーがそのまま2着に入ったが、ゴール前では完全にペリエ騎手が追うのを止めていたにも関わらず、本馬とピルサドスキーの着差は5馬身もあった。最後まで追っていれば10馬身差はついたのではないかとも言われており、欧州最高峰のレースのゴール前というよりは、(大差がつきやすい)障害競走のゴール前のようにも見えたと評されている。

ピルサドスキーに騎乗していたウォルター・スウィンバーン騎手は「ペリエ騎手が追い始めてほんの2完歩ほどで既に追いつけないと分かりました」と言い、ピルサドスキーを管理していたマイケル・スタウト調教師は「私達は怪物の前に敗れました。(ピルサドスキーは)この年どんどん強くなっていましたが、不運にもここで走る機械のような馬に遭遇してしまったのです」と脱帽した。

その後に本馬はジャパンC(日GⅠ・T2400m)に参戦した。本馬以外の海外馬は、凱旋門賞で10着だったペンタイア、前走BCターフでピルサドスキーの2着だった加国際S・ゴードンリチャーズS・セレクトS勝ち馬シングスピール、アーリントンミリオン・セクレタリアトS・ETマンハッタンSと米国GⅠ競走3勝のアワッド、愛セントレジャー・ミラノ大賞・ドーヴィル大賞・ジョンポーターSの勝ち馬ストラテジックチョイス、レッドスミスH・WLマックナイトH・ボーリンググリーンHなどの勝ち馬フラッグダウンの計5頭(当初はコックスプレート・メルボルンCを連勝してきた豪州馬セイントリーも出走予定だったが直前で感冒のため取り消し)。日本からの参戦馬は、前走天皇賞秋でマヤノトップガン、サクラローレル、マーベラスサンデーなどの古馬勢を蹴散らして勝ってきた朝日杯三歳S・スプリングS勝ち馬バブルガムフェロー、NHKマイルC・毎日杯の勝ち馬タイキフォーチュン、前走エリザベス女王杯を勝ってきた前年の優駿牝馬勝ち馬ダンスパートナー、前走秋華賞を勝ってきたニュージーランドトロフィー四歳S勝ち馬ファビラスラフイン、鳴尾記念・アメリカジョッキークラブCなどの勝ち馬カネツクロスなど9頭だった。本馬が単勝オッズ3.4倍の1番人気に支持され、バブルガムフェローが単勝オッズ3.7倍の2番人気、ペンタイアが単勝オッズ6.8倍の3番人気、シングスピールが単勝オッズ7.6倍の4番人気と続いた。

スタートが切られると本馬はすぐに先行する構えを取ったが、外側から来たカネツクロスが先頭を奪ったために、無理に行かずに内側のファビラスラフインを抑えて2番手を追走した。そのままの位置取りで直線に入ってくると一気に抜け出そうとした。しかし凱旋門賞ほどの目が覚めるような二の脚を使う事は出来ず、すぐにシングスピール、ファビラスラフイン、ストラテジックチョイスの3頭に並びかけられた。シングスピールとファビラスラフインの2頭が叩き合いながら抜け出し、本馬はストラテジックチョイスにかわされて4番手に落ちたが、ゴール前で卓越した闘争心を発揮してストラテジックチョイスに並びかけて同着に持ち込んだ。勝ったシングスピールからは1馬身半差の3着であり、これは凱旋門賞馬としてジャパンCに参戦した馬の中では現在でも最上位の着順である(1982年のジャパンCで2着したオールアロングは凱旋門賞馬だが、凱旋門賞を勝ったのはジャパンCの翌年である)。

3歳時は8戦6勝の成績で、この年のカルティエ賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬・最優秀3歳馬のタイトルを獲得した(最優秀3歳馬はこの年限りの部門であり、本馬以外に受賞した馬は存在しない)。

競走生活(4歳時)

翌4歳時も凱旋門賞連覇を目指して現役を続行。まずはドバイワールドC出走を目指してドバイ入りしたが、豪雨によりレースが延期になったため、出走を諦めて帰国した。

改めて4歳初戦となったガネー賞(仏GⅠ・T2100m)では、凱旋門賞2着後にBCターフを勝っていたピルサドスキー、ストラテジックチョイス、アルクール賞を勝ってきたリヴァーベイ、前年の凱旋門賞で6着だったルデスティンなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.6倍の1番人気に支持され、ピルサドスキーが単勝オッズ4.7倍の2番人気、リヴァーベイが単勝オッズ5倍の3番人気となった。スタートが切られると最低人気馬トロイアンシーが重馬場の中を無理矢理に先頭に立ち、本馬は2番手を追走した。そして残り800m地点で悠々と先頭に立つと、そのまま後続との差を広げ続け、最後は2着ルデスティンに6馬身差をつけて圧勝した。

次走のサンクルー大賞(仏GⅠ・T2400m)では、専属契約の都合でペリエ騎手が騎乗出来なかったため、キャッシュ・アスムッセン騎手が騎乗した。対戦相手は、前年の凱旋門賞で11着だったダラザリ、ジョッキークラブS勝ち馬で英チャンピオンS2着のリヤディアン、フォルス賞勝ち馬マゼラノの3頭だけであり、本馬が単勝オッズ1.1倍という断然の1番人気に支持された。さらには得意の不良馬場となったこともあって本馬の一人舞台となり、2着マゼラノに5馬身差をつける完璧な逃げ切り勝ちを決めて、1973年のラインゴールド以来24年ぶり史上4頭目の同競走2連覇を達成した。

続いて英国に遠征してキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)に参戦。ここでもアスムッセン騎手とコンビを組んだ。対戦相手は、ドバイワールドC・コロネーションCを連勝して世界トップクラスの馬としての地位を固めていたシングスピール、ガネー賞3着後にエクリプスSを勝っていたピルサドスキー、前年の凱旋門賞4着後にBCターフで3着していたスウェイン、英セントレジャー・伊ジョッキークラブ大賞・ミラノ大賞・プリンセスオブウェールズSの勝ち馬シャントゥ、キングエドワードⅦ世Sを8馬身差で圧勝してきたキングフィッシャーミル、ブランドフォードS・ハードウィックSの勝ち馬プレダッピオ、ガネー賞で5着だったストラテジックチョイスの7頭で、いずれも実力馬揃いだった。本馬が単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持され、シングスピールが単勝オッズ5倍の2番人気、ピルサドスキーが単勝オッズ7倍の3番人気となった。しかしスタートから先頭に立ったものの、途中でやや後退して馬群に包まれてしまい、前が開かずにスウェインの2馬身1/4差3着に終わった。

次走はムーランドロンシャン賞(仏GⅠ・T1600m)となった。過去2000m以上のレースしか走った事がない本馬にとっては距離に不安があったが、それでも愛2000ギニー・ジャックルマロワ賞2連覇とGⅠ競走3勝を挙げていた当時の欧州最強マイラーのスピニングワールド、仏2000ギニー勝ち馬でジャックルマロワ賞・クリテリウムドサンクルー2着のデイラミを抑えて、単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。ここでは単勝オッズ2.5倍の2番人気だったスピニングワールド陣営が用意したペースメーカー役のピペリが先頭を奪い、本馬は3番手を追走した。直線に入って残り400m地点でいったんは先頭に立ったものの、ここから一気にスピニングワールドに突き抜かれてしまい、3馬身差をつけられて2着に敗退した。

その後、連覇を目指して凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に出走した。対戦相手は、仏ダービー・パリ大賞の勝ち馬パントレセレブル、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着後に愛チャンピオンSを勝っていたピルサドスキー、スウェイン、前走の愛セントレジャーで同競走2連覇を果たしてきた前年の凱旋門賞3着馬オスカーシンドラー、独ダービー・バーデン大賞を勝っていた牝馬ボルジア、愛オークス馬エバディーラ、ヴェルメイユ賞勝ち馬クイーンモード、ヴェルメイユ賞・ヨークシャーオークスの勝ち馬マイエマ、ヴィクトリアダービー・スプリングチャンピオンSと豪州GⅠ競走2勝のナッシンライカデーン、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで7着だったプレダッピオなどだった。パントレセレブルが単勝オッズ3.2倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.5倍の2番人気、ピルサドスキーが単勝オッズ4.8倍の3番人気、スウェインとプレダッピオのカップリングが単勝オッズ10.4倍の4番人気と続いた。

ペリエ騎手がパントレセレブルに騎乗したため、本馬の鞍上は仏ダービー以来のブフ騎手となった。スタートが切られると当然本馬は先頭を伺ったが、この年は他馬もすんなりと逃がしてくれず、ビジーファイトにハナを叩かれ、スウェインに後ろからつつかれる厳しい展開となった。そのため完全に先頭に立ったのはスタートから800mほど走ってからだった。その結果として非常に速いペースになってしまい、直線半ばまで粘り続けたが、残り300m過ぎでパントレセレブルにかわされると力尽きて失速し、勝ったパントレセレブルから7馬身3/4差の6着に敗れた。これが現役最後のレースとなり、4歳時の成績は5戦2勝となった。

血統

Fairy King Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Fairy Bridge Bold Reason Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Lalun Djeddah
Be Faithful
Special Forli Aristophanes
Trevisa
Thong Nantallah
Rough Shod
Helice Slewpy Seattle Slew Bold Reasoning Boldnesian
Reason to Earn
My Charmer Poker
Fair Charmer
Rare Bouquet Prince John Princequillo
Not Afraid
Forest Song Mr. Music
Sylvanaise
Hirondelle Val de l'Orne Val de Loir Vieux Manoir
Vali
Aglae Armistice
Aglae Grace
Hermanville Cutlass Damascus
Aphonia
Peaceful Lane Hasty Road
Peaceful Sky

フェアリーキングは当馬の項を参照。

母エリスは現役成績6戦1勝。近親には活躍馬が殆ど見当たらず、4代母の姉妹の子まで離れてようやく、レーザーライト【レムセンS(米GⅠ)】、ジャンクション【ウィザーズS(米GⅡ)・ドワイヤーH(米GⅡ)】、レイズアプルーヴァル【ロバートFケアリー記念H(米GⅢ)】などの名前が出てくる程度である。→牝系:F10号族②

母父スルーピーはシアトルスルーの直子で、現役成績は20戦8勝。ヤングアメリカS(米GⅠ)・メドウランズC(米GⅠ)・ペターソンS(米GⅡ)などを勝っている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は社台グループに購入されて来日し、総額19億8千万円(3300万円×60株)のシンジケートが組まれて、社台スタリオンステーションで種牡馬入りした。社台グループはキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSのレース前に本馬を2200万ドル(当時の為替レートで約25億3千万円)で購入したい旨をサラソラ氏に打診したが一度は断られていたらしく、それでも交渉を続けて本馬の導入に成功したようである。

当然種牡馬としての期待は大きく、初年度の1998年は104頭、2年目は180頭、3年目は151頭、4年目の2001年は115頭の繁殖牝馬を集めた。この2001年にデビューした産駒の成績は良いとも悪いとも言い難いものであり、5年目の交配数は77頭、ブリーダーズスタリオンステーションに移動した6年目の2003年は72頭となった。

一方で本馬は種牡馬入り初年度と2年目に豪州ワイデンスタッドにもシャトルされており、海外で誕生した産駒もいた。その中の1頭である豪州産馬エレナスが2002年のコーフィールドギニー・ヴィクトリアダービーと翌年のローズヒルギニーを勝つ活躍を見せた。そのために2003年に三度ワイデンスタッドにシャトルされた本馬は、結局再び日本に戻ってくることは無かった。

2004・05年には英国ナショナルスタッドでリース供用されていたが、2005年に正式に愛国スカーヴァハウススタッドに売却された。その後はスカーヴァハウススタッド、ラーキングラスファーム、パークハウススタッドなどを転々として種牡馬生活を続けた。そして2013年10月に心臓発作のためスカーヴァハウススタッドにおいて20歳で他界した。なお、海外のウェブサイトである“Thoroughbred Horse Pedigree Database”には、本馬が他界したという記載が2013年9月時点で既に存在していたのを筆者はこの目ではっきりと見たが、他の海外記事にはそのような話がまるで載っていなかったので首を捻っていたところ、翌月になって訃報が流れたという経緯があった。本当は9月に他界したのか、体調を崩した話を耳にした誰かがフライングで書き込んだのか、真相は不明である(“Thoroughbred Horse Pedigree Database”の記事は後に2013年10月に他界したと修正されている)。

本馬が日本を去った後になってポップロックが活躍したが、日本産馬からGⅠ競走勝ち馬が出る事は無く、欧州産馬からも活躍馬は出なかった。全日本種牡馬ランキングでは2004年の22位が最高である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1999

Helenus

コーフィールドギニー(豪GⅠ)・ヴィクトリアダービー(豪GⅠ)・ローズヒルギニー(豪GⅠ)

1999

ヘルスウォール

チューリップ賞(GⅢ)

2001

スマートブレード

マイル争覇(福山)

2001

ポップロック

目黒記念(GⅡ)

2004

エプソムアーロン

福永洋一記念(高知)2回・園田FCスプリント(園田)・トレノ賞(高知)・大高坂賞(高知)・オッズパークグランプリ(笠松)・御厨人窟賞(高知)・トレノ賞(高知)・建依別賞(高知)

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