和名:ネヴァーベンド |
英名:Never Bend |
1960年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:ナスルーラ |
母:ララン |
母父:ジェダー |
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大種牡馬ナスルーラの最終世代の産駒であり、父の最後の大物後継種牡馬として名馬ミルリーフなど多くの活躍馬を出す |
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競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績23戦13勝2着4回3着4回 |
誕生からデビュー前まで
ダークスター、ターントゥ、ボールドイーグルなどを所有したハリー・フランク・グッゲンハイム大尉により、米国ケンタッキー州クレイボーンファームにおいて生産された馬で、グッゲンハイム大尉が設立したカイン・ホイ・ステーブル名義で走った。所属はウッドフォード・スティーヴンズ厩舎で、主戦はマヌエル・イカザ騎手が務め、本馬の23戦中21戦に騎乗した。
デイリーレーシングフォーム社の記者チャールズ・ハットン氏が著した米国の競馬年鑑「アメリカン・レーシング・マニュアル」1963年版によると、2歳時点で体高は16ハンド、胴回りは74インチに達した立派な馬格の持ち主で、ナスルーラ産駒によく見られる気性の悪さもそれほどでもなかったが、後脚が湾曲しているという欠点があったそうである。また、ハットン氏は血統的に本馬にはスタミナ能力が欠けているのではと主張する人がいる事と、それに対してグッゲンハイム大尉が距離は大丈夫だと主張したという話も紹介している。
競走生活(2歳時)
2歳6月にベルモントパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦でデビュー。後にアーリントンH・タイダルHなどを勝つ実力馬マスターデニスを8馬身差の2着にちぎり捨てて圧勝した。翌7月にモンマスパーク競馬場で出走したダート6ハロンの一般競走でも、2着サムダムキッドに8馬身差をつけて圧勝。しかし翌8月に出走したサプリングS(D6F)では、デルタジャッジ、ボンジュールの2頭に屈して、勝ったデルタジャッジから1馬身差の3着に敗れた。
その後はアーリントンパーク競馬場に向かい、ダート6ハロンの一般競走を1馬身半差で勝利。そして9日後には新設競走アーリントンワシントンフューチュリティ(D7F)に出走したが、フューチュリティトライアルSを勝ってきたキャンディスポッツの半馬身差2着に惜敗した(サンフォードSの勝ち馬ラッシュプリンスが3着だった)。
しかしニューヨーク州にとんぼ返りして1週間後に出走したベルモントフューチュリティS(D6.5F)では、テン乗りのウィリアム・シューメーカー騎手を鞍上に、2着となったホープフルSの勝ち馬アウティングクラスに1馬身3/4差をつけて、ステークス競走初勝利を挙げた。半月後のカウディンS(D7F)では、イカザ騎手がシューメーカー騎手には負けていられないとばかりに気合を入れて乗り、2着ヴァリアントスコールに3馬身差をつけて、後のレムセンS・スタイヴァサントH・ウエストチェスターHの勝ち馬ロッキーリンクも3着に破って快勝した。それから12日後のシャンペンS(D8F)では、マスターデニスを再び8馬身差の2着にちぎり捨て、アウティングクラスも3着に破って完勝した。翌11月にはガーデンステート競馬場に向かい、ダート8.5ハロンの一般競走に出て、2着となったピムリコフューチュリティの勝ち馬ライトプラウドに5馬身差をつけて勝利。さらにガーデンステートS(D8.5F)に駒を進めたが、不良馬場に脚を取られて、勝ったクルーマンから9馬身差の3着に終わった。
それでも、2歳時10戦7勝の成績で、この年の米最優秀2歳牡馬に選出された。また、2歳時に本馬が稼いだ賞金は40万ドルを超え、これは当時の世界記録だったという。
競走生活(3歳前半)
3歳時は3月のフラミンゴS(D9F)から始動。2着キングトゥーツに5馬身差をつけて、ハイビスカスSを勝ってきたロイヤルアスコットを3着に破って勝利を収め、順調な仕上がりぶりを見せた。
その後はケンタッキーダービーを目指してケンタッキー州に移動し、4月にキーンランド競馬場ダート7ハロンの一般競走に出走して、2着ブレイズスターに1馬身差で軽く勝利。それから1週間後に出たチャーチルダウンズ競馬場ダート7ハロンの一般競走では、チャールズSハワードSの勝ち馬スペーススケーツを8馬身差の2着に破って圧勝。
そして8日後のケンタッキーダービー(D10F)に向かった。しかし単勝オッズ2.5倍の1番人気はアーリントンワシントンフューチュリティーで本馬を破った後にフロリダダービー・サンタアニタダービーなども勝っていた無敗馬キャンディスポッツで、単勝オッズ3.5倍の2番人気にはウッドメモリアルSを勝ってきたスワップス産駒の無敗馬ノーロバリー(本馬の母の従兄弟に当たる)、本馬はこの実績を持ってしても単勝オッズ4倍の3番人気に甘んじた。この3頭による激戦になると目されていたこの年のケンタッキーダービーは史上空前の盛り上がりを見せており、チャーチルダウンズ競馬場には12万人の大観衆が詰め掛け、このハイレベルなダービーを見守った。ところが勝ったのはこの3頭のいずれでもなく、ブルーグラスSなど3連勝中だったピムリコフューチュリティ2着の単勝オッズ10.4倍の5番人気馬シャトーゲイだった。序盤から果敢に逃げを打った本馬は、2~3番手を追走してきた上位人気2頭には先着したが、最後の直線で中団後方から追い込んできたシャトーゲイに差されて1馬身1/4差の2着に敗れた。
次走のプリークネスS(D9.5F)では、前走5着のノーロバリーが骨膜炎を発症した事もあって回避し、シャトーゲイ、本馬、前走で本馬から首差の3着だったキャンディスポッツのケンタッキーダービー上位3頭による争いとなった。人気は前走の着順の逆で、キャンディスポッツ、本馬、シャトーゲイの順だった。スタートから本馬が先頭を伺ったが、それをかわしてキャンディスポッツが先手を奪った。そしてそのまま逃げ切ったキャンディスポッツが2着シャトーゲイに3馬身半差をつけて快勝。本馬はさらに4馬身半遅れて3着に終わった。なお、本馬はケンタッキーダービーのレース中に後脚を痛めていたという説もある。
競走生活(3歳後半)
ベルモントSには出走せず(シャトーゲイがキャンディスポッツを2着に破って勝っている)、しばらく休養を取った本馬は、8月のサラトガ競馬場ダート8ハロンの一般競走で復帰。苦手な重馬場を克服して、2着ヘンリージエイスに1馬身3/4差で勝利した。そしてトラヴァーズS(D10F)に出走して、シャトーゲイ、キャンディスポッツとの戦いに臨んだ。ところが勝ったのは、前年のガーデンステートSで本馬を圧倒した単勝オッズ21倍の伏兵クルーマン。これまた伏兵のファウンテンオブユースS2着馬ホットダストが2着に入り、シャトーゲイは3着、キャンディスポッツは4着、そして本馬はクルーマンから11馬身差をつけられた6着とまさかの惨敗を喫してしまった。
それから10日後にアケダクト競馬場で行われたダート8ハロンの下級ハンデ競走で仕切り直しを図り、130ポンドの斤量に耐えて、2着マスターデニスに3馬身半差で勝利した。続いてユナイテッドネーションズH(T9.5F)で芝に初挑戦したが、前年の同競走を勝っていたベルモントレキシントンH・トレントンH・ピルグリムHなどの勝ち馬モンゴの2馬身差2着と敗退。しかしモンゴは当時の米国芝路線で大活躍した馬で、暮れのワシントンDC国際Sで当時の米国最強馬ケルソを破って勝ちこの年の米最優秀芝馬に選ばれるほどの実力馬であり、本馬も芝に対する適性は見せた結果となった。ちなみにこのレースには、ケンタッキーダービー・プリークネスS・カウディンS・ガーデンステートS・レムセンS・エヴァーグレーズS・フラミンゴS・フロリダダービー・ジェロームH・トレントンH・メトロポリタンH・モンマスH・ホイットニーSを勝っていた2歳年上の名馬キャリーバックがいったん種牡馬入りしながら現役復帰して参戦していたが、本馬から3/4馬身差の3着に終わっている。
次走のウッドワードS(D10F)では、そのキャリーバックに加えて、ラファイエットS・ガーデンステートS・ピムリコフューチュリティ・レオナルドリチャーズS・クラークH・サンフェルナンドS・チャールズHストラブS・マサチューセッツH・ミシガンマイル&ワンエイスH・ワシントンパークHを勝ちこの年のサンタアニタHで2着していた一昨年の米最優秀2歳牡馬クリムゾンサタン、そして、ジョッキークラブ金杯3回・ウッドワードS2回・メトロポリタンH・サバーバンH2回・ブルックリンH・ホイットニーH2・ジェロームH・ディスカヴァリーH・ローレンスリアライゼーションS・ホーソーン金杯・スタイミーH・セミノールH・ガルフストリームパークH・ジョンBキャンベルH・ナッソーカウンティS・アケダクトSを勝っていた米国最強馬ケルソが同競走3連覇をかけて参戦してきた。本馬の鞍上にはイカザ騎手ではなく、ベルモントフューチュリティS以来2度目のコンビとなるシューメーカー騎手の姿があった。しかしかつてケルソにも何度か騎乗した事がある名手シューメーカー騎手を持ってしても、130ポンド以上の斤量を毎回背負いながら6連勝してきたケルソの勢いには敵う術なく、3馬身半差の2着と完敗を喫した。クリムゾンサタンが本馬から1馬身半差の3着で、キャリーバックはさらに6馬身差の4着だった。
ケルソが4連覇を狙っていたジョッキークラブ金杯は距離適性の関係もあって目標にする事は出来なかったため、再び芝路線に矛先を向け、前走から9日後のロングアイランドH(T9.5F)に出走した。しかしサラナクHの勝ち馬デヴィッドケイ、サンマルコスH・ワシントンバースデイH・ニッカボッカーH・ロングアイランドH・サンルイレイS・アーケイディアHを勝っていたジアクスの2頭に屈して、勝ったデヴィッドケイから2馬身1/4差の3着に敗退した。
そこで再びダート路線に戻り、前走からさらに9日後のヤンキーH(D9F)に出走。このレースには、トラヴァーズS3着後にジェロームHを勝っていたシャトーゲイも出走してきた。本馬はシャトーゲイと過去3度戦って全て先着されていたのだが、ここでは意地を見せて、ローレンスリアライゼーションSの勝ち馬ディーンカールを4馬身差の2着に破って勝利。このレースで4着だったシャトーゲイにようやく一矢を報いた。そしてマンノウォーS(T13F)で三度芝に挑戦したが、あいにく本馬の苦手な重馬場となり、加国際CSSを勝ってきたジアクスから30馬身差の10着と見るも無残な大敗。
このレースを最後に、競走生活を終えることになった。3歳時の成績は13戦6勝だったが、ステークス競走勝ちは2勝で、2歳時の3勝より少なかった。
血統
Nasrullah | Nearco | Pharos | Phalaris | Polymelus |
Bromus | ||||
Scapa Flow | Chaucer | |||
Anchora | ||||
Nogara | Havresac | Rabelais | ||
Hors Concours | ||||
Catnip | Spearmint | |||
Sibola | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | Blandford | Swynford | |
Blanche | ||||
Malva | Charles O'Malley | |||
Wild Arum | ||||
Mumtaz Mahal | The Tetrarch | Roi Herode | ||
Vahren | ||||
Lady Josephine | Sundridge | |||
Americus Girl | ||||
Lalun | Djeddah | Djebel | Tourbillon | Ksar |
Durban | ||||
Loika | Gay Crusader | |||
Coeur a Coeur | ||||
Djezima | Asterus | Teddy | ||
Astrella | ||||
Heldifann | Durbar | |||
Banshee | ||||
Be Faithful | Bimelech | Black Toney | Peter Pan | |
Belgravia | ||||
La Troienne | Teddy | |||
Helene de Troie | ||||
Bloodroot | Blue Larkspur | Black Servant | ||
Blossom Time | ||||
Knockaney Bridge | Bridge of Earn | |||
Sunshot |
父ナスルーラは当馬の項を参照。
母ラランは現役成績19戦5勝、ケンタッキーオークス・ベルデイムHを勝利した名牝。本馬の半弟ボールドリーズン(父ヘイルトゥリーズン)【トラヴァーズS・アメリカンダービー・ハリウッドダービー・ベルモントレキシントンH】も産んでいる。ちなみにボールドリーズンはサドラーズウェルズの母の父としても知られている。ラランの牝系子孫はあまり発展していないが、本馬の半妹フェイブルド(父イラストリアス)の末裔からは、ポトラファビュラス【エストレージャス大賞ディスタフ(亜GⅠ)】、ウナカベサ【ポトランカス大賞(亜GⅠ)】の母娘が出ている。
ラランの半妹ファルーラ(父ナスルーラ)の牝系子孫は日本で発展しており、マルカアイリス【小倉3歳S(GⅢ)】、マコトライデン【シリウスS(GⅢ)】、マルカセンリョウ【名古屋大賞典(GⅢ)・かきつばた記念(GⅢ)・梅見月杯2回・東海桜花賞2回・東海菊花賞・名古屋記念】などが出ている。
ラランの半妹インマイファッション(父アンビオリクス)の牝系子孫にはリヴァーズプレイヤー【プリンセスルーニーH(米GⅠ)】がいる。ラランの半妹ビーアンビシャス(父アンビオリクス)の牝系子孫も発展しており、グループプラン【ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)】、ダクティログラファー【ウィリアムヒルフューチュリティS(英GⅠ)】、ブラッシングケーディー【ケンタッキーオークス(米GⅠ)】、ラティア【メイトリアークS(米GⅠ)】などがいる。
ラランの母ビーフェイスフルはヴァニティH・ホーソーン金杯Hの勝ち馬で、ビーフェイスフルの半兄にはブリッカバック【サンフアンカピストラーノ招待H】、全妹にはビムレット【フリゼットS】、半弟にはアンセスター【ディスカヴァリーH】がいる。ブリッカバックは本邦輸入種牡馬であり、中山大障害4連覇のフジノオーを初めとする多くの名障害競走馬を出した。
ビムレットの牝系子孫も発展しており、本馬とケンタッキーダービーで戦ったノーロバリー【ウッドメモリアルS】の母となった他に、テンペストクイーン【エイコーンS(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】、メッキー【スーパーダービー(米GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)】、ビューティフルプレジャー【BCディスタフ(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)・パーソナルエンスンH(米GⅠ)2回・ベルデイムS(米GⅠ)・シュヴィーH(米GⅠ)・ヘンプステッドH(米GⅠ)】、バルトスター【ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)】、日本で走ったネームヴァリュー【帝王賞(GⅠ)】などを子孫から送り出した。ビーフェイスフルの半妹プクーンの孫にはザプルーナー【アメリカンダービー】がいる。→牝系:F19号族①
母父ジェダーはジェベル産駒で、現役成績は21戦12勝。主な勝ち鞍は、エクリプスS・英チャンピオンS・クリテリウムドメゾンラフィット・エドヴィル賞・リュー賞などで、距離10ハロン前後を得意とする馬だった。種牡馬としては米国で供用されたが、それほど成功はしていない。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、米国で種牡馬入りした。種牡馬としては父ナスルーラの後継として、361頭の産駒から61頭のステークスウイナーを出して成功した(ステークスウイナー率は16.9%)が、特に20世紀欧州屈指の名馬ミルリーフを出した事で名種牡馬の地位を確立した。現役時代からスタミナ面を不安視されていた本馬は、種牡馬としても同様だったらしく、ミルリーフの登場以前は「ネヴァーベンドの子が英ダービーを勝てるわけがない」と主張する人もいたそうである。1971年にはそのミルリーフの大活躍で英愛首位種牡馬を獲得した。本馬は1977年に17歳で他界したが、ミルリーフだけでなく、リヴァーマンが後継種牡馬として大成功し、本馬の直系を現代に繋いでいる。本馬の血は日本競馬にも適合し、直子のブレイヴェストローマンや、ミルリーフ産駒のミルジョージ、マグニテュードなどが種牡馬として成功したが、例によって日本ではサイアーラインが伸びず風前の灯である。なお、本馬は名種牡馬の例に漏れず繁殖牝馬の父としても活躍し、115頭のステークスウイナーを出した。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1965 |
Iron Ruler |
カウディンS・ジェロームH・ウエストチェスターH |
1966 |
Distinctive |
ウイリアムデュポンジュニアH |
1966 |
Gleaming Light |
ドワイヤーH |
1966 |
Never Bow |
ワイドナーH・スタイヴァサントH・ウエストチェスターS・ブルックリンH |
1966 |
Prevailing |
デラウェアバレーH |
1968 |
英ダービー(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・凱旋門賞(仏GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・デューハーストS・ガネー賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・コヴェントリーS・ジムクラックS・グリーナムS(英GⅢ) |
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1968 |
Proudest Roman |
ホープフルS |
1968 |
Triple Bend |
サンタアニタH・サンフェルナンドS・ロサンゼルスH・ヴォスバーグS |
1969 |
Loquacious Don |
カウディンS |
1969 |
仏2000ギニー(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・ジャンプラ賞(仏GⅡ) |
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1970 |
Puntilla |
ケンタッキージョッキークラブS |
1970 |
Straight and True |
米グランドナショナル(米GⅠ) |
1970 |
Torsion |
ポーモノクH(米GⅢ) |
1971 |
Misty Bend |
レイルウェイS(愛GⅢ) |
1971 |
Straight as a Die |
ロイヤルロッジS(英GⅡ) |
1972 |
サラナクS(米GⅡ) |
|
1973 |
Full Out |
サプリングS(米GⅠ) |
1974 |
Huggle Duggle |
ギャロレットH(米GⅢ) |
1974 |
J. O. Tobin |
スワップスS(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)・リッチモンドS(英GⅡ)・英シャンペンS(英GⅡ)・マリブS(米GⅡ)・サンバーナーディノH(米GⅡ)・ロサンゼルスH(米GⅡ) |
1975 |
Junction |
ウィザーズS(米GⅡ)・ドワイヤーH(米GⅡ) |
1977 |
No Bend |
ロングブランチS(米GⅢ) |