ポリメラス

和名:ポリメラス

英名:Polymelus

1902年生

鹿毛

父:サイリーン

母:メイドマリアン

母父:ハンプトン

自身は英国クラシック競走に勝てなかったが、種牡馬として英国クラシック競走を全勝し、さらに後継種牡馬ファラリスを通じて直系を大きく繁栄させる

競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績31戦11勝2着7回3着2回

誕生からデビュー前まで

初代クルー伯爵ロバート・オフリー・アシュバートン・クルー・ミルネス卿により生産・所有された英国産馬である。英国首相も務めた第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズ卿の令嬢を妻にしていたミルネス卿は自身も義父同様に政治家であり、また、名馬産家でもあった義父と同じく馬産も行っていた。本馬は牝系が悪いという出鱈目な偏見により種牡馬としては軽視されていた父サイリーンの2年目産駒に当たる。19世紀の英国を代表する名伯楽中の名伯楽だったジョン・ポーター調教師に預けられた本馬は、頑丈で故障とは縁が遠い馬だったという。

競走生活(2・3歳時)

2歳時にアスコット競馬場で行われたトリエニアルSでデビューして2着。デビュー前調教でよく走っていたため、デビュー戦を飾れなかった事に陣営は少し失望したという。次走のナショナルブリーダーズプロデュースプレート(T5F)では、キケロの着外に敗れた。キケロは本馬と同じサイリーン産駒で、ミルネス卿の義父プリムローズ卿の所有馬だった。3戦目のリッチモンドS(T6F)で初勝利を挙げた。その後はいずれもニューマーケット競馬場で出走したロウス記念SとクリテリオンS(T6F)に勝利したが、続くミドルパークプレート(T6F)ではジャーディの着外、インペリアルプレートでも着外に敗れた。ヨーク競馬場で出走したコンヴィヴィアルSで2着して、8戦3勝の成績で2歳時を終えた。2歳時における本馬の評価はキケロよりずっと下だった。

3歳時は英ダービーを目標としてニューマーケットS(T10F)に出走したが、勝ったキケロや2着となったニューS勝ち馬ランギビーに遠く及ばず5着に敗れた。この敗戦を重く見た陣営は本馬の英ダービー出走を断念した。本馬不在の英ダービーはキケロがジャーディを2着に破って優勝している。英ダービーを見送った本馬はセントジェームズパレスS(T8F)に向かい、英1000ギニー・英オークスを勝ってきたチェリーラスの2着に入った。その翌日にはトリエニアルSに出走し、1番人気のランギビーを2着に破って勝利した。

その後はエクリプスS(T10F)に出走し、キケロやランギビーと再戦したが、勝ったのは仏国調教馬ヴァルドールで、キケロは2着、ランギビーは3着。キケロより6ポンド、ヴァルドールとランギビーより3ポンド斤量が軽かった本馬は4着に敗れた。次走のスチュワーズC(T6F)では、ゼニー、後にサセックスS・チャレンジS・キングズスタンドプレート・ジュライCを勝つ名短距離馬スラッシュの2頭に屈して、ゼニーの3着に敗れた。しかしダーラムプロデュースプレート(T10F)では他馬より10~28ポンド重い斤量を背負って勝利した。次走のデュークオブヨークS(T10F)では、デューハーストプレート勝ち馬ルージュクロワを2着に破って勝利した。

プレヴァーリルオブザピークHでは着外に敗れたが、本馬の成長ぶりは明白で、次走の英セントレジャー(T14F132Y)で英国クラシック競走唯一の出走を果たすと、シャラクームの3馬身差2着に入り、チェリーラス(本馬から3馬身差の3着)やランギビー(着外)には先着した。続くジョッキークラブS(T14F)では、前年の英2000ギニー・英ダービー勝ち馬セントアマントの3/4馬身差2着と好走し、1番人気の仏2000ギニー・ユジェーヌアダム賞・仏共和国大統領賞・カドラン賞勝ち馬グーヴェルナン(着外)には先着した。次走のガトウィックSでは勝利を収め、3歳時を11戦4勝で終えた。なお、このガトウィックSは、この年限りで調教師を引退する名伯楽ポーター師の通算1063勝目となる最後の勝利でもあった。

競走生活(4・5歳時)

ポーター師の引退を受けて、ミルネス卿は本馬の売却を決定。本馬はデイビッド・フェイバー氏により3千ポンドで購入され、ベイカー氏という人物が新しい調教師になった。ポーター師は、本馬は古馬になればもっと強くなると考えていたらしいが、やはりポーター師でなければ駄目なのか、4歳当初の本馬の成績は不振だった。初戦のシティ&サバーバンH(T10F)では、後のコロネーションC勝ち馬ディーンスウィフトの着外に敗退。次走のトリエニアルSでは2着。ロウス記念Sでは着外。プリンセスオブウェールズS(T12F)では、ゴードンS勝ち馬ディネフォード、ランギビー、セントアマントなどに屈して、ディネフォードの着外。エクリプスS(T10F)では、好敵手ランギビーの着外に終わった。

プリンスオブウェールズHで牝馬アウリーナの2着に敗れた後、本馬はフランク・ハーティガン厩舎に転厩となった。しかし、ハーティガン師の管理下で一度も走らないうちに、フェイバー氏から本馬を4000ギニーで売るように指示を受けたハーティガン師は、10月のニューマーケットセールに本馬を出品した。このセリには、ジャック・ジョエル氏とソロモン・バーナート・ジョエル氏の兄弟が参加していた。ジョエル兄弟の叔父バーニー・バーナート氏は、「南アフリカのナポレオン」ことセシル・ローズ氏と共同で南アフリカにおける金とダイヤモンド鉱山の採掘で財を成していた。ジョエル兄弟はバーナート氏の事業に投資しており、ローズ氏が1896年に失脚し、バーナート氏が1897年に自殺した後、バーナート氏の財産を受け継ぎ、馬産のための牧場を英国に開設し、その牧場で繁殖入りさせる馬を求めていた。ジョエル兄弟は3800ギニーまで値を上げたが、他者が3900ギニーまで値を上げた。しかしそれ以上の声は出ず、フェイバー氏の主取りになると思われた。しかし、主取りで終わらせたくなかったタタソールズの競売人は、ジョエル兄弟を口説き落とし、彼等は結局4200ギニーまで値を上げた。そのため、本馬はジョエル兄弟の所有馬となり、自身で本馬を鍛えてレースに出してみたいと考えていたハーティガン師は落胆して去っていった。

その後、本馬は前年に2着だったジョッキークラブS(T14F)に出走したが、ベッポの4着に終わった(この年の英オークス馬キーストーンが2着だった)。しかし次走のデュークオブヨークS(T10F)では、単勝オッズ2.75倍の1番人気に応えて勝利を収め、同競走初の2連覇を果たした。続くケンブリッジシャーH(T9F)でも、単勝オッズ2.1倍の1番人気に応えて勝利した。その僅か3日後には英チャンピオンS(T10F)に参戦して勝利を収め、初の大競走制覇を果たした。4歳時の成績は10戦3勝だった。

5歳時も現役を続け、初戦のコロネーションC(T12F)では、後に同競走とアスコット金杯をいずれも2連覇する強豪ザホワイトナイト、前年の英セントレジャー馬トラウトベックに続く3着。次走のプリンセスオブウェールズS(T12F)を勝利したのを最後に、5歳時2戦1勝の成績で競走馬を引退した。

馬名は古代ギリシアの詩人ホメロスの長編叙事詩イーリアスに登場するトロイアの戦士の名前である。父サイリーンがギリシア神話に登場する山の名前だった事に由来するという。

血統

Cyllene Bona Vista Bend Or Doncaster Stockwell
Marigold
Rouge Rose Thormanby
Ellen Horne
Vista Macaroni Sweetmeat
Jocose
Verdure King Tom
May Bloom
Arcadia Isonomy Sterling Oxford
Whisper
Isola Bella Stockwell
Isoline
Distant Shore Hermit Newminster
Seclusion
Land's End Trumpeter
Faraway
Maid Marian Hampton Lord Clifden Newminster Touchstone
Beeswing
The Slave Melbourne
Volley
Lady Langden Kettledrum Rataplan
Hybla
Haricot Lanercost
Queen Mary
Quiver Toxophilite Longbow Ithuriel
Miss Bowe
Legerdemain Pantaloon
Decoy
Young Melbourne Mare Young Melbourne Melbourne
Clarissa
Brown Bess Camel
Brutandorf Mare

サイリーンは当馬の項を参照。

母メイドマリアンは英国ヴィクトリア女王の生産馬で、1歳時のハンプトンコートセールで売りに出されたが、両親共に当時は繁殖成績が低く流行血統では無かったため400ギニーという安値でローソン氏という人物により購買された。競走成績も不振で、現役時代に150ポンド、300ポンドで2回転売されたが、結局7戦未勝利に終わり、繁殖入りした。しかし、メイドマリアンの母クァイヴァーが産んだメイドマリアンの1歳下の半妹メモワール(父セントサイモン)が、英オークス・英セントレジャー・ナッソーS・ジュライCに勝つ大活躍を見せたため、その半姉であるメイドマリアンに対する注目度は上がり、3千ポンドでJ・E・プラット少佐に購入された。しかし、プラット少佐の下における繁殖成績は振るわず、本馬の生産者ミルネス卿により620ギニーで購入された。この時点ではメイドマリアンの3歳下の半妹ラフレッチェ(父セントサイモン)が英1000ギニー・英オークス・英セントレジャー・アスコット金杯・英チャンピオンS・英シャンペンS・ナッソーSを勝つという大活躍を見せており、メイドマリアンの父ハンプトンも優秀な種牡馬成績を挙げ始めていたため、ミルネス卿はこの優秀な血統に期待したという。

ミルネス卿の元でメイドマリアンは本馬の他に、本馬の半兄エルシルドン(父ケンダール)【デュークオブヨークS】などを産んでいる。また、プラット少佐の下にいた頃に産んだ本馬の半兄グラフトン(父ガロピン)は不出走だったが、血統が評価されて豪州に種牡馬として輸出され、彼の地で4度の首位種牡馬に輝いた。また、本馬の半姉レディウィッシュフォート(父セントフラスキン)は南米で牝系を伸ばした。さらに本馬の1歳年下の全妹レディサイノシュアーの牝系子孫が発展しており、ポンレヴェク【英ダービー】、仏首位種牡馬ワイルドリスク【仏チャンピオンハードル2回】、ライトロイヤル【仏2000ギニー・仏ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・サラマンドル賞・仏グランクリテリウム・リュパン賞】、ネプテューヌス【仏2000ギニー・仏グランクリテリウム】、シーホーク【クリテリウムドサンクルー・サンクルー大賞】、日本で活躍したメジロタイヨウ【天皇賞秋】、メジロアイガー【中山大障害春】、メジロマスキット【中山大障害秋】、エイシンサニー【優駿牝馬(GⅠ)】などが登場している。

メイドマリアンの半妹であるメモワールやラフレッチェの牝系子孫も大きな発展を見せているが、ここに挙げるのは大変なので、それはラフレッチェの項に譲る事にする。→牝系:F3号族③

母父ハンプトンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ジョエル兄弟が英国に開設したメイデンアールスタッドで種牡馬入りした。種牡馬入り初年度に転倒事故によって骨盤を痛め、その後は生涯腰を悪くしてしまうという不幸があったが、父サイリーンが2年目産駒からキケロや本馬を出したにも関わらず種牡馬としての評価が異常に低く、すぐに亜国に輸出されたのと比べると、本馬の種牡馬人気は高かった。

実際に産駒成績は非常に良好であり、英国三冠馬ポマーンを筆頭に5頭の英国クラシック競走勝ち馬を輩出。1914・15・16・20・21年と5回も英愛首位種牡馬に輝き、初年度98ギニーだった種付け料は最終的に300ギニーまで上昇した。本馬の産駒は英国クラシック競走5戦全てを勝っているだけでなく、凱旋門賞や米国のプリークネスSの勝ち馬までおり、国際的に活躍した。

自身はどちらかと言えば仕上がりが遅い長距離馬だったようだが、産駒は2歳戦から活躍し、多くの場合において3歳時に競走馬のピークを迎える事が多かった。本馬が種牡馬として成功した理由の1つには、血統内に当時英国で飽和状態となっていたガロピンやセントサイモンの血を持たなかったため、交配相手には困らなかった事も挙げられている。しかし腰の状態は種牡馬生活を通じて悪く、種付けの際には常に介助を必要としたという。晩年は腰の後遺症に加えてリウマチを患い、1924年に22歳で安楽死の措置が執られた。遺体はメイデンアールスタッドに埋葬されたが、後に掘り出されて、現在はケンブリッジ大学にある動物学博物館において、サラブレッドがスタミナ偏重から速度重視へと移行していく時期に適応した馬の代表例という注釈が付されて骨格が展示されている。事実、典型的な短距離馬だった後継種牡馬ファラリスの記録的大成功により、本馬の直系は現代競馬の主流血脈となっていくのである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1909

Polkerris

コロネーションS

1911

Black Jester

英セントレジャー・コロネーションC・サセックスS・モールコームS・リッチモンドS

1911

Corcyra

ミドルパークS・アスコットダービー

1911

Honeywood

ケンブリッジシャーH

1911

Polycrates

VRCニューマーケットH

1912

Pommern

英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャー・コロネーションC・リッチモンドS

1913

Cannobie

ジョッキークラブS

1913

Fifinella

英ダービー・英オークス・チェヴァリーパークS

1913

Phalaris

チャレンジS2回

1915

Benevente

ミドルパークS・コヴェントリーS・クレイヴンS

1915

Traum

ベルリン大賞

1915

War Cloud

プリークネスS・ドワイヤーS

1916

Dominion

プリンスオブウェールズS

1916

Polygnotus

グリーナムS

1916

Pomme-de-Terre

仏共和国大統領賞

1917

Cinna

英1000ギニー・コロネーションS

1917

Golden Guinea

リッチモンドS

1917

Paladin

ディーS

1917

Poltava

チャレンジS

1917

Silvern

コロネーションC・グリーナムS

1918

Humorist

英ダービー

1918

Plymstock

トライアルS

1918

Polymestor

プリンスオブウェールズS

1920

Parth

凱旋門賞・グリーナムS

1921

Polyphontes

エクリプスS2回・アスコットダービー

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