サンタクロース

和名:サンタクロース

英名:Santa Claus

1961年生

鹿毛

父:チャモセア

母:アーントクララ

母父:アークティックプリンス

57年ぶり史上2頭目となる英ダービー・愛ダービーのダブル制覇を果たすも若くしてこの世を去った競走馬のサンタクロース

競走成績:2・3歳時に愛英仏で走り通算成績7戦4勝2着2回

誕生からデビュー前まで

英国ウォリックシャー州においてF・スモーフィット博士により生産された。成長すると体高は16.1ハンドになったというから、体格自体は標準以上だったようだが、幼少期の評価は低かったらしく、当歳12月にセリに出品されたときには800ギニーという安値で取引されている。この1年後には再度セリに出され、今度は1200ギニーで英ブラッドストックエージェンシー社の愛国支社によって購入され、ジョン・イズメイ氏とダービー・ロジャース夫人の共同所有馬となった。ロジャース夫人の息子で、愛国カラーで調教師をしていたミック・ロジャース師の管理馬となった。

競走生活(3歳初期まで)

2歳8月にカラー競馬場で行われたアングルシーS(T6F)でデビューした。しかし結果は何の見せ場も無く、勝ったドロモランドから8馬身差の5着と完敗を喫した。それにも関わらず、1か月後に出走した次走は、愛国の重要な2歳戦である愛ナショナルS(T7F)となった。未勝利馬の身であるにも関わらず単勝オッズ5倍の評価を受けると、チェシャムS・レイルウェイSを勝っていた牝馬メソポタミアを8馬身差の2着に切り捨てて初勝利を挙げた。2歳時はこの2戦のみで休養入りしたが、愛ナショナルSの勝ち方から翌年の英国及び愛国クラシック戦線の有力馬として評価された。

3歳時はいきなり愛2000ギニー(T8F)から始動した。そして単勝オッズ2倍の1番人気に応えて、クレイヴンSの勝ち馬ヤングクリストファーを3馬身差に2着に破って完勝した。

英ダービー

次走の英ダービー(T12F)では、英2000ギニー馬ボールドリック(天皇賞馬キョウエイプロミスの父)、サンダウンクラシックトライアルS・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬オンシデュウム、ディーS・ダンテSの勝ち馬スウィートモス、未勝利馬ながら英ダービー馬ネヴァーセイダイ産駒として期待を受けていたクレイヴンS・リングフィールドダービートライアルS3着馬ライオンハーテッド(東京大賞典勝ち馬アズマキングの父)、チェスターヴァーズの勝ち馬インディアナ(ハイセイコーの宿敵タケホープの父)、チェスターヴァーズ2着馬コンブリオ、クレイヴンS2着・英2000ギニー3着のバルストレード、ノアイユ賞2着馬コラー、ソラリオSの勝ち馬ペニーストール、愛2000ギニーでヤングクリストファーから半馬身差の3着だったクレタなどが対戦相手となったが、豪州出身の名手アーサー・“スコービー”・ブリースリー騎手を鞍上に迎えた本馬が単勝オッズ2.875倍の1番人気に支持された。

ブリースリー騎手は16歳の若さで豪州の大競走メトロポリタンHを勝ち、4連覇を含むコーフィールドC5勝(現在も最多記録)など豪州を代表する名騎手として活躍した。35歳時に渡英すると1951年にキミングで英2000ギニーを、1954年にフェストゥーンで英1000ギニーを勝つなど活躍していたが、英1000ギニー制覇の3日後に落馬して頭蓋骨骨折の大怪我を負ってしまった。しかし3か月のリハビリで復帰し、1957・61・62・63年には英平地首位騎手に輝き、1958年にはバリモスの主戦としてキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSや凱旋門賞を制するなど、50歳になったこの年においても当時の英国を代表する名騎手として活躍していた。地元愛国で本馬の主戦を務めていたW・バーク騎手に代わって、本馬と英ダービー限定のコンビを組むことになったのである。なお、人気を集めていた本馬が勝つのを妨害しようとする企みがあったらしく、非常に厳重な警戒を受けながら、本馬はカラーからエプソム競馬場に到着したという。

英国エリザベスⅡ世女王陛下を始めとする20万人もの大観衆が見守る中、本馬はスタートから先行集団につけ、直線で内側を突いて先頭に立つと、そのまま2着インディアナに1馬身差をつけて優勝した。ブリースリー騎手はレース後に本馬のことを「美しく理想的な馬」と讃えた。

競走生活(英ダービー以降)

地元に戻って出走した愛ダービー(T12F)では、単勝オッズ1.57倍という断然の1番人気に支持された。そして鞍上に戻ったバーク騎手と共に、2着ライオンハーテッドに4馬身差をつける圧勝で、1907年のオービー以来57年ぶり史上2頭目となる英ダービー・愛ダービーのダブル制覇を達成した。

次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(T12F)では、同レース史上最高支持率となる単勝オッズ1.15倍の圧倒的1番人気に支持された。しかし先に抜け出した仏国調教の4歳馬ナスラムに追いつけずに、2馬身差の2着に敗退した(3着となったジョンポーターS・プランタン大賞の勝ち馬ロイヤルアベニューは本馬から4馬身後方だった)。ナスラムはリス賞の勝ち馬で、ガネー賞とサンクルー大賞3着の実績はあったが、単勝オッズ15.29倍の伏兵だった。英国競馬史上最大の番狂わせの一つとまで呼ばれたこのレースの敗因は、あまりにも堅い馬場状態が本馬に合わなかったためだと言われている。

その後は休養し、秋は英セントレジャーに向かう予定だったが、馬場状態が堅かったために回避(英ダービー2着のインディアナが勝っている)。結局、ぶっつけで凱旋門賞(T2400m)に出走することになった。リュパン賞・仏ダービー・クリテリウムドサンクルー・コンデ賞・ノアイユ賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬ルファビュリュー、ジャックルマロワ賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム2着・英オークス・ヴェルメイユ賞3着のラバンバ、パリ大賞の勝ち馬ホワイトラベル、ロワイヤルオーク賞の勝ち馬でリュパン賞2着のバルビエリ、ヴェルメイユ賞の勝ち馬で仏オークス2着のアスタリア、イスパーン賞・ジャンプラ賞・ユジェーヌアダム賞の勝ち馬ジュールエニュイ、サンタラリ賞・仏オークスの勝ち馬ベルシカンブル、グレフュール賞・オカール賞の勝ち馬フリーライド、ロワイヤルオーク賞で2着してきたティミーラッド、ナスラムといったこの年の仏国競馬における有力馬ほぼ全てに加えて、愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・英セントレジャー・エクリプスSを勝っていた4歳馬ラグーザ、ミラノ大賞の勝ち馬プリンスロイヤル、ロイヤルアベニューなども参戦しており、非常に高レベルな戦いとなった。本馬は英ダービー・愛ダービーの勝ち馬でありながら、前哨戦を使わずに来た事が懸念されたのか、それとも仏国民の愛国心ゆえか7番人気の低評価だった(1番人気はルファビュリュー)。結果は大半の有力馬には先着したものの、プリンスロイヤルの3/4馬身差2着と惜敗。

このレースを最後に3歳時5戦3勝の成績で競走馬を引退したが、この年の英年度代表馬に選ばれている。獲得賞金総額15万3646ポンドは、バリモスの11万4150ポンドを上回り、1967年にリボッコに更新されるまで英愛調教馬の賞金記録だった(バリモスの記録を破ったのは本馬ではなくラグーザだとする資料もある)。馬名は言うまでもなくクリスマスの夜に子ども達にプレゼントを贈るサンタクロースに由来している。

血統

Chamossaire Precipitation Hurry On Marcovil Marco
Lady Villikins
Tout Suite Sainfoin
Star
Double Life Bachelor's Double Tredennis
Lady Bawn
Saint Joan Willbrook
Flo Desmond
Snowberry Cameronian Pharos Phalaris
Scapa Flow
Una Cameron Gainsborough
Cherimoya
Myrobella Tetratema The Tetrarch
Scotch Gift
Dolabella White Eagle
Gondolette
Aunt Clara Arctic Prince Prince Chevalier Prince Rose Rose Prince
Indolence
Chevalerie Abbot's Speed
Kassala
Arctic Sun Nearco Pharos
Nogara
Solar Flower Solario
Serena
Sister Clara Scarlet Tiger Colorado Phalaris
Canyon
Trilogy Son-in-Law
Trimestral
Clarence Diligence Hurry On
Ecurie
Nun's Veil Friar Marcus
Blanche

父チャモセアはプリシピテイションの直子で、現役時代は英セントレジャー勝ちなど11戦4勝。1964年には本馬の活躍により英愛首位種牡馬に輝いている。本馬以外の主な産駒は、英セントレジャー・カドラン賞の勝ち馬カンブラマー、愛ダービー馬シャミエ、愛ダービー馬ユアハイネス、サセックスSの勝ち馬ルサージュ、ロイヤルホイップSの勝ち馬アズリネ、クイーンメアリーSの勝ち馬プリマヴェラなど。

母アーントクララは現役成績3戦未勝利。本馬の半妹ミスマッチ(父マッチ)の曾孫にフィールドダンサー【イースターH(新GⅠ)・ニュージーランドS(新GⅠ)】、ジャストアダンサー【シドニーC(豪GⅠ)】がいる。アーントクララの半姉クラリンダ(父ストレートディール)の子にはパリンダ【アスタルテ賞】がいる他、クラリンダの玄孫には皇帝シンボリルドルフの好敵手ビゼンニシキ【スプリングS(GⅡ)・NHK杯(GⅡ)・共同通信杯四歳S(GⅢ)】がいる。アーントクララの母シスタークララの半妹には20世紀英国有数の名牝である英国牝馬三冠馬サンチャリオット【英1000ギニー・英オークス・英セントレジャー・ミドルパークS】が、シスタークララの姪にはカロッツァ【英オークス】がいる。牝系にはブランドフォードベイロナルドといった名種牡馬達の名前も見られる。→牝系:F3号族②

母父アークティックプリンスは現役成績5戦2勝ながら、うち1勝が英ダービーだった。種牡馬としてもそこそこの成績を残したが、繁殖牝馬の父として定評があるプリンスローズ系らしく、1964・69年と2度の英愛母父首位種牡馬になっている。アークティックプリンスの父プリンスシュヴァリエはプリンスローズの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は40万ドルで取引されて愛国で種牡馬となった。種牡馬としては活躍馬こそ輩出したが、1970年に血栓症のため9歳の若さで他界したため後継種牡馬には恵まれず、直系は曾孫の代で途絶えてしまっている。本馬の血を引く馬としては、4年連続でカルティエ賞最優秀長距離馬に選ばれたイェーツ(曾祖母の父が本馬)などがいる。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1966

Reindeer

愛セントレジャー・デスモンドS・ロイヤルホイップS・ケルゴルレイ賞

1967

Santa Tina

愛オークス・ロワイヨモン賞・ポモーヌ賞

1968

Colum

ディーS(英GⅢ)

1969

Bonne Noel

エボアH

1969

Sleat

サンチャリオットS(英GⅡ)

1969

Yaroslav

ロイヤルロッジS(英GⅡ)

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