ロードリオン

和名:ロードリオン

英名:Lord Lyon

1863年生

黒鹿

父:ストックウェル

母:パラダイム

母父:パラゴン

距離不安を抱えながらも能力の絶対値の違いで第3代英国三冠馬に輝いたが種牡馬としては各地を流浪する

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績21戦16勝2着4回3着1回(異説あり)

誕生からデビュー前まで

史上3頭目の英国三冠馬。英国ノーサンプトンシャー州オーカムの近郊にあるオークレーホールスタッドファームにおいて、マーク・ピアソン大佐により生産された。ピアソン大佐の競馬仲間ロバート・サットン氏にリースされ、ジェームズ・ドーヴァー調教師の管理馬となった。実際には、ピアソン大佐とサットン氏の共同所有馬だったようである。主戦はヘンリー・カスタンス騎手が務めた。

本馬は優れた骨格を有した好馬体の持ち主だったが、体高は15.3ハンドほどと小柄だった。特に脚首が小さく、繋の長さが通常の半分程度だったという。そのため、馬体こそバランスが取れていたが、カスタンス騎手によると、騎乗した際には不安定さを感じたそうで、特に各脚にかかる負担のバランスは取れていなかったようである。また、僅かではあるが喘鳴症の傾向があったようであるが、軽度だったため、少しの治療で改善された。気性は非常に従順で温厚であり、ドーヴァー師によると「私が管理した中で最も静かな馬」だったという。また、猫好きだったと伝えられており、実際に猫と一緒に描かれた絵が残されている。

競走生活(2歳時)

ピアソン大佐は、彼独自の競馬理論により、1歳時から所有馬に厳しい訓練を課する事でその馬の能力を測っていた。本馬も本格的な調教開始前に、17マイルという距離を雨の中延々と歩かされるという訓練を課されている。また、1歳9月にはステークス競走勝ちがあるイザベルという2歳牝馬との試走に出走した。本馬の斤量は115ポンド、イザベルは122ポンドに設定された、結果はイザベルが頭差で先着したが、この時期としてはまずまずの内容だった。

2歳4月には、ラスティック、ティンダー、アイアンクラッドという同世代の馬3頭と一緒に、6歳牝馬グリゼットとの試走に出走した。グリゼットの斤量は133ポンドで、他3頭は全て114ポンドに設定された。結果はラスティックがトップでゴールし、グリゼットが2位、本馬は3位だった。この試走を見たサットン氏は、ラスティックこそ将来の英ダービー馬候補だと判断した。しかし英国保守党所属の政治家だった第8代ビューフォート公爵ヘンリー・サマーセット卿から、5千ギニーという高額でラスティック購入の申し出があったため、ラスティックは売却されていった。後にラスティックは本馬の敵として再登場する事になる。

本馬はさらに2歳8月に2度に渡って距離6ハロンの試走に出走している。いずれのレースでも、グリゼットに加えて、ウッドコートSの勝ち馬で本馬の1歳年上の半姉でもあるガーデヴィシュアと一緒に走った。1度目の試走では、112ポンドの斤量だった本馬が馬なりのまま走り、130ポンドの斤量だったガーデヴィシュアに7馬身差、118ポンドの斤量だったグリゼットにはさらに2馬身差をつけて先着した。

それから2週間後に行われた2度目の試走では、本馬の斤量は122ポンド、ガーデヴィシュアは129ポンド、グリゼットは112ポンドに設定された。ガーデヴィシュアに騎乗した調教助手は今回、本気で本馬を負かしに行ったようで、スタートから全速力でガーデヴィシュアを走らせた。しかしやはり馬なりのまま走った本馬が最後はガーデヴィシュアに3馬身差をつけて先着した。この段階に至ってようやく陣営は本馬の素質を評価するようになった。

最後の試走から数週間後、本馬は9月にドンカスター競馬場で行われた英シャンペンS(T8F)で公式戦デビューを果たした。このレースではレダンという馬と1着同着だったが、ここで本馬に敗れた馬の中には、後に英ダービー馬キシュベルと英セントレジャー馬ウェンロックの母となるミネラルもいた。なお、このレースの後にレダンとの決勝戦が行われたが、本馬陣営が不出走を表明したためレダンが単走で走って正式な勝者となり、本馬はこのレースの正式な勝者となる事は出来なかった。本馬は英シャンペンSの前日に酷い咳の症状が出ており、それが無ければ同着ではなく勝っていたと陣営は主張したが、それが事実ならレースに出すなと筆者は言いたい。

10月にはニューマーケット競馬場に向かい、ミネラルとの200ギニーマッチレースに出て勝利した。同月にはやはりニューマーケット競馬場でトロイS(T7F)に出走して、2着ミスターピットに3/4馬身差で勝利した。同月には同じくニューマーケット競馬場で行われたクリテリオンS(T7F)に出走して、2着ヤングモナルクに2馬身差をつけて勝利した。2歳時の成績は4戦3勝(同着だった英シャンペンSを勝利したとして4戦4勝とする資料が多いが、本項では英シャンペンSは2着だったとして扱う)で、かつて本馬と一緒に試走を走ったラスティックなどと共に英ダービーの有力候補として挙げられた。しかし本馬に対する距離不安説はこの時期から囁かれていたようである。

競走生活(3歳時)

3歳時は英2000ギニー(T8F17Y)から始動したが、カスタンス騎手が鎖骨を骨折したため本馬に騎乗できず、急遽ドーヴァー厩舎の厩務員をしていたR・トマス氏という人物が本馬の鞍上に据えられた。それでも単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された本馬は、トマス騎手が上手に乗った事もあり、2着モナルクオブザグレンに1馬身差をつけて優勝した。

次走の英ダービー(T12F)では、かつての同厩馬ラスティック、レダン、プルータス、ラネレット、グレードエボアHの勝ち馬ウエストウィック、後のシティ&サバーバンHの勝ち馬アバージェルディ、後のグレートヨークシャーS・グレートノーザンHの勝ち馬ストラスコナンといった実力馬達25頭が対戦相手となったが、カスタンス騎手が鞍上に復帰した本馬が単勝オッズ1.83倍の1番人気に支持された。スタートで何度かフライングがあり、30分遅れでレースが始まった。本馬は道中で好位につけ、最後の直線でレダンをかわして先頭に立ったところに、サーバーナイクという馬(正確には当時は名前が付けられておらず、後にサーバーナイクと命名されている)にインコースから並びかけられた。しかしぎりぎりまで仕掛けを我慢していたカスタンス騎手がゴーサインを出すとサーバーナイクを競り落とし、最後はサーバーナイクを頭差の2着に、ラスティックをさらに3馬身差の3着に下して優勝した。この英ダービーの上位3頭はいずれもストックウェル産駒だった。

次走はプリンスオブウェールズS(T13F)となったが、129ポンドのトップハンデに加えて、アスコット競馬場特有の急勾配の上り下りが、脚首が小さく非力な本馬には堪えたのか、4ポンド(資料によっては6ポンドとなっている)のハンデを与えたラスティックに後れを取って半馬身差の2着に敗れた。

その後は秋のセントレジャー(T14F132Y)に出走し、単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された(資料によっては単勝オッズ5.5倍の1番人気となっている)。最大の強敵は、英ダービーで本馬の頭差2着だったサーバーナイクだった。サーバーナイクの所有者だった第2代アイレスベリー公爵ジョージ・ブルードネル・ブルース卿は、英ダービーでサーバーナイクに騎乗していたT・フレンチ騎手が仕掛けを早まったのが英ダービーの敗因であるとして、鞍上をトム・チャロナー騎手に交代させて、万全の状態でサーバーナイクをこのレースに臨ませていた。レースは直線で先に先頭に立ったカスタンス騎手騎乗の本馬と、それに並びかけたチャロナー騎手騎乗のサーバーナイクの一騎打ちとなった。いったんはサーバーナイクが前に出る場面もあったが、本馬が差し返して、2頭が殆ど並んでゴールインした。2頭に乗っていた両騎手もどちらが勝ったか判断できないほどの大接戦だったが、やがて本馬の勝利が告げられた。着差は短頭差で、まさしく首の上げ下げによる結果であった。このレースは英セントレジャー史上でも有数の名勝負として知られている。2頭から4馬身差の3着には、英2000ギニーで本馬の3着だったナイトオブザクレセントが入った。この勝利により、本馬は1853年のウエストオーストラリアン、前年のグラディアトゥールに次ぐ2年連続史上3頭目の英国三冠馬となった。ただし、ウエストオーストラリアンやグラディアトゥールの項にも記載したとおり、「三冠」という用語が一般的に使用され始めたのは1870年代になってからであるから、英セントレジャーを勝った本馬がすぐさま「英国三冠馬」と呼称されたわけではない。

この2日後にはドンカスターC(T20F)に出走したが、距離的な問題に加えて激戦の疲労が抜け切っていなかったようで、同世代のグッドウッドSの勝ち馬ラマに8馬身差をつけられ、前年のドンカスターCの勝ち馬アックワースとの2着争いにも敗れて3着に終わった(アックワースを抑えて本馬が2着になったとする資料もある)。続いてニューマーケット競馬場に向かい、グランドデュークマイケルSに出走した。ここでは馬なりのまま走り、2着ナイトオブザクレセントに6馬身差をつけて圧勝した。引き続きニューマーケット競馬場でセレクトSに出走して、2ポンドのハンデを与えたグレートヨークシャーSの勝ち馬ストラスコナン、さらに大きなハンデを与えたミスターピットを一蹴して勝利した。引き続きニューマーケット競馬場で出走したクリテリオンS(T7F)では、26ポンドのハンデを与えた2歳馬フリポニアの2着に敗れたが、3着だった本馬と同斤量のラスティックには先着した。次走はラスティックとの1000ソヴリンマッチレースとなった。2頭の斤量は同じであり、実力がそのまま結果に現れる状況となり、本馬が20馬身差で圧勝した。3歳時の成績は9戦6勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時も現役を続け、3月のノーサンプトンスウィープSから始動して、2着モールシー以下に「これ以上無い容易さで」勝利した。さらに、100ポンドニューマーケットプレート・クレイヴンSと連勝街道を邁進。アスコット競馬場で出走した590ポンドバイエニアルSでは140ポンドの斤量を背負いながらも、2着ワイルドムーアに12馬身差で圧勝した。さらにストックブリッジC(T6F)なども勝ってこの年7連勝を記録したが、距離2マイルのリンカーンクイーンズプレートでは、3着だった1歳年上の同父の英オークス馬レガリア(英セントレジャー・アスコット金杯でいずれもグラディアトゥールの2着だった)には先着したものの、ラマに頭差敗れて2着に終わった。このレースを最後に4歳時8戦7勝の成績で競走馬を引退し、サットン氏とのリース契約満了により、ピアソン大佐の単独所有馬に戻った。

本馬の主戦を務めたカスタンス騎手は、本馬は決して長距離馬ではないと述べている。実際に長距離戦における勝率はあまり良くなく、勝利した英セントレジャーでもかなり苦戦している。ただし長距離戦でも概ね好走はしており、長距離馬ではないにしても、ある程度の距離克服は出来る能力と気性の持ち主だったようである。

血統

Stockwell The Baron Birdcatcher Sir Hercules Whalebone
Peri
Guiccioli Bob Booty
Flight
Echidna Economist Whisker
Floranthe
Miss Pratt Blacklock
Gadabout
Pocahontas Glencoe Sultan Selim
Bacchante
Trampoline Tramp
Web
Marpessa Muley Orville
Eleanor
Clare Marmion
Harpalice
Paradigm Paragone Touchstone Camel Whalebone
Selim Mare
Banter Master Henry
Boadicea
Hoyden Tomboy Jerry
Ardrossan Mare
Rocbana Velocipede
Miss Garforth
Ellen Horne Redshank Sandbeck Catton
Orvillina
Johanna Selim
Skyscraper Mare
Delhi Plenipotentiary Emilius
Harriet
Pawn Junior Waxy
Pawn

ストックウェルは当馬の項を参照。

母パラダイムは2歳時のみ走って2戦未勝利だったが、デビュー戦では後の英2000ギニー馬ロードオブジアイルズの頭差2着に入っている。2戦目のラベンダーSで着外に敗れた後に故障のため引退。パラダイムの母エレンホーンはピアソン大佐が元々妻の乗馬用に18ギニーで購入してきた馬で、パラダイム自身も競走馬引退後、繁殖入りする前には乗馬として使役されていた時期があったようである。パラダイムは繁殖牝馬としては13頭の産駒を産み、本馬の半兄ブルーマントル(父キングストン)【ニューS】、本馬がデビュー前試走で対戦した1歳年上の半姉ガーデヴィシュア(父ヴェデット)【ウッドコートS】、本馬の1歳年下の全妹アチーヴメント【英1000ギニー・英セントレジャー・ドンカスターC・ニューS・ジュライS・シャンペンS・コロネーションS】と活躍馬を続出させた。パラダイム産駒の多くが勝ち上がっているが、その大半は仕上がり早い短距離馬であり、本馬やアチーヴメントも本質的には同タイプで、能力の絶対値が違っていたから長距離戦でも好走できたと考えられる。

パラダイムは牝系子孫もかなり発展させている。本馬の半姉パノプリー(父キングストン)の子にはページェント【ドンカスターC】が、ガーデヴィシュアの子にはヴォワレット【ダリュー賞・ヴァントー賞・モートリー賞】、シミエール【ナボブ賞(現ノアイユ賞)】が、本馬の全妹シェヴィソーンスの子にはジャネット【英オークス・英セントレジャー・リッチモンドS・ヨークシャーオークス・パークヒルS・英チャンピオンS・ジョッキークラブC】、マリエル【ナッソーS】、牝系子孫にはクラポム【凱旋門賞・伊2000ギニー・ミラノ大賞】、ステージハンド【サンタアニタH・サンタアニタダービー】、ビルクハーン【独ダービー】、日本で走ったルピナス【優駿牝馬】などが、全妹コーニソースの牝系子孫にはプライマシー【ニューマーケットH(豪GⅠ)・ニッサンS(豪GⅠ)・CFオーアS(豪GⅠ)・豪フューチュリティS(豪GⅠ)】などがいる。

また、本馬の半妹パラフィン(父ブレアアソール)の牝系子孫からは膨大な数の活躍馬が出ている。かなり端折って列挙すると、パラフィンの孫にラダス【英2000ギニー・英ダービー・ミドルパークS】、チェランドリー【英1000ギニー】、曾孫にキケロ【英ダービー】、フレア【英1000ギニー・ミドルパークS】、ニールガウ【英2000ギニー・エクリプスS】、玄孫世代以降に日本競馬黎明期の大種牡馬ガロン、プリンスパラタイン【英セントレジャー・アスコット金杯2回・エクリプスS・コロネーションC】、ヒロイック【豪シャンペンS・アスコットヴェイルS・コーフィールドギニー・AJCダービー・コーフィールドS・ニューマーケットH・アンダーウッドS・コックスプレート・ウィリアムレイドS】、ソーシースー【英1000ギニー・英オークス】、ガラテア【英1000ギニー・英オークス】、フライト【コックスプレート2回・豪シャンペンS・AJCオークス・AJCプレート・マッキノンS】、オーシャンスウェル【英ダービー・アスコット金杯】、ムシドラ【英1000ギニー・英オークス】、ネヴァーセイダイ【英ダービー・英セントレジャー】、トミーリー【ケンタッキーダービー・デルマーフューチュリティ・ブルーグラスS】、スカイハイ【豪シャンペンS・ゴールデンスリッパー・ヴィクトリアダービー・豪フューチュリティS・オールエイジドS・コーフィールドS2回・エプソムH・マッキノンS・ローソンS2回・チッピングノートンS】、ハワイ【ベノニギニー・ケープギニー・SAギニー・ユナイテッドネーションズH・マンノウォーS】、マスターダービー【プリークネスS(米GⅠ)・ブルーグラスS(米GⅠ)】、アホヌーラシャーリーハイツ【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)】、ジェニュインリスク【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)】、サンプリンセス【英オークス(英GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)・英セントレジャー(英GⅠ)】、スウェイル【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・ベルモントS(米GⅠ)・ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・ヤングアメリカS(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)】、シャディード【英2000ギニー(英GⅠ)】、ラヴィネラ【英1000ギニー(英GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)】、フォーティナイナー【ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・ハスケル招待H(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】、ブラッシングジョン【仏2000ギニー(仏GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)】、エルプラド【愛ナショナルS(愛GⅠ)】、スナージ【英セントレジャー(英GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・ロスマンズ国際S(加GⅠ)】、アナバー【ジュライC(英GⅠ)・モーリスドギース賞(仏GⅠ)】、マライアズモン【ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)】、スターオブコジーン【アーリントンミリオンS(米GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)】、アルファベットスープ【BCクラシック(米GⅠ)】、ペンタイア【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】、シャーミット【英ダービー(英GⅠ)】、シリック【BCマイル(米GⅠ)・シューメーカーマイルS(米GⅠ)】、ウィズアンティシペーション【ソードダンサー招待H(米GⅠ)2回・マンノウォーS(米GⅠ)2回・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)】、アゼリ【BCディスタフ(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・アップルブロッサムH(米GⅠ)3回・ミレイディH(米GⅠ)2回・ヴァニティH(米GⅠ)2回・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】、ストリートクライ【ドバイワールドC(首GⅠ)・スティーヴンフォスターH(米GⅠ)】、ハイシャパラル【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・BCターフ(米GⅠ)2回・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】、ベタートークナウ【BCターフ(米GⅠ)・ソードダンサー招待H(米GⅠ)・ユナイテッドネーションズS(米GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)】、ミッドダンサー【パリ大障害(仏GⅠ)3回・仏チャンピオンハードル(仏GⅠ)・ラエジュスラン賞(仏GⅠ)】、イェーツ【アスコット金杯(英GⅠ)4回・コロネーションC(英GⅠ)・愛セントレジャー(愛GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】、シャマルダル【仏2000ギニー(仏GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)】、ハリケーンラン【凱旋門賞(仏GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・タタソールズ金杯(愛GⅠ)】、ディヴァインプロポーションズ【仏1000ギニー(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)・モルニ賞(仏GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)・アスタルテ賞(仏GⅠ)】、ヴェンチュラ【BCフィリー&メアスプリント・ジャストアゲームH(米GⅠ)・サンタモニカH(米GⅠ)・ウッドバインマイル(加GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)】、コンデュイット【BCターフ(米GⅠ)2回・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・英セントレジャー(英GⅠ)】、インフォームドディシジョン【BCフィリー&メアスプリント(米GⅠ)・ヴァイネリーマディソンS(米GⅠ)・ヒューマナディスタフS(米GⅠ)】、ゲームオンデュード【サンタアニタH(米GⅠ)3回・グッドウッドS(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)2回・オーサムアゲインS(米GⅠ)・パシフィッククラシックS(米GⅠ)】、日本で走ったソールレディ【中山四歳牝馬特別(現桜花賞)】、ツキカワ【桜花賞】、ミスマルサ【優駿牝馬】、アサホコ【天皇賞春】、ディアマンテ【エリザベス女王杯】、アグネスレディー【優駿牝馬】、スーパークリーク【菊花賞(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)・天皇賞春(GⅠ)】、アグネスフローラ【桜花賞(GⅠ)】、ヤマニンゼファー【安田記念(GⅠ)2回・天皇賞秋(GⅠ)】、フラワーパーク【高松宮杯(GⅠ)・スプリンターズS(GⅠ)】、フサイチコンコルド【東京優駿(GⅠ)】、サニーブライアン【皐月賞(GⅠ)・東京優駿(GⅠ)】、アグネスフライト【東京優駿(GⅠ)】、アグネスタキオン【皐月賞(GⅠ)】、レディパステル【優駿牝馬(GⅠ)】、ネオユニヴァース【皐月賞(GⅠ)・東京優駿(GⅠ)】、ヴィクトリー【皐月賞(GⅠ)】、アンライバルド【皐月賞(GⅠ)】、エイシンアポロン【マイルCS(GⅠ)】、エリンコート【優駿牝馬(GⅠ)】、オーブルチェフ【全日本2歳優駿(GⅠ)】、マカヒキ【東京優駿(GⅠ)】等々・・・が出ている。

また、パラダイムの半妹ローグローズ(父トーマンバイ)は公式には英ダービー馬ベンドアの母とされている。実際には違う可能性があるのはベンドアの項で触れたとおりだが、仮にローグローズがベンドアの母で無かったとしても、ローグローズの牝系子孫からはベンドアの項に記載したとおりにやはり膨大な数の活躍馬が出ているわけであり、乗馬用に買われてきたエレンホーンは結果的には非常に優秀な牝系の祖になった事になる。→牝系:F1号族④

母父パラゴンはタッチストン産駒で、複数のマッチレース勝利の他に5勝を挙げているが、種牡馬としては競走馬よりも狩猟用の馬の生産のために使役されており、種付け料3ギニーの無名種牡馬だった。後に独国に輸出され、3頭の独オークス馬を出している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はピアソン大佐所有のまま、英国ダーラム州にあったニーシャムホールスタッドで種牡馬入りした。初年度は45頭の繁殖牝馬を集めるなど、当初から人気種牡馬だった。しかしニーシャムホールスタッドの所有者ジェームズ・クックソン氏は種牡馬に見切りをつけるのが早い人物(英国クラシック競走3.5勝馬フォーモサや英ダービー馬キシュベルの父バッカニアも初年度産駒デビュー前に売却している)で、本馬は初年度産駒がデビューもしていない7歳時の繁殖シーズン終了後に、ニーシャムホールスタッドから放出された。

バッカニアの場合は売却後に産駒が活躍したため、クックソン氏の判断は早計だったと言われたが、本馬の場合はクックソン氏の判断は正しかったといわれた。即ち、本馬の当初の産駒は活躍せず、その大半は売却競走出走レベルに留まってしまったのである。本馬の産駒は脚部不安を抱えた子が多く、さらには基本的にマイル戦でも距離が長いという傾向があったのが、短距離戦未整備の当時には合わなかったのが種牡馬としての不成功の要因だったようである。

8歳時からハンプシャー州ハーストボーンパークスタッドで種牡馬生活を続けた本馬は、その後に産駒唯一の英国クラシック競走優勝馬となった1877年の英オークス馬プラシダを出した。そのプラシダと同世代の快速牝馬トゥチェットなどの活躍もあり、1876年には英種牡馬ランキングで4位、翌1877年には5位にランクインした。本馬の種付け料は種牡馬入り当初から30ギニーだったが、1874年には50ギニーに値上げされた。しかしこの値上げはプラシダが活躍する前だったため、かえって本馬の種牡馬人気を下げる結果になった。本馬は英種牡馬ランキングで上位に入った2年間はエドムント・タタソール氏のオールドオークスタッドで種牡馬供用されていたが、この時期は本馬に繁殖牝馬を集めるために種付け料は25ギニーに値下げされており、1877年には予約満杯に近い状態だったようである。

1878年にはムーアランズスタッドで供用され、翌1879年には後に英国首相を務める第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズ卿に4500ポンドで購入され(1876年には既にプリムローズ卿に購入されていたとする資料もある)、彼の新妻だったハンナ夫人が父親のメイヤー・アムシェル・ド・ロスチャイルド男爵から受け継いだメントモア&クラフトンスタッドで供用された。

しかし1880年には早くも売却され、ジョン・ウィントリンガム氏がヨークシャー州に所有するクロフトスタッドに移り住んだ。この時期、脚首が小さいため常に脚に負担がかかっていた本馬は、脚の病気に悩まされており、ウィントリンガム氏が購入しなければ安楽死も検討されていたようである。このクロフトスタッドにおいて本馬は交配数を制限しながらも、種付け料21ギニーで種牡馬生活を続けた。そしてクロフトスタッド供用時代の産駒から、本馬の最高傑作と言われるミンティングが登場した。ミンティングは英シャンペンS・ミドルパークプレート・パリ大賞・ハードウィックSを勝ち、無敗の英国三冠馬オーモンドの強敵として知られている。しかしやがて遂に立つ事も出来ない状態となった本馬は、ミンティングが活躍する最中の1887年4月にクロフトスタッドにおいて24歳で安楽死の措置が執られた。

本馬の後継種牡馬としてはミンティングが一定の成功を収め、ジュライCの勝ち馬アグリー、ジュライCとキングズスタンドSをいずれも2連覇したスパニッシュプリンスとサイアーラインが伸びたが、その後途絶えている。ミンティングも含めて本馬の後継種牡馬は本馬同様に脚部不安で早世する子が多く、サイアーラインを伸ばす事が出来た産駒はミンティング以外にいなかった。繁殖牝馬の父としては1891年の英1000ギニー・英オークス馬ミミを出している。また、本馬は叔母であるローグローズの間に何頭かの牝駒を残しており、その中の1頭レッドラグの牝系子孫からはムトトデザートキングハービンジャーフランケルなどの実力馬が登場しており、現在でも本馬の血の影響力を保っている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1874

Placida

英オークス

1883

Minting

パリ大賞・ミドルパークS・英シャンペンS・ハードウィックS

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