インリアリティ

和名:インリアリティ

英名:In Reality

1964年生

鹿毛

父:インテンショナリー

母:マイディアガール

母父:ラフンタンブル

同世代のドクターファーガーやダマスカスには歯が立たなかったが種牡馬として成功し、マンノウォーの直系を後世に伝える原動力となる

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績27戦14勝2着9回3着2回

誕生からデビュー前まで

母マイディアガールの所有者でもあったフロリダ州の馬産家フランシス・A・ジェンター夫人(後にケンタッキーダービー・BCクラシック勝ち馬アンブライドルドの所有者となる)と、夫のハロルド・ジェンター氏により生産・所有されたフロリダ州産馬で、メルヴィン・カルヴァート調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳時に米国東海岸でデビュー。8月のサプリングS(D6F)では、グレイトパワーの2着。10月のカウディンS(D7F)では同じくフロリダ州出身の快速馬ドクターファーガー、後にシャンペンS・ガーデンステートS・トレモントSを制してこの年の米最優秀2歳牡馬に選ばれるサクセッサーという強敵2頭と対戦した。本馬は直線でいったん先頭に立ったが、珍しく控える競馬をしたドクターファーガーに差されて、3/4馬身差の2着に惜敗した。しかし10月末に出走したピムリコフューチュリティS(D8.5F)では、サクセッサーを2着に破って勝利した。2歳時の成績は8戦4勝2着1回3着2回だった。

3歳時は地元フロリダ州から始動。まずは1月のハイビスカスS(D6F)に出走して、後のカリフォルニアダービー勝ち馬リーズントゥヘイルを2着に破って勝利。2月のフロリダブリーダーズS(D7F)ではビラーの2着に敗れた。3月のフラミンゴS(D9F)では、ブリーダーズフューチュリティS勝ち馬ジェントルマンジェームス(4着)には先着したものの、エヴァーグレイズSを勝ってきたリフレクティドグローリーの2着に敗れた。しかし次走のファウンテンオブユースS(D8.5F)では、2着ビラーに半馬身差、3着リーズントゥヘイルにはさらに半馬身差、4着ジェントルマンジェームスにもさらに半馬身差をつけて勝利。次走のフロリダダービー(D9F)でも前走と同じ着順となり、本馬が勝って、ビラーが2着、リーズントゥヘイルが3着だった。

ここまでの本馬の実績であればケンタッキーダービーに向かっても何の不自然も無いはずだが参戦しなかった。本馬の資料には全く理由の記載がないが、ダマスカスやドクターファーガーの項に記載したとおり、この時期の米国は公民権運動の激化により治安が悪化しており、ケンタッキー州はその中でも状況が悪かったから、ジェンター夫妻は出走を見合わせたのかも知れない。

ケンタッキーダービーには出なかったが、プリークネスS(D9.5F)には出走。ケンタッキーダービーを勝ってきたプラウドクラリオン、同2着のバーブズディライト、同3着だったダマスカス、サプリングSで本馬を破ったグレイトパワー、リーズントゥヘイルなどが対戦相手となった。このメンバー構成の中で3番人気に推された本馬だが、ケンタッキーダービーでは十分に実力を発揮できなかったダマスカスがここでは快走し、本馬は直線で粘るも差されて2馬身1/4差の2着に敗れた。

プリークネスSから10日後に出走したジャージーダービー(D9F)では、再度ドクターファーガーとの対戦となった。ここではドクターファーガーが快走を見せて、2位入線の本馬に4馬身差をつけてトップゴールを果たした。ところが何と最初のコーナーを回る際に、ドクターファーガーが本馬に噛み付いていたという事実が分かり、ドクターファーガーは失格処分となり、本馬が繰り上がって勝利馬となった。

その後は7月のラムソンH(D6F)に向かい、ここでは普通に勝利した。それから10日後のチョイスS(D8.5F)も勝利した。次走のアメリカンダービー(D9F)では、ダマスカスとの再戦となった。しかしプリークネスSから一段と強くなっていたダマスカスのレコード駆けの前に、7馬身差をつけられて2着に敗れた。その後に出走したニューハンプシャースウィープS(D10F)では、逃げるドクターファーガーに早めに並びかけて叩き合いに持ち込んだが、競り負けて1馬身1/4差2着に敗れた(ただし3着バーブズディライトには9馬身差をつけていた)。ジェロームH(D8F)でもハイトリビュートの2着に終わり、3歳シーズンを終えた。3歳時の成績は12戦6勝2着6回だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は前年と同じくフロリダ州から始動して、1月のロイヤルパームH(D7F)に出走したが、ジムジェイの3着に敗れた。次走のセミノールH(D9F)では、サクセッサー、サラトガスペシャルS勝ち馬フェイヴァレーブルターンといった同世代馬達と対戦。しかし勝ったフェイヴァレーブルターンから8馬身差をつけられて2着に敗れた。しかしジョンBキャンベルH(D8.5F)では、2着バーブズディライト以下を一蹴し、1分42秒0のコースレコードを計時して勝利した。その後に出走したカーターH(D7F)では、前年の勝ち馬チュミガが2連覇を狙って参戦してきたが、本馬がチュミガを2着に抑えて勝利した。それから僅か10日後に出たメトロポリタンH(D8F)では、カウディンS・セミノールH・トボガンH・ウエストチェスターHを勝っていたアドヴォケイターと顔を合わせた。しかし本馬がアドヴォケイターを2着に破って勝ち、カーターHに続いて東海岸の大競走を勝利した。

次走はサバーバンH(D10F)となったが、このレースには、ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・サラナクH・ディスカヴァリーH・グレイラグHなどを勝っていた同世代馬ボールドアワーに加えて、4歳当初に米国西海岸を主戦場としていたダマスカス、そしてこの年の復帰が5月までずれ込んでいたドクターファーガーまでも出走してきた。本馬の斤量125ポンドはボールドアワー(116ポンド)よりは重かったが、ダマスカス(133ポンド)やドクターファーガー(132ポンド)より軽かった。しかしそれでも本馬は勝てず、ドクターファーガーの着外に敗退。ボールドアワーが2着、ダマスカスが3着だった。この直後に本馬の競走馬引退が決定した。4歳時の成績は7戦4勝2着2回だった。結局、ドクターファーガーが失格となったジャージーダービーを除けば、本馬はダマスカスとドクターファーガーに1度も勝てなかったが、これは相手が悪すぎたと言うべきか。

血統

Intentionally Intent War Relic Man o'War Fair Play
Mahubah
Friar's Carse Friar Rock
Problem
Liz F. Bubbling Over North Star
Beaming Beauty
Weno  Whisk Broom
Rosie Ogrady
My Recipe Discovery Display Fair Play
Cicuta
Ariadne Light Brigade
Adrienne
Perlette Percentage Midway
Gossip Avenue
Escarpolette Fitz Herbert
Balancoire
My Dear Girl Rough'n Tumble Free for All Questionnaire Sting
Miss Puzzle
Panay Chicle
Panasette
Roused Bull Dog Teddy
Plucky Liege
Rude Awakening Upset
Cushion
Iltis War Relic Man o'War Fair Play
Mahubah
Friar's Carse Friar Rock
Problem
We Hail Balladier Black Toney
Blue Warbler
Clonaslee Orpiment
Bullet Proof

インテンショナリーは当馬の項を参照。

母マイディアガールは現役成績20戦8勝。フリゼットSの勝ち馬で、1959年の米最優秀2歳牝馬にも選出されている。繁殖牝馬としても活躍し、本馬の全弟リターントゥリアリティ【フィラデルフィアH(米GⅢ)・サセックスターフH(米GⅢ)】、半弟スーパービティ(父グロスホーク)【フラミンゴS(米GⅠ)・トロピカルパークダービー(米GⅢ)・メリーランダーH(米GⅢ)】を産んだ。本馬の半妹ジェントルタッチ(父チーフテン)の子にはドクターカーター【レムセンS(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)・トレントンH(米GⅢ)】が、半妹マイディアレディ(父ミスタープロスペクター)の子にはアルバラヒン【ドラール賞(仏GⅡ)】がいる。また、日本で走ったロイスアンドロイスは本馬の半妹ビューティフルメモリー(父ボールドネシアン)の孫に当たる。

マイディアガールの全妹ミーネクストの孫にはタンクスプロスペクト【プリークネスS(米GⅠ)・アーカンソーダービー(米GⅠ)】が、全妹トレジャーチェスト【モデスティH】の孫にはグリントオブゴールド【伊グランクリテリウム(伊GⅠ)・伊ダービー(伊GⅠ)・パリ大賞(仏GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】とダイヤモンドショール【ミラノ大賞(伊GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】とクリスタルスピリット【クリーブハードル(英GⅠ)】の兄弟、それにエンスコンス【愛1000ギニー(愛GⅠ)】が、曾孫にはアーミジャー【レーシングポストトロフィー(英GⅠ)】、カテラ【エールトガス大賞(独GⅠ)】、ザンジバル【伊オークス(伊GⅠ)】、アルカジーム【タタソールズ金杯(愛GⅠ)・プリンスオブウェールズS(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)】などがおり、現在でも比較的繁栄している牝系である。→牝系:F21号族①

母父ラフンタンブルはドクターファーガーの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ジェンター夫妻の所有のまま、フロリダ州で種牡馬入りした。競走馬としては一流の下と言ったところだった本馬だが、種牡馬としては紛れも無く一流の成績を挙げた。555頭の産駒から81頭のステークスウイナーを輩出(ステークスウイナー率14.6%。同じくフロリダ州で種牡馬入りしたドクターファーガーの14%より少し高い)し、1977年の北米2歳首位種牡馬に輝いた。また産駒のノウンファクトリローンチが後継種牡馬として成功し、マンノウォーの直系を21世紀に伝えるのに大きな役割を果たした。1989に5月に重度の蹄葉炎を発症したため、25歳で安楽死の措置が執られた。母父としてはリアルシャダイトゥソードメドウスター、ベルモントS勝ち馬コメンダブルなどを出した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1970

Desert Vixen

モンマスオークス(米GⅠ)・デラウェアオークス(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)2回・マッチメイカーS(米GⅠ)・テストS(米GⅡ)・ガゼルH(米GⅡ)・ポストデブS(米GⅢ)

1972

Lake of the Isles

ポストデブS(米GⅢ)・リトルシルヴァーH(米GⅢ)

1972

Valid Appeal

ドワイヤーH(米GⅡ)

1972

Wronsky

ダフニ賞(仏GⅢ)

1973

Answer

オークリーフS(米GⅡ)・ハリウッドオークス(米GⅡ)

1975

Believe It

ウッドメモリアルS(米GⅠ)・ヘリテージS(米GⅡ)・レムセンS(米GⅡ)

1975

Ring of Light

エクセルシオールH(米GⅡ)・マサチューセッツH(米GⅢ)

1975

Stub

ソロリティS(米GⅠ)・アーリントンワシントンラッシーS(米GⅡ)

1976

Image of Reality

ミレイディH(米GⅡ)

1976

Relaunch

ラホヤマイルS(米GⅢ)・デルマーダービー(米GⅢ)

1977

Known Fact

英2000ギニー(英GⅠ)・ミドルパークS(英GⅠ)・クリスタルマイル(英GⅡ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅡ)

1978

Truly Bound

アーリントンワシントンラッシーS(米GⅡ)・アッシュランドS(米GⅡ)・コティリオンH(米GⅢ)

1979

Star Choice

メトロポリタンH(米GⅠ)・フェイエットS(米GⅢ)・アップルトンH(米GⅢ)・エセックスH(米GⅢ)

1981

Basie

デラウェアH(米GⅠ)

1981

Par Flite

ワシントンパークH(米GⅡ)

1981

Party Leader

バルボアS(米GⅢ)

1981

Sunshine Today

シェリダンS(米GⅡ)

1982

Smile

BCスプリント(米GⅠ)・アーリントンクラシックS(米GⅠ)・フェアマウントダービー(米GⅢ)・エクワポイズマイル(米GⅢ)

1983

Judge Smells

ハリウッドプレビューS(米GⅢ)

1983

Real Courage

ジャイプールH(米GⅢ)

1983

Really Fancy

アノアキアS(米GⅢ)

1985

Proper Reality

アーカンソーダービー(米GⅠ)・メトロポリタンH(米GⅠ)・フィリップHアイズリンH(米GⅠ)・イリノイダービー(米GⅡ)・エセックスH(米GⅢ)

1988

Kyle's Our Man

ゴーサムS(米GⅡ)・ナシュアS(米GⅢ)

1988

Really Quick

アディロンダックS(米GⅡ)

1989

Dignitas

イリノイダービー(米GⅡ)・ミシガンマイルH(米GⅡ)

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