ハリーオン

和名:ハリーオン

英名:Hurry On

1913年生

栗毛

父:マルコヴィル

母:タウトスウィート

母父:セインフォイン

種牡馬として活躍し20世紀欧州にマッチェム直系を蘇らせた生涯不敗の超大柄な英セントレジャー馬

競走成績:3歳時に英で走り通算成績6戦6勝

誕生からデビュー前まで

母タウトスウィートの所有者だったウィリアム・マーランド氏により生産された英国産馬である。誕生日が5月7日という遅生まれにも関わらず、幼い頃からずば抜けて大きい馬で、成長後の体高は実に17ハンドに達していた(当時のサラブレッドの平均は16ハンド)。背が高いだけでなく、胴回りも非常に大きく、馬体の力強さも特筆ものだった。しかし大柄なだけ動きにぎこちない部分があり、さらに血統面でもそれほど優れていなかったため、デビュー前の評価は決して高くなかった。

マーランド氏は1歳になった本馬をタタソールズ社がニューマーケットで実施したジュライセールに出品した。そして、ウィスキー醸造で財を成したジェームズ・ブキャナン氏(後の初代ウーラヴィントン男爵)の代理人だった当時30歳のフレッド・ダーリン調教師によって500ギニーという高額とは言えない値段で購買された(一応、このセリで取引された84頭の平均価格389ギニーよりは高かった)。ブキャナン氏の専属調教師は当初フレッド・ダーリン師の父サム・ダーリン調教師(英国三冠馬ガルティモアや英ダービー馬アードパトリックの兄弟などを手掛けていた)だったが、1914年に父が引退したため、息子のフレッド・ダーリン師が後を継いでブキャナン氏の専属調教師となっていた。

本馬を管理することになったダーリン師は、その成長を長い目で見る事とし、2歳時は1度もレースに出走させなかった。しかし3歳になると今度は本馬の激しい気性が顔を出し始めた。調教では他の誰も本馬に騎乗できないためダーリン師自らが乗ったが、それでもしばしば逸走し、調教後はなかなか興奮が収まらなかった。また、非常に繊細な神経の持ち主で、枯葉が風に舞っただけで驚いて走り出し、一度走り出すと落ち着かせる事が非常に困難だった。そんな本馬だが、かつてのぎこちない動きは影を潜め、次第に機敏な反応を見せるようにもなっていた。

競走生活

既に英ダービーが終わった後の3歳6月にようやく本馬はデビューを迎えた。初戦はリングフィールド競馬場で行われた賞金100ポンドのビーコン未勝利プレート(T8F)で、15頭の馬が対戦相手となった。ここではスタートで出負けしたが、最後は簡単に抜け出して2馬身差で勝利した。翌7月にはニューマーケット競馬場でステッチワースプレート(T12F)に出走して、これも2馬身差で勝利した。翌8月にはニューベリー競馬場で行われたニューベリーS(T10F)に出走。ここでは、英1000ギニーの勝ち馬でデューハーストS2着のキャニオンが対戦相手となった。しかし本馬が2着ブラッカダーに3馬身差で勝利を収め、キャニオンは本馬から8馬身後方の3着に沈んだ。

この頃、英国競馬は第一次世界大戦の影響で大幅に開催規模が縮小され、主要競走はニューマーケット競馬場のみで行われていた。通常はドンカスター競馬場で行われる英セントレジャーも、代替競走のセプテンバーSとしてニューマーケット競馬場で行われた。このセプテンバーSの直前に、本番と同じ距離14ハロンを走る調教が実施された。ここでダーリン師は本馬に、他馬より22~42ポンドも重い138ポンドを背負わせ、しかも他馬より6~8馬身後方からスタートさせるという過酷な調教を課した。しかし本馬は残り4ハロン地点で他馬を追い抜いてしまった。

こうして完璧に仕上がった本馬は、セプテンバーS(T14F)に出走。対戦相手は僅か4頭だったが、英ダービーの代替競走ニューダービーと英オークスの代替競走ニューオークスを連覇していたフィフィネラ、英2000ギニー馬クラリッシマス(直後の英チャンピオンSを勝つ)、キャニオン、デューハーストSの勝ち馬アシリングなどの実力馬が出走してきた。しかし単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持されたC・チャイルズ騎手鞍上の本馬は、スタートからゴールまで馬なりのまま先頭を走り抜け、2着クラリッシマスに3馬身差(資料によっては5馬身差となっている)をつけて圧勝した。

あまりの強さに英国競馬界では本馬と前年の英国三冠馬ポマーンとの対戦を望む声が高まった。実際に本馬の馬主ブキャナン氏はポマーンの馬主ソロモン・バーナート・ジョエル氏にマッチレースを申し入れたが、結局実現しなかった。

その後に出走したニューマーケットセントレジャー(T14F)では回避馬続出で3頭立てとなり、当然のように2馬身差で楽勝。続くジョッキークラブC(T18F)では、2着となったシザレウィッチHの勝ち馬トラバドゥーアに10馬身差で圧勝してみせた。しかしこれが本馬の最後のレースとなった。ダーリン師が軍隊に志願して出征してしまったのである。本馬は4歳時も現役を続行する予定だったのだが、気性が荒い本馬を調教できる人はダーリン師の他におらず、結局そのまま引退の運びとなったのである。生涯一度も本気で走ったことがないと言われる本馬は底を見せることなくわずか半年という短い現役生活を終えた。

復員したダーリン師はその後も、本馬の息子であるキャプテンカトルとコロナックマンナ、カメロニアン、ボワルセル、ポンレヴェク、オーエンテューダーの7頭の英ダービー馬や、ビッグゲームサンチャリオットテューダーミンストレルなど数々の名馬を育てたが、自分が手掛けた馬では本馬が最高の名馬だったと語り続けたという。

血統

Marcovil Marco Barcaldine Solon West Australian
Birdcatcher Mare
Ballyroe Belladrum
Bon Accord
Novitiate Hermit Newminster
Seclusion
Retty Lambton
Fern
Lady Villikins Hagioscope Speculum Vedette
Doralice
Sophia Macaroni
Zelle
Dinah Hermit Newminster
Seclusion
The Ratcatcher's Daughter Rataplan
Lady Alicia
Tout Suite Sainfoin Springfield St. Albans Stockwell
Bribery
Viridis Marsyas
Maid of Palmyra
Sanda Wenlock Lord Clifden
Mineral
Sandal Stockwell
Lady Evelyn
Star Thurio Cremorne Parmesan
Rigolboche
Verona Orlando
Iodine
Meteor Thunderbolt Stockwell
Cordelia
Duty Rifleman
Sleight of Hand Mare

父マルコヴィルは息子の本馬と同じく非常に大柄な馬で仕上がりも遅かった。しかもデビュー戦のリッチモンドSで2着した際に脚を痛めてしまい、その後は現役時代を通じて脚部不安に悩まされ、レース数はかなり限定された。2歳時はリッチモンドS後のミドルパークSで着外となり、2戦未勝利。3歳時は2戦1勝。4歳時はいずれも距離7ハロンのウェルターH・アレクサンドラHを勝ち、距離10ハロンのグレートジュビリーHで2着。5歳時はケンブリッジシャーHの1戦のみで、これを勝って引退。通算成績は8戦4勝だった。種牡馬としては本馬以外に特筆できる産駒はいないが、母父としては英ダービー馬パパイラスを出している。

マルコヴィルの父マルコはバーカルディン産駒で、現役成績23戦10勝。英国クラシック競走には不出走だったが、ケンブリッジシャーHを勝ち、英チャンピオンS・ロウス記念Sで2着して、同世代ではトップクラスと言われた。種牡馬としては英愛種牡馬ランキングで最高3位になった。代表産駒は、英2000ギニー・エクリプスSの勝ち馬ニールガウ、ケンタッキーダービー馬オマールカイヤムなど。

母タウトスウィートはサラブレッドとは思えないほど小柄な馬だったらしく、レ-スに使うのは無理と判断され、不出走のまま繁殖入りしたが、その母から本馬のような大柄な馬が産まれるのだから面白いものである。

タウトスウィートの母スターの半兄にはマスク【ジュライS・アスコットダービーS・サセックスS】、半姉にはアルゴナヴィス【コロネーションS】がいる。スターの牝系子孫はほとんど発展しておらず、本馬の半姉アットワンス(父サイモンタルト)の孫にタイタス【フロリダダービー】が、タウトスウィートの半姉パーラマンテ(父サイモントウルト)の牝系子孫からエニス【ナンソープS】が出ている程度である。

しかしスターの半姉イスクラは牝系を非常に発展させており、その牝系子孫からは、ウィッチワン【シャンペンS・ベルモントフューチュリティS・ウィザーズS・ホイットニーS】、日本の名種牡馬カバーラップ二世、トスマー【フリゼットS・アーリントンクラシックS・ベルデイムS】、ノーザンダンサー【ケンタッキーダービー・プリークネスS・フラミンゴS・フロリダダービー・ブルーグラスS】、ヘイロー【ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)・ローレンスリアライゼーションS】、ラプレヴォヤンテ【スピナウェイS・メイトロンS・フリゼットS・セリマS・ガーデニアS】、スペクタキュラービッド【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・ローレルフューチュリティ(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)・フラミンゴS(米GⅠ)・ブルーグラスS(米GⅠ)・マールボロC招待H(米GⅠ)・チャールズHストラブS(米GⅠ)・サンタアニタH(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)・エイモリーLハスケルH(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)・ヤングアメリカS】、スカイウォーカー【BCクラシック(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)】、ナスティーク【レディーズH(米GⅠ)・デラウェアH(米GⅠ)2回・メイトリアークS(米GⅠ)】、キンググローリアス【ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)・ハスケル招待H(米GⅠ)】、デインヒル【スプリントC(英GⅠ)】、マキャヴェリアン【モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)】、フローレスリー【メイトリアークS(米GⅠ)3回・ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)2回・ラモナH(米GⅠ)3回・ビヴァリーDS(米GⅠ)】、バゴ【凱旋門賞(仏GⅠ)・クリテリウム国際(仏GⅠ)・ジャンプラ賞(仏GⅠ)・パリ大賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)】、キトゥンズジョイ【セクレタリアトS(米GⅠ)・ジョーハーシュターフクラシック招待S(米GⅠ)】、プレシャスキトゥン【ジョンCメイビーH(米GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)・ゲイムリーS(米GⅠ)】、エモリエント【アッシュランドS(米GⅠ)・アメリカンオークス(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)・ロデオドライブS(米GⅠ)】、日本で走ったノボトゥルー【フェブラリーS(GⅠ)】、グレイスティアラ【全日本2歳優駿(GⅠ)】、レッドリヴェール【阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)】など数多くの活躍馬が出ている。また、スターの半姉ライトオブアザーデイズの子にはウールズソープ【クイーンズスタンドプレート2回・ジュライC】が、牝系子孫には、インタグリオーやチャイナロックといった日本で種牡馬として活躍した馬達が出ている。→牝系:F2号族①

母父セインフォインはロックサンドの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はブキャナン氏が英国サセックス州に所有するラヴィントンスタッドで種牡馬入りした。初年度産駒から英ダービー馬キャプテンカトルが登場。その後もコロナック、コールボーイと計3頭の英ダービー馬を輩出した。キャプテンカトルが英ダービーを勝った1922年には英愛種牡馬ランキングで2位に入り、同年にはデューハーストS勝ち馬ハリーオフやジムクラックS勝ち馬タウンガードの活躍により英愛2歳首位種牡馬を獲得。そしてコロナックが英ダービーを勝った1926年には英愛首位種牡馬に輝いた。本馬の英愛首位種牡馬獲得は、マッチェムの直系としては、本馬の6代父である1857年のメルボルン以来69年ぶりの快挙だった。1935年に所有者のブキャナン卿が86歳の誕生日目前で死去すると、本馬もその後を追うように翌1936年に23歳で他界した。

産駒の勝ち鞍を見ると、決してスタミナ一辺倒ではなく、2歳戦やマイル戦で活躍できる仕上がり早いスピード能力も産駒に伝えていたようである。繁殖牝馬の父としても優秀であり、コートマーシャルなど英国クラシック競走勝ち馬を7頭も出し、1938・44・45年と3度にわたり英愛母父首位種牡馬になっている。本馬は同時期に米国で種牡馬として活躍した同じ栗毛の巨漢馬マンノウォーと共に、衰退傾向にあったマッチェム直系を20世紀に蘇らせた功労馬である。ちなみに本馬とマンノウォーは奇しくも同じ1926年に首位種牡馬になっている。

本馬の後継種牡馬としてはプリシピテイション、キャプテンカトル、コロナック、ハンターズムーン、ハンティングソング、タウンガードなどが活躍したが、その中で最も成功したのはプリシピテイションであり、その直系子孫からは凱旋門賞馬ササフラが出て、現在でも南米を中心に細々とではあるが生き長らえている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1919

Captain Cuttle

英ダービー・セントジェームズパレスS

1919

Diligence

サセックスS

1920

Hurry Off

デューハーストS・サセックスS

1920

Roger de Busli

ディーS

1920

Town Guard

ニューS・モールコームS・ジムクラックS

1921

Chronometer

チェヴァリーパークS

1921

Plack

英1000ギニー・ジョッキークラブC

1921

Tom Pinch

セントジェームズパレスS

1922

Juldi

パークヒルS

1922

Runnymede

ジュライS

1923

Coronach

英ダービー・英セントレジャー・エクリプスS・コロネーションC・英シャンペンS・セントジェームズパレスS・ハードウィックS

1923

Karra

チェヴァリーパークS

1924

Call Boy

英ダービー・ミドルパークS

1924

Cresta Run

英1000ギニー

1925

Cyclonic

キングエドワードⅦ世S・ゴードンS・ジョッキークラブS

1925

Toboggan

英オークス・デューハーストS・コロネーションS・ジョッキークラブS

1926

Defoe

ゴードンS

1926

Pennycomequick

英オークス

1927

Fair Diana

英シャンペンS

1927

Press Gang

ミドルパークS・ゴードンS・プリンセスオブウェールズS

1928

Lightning Star

ニューS

1929

Pennycross

チャイルドS

1929

Will o'the Wisp

ヨークシャーオークス

1930

Typhonic

パークヒルS

1932

Flash Bye

ゴールドヴァーズ

1933

Precipitation

アスコット金杯・ジョッキークラブS・キングエドワードⅦ世S

TOP