ダンテ

和名:ダンテ

英名:Dante

1942年生

黒鹿

父:ネアルコ

母:ロージィレジェンド

母父:ダークレジェンド

英国ノースヨークシャー州の辺境の町ミドルハムから登場した第二次世界大戦終戦年における英国最強3歳馬

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績9戦8勝2着1回

誕生からデビュー前まで

英国イングランド北部のノースヨークシャー州ミドルハムにあるマナーハウススタッドにおいて、エリック・オールソン卿により生産された。母ロージィレジェンドは仏国で4勝を挙げており、本馬の2歳年上の半兄ハロウェーもホワイトローズSを勝ってステークスウイナーとなる活躍を見せていた。それにも関わらず本馬自身の幼少期の評価は極めて低く、1歳時のニューマーケットセールでは最低競売価格でも買い手がつかずに主取りになるほどだった。仕方なく生産者のオールソン卿自身が所有者となったが、彼もまた本馬の事を殆ど評価しておらず、英国におけるトップ調教師の多くが厩舎を構えていたイングランド南部ではなく、地元ミドルハムで厩舎を構えていたマシュー・ピーコック調教師に預けた。

競走生活(2歳時)

本馬がデビューしたのは地元にあるストックトン競馬場というローカル競馬場だった。デビュー戦のカールトンS(T5F)では、3馬身差の完勝を収めた。2戦目のリンソープS(T5F)も馬なりのまま走り、4馬身差で圧勝した。3戦目のタントンスウィープSではさらに着差を広げて、2着ラングトンアボット(後にリンカンシャーHを勝ちクイーンアンSでロイヤルチャージャーの2着している)に6馬身差をつけて圧勝した。

6月にはイングランド南部に遠征して、ニューマーケット競馬場で行われたコヴェントリーS(T6F)に出走した。これは本来アスコット競馬場で行われるレースだが、この当時は第二次世界大戦中のためにアスコット競馬場が使用できず代替開催だった。そしてここでも2着フォーダムに4馬身差をつけて楽勝した。

いったん地元ストックトン競馬場に戻った本馬は、僅か2頭立てとなったラムトンスウィープSを6馬身差で勝利した。そして再度ニューマーケット競馬場に移動して出走したシーズン最終戦のミドルパークS(T6F)も、2着サンストーム(後に豪州で種牡馬として活躍する)に2馬身差をつけて完勝。2歳時6戦全勝の完璧な成績で、2歳フリーハンデではトップとなる133ポンドを獲得した(なお、132ポンドで2位だったのがコートマーシャル)。既にこの時期には、イングランド北部のアイドルホースとしての地位を確立していた。

競走生活(3歳時)

3歳時は地元ストックトン競馬場で行われたローズベリーS(T8F)から始動した。ストックトン競馬場には凄まじいまでの大観衆が詰め掛けていた。そして単勝オッズ1.1倍という断然の1番人気に支持された本馬はその期待に応えて、2着ゲークウォーズプライド(この馬も後に豪州で種牡馬として活躍する)に4馬身差をつけて快勝。4年前にオーエンテューダーで、前年にはオーシャンスウェルで英ダービーを制していた鞍上のウィリアム・ネヴェット騎手は「私が今まで乗った中でも最高級の馬です」と賞賛した。

ローズベリーSの勝ち方から、英2000ギニーに向けて何の障害もないように見受けられた。ところが好事魔多し。本番2日前の調教中、僚馬が蹴った小石が本馬の右目を直撃して負傷してしまった。後に本馬はこの時の傷が原因で失明してしまうほどの怪我だった。それでも出走した英2000ギニー(T8F)では単勝オッズ2倍の1番人気に支持されたが、目の負傷が走りに微妙な影響を及ぼしたのか、先に抜け出した単勝オッズ7.5倍の2番人気馬コートマーシャルに首差届かず2着に敗れてしまった(本馬から2馬身差の3着がロイヤルチャージャーだった)。このレース直後の5月8日に独国の降伏により第二次世界大戦は欧州では終結した。

それから1か月後の6月9日に、戦後初の英ダービー(T12F)がニューマーケット競馬場において開催された。戦争終結に胸を撫で下ろした3万人の観衆がニューマーケット競馬場に詰め掛け、英国王ジョージⅥ世とエリザベス王妃も姿を見せた。専門医による治療を受けたために目の負傷が一応回復していた本馬も参戦した。対戦相手は、コートマーシャル、ハイペリオン産駒の期待馬ハイピーク、同じくハイペリオン産駒のニューマーケットSの勝ち馬ミダス、サンストーム、チャモセアなどだった。前走敗戦とは言え、デビュー以来8戦7勝2着1回の本馬は、単勝オッズ4.33倍で25頭立て1番人気の支持を受けた。スタートからリオラルゴが先頭を引っ張り、サンストームが2番手、ネヴェット騎手が騎乗する本馬は馬群の中団好位を無理なく追走した。そして残り2ハロン地点でミダスを外側からかわして先頭に立つとそのまま押し切り、2着ミダスに2馬身差、3着コートマーシャルにはさらに頭差をつけて完勝した。勝ちタイム2分26秒6はニューマーケット競馬場で行われた英ダービーのレースレコードとなった。これはエプソム競馬場で行われた英ダービーにおける当時のレースレコード2分33秒8(1936年にマームードが計時)より断然速いだけでなく、2015年現在のレースレコード2分31秒33(2010年にワークフォースが計時)より4秒以上も速い。コース形態の違いなどから、エプソム競馬場よりもニューマーケット競馬場のほうが速いタイムが出易いのだが、ニューマーケット競馬場で行われた英ダービーにおける2番目に速いタイム2分29秒6(1942年にワトリングストリートが計時)より3秒も速いことからして、本馬の勝ちタイムは極めて優秀であると言える。なお、イングランド北部で調教を受けた馬が英ダービーを制したのは、1869年のプリテンダー以来76年ぶりの快挙であり、そして本馬以降には1頭も登場していない。そのためこの勝利はイングランド北部の人々にとっては「空前の歓喜」であり、地元ミドルハムでは教会の鐘を鳴らして盛大に祝ったという話はよく知られている。

その後は英セントレジャーを目指していたが、目の負傷が悪化した上に脚部不安まで発症してしまったため、ピーコック師は8月になって英セントレジャーの回避を表明。そのまま3歳時3戦2勝の成績で競走馬を引退した。本馬不在の英セントレジャーは、英ダービー4着馬チャモセアが制している。

英ダービーが最後のレースとなり、古馬相手に走る機会も無かった本馬だが、英国競馬界においてその競走能力は高く評価されており、英タイムフォーム社の創設者フィル・ブル氏は「今世紀で最良の馬の1頭」とまで評している。地元ノースヨークシャー州にあるヨーク競馬場では、後の1958年に本馬を記念したダンテSが創設されている。ダンテSは英ダービーの最重要ステップレースの1つであり、ここを叩いて本番を制した馬は数多い。馬名は『新曲』の作者として世界的に知られる中世伊国の詩人ダンテ・アルギエリに因むとされている。

血統

Nearco Pharos Phalaris Polymelus Cyllene
Maid Marian
Bromus Sainfoin
Cheery
Scapa Flow Chaucer St. Simon
Canterbury Pilgrim
Anchora Love Wisely
Eryholme
Nogara Havresac Rabelais St. Simon
Satirical
Hors Concours Ajax
Simona
Catnip Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Sibola The Sailor Prince
Saluda
Rosy Legend Dark Legend Dark Ronald Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Darkie Thurio
Insignia
Golden Legend Amphion Rosebery
Suicide
St. Lucre St. Serf
Fairy Gold
Rosy Cheeks Saint Just St. Frusquin St. Simon
Isabel
Justitia Le Sancy
The Frisky Matron
Purity Gallinule Isonomy
Moorhen
Sanctimony St. Serf
Golden Iris

ネアルコは当馬の項を参照。

母ロージィレジェンドは、後にタンティエームなどを生産する仏国の名馬産家フランソワ・デュプレ氏が所有していたウイイー牧場の生産馬で、デュプレ氏に馬主としての初勝利をもたらした牝馬ロージィチークスの娘である。競走馬としては仏国で走り、長距離戦を中心に4勝をマークしている。繁殖入りした4歳時に英国に輸入され、英国の海運業者だった初代ファーネス子爵マーマデューク・ファーネス卿の元で繁殖生活を送った。1940年10月にファーネス卿が死去すると翌年にセリに出され、オールソン卿により3500ギニーで購入された。この際にロージィレジェンドのお腹にいたのが本馬である。

ロージィレジェンドはかなり優れた繁殖牝馬であり、日本に種牡馬として輸入されて優駿牝馬・有馬記念の勝ち馬スターロッチや東京優駿の勝ち馬タニノハローモアなどを出した本馬の半兄ハロウェー(父フェアウェイ)【ホワイトローズS】、全弟サヤジラオ【愛ダービー・英セントレジャー・リングフィールドダービートライアルS・ハードウィックS】などを産んでいる。本馬の半妹オーシャンロア(父ブルーピーター)の牝系子孫には、日本に繁殖牝馬として輸入されたミスベルベール【アスタルテ賞(仏GⅡ)】とその息子であるサトノアポロ【中日新聞杯(GⅢ)】がいる。また、本馬の半妹ローズィドリー(父ボワルセル)も本邦輸入繁殖牝馬であり、孫にトラックスペア【ミドルパークS・セントジェームズパレスS】、ヒカリファミリー【阪神障害S春】、曾孫にスリーパレード【みちのく大賞典2回・北上川大賞典2回・桐花賞2回・東北サラブレッド大賞典】、パッシングベンチャ【京都大賞典】、玄孫世代以降にザカリヤ【ニュージーランドトロフィー四歳S(GⅡ)】などがいる。

ロージィレジェンドの半妹ダブルローズ(父ファロス)の子にはデイリーメール【キングジョージS】がいる。ロージィレジェンドの5代母ガルデニアは名馬レヨンドール【英セントレジャー・英チャンピオンS・カドラン賞・セントジェームズS・サセックスS】の半姉であり、ガルデニアの祖母は大繁殖牝馬ポカホンタスである。→牝系:F3号族②

母父ダークレジェンドはダークロナルドの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、地元ノースヨークシャー州シークストンスタッドで種牡馬入りしたが、先に記したとおり英2000ギニー直前の負傷が原因で、種牡馬入り後間もなくして完全に失明してしまった(「完全に」失明と書かれているため、負傷した右目だけでなく左目も失明したようである)。しかし盲目になった後も種牡馬生活を続け、活躍馬も輩出した。1956年に心不全のため14歳で他界した。

牡駒よりも牝駒に活躍馬が偏る傾向があり、それは後継種牡馬ダライアスも同様だった。しかしダライアスの直子デリングドゥーが種牡馬の父として活躍し、欧州ではハイトップとドミニオン、日本ではハンターコムがその後継種牡馬として活躍した。ハンターコムは皐月賞馬ダイナコスモスを出し、ダイナコスモスからはマイル戦無敗のトロットサンダーが出たが、その後が続かずに日本における直系はほぼ完全に滅亡した。欧州ではまだ何とか残っているが、風前の灯に近い状態である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1947

Diableretta

クイーンメアリーS・ジュライS・チェリーヒントンS・モールコームS

1947

Val d'Assa

チャイルドS・ロイヤルハントC

1948

Chinese Cracker

リブルスデールS

1950

Toulouse Lautrec

イタリア大賞・ミラノ大賞

1951

Darius

英2000ギニー・エクリプスS・ジュライS・英シャンペンS・セントジェームズパレスS

1951

Landau

サセックスS

1951

Prudence

エクリプス賞

1953

Dacian

デューハーストS・ゴードンS

1953

Dilettante

ナッソーS

1954

Carrozza

英オークス

1955

Darlene

ナッソーS

1956

Discorea

愛オークス

1956

Lindsay

チェヴァリーパークS

1957

Desert Beauty

ナッソーS

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