テイクオーバーターゲット

和名:テイクオーバーターゲット

英名:Takeover Target

1999年生

鹿毛

父:ケルティックスウィング

母:シャディーストリーム

母父:アークレジェンド

廃用寸前のところを貧乏調教師に救われ、日本のスプリンターズSを勝つなど世界各国で大活躍した豪州のシンデレラホース

競走成績:4~9歳時に豪英日星で走り通算成績41戦21勝2着6回

偶然の出会いが1人の人間の人生を大きく変えるというのはよくある事である。それは人間同士に限ったことではなく、馬と人間の間柄においても同様である。2006年のスプリンターズSで海外馬2頭目の優勝馬となった本馬の紹介は、廃用寸前だった1頭の馬と、不遇を囲っていた1人の貧乏調教師の出会いが両者の運命を劇的に変えた話でもある。

誕生からデビュー前まで

1999年9月27日、豪州ニューサウスウェールズ州にあるメリンゴスタッドファームにおいて1頭の牡馬が誕生した。この馬が本馬であるが、気性が激しかった上に膝の故障を抱えていた影響もあり、幼少期の評価は異常なほど低かった。本馬を所有していたジョン・モリッシュ調教師はデビューすらも覚束ない本馬に見切りをつけて売却しようとしたが、全く買い手が付く気配は無かった。

もはや廃用寸前となっていた3歳の暮れにセリに出品されたところを、1375豪州ドル(1250豪州ドル+チップ分1割。当時の為替レートで約11万円+1万1千円)という激安価格で購入され、辛うじて廃用は免れた。本馬を購入したのは豪州の首都キャンベラの隣町であるクインビヤンに住んでいたジョセフ・ジャニアック氏という人物だった。

ポーランド人の両親の下に生まれたジャニアック氏は、豪州において一般的なスタイルである、自分で所有する馬を自身で育成する調教師だった。61歳で本馬と出会うまで12年以上クインビヤンで調教師をしていたが、目立つ実績を残したことは無く、まったく無名の人物だった。本馬を購入した頃のジャニアック氏は生活苦であり、朝はパン屋でアルバイトをして、昼間に馬の調教を行い、夜はタクシーの運転手をする生活をしていた。

それでも彼は膝に爆弾を抱える本馬に対して、なけなしの金をはたいて3度に渡って膝の手術を実施した。そして育成が開始されたのだが、去勢されて騙馬になっても相変わらず気性が激しかった本馬は、スタート審査で大暴れしてジャニアック氏の頭部に30針を縫う大怪我をさせた。それでもジャニアック氏は本馬を辛抱強く育成していった。

競走生活(4歳時)

上記の事件のためにデビューが予定よりさらに6か月遅くなった本馬は、2003/04シーズンも後半に差し掛かった2004年4月、4歳にしてようやくデビューに漕ぎ着けた。デビュー戦は、ジャニアック氏の本拠地であるクインビヤンの小規模競馬場で行われた芝1200mの未勝利戦だった。本馬の鞍上は当時20歳の見習い騎手ジェイ・フォード騎手だった。結果は本馬が2着ラスタファリに7馬身差をつけて圧勝。フォード騎手はこの後も本馬の主戦として殆ど全てのレースに騎乗することになる。

その後はシドニーとメルボルンの中間辺りにある交通の要所ワガワガ市にある小規模競馬場に向かい、芝1200mのハンデ競走に出走。ここでも2着デヴァウアーに7馬身差をつけて圧勝した。

その後はメルボルンの北西にあるケンジントンという町にある小規模競馬場に向かい、芝1400mのハンデ競走に出走。52kgという軽量に恵まれたこともあり、2着バイブリーコートに3馬身差をつけて快勝した。

過去3戦はマイナー競馬場における出走ばかりだったが、次走は豪州でも有名なローズヒル競馬場における出走となった。もっとも、出走したのは名のある競走ではなく、芝1200mのハンデ競走だった。ここでも51kgという軽量に恵まれた本馬は、2着スピンジェスターに6馬身差をつけて圧勝した。

次走はシドニー郊外にあるゴスフォード競馬場で行われたリステッド競走ペースセッターS(T1200m)となった。レースのレベルが上がったためか、今までのような圧勝とは行かなかったが、それでも2着マスタードに3/4馬身差で勝利した。

次走もシドニー郊外にあるグラフトン競馬場で行われたリステッド競走ラモーニーH(T1200m)となった。ここでは2着デヴィルに2馬身差をつけて勝ち、4歳シーズンを6戦全勝で締めくくった。

この頃、ジャニアック氏に対して本馬を売って欲しいという申し出があったという。最初は60万豪州ドルの提示だったが、最終的には100万豪州ドルの提示となった。1375豪州ドルで買った馬が100万豪州ドルで売れるというのだから、仮に筆者がジャニアック氏と同じ立場であれば、ほぼ間違いなく売却に同意しただろう。実際にジャニアック氏も心が揺れたそうだが、数週間に渡る熟考の末に彼はその申し出を断ることにした。ここで彼は本馬を手放さなかった事により、その数倍の大金を手にすることになる。

競走生活(5歳時)

翌04/05シーズンは、10月に豪州有数の競馬場であるフレミントン競馬場で行われたレースから始動。しかも出走したのはGⅠ競走サリンジャーS(豪GⅠ・T1200m)だった。対戦相手15頭の中には3週間前のコーフィールドギニーを勝ってきたイーコンサルを始めとする複数のグループ競走勝ち馬がいたのだが、本馬はそれらをあっさりと蹴散らして2着リカーリング(後に新国のGⅠ競走レイルウェイSを勝っている)に1馬身半差で勝利を収め、グループ競走初出走でGⅠ競走勝ち馬となった。

ところがそれから間もなくして膝の故障が再発してしまい休養入り。さらには蹄に感染症を起こして、患部の骨を削る手術が施された。

復帰したのは翌年4月のブリスベンターフクラブC(豪GⅡ・T1200m)だった。ここではザギャラクシー・マニカトSとGⅠ競走2勝を挙げていたスパークオブライフや、ライトニングS・オーストラリアSとGⅠ競走2勝を挙げていた牝馬レジメンタルギャルを抑えて、単勝オッズ3倍の1番人気に支持されたのだが、スパークオブライフの2馬身差4着に終わり、初黒星を喫した。

次走のドゥーンベン10000(豪GⅠ・T1350m)では、前走2着のセントバジルや同3着のレジメンタルギャルには先着したものの、伏兵レッドオオグとレイルウェイS勝ち馬アワエジプシャンレーンとの大接戦に敗れて、勝ったレッドオオグから首差の3着と惜敗。

次走のストラドブロークH(豪GⅠ・T1400m)では、前走で7着に終わっていたセントバジルが南アフリカから来たケープフィリーズギニー勝ち馬パーフェクトプロミスに1馬身1/4差をつけて勝利を収め、本馬はゴール前の大混戦で後れを取り、パーフェクトプロミスから僅か1馬身3/4差の7着に敗れた。

次走のカールトンドラフトS(豪GⅢ・T1200m)でも特にこれといった実績が無かったポエティックパパルに脚を掬われて頭差2着と惜敗。結局04/05シーズンは初戦でGⅠ競走を勝ったものの、その後は4戦全敗で5戦1勝の成績に終わった。

競走生活(6歳時)

翌05/06シーズンは、連覇を狙ってサリンジャーS(豪GⅠ・T1200m)から始動。ここでは、4か月前のドゥーンベン10000で本馬を破ったレッドオオグに加えて、オーストラリアSを勝った後に英国に遠征してゴールデンジュビリーSを制覇したケープオブグッドホープ、サイアーズプロデュースS・ドバイレーシングS・トゥーラックHとGⅠ競走3勝を挙げてきたベアリーアモーメント、グッドウッドH勝ち馬グラマーパスといった強敵が参戦してきた。そして結果はグラマーパスが勝ち、ベアリーアモーメントが2着、ケープオブグッドホープが3着で、本馬はグラマーパスから4馬身半差の4着に敗れて連覇は成らなかった。

次走のエイジクラシック(豪GⅡ・T1200m)では騎乗停止処分を受けていたフォード騎手の代わりにスティーヴン・アーノルド騎手とコンビを組んだ。ここでは試みに後続馬に3馬身ほどの差をつける単騎逃げを打ったが、残り300m地点で大きく失速して、グラマーパスの10馬身差7着(ゴールデンスリッパー勝ち馬ストラタムが2着で、ケープオブグッドホープが3着)に敗れた。

次走のサマーS(豪GⅢ・T1200m)では、自身にとって過去最高の59.5kg(今までの最高はドゥーンベン10000の58kg)が課せられたが、これといった対戦相手がいなかった事もあって単勝オッズ5.5倍の1番人気に支持された。そして鞍上に戻ってきたフォード騎手と共に、先頭から1馬身ほど離れた2番手追走から残り400m地点で抜け出す競馬で、2着ピカルディランに6馬身差をつけて圧勝した。勝ちタイム1分07秒88はコースレコードだった。

次走はリステッド競走ドゥーンベンS(T1350m)となった。GⅠ競走勝ち馬がリステッド競走に出てきたわけであるから斤量は非常に厳しくなり、60.5kgが課せられた。しかしそれでも実力の違いは歴然であり、前走と全く同様の走りを見せて、2着インパラーに2馬身3/4差をつけて勝ち、単勝オッズ1.95倍の1番人気に応えた。

年が変わって2006年になると、2月のライトニングS(豪GⅠ・T1000m)に向かった。ケープオブグッドホープ、ストラタム、コーフィールドギニー勝ち馬ゴッズオウン、ブルーダイヤモンドS勝ち馬アンダウテッドリーなどが対戦相手となったが、単勝オッズ4.2倍の1番人気に支持された。レースでは先行して残り300m地点で抜け出す走りを見せたが、過去2戦とは対戦相手のレベルが違い、ゴール前でゴッズオウンが並びかけてきた。しかし頭差凌いだ本馬がGⅠ競走2勝目をマークした。

3週間後のオークリープレート(豪GⅠ・T1100m)では、1週間前のオーストラリアSでGⅠ競走2勝目を挙げていたサイアーズプロデュースS勝ちの牝馬ヴィラージュドフォーチュンに1番人気(単勝オッズ2.4倍)を譲り、2番人気(単勝オッズ6倍)での出走となった。本馬はスタートが得意な馬だったが、ここでは珍しく出遅れ。それでも挽回して先頭まで2馬身ほどの位置まで上がってきたが、その後に伸びを欠き、勝ったスニッツェルから4馬身差、2着ヴィラージュドフォーチュンから2馬身1/4差の3着に敗れた。

次走のニューマーケットH(豪GⅠ・T1200m)では、スニッツェル、ストラタム、グラマーパスなどに加えて、エミレーツSの勝ち馬タイタニックジャック、新国のGⅠ競走イースターHの勝ち馬カルヴィーン、それに後に本馬と並ぶ豪州短距離路線の双璧として欧州でも活躍するミスアンドレッティなどが対戦相手となった。ライトニングSで本馬の4着に敗れていたリワーヤが前走オーストラリアSの2着と49.5kgという最軽量を評価されて単勝オッズ4.2倍の1番人気に支持され、グラマーパスが単勝オッズ4.6倍の2番人気、57kgのトップハンデだった本馬が単勝オッズ5.5倍の3番人気、スニッツェルが単勝オッズ10倍の4番人気だった。前走と異なり好スタートを切った本馬は少し下げて、先頭から2馬身ほど後方を無理なく追走。残り200m地点で先頭を奪うと、粘るスニッツェルを半馬身差の2着に抑えて勝利した。ニューマーケットHを57kg以上の斤量で勝つのはかなり難しく、本馬の前は1991年のシャフツベリーアヴェニュー、その前は1970年のブラックオニキスまで遡らないと見つからない。

さて、本馬がこの年に勝ったライトニングSは、前年から始まったグローバル・スプリント・チャレンジ(以下GSCと記載する)の第1戦であった。GSCは豪州・英国・日本・香港の4か国(現在はシンガポールとドバイも加わり6か国)が参加する国際競走シリーズである。対象競走は全て短距離戦で、1着10点、2着5点、3着4点というようにポイントを加算し、最終的に42ポイント以上を獲得した馬の中で最高ポイント馬が優勝となる。優勝したからと言って特別ボーナスが出るわけではなく(参加3か国以上でGⅠ競走を勝った場合には100万米ドルのボーナスが出るが、優勝とは別物である)、どちらかと言えば名誉を得るためのものだった。ちなみに前年はケープオブグッドホープが54ポイントを獲得して初代王者に輝いていた。

ジャニアック氏はその名誉を手にするべく、本馬やフォード騎手と一緒に海外へと飛び出した。向かった先は英国。初戦はGSC第3戦(ちなみに第2戦はオーストラリアSだった)のキングズスタンドS(英GⅡ・T5F)となった。出走馬は本馬を含めて28頭もおり、ナンソープS勝ち馬でスプリントC2着のラクカラチャ、グリーンランズS・グロシェーヌ賞を連勝してきたモスヴェイル(父は日本で走ったシンコウフォレスト)、パレスハウスSを勝ってきたダンディマン、フライングファイブ勝ち馬ベンバウン(翌年のアベイドロンシャン賞勝ち馬)、ダイアデムSなどの勝ち馬ピヴォタルポイント、それにやはり豪州から遠征してきたグラマーパスと、QTCカップなどの勝ち馬フォルカークなどの姿もあった。モスヴェイルが単勝オッズ6倍の1番人気、本馬とラクカラチャが並んで単勝オッズ8倍の2番人気となった。直線コースの多頭数ではしばしば見られる、馬群が観客席側と反対側の2つに分割されて進む展開となったレースでは、本馬は観客席側馬群の好位につけていた。そして残り1ハロン地点で先頭に立つと、後方から猛然と追い上げてきたベンバウンの追撃を短頭差で凌いで勝利した。

この勢いでGSC第4戦ゴールデンジュビリーS(英GⅠ・T6F)にも出走。パークS勝ち馬イフラージ、ミドルパークS・ジムクラックSの勝ち馬アマデウスウルフ、前走7着のグラマーパスなどが出走してきたが、GⅡ競走だった前走よりもGⅠ競走であるこのレースのほうがむしろレベルは低く、本馬が単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持され、イフラージが単勝オッズ7倍の2番人気、グラマーパスが単勝オッズ7.5倍の3番人気となった。今回は前走と異なり馬群が2つに分断されることは無く、本馬は先頭集団につけた。そして残り2ハロン地点で先頭に立ってそのまま押し切ろうとしたのだが、残り1ハロン地点で右側によれて失速。その隙に中団から差してきた単勝オッズ34倍の11番人気馬レザークと、単勝オッズ51倍の14番人気馬バルタザールズギフトの2頭にかわされて、勝ったレザークから2馬身1/4差の3着に敗れた。レザークはずっとハンデ競走を主戦場に走ってきた馬で、グループ競走出走2戦目だった前走キングズスタンドSでも本馬の11着に終わっていた馬だった。

このままではすっきりと英国を出られない本馬は、GSCの対象外だったジュライC(英GⅠ・T6F)にも参戦。レザーク、前走で5着だったアマデウスウルフ、同7着だったイフラージ、キングズスタンドSで4着だったフォルカーク、同8着だったモスヴェイル、前年のナンソープS勝ち馬ラクカラチャ、コヴェントリーS・グリーナムS勝ち馬レッドクラブスなどが出走してきた。本馬が単勝オッズ5.5倍の1番人気に支持され、イフラージが単勝オッズ6.5倍の2番人気、フォルカークが単勝オッズ7.5倍の3番人気、ラクカラチャが単勝オッズ10倍の4番人気、レザークとレッドクラブスが並んで単勝オッズ11倍の5番人気となった。ここでも先行して残り2ハロン地点で先頭に立つ競馬を見せた本馬だったが、ゴール直前で今度は左側によれてしまい、その隙に後続馬6頭に瞬く間にかわされ、勝ち馬から2馬身差の7着に敗退。2着イフラージを頭差抑えて勝ったのは、前走で本馬に煮え湯を飲ませたレザークだった。

このジュライCが行われた7月いっぱいで豪州競馬のシーズンは終わり、05/06シーズンの本馬の成績は10戦5勝となった。そしてこのシーズンの豪最優秀短距離馬及び豪最優秀国際活躍馬に選出された。

競走生活(7歳時)

豪州国外で馬齢が1つ加算された本馬は、今度は日本に向かった。まずはこの年は中京競馬場で行われたGSC第5戦セントウルS(日GⅡ・T1200m)に出走。CBC賞2回・函館スプリントS2連覇と重賞を4勝していたシーイズトウショウ、フェブラリーS・デイリー杯2歳S・ガーネットS・根岸Sなど重賞5勝を挙げていたが最近は敗戦が続いていたメイショウボーラー、半年前のオーシャンSで8歳にして中央競馬の重賞を初勝利していた地方競馬所属のネイティヴハート、このセントウルSを前年まで2連覇していたゴールデンキャストなどが対戦相手だった。シーイズトウショウが単勝オッズ4.4倍の1番人気、本馬が単勝オッズ5.3倍の2番人気、条件戦で安定した走りを見せていた昇級初戦のロードアルティマが単勝オッズ5.7倍の3番人気、ネイティヴハートが単勝オッズ7.2倍の4番人気となった。スタートが切られるとウインレジェンドが先頭に立ち、本馬は得意の2番手追走戦法を採った。そのままの体勢で直線に入ると残り300m地点で先頭に立って押し切ろうとしたが、4番手の好位を追走してきたシーイズトウショウにかわされて、3馬身差の2着に敗れた。

次走はGSC第6戦のスプリンターズS(日GⅠ・T1200m)となった。シーイズトウショウ、前走7着のメイショウボーラー、同8着のゴールデンキャストに加えて、この年の高松宮記念・京王杯スプリングCを連勝していたオレハマッテルゼ、キーンランドCを勝ってきたチアフルスマイル(ケンタッキーダービーを勝った名牝ウイニングカラーズの孫)、NSTオープンを勝ってきたシンボリエスケープ、3か月前の函館スプリントSでシーイズトウショウを2着に破っていたビーナスライン、京成杯オータムHを勝ってきたステキシンスケクン、それに香港スプリント2連覇などデビュー17連勝を飾り前年のスプリンターズSも制覇していた香港の英雄サイレントウィットネス、ジュライCから直行してきたレザーク、キングズスタンドSで本馬の2着だったベンバウンといった有力海外馬勢の姿もあった。前走からの上積みを期待された本馬が単勝オッズ4.2倍の1番人気に支持され、シーイズトウショウが単勝オッズ6.3倍の2番人気、サイレントウィットネスが同じ単勝オッズ6.3倍で僅差の3番人気、レザークが単勝オッズ7倍の4番人気、オレハマッテルゼが単勝オッズ7.4倍の5番人気となった。

前走では2番手につけた本馬だったが、今回はスタートが切られると先に飛び出したサイレントウィットネスを内側からかわして先頭に立った。そしてサイレントウィットネス以下を引き連れて先頭を爆走。最初の600m通過が32秒8というハイペースだったが、直線に入っても逃げ脚は衰えず、むしろ後続との差が徐々に広がっていった。そして道中4番手の好位から2着に粘ったメイショウボーラーに2馬身半差をつけて勝利。サイレントウィットネス(4着)、欧州で苦杯を舐めさせられたレザーク(7着)、前走で敗れたシーイズトウショウ(8着)などを見事に打ち負かし、前年のサイレントウィットネスに続く史上2頭目の海外馬による同競走制覇を達成した。この勝利で、GSCのポイントが53となり、GSC最終戦の香港スプリントの結果を待たず、この年のGSC総合優勝を決めた。

その後は前述した100万米ドルのボーナス(GSC参加3か国でGⅠ競走を勝った場合に支給される)を目指して香港に向かい、香港スプリントに参戦しようとした。しかしレース当日朝の薬物検査でヘキサン酸17a-ヒドロキシプロゲステロンというホルモンの陽性反応が出たため出走除外となり、ジャニアック氏には20万香港ドルの罰金が課せられた。なお、ここでホルモンの陽性反応が出た件に関しては論争の的となっていると海外の資料に書かれていたが、陽性反応を示した理由に関して詳しく書かれているものは見つけられなかった。ヘキサン酸17a-ヒドロキシプロゲステロンは女性ホルモンの一種であり、流産予防や妊娠維持に使用されることはあるが、男性ホルモンと異なり競走能力を高めるドーピング効果は無いはずである。筆者は、おそらくジャニアック氏が何かの治療目的で服用させた薬剤にそれが含まれていたのではないかと思うが、あくまで推測の域を出ない。

それでもこの2006年において本馬に与えられたワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングのレーティング121ポンドは、短距離部門としては世界第1位であり、GSCの総合優勝と合わせて、現役世界最強短距離馬として公式に認定された。

帰国した本馬は脚の負傷やウイルス性感染症の罹患などが重なり、帰国初戦は翌年4月のオールエイジドS(豪GⅠ・T1400m)となった。1週間前のTJスミスSでGⅠ競走初勝利を挙げたベントリービスケットが単勝オッズ2.9倍の1番人気に支持される一方で、久々のレースとなる本馬は単勝オッズ8倍の4番人気だった。レースでは2番手を追走するもゴール前で失速し、ベントリービスケットの4馬身1/4差5着に敗れた。

次走のBTCカップ(豪GⅠ・T1200m)でもベントリービスケットとの対戦となった。1戦叩いた効果が期待された本馬が単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持され、ベントリービスケットは単勝オッズ3.8倍の2番人気だった。レースでは3番手を進むと直線で外側に持ち出してスパートし、残り200m地点で先頭に立ったが、後方から来たベントリービスケットにゴール直前で捕まり、短首差の2着に敗れた。

次走のドゥーンベン10000(豪GⅠ・T1350m)では、前走ニューマーケットHでミスアンドレッティの2着してきたアスコットヴェイルSなどの勝ち馬ゴールドエディションが単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ3.5倍の2番人気だった。レースでは2番手追走から残り400mで早めに先頭に立つと、ゴールドエディションを半馬身差の2着に抑えて勝利した。

その後は再度英国遠征に旅立ち、まずは前年同様にキングズスタンドS(英GⅡ・T5F)に参戦した。前年のこの競走で本馬の4着だったダンディマン、モールコームS勝ち馬エンティシングなども出走していたが、欧州調教馬よりも本馬と同じく豪州から遠征してきた馬3頭のほうが手強かった。その3頭は、ベントリービスケット、ザギャラクシーを勝ってきたマグナス、そして前年のニューマーケットHでは本馬の11着に敗れ去ったものの、その後にマニカトS・ライトニングS・オーストラリアS・ニューマーケットHとGⅠ競走4勝を挙げていたミスアンドレッティだった。GⅠ競走3連勝中のミスアンドレッティが単勝オッズ4倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ6.5倍の2番人気となった。このレースで本馬は珍しく中団待機策を採り、残り2ハロン地点からスパートを開始。しかしこの走り方は本馬には合わなかったようで、ゴール前で伸びを欠き、先に抜け出して勝ったミスアンドレッティから2馬身半差の4着に敗れた。

次走のゴールデンジュビリーS(英GⅠ・T6F)では、ミスアンドレッティ、前走3着のマグナス、前年のジュライC4着後に堅実に走り続けて前走デュークオブヨークSを勝ってきたアマデウスウルフ、チップチェイスS勝ち馬ソルジャーズテール、前年のジュライC12着後にダイアデムSを勝っていたレッドクラブスなどが対戦相手となった。ミスアンドレッティが単勝オッズ3倍の1番人気、アマデウスウルフが単勝オッズ7.5倍の2番人気、マグナスが単勝オッズ8.5倍の3番人気、本馬が単勝オッズ9倍の4番人気となった。前走で控えて失敗した反省から、フォード騎手はスタートと同時に本馬を先頭に立たせた。そしてミスアンドレッティ達を引き連れて逃げ続けた。やがてミスアンドレッティは馬群に沈んでいき、本馬がそのまま逃げ切るかと思われたのだが、好位を追走していたソルジャーズテールにゴール直前でかわされてしまい、頭差の2着に敗れた。

その後はジュライCに出走する予定だったが、軽度の疝痛のために回避して帰国した。06/07シーズンの成績は7戦2勝で、豪最優秀短距離馬の座はミスアンドレッティに譲ったが、豪最優秀国際活躍馬は2年連続で受賞した。

競走生活(8歳時)

帰国した本馬は軽い負傷を乗り越えた後に、メルボルンの春季開催へと向かう予定だったが、ニューサウスウェールズ州で馬インフルエンザが流行したためにメルボルンに出向くことは出来なかった。

そのため07/08シーズンは、12月のアローフィールドスタッドスプリント(T1200m)から始動した。グループ格付けが無いレースだったが、ゴールデンスリッパーS・サイアーズプロデュースS・豪シャンペンS・サリンジャーSとGⅠ競走4勝を挙げていたダンスヒーローという強敵が1頭出走していた。61kgを課された本馬が単勝オッズ2.7倍の1番人気で、同じ騙馬ながら58kgの斤量だったダンスヒーローが単勝オッズ3.5倍の2番人気となった。レースはスタートから先頭を飛ばした本馬と、それを追いかけたダンスヒーローの大接戦となり、本馬が頭差をつけて逃げ切り勝利した。

次走のリステッド競走レザーシャープクオリティH(T1200m)でも、ダンスヒーローとの顔合わせとなった。やはり61kgを課された本馬が単勝オッズ1.95倍の1番人気で、前走より0.5kg斤量が軽くなったダンスヒーローが単勝オッズ2.6倍の2番人気となった。今回もスタートから本馬が先頭に立ち、そのまま逃げ込みを図った。ゴール前で本馬に迫ってきたのはダンスヒーローではなく、単勝オッズ71倍の牝馬アルヴェルタだった。しかし本馬が鼻差凌いで逃げ切り勝利した。アルヴェルタはここでは人気薄だったが、後にクールモアクラシックを制してGⅠ競走勝ち馬になる馬だった。

年が明けて初戦のヴィリエS(豪GⅡ・T1200m)では、そのアルヴェルタも出走していたが本格化前であり、本馬を脅かせそうな馬はいなかった。むしろやっかいなのは斤量差であり、本馬が3戦連続となる61kgだったのに対して、他馬は最高54.5kgだった。それでも単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された本馬は、やはりスタートから先頭に立ち、そのまま逃げ切るかと思われた。ところが残り200m地点で急に左側によれ始めた。斜行しながら走り続けた本馬だったが、オナーインウォーという馬の追撃を鼻差抑えて先頭でゴールイン。しかしオナーインウォーの進路を明らかに妨害しており、2着に降着となってしまった。しかし本馬を除けば斤量トップだったオナーインウォーとのハンデ差は6.5kgであり、実力的には本馬が群を抜いている事は明らかだった。

一間隔を空けて出走した4月のTJスミスS(豪GⅠ・T1200m)では、オーストラリアンギニー・ライトニングS・オーストラリアSとGⅠ競走3勝のアパッチキャット、前年のゴールデンジュビリーSで14着に敗れ去っていたマグナスの2頭が有力な対戦相手だった。ライトニングSとオーストラリアSを連勝してきたアパッチキャットが単勝オッズ2.25倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.9倍の2番人気、マグナスが単勝オッズ5倍の3番人気となった。今回もスタートから先頭に立って逃げた本馬だが、このレースはスタミナを消耗する不良馬場で行われており、レース終盤で失速。アパッチキャットにかわされた上に、ゴール直前でザTJスミス勝ち馬レイニングトゥウィンにも差されて、アパッチキャットの2馬身3/4差3着に終わった。

この後は3度目の海外遠征に旅立った。前2回は最初に英国に向かったが、今回はまずシンガポールに向かい、クリスフライヤー国際スプリント(星GⅢ・T1200m)に出走した。このレースには一昨年の香港スプリントで2着サイレントウィットネスに4馬身1/4差をつけてレコード勝利を収めていた香港短距離路線のトップホース・アブソルートチャンピオンが出走しており、ほぼ本馬との2強ムードだった。本馬が単勝オッズ2.6倍の1番人気、アブソルートチャンピオンが単勝オッズ5.2倍の2番人気となった。本馬とアブソルートチャンピオンの逃げ争いが注目された1戦だったのだが、アブソルートチャンピオンはスタートして間もなく故障を発生して競走中止となってしまった。一方の本馬は無理に先頭を狙わずに先頭集団の中に入ってレースを進めた。そして直線入り口で単独先頭に立つと、追いかけてきたマグナス(TJスミスS4着後にやはり豪州から遠征してきていた)を半馬身差の2着に抑えて勝利。ジャニアック氏が、このレースで本馬が発揮した能力は90%に過ぎないと語ったにも関わらず、勝ちタイム1分08秒8はコースレコードだった。しかし故障したアブソルートチャンピオンは予後不良となってしまい、後味が悪いレースともなった。

それから本馬は英国に向かい、この年GⅠ競走に再昇格したキングズスタンドS(英GⅠ・T5F)に参戦した。本馬をストーカーのように追いかけてきたマグナス、フライングチルダースS・テンプルSの勝ち馬フリーティングスピリット、前年のナンソープSで2歳馬として15年ぶりの勝利を収めていたキングスゲートネイティヴ、前年の2着馬ダンディマンなどが対戦相手となった。フリーティングスピリットが単勝オッズ2.875倍の1番人気、本馬が単勝オッズ7倍の2番人気、マグナスが単勝オッズ7.5倍の3番人気だった。レースは馬群が観客席側と反対側の2つに分かれて進み、本馬は観客席側馬群の先行集団につけた。そして残り1ハロン地点で仕掛けて先頭に立とうとしたのだが、逃げていた単勝オッズ23倍の伏兵エクィアーノが予想外の粘りを見せ、最後までエクィアーノの前に出ることが出来なかった本馬は半馬身差の2着に敗れた。エクィアーノは仏国産馬だが、調教を受けていたのは国際セリ名簿基準委員会においてパート3国の認定を受けているに過ぎなかったスペインであり、かなり異色の勝ち馬だった。

次走のゴールデンジュビリーS(英GⅠ・T6F)では、前走グロシェーヌ賞でエクィアーノを2着に破っていたモーリスドギース賞2連覇のマルシャンドール、前年のジュライC勝ち馬サキーズシークレット、南アフリカのGⅠ競走マーキュリースプリントの勝ち馬ウォーアーティスト、前年の仏2000ギニー馬アストロノマーロイヤル、前走10着のキングスゲートネイティヴなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ5倍の1番人気、マルシャンドールが単勝オッズ5.5倍の2番人気、サキーズシークレットが単勝オッズ6倍の3番人気と、混戦模様だった。スタートが切られると本馬は先行して、レース中盤で先頭に立った。しかしゴール前で失速して、単勝オッズ34倍の13番人気まで評価を落としていたキングスゲートネイティヴなど3頭に差されて、キングスゲートネイティヴの4馬身1/4差4着に敗れた。

レース中に靱帯を損傷している事が判明したため、今回の遠征はここで終了となり、豪州に戻って翌シーズンに備えることになった。07/08シーズンの成績は7戦3勝で、GⅠ競走は勝てなかったが、3年連続の豪最優秀国際活躍馬を受賞した。

競走生活(9歳時)

翌08/09シーズンは、11月のウィンターボトムS(豪GⅡ・T1200m)から始動した。ここには、7か月前のTJスミスS勝利後にBTCカップ・ドゥーンベン10000を勝ってGⅠ競走5連勝を達成して豪最優秀短距離馬にも選ばれていたアパッチキャットの姿もあった。本馬が単勝オッズ2.875倍の1番人気、アパッチキャットが単勝オッズ3.75倍の2番人気となった。レースは本馬が逃げてアパッチキャットが追いかける展開となり、ゴール前ではアパッチキャットが本馬に並びかけてきて叩き合いとなったが、本馬が短頭差凌いで勝利を収めた。

次走のスカヒルS(豪GⅢ・T1400m)では、単勝オッズ1.4倍という圧倒的な1番人気に支持されると、スタートからゴールまで完全にレースを支配して、2着タルズィーに2馬身3/4差をつけて逃げ切った。

年明け初戦は4月のTJスミスS(豪GⅠ・T1200m)となった。対戦相手は5頭だけだったが、前走オーストラリアSを勝ってきたアパッチキャット、前走ザギャラクシーを勝ってきたニッコーニ、クールモアスタッドS勝ち馬ノーザンミーティア、ジョージライダーS・ドンカスターマイル・ジョージメインS・AJCエプソムH・オールエイジドSとGⅠ競走5勝のレーシングトゥウイン、ロバートサングスターSを勝ってきたベルマーと、その全てがGⅠ競走勝ち馬だった。

このレースで本馬に騎乗したのはフォード騎手ではなく、ナッシュ・ロウィラー騎手だった。その理由は本馬に課された斤量58.5kgのためだった。フォード騎手はこのレース後に行われるGⅠ競走ドンカスターマイルで騎乗する予定の馬に設定された斤量51.5kgに合わせて減量しており、本馬にフォード騎手が乗るためには大量の石を積む必要があった。石による斤量調整を最小限に抑えたかったジャニアック氏の意向により、ロウィラー騎手が代役として指名されたのだった。本馬にフォード騎手以外の騎手が乗るのはエイジクラシック以来2度目であり、そのときは7着に終わっていた。そのためか本馬は単勝オッズ5.5倍の3番人気。アパッチキャットが単勝オッズ3倍の1番人気で、ニッコーニが単勝オッズ4倍の2番人気だった。しかし既に国内外で数々のレースを走ってきた本馬は、騎手の乗り代わり程度で動揺するような脆弱な馬ではなかった。スタートしてすぐに先頭に立つと、そのままただの1度も先頭を譲る事無く、2着ノーザンミーティアに2馬身3/4差をつけて完璧な逃げ切り勝ちを収めた。勝ちタイム1分09秒09はレースレコードだった。

次走のグッドウッドH(豪GⅠ・T1200m)では、鞍上がフォード騎手に戻った事もあり、単勝オッズ1.4倍という圧倒的な1番人気に支持された。前走と異なり今回は先頭を狙わずに3番手を追走。残り200m地点で先頭に立つと力強く脚を伸ばし、2着アイアムインヴィンシブルに1馬身差をつけて勝利した。

その後は前年同様にシンガポールに向かい、クリスフライヤー国際スプリント(星GⅢ・T1200m)に出走した。一昨年の香港スプリントで防衛王者アブソルートチャンピオンを2着に破っていた香港調教馬セイクリッドキングダム、目下7戦無敗のシンガポール調教馬ロケットマンの2頭が強敵だった。地元の期待の星ロケットマンが単勝オッズ2倍の1番人気、本馬とセイクリッドキングダムが並んで単勝オッズ5.6倍の2番人気となった。しかし本馬はこのレースで日頃の卓越した加速力を発揮できずに、直線入り口5番手からさらに順位を下げて、ロケットマンを首差2着に抑えて勝ったセイクリッドキングダムから7馬身3/4差の8着に沈んでしまった。

それでも4度目の英国遠征を敢行。過去3度の遠征で必ず出走していたキングズスタンドSではなく、同じく3度とも出走していたゴールデンジュビリーSが目標として設定されていた。しかしレース前夜の気温が非常に高く、本馬が体調を崩してしまったために回避。

その代わりに3年ぶりの出走となるジュライC(英GⅠ・T6F)へと向かった。しかしこのレースで注目を集めていた豪州馬は本馬ではなく、前走キングズスタンドSを勝ってきたライトニングS・ニューマーケットH勝ち馬シーニックブラストだった。シーニックブラストが単勝オッズ2.375倍の1番人気、フォレ賞・クイーンアンSなどの勝ち馬パコボーイが単勝オッズ5.5倍の2番人気、南アフリカの短距離GⅠ競走を3勝していたジェイジェイザジェットプレーンが単勝オッズ7.5倍の3番人気、前年のキングズスタンドSで本馬から首差の3着、前走キングズスタンドSで2着だったフリーティングスピリットが単勝オッズ13倍の4番人気と続き、本馬は単勝オッズ17倍の7番人気まで評価を下げていた。レースではスタート直後から先頭に立ち、途中でいったん先頭を譲るも残り2ハロン地点で先頭を奪い返した。しかし残り1ハロン地点から失速し、勝ったフリーティングスピリットから4馬身半差の7着に敗退(1番人気のシーニックブラストは10着だった)。

このレース直後に左後脚管骨の骨折が判明した本馬はニューマーケットの馬専門病院に担ぎ込まれた。そして患部に5本のボルトを埋め込む手術が実施された。手術は無事に成功して一命は取り留めたが、そのまま9歳時6戦4勝の成績で現役引退となった。帰国した本馬は豪州各地を回り、本馬を応援し続けたファン達に別れを告げた。

最終的な獲得賞金総額は、日本円やポンドを豪州ドルに換算して計算すると、602万8311豪州ドルに達し、これは購入額の4300倍以上であった。本馬の活躍によりジャニアック氏のアルバイトとの掛け持ち生活は終わり、彼は調教師に専念できるようになった。また、彼は豪州だけでなく英国でも人気者になり、本馬が3年連続で参戦したロイヤルアスコット開催においては毎年のように招待されるようになった。本馬自身の人気も非常に高く、“Archie”の愛称で親しまれた。

血統

Celtic Swing ダミスター Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
Batucada Roman Line Roman
Lurline B.
Whistle a Tune Double Jay
Siama
Celtic Ring Welsh Pageant Tudor Melody Tudor Minstrel
Matelda
Picture Light Court Martial
Queen of Light
Pencuik Jewel Petingo Petition
Alcazar
Fotheringay Right Royal
La Fresnes
Shady Stream Archregent Vice Regent Northern Dancer Nearctic
Natalma
Victoria Regina Menetrier
Victoriana
Respond カナディアンチャンプ Windfields
Bolesteo
Reply Teddy Wrack
Alaris
Merry Shade Spectacular Spy Spectacular Bid Bold Bidder
Spectacular
Lassie Dear Buckpasser
Gay Missile
Parasol Sostenuto Never Say Die
Arietta
Mary Poppins Pipe of Peace
Nisi Prius

ケルティックスウィングは当馬の項を参照。

母シャディーストリームは不出走馬。母としては本馬の半弟プレダトリープライサー(父ストリートクライ)【JJリストンS(豪GⅡ)・グローミングS(豪GⅢ)】も産んでおり、なかなか優秀な成績を収めている。ちなみにプレダトリープライサーはジャニアック氏の所有馬ではないので悪しからず。母系にはライトニングS(豪GⅠ)などを勝ったスポーツなどの名前も見られるが、それほど優れた牝系ではない。→牝系:F11号族②

母父アークレジェンドはヴァイスリージェント産駒で、現役時代は加国で走り14戦5勝、ヴァンダルS・シェパートンS・ヴィクトリアSを勝っている。種牡馬としては豪州で供用され、成績は競走馬時代と同様に並といったところだった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はジャニアック氏の元で余生を過ごす事になった。引退の翌年2010年の9月にジャニアック氏が現役復帰を検討している旨を発表したが、膝関節が摩耗していて走れる状態では無いことが判明したために、翌10月に復帰は撤回された。2012年には豪州競馬の殿堂入りを果たした。その後はジャニアック氏の庇護の下、ニューサウスウェールズ州ローレンスにある牧場で静かに暮らしていたが、2015年6月20日にパドック内の事故で脚に致命的な負傷を負い、15歳で安楽死の措置が執られた。

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