ビッグゲーム

和名:ビッグゲーム

英名:Big Game

1939年生

鹿毛

父:バーラム

母:ミロベラ

母父:テトラテーマ

時の英国王ジョージⅥ世の持ち馬として7戦無敗で英2000ギニーを制し種牡馬としても一定の成功を収める

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績9戦8勝

誕生からデビュー前まで

英国ナショナルスタッドの生産馬で、成長すると体高16.1ハンドになった大柄な馬だった。時の英国王ジョージⅥ世にリースされて国王の所有馬となり、名伯楽フレッド・ダーリン調教師に鍛えられた。主戦は時の英国競馬界の誇る大騎手ゴードン・リチャーズ騎手が務めた。本馬の現役当時は第二次世界大戦の最中であり、ニューマーケット競馬場やニューベリー競馬場を除く英国の主要競馬場は安全上の理由などで全て閉鎖されていた。ニューマーケット競馬場以外ではウィルトシャー州にあるソールズベリー競馬場という比較的ローカルな競馬場も開催されており、本馬のデビューの地もそこだった。

競走生活(2歳時)

2歳4月のハーストボーンS(T5F)でリチャーズ騎手を鞍上にデビューし、出走20頭中の1番人気に応えてデビュー戦を勝利で飾った。翌5月にリチャーズ騎手が別の馬に蹴られて足を負傷したため本馬にしばらく騎乗できなくなり、その間はハリー・ラッグ騎手が代わりに騎乗した。ラッグ騎手を鞍上に本馬は前走と同コースのクランバーンS(T5F)に出走して楽勝。さらにソールズベリープレート(T5F)も難なく勝利した。

その後はニューマーケット競馬場に向かい、本来はアスコット競馬場で施行されるコヴェントリーS(T5F)に出走。単勝オッズ1.22倍という圧倒的な1番人気に応えて、後に好敵手となるワトリングストリートを5馬身差の2着に退けて完勝した。

その後は3か月間ほどレースに出ず、9月の英シャンペンS(T6F)で復帰した。このレースも本来はドンカスター競馬場で施行されるのだが、この年はニューベリー競馬場で行われた。今回も本馬はワトリングストリートを2着に破って勝利したが、着差は短頭差しかなく、初の距離6ハロンのレースだったことから、スタミナ面における不安を指摘する声も上がった。それでも2歳時は5戦全勝の成績で、2歳フリーハンデでは132ポンドの評価を受け、本馬とは生産牧場・馬主・調教師が全て同じだった名牝サンチャリオットの133ポンドに次ぐ2位にランクされた。

競走生活(3歳時)

3歳時はソールズベリーS(T7F)から始動して、1分29秒6のコースレコードで勝利を収めた。

そして迎えた英2000ギニー(T8F)では、単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された。怪我から回復したリチャーズ騎手を鞍上に迎えた本馬は逃げ馬を見る形で先行し、ゴール前で楽々と抜け出すと、2着ワトリングストリートに4馬身差、3着ゴールドニブにはさらに2馬身差をつけて優勝し、7戦無敗で英国クラシックホースとなった。時の英国王の所有馬が英2000ギニーを制したのは、ジョージⅥ世の祖父エドワードⅦ世の所有馬だった1909年のミノル以来の快挙だったが、戦時中という影響もあったのか、肝心のジョージⅥ世は競馬場に姿を見せていなかった。

その後は第二次世界大戦の影響でニューマーケット競馬場における英ダービーの代替開催となったニューダービー(T12F)に出走。距離不安が囁かれていたが、1918年の勝ち馬ゲインズボロー(単勝オッズ1.62倍)以降では最少となる単勝オッズ1.67倍の1番人気の評価を受けた。この日はジョージⅥ世がエリザベス王妃とエリザベス王女(現在のエリザベスⅡ世女王陛下)を同伴して競馬場に姿を見せていた(ジョージⅥ世が競馬場に来たのは第二次世界大戦勃発後初めてだった)。レースでは鞍上のリチャーズ騎手も距離に不安を抱えていたようで、本馬を控えさせる作戦を採ったが、折り合いを欠いてしまい、直線でいったん先頭に立つも失速。かつて3度戦って全て破っていたワトリングストリート、翌年のコロネーションCを勝つハイペリデス、ミドルパークSでサンチャリオットの2着だったウッドコートS・ジュライSの勝ち馬で翌年にアスコット金杯を勝つウジジなどに屈して、ワトリングストリートの6着に敗退してしまった。本馬の敗戦の瞬間、ニューマーケット競馬場に詰め掛けた観衆は呆然としていたという。

秋は英セントレジャーの代替レースであるニューセントレジャーを回避(代わりに同厩のサンチャリオットが出走して勝利している)して、英チャンピオンS(T10F)に出走した。レースでは残り半マイルの時点で早くも先頭に踊り出ると、英オークスでサンチャリオットの2着・アスコット金杯でオーエンテューダーの2着だった後のジョッキークラブCの勝ち馬アフターソートを2着に、ニューダービーで3着だったウジジを3着に退けて勝利。このレースを最後に3歳時4戦3勝の成績で競走馬を引退した。

競走馬としての人気と評価

映画「英国王のスピーチ」を見た人なら想像できると思うが、第二次世界大戦当時のジョージⅥ世は英国民から平常時以上の敬意を受けていた。そんなジョージⅥ世の所有馬として活躍した本馬もまたサンチャリオット共々大変な人気馬であり、第二次世界大戦中において英国で走った競走馬の中では最も人気が高い馬の1頭とされ、本馬がレースに出る際には戦時中にも関わらず多くの観衆が詰めかけた。前述のとおり英2000ギニー優勝時にジョージⅥ世はニューマーケット競馬場に姿を見せていなかったが、それでもニューマーケット競馬場に詰め掛けた観衆は本馬に対して「ニューマーケット競馬場の歴史上においてかつて聞いたことが無いほど大きな」割れんばかりの拍手を送った。

もっとも単なる人気先行の馬というわけではなく、競走馬としてもかなり高い評価を現在でも受け続けている馬の1頭である。しかし仮に本馬がニューダービーを勝っていたら、英国牝馬三冠馬サンチャリオットと合わせて英国王の所有馬が同一年の英国クラシック競走を完全制覇していたことになり、その点では少し残念である(距離が不適だったのはほぼ確実だから誰にも責任は無いが)。

血統

Bahram Blandford Swynford John o'Gaunt Isinglass
La Fleche
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
Blanche White Eagle Gallinule
Merry Gal
Black Cherry Bendigo
Black Duchess
Friar's Daughter Friar Marcus Cicero Cyllene
Gas
Prim Nun Persimmon
Nunsuch
Garron Lass Roseland William the Third
Electric Rose
Concertina St. Simon
Comic Song
Myrobella Tetratema The Tetrarch Roi Herode Le Samaritain
Roxelane
Vahren Bona Vista
Castania
Scotch Gift Symington Ayrshire
Siphonia
Maund Tarporley
Ianthe
Dolabella White Eagle Gallinule Isonomy
Moorhen
Merry Gal Galopin
Mary Seaton
Gondolette Loved One See Saw
Pilgrimage
Dongola Doncaster
Douranee

バーラムは当馬の項を参照。

母ミロベラは現役成績15戦11勝。短距離戦で大活躍し、ナショナルブリーダーズプロデュースS・英シャンペンS・ジュライC・キングジョージS・ファーンヒルS・チャレンジSなどを勝ち、ナンソープSで2着、英1000ギニーで3着した一流競走馬だった。本馬の1歳年上の半兄シルヴァーファントム(父イーストン)は南アフリカで走り同国最大の競走ダーバンジュライを勝っている。

また、本馬の半姉ベルオブアスコット(父カメロニアン)の牝系子孫にはリナミックス【仏2000ギニー(仏GⅠ)】などが、本馬の半姉スノーベリー(父カメロニアン)【クイーンメアリーS】の子にはチャモセア【英セントレジャー】、孫にはホープフルヴェンチャー【サンクルー大賞】、曾孫にはスノーナイト【英ダービー(英GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)・加国際CSS(加GⅠ)】、日本で走ったアマノガワ【クモハタ記念・関屋記念・新潟記念】が、本馬の半妹クレタンベル (父ミューセ)の孫にはゼリンダ【アスタルテ賞】がいる。

ミロベラの半姉プリンセスチャーミング(父ファラリス)の子にはシャルフリート【キングススタンドプレート・ナンソープS・ジュライC】がいる。ミロベラの母ドラベラの全弟にはレットフライ【デューハーストS・英チャンピオンS】、半妹にはフェリー【英1000ギニー】、半弟にはサンソヴィーノ【英ダービー】がいる。そしてドラベラの半妹セレニシマの娘シリーンシックルファラモンドハイペリオンの母であり、その牝系子孫からは数々の活躍馬が出ているが、その詳細はシリーンの項を参照してほしい。→牝系:F6号族②

母父テトラテーマは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国エズラビースタッドで種牡馬入りした。初年度の種付け料は250ポンドに設定された。サンチャリオットとの間にも新国で種牡馬入りしたギガンティックをもうけている。種牡馬としての成績はまずまずで、1948年には英愛首位種牡馬(ネアルコに次ぐ2位とする資料もある)に、1961・62・66年には英セントレジャー馬ヘザーセットなどの活躍で英愛母父首位種牡馬になっている。1963年に腎不全のために24歳で他界した(没年を1964年とする資料もある)。後継種牡馬としてはコンバットがキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬アグレッサーを出した他、新国に輸出されたコラッサンが豪州の歴史的名馬タラックを出し、フォーティレイジも新国首位種牡馬となるなど何頭かが一定の成功を収めた。現在本馬の直系は途絶えているが、アグレッサーを母父に持つ独国の名馬アカテナンゴなどを通じて後世に血を伝えている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1944

Combat

サセックスS

1944

Miss Stripes

ジュライS

1944

Rule Britannia

モールコームS

1945

Great Fun

チェリーヒントンS

1945

Queenpot

英1000ギニー

1946

Faux Tirage

セントジェームズパレスS

1946

Makarpura

ニューS

1947

Khorassan

ディーS

1948

Crawley Beauty

モールコームS

1948

Gamble in Gold

ロウザーS

1949

Olympic

トレントンH

1950

Ambiguity

英オークス・ホワイトローズS・ジョッキークラブC

1951

Key

ナッソーS・コーク&オラリーS

1952

Brave Venture

モールコームS

1952

Bride Elect

クイーンメアリーS

1953

Kyak

パークヒルS

1955

Baba au Rhum

クインシー賞

1957

ビッグヨルカ

中山四歳S

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