サンボウ

和名:サンボウ

英名:Sun Beau

1925年生

鹿毛

父:サンブライヤー

母:ビューティフルレディ

母父:フェアプレイ

気性が激しい馬主のせいで現役時代に8度も調教師が代わりながらもホーソーン金杯3連覇などの活躍で1930年代の世界賞金王に君臨する

競走成績:2~6歳時に米加墨で走り通算成績74戦33勝2着12回3着10回

誕生からデビュー前まで

米国の事業家兼馬主だったウィリアム・シャープ・キルマー氏により米国ヴァージニア州において生産・所有された。キルマー氏は本馬の父サンブライヤーや名馬エクスターミネーターの所有者でもあった。エクスターミネーターの項にはキルマー氏に関して殆ど書かなかったのでここに簡単に経歴を記すと、彼は医薬品製造で名を馳せたシルヴェスター・アンドラル・キルマー博士の甥であり、伯父の事業を受け継いだ父と共に医薬品のマーケティングに力を注いで成功した。その後は不動産業や馬主業にも進出して活躍している。

競走生活(2・3歳時)

本馬は2歳時にデビューしたが、この年は4戦して1勝止まりだった。3歳シーズン当初もあまり振るわなかった。ジョン・クレイグマイル騎手と組んで出走したプリークネスS(D9.5F)では、勝ったヴィクトリアンから5馬身半差の5着。翌週のケンタッキーダービー(D10F)では、キルマー氏の生産・所有馬だったがジョン・ダニエル・ハーツ氏に購入されてキルマー氏の手元を離れていたレイカウントが勝利を収め、本馬は19馬身差をつけられた11着と惨敗。ベルモントS(D12F)では、勝ったヴィトから16馬身差の6着と惨敗と、良いところが無かった。

しかし3歳シーズン後半になると突然素質が開花。夏場に出走したリンカーンH(D10F)では、アメリカンダービーの勝ち馬トロの2着。9月のポトマックH(D8.5F)では、プリークネスSの他にウィザーズS・マンハッタンHも勝っていたヴィクトリアンを2着に破り、デビュー21戦目にしてステークス競走の初勝利を挙げた。

さらにターフウェイパークフォールCS(D14F)を勝利。ハヴァードグレイスH(D9F)では、ジェロームH・トボガンH・カーターHなどを勝っていた4歳馬オスマンドの2着に敗れたが、ベルモントS・ドワイヤーS・サバーバンH2回・ジョッキークラブ金杯を勝っていた一昨年の米年度代表馬クルセイダー(3着)には先着した。メリーランドH(D10F)では、ヴィクトリアンに加えてトラヴァーズSの勝ち馬ペティーラックとの対戦となったが、本馬が勝利を収めた。ラトニアチャンピオンH(D14F)では、超不良馬場を克服して勝利した。プリンスジョージズH(D8.5F)では、サンフォードSの勝ち馬ナッサクの2着に入った。3歳時の成績は23戦8勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時はやはりシーズン前半は目立つ成績を残さなかったが、夏場から活躍を開始。アーリントンパーク競馬場で出た新設競走スターズ&ストライプスH(D9F)では、ドゥワジャックの3着。トロントオータムC(D10F)では、ガフスマンの3着だった。そして秋になると、アケダクトH(D9F)で暮れのジョッキークラブ金杯を制するディアボロを2着に撃破して勝利。ハヴァードグレイスH(D9F)では、セリマS・CCAオークス・ガゼルH・サバーバンH・ホイットニーSを勝っていたこの年の米最優秀ハンデ牝馬バトゥーを破って勝利した。ワシントンH(D10F)では、同世代のウッドメモリアルSの勝ち馬ディストラクション、前年の第1回ホーソーン金杯を勝っていた2歳年上のプリークネスSの勝ち馬ディスプレイなどを破って勝利した。アケダクトH・ハヴァードグレイスH・ワシントンHの間には敗北が無く、この3競走を含めて5連勝した。

そしてホーソーン金杯(D10F)では、ワシントンパークHを2連覇するミスステップを2着に、ディアボロを3着に撃破して、2分01秒6のコースレコードを樹立して勝利した。4歳時の成績は14戦6勝で、後年に選定された米年度代表馬の座こそベルモントS・ウィザーズS・アーリントンクラシックSを勝利した3歳馬ブルーラークスパーに譲ったが、ディアボロと並んで米最優秀ハンデ牡馬に選出された。

競走生活(5歳時)

5歳時も相変わらず夏場から調子を上げた。まずはブルックデールH(D9F)で、ホープフルS・メトロポリタンHの勝ち馬ジャックハイの3着。ブルーラークスパーとの対戦となったスターズ&ストライプスH(D9F)では、ブルーラークスパー、ミスステップの2頭に後れを取って3着だった。トロントオータムC(D10F)では132ポンドを背負いながらも勝利。ハヴァードグレイスS(D9F)ではスピナッチの2着だったが、前年のプリークネスSの勝ち馬ドクターフリーランド(3着)には先着した。ワシントンH(D10F)では2連覇を達成。

さらにホーソーン金杯(D10F)では、この年のアーリントンHを勝っていたピジョンホール、この年のケンタッキーオークス馬で米最優秀3歳牝馬に選ばれるアルキビアデスを撃破して2連覇を達成。サザンメリーランドH(D8.5F)では、アーリントンメイトロンHの勝ち馬で翌年の米最優秀ハンデ牝馬に選ばれるヴァランシエンヌを2着に破って勝利した。ボウイーH(D12F)では少々距離が長かったか、インセプションの3着までだった。5歳時は19戦9勝の成績を残し、ブルーラークスパーと並んで2年連続の米最優秀ハンデ牡馬に選出されたが、米年度代表馬の座は米国三冠馬ギャラントフォックスに譲ることになった。

競走生活(6歳時)

6歳時は珍しく春先から活躍を開始し、フィラデルフィアH(D8.5F)では、ディキシーHの勝ち馬ポールバニヤンを2着に破って勝利。隣国のメキシコにあるアグアカリエンテ競馬場で出走したファッションS(D9F)も勝利した。夏場のアーリントン金杯(D10F)では、ワシントンHやディキシーHを勝って3年前の米最優秀ハンデ牡馬に選ばれていたマイクホールを2着に破り、2分01秒8のコースレコードを計時して勝利した。さらにアーリントンH(D10F)も128ポンドを背負いながら、この年のスターズ&ストライプスHの勝ち馬プラッキープレイを相手に勝利。リンカーンH(D10F)でもプラッキープレイを2着に破って勝利した。その後はサラトガC(D14F)に出走したが、やはり距離が長かったようで、この年のケンタッキーダービー・ベルモントS・ウッドメモリアルS・ドワイヤーS・トラヴァーズSを勝っていたトゥエンティグランドに10馬身差をつけられて2着に敗退した。ホーソーンH(D9F)でも、プラッキープレイの2着に敗れた。

しかし現役最後のレースとなったホーソーン金杯(D10F)では、プラッキープレイ、プリークネスS・アーリントンクラシックSの勝ち馬メイト、トラヴァーズSの勝ち馬ジムダンディといった実力馬を相手に、3番手追走から直線で抜け出して2着メイト以下に勝利を収め、現在まで続いている同レース史上唯一となる3連覇を達成して有終の美を飾った。6歳時は14戦9勝の成績を残し、3年連続の米最優秀ハンデ牡馬に選出された。しかし米年度代表馬にはトゥエンティグランドが選ばれたため、結局本馬は米年度代表馬になる事は出来なかった。

本馬は現役時代に延べ8回も管理調教師が代わっている(チャールズ・W・キャロル師、アンドリュー・G・ブレイクリー師、W・S・“ドク”・クロフォード師、アンディ・シャティンガー師、ジャック・ホワイト師など。いったん解雇された調教師が再度担当したケースも複数ある)。エクスターミネーターも同様に調教師が何度も代わっているが、その理由はキルマー氏の炎のように激しい気性にあったとされている。本馬が賞金10万ドルを誇ったメキシコの大競走アグアカリエンテHに出走したときの事。キルマー氏はシカゴのホテルでレースの模様をラジオで聞いていたが、本馬が道中で先頭を他馬に譲ったとアナウンサーが実況した途端に激怒してラジオを叩き壊したという。調教師が何度も代わるというのは本馬にとって決して良くない事だったが、本馬はこの不利な状況下で走りまくり、生涯で37万6744ドルの賞金を獲得し、ギャラントフォックスの記録32万8165ドルを破って当時の世界賞金王に君臨した(9年後にシービスケットにより更新される)。

血統

Sun Briar Sundridge Amphion Rosebery Speculum
Ladylike
Suicide Hermit
Ratcatcher's Doughter
Sierra Springfield St. Albans
Viridis
Sanda Wenlock
Sandal
Sweet Briar St. Frusquin St. Simon Galopin
St. Angela
Isabel Plebeian
Parma
Presentation Orion Bend Or
Shotover
Dubia Ayrshire
Miss Middlewick
Beautiful Lady Fair Play Hastings Spendthrift Australian
Aerolite
Cinderella Tomahawk
Manna
Fairy Gold Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Dame Masham Galliard
Pauline
Mileage Rock Sand Sainfoin Springfield
Sanda
Roquebrune St. Simon
St. Marguerite
Lady Madge Rayon d'Or Flageolet
Araucaria
Lady Margaret The Ill-Used
Lady Rosebery

父サンブライヤーは、サンドリッジの直子。仏国の名馬産家マルセル・ブサック氏の生産馬で、幼少期に米国に輸入された後にキルマー氏に購入されて米国で競走生活を送った。2歳時にはホープフルS・サラトガスペシャルS・グランドユニオンホテルS・グレートアメリカンS・オールバニーHに勝ち、9戦5勝の成績で米最優秀2歳牡馬に選出された。3歳時はケンタッキーダービー制覇の期待をかけられ、その併せ馬調教パートナーとするために、陣営は2歳時に4戦2勝と目立たない競走馬だったエクスターミネーターを購入した。しかしサンブライヤーが骨瘤を発症したためにケンタッキーダービーに出られなくなってしまい、陣営は代役としてエクスターミネーターをケンタッキーダービーに出走させたところ、エクスターミネーターは人気薄を覆して優勝してしまった。サンブライヤーもその後、トラヴァーズSやシャンプレインHでエクスターミネーターを破り、他にもデラウェアHを勝つなど、通算22戦8勝2着4回3着5回の成績を残したが、現在ではエクスターミネーターが米国の歴史的名馬として著名なのに対して、サンブライヤーは地味な存在になってしまっている。しかしサンブライヤーは種牡馬としても活躍し、本馬の他に、ジョッキークラブ金杯・サバーバンHの勝ち馬ファイアーソーン、ケンタッキーオークス馬サンティカ、ウッドメモリアルS・ベルモントフューチュリティSの勝ち馬ポンペイなど数多くのステークスウイナーを出した。

母ビューティフルレディは不出走馬。本馬の1歳年上の全姉サンフェアリーの孫にはブルーケース【スピナウェイS】、牝系子孫にはカミカゼリック【ガゼルH(米GⅠ)】、スプレンディドブレンディド【ハリウッドスターレットS(米GⅠ)・ヴァニティH(米GⅠ)】、リリーオブザヴァレー【オペラ賞(仏GⅠ)】、日本で走ったホクトヘリオス【京成杯三歳S(GⅡ)・中山記念(GⅡ)・函館三歳S(GⅢ)・京王杯オータムH(GⅢ)・東京新聞杯(GⅢ)】、リトルオードリー【桜花賞トライアル四歳牝馬特別(GⅡ)】、スギノハヤカゼ【スワンS(GⅡ)・CBC賞(GⅡ)・アーリントンC(GⅢ)・中日スポーツ賞四歳S(GⅢ)】、ビーナスライン【函館スプリントS(GⅢ)】、ザラストロ【新潟2歳S(GⅢ)】などが出ており、今世紀も牝系を維持している。→牝系:F4号族⑤

母父フェアプレイは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、キルマー氏が米国ヴァージニア州に所有していたレムリクファームで種牡馬入りした。しかし種牡馬としては産駒134頭のうちステークスウイナーが6頭と、期待に応えられなかった。1943年に19歳で他界した。1996年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第93位。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1936

Impound

サンヴィンセントS

1938

Bon Jour

トレントンH

TOP