タイプキャスト

和名:タイプキャスト

英名:Typecast

1966年生

鹿毛

父:プリンスジョン

母:ジョーナレット

母父:サマータン

芝ダート距離不問の活躍を見せてエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれた名牝は日本に繁殖牝馬として輸入されて天皇賞馬プリテイキャストの母となる

競走成績:3~6歳時に米で走り通算成績57戦21勝2着12回3着9回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ナッコルスファームにおいて、チャールズ・ナッコルス・ジュニア氏兄弟により生産され、フレッチャー・ローズベリー・ジョーンズ氏の所有馬となった。ジョーンズ氏は米国のコンピュータ関連会社で、現在でも世界有数のIT企業であるコンピュータ・サイエンス・コーポレーション(CSC)の創業者の1人であり、カリフォルニア州にウェスタリースタッドファームを創設して、趣味として馬主活動も行っていた。本馬はウェスタリースタッドファーム名義で走った馬の中でも最上級の競走成績を残した馬である。A・トマス・ドイル調教師に預けられた。

競走生活(3歳時)

3歳2月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビュー。2着ダブルゴーゴーに1馬身1/4差をつけて、あっさりと勝ち上がった。しかしその後はサンタアニタパーク競馬場とハリウッドパーク競馬場を転戦するも、なかなか勝ち星には恵まれなかった。3月にサンタアニタパーク競馬場で出たダート6ハロンの一般競走は、勝ったハッピーモーメントから7馬身1/4差の5着。同月に同コースで出走した一般競走は、勝ったベルメールから10馬身差の8着。翌4月に同コースで出走した一般競走は、勝ったマージョリーズガールから8馬身半差の6着と惨敗続き。5戦目となったサンタアニタパーク競馬場ダート8.5ハロンの一般競走では、距離が延びたのが奏功したのか、後のサンタバーバラHの勝ち馬サラリナの2馬身半差2着と健闘。ハリウッドパーク競馬場に場所を移して出走したダート8ハロンの一般競走では、マージョリーズガールの2馬身半差3着。翌5月に出たダート8.5ハロンの一般競走では、ティッピングタイムの3馬身差2着。同月に同コースで出走した一般競走では、マージョリーズテーマの3馬身差2着。翌6月に出たダート8ハロンの一般競走では、ケッパーメイトの半馬身差3着。このあたり、マイル戦では3着、8.5ハロン戦では2着と、割と分かりやすい戦績である。

デビュー10戦目となったハリウッドパーク競馬場芝8.5ハロンの一般競走で初めての芝レースを走り、ジェリー・ランバート騎手を鞍上に、2着タスに3馬身差をつけて2勝目を挙げた。続いて翌7月のプリンセスS(T8.5F)に出走したが、レイルバードSを勝ってきたティッピングタイム、マージョリーズテーマなどに屈して、勝ったティッピングタイムに6馬身半差をつけられて5着に敗退。1週間後に出たハリウッドパーク競馬場芝8ハロンの一般競走では、サラリナの1馬身半差3着。さらに1週間後に出走したハリウッドオークス(D9F)も、ティッピングタイム、後のデルマーオークス・ヴァニティHの勝ち馬コミッサリーなどに屈して、勝ったティッピングタイムから7馬身半差の5着に敗れた。2月のデビューから7月のハリウッドオークスまで13戦を走った本馬は、ここで翌年まで休養入りした。3歳時の成績は13戦2勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳2月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走で戦列に復帰すると、2着クイーンジャニーンに3/4馬身差で勝利した。しかし次走サンタマルガリータ招待H(D9F)では、ガーデニアS・リバティーベルH・ポストデブS・モンマスオークス・デラウェアオークス・ガゼルH・マッチメイカーS・スピンスターS・サンタマリアHなど破竹の11連勝中だったギャラントブルームに全く歯が立たず、ティッピングタイムやコミッサリーにも先着されて、勝ったギャラントブルームから16馬身差をつけられた6着に敗退。

翌3月に出走したサンタアニタパーク競馬場ダート8.5ハロンの一般競走は、ゲイイヤーの3馬身3/4差3着。同月に同コースで出た一般競走は、後にラモナH・ヴァニティHを勝利するハイキューの2馬身差3着。同月にサンタアニタパーク競馬場で出た芝9ハロンの一般競走は、翌月のサンタアナHを勝つベルエアHの勝ち馬バウズオーホリーの2馬身半差2着。翌4月に出たサンタアニタパーク競馬場ダート8.5ハロンの一般競走は、2着ハイキューに1馬身差で勝利した。この4勝目の10日後にはロングビーチH(T8.5F)に出たが、またしてもティッピングタイムに屈して、10馬身差をつけられた14着に沈んだ。これでステークス競走では4戦全て惨敗となった。翌月に出走したロングビーチHと同コースの一般競走も、ラモナHの勝ち馬ルスデルソルの6馬身差5着に敗退。次走ハリウッドパーク競馬場芝8ハロンの一般競走は、2着ベルオーベルギウムに首差で勝利。翌6月にゴールデンゲートフィールズ競馬場で出たサンフアンバウティスタH(D8.5F)では、初めてステークス競走でまともに走って、勝ったウィンディママから3/4馬身差の2着に入った。

ここで陣営は試みに本馬を米国東海岸に向かわせてみた。そして7月にアケダクト競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走に出走。このレースにおける内容次第では、そのまま東海岸に留まる事もあり得たはずだが、結果は勝ったフェアグラウンズオークス馬ロイヤルフィレットから15馬身差をつけられた9着最下位と全く振るわず、この1戦のみで西海岸に戻ってきた。それでもこの時期から本馬の競走能力は上昇気流に乗っていたようである。

8月にデルマー競馬場で出走した芝8.5ハロンの一般競走を2馬身差で勝つと、同月に同コースで出走したハンデ競走では122ポンドを背負いながらも、2着ミスラークスヴィルに8馬身差をつけて圧勝した。翌9月に同コースで出走したオスニタスS(T8.5F)では、クイーンジャニーンの半馬身差3着。9月に出走した同コースの一般競走では、デルマーオークス3着馬ソニーゲイを2馬身1/4差の2着に破り、デルマー競馬場を後にした。そして10月にサンタアニタパーク競馬場でラスパルマスH(T9F)に出走したが、前年の同競走を勝っていたマンタに6馬身差をつけられて5着に敗退。11月にベイメドウズ競馬場で出走したサンクスギビングデイH(D8.5F)でも、カリフォルニアオークス馬テイルズトゥテル(クリスタルグリッターズの母)の2馬身差2着と、ステークス競走勝利には届かず。結局4歳時の成績は17戦6勝となった。

競走生活(5歳時)

前年にあれだけ走り回ったにも関わらず、翌5歳時は1月から早々に始動。まずはサンタアニタパーク競馬場でダート8.5ハロンの一般競走に出走。過去に本馬に2回乗って2回とも勝っていたラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手を鞍上に迎えた。結果は2着ダスティアイズに4馬身差をつけた本馬の圧勝。同月に出たサンタアニタパーク競馬場芝9ハロンの一般競走でも、ピンカイ・ジュニア騎手とコンビを組み、1馬身1/4差で勝利した。そしてやはりピンカイ・ジュニア騎手を鞍上に出走した2月のオネオンタH(D8.5F)では、2着ベルオーベルギウムに3/4馬身差をつけて勝利を収め、9度目の挑戦にしてようやくステークス競走初勝利を挙げた。

しかし同月に出たゴールデンポピーH(D8.5F)では、ハイキューの13馬身差7着と大敗。一間隔を空けて4月に出走したサンタアナH(T9F)では、勝ったミズルから8馬身3/4差をつけられた8着最下位に惨敗。分割競走となった同月のロングビーチH(T8.5F)でも、サンタアナHで2着だった宿敵ティッピングタイムの3馬身半差5着に終わった。

その後は2か月間の短期休養を経て、6月にハリウッドパーク競馬場で行われた芝8ハロンの一般競走に出走。ここでは名手ウィリアム・シューメーカー騎手と初コンビを組み、2週間前のヴァニティHを勝ってきたハイキューを半馬身差の2着に抑えて勝利した。7月に同コースで出走したハンデ競走も、ハネムーンS・ミレイディHの勝ち馬ストリートダンサー(ジャパンCダートを制したフリートストリートダンサーの祖母)を首差の2着に抑えて勝利した。

その後はステークス競走に再度出走を開始した。同月に出たビヴァリーヒルズH(T11F)では、前年のラスパルマスHで本馬を破った後にサンタモニカH・サンタマルガリータ招待H・サンタバーバラH・ロングビーチHを勝っていたマンタの3馬身半差2着。牡馬相手の長距離戦サンセットH(T16F)では、前年の同競走3着馬オーバーザカウンター、この年のサンガブリエルH・サンマルコスH・サンフアンカピストラーノ招待H・カリフォルニアンS・ハリウッドパーク招待ターフHを勝っていた南米チリ出身の強豪クーガーの2頭の牡馬に食い下がり、勝ったオーバーザカウンターから1馬身半差の3着と健闘。翌8月に出たラモナH(T9F)では、ストリートダンサーの1馬身半差2着に入り、ハリウッド金杯で3着してきたマンタに先着した。秋は10月にサンタアニタパーク競馬場で出走した芝9ハロンの一般競走で、前年のサンタアナHの勝ち馬バウズオーホリーを6馬身差の2着に破って圧勝。125ポンドを課せられた次走ラスパルマスH(T9F)では2着ヘイルザグレイを6馬身ちぎって勝利。5歳時を13戦7勝の好成績で締めくくった。

競走生活(6歳前半)

6歳時は1月のサンタモニカH(D7F)から始動した。ここではしばらく本馬の主戦を務めていたシューメーカー騎手に代わって、再度ピンカイ・ジュニア騎手とコンビを組んだ。前年にサンタイネスS・サンタスサナS・レイルバードS・ハネムーンH・プリンセスS・ハリウッドオークス・デルマーオークスを制してエクリプス賞最優秀3歳牝馬に選ばれていたターキッシュトルーザースという強敵が対戦相手となったが、ターキッシュトルーザースを3馬身差の2着に下して勝利した。

しかし翌月のサンタマリアH(D8.5F)では、ターキッシュトルーザースの半馬身差2着に敗退(ストリートダンサーが3着)。翌3月のサンタマルガリータ招待H(D9F)では、ターキッシュトルーザース、前年のレイルバードS・ハネムーンH・プリンセスS・ハリウッドオークスで悉くターキッシュトルーザースの2着に終わっていたコンビニエンスとゴール前で大接戦を演じたが、ターキッシュトルーザースが勝利を収め、コンビニエンスが頭差2着、本馬がさらに首差の3着という結果だった。次走のサンタバーバラH(T10F)では、レース中に鼻出血を発症したために競走を中止した(レースはヘイルザグレイがマンタやストリートダンサーを抑えて勝利した)。

その後は1か月間の間隔を空けて、4月のロングビーチH(T8.5F)に出走した。鼻出血の影響が懸念されたが、前年のサンタイサベルSの勝ち馬バルコニーズベイブを3/4馬身差の2着に、マンタを3着に抑えて勝利した。5月のミレイディH(D8F)では、バルコニーズベイブを6馬身差の2着に、サンタマルガリータ招待H2着後にサンタポーラH・セコイアHを勝っていたコンビニエンスを3着に破って圧勝した。しかし翌月のヴァニティH(D9F)では、コンビニエンスが1955年の同競走においてカウンテスフリートが計時した1分47秒6を17年ぶりに更新する1分47秒4のコースレコードを樹立して逃げ切り、本馬はゴール前で差を縮めるも半馬身差2着に惜敗した(ストリートダンサーが3着だった)。

その2週間後には、競馬マスコミや競馬ファン達の要望により、本馬とコンビニエンスのマッチレースが、ヴァニティHと同じハリウッドパーク競馬場ダート9ハロンで組まれた。勝者のみが賞金25万ドルを総取りできる条件で行われたこのレースを見るために、ハリウッドパーク競馬場には5万3575人の大観衆が詰めかけた。本馬にはシューメーカー騎手が、コンビニエンスにはこれまた本馬に何度か騎乗経験があるランバート騎手が騎乗した。2頭がほぼ同時にゲートを飛び出したが、徐々に外側のコンビニエンスがリードを奪い、本馬の前方に被さってきた。そこで本馬は最初のコーナーで外側に持ち出し、コンビニエンスに並びかけていった。コンビニエンスが半馬身ほどリードした状態で向こう正面を通過したが、三角に入ると内側のコンビニエンスが経済コースを通っている分だけ速くなり、2馬身ほどリードして直線に入ってきた。このまま本馬は終わりかとも思われたが、直線に入ると内側を突いた本馬がコンビニエンスを猛追。しかし最後は頭差及ばず、コンビニエンスが勝利を収めた。コンビニエンスの勝ちタイムはコースレコードに迫る1分47秒6だった。しかし四角でいったん離されながらも、直線で接戦に持ち込んだ本馬の走りは、負けてなお強しと思わせるものであった。この本馬とコンビニエンスのマッチレースは、米国競馬史上におけるマッチレースの中でも名勝負の一つに数えられるものである。そして同時に米国競馬史上最後のマッチレースの名勝負ともなった。これ以降に行われた著名なマッチレースとしては、ニューヨーク牝馬三冠馬クリスエヴァートとミスマスケットが戦った1974年のものがあるが、これはクリスエヴァートが50馬身差で圧勝したために名勝負にはならなかった。そして次が1975年に行われた「あの」ラフィアンフーリッシュプレジャーのマッチレースであり、これを最後に米国競馬からマッチレースは姿を消すことになるのだった。

競走生活(6歳後半)

それはさておき、本馬はマッチレースの僅か1週間後にはハリウッド招待ターフH(T12F)に出走。ここでは、前走で敵だったランバート騎手と再びコンビを組んだ。このレースには、前年のサンセットHで本馬に先着する2着だった後にオークツリー招待S・センチュリーH・カリフォルニアンSを勝ちサンタアニタH・サンフアンカピストラーノHで2着していた前年優勝馬クーガーが出走してきた。しかし本馬が2着ヴィオロノアに首差、3着クーガーにはさらに1馬身1/4差をつけて勝ち、同競走創設4年目で初の牝馬制覇を成し遂げた。ちなみに同競走は後にチャールズウィッティンガムHと改名されて2015年現在も続いているが、牝馬が勝った例は本馬と1976年のダリアの2例しかない。

翌7月に出走したビヴァリーヒルズH(T11F)では127ポンドの斤量が響いたのか、英国から来たサンチャリオットS・プリンセスロイヤルSの勝ち馬ヒルサーカス、マンタの2頭に後れを取り、勝ったヒルサーカスから10馬身差をつけられた3着に敗れた。しかし同月に出走したサンセットH(T16F)では、牡馬相手と2マイルの長丁場という悪条件を克服して、前年の同競走で本馬を3着に破って勝利した牡馬オーバーザカウンターを頭差の2着に抑えて勝利した。1938年に創設された同競走史上、牝馬が勝ったのは35年目にしてこれが初めてだった。

その後本馬は長年主戦場とした西海岸を後にし、再び東海岸に向かった。そして9月のベルデイムS(D9F)に出走したが、ここではケンタッキーオークス・エイコーンS・サンタイネスS・サンタスサナS・ガゼルHなどの勝ち馬スーザンズガール、CCAオークス・ブラックアイドスーザンS・モンマスオークス・アラバマSなどの勝ち馬サマーゲストといった若き3歳馬勢に歯が立たず、勝ったスーザンズガールから8馬身1/4差の6着に終わった。しかし同月に出走した分割競走マンハッタンH(T11F)では、牡馬スターエンヴォイの2馬身差2着と好走。

そして現役最後のレースとなったマンノウォーS(T12F)では、分割競走マンハッタンHのもう一方の勝ち馬で4か月前のベルモントSでリヴァリッジの2着していたルリタニア(第1回ジャパンC2着馬フロストキングの父)、グレイラグH・マサチューセッツH・タイダルHの勝ち馬でハリウッド金杯2着のドロールロール(後にこの年の加国際CSS・ワシントンDC国際Sを勝利)などを抑えて堂々の1番人気に支持された。そしてルリタニアを3/4馬身差の2着に、ドロールロールを3着に破って優勝し、有終の美を飾った。6歳時は14戦6勝の成績を残し、この年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬のタイトルを受賞した。

競走馬としての特徴

本馬の特徴は、芝もダートも短距離も長距離も牡馬相手の競走も関係なく活躍したことである。6歳時にはダート7ハロンのサンタモニカHと、芝16ハロンのサンセットHを両方勝っている。名牝と言われる馬は数多いが、短距離専門だったり、芝又はダート専門だったり、牡馬相手には走らなかったりであり、本馬のようにそれら全てをお構いなしに走って活躍した牝馬というのは競馬史上においても稀な存在である。日本で走った怪物タケシバオーの米国牝馬版とも言える存在(タケシバオーのような連勝はしていないが)であり、米国競馬史上有数の名牝と言っても過言ではないと筆者は思うのだが、米国顕彰馬には選ばれていないところを見ると、地元米国ではそこまでの評価はされていないようである。

血統

Prince John Princequillo Prince Rose Rose Prince Prince Palatine
Eglantine
Indolence Gay Crusader
Barrier
Cosquilla Papyrus Tracery
Miss Matty
Quick Thought White Eagle
Mindful
Not Afraid Count Fleet Reigh Count Sunreigh
Contessina
Quickly Haste
Stephanie
Banish Fear Blue Larkspur Black Servant
Blossom Time
Herodiade Over There
Herodias
Journalette Summer Tan Heliopolis Hyperion Gainsborough
Selene
Drift Swynford
Santa Cruz
Miss Zibby Omaha Gallant Fox
Flambino
Fairisk Stimulus
My Risk
Manzana Count Fleet Reigh Count Sunreigh
Contessina
Quickly Haste
Stephanie
Durazna Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Myrtlewood Blue Larkspur
Frizeur

プリンスジョンは当馬の項を参照。

母ジョーナレットは米国で走り21戦2勝、アルキビアデスSを勝っている。本馬が2歳時の1968年に落雷に打たれて9歳の若さで夭折している。本馬の半妹ソサエティコラム(父サーゲイロード)の牝系子孫が発展しており、ソサエティコラムの子にはシルフ【プリンセスロイヤルS(英GⅢ)】、リーディングカウンセル【愛セントレジャー(愛GⅠ)・アーディノードスタッドS(愛GⅢ)】が、孫にはチャーマー【ジェフリーフリアS(英GⅡ)】、プリヴァティ【マルレ賞(仏GⅡ)】が、曾孫にはプライスタグ【メイトリアークS(米GⅠ)】、サリーガール【セレクシオンデポトランカス大賞(亜GⅠ)・クリアドレス大賞(亜GⅠ)】、パラショック【サッコー少佐大賞(伯GⅠ)】が、玄孫世代以降には、スマイルジェニー【エンリケポッソーロ大賞(伯GⅠ)・ジアナ大賞(伯GⅠ)・ABCPCCマティアスマシュリネ大賞(伯GⅠ)】、ビーチボール【OSAF大賞(伯GⅠ)・ABCPCCマティアスマシュリネ大賞(伯GⅠ)】、サファリクイーン【ホルヘデアトゥーチャ大賞(亜GⅠ)・エストレージャス大賞ジュヴェナイルフィリーズ(亜GⅠ)】、サファリミス【ポトランカス大賞(亜GⅠ)・ミルギネアス大賞(亜GⅠ)】、クイーンズジュエル【サンタラリ賞(仏GⅠ)】などがいる。

ジョーナレットの半姉マートルズソング(父スパイソング)の牝系子孫にはゼンセーショナル【トリプルベンドH(米GⅠ)・ビングクロスビーS(米GⅠ)・パットオブライエンS(米GⅠ)】が、ジョーナレットの半姉ラモルラエ(父ハーフィズ)の孫にはシベリアンエクスプレス【仏2000ギニー(仏GⅠ)・モルニ賞(仏GⅠ)】、玄孫世代以降にはロヴェジョン【セレクシオン大賞(亜GⅠ)・サンタマリアH(米GⅠ)】、マルディヴィアン【コックスプレート(豪GⅠ)・ヤルンバS(豪GⅠ)・CFオーアS(豪GⅠ)】がいる。

ジョーナレットの母マンザナの半妹ケリダの牝系子孫には、バーリ【セントジェームズパレスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】、アジーナ【BCディスタフ(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)】、クオリティロード【フロリダダービー(米GⅠ)・ドンH(米GⅠ)・メトロポリタンH(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)】などがいる。

マンザナの母ドゥラズナはブリーダーズフューチュリティS・プレイリーステートS・ホーソーンジュヴェナイルH・クラングH・シェリダンH・ビヴァリーHの勝ち馬で1943年の米最優秀2歳牝馬にも選ばれている。ドゥラズナの母は米国顕彰馬にも選ばれている快速馬マートルウッドである。マートルウッドの牝系子孫からは、大種牡馬ミスタープロスペクターや米国三冠馬シアトルスルーが出ているから、本馬はこの2頭と同じ牝系に属することになる。→牝系:F13号族①

母父サマータンは現役時代、ガーデンステートS・カウディンS・ユナイテッドステーツホテルS・ユースフルS・ギャラントフォックスH・ピムリコスペシャル・ヴォスバーグH・マクレナンHに勝つなど28戦11勝の成績を残した。名馬ナシュアの同世代で、2歳時の評価はほぼ互角だったが、ケンタッキーダービーでスワップスとナシュアから離された3着に敗れた後は脇役的存在となってしまった。サマータンの父ヘリオポリスはハイペリオンの初年度産駒で、現役成績は15戦5勝。インペリアルプロデュースS・チェスターヴァーズ・プリンスオブウェールズS・プリンセスオブウェールズS・グラトウィックプロデュースSを勝ち、英ダービーで3着している。種牡馬として輸出された米国で成功し、1950・54年と2度の北米首位種牡馬に輝いている。父としては53頭、母父としては71頭のステークスウイナーを出している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、そのまま米国で繁殖入りするのが当然の流れであったが、実際にはそうならなかった。本馬の現役最後のレースとなったマンノウォーSから僅か1か月後の1972年11月7日、馬主のジョーンズ氏が自身で操縦する自家用飛行機の墜落事故により死去し、ウェスタリースタッドファームは閉鎖される事が決定されたのである。そしてウェスタリースタッドファーム所有の全ての馬が売りに出され、本馬は日本からセリに参加してきた吉田重雄氏(北海道早来の吉田牧場の牧場主で、テンポイントの生産者として有名。テンポイントの父コントライトを英国から輸入するなど、海外の血を積極的に導入していた)により、72万5千ドル(当時の為替レートで約2億2330万円)という繁殖牝馬の落札額としては当時世界史上最高額で購買され、日本に輸入されたのである。米国競馬史上に名を残すほどの名牝が日本に輸入されたのは前例が無く(英オークス馬ジネヴラが輸入された例はあった。なお、ジネヴラを輸入したのも吉田氏である)、当時の日本競馬界はその購入価格と相まって驚愕の表情で本馬を迎えた。

本馬は日本に輸入される途中で愛国に立ち寄り、サーアイヴァーと交配されて受胎した状態で来日した。翌1974年にサーアイヴァーとの間の牡駒タイプアイバーを産んだ本馬は、続けてカバーラップ二世と交配され、翌1975年に牝駒プリテイキャストを産んだ。1977年には3番子の牡駒キングキャスト(父コントライト)を、1979年には4番子の牡駒ラッキーキャスト(父マイスワロー)を産んだ。

初子のタイプアイバーは6戦未勝利、3番子のキングキャストと4番子のラッキーキャストは不出走に終わったが、2番子のプリテイキャストが活躍した。プリテイキャストは、現役当初はエリザベス女王杯4着がある程度で、あまり目立つ成績を収められなかったが、古馬になって1980年のダイヤモンドSを7馬身差で逃げ切って頭角を現し、同年の天皇賞秋では柴田政人騎手を鞍上に天皇賞史上に残る超大逃げを打ち、そのまま7馬身差で圧勝。この年の優駿賞最優秀五歳以上牝馬に選ばれ、母子で米日の最優秀古馬牝馬となった。

プリテイキャストが競走馬を引退して繁殖牝馬となると、吉田氏は「後継繁殖牝馬も出来たことだし、この馬は世界に還元すべきだ」と考え、1981年に本馬を愛国に輸出した。愛国では4頭の子を産んだが、その中から活躍馬は出なかった。本馬の没年は不明であるが、最後の子であるレディカサヴィナが1990年産であるため、同年までは生存していたはずである。

本馬の後継繁殖牝馬プリテイキャストは、ナリタブライアンが勝った菊花賞で大逃げを打って場内を沸かせたスティールキャスト(69戦4勝)を出した程度に終わったが、孫から公営園田競馬で活躍したクインキャスト【園田プリンセスC・のじぎく賞】が出るなど、牝系は維持している。種牡馬になったタイプアイバーも活躍馬は出せなかったが、ラッキーキャストが父として、史上初めて海外の国際グレード競走を制して1995年の最優秀父内国産馬に選ばれたフジヤマケンザン【香港国際C(香GⅡ)・中山記念(GⅡ)・金鯱賞(GⅡ)・中日新聞杯(GⅢ)・七夕賞(GⅢ)】を出している。愛国輸出後に本馬が産んだ5番子の牝駒メリメント(父キングスレイク)や8番子の牝駒レディカサヴィナ(父ヴァカーム)の子孫も(活躍馬は出ていないが)現在も残っている。

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