ベストメイト

和名:ベストメイト

英名:Best Mate

1995年生

鹿毛

父:アンデスパレイド

母:カットデイ

母父:ミラーズメイト

名馬アークル以来のチェルトナム金杯3連覇を果たし、絶大な人気を誇った安定感抜群の名障害競走馬だが最後はレース中に命を落とす

競走成績:4~10歳時に英愛で走り通算成績22戦14勝2着7回(うち障害21戦13勝2着7回)

英国の障害競走スティープルチェイス分野において大活躍し、伝説の障害競走馬アークルの再来と呼ばれた21世紀屈指の名障害競走馬。飛越失敗による落馬は一度も無く、3着以下でゴールインした事も一度も無かった。英国の競馬ファンから絶大な人気を得ており、“Maty”の愛称で親しまれた。

誕生からデビュー前まで

ジャック・ヴァン・ハート氏により生産された愛国産馬である。デビュー前は後の名馬の片鱗も見られない平凡な馬だったという。とりあえず本馬は英国の女性調教師ヘンリエッタ・ナイト師が管理する事になった。ナイト師は本馬の素質を見抜き、知人の馬主ジム・ルイス氏に本馬を所有するように薦めたが、ルイス氏は馬の走りを見てから決めたいと言って正式な所有は保留した。

競走生活(99/00シーズン)

最初はスティープルチェイスではなくハードル分野を走る事になり、4歳11月にチェルトナム競馬場で行われた芝16.5ハロンのナショナルハント平地競走で、主戦となるジム・カロティー騎手を鞍上にデビューした。ここでは単勝オッズ11倍で10頭立ての6番人気という程度の評価だった。レースではスタートから先行して、残り1ハロン地点で逃げる単勝オッズ6倍の3番人気馬サザンスターに並びかけると残り100ヤード地点で競り落とし、追い上げてきた単勝オッズ15倍の7番人気馬ハードトゥスタートに3/4馬身差をつけて勝利した。

翌月にサンダウンパーク競馬場で出走した距離16ハロンのノービスハードル競走では、単勝オッズ2.25倍で8頭立ての1番人気に支持された。ここでは道中で4番手を追走していたが、最後から2番目の障害を飛越したところで先頭に立つと、後は独走。2着となった単勝オッズ4.33倍の2番人気馬ロスコに10馬身差をつけて圧勝した。この後、本馬は正式にルイス氏の所有馬となった。

翌年1月にはサンダウンパーク競馬場でトルワースハードル(英GⅠ・16F)に出走。ここではGⅠ競走チャンピオンバンパーやGⅡ競走ケンネルゲートノービスハードルなど3連勝中のモンシニョールが単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ5倍の3番人気だった。レースはモンシニョールが先行して、本馬がそれを追いかける展開となった。しかし最後から3番目の障害飛越時に先頭に立ったモンシニョールに最後まで追いつけずに、2馬身半差をつけられた2着に敗れた。

3月にはチェルトナム競馬場でシュプリームノービスハードル(英GⅠ・16.5F)に出走。ここではフューチャーチャンピオンズノ-ビスハードル・デロイト&トウチェノービスハードルとGⅡ競走2勝を含む4戦無敗のユーアイネヴァーウォークアローンが単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ7倍の2番人気だった。本馬は今回馬群の中団を進み、最後から3番目の障害を飛越したところから外側を通ってスパートを開始。しかし逃げていた単勝オッズ15倍の5番人気馬サウサリートベイに僅かに届かず、3/4馬身差の2着に敗れた。

4月にはエイントリー競馬場でマージーノービスハードル(英GⅡ・20F)に出走。ここでは単勝オッズ1.36倍という圧倒的な1番人気に支持された。ここでは最初から先頭に立ったものの、5番目の障害飛越時点でいったんは2番手に下がった。しかし8番目(最後から4番目)の障害で先頭を奪還すると、2着となった単勝オッズ5.5倍の2番人気馬コープランドに2馬身半差をつけて勝利した。

このレース後にナイト師は「私達が手掛けた馬の中では最も優秀な障害競走馬です」として、本馬をスティープルチェイスに転向させる事を表明した。99/00シーズンの出走はこれが最後で、このシーズンの成績は5戦3勝だった。

競走生活(00/01シーズン)

00/01シーズンは、10月にエクセター競馬場で行われた距離17.5ハロンのノービスチェイス競走から始動した。単勝オッズ1.5倍という断然の1番人気に支持された本馬は、初経験となるチェイス障害を難なく越えながら馬群の中団を追走。最後から2番目の障害を飛越したところからスパートを開始して一気に突き抜け、2着となった単勝オッズ4倍の2番人気馬ビンダリーに2馬身半差をつけて勝利した。この時にナイト師は既に「この馬はアークルに匹敵します」と語っている。

翌11月にはチェルトナム競馬場でインディペンデントノービスチェイス(英GⅡ・16F)に出走して、単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持された。ここでもしばらくは馬群の中団を追走していたが、最後から2番目の障害を飛越したところで先頭に立つと、どんどん後続馬を引き離していった。最後は2着に入った単勝オッズ34倍の最低人気馬フェイトハルクヘアに18馬身差をつけて大圧勝した。

次走は翌年2月にサンダウンパーク競馬場で行われたシリーアイルズノービスチェイス(英GⅠ・20F)となった。本馬が単勝オッズ2.25倍の1番人気、前走のGⅡ競走ザスピンルームドットコムノービスハードルを勝ってきたイグジットトゥウェーブが単勝オッズ5倍の2番人気、GⅡ競走ヘンリーⅧ世ノービスハードルの勝ち馬クロケイディーが単勝オッズ6倍の3番人気となった。レースでは対抗馬のイグジットトゥウェーブやクロケイディーがいずれも途中の障害で飛越にもたついているのを尻目に、綺麗に障害を飛越しながら先行した本馬が、最後から2番目の障害を飛越したところで先頭に立つと、後続馬を瞬く間に引き離し、2着クロケイディーに13馬身差をつけて圧勝した。

その後は英国障害競走の最高峰チェルトナム金杯(かつてアークルが3連覇したレース)に向かう予定だったが、この年英国で発生した口蹄疫の流行でチェルトナム金杯が中止になったため、この年の同レース出走は成らなかった。

仕方が無いので陣営は本馬を4月にエイントリー競馬場で行われるハードル競走のマーテルエイントリーハードル(英GⅠ・20F)に向かわせた。単勝オッズ4倍の1番人気に支持された本馬だが、ここでは重馬場に脚を取られて思うように走ることが出来なかった。飛越の失敗自体は無かったものの、正確な飛越と並ぶ本馬の持ち味であるゴール前の強烈な伸び脚が見られず、先行して独走した単勝オッズ10倍の6番人気馬バートンに14馬身差をつけられて2着に敗れた。00/01シーズンの成績は4戦3勝だった。

競走生活(01/02シーズン)

01/02シーズンは、11月にエクセター競馬場で行われたハルドン金杯チェイス(英GⅡ・17.5F)から始動した。単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持された本馬は、相変わらず正確な飛越で障害をクリアしていき、最後から5番目の障害で既に先頭に立っていた。あとは普通に飛越して普通に走りさえすれば良く、2着となった単勝オッズ15倍の最低人気馬デザートマウンテンに20馬身差をつけて大圧勝した。

それから2週間後には、アスコット競馬場でナショナルバンク金杯チェイス(英GⅡ・19.5F)に出走。前走と同じく単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持された。しかしこのレースは生憎の重馬場だった。それでも本馬は懸命に走り、先行して終盤に差し掛かってきた。ところが12番目(最後から5番目)の障害で珍しく飛越に失敗する場面が見られた。それでも落馬はせず、最後から2番目の障害で先頭に立って、そのまま逃げ込みを図った。しかしそこで単勝オッズ5倍の2番人気馬ワヒバサンズが追い上げてきた。ワヒバサンズの斤量は本馬より20ポンドも軽く、重馬場に脚を取られて終盤の加速力が鈍った本馬では対抗できず、ゴール前で差されて半馬身差の2着に敗退。チェイスでは初めての黒星を喫した。

12月にケンプトンパーク競走場で出走したキングジョージⅥ世チェイス(英GⅠ・T24F)では主戦のカロティー騎手が騎乗停止処分を受けていたために、急遽エーピー・マッコイ騎手に乗り代わった。そのためか、前年のキングジョージⅥ世チェイスとラエジュスラン賞のGⅠ競走2勝を挙げていたファーストゴールド(単勝オッズ2.5倍)に1番人気の座を譲り、単勝オッズ3.5倍の2番人気での出走となった。今回は慎重に馬群の中団につけ、最後から4番目の飛越から進出を開始。そして逃げていた単勝オッズ9倍の4番人気馬フロリダパールを追いかけたのだが、予想外の粘りを見せたフロリダパールを捕まえるのに失敗し、3/4馬身差の2着に敗れた。

その後は一間隔を空けて、翌年3月のチェルトナム金杯(英GⅠ・26.5F)に初参戦した。2年前の同競走を勝っていたルックスライクトラブル、フロリダパール、ステイヤーズハードル・フェルサムノービスチェイスとGⅠ競走を2勝していたバッカナル、トライアンフハードル・愛グランドナショナル・ハイネケン金杯チェイスとGⅠ競走3勝のコマンチェコート、GⅠ競走トートゴールドトロフィーチェイスの勝ち馬マールボローなど、本馬を含めて18頭が参戦した。ルックスライクトラブルが単勝オッズ5.5倍の1番人気、バッカナルが単勝オッズ7倍の2番人気、カロティー騎手が鞍上に戻ってきた本馬が単勝オッズ8倍の3番人気となった。カロティー騎手は今回本馬を馬群の後方に陣取らせた。距離が過去最長だった事が影響していたと思われる。そして17番目(最後から6番目)の障害を飛越したあたりから進出を開始した。道中の障害を難なく飛越してきた本馬は、進出開始後も飛越には失敗することは無く、直線に入って最終障害を飛越してから得意のラストスパートを仕掛けた。そして2着に粘った単勝オッズ26倍の11番人気馬コマンチコートに1馬身3/4差をつけて快勝した。

ちょうどこの頃、ハードル分野のスターホースだったイスタブラクが競走馬を引退したため、本馬が新たな障害のスターホースとして認知され始めた。01/02シーズンの成績は4戦2勝だった。

競走生活(02/03シーズン)

02/03シーズンは、復帰予定のレースが重馬場となったため回避し、代わりに11月にハンティンドン競馬場で行われたピーターボローチェイス(英GⅡ・20F)に向かった。このレースは本馬より3歳年上で同馬主同厩のエドレドンブルーが前年まで4連覇していたのだが、陣営はエドレドンブルーの5連覇を断念までして本馬を出走させた。このレースには、仏国のGⅠ競走モーリスジロワ賞グランスティープルチェイスを15馬身差で圧勝していたドゥーズドゥーズという強敵が出走してきた。しかし本馬が単勝オッズ1.53倍の1番人気に支持され、ドゥーズドゥーズは単勝オッズ4.5倍の2番人気だった。レースは本馬が先行して、ドゥーズドゥーズが追いかけてくる展開となった。本馬は最後から2番目の障害で珍しく飛越に失敗したが落馬はしなかった。一方のドゥーズドゥーズも落馬こそしなかったが、何度か飛越に失敗していた。そして最終障害を飛越すると後は本馬お得意のラストスパートで後続との差を広げ、2着ドゥーズドゥーズに8馬身差をつけて勝利した。

12月にはケンプトンパーク競走場で前年に敗れたキングジョージⅥ世チェイス(英GⅠ・24F)に出走した。前年と同じくカロティー騎手が騎乗停止処分を受けていたために、本馬の鞍上は今度もマッコイ騎手に乗り代わっていた。しかもレースは本馬の苦手な重馬場で行われた。しかもチャンピオンノービスハードル・デニーゴールドメダルノービスチェイス・パワーズ金杯チェイス・ジョンダーカン記念パンチェスタウンチェイス2回・メリングチェイスとGⅠ競走6勝のネイティヴアップマンシップ 、アークルチャレンジトロフィーノービスチェイス・マグハルノービスチェイス・ティングルクリークチェイス3回・クイーンマザーチャンピオンチェイスとGⅠ競走6勝のフラッグシップユベライズ、チェルトナム金杯では12着に終わるも前走のGⅡ競走ロングディスタンスハードルを勝ってきたバッカナル、チェルトナム金杯11着後にGⅠ競走ハイネケン金杯を勝っていたフロリダパール、チェルトナム金杯4着後にGⅡ競走チャーリーホールチェイスを勝っていたマールボロー、ドゥーズドゥーズなどの強敵が本馬の前に立ち塞がってきた。それでも本馬が単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持され、バッカナルが単勝オッズ4.33倍の2番人気、ネイティヴアップマンシップが単勝オッズ8倍の3番人気となった。今回はスタートから先行策を採り、最後から4番目の障害を飛越した段階で先頭に立った。そしてそのまま逃げ込みを図ったのだが、やはり重馬場で切れ味を殺されており、最後から2番目の障害で単勝オッズ15倍の7番人気馬マールボローに並ばれてしまった。そのまま2頭が並んで最終障害を飛越し、叩き合いとなった。しかし本馬がゴール前でマールボローを競り落とし、1馬身半差をつけて勝利。乗り代わりと重馬場という二重の不利を克服しての勝利により、本馬の名声はさらに高まった。

その後は翌年3月のチェルトナム金杯(英GⅠ・26.5F)に直行した。マールボローに加えて、愛国のGⅠ競走エリクソンチェイス・ヘネシーコニャック金杯など4連勝中のビーフオアサーモン、GⅠ競走ロイヤル&サンアライアンスチェイスの勝ち馬ハザードコランジス、前年の同競走2着馬コマンチェコートなど14頭が対戦相手となった。このレースを2連覇した馬は、1971年に達成したレスカルゴ以来32年間出現していなかった。それでもカロティー騎手が鞍上に復帰した本馬が単勝オッズ2.625倍の1番人気に支持され、ビーフオアサーモンが単勝オッズ6倍の2番人気、ハザードコランジスとコマンチェコートが並んで単勝オッズ9倍の3番人気となった。スタートが切られると、カロティー騎手は前年と同じく本馬を後方から進ませた。対抗馬と目されていたビーフオアサーモンは3番目の障害で飛越に失敗して落馬競走中止となった。一方の本馬は確実に障害を飛越していくと、16番目(最後から7番目)の障害を飛越したあたりから進出を開始した。そして最後から3番目の障害で先頭に立つと、直線に入った後は独走。2着に入った単勝オッズ34倍の10番人気馬トラッカーズタバーンに10馬身差をつけて圧勝し、2連覇を達成した。02/03シーズンの成績は3戦全勝だった。

競走生活(03/04シーズン)

アークル以来誰も達成していないチェルトナム金杯3連覇を目標として、03/04シーズンも現役を続行。まずは11月にハンティンドン競馬場で行われたピーターボローチェイス(英GⅡ・20F)に出走して、単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持された。スタートが切られると単勝オッズ4.33倍の2番人気馬ジャードゥコシェが先頭に立ったが、本馬がレース中盤で早々に先頭を奪った。そのまま楽勝かと思われたのだが、最後から4番目の障害で珍しく飛越に失敗。落馬は免れたが、その隙にジャードゥコシェに先頭を奪還された。そしてそのまま追いつけず、最後は8馬身差をつけられて2着に敗れた。

12月のキングジョージⅥ世チェイスには同馬主同厩のエドレドンブルーが参戦したため本馬は出走しなかった(レースはエドレドンブルーが優勝した)。代わりに愛国に向かい、レパーズタウン競馬場で行われたエリクソンチェイス(愛GⅠ・24F)に出走した。前シーズンのチェルトナム金杯で落馬したが愛国に戻るとGⅠ競走ジョンダーカン記念パンチェスタウンチェイスを勝つなど相変わらず強さを発揮していたビーフオアサーモンとの一騎打ちムードとなった。本馬が単勝オッズ1.73倍の1番人気で、ビーフオアサーモンが単勝オッズ3倍の2番人気となった。今回も本馬はスタートから先行し、最後から2番目の障害で先頭に立った。対抗馬と目されていたビーフオアサーモンは落馬こそしなかったが飛越に手間取る場面が複数あり、先頭に立った本馬に付いていく事は出来なかった。最後は独走態勢を築いた本馬が、2着となった単勝オッズ15倍の4番人気馬ルクードレに9馬身差、3着ビーフオアサーモンにはさらに4馬身差をつけて勝利した。

そして翌年3月のチェルトナム金杯(英GⅠ・26.5F)に直行した。ビーフオアサーモン、前年の同競走2着馬トラッカーズタバーンなどの姿があったが、本馬との対戦を嫌がった他馬陣営の回避が多く、一昨年や前年に比べると出走馬の質量ともに下がっていた。本馬が単勝オッズ1.73倍で10頭立ての1番人気、前走のGⅡ競走ピラープロパティチェイスで落馬競走中止となるまでは6連勝(ただしグループ競走勝ちは無かった)していたザリールバンディトが単勝オッズ8.5倍の2番人気、ビーフオアサーモンとGⅡ競走3勝のキーンリーダーが並んで単勝オッズ11倍の3番人気となった。しかしこのレースは過去2度と比べるとかなり厳しい戦いとなった。スタートから4番手辺りを先行して最後から3番目の障害を飛越したところまでは順調だったが、直線入り口手前で前後を他馬3頭に囲まれてしまい、得意のラストスパートを発揮できなかった。それでも馬群の隙間をすり抜けると最後から2番目の障害で先頭に立った。しかしここから後続を引き離すことが出来ず、単勝オッズ21倍の7番人気馬ハーバーパイロットや単勝オッズ34倍の9番人気馬サーレンブラントが本馬に迫ってきた。しかしゴール前でカロティー騎手が必死になって本馬に檄を飛ばすと、最後の底力を見せて後続の追撃を抑えきり、2着サーレンブラントに半馬身差、3着ハーバーパイロットにさらに1馬身1/4差をつけて勝利。1966年に達成したアークル以来38年ぶり史上4頭目の同競走3連覇を成し遂げた。

しかし、アークル以前に達成したゴールデンミラー(1932年から36年まで5連覇している)と、コテージレーク(1948年から50年まで3連覇)の時代には、まだチェルトナム金杯の地位は英グランドナショナルの前哨戦程度の位置付けであり、チェルトナム金杯の地位が向上して英グランドナショナルと並ぶ最高峰レースとして認知された後の3連覇馬は、アークルに次いで本馬が2頭目だった。03/04シーズンの成績は3戦2勝だった。

競走生活(04/05シーズン)

アークルを超えるチェルトナム金杯4連覇を目標として、04/05シーズンも現役を続行した。アークルほどの名馬の再来は無いと言われ続けて40年近く経過していたが、本馬はアークルに肩を並べ、そして追い越そうとしていた。しかしアークルにはミルハウスという好敵手がおり、それを何度も打ち負かす事で、その実力を世間に知らしめたが、本馬には明確な好敵手がいなかった。英タイムフォーム社のレーティングでも、アークルの212ポンド(史上最高値)に対して、本馬は182ポンドとかなりの差があった。完全にアークルを追い越したと万人に認めさせるためには、チェルトナム金杯の4連覇が必要不可欠だった。

まずは11月にエクセター競馬場で行われたウィリアムヒルチェイス(T23.5F)から始動した。ここでは鞍上がティミー・マーフィー騎手に乗り代わっていたが、それでも本馬が単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持され、前シーズンのチェルトナム金杯で本馬を追い詰めたサーレンブラントが単勝オッズ3.25倍の2番人気となった。スタートが切られるとサーレンブラントが逃げを打ち、本馬は先行した。レース中盤でサーレンブラントが飛越に失敗して後退すると本馬が先頭に立った。しかし本馬も最後から3番目の障害で飛越に失敗して失速。そこで単勝オッズ13倍の3番人気馬シーボールドが並びかけてきて、その後は2頭の一騎打ちとなった。最終障害飛越後も2頭の叩き合いが続いたが、最後は本馬が何とか前に出て短頭差で勝利した。

12月にはレパーズタウン競馬場に赴き、エリクソンチェイスから名を変えたレクサスチェイス(愛GⅠ・24F)に出走した。カロティー騎手が鞍上に復帰した本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気で、前シーズンのチェルトナム金杯で4着に終わった後にハイネケン金杯チェイス・JNワインマーチャントチャンピオンチェイスとGⅠ競走を2勝していたビーフオアサーモンが単勝オッズ3.25倍の2番人気となった。ところが重馬場で行われたこのレースで本馬は第1障害でいきなり飛越に失敗。その後は何とか障害を無事に飛越していったが、最後から3番目の障害で後方から来たビーフオアサーモンに抜き去られると、もはや抵抗する力は残っておらず、7馬身差をつけられて2着に敗れた。

それでも翌年のチェルトナム金杯を目標として調整が続けられていたが、本番8日前の調教中に鼻出血を発症してしまい、無念の回避。アークルを超える4連覇は成らなかった。04/05シーズンの成績は2戦1勝に終わった。

4連覇は出来なくなったが、チェルトナム金杯の4勝目を目指して05/06シーズンも現役を続行した。まずは11月1日にエクセター競馬場で行われたハルドン金杯チェイス(英GⅡ・T17.5F)から始動した。鞍上はポール・カーベリー騎手に乗り代わっていた。本馬の競走能力が減退してきているのは明白だった上に、ここでは他馬勢より6~20ポンドも重い164ポンドの斤量を課せられたこともあって、単勝オッズ13倍の7番人気まで評価を落としていた。

スタートから先行した本馬はレース中盤までは普通に走っていた。しかし第7障害を飛越したあたりから走り方がおかしくなった。それでもしばらくは走り続けたが、第15障害(最後から3番目の障害)の手前で突然カーベリー騎手が本馬を減速させて下馬した。そして本馬はその場で膝を地面につき、そのまま崩れ落ちた。本馬の関係者が駆けつけた時、既に本馬の呼吸は止まっていた。獣医が懸命に蘇生措置を施したが、それが実を結ぶことは無かった。死因は心臓麻痺だった。

この事実がしばらくして競馬場内に告げられると、それまで何が起こったか正確に理解できずにいた観衆は完全に静まり返り、やがて嗚咽の声が競馬場の各地から聞こえてきた。本馬の死を伝えるニュースは、英国の一般紙やトップメディアでも大々的に報じられた。前年には平地長距離戦の人気馬パーシャンパンチがやはりレース中の心臓麻痺で他界しており、2年連続の悲劇は英国の競馬ファンを大きく悲しませた。

本馬の所有者ルイス氏は本馬をエクセター競馬場に土葬したいと希望したが、件の口蹄疫流行後に衛生面の問題から動物の土葬が難しくなっていたために許可が下りず、本馬の遺体は火葬された。そして遺灰が12月10日にチェルトナム競馬場の決勝標の傍に埋葬された。本馬の所有者ルイス氏の妻ヴァレリー夫人は7か月間に及ぶ癌との闘病生活の末に12月8日に死去していたのだが、ルイス氏は二重の悲しみをこらえて本馬の葬儀にも参列した。後にチェルトナム競馬場には本馬の銅像が建立された。

本馬の死後もナイト師は2012年の調教師引退まで、レーシングデーモン(ピーターボローチェイス2連覇)など優秀な障害競走馬を育て続けたが、彼女が出した本馬に関する本では、本馬を「数百万頭に一頭の馬」と評している。

血統

Un Desperado Top Ville High Top Derring-Do Darius
Sipsey Bridge
Camenae Vimy
Madrilene
Sega Ville Charlottesville Prince Chevalier
Noorani
La Sega Tantieme
La Danse
White Lightning Baldric Round Table Princequillo
Knight's Daughter
Two Cities Johnstown
Vienna
Rough Sea Herbager Vandale
Flagette
Sea Nymph Free Man
Sea Spray
Katday Miller's Mate Mill Reef Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
Primatie Vaguely Noble Vienna
Noble Lassie
Pistol Packer Gun Bow
George's Girl
Kanara Hauban Sicambre Prince Bio
Sif
Hygie Sunny Boy
Hymenee
Alika Auriban Pharis
Arriba
Pretty Lady Umidwar
La Moqueuse

父アンデスパレイドは現役成績5戦2勝、ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)を勝っている。障害と平地兼用の種牡馬であり、平地でもリトン【7月9日大賞(亜GⅠ)・サンイシドロ大賞(亜GⅠ)・ホアキンSデアンチョレーナ大賞(亜GⅠ)】、レンジャー【ギシュ賞(仏GⅢ)・ベイメドウズダービー(米GⅢ)】を出している。アンデスパレイドの父トップヴィルは当馬の項を参照。

母カットデイは現役成績11戦3勝。本馬の全弟コーニッシュレベル【チャロウノービスハードル(英GⅠ)】なども産んでいる。カットデイの母カナラの半姉サンガの曾孫にはヴォルヴォレッタ【ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】が、カナラの母アリカの半兄にはダイナマイター【イスパーン賞・英チャンピオンS2回】、アブドス【仏グランクリテリウム】が、アリカの半姉アルタグラシアの曾孫にはエペルヴィエブルー【リュパン賞(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】が、アリカの半姉ダラマの牝系子孫にはダルヤバ【仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、ダルヤカナ【香港ヴァーズ(香GⅠ)】、ダルシ【仏ダービー(仏GⅠ)】、ダルジナ【仏1000ギニー(仏GⅠ)・アスタルテ賞(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】、ストリートボス【トリプルベンド招待H(米GⅠ)・ビングクロスビーH(米GⅠ)】、日本で走ったノアノハコブネ【優駿牝馬(GⅠ)】、北海道営競馬三冠馬ミヤマエンデバー【北斗盃・王冠賞・北海優駿】がいる。→牝系:F1号族⑦

母父ミラーズメイトはミルリーフ直子。デビュー戦を勝ち、この時点で英ダービー馬候補として名を挙げられた程の素質馬だったが、2戦目のディーSで故障を起こして2戦1勝で現役成績を終えた。競走馬引退後は4年間仏国で種牡馬供用され、その後日本に輸入されたが、活躍馬は出せなかった。

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