カーリン

和名:カーリン

英名:Curlin

2004年生

栗毛

父:スマートストライク

母:シェリフズデピュティ

母父:デピュティミニスター

プリークネスS・BCクラシック・ドバイワールドCなどを制して2年連続でエクリプス賞年度代表馬に輝いた米国競馬史上初の1000万ドルホース

競走成績:3・4歳時に米首で走り通算成績16戦11勝2着2回

筆者がこの名馬列伝集を編むために海外の資料を見ていると、米国の資料では「史上初の〇〇万ドルホース」「史上△頭目の100万ドルホース」といった表現を頻繁に目にする。賞金水準が今と昔では全く違うし、同時代でも国によって大きく違うのだから、獲得賞金が競走馬の強さに比例するわけはなく、あまりそんなものを勲章のように扱うのは妥当ではない気が筆者にはするのだが、サイテーションを所有していたカルメットファームが、サイテーションを史上初の100万ドルホースにするために現役続行を強行した事例などを見ると、米国では獲得賞金の多さはやはり勲章であるらしい。もっとも、100万ドルというのは非常にきりが良い数字であるから、カルメットファームの気持ちは理解できなくもない。

サイテーションの後、数々の競走馬が100万ドルホースとなったが、桁が1つ多い1000万ドルホースはなかなか出現しなかった。かつて1996年にシガーが、1998年にスキップアウェイがその偉業に挑んだが、いずれも果たせずに競走馬引退となっている。しかしスキップアウェイが夢破れてから10年後、遂に史上初の1000万ドルホースが誕生した。資料によっては世界賞金王として扱われる事が多い(為替レートを考慮すると実際の世界賞金王はテイエムオペラオーである)、この史上初の1000万ドルホースが本馬、カーリンなのである。

誕生からデビュー前まで

かつてBCマイルを2勝したダホスなどを生産した事で知られる米国ケンタッキー州ファレスファームの生産馬である。1歳9月のキーンランドセールに出品され、ケンタッキー州で共に弁護士活動をしていたウィリアム・ガリオン氏とシャーリー・カニンガム氏により5万7千ドルで購入され、両氏が所属していた共同馬主団体ミッドナイトクライステーブルの所有馬となった。

カニンガム氏の曽祖父は米国南北戦争において南軍のために戦ったアフリカ系黒人奴隷チャールズ・カーリン氏であり、カニンガム氏の提案により本馬はその名前をそのまま付けられ、ヘレン・ピッツ調教師に預けられた。

競走生活(3歳初期)

デビューはやや遅く、3歳2月初めにフロリダ州ガルフストリームパーク競馬場で行われたダート7ハロンの未勝利戦となった。サンジェロニモという馬と、ラファエル・ベハラーノ騎手が騎乗する本馬が並んで単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。サンジェロニモの母はGⅢ競走モデスティHを勝ったウォーシーフだったが、サンジェロニモ自身は前走の未勝利戦で6番人気6着という平凡な馬(結局生涯ステークス競走出走歴無し)であり、この段階における本馬の評価はそれと同程度だったわけである。しかしその評価はレースが始まる前までだった。スタートして間もなく先頭に立った本馬は、後続に2馬身ほどの差をつけて直線に入ってくると、凄まじい勢いで後続との差を広げていき、最後は単勝オッズ5倍の3番人気だった2着ウィンストレラに12馬身3/4差をつけて圧勝した。

このレースを見ていたカリフォルニア州のワイン業者で馬主団体ストーンストリートステーブルの代表者でもあったジェス・ストーンストリート・ジャクソン・ジュニア氏、フロリダ州の馬主団体パドゥアステーブルスの代表者サティッシュ・サナン氏、それにサンフランシスコの銀行家ジョージ・ボルトン氏といった面々は本馬に興味を抱き、資金を出し合って合計350万ドルを用意し、ミッドナイトクライステーブルに共同所有を持ちかけた。交渉は成立し、本馬はミッドナイトクライステーブル、ストーンストリートステーブル、パドゥアステーブルス、ボルトン氏の共同所有馬となった。

2004年に北米記録となる年間555勝を挙げて名を馳せていたスティーヴン・アスムッセン調教師(名手キャッシュ・アスムッセン騎手の実弟)のところに転厩した本馬の次走は、3月中旬にアーカンソー州オークローンパーク競馬場で行われたレベルS(米GⅢ・D8.5F)となった。主な対戦相手は、未勝利戦を8馬身差で勝ってきたフライングファーストクラス、アーリントンワシントンフューチュリティ勝ち馬オフィサーロケット、サプリングS勝ち馬エクスチェンジャー、シュガーボウルS・サウスウエストSを勝ってきたサンフォードS2着馬トイフルズバーグなどだった。フライングファーストクラスが単勝オッズ2.8倍の1番人気、主戦となるロビー・アルバラード騎手を鞍上に迎えた本馬が単勝オッズ3.7倍の2番人気と、実績よりも前走の勝ち方を評価された2頭が人気を集めた。レースではフライングファーストクラスが2番手を進み、本馬はそれから2~3馬身ほど離れた4~5番手を進んだ。そして四角に入ると伸びを欠くフライングファーストクラスを一気にかわし、直線入り口で先頭に踊り出た。本馬を追うように上がってきたオフィサーロケットが直線で追いかけようとしたが、本馬との差は詰められず、逆に差を広げられていった。最後は本馬が2着オフィサーロケットに5馬身1/4差、3着トイフルズバーグにさらに2馬身半差をつけて圧勝した。

次走はちょうど4週間後のアーカンソーダービー(米GⅡ・D9F)となった。オフィサーロケット、前走で8着に沈んだフライングファーストクラスに加えて、一般競走を7馬身差で勝ってきたデッドリーディーラー、サンシャインミリオンズダッシュS勝ち馬ストームインメイなどの姿もあったが、本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。スタートが切られると、対抗馬として単勝オッズ3.2倍の2番人気に推されていたデッドリーディーラーが先頭に立ち、本馬が1~2馬身ほど後方の2番手につけた。そして四角に入ると一気に仕掛けて直線入り口で先頭に立ち、そのまま後続を引き離していった。最後は2着ストームインメイに10馬身半差をつけて圧勝。これで3週間後のケンタッキーダービーにおける有力候補に躍り出た。

競走生活(米国三冠競走)

そして迎えたケンタッキーダービー(米GⅠ・D10F)では、前年のBCジュヴェナイルを10馬身差で圧勝してエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれたストリートセンス、シャンペンS・ファウンテンオブユースS・フロリダダービー・サンフォードSの勝ち馬スキャットダディ、レーンズエンドSを勝ってきたハードスパン、ウッドメモリアルS・レムセンS・ホーリーブルSの勝ち馬ノービズライクショービズ、ホープフルS・ルイジアナダービーの勝ち馬でBCジュヴェナイル2着のサーキュラーキー、ウッドメモリアルS3着馬エニーギヴンサタデー、サンタアニタダービーを勝ってきたティアゴ、イリノイダービー勝ち馬カウタウンキャット、ブルーグラスSを勝ってきたドミニカン、ブリーダーズフューチュリティ・ロバートBルイスS勝ち馬グレートハンターなどが対戦相手となった。前走ブルーグラスSで2着に負けていたストリートセンスが単勝オッズ5.9倍の1番人気、3戦以下の経歴でケンタッキーダービーを勝った馬は1915年のリグレットまで遡らないと存在しない(さらに言えば3歳デビューでケンタッキーダービーを勝った馬は皆無だった)という事実にも関わらず本馬が単勝オッズ6倍の2番人気、スキャットダディが単勝オッズ8.2倍の3番人気となった。

スタートが切られるとハードスパンが先頭に立ち、本馬は馬群の中団やや後方、ストリートセンスはさらに後方からレースを進めた。内枠発走の本馬だったが、前方ではとにかく馬群が密集していたためにその中に突っ込むのは無理そうであり、三角から四角にかけて外側を回って位置取りを上げていこうとした。しかしここでストリートセンスが本馬の内側を実に巧みにすり抜けて、先頭を快走するハードスパンに襲い掛かっていった。一方の本馬は上手く位置取りを上げる事が出来ず、8番手辺りで直線に入ってきた。そして末脚を伸ばしたが、前を行くストリートセンスとハードスパンにはまったく追いつけず、勝ったストリートセンスから8馬身差、2着ハードスパンからも5馬身3/4差をつけられた3着に敗れた。

次走はプリークネスS(米GⅠ・D9.5F)となった。対戦相手はストリートセンス、ハードスパン、前走6着のサーキュラーキー、ベルモントフューチュリティS・ハッチソンS勝ち馬でサンタアニタダービー2着のキングオブザロキシー、アーカンソーダービー6着後にダービートライアルSを勝ったもののケンタッキーダービーは回避していたフライングファーストクラス、レベルS7着後にフェデリコテシオSを勝ってきたエクスチェンジャー、ウィザーズSで2着してきたシーピーウエストなど8頭だった。ストリートセンスが単勝オッズ2.3倍の1番人気、本馬が単勝オッズ4.4倍の2番人気、ハードスパンが単勝オッズ5.1倍の3番人気となった。

スタートが切られるとエクスチェンジャーとフライングファーストクラスの2頭が先手を奪い、前走で逃げたハードスパンは3番手、スタートで躓いた本馬は馬群の中団やや後方の6~7番手、ストリートセンスは本馬を見るように8番手につけた。向こう正面でハードスパンが先頭に立ち、そのまま三角に入って徐々に加速していくと、本馬とストリートセンスも一緒になってハードスパンの追撃を開始。本馬より後方から仕掛けたストリートセンスだったが、今回も器用に馬群の中をすり抜けて、本馬より一足先に直線に入ってきた。そしてストリートセンスがハードスパンを突き放した時には、ストリートセンスがそのまま勝つと思われた。しかしそこへ本馬が外側からストリートセンスに襲い掛かっていった。そしてゴール前で僅かにかわし、2着ストリートセンスに頭差、3着ハードスパンにはさらに4馬身差をつけて優勝した。

勝ちタイム1分53秒46はこの段階ではプリークネスSのレースレコードタイとして扱われたが、後の2012年になって1973年の勝ち馬セクレタリアトの勝ちタイム1分54秒4が誤っていたとして1分53秒0に修正されたので、実際には史上2位のタイムとなった(と各種資料にあるのだが、1985年の勝ち馬タンクスプロスペクトの勝ちタイムは1分53秒4、1996年の勝ち馬ルイカトルズの勝ちタイムは1分53秒43であり、いずれも本馬より速いから、厳密にはセクレタリアトのタイム修正前から本馬の勝ちタイムはレースレコードではなかった事になる。殆ど差が無いからレースレコードタイとして扱われた模様)。

次走のベルモントS(米GⅠ・D12F)では、米国三冠馬の可能性が消えたストリートセンスは回避してしまい、対戦相手は、ハードスパン、ケンタッキーダービー7着から直行してきたティアゴ、ケンタッキーダービーで本馬から半馬身差の4着と大健闘していたリズンスターS2着馬アイムアワイルドアンドクレイジーガイ、前走4着のシーピーウエスト、レキシントンS・ローンスターダービーを連勝してきたスルーズティジー、そしてラスヴァージネスS・サンタアニタオークス・ケンタッキーオークスなど4連勝で挑んできた牝馬ラグストゥリッチズの合計6頭となった。本馬が単勝オッズ2.1倍の1番人気、紅一点のラグストゥリッチズが単勝オッズ5.3倍の2番人気、ハードスパンが単勝オッズ5.9倍の3番人気となった。

スタートが切られるとシーピーウエストとアイムアワイルドアンドクレイジーガイが先頭を引っ張り、本馬とハードスパンがその2頭を見るように3~4番手、ラグストゥリッチズやティアゴはさらにその後方につけた。三角に入るとまずハードスパンが仕掛け、本馬も内側を通って進出を開始。後方にいたラグストゥリッチズやティアゴも本馬を追って上がってきた。四角に入ると馬群の外側からラグストゥリッチズが抜け出し、それに本馬が続いた。そして内側の本馬と外側のラグストゥリッチズによる壮絶な叩き合いが展開された。しかし最後はラグストゥリッチズが競り勝ち、頭差で敗れた本馬は、同競走102年ぶりの牝馬制覇という大偉業を果たしたラグストゥリッチズの引き立て役となってしまった。それでも3着ティアゴには5馬身半差、4着ハードスパンにもさらに5馬身半差をつけていたから、本馬が凡走したのではなく、ラグストゥリッチズが強かったと言うべきだろう。

米国三冠競走に皆勤した本馬には短い夏休みが与えられたが、その間にある事件が起こった。本馬の共同馬主だったガリオン氏とカニンガム氏の両弁護士が、薬物会社との訴訟で得た和解金をごまかしたとして、詐欺の容疑で逮捕されてしまったのである。両氏が所属していたミッドナイトクライステーブルは本馬の所有権の20%を保持していたが、両氏が裁判にかけられる事になったためにややこしい事になった。

これは後の話だが、煩雑になるのでここでまとめて書いてしまうと、本馬がBCクラシックを優勝した直後に、ジャクソン・ジュニア氏とボルトン氏はパドゥアステーブルスの代表者サナン氏と協議して、パドゥアステーブルスが所持していた所有権29%を買い取った。さらにジャクソン・ジュニア氏はその翌月にボルトン氏が所持していた所有権20%も買い取り、本馬の所有権80%を取得した。残り20%はミッドナイトクライステーブルの所有のままで残ったが、結局裁判絡みでミッドナイトクライステーブルは所有権を手放すことになったようで、4歳6月のスティーヴンフォスターHにはストーンストリートステーブルとミッドナイトクライステーブルの共同名義で出走したが、翌月のマンノウォーSではストーンストリートステーブルの単独名義となっていた。そしてガリオン氏とカニンガム氏は本馬が競走馬を引退した翌年2009年に有罪判決を受け、それぞれ25年と20年の懲役刑を言い渡されて刑務所送りとなり、表舞台から消えた。

競走生活(3歳後半)

さて、そんなごたごたは本馬自身には直接関係が無いことであり、次走はベルモントSから8週間後のハスケル招待S(米GⅠ・D9F)となった。対戦相手は、同じくベルモントSから直行してきたハードスパン、ケンタッキーダービー8着後にドワイヤーSに出て4馬身差で完勝していたエニーギヴンサタデー、プリークネスS8着後にバーバロSを勝ってきたエクスチェンジャー、ベルモントSで6着だったアイムアワイルドアンドクレイジーガイ、3戦無敗で臨んできたケーブルボーイなどだった。長年に渡りハンデ競走だったハスケル招待Hは、この前年から米国三冠競走勝ち馬だけ122ポンドで、他馬は118ポンドという別定重量戦になっていた。そのため本馬だけが他馬より4ポンド重い斤量を背負うことになったが、それでも単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、前走の勝ち方を評価されたエニーギヴンサタデーが単勝オッズ2.8倍の2番人気と続いた。スタートが切られるとケーブルボーイが先頭に立ち、ハードスパンやエニーギヴンサタデーが先行、本馬は馬群の中団後方につけた。そのままの体勢で淡々とレースが進み、各馬の位置取りがあまり変わらないまま直線へと入ってきた。直線に入ってすぐにエニーギヴンサタデーが抜け出して後続を引き離していった。4番手で直線を向いた本馬だったが、明らかに伸びを欠いており、ハードスパンを捕まえることにも失敗。勝ったエニーギヴンサタデーから4馬身半差の3着と完敗した。

その後はジョッキークラブ金杯(米GⅠ・D10F)に向かった。対戦相手は全て古馬であり、その中にはホイットニーH・ウッドワードS・オークローンHを勝っていた現役米国最強古馬ローヤーロンの姿もあった。ローヤーロンは前年のレベルSとアーカンソーダービーを連勝してケンタッキーダービーに挑むも敗れており、本馬とはその点で少し似た者同士だった。ホイットニーH・ウッドワードSとGⅠ競走を連勝してきたローヤーロンが単勝オッズ1.7倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.1倍の2番人気、サバーバンH勝ち馬でメトロポリタンH2着のポリティカルフォースが単勝オッズ6.5倍の3番人気、ウッドワードSで2着してきたタンパベイダービー・レナードリチャーズS・ペンシルヴァニアダービー・コモンウェルスBCS勝ち馬サンキングが単勝オッズ12.2倍の4番人気となった。

スタートが切られるとローヤーロンが先手を取り、サンキングやポリティカルフォースが好位、本馬は中団につけた。三角に入ってから仕掛けると、直線入り口で先頭のローヤーロンに並びかけようとした。しかしここからローヤーロンも古馬最強の実力を発揮して、なかなか本馬に追いつかせなかった。残り1ハロン地点ではローヤーロンがそのまま勝ちそうな雰囲気だったが、残り50ヤード地点から一気に2頭の差が縮まった。そしてゴール前でかわした本馬が、2着ローヤーロンに首差、3着ポリティカルフォースにはさらに4馬身差をつけて勝利した。

次走はハスケル招待Sと同じくモンマスパーク競馬場で行われたBCクラシック(米GⅠ・D10F)となった。ローヤーロン、プリークネスS2着後の休養明けにジムダンディS・トラヴァーズSを連勝していたストリートセンス、ハスケル招待S勝利後にブルックリンHを勝ってきたエニーギヴンサタデー、ハスケル招待S2着後にキングズビショップS・ケンタッキーCクラシックSを連勝してきたハードスパン、ベルモントS3着後にスワップスBCS・グッドウッドSを連勝してきたティアゴといった顔馴染みの馬達と、受精率の低さから種牡馬失格の烙印を押されて現役復帰させられていた英2000ギニー・クイーンエリザベスⅡ世S・愛フェニックスS・愛ナショナルSなどの勝ち馬ジョージワシントン、サンディエゴH・パシフィッククラシックS・グッドウッドSと3戦連続2着してきたサンフェルナンドS勝ち馬オーサムジェム、スティーヴンフォスターH・ホイットニーH・ウッドワードSと3戦連続3着後にメドウランズCHを勝ってきたダイアモンドストライプスも参戦してきて、本馬を含めた合計9頭による戦いとなった。ストリートセンスが単勝オッズ3.5倍の1番人気、ローヤーロンとエニーギヴンサタデーが並んで単勝オッズ4.9倍の2番人気、本馬が単勝オッズ5.4倍の4番人気、ハードスパンが単勝オッズ9.1倍の5番人気となった。

田圃にしか見えない泥だらけの不良馬場の中でスタートが切られると、ハードスパンが先頭に立ち、ローヤーロンやエニーギヴンサタデーが先行。本馬は前の馬達から4~5馬身ほど離れた6番手、ストリートセンスは本馬の直後でレースを進めた。三角手前で本馬が仕掛けて一気に上がっていき、四角に入る頃にはハードスパン以外の馬達を全て抜き去ると、単騎の逃げに持ち込んでいたハードスパンに直線入り口で並びかけた。そしてすぐにハードスパンを突き放すと、あとは独走。2着ハードスパンに4馬身半差、追い込んで3着に入ったオーサムジェムにはさらに4馬身3/4差をつけて圧勝し、これで同世代だけでなく米国競馬界の頂点に立った。

3歳時の成績は9戦6勝で、ストリートセンスを抑えて、この年のエクリプス賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬のタイトルを受賞した。

競走生活(4歳前半)

4歳時は目標をドバイワールドCに定めた。過去にドバイワールドCに出走した有力米国調教馬は、地元米国で1戦してからドバイに遠征する事が殆どだったのだが、本馬の場合は早い段階でドバイ入りして彼の地で1戦してから本番に臨むという予定を組んだ。

そしてドバイにやって来た本馬は、本番4週間前に本番と同じナドアルシバ競馬場ダート2000mで実施されるハンデ競走ジャガートロフィー(D2000m)に出走した。ここで改めて書くまでもなく、イスラム圏では賭け事が禁止されていたが、海外のブックメーカーはドバイにおけるレースを賭けの対象にしており、このレースもそうであった。それによると本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気で、ゴドルフィンの所属馬で地元のダート競走を快勝してきたファミリアテリトリーが単勝オッズ4.5倍の2番人気だった。実績では本馬とファミリアテリトリーでは比較対象にならないほど差があったのだが、斤量は本馬のほうが7kg(15ポンド相当)も重い60kgだったために、この程度の人気差になったようである。しかしレースでは本馬が実力差を見せつけ、先行して残り400m地点で先頭に立つと、2着ファミリアテリトリーに2馬身1/4差をつけて快勝した。

そして迎えたドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)では、マクトゥームチャレンジR3を勝ってきたジャジル、前年のUAE2000ギニー・UAEダービーを勝っていたアジアティックボーイ、元々は米国調教馬でウッドワードS・クラークHを勝ちBCクラシック3着の実績を挙げた後にサウジアラビアにトレードされて前年のドバイワールドCで2着するなど活躍していたプレミアムタップ、ドンHで2着してきたクラークH・スキップアウェイH勝ち馬エーピーアロー、ナドアルシバ賞を勝ってきたコカブ、マクトゥームチャレンジR1・マクトゥームチャレンジR3で2着してきたブラジル出身馬グロリアデカンペオン、サンアントニオHを勝ってきたウェルアームド、マクトゥームチャレンジR2の勝ち馬ラッキーファインド、ケンタッキーダービー13着以降は振るわない状況が続いていたグレートハンター、サウジアラビアのGⅡ競走を2勝していたスウェイエド、そして川崎記念・JBCクラシック・ジャパンCダート・東京大賞典・フェブラリーSなどの勝ち馬で前年のドバイワールドCでは4着だった現役日本最強ダート馬ヴァーミリアンの合計11頭が対戦相手となった。実績では本馬が断然であり単勝オッズ1.36倍の1番人気に支持され、ジャジルが単勝オッズ6倍の2番人気、アジアティックボーイとヴァーミリアンが並んで単勝オッズ11倍の3番人気となった。

スタートが切られるとウェルアームドが先頭に立ち、本馬はアジアティックボーイなどと共にウェルアームドを見るように先行した。そのままの体勢で直線に入るとすぐにアルバラード騎手が本馬に合図を送った。すると一気に加速した本馬は残り400m地点で先頭に立った後も、後方で競り合うウェルアームドとアジアティックボーイを尻目に後続を引き離し続けた。最後は2着アジアティックボーイに同競走史上最大着差となる7馬身3/4差をつけて圧勝(それまでの最大着差は2000年の勝ち馬ドバイミレニアムが記録した6馬身差)。翌年のドバイワールドCを14馬身差で優勝するウェルアームドはさらに首差の3着、翌年のドバイワールドCで2着、さらに翌年のドバイワールドCを優勝するグロリアデカンペオンは8着、ヴァーミリアンは12着最下位に終わった。

競走生活(4歳後半)

帰国した本馬は2か月半ほど休養して、6月のスティーヴンフォスターH(米GⅠ・D9F)に出走した。対戦相手は、ガルフストリームパークBCTS2回・ターフクラシックS・マーヴィンムニツジュニア記念Hを勝っていたアインシュタイン、マインシャフトH勝ち馬でトラヴァーズS2着のグラスホッパー、ドンH・オハイオダービー・ニューオーリンズHなどの勝ち馬で一昨年のドバイワールドCで2位入線するも薬物検査に引っ掛かって失格となっていたブラスハット、クイーンズカウンティH2着馬バーコラなどだった。本馬が他馬勢より10~15ポンド重い128ポンドのトップハンデでも単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持され、芝とは言えGⅠ競走で3勝を挙げていたアインシュタインが単勝オッズ7倍の2番人気となった。スタートが切られるとバーコラが先頭に立ち、本馬は好位の4~5番手につけた。そして三角に入ってから加速して直線入り口で先頭に立ち、そのまま後続を引き離していった。そして2着に追い上げてきたアインシュタインに4馬身1/4差をつけて圧勝した。

その後、かねてより本馬を凱旋門賞へ出走させる事を検討していた陣営は、芝適性を確かめるために、本馬を7月のマンノウォーS(米GⅠ・T11F)に向かわせた。初の芝競走ではあったが、4年前のBCターフを筆頭にソードダンサー招待H・ユナイテッドネーションズS・マンノウォーS・マンハッタンHと芝GⅠ競走5勝を挙げていたベタートークナウ、2年前のBCターフを勝っていたレッドロックスの両BCターフ覇者や、ソードダンサー招待S勝ち馬グランドクチュリエ、ミラノ大賞を勝っていたスーダンなどを抑えて単勝オッズ1.45倍の1番人気に支持された。

本馬はスタートでゲートにぶつかって出遅れてしまい、少し加速して馬群の中団で落ち着いた。前方ではスーダンなど2頭が後続を最大で10馬身以上引き離す大逃げを打っており、そのうちスーダンはなかなか失速しなかったため、本馬を含む後続馬勢は三角から追撃を開始した。直線に入ってもスーダンはまだ先頭で粘っていたが、2番手で直線に入ってきたレッドロックスが残り1ハロン地点でそれを抜き去った。一方、3番手で直線に入ってきた本馬だが、レッドロックスを捕らえる以前になかなかスーダンをかわすことが出来ず、ゴール前50ヤード地点で2番手に上がったものの、そこまでだった。勝ったレッドロックスから2馬身差をつけられて2着に敗れてしまった。

レッドロックスはBCターフ勝ち馬ではあるが、それ以外にGⅠ競走の勝ち鞍は今まで無く、超一流の芝馬とは言い難かった。本馬とレッドロックスの斤量は同じであり、スタートで出遅れたとは言え、それに敗れてしまっては、ただでさえ斤量面で3歳馬有利の凱旋門賞で勝ち負けに持ち込むのは難しそうだった。

というわけで、この敗戦により凱旋門賞出走は白紙となり、次走は翌月のウッドワードS(米GⅠ・D9F)となった。対戦相手は、メトロポリタンHを勝ってきたディヴァインパーク、ブルックリンH・マインシャフトH・ベンアリS・アリシーバS勝ち馬でピムリコスペシャルH・ジョッキークラブ金杯・ホイットニーHとGⅠ競走2着が3回あったワンデリンボーイ、アメリカンH・オークツリーマイルS勝ち馬でエディリードH・ターフクラシックS・マンハッタンHと芝のGⅠ競走2着が3回あったアウトオブコントロール、ドバイワールドCで本馬から8馬身3/4差の4着だったエーピーアロー、スーパーダービー3着馬パストザポイントなど6頭だった。本馬が単勝オッズ1.35倍の1番人気、ディヴァインパークが単勝オッズ5.6倍の2番人気、ワンデリンボーイが単勝オッズ9.5倍の3番人気となった。

スタートが切られるとパストザポイントが先手を取り、ワンデリンボーイが1~2馬身ほど離された2番手、ディヴァインパーク、本馬、アウトオブコントロールなどがワンデリンボーイから4馬身ほど離された3~5番手につけた。最初のコーナーに入るところでディヴァインパークが外側に膨らんで本馬とアウトオブコントロールの2頭に衝突する場面があった。それが影響したのかアウトオブコントロールは三角手前で早々に失速。ディヴァインパークにも伸びが無く、三角から徐々に後退していった。しかし本馬のみは三角から徐々に前との差を詰めていった。前方ではパストザポイントが快調に先頭を飛ばしており、それから3馬身ほど後方にワンデリンボーイ、本馬は三角に入った時点でワンデリンボーイからさらに6馬身ほど離されていた。しかし四角で一気にこの3頭の差が縮まった。本馬は先頭のパストザポイントを射程圏内に捉えた状態で直線に入ると、すぐにワンデリンボーイをかわして2番手に上がり、引き続いてパストザポイントも抜き去って、2着パストザポイントに1馬身1/4差をつけて勝利した。

次走はジョッキークラブ金杯(米GⅠ・D10F)となった。対戦相手は前走3着のワンデリンボーイ、同4着のエーピーアロー、前走トラヴァーズSで2着してきたマンボインシアトルなど7頭だった。本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持され、マンボインシアトルが単勝オッズ5.3倍の2番人気、ワンデリンボーイが単勝オッズ8.4倍の3番人気となった。

不良馬場の中でスタートが切られると今回はワンデリンボーイが先頭に立ち、マンボインシアトルが1~2馬身ほど後方の2番手、本馬はさらに3~4馬身ほど離れた5番手辺りにつけた。前走では道中で先頭と本馬の差がいったん10馬身近く開いたが、今回はそこまで縦長にはならなかった。三角に入った瞬間に本馬が加速して、四角では先行した2頭を捕らえにかかった。直線入り口でマンボインシアトルをかわすと、残り1ハロン地点でワンデリンボーイに並びかけた。ここからワンデリンボーイも粘りを発揮したが、アルバラード騎手が鞭を使わずに手と足だけで追った本馬が楽にワンデリンボーイを抑えきり、3/4馬身差で勝利した。

この勝利で獲得した賞金45万ドルを加算すると本馬の獲得賞金総額は1024万6800ドルになった。ここに北米競馬史上初の1000万ドルホースが誕生し、シガーの999万9815ドルを更新して北米賞金王の座に君臨した。本馬がゴールする瞬間に実況は「カーリンがシガーの記録を上回りました!彼が最も賞金を獲得したアメリカの馬です!」と叫んだ。

その後は2連覇を目指して、サンタアニタパーク競馬場で行われたBCクラシック(米GⅠ・AW10F)に出走した。前年からサンタアニタパーク競馬場はダートコースにオールウェザーを導入しており、この年のBCクラシックは史上初めてオールウェザーコースで実施された。対戦相手は、前走パシフィッククラシックSを勝ってきたヴァージニアダービーなどの勝ち馬ゴービトウィーン、サンタアニタダービー・トラヴァーズSを勝ってきたカーネルジョン、前年のBCクラシック5着馬で、この年はオークローンHを勝ちグッドウッドSで2着してきた古い好敵手ティアゴ、加国のGⅠ競走ノーザンダンサーターフSやサンマルコスSの勝ち馬シャンゼリゼ、ホーソーン金杯H・東京シティCを勝ってきたフェアバンクス、パシフィッククラシックS・ピムリコスペシャルHの勝ち馬でホイットニーH2着のステューデントカウンシル、ハッチソンS・オハイオダービー勝ち馬でフロリダダービー2着のスムーズエアといった米国調教馬勢7頭と、この年にガネー賞・タタソールズ金杯・プリンスオブウェールズS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・英国際SとGⅠ競走を5連勝していた現役欧州最強古馬デュークオブマーマレード、この年に英2000ギニー・愛2000ギニー・セントジェームズパレスS・サセックスSとGⅠ競走を4連勝していたヘンリーザナヴィゲーター、ヘンリーザナヴィゲーターと好勝負を演じながらセレブレーションマイル・クイーンエリザベスⅡ世Sを連勝してきたレイヴンズパスの欧州調教馬3頭、そして日本の藤沢和雄調教師が送り込んできたピーターパンS勝ち馬カジノドライヴ(ラグストゥリッチズの1歳年下の半弟に当たる)の合計11頭だった。本馬にとって最初で最後のオールウェザーコースだったが、あまり気にするファンはいなかったようで、単勝オッズ1.9倍という圧倒的な1番人気に支持された(ただし本馬を一番良く知るアスムッセン師やジャクソン・ジュニア氏は懸念を示していた)。そしてゴービトウィーンが単勝オッズ9倍の2番人気、デュークオブマーマレードが単勝オッズ10.6倍の3番人気、カジノドライヴが単勝オッズ10.9倍の4番人気となった。

スタートが切られるとカジノドライヴが先頭に立ち、デュークオブマーマレードやゴービトウィーンも先行、本馬は馬群の中団につけた。そして三角に入るところで大外から進出を開始して、四角途中では既に先頭のデュークオブマーマレードに並びかけていた(カジノドライヴは既に馬群に沈んでいた)。そして直線に入る手前で先頭に立ったのだが、ここからの伸びが今ひとつだった。そこへ単勝オッズ14.5倍の6番人気馬レイヴンズパス、単勝オッズ16.2倍の7番人気馬ティアゴ、単勝オッズ20倍の8番人気馬ヘンリーザナヴィゲーターといった人気薄の後方待機馬勢が押し寄せてきた。得意の闘争心を発揮する余地も無く、真っ先に襲い掛かってきたレイヴンズパスに一気に抜かれてしまうと、ヘンリーザナヴィゲーターとティアゴにも次々に差されてしまい、勝ったレイヴンズパスから2馬身3/4差の4着と、生涯最初で最後の着外を喫してしまった。

これが現役最後のレースとなったが、それでも4着賞金25万5千ドルが加算され、獲得賞金総額は1050万1800ドルとなり、これが現在でも北米記録となっている。

4歳時の成績は7戦5勝で、エクリプス賞最優秀古馬だけでなく、BCレディーズクラシックなど7戦全勝のゼニヤッタを抑えて、2年連続のエクリプス賞年度代表馬も受賞した。また、この年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは130ポンド、英タイムフォーム社のレーティングでは134ポンドの評価が与えられ、いずれもこの年世界第1位だった。なお、管理するアスムッセン師はこの年に622勝を挙げ、自身が保持していた北米年間最多勝利記録を更新している。

血統

Smart Strike Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Gold Digger Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood
Classy 'n Smart Smarten Cyane Turn-to
Your Game
Smartaire Quibu
Art Teacher
No Class Nodouble Noholme
Abla-Jay
Classy Quillo Outing Class
Quillopoly
Sherriffs Deputy Deputy Minister Vice Regent Northern Dancer Nearctic
Natalma
Victoria Regina Menetrier
Victoriana
Mint Copy Bunty's Flight Bunty Lawless
Broomflight
Shakney Jabneh
Grass Shack
Barbarika Bates Motel Sir Ivor Sir Gaylord
Attica
Sunday Purchase T. V. Lark
Dame Fritchie
War Exchange Wise Exchange Promised Land
Coastal Trade
Jungle War Battle Joined
Jota Jota

スマートストライクは当馬の項を参照。

母シェリフズデピュティは不出走馬だが、その母バーバリカはジョニーウォーカークラシックH(米GⅡ)・ターフウェイBCS(米GⅢ)とグレード競走2勝を含む16戦7勝の成績を挙げた活躍馬だった。シェリフズデピュティの半姉で日本に繁殖牝馬として輸入されたバービキャット(父ストームキャット)の子には、レッドスパーダ【京王杯スプリングC(GⅡ)・東京新聞杯(GⅢ)・関屋記念(GⅢ)】がいる。シェリフズデピュティの従姉妹の子にはカウンテスダイアナ【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・スピナウェイS(米GⅠ)】や、エクサジェナス【ガゼルH(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)】がおり、日本で走ったウインバリアシオン【青葉賞(GⅡ)・日経賞(GⅡ)】はシェリフズデピュティの従姉妹の孫である。→牝系:F19号族①

母父デピュティミニスターは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州レーンズエンドファームで種牡馬入りした。初年度の種付け料は7万5千ドルに設定され、131頭の繁殖牝馬を集めた。その後も同馬主同厩だった2歳年下のエクリプス賞年度代表馬レイチェルアレクサンドラの交配相手に指名されるなど、人気種牡馬の地位を確保している。

初年度産駒は2012年にデビュー。2歳時に走らなかった父に似たのか2歳戦の成績は今ひとつだったが、翌年に初年度産駒の1頭パレスマリスが、父が勝てなかったベルモントSを優勝して評価が上昇している。2014年に米国競馬の殿堂入りを果たした。

本馬を所有したジャクソン・ジュニア氏は「彼は速いだけでなく、力強くてスタミナに優れて頑健な馬でした」と語っており、本馬の登場以前に有力3歳牡馬が故障のため古馬になって活躍できずに引退する事例が相次いでいた状況を種牡馬としての本馬が覆せるのではないかと期待する人もいる。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2010

Moulin de Mougin

ジョンCメイビーS(米GⅡ)

2010

Palace Malice

ベルモントS(米GⅠ)・メトロポリタンH(米GⅠ)・ジムダンディS(米GⅡ)・ガルフストリームパークH(米GⅡ)・ニューオーリンズH(米GⅡ)・ウエストチェスターS(米GⅢ)

2011

Diversy Harbor

ブエナビスタS(米GⅡ)

2011

オールドバルディー

イーハトーブマイル(盛岡)

2012

Curalina

エイコーンS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)

2012

Keen Ice

トラヴァーズS(米GⅠ)

2012

Ocean Knight

サムFデーヴィスS(米GⅢ)

2012

Stellar Wind

サンタアニタオークス(米GⅠ)・サマータイムオークス(米GⅡ)・サンタイザベルS(米GⅢ)・トリーパインズS(米GⅢ)

2013

Exaggerator

サラトガスペシャルS(米GⅡ)・デルタダウンズジャックポットS(米GⅢ)

2013

Off the Tracks

スカイラヴィルS(米GⅢ)

TOP