和名:ブルーラークスパー |
英名:Blue Larkspur |
1926年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ブラックサーヴァント |
母:ブロッサムタイム |
母父:ノーススター |
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ベルモントSや第1回アーリントンクラシックSを勝つなどして米年度代表馬に選ばれた名馬は母系に入って日本を含む各国で大きな影響力を保ち続ける |
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競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績16戦10勝2着3回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
20世紀前半の米国を代表する名馬産家エドワード・ライリー・ブラッドリー大佐により、彼が所有するケンタッキー州アイドルアワーストックファームにおいて生産・所有された。ブラッドリー大佐は自分の名前がBで始まるためか、所有馬にもBで始まる名前を付ける事を好んでおり、本馬も例外ではなかった。それゆえにブラッドリー大佐が所有するアイドルアワーストックファームは“Lucky B(幸運のB)”と呼ばれたという。本馬の両親も共にブラッドリー大佐の自家生産馬だった事もあり、127頭ものステークスウイナーを誕生させたブラッドリー大佐の最高傑作とも讃えられた。非常にバランスが取れた好馬体を有した見栄えが良い馬だったという。アイドルアワーストックファームの専属調教師だったハーバート・ジョン・トンプソン調教師に預けられた。ブラッドリー大佐の所有馬は、最終的に4頭がケンタッキーダービーを勝利するのだが、トンプソン師はその全てを手掛けており、“Derby Dick(ダービー・ディック)”の異名で呼ばれる名伯楽だった。主戦はマック・ガーナー騎手が務めた。
競走生活(2歳時)
2歳時にベルモントパーク競馬場で行われた未勝利戦でデビュー。このデビュー戦は3着だったが、翌週の未勝利戦を鼻差で勝ち上がった。引き続いてベルモントパーク競馬場で出走したジュヴェナイルS(D5F)では、フラッシュSの勝ち馬ジャックハイを2着に破って勝利。ナショナルスタリオンS(T5F)でも、ジャックハイを3着に破って勝利。さらにはサラトガスペシャルS(D6F)も2着ジャックハイ以下に快勝して4連勝。
しかしホープフルS(D6.5F)では、130ポンドを課せられた上に、道中で進路を失う不利もあり、過去3度のステークス競走で悉く破っていたジャックハイの2着に敗れた(サンフォードSの勝ち馬チェスナットオークには先着した)。次走のベルモントフューチュリティS(D6.75F)では、スタートで他馬に蹴られるアクシデントがあり、コースレコードで勝利したハイストラングの8着に敗れ、ジャックハイ(3着)、バッシュフォードマナーSの勝ち馬ログイッシュアイ(2着)にも先着された。2歳時は7戦4勝の成績を残したが、後年になって選定された米最優秀2歳牡馬の座はベルモントフューチュリティSに加えてピムリコフューチュリティも勝ち、この年の北米賞金王にも輝いたハイストラングのものとなった。
競走生活(3歳時)
ケンタッキーダービーを目指す有力馬は、2歳から3歳にかけての冬場はフロリダ州など温暖な地で過ごすことが多いのだが、管理馬に厳しい訓練を課す事で知られていたトンプソン師は、そのように馬を甘やかす事を好まず、本馬をケンタッキー州に居残りさせて調教を継続した。
そして3歳時はケンタッキーダービー(D10F)から始動した。ケンタッキージョッキークラブSの勝ち馬クライドヴァンデュセン、チェサピークSの勝ち馬ヴォルティアなど20頭の対戦相手を抑えて、単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持された。ところが不良馬場に脚を取られて、勝ったクライドヴァンデュセンから5馬身差の4着に敗退。レース前にトンプソン師が虫垂炎のために入院してしまい、代わりに出走準備をした調教助手が、重馬場を走るための防水コーティングが施された滑り止めの爪を本馬に装着するのを怠ったのが敗因だと言われている。
その後にプリークネスSを回避して出走したウィザーズS(D8F)では、直線で鮮やかに末脚を繰り出し、いずれもケンタッキーダービーには不出走だったチェスナットオークを2着に、ジャックハイを3着に蹴散らして勝利。
そしてしっかりと調整されて出走したベルモントS(D12F)では、単勝オッズ2.3倍で再度の1番人気に支持された。しかしまたしても不良馬場のレースとなり、同じ状況下のケンタッキーダービーで敗れていた事から不安視する意見もあった。また、本馬の直系は快速馬ドミノの系統であり、距離を不安視する意見もあった。しかし今度は滑り止めの爪を装着して臨んでいた本馬が、2着となったプリークネスS3着馬アフリカンや3着ジャックハイ以下に2馬身差をつけて勝利した。
しかしこのベルモントSのスタート時に脚を負傷していた本馬は、患部から蜂窩織炎(ほうかしきえん。黄色ブドウ球菌などによる皮膚感染症。競馬界ではフレグモーネの名称で呼ばれることが多い。サンデーサイレンスはこのフレグモーネから蹄葉炎を発症して他界している)を発症してしまった。数日間高熱にうなされたが、不幸中の幸いでしばらくして完治し、蹄葉炎など致命的な状態になる事はなかった。復帰後はドワイヤーS(D12F)に出走したが、ここではグレイコートの2着に敗れた。
その後はアーリントンパーク競馬場に向かい、創設1年目のアーリントンクラシックS(D10F)に参戦した。このレースには、ケンタッキーダービー馬クライドヴァンデュセンに加えて、同世代のケンタッキーオークス馬ローズオブシャロン(ポトマックH・イリノイオークス・ラトニアオークス・アッシュランドオークスなども勝ち、この年の米最優秀3歳牝馬に選出されている)も出走してきて、同世代頂上決戦となった。結果は本馬が2着ライブオークに5馬身差をつけて圧勝した。
その後に脚の腱を痛めて休養入りしたために3歳時はこれが最後のレースとなったが、6戦4勝の成績で、後年になってこの年の米年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選出された。なお、この休養中にT・G・ヘイスティングス厩舎に転厩しており、主戦はジミー・スミス騎手に交替となっている。
競走生活(4歳時)
4歳時はスターズ&ストライプスH(D9F)から始動した。アーリントンH・サンクスギビングH・ワシントンパークHなどを勝ちケンタッキーダービーで2着していた前年の同競走2着馬ミスステップ、メリーランドH・ポトマックH・ホーソーン金杯H・アケダクトHなどを勝っていた前年の同競走3着馬サンボウという1歳年上の強豪馬2頭が対戦相手となった。しかし1分49秒4のコースレコードを計時した本馬が、ミスステップを2着に、サンボウを3着に破って勝利した。さらにアーリントンC(D10F)にも勝利した。しかしその後に脚部不安が再発したため、4歳時3戦2勝の成績で引退した(4歳時にスターズ&ストライプスHとアーリントンC以外にもう1戦して2着しているはずだが、レース名が資料に記載が無く不明)。それでも後年になって、サンボウと並んでこの年の米最優秀ハンデ牡馬に選出されている。
血統
Black Servant | Black Toney | Peter Pan | Commando | Domino |
Emma C. | ||||
Cinderella | Hermit | |||
Mazurka | ||||
Belgravia | Ben Brush | Bramble | ||
Roseville | ||||
Bonnie Gal | Galopin | |||
Bonnie Doon | ||||
Padula | Laveno | Bend Or | Doncaster | |
Rouge Rose | ||||
Napoli | Macaroni | |||
Sunshine | ||||
Padua | Thurio | Cremorne | ||
Verona | ||||
Immortelle | Paul Jones | |||
Mulberry | ||||
Blossom Time | North Star | Sunstar | Sundridge | Amphion |
Sierra | ||||
Doris | Loved One | |||
Lauretta | ||||
Angelic | St. Angelo | Galopin | ||
Agneta | ||||
Fota | Hampton | |||
Photinia | ||||
Vaila | Fariman | Gallinule | Isonomy | |
Moorhen | ||||
Bellinzona | Necromancer | |||
Hasty Girl | ||||
Padilla | Macheath | Macaroni | ||
Heather Bell | ||||
Padua | Thurio | |||
Immortelle |
父ブラックサーヴァントはブラックトニー産駒で、現役成績22戦7勝。ブルーグラスSに勝って臨んだケンタッキーダービーでは逃げを打って勝利目前のところを、やはりブラッドリー大佐の生産・所有馬だったビヘイヴユアセルフに頭差差されて2着に敗れ、惜しくも大魚を逃した。このケンタッキーダービーでブラッドリー大佐は1・2着を独占したために4万8450ドルの賞金を得たが、ブラックサーヴァントの単勝に5万ドルを賭けて外したために逆に損をした。また、アイドルアワーストックファームの従業員達も揃ってブラックサーヴァントの単勝に賭けて外したために、その年の冬のアイドルアワーストックファームは実に寂しい風景となったという。まあ、ブラッドリー大佐やアワーストックファームの人々はそれだけブラックサーヴァントに期待していたという事ではある。ビヘイヴユアセルフに乗っていたチャールズ・トンプソン騎手は命令に逆らったとしてブラッドリー大佐の逆鱗に触れたらしい。ブラックサーヴァントは上記以外にはこれと言って特筆できる成績は残していないが、種牡馬としては本馬の他にも米最優秀ハンデ牡馬ビッグペブル、米最優秀3歳牝馬バーンスワロー、米最優秀2歳牡馬ババケニーなどを輩出して成功した。
母ブロッサムタイムは現役時代米国で走り13戦5勝、ピムリコフューチュリティを勝っている活躍馬。ブロッサムタイムの半姉には1919年の米最優秀2歳牝馬ミスジェマイマ(父ブラックトニー)【フラッシュS・イーストビューS・クリップセッタS・スプリングトライアルS・クイックステップH・シンシナティガンクラブH・テイラーヒルH】、半妹にはビードル(父ブラックトニー)【スカイラヴィルS・ラトニアオークス】、半弟にはブロードウェイジョーンズ(父ブラックトニー)【ラトニアダービー】がいる。
ミスジェマイマの子にはファースター【アーリントンワシントンフューチュリティ】、孫にはシロッコ【アーリントンクラシックS】、曾孫にはバーシーム【サンタバーバラH】、玄孫世代以降には、リトルマイク【BCターフ(米GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)・ターフクラシックS(米GⅠ)・ジョーハーシュターフクラシック招待S(米GⅠ)】、日本と豪州で走ったアドマイヤラクティ【コーフィールドカップ(豪GⅠ)】などが、ブロッサムタイムの半妹ブラインドデート(父ブラックトニー)の牝系子孫には、エインシャントタイトル【チャールズHストラブS(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)2回・ハリウッド金杯(米GⅠ)・サンアントニオH(米GⅠ)】、バードタウン【ケンタッキーオークス(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)】とバードストーン【ベルモントS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】の姉弟などが、ブロッサムタイムの半妹ブライダルカラーズ(父ブラックトニー)の子にレリック【ホープフルS】、孫にビッグモー【デラウェアオークス】、玄孫世代以降には、キャプテンキャンディマンキャン【キングズビショップS(米GⅠ)】などがいる。
牝系は本馬の父ブラックサーヴァントと同じである(ブロッサムタイムの祖母パディラと、ブラックサーヴァントの母パデュラが半姉妹)。なお、パデュラの牝系子孫には、大種牡馬レイズアネイティヴやウルトラファンタジー【スプリンターズS(日GⅠ)】がいる。→牝系:F8号族①
母父ノーススターは、サンドリッジの代表産駒である英2000ギニー・英ダービーの勝ち馬サンスターの直子で、現役成績6戦2勝、主な勝ち鞍はミドルパークプレート。種牡馬としては、ビヘイヴユアセルフに次ぐブラッドリー大佐2頭目のケンタッキーダービー馬バブリングオーヴァーなどを出した。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のアイドルアワーストックファームで種牡馬入りした。本馬は種牡馬としても成功し、44頭のステークスウイナーを出した。産駒には仕上がり早い快速馬が多く、1929年には北米2歳首位種牡馬になっている。ブラッドリー大佐が1946年に死去すると、アイドルアワーストックファームに繋養されていた馬達は全てセリで売却され、アイドルアワーストックファームも敷地を分割されて売却された。そのうち南側の部分を購入したジョン・W・ガルブレイス氏は同地をダービーダンファームと名付けた。本馬はガルブレイス氏が所有していたテキサス州のキングランチ牧場に移動した。翌1947年にはホイットニー一族所有のグリーンツリースタッドに移動したが、同年に21歳で他界した。1957年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第100位。
後世に与えた影響
後継種牡馬としては、レヴォークドが成功を収めたが、本馬の直系は本馬やレヴォークドも含めて活躍馬に牝馬が多い傾向が強かったため、やがて衰退していき現在は完全に途絶えている。しかし牝馬に活躍馬が多かった分、母系に入って強い影響力を有し、本馬を母父に持つステークスウイナーは114頭にも達している。代表産駒の1頭でもある牝駒マートルウッドの牝系子孫からはシアトルスルーやミスタープロスペクターが出ている。また、牝駒ブルーデニムの牝系子孫からはグレイドーン、グリーンダンサー、ナチュラリズム、ドリームウェル、スラマニ、オーソライズドなどが出ている。また、バックパサーの祖母の父、ダマスカスやトウショウボーイの曾祖母の父も本馬であるし、ヘイルトゥリーズンの母父ブルーソーズは本馬の息子である。また、本馬のインブリードを有する馬として、ヘイロー(4×4)、ロベルト(4×4)、マルゼンスキー(5×5)などが挙げられる。そうなると、本馬の血を引いていない馬を見つけるほうが困難になってきそうである。本馬が繁殖牝馬の父として大成功した理由を科学的に立証するのは無理だが、本馬にはセントサイモンの血が入っていない(セントサイモンの父ガロピンは入っている)から、セントサイモンの血を引く優れた繁殖牝馬と交配させやすかった事が無関係ではないかもしれない。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1932 |
Bluebeard |
サンパスカルH |
1932 |
Boxthorn |
サラトガスペシャルS・サンフェリペS |
1932 |
アッシュランドS |
|
1934 |
Cardinalis |
アーリントンH |
1935 |
Sky Larking |
ホープフルS |
1936 |
Boysy |
グレイラグH |
1938 |
Blue Delight |
アーリントンラッシーS・アーリントンメイトロンH |
1938 |
Painted Veil |
ヴァニティH |
1939 |
Bonnet Ann |
ダイアナH |
1942 |
Elpis |
CCAオークス・デラウェアH・モリーピッチャーH |
1944 |
Bee Ann Mac |
セリマS |
1944 |
Blue Grass |
ケンタッキーオークス |
1944 |
But Why Not |
エイコーンS・ピムリコオークス・アーリントンクラシックS・アラバマS・アーリントンメイトロンH・ベルデイムH・トップフライトH・フィレンツェH・ワシントンバースデイH |
1944 |
Say Blue |
フォールズシティH |
1945 |
Alablue |
テストS |
1945 |
Three Rings |
モンマスH・ウエストチェスターH・クイーンズカウンティH2回 |
1946 |
Oedipus |
米グランドナショナル |
1947 |
Renew |
フィレンツェH・トップフライトH |