パークリージェント

和名:パークリージェント

英名:Park Regent

1981年生

鹿毛

父:ヴァイスリージェント

母:ミスアトラクティヴ

母父:ヴィクトリアパーク

競走馬としては加国のB級馬だったが、日本で種牡馬入りすると主にダート向きの活躍馬を多く出して地方競馬首位種牡馬を2度獲得する

競走成績:2~4歳時に加で走り通算成績29戦9勝2着3回3着4回

誕生からデビュー前まで

加国オンタリオ州で誕生した馬で、パークビューステーブルの所有馬として、ゴードン・M・ハントリー調教師に預けられ、デビューから引退まで一貫して加国内で走った。

競走生活(2歳時)

2歳7月にウッドバイン競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦でデビューし、3馬身半差の快勝で初勝利を挙げた。その6日後に出走したブルページS(D6F)では、勝ったパーフェクトプレイヤーに6馬身半差をつけられた4着と完敗。それから2週間後に出走したヴァンダルS(D6.5F)も、アークレジェンド(テイクオーバーターゲットの母父)、後の1986年にソヴリン賞最優秀短距離馬に選ばれる快速馬ニューコネクション、パーフェクトプレイヤーなどに屈して、勝ったアークレジェンドから5馬身3/4差の5着と完敗を喫した。

それから23日後に出走したイヤリングセールスS(D7F)では、ヴァンダルSで2着だったニューコネクションを3/4馬身差の2着に、バードキャッチャーS・ウィニペグフューチュリティを勝ってきたプリンスアバターを3着に破って勝利を収めた。それから1か月後にはウッドバイン競馬場芝8ハロンの一般競走に出走。初芝となったが、鼻差で勝利した。

そのまた翌週には、加国の重要な2歳競走であるカップ&ソーサーS(T8.5F)に出走。イヤリングセールスS3着後にジャックダイヤモンドフューチュリティを勝ってきたプリンスアバター、ヴァンダルSで4着だったパーフェクトプレイヤー、翌年のソヴリン賞最優秀3歳牡馬に選ばれるキートゥザムーン、後の1985年にソヴリン賞最優秀古馬牡馬に選ばれるグレイSの勝ち馬テンゴールドポッツ、後の1986年にソヴリン賞最優秀古馬牡馬に選ばれるスウィンフォードSの勝ち馬レッツゴーブルーといった同世代最強クラスが大挙して出走してきた。しかし本馬がパーフェクトプレイヤーを3/4馬身差の2着に、プリンスアバターを3着に破って勝利した。

2歳時の出走はこれが最後で、6戦4勝の好成績を残した。しかしソヴリン賞最優秀2歳牡馬の座は、カップ&ソーサーS3着後にコロネーションフューチュリティを勝利した8戦5勝のプリンスアバターに譲ることになった。

競走生活(3歳時)

3歳時は加国三冠競走を目指して5月から始動。まずは復帰初戦となったウッドバイン競馬場芝7ハロンの一般競走を3/4馬身差で制した。さらに翌週にはヘレジーS(T8F)に出走したが、ここでは勝ったフロンタリオから3馬身差の6着に敗退した。それから2週間後のトロントカップH(T8.5F)でも、フロンタリオの半馬身差2着だった。

そろそろ加国三冠路線のためにダートにも慣れさせないといけないような雰囲気で出走した2週間後のマリーンS(D8.5F)では、前年のカップ&ソーサーSでは12着だったキートゥザムーン、前年のカップ&ソーサーSでは8着だったレッツゴーブルー、前年のカップ&ソーサーSでは5着だったテンゴールドポッツの3頭に屈して、勝ったキートゥザムーンから2馬身3/4差の4着に敗れた。さらに13日後の分割競走プレートトライアルS(D9F)でも、レッツゴーブルーとキートゥザムーンの2頭に屈して、勝ったレッツゴーブルーから6馬身差の3着に敗れた。

それでも15日後の加国最大の競走クイーンズプレート(D10F)には参戦したが、キートゥザムーン、レッツゴーブルー、本馬が参戦しなかったほうの分割競走プレートトライアルSを勝ってきたテンゴールドポッツの3頭が上位を占め、本馬は勝ったキートゥザムーンから10馬身差の6着に敗退。加国三冠競走の残り2戦には出走しなかった。

その後はクイーンズプレートから5週間後の8月下旬にフォートエリー競馬場で行われたインターナショナルH(T8.5F)に向かったが、5馬身3/4差の5着と通用せず。翌月にウッドバイン競馬場で出走したダーハムカップH(D9F)では不良馬場の中を奮闘し、オハイオダービー・マリーンS・トロントカップH・キングエドワード金杯などを勝っていた4歳馬パックスノビスクムの3馬身3/4差2着と健闘した。

そのため、やはりダート路線に進む事にしたようで、それから2週間後にはウッドバイン競馬場でダート7ハロンの一般競走に出て、5馬身3/4差で圧勝。翌週に出たウッドバイン競馬場ダート8.5ハロンの一般競走も3/4馬身差で勝利した。さらに翌10月にはRSマクラフリン大佐H(D9F・現オンタリオダービー)に出たが、勝ったテンゴールドポッツに11馬身差をつけられた5着最下位と大敗。3週間後のバンティローレスS(D8F)では、バラフランの2馬身半差2着だった。それから僅か4日後にグリーンウッド競馬場で出走したサーバートンS(D8F)では、2着ローマンストラテジーに1馬身差で勝利を収め、カップ&ソーサーS以来1年ぶりのステークス競走勝利を挙げた。3歳時はこれが最後の出走で、13戦4勝の成績だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は3月にグリーンウッド競馬場で行われたボールドヴェンチャーH(D6.5F)から始動したが、エアロノティック、ニューコネクションなどに屈して、勝ったエアロノティックから6馬身3/4差の4着最下位に敗れた。次走のジャックカルティエS(D7F)でも、エアロノティックとニューコネクションの2頭に屈して、エアロノティックの3馬身半差3着に敗退。グリーンウッド競馬場ダート6.5ハロンの一般競走も3着に敗れ、この年はグリーンウッド競馬場で1勝も出来ないままだった。

その後はウッドバイン競馬場に向かい、5月のヴィジルH(D7F)に出たが、一昨年の同競走を勝っていたジャックスボロ、レッツゴーブルー、ニューコネクションの3頭に屈して、勝ったジャックスボロから3馬身半差の4着に敗退。それから2週間後のニュープロヴィデンスS(D6F)も、ボールドヴェンチャーHで3着だったセンテナリアン、タンパベイダービー・ブルページS・フライアーロックSの勝ち馬リーガルリマークなどに屈して、センテナリアンの6馬身3/4差5着と結果を出せなかった。

それならと6日後に久々の芝競走となるウッドバイン競馬場芝8ハロンの一般競走に出走すると、頭差ながら勝利。そこで加国における古馬限定の芝重要競走であるコンノートカップS(T8.5F)に出走したが、ステークス競走未勝利馬だったマスコットの3馬身半差9着に終わった。結局芝競走はこの2戦で終わり、再度ダート競走に戻った。

7月にウッドバイン競馬場で出走したダート7ハロンの一般競走こそ重馬場に助けられて3馬身1/4差の3着と好走した。しかし次走のフェアプレイS(D8.5F)では見せ場無く、ゴーントゥロイヤリティの8馬身差6着に敗戦。8月末日のウッドバイン競馬場ダート7ハロンの一般競走で、勝ち馬から8馬身離された6着最下位に終わったのを最後に、現役生活を終えた。4歳時の成績は、5か月しか走っていないのに10戦して1勝止まりだった。

加国では三冠競走に芝とダートが両方あるように、強い馬は両方使うのが当たり前なのだが、本馬の場合はもっと一貫性を持って使ったほうが好結果に結びついたような気がする。陣営が目標も無く行き当たりばったりでレースに出したため、結果的に3歳時以降は能力を発揮できなかった。残念な事である。

血統

Vice Regent Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Victoria Regina Menetrier Fair Copy Fairway
Composure
La Melodie Gold Bridge
La Souriciere
Victoriana Windfields Bunty Lawless
Nandi
Iribelle Osiris
Belmona
Miss Attractive Victoria Park Chop Chop Flares Gallant Fox
Flambino
Sceptical Buchan
Clodagh
Victoriana Windfields Bunty Lawless
Nandi
Iribelle Osiris
Belmona
Nice Princess Le Beau Prince Fontenay Tornado
Flying Colours
Quillerie Sultan Mahomed
Hotep Heres
Happy Night Alizier Teleferique
Alizarine
Happy Grace His Grace
Happy Morn

ヴァイスリージェントは当馬の項を参照。

母ミスアトラクティヴは現役成績16戦3勝。ミスアトラクティヴの1歳上の半兄には本邦輸入種牡馬ナイスダンサー(父ノーザンダンサー)【ブリーダーズS・RSマクラフリン大佐H・マニトバダービー・ドミニオンデイH(加GⅢ)・加マチュアリティS】がいる。ミスアトラクティヴの半妹ミドルマーチ(父バックパサー)の子には1994年のソヴリン賞最優秀古馬牝馬ペニーヒルパーク【ターフウェイBCS(米GⅡ)・ピムリコディスタフH(米GⅢ)】がいる。また、ミドルマーチの娘コマーズは繁殖牝馬として日本に輸入され、ゴールデンジャック【桜花賞トライアル四歳牝馬特別(GⅡ)・オークストライアル四歳牝馬特別(GⅡ)・2着優駿牝馬(GⅠ)】とスターリングローズ【JBCスプリント(GⅠ)・かしわ記念(GⅡ)・プロキオンS2回(GⅢ)・シリウスS(GⅢ)・兵庫ゴールドトロフィー(GⅢ)】の姉弟を産んでおり、ミドルマーチ自身も後年日本に繁殖牝馬として輸入された。ゴールデンジャックの子であるサイドワインダー【京阪杯(GⅢ)・京都金杯(GⅢ)・関屋記念(GⅢ)】、ゴールデンミション【中日杯】や、ゴールデンジャックの半姉ジャビラバの孫であるナムラタイタン【武蔵野S(GⅢ)・赤松杯2回・シアンモア記念・みちのく大賞典・北上川大賞典・岩鷲賞・青藍賞】も近親であり、比較的日本に馴染みがある血統である。→牝系:F1号族⑦

母父ヴィクトリアパークはノーザンテーストの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、1億3520万円(260万円×52株)の種牡馬シンジケートが組まれて日本に輸入され、1987年から静内スタリオンステーションで種牡馬供用された。初年度は61頭、2年目は64頭、3年目は74頭の繁殖牝馬を集めた。4年目の1990年にはレックススタッドに移動して種牡馬生活を続けた。この1990年にデビューした初年度産駒から神戸新聞杯の勝ち馬ロングタイトルや、サラブレッドクラブラフィアンの走る広告塔マイネルヨースが、2年目産駒から弥生賞を勝ち皐月賞でミホノブルボンの3着したアサカリジェントが出て注目を集め、人気種牡馬としての地位を確立した。

初期こそ芝の活躍馬が中心だったが、基本的にはダート向き種牡馬だったようである。産駒は頑強で連戦に耐えうる馬が多く、1頭の馬を数多くのレースに出走させる必要がある地方競馬で重宝された。そのために中央競馬よりも地方競馬の成績の方が優良で、1994年から2004年まで11年連続で地方競馬の種牡馬ランキングで10位以内に入り、1994年と2000年には地方競馬首位種牡馬を、1995年には地方競馬2歳首位種牡馬を獲得している。全日本種牡馬ランキングでは1994年の12位が最高で、それを含めて20位以内に4度入っている。交配数の推移は、5年目は61頭、6年目は101頭、7年目は61頭、8年目は76頭、9年目は79頭、10年目は105頭、11年目は82頭、12年目は84頭、13年目は66頭、14年目は126頭、15年目の2001年は20歳という年齢にも関わらず自己最高の159頭、16年目は130頭、17年目は88頭の繁殖牝馬を集めた。この数字を見れば分かるとおり、種牡馬生活後半のほうが前半より交配数が多い。その理由の1つは晩年になっても受精率が衰えなかった事で、159頭と交配した2001年の翌年に誕生した産駒は103頭、130頭と交配した2002年の翌年に誕生した産駒は88頭で、既に20歳を過ぎている種牡馬としてはかなりの高率である。しかし88頭と交配した2003年の翌年に誕生した産駒は23頭で、この時期から急激に受精率が低下。そのために交配数も一気に減少し、18年目の2004年は16頭、19年目の2005年は5頭の交配数に留まり、この年をもって種牡馬を引退。以降はレックススタッドで功労馬として余生を過ごしていたが、2007年3月に老衰のため26歳で他界した。その後の5月に、静内町にある桜舞馬公園(通称オーマイホースパーク。静内地区における功労馬を記念するための公園で、テスコボーイの銅像が公園のシンボルとなっている)において、本馬のシンジケート関係者やレックススタッド関係者ら約30人が集まって功労慰霊祭が実施され、本馬の墓碑が建立された。

大物を出すタイプではない名種牡馬の常として後継種牡馬には恵まれず、唯一の後継種牡馬リージェントブラフも重賞勝ち馬を1頭も出せないまま2008年に他界してしまっている。しかし本馬は産駒数が多い(すなわち牝駒数が多い)だけに、母系で本馬の血が生き残る事に期待したい。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1988

ロングタイトル

神戸新聞杯(GⅡ)

1989

アサカリジェント

弥生賞(GⅡ)

1989

アンダージェント

四才雌馬チャンピオンシップひまわり賞(盛岡)

1990

テニスギャル

上山王冠賞(上山)

1991

カネショウゴールド

ニューイヤーC(浦和)・東京ダービー(大井)

1991

リワードルンゼ

浦和桜花賞(浦和)

1993

エムティエムディ

ひまわり賞(水沢)

1993

スリーパーク

豊栄記念(新潟)・三条記念(新潟)

1993

ヒダカリージェント

グランシャリオC(GⅢ)

1993

マイネルバルーン

ジュニアC(帯広)・北海道三歳優駿(帯広)

1994

ヒットパーク

赤レンガ記念(門別)・道営記念(門別)

1994

ホッカイアトラス

荒尾金盃(荒尾)

1995

キタノタイトル

ダイヤモンドC(盛岡)・東北優駿(水沢)・不来方賞(盛岡)

1995

ショコラビーナス

肥後菊賞(荒尾)

1996

リージェントブラフ

川崎記念(GⅠ)・ダイオライト記念(GⅡ)・名古屋グランプリ(GⅡ)

1997

アインアイン

東京盃(GⅡ)・東京プリンセス賞(南関GⅠ)

1997

トニージェント

ダイヤモンドC(盛岡)・不来方賞(盛岡)・桐花賞(水沢)3回・トウケイニセイ記念(水沢)3回・シアンモア記念(水沢)・みちのく大賞(盛岡)2回

1998

オグリパピー

ジュニアクラウン(SPⅡ)・笠松オールカマー(笠松)

1998

ニッタレヴュー

スプリング争覇(SPⅢ)・二十四万石賞(高知)

1998

ノンノンジェント

春蘭特別(北関GⅢ)

1999

ケンゴウザン

オータムスプリントC(金沢)2回・マーチC(SPⅡ)・スプリングC(金沢)

1999

スオウリージェント

ハイセイコー記念(南関GⅡ)

2000

キジョージャンボ

ゴールド争覇(SPⅠ)・梅見月杯(SPⅠ)・帝冠賞(名古屋)・シルバー争覇(名古屋)・名古屋杯(名古屋)3回・アラブスプリング賞(名古屋)

2002

カンモンカイキョウ

九州ジュニアチャンピオン(KG1)・ロータスクラウン賞(KG2)

2002

ヨシノコンドル

春霞賞(H3)

2003

ケイウンヘイロー

大阿蘇大賞(荒尾)・九州王冠(KJ3)

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