インテンショナリー

和名:インテンショナリー

英名:Intentionally

1956年生

青毛

父:インテント

母:マイレシピ

母父:ディスカヴァリー

ソードダンサーやキャリーバックと戦いながら米最優秀短距離馬にも選ばれ、種牡馬としても貴重なマンノウォー直系を後世に伝える中継ぎを担う

競走成績:2~6歳時に米で走り通算成績34戦18勝2着7回3着2回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ウルフランファームにおいて、ブルックフィールドファームの所有者で衣料品会社も経営していたハリー・アイザック氏により生産・所有された。ブルックフィールドファームの専属調教師を長年務めていたエディー・ケリー師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳5月にガルフストリームパーク競馬場で行われたダート5ハロンの一般競走でデビューし、2着ウェザープロフェットに4馬身差で圧勝。続いてモンマスパーク競馬場に移動してダート5.5ハロンの一般競走に出て、6馬身差で圧勝。さらに前走と同コースのタイロS(D5.5F)に出走して、2着イージースパーに1馬身半差で勝利した。しかし次走のサプリングS(D6F)では、ウォッチユアステップの4馬身半差2着に敗れて初黒星を喫した。次走のグランドユニオンホテルS(D6F)ではファーストミニスターの3馬身1/4差2着に敗れ、60年以上の歴史を誇りながらもこの年限りで廃止となった同競走最後の勝ち馬になることは出来なかった。次走のワシントンパークフューチュリティ(D6F)では、レストレスウインドの5馬身1/4差4着と完敗した。続くワールズプレイグラウンドS(D7F)では、未勝利戦を勝ち上がってきたばかりのソードダンサーとの初対戦となった。ここではデモビライズが勝ち、本馬は頭差2着、ソードダンサーは4着という結果だった。

次走のベルモントフューチュリティS(D6.5F)では、グレートアメリカンS・サラトガスペシャルS・ホープフルSなど無傷の7連勝中だった1番人気馬ファーストランディングとの接戦を1馬身差で制して、コースレコードに迫る1分14秒6の好タイムで優勝した。次走のシャンペンS(D8F)ではファーストランディングに加えて、デルマーフューチュリティなど6戦無敗のトミーリーという強敵が出現した。結果はファーストランディングが2位入線のトミーリーを首差抑えてトップゴールを果たし、本馬は3馬身遅れて3位入線だった。しかしトミーリーが本馬の進路を妨害していたため、着順が入れ代わって本馬が2着となった。次走のガーデンステートS(D8.5F)では、ファーストランディング、ソードダンサー、トミーリーの3頭も出走してきて、同世代の2歳最強馬決定戦となった。しかし本馬は上記3頭全てに後れを取り、ファーストランディングの12馬身差5着と惨敗を喫した。それでも次走のピムリコフューチュリティ(D8.5F)では2着リコテシオに1馬身3/4差で勝利して、2歳時を11戦5勝の成績で終えた。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にジャマイカ競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動して、2着アウトギビングに6馬身半差をつけて圧勝。それから5日後に出走したゴーサムS(D8.5F)では、アトールの3/4馬身差2着に敗れた。それからさらに1週間後に出走したウッドメモリアルS(D9F)では、単勝オッズ60倍の超人気薄を覆して2着ファーストランディングに3/4馬身差で勝ったマナッサモーラーから7馬身半差をつけられて4着に敗れた。

この敗戦によりケンタッキーダービー(トミーリーがソードダンサーやファーストランディングを破って勝っている)を始めとする米国三冠競走への出走は断念し、以降はマイル・短距離路線を進むことになる。

まずはデラウェアヴァレーS(D6F)に出て、2着シーダーブルックに1馬身3/4差で勝利。続くウィザーズS(D8F)では、マナッサモーラーや後のハリウッドダービー勝ち馬バグダッドを蹴散らして、2着マナッサモーラーに3馬身差で快勝。ウォーレンライト記念S(D8F)では、名牝トゥーリーの息子で前年のケンタッキーダービー・プリークネスS勝ち馬ティムタムの半弟である良血馬オンアンドオンとの対戦となったが、オンアンドオンを2馬身1/4差の2着に下して快勝。勝ちタイム1分33秒2はコースレコードであるだけでなく、3年前の1956年にスワップスがアーゴノートHにおいて樹立したダート8ハロンの世界レコードと同タイムだった。

次走のアーリントンクラシックS(D8F)ではダンスの2馬身3/4差3着に敗れ、2着だったオンアンドオンにも先着を許した。しかし次走のジェロームH(D8F)では2着アトールに10馬身差をつけて大圧勝。ディスカヴァリーH(D9F)では距離が微妙に長かった上に129ポンドの斤量も影響したのかミドルブラザーの5馬身半差3着に敗れ、さらに脚部不安を発症したために休養入りしたが、この年9戦5勝の成績で米最優秀短距離馬に選ばれた。

競走生活(4歳時)

4歳時は6月のトボガンH(D6F)から始動して、2着リックシティに2馬身半差で貫録勝ちした。次走のエクワポイズマイルH(D8F)も、2着ダンスに鼻差で勝利。しかしサバーバンH・ワシントンDC国際S・ワイドナーH・ガルフストリームパークH・メトロポリタンHなどを勝っていた1歳年上の強豪ボールドイーグルとの対戦となったアケダクトH(D8F)では、6ポンドのハンデを貰いながら、130ポンドを背負っていたボールドイーグルの頭差2着に屈した。

次走は初の芝レース出走となったユナイテッドネーションズH(T9.5F)となった。このレースには2歳時のガーデンステートS3着後に本馬とは別路線を進み、ベルモントS・メトロポリタンH・トラヴァーズS・ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯・サバーバンHを勝って前年の米年度代表馬・米最優秀3歳牡馬・米最優秀ハンデ牡馬のトリプルタイトルを獲得していたソードダンサーと久々の顔合わせとなった。しかし勝ったのはアーリントンフューチュリティ・アーリントンクラシックS・アメリカンダービー・ワシントンパークHを勝ってきた3歳馬ティーヴィーラーク。ソードダンサーは2着に頑張ったが、本馬はティーヴィーラークから5馬身半差をつけられた8着と完敗を喫した。ソードダンサーは芝2戦目だったが、ティーヴィーラークは本馬と同じく初芝だったから、これは本馬には芝適性があまり無かった事を示す結果でもあった。4歳時の成績は4戦2勝となった。

競走生活(5歳時)

5歳時は8月にベルモントパーク競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走から始動。1年近いブランクがあったが、2着トランスウェイに3馬身半差で勝利を収めた。次走のワシントンパークH(D8F)では、ジェロームH・ジョッキークラブ金杯・メトロポリタンH・ホイットニーH・サバーバンH・ブルックリンHなど11連勝中だった4歳騙馬ケルソと顔を合わせた。ケルソの斤量は132ポンドで本馬は120ポンドだった。しかし結果はチーフオブチーフスが勝利を収め、ケルソは5馬身3/4差の4着、本馬はケルソからさらに1馬身1/4差の5着と共倒れになった。

次走は前年の同競走以来2度目の芝競走となるユナイテッドネーションズH(T9.5F)となった。このレースには、この年のケンタッキーダービー・プリークネスS・フロリダダービー・ジェロームHなどを勝っていた現役最強3歳牡馬キャリーバック、サンタアニタダービー・ブルーグラスS・トラヴァーズSなどを勝っていたトンピオンの姿もあった。しかし本馬がこういった歴史に名を残す強豪と対戦したレースでは不思議と揃って敗れる傾向があり、このレースも勝ったのはオインク。トンピオンは2着だったが、本馬は2馬身3/4差の6着、キャリーバックは7着に終わった。

その後はガーデンステート競馬場に向かい、ダート6ハロンの一般競走に出て、2着ボウアドミラルに3馬身差で勝利。続くクェーカーシティH(D9F)では、ワシントンパークHで本馬とケルソをまとめて破ったチーフオブチーフスとの顔合わせとなったが、本馬が2着メールオーダーに2馬身差で勝利を収め、初めて距離9ハロンのレースで勝ち星を挙げた。次走のトレントンH(D10F)では、3ポンドのハンデを与えたキャリーバックに屈して半馬身差の2着に敗れた。しかし続くスポートページH(D6F)では129ポンドのトップハンデを克服して2着ウインディサンズに頭差で勝利を収め、5歳時の成績を7戦4勝とした。

なお、この年の秋にフロリダ州タータンファームのウィリアム・L・マックナイト氏が結成したシンジケートにより購入され、翌年からタータンファームで種牡馬入りする事が決定した。同時に管理調教師もジョン・ネルド師に変更となった。

競走生活(6歳時)

6歳時もフロリダ州ハイアリアパーク競馬場において種牡馬入り直前まで現役を続けた。初戦の芝5.5ハロンの一般競走はウインオンリーの3馬身差4着に敗れた。しかしパームビーチH(D7F)では1番人気に応えて、2ポンドのハンデを与えたキャリーバックを1馬身3/4差の2着に下してトレントンHの借りを返した。もっとも、このレースにおいては勝った本馬よりもゴール前に怒涛の追い込みを見せたキャリーバックの印象のほうが強かったようである。

キャリーバックとの再戦となった次走のセミノールH(D9F)では、本馬にとっては距離が長いと思われた事もあり、本馬より2ポンド斤量が重いキャリーバックが単勝オッズ1.75倍の断然人気に支持され、このレースを最後に引退することが決まっていた本馬は単勝オッズ4.5倍の2番人気に留まった。しかし結果は呆気なく、スタートから積極的に先行した本馬が2着キャリーバックに8馬身差をつけて圧勝した。

あまりの強さに、ネルド師は本馬の現役続行に意欲を見せたが、結局は予定どおりこのまま現役引退となった。キャリーバックを管理していたジャック・A・プライス調教師は、本馬が引退してくれて助かったと胸を撫で下ろしたという。

血統

Intent War Relic Man o'War Fair Play Hastings
Fairy Gold
Mahubah Rock Sand
Merry Token
Friar's Carse Friar Rock Rock Sand
Fairy Gold
Problem Superman
Query
Liz F. Bubbling Over North Star Sunstar
Angelic
Beaming Beauty Sweep
Bellisario
Weno  Whisk Broom Broomstick
Audience
Rosie Ogrady Hamburg
Cherokee Rose
My Recipe Discovery Display Fair Play Hastings
Fairy Gold
Cicuta Nassovian
Hemlock
Ariadne Light Brigade Picton
Bridge of Sighs
Adrienne His Majesty I
Adriana
Perlette Percentage Midway Ballot
Thirty-Third
Gossip Avenue Bulse
Rosewood
Escarpolette Fitz Herbert Ethelbert
Morganatic
Balancoire Meddler
Ballantrae

父インテントはウォーレリック産駒で、サンフアンカピストラーノH2連覇・サンタアニタマチュリティ・レイクズアンドフラワーズH・フォーティナイナーズH勝ちなど21戦8勝。種牡馬としては本馬以外に目立った産駒は出していない。

母マイレシピは現役成績5戦未勝利。マイレシピの牝系子孫からは、本馬の半妹インハピネス(父ボウマックス)の子孫にザランバーガイ【ヴォスバーグ招待S(米GⅠ)】が出るなど複数のグレード競走勝ち馬が出ており、今世紀にも続いている。マイレシピの曾祖母ブランコワールは、エクワポイズの祖母、シービスケットの曾祖母、モムズコマンドの7代母である。→牝系:F5号族③

母父ディスカヴァリーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はそのままタータンファームで種牡馬入りした。2年目産駒のインリアリティの活躍で注目され、4年目産駒のタウィーが米国短距離路線で大活躍するなど、フロリダ州繋養種牡馬のエース格として成功した。しかしタウィーが活躍する最中の1970年に、本馬はタータンファームにおいて14歳の若さで心臓発作のため他界した。遺体はタータンファーム(現在はワインディングオークスファーム)に埋葬された。その後も残された産駒が活躍し、1971年には北米種牡馬ランキングで3位、1973年には4位になるなど種牡馬として優れた実績を挙げた。後継種牡馬としてはインリアリティが成功して、マンノウォーからインテントを経て続くサイアーラインの主流となった。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1963

Tequillo

ブーゲンヴィリアH

1964

In Reality

ピムリコフューチュリティ・ファウンテンオブユースS・フロリダダービー・ジャージーダービー・ジョンBキャンベルH・カーターH・メトロポリタンH

1966

Red Reality

ロングアイランドH・バーナードバルークH・クイーンズカウンティH・スタイヴァサントH・サルヴェイターマイルH・セネカH・デルマーH(米GⅡ)・エッジミアH(米GⅢ)・バーナードバルークH(米GⅢ)

1966

Shelter Bay

マンハッタンH・ブーゲンヴィリアH

1966

Shut Eye

トボガンH・フォールハイウェイトH

1966

Ta Wee

プライオレスS・カムリーS・テストS・フォールハイウェイトH2回・ヴォスバーグS・ヘンプステッドH

1969

Tentam

メトロポリタンH(米GⅠ)・ガヴァナーS(米GⅠ)・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)・ジムダンディS・ボードウォークH・トボガンH(米GⅢ)・バーナードバルークH(米GⅢ)

1970

Group Plan

ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・ホーソーン金杯(米GⅡ)・スタイミーH(米GⅢ)

1970

Hey Rube

クエイカーH(米GⅢ)

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