ティーノソ

和名:ティーノソ

英名:Teenoso

1980年生

黒鹿

父:ユース

母:フリオーソ

母父:バリモス

超不良馬場の英ダービーと高速馬場のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを両方制した馬場状態不問の名馬

競走成績:2~4歳時に英愛仏で走り通算成績13戦6勝2着1回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ホワイトロッジスタッドにおいてラルフ・モラー氏とエリック・モラー氏の兄弟により生産された。この兄弟のモラーズレーシング名義で競走馬となり、英国ハリー・ラグ調教師に預けられた。ラグ師は騎手時代にブレニムで英ダービーを勝つなど英国クラシック競走を全て制覇し、調教師としても英オークスを除く英国クラシック4競走を制していた人物であり、騎手と調教師の総合実績では英国競馬史上最高級に位置すると言われていた卓越したホースマンだった。しかしそんな彼の手腕をもってしても、本馬の素質を早い時期に開花させることは出来なかったようである。

競走生活(2歳時)

2歳8月にニューマーケット競馬場で行われたブルーピーターS(T6F)でデビューしたが、コクイトスフレンドの着外に終わった。1か月後にはドンカスター競馬場でリベロS(T7F)に出走したが、単勝オッズ51倍の人気薄で、結果も後のウィリアムヒルフューチュリティS2着馬コックロビンの7着に敗退。その後にニューマーケット競馬場で出走した芝8ハロンの未勝利ステークスでは、オウラオウルの4馬身3/4差4着に敗退した。しかしこのレースではスタートから先頭を引っ張り、ゴール前で粘るという見せ場を作っており、前2走に比べると内容は良かった。馬場状態は重馬場であり、このレース内容を見た陣営は、本馬はこういった湿った馬場を得意とするのではと感じたという。2歳時の成績は3戦未勝利だった。

この1982年を最後にラグ師は80歳で調教師を引退した。そのために本馬はラグ師の息子で父の厩舎を引き継いだジェフリー・ラグ調教師の管理馬となった。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にヘイドックパーク競馬場で行われた芝10ハロンの未勝利ステークスから始動したが首差2着。11日後にニューマーケット競馬場において出走した芝12ハロンの未勝利ステークスでは、不良馬場の中を先行して残り3ハロン地点で先頭に立って後続を引き離し、2着カイバルに8馬身差をつけて圧勝。5戦目でようやく初勝利を挙げた。

この年の英国の春は非常に天候が悪く、どこの競馬場もいつも馬場状態は悪かった。そのため、重馬場巧者ぶりを発揮した本馬は未勝利戦を勝ち上がったばかりの身でありながら、ひそかに注目される身となった。また、ミドルパークS・デューハーストSを制したダイイシス、レーシングポストトロフィー・ロイヤルロッジSを制したダンベス、英シャンペンS・エイコムSを制したゴライタスといった前年2歳戦で活躍した馬達も予定していたレースを使えずに調整が上手くいっていなかった。もっとも、本馬陣営が次走に予定していたチェスターヴァーズがあまりの天候不良でこの年は開催中止になるなど、本馬にとっても必ずしも良い事ばかりではなかった。

予定を変更して出走したリングフィールドダービートライアルS(英GⅢ・T12F)では、単勝オッズ4.5倍の3番人気だった。しかし先行すると残り5ハロン地点で早くも先頭に立って押し切り、2着シェアーウォークに3馬身差、3着ヤワにはさらに4馬身差をつけて快勝した。

そして英ダービー(英GⅠ・T12F)に駒を進めた。対戦相手は、英2000ギニー・グラッドネスSの勝ち馬ロモンド、愛2000ギニー・グリーナムSの勝ち馬ワッスル、テトラークS・ニジンスキーSの勝ち馬サーモンリープ、ガリニュールSの勝ち馬カーリングフォードキャッスル、英2000ギニー2着馬トロメオ、仏グランクリテリウム3着馬ザノーブルプレイヤー、シェーヌ賞・ギシュ賞の勝ち馬でリュパン賞3着のプルラリズム、ダンテS2着馬ガンズオブナヴァロン、サンダウンクラシックトライアルSの勝ち馬でデューハーストS2着のゴーディアン、後に米国に移籍してハリウッドターフカップS・サンセットH・サンルイレイSとGⅠ競走を3勝するゾファニー、シェアーウォーク、次走のパリ大賞を勝つワヤなど20頭であり、英2000ギニーで惨敗したダイイシス、ダンベスやゴライタスは不参戦だった。過去に英ダービーを8勝していた名手レスター・ピゴット騎手は本馬に騎乗する事を選択。その効果もあったのか、本馬が単勝オッズ5.5倍の1番人気に支持された。

レース前夜の雷雨のために、エプソム競馬場史上稀に見る極悪不良馬場となった状態でスタートが切られると、本馬は逃げ馬を見る形で先行した。そしてタッテナムコーナーで一気に先行馬をかわして先頭に立つと、そのままエプソム競馬場の長い直線を危なげなく先頭で走り続け、2着に入った単勝オッズ15倍の6番人気馬カーリングフォードキャッスルに3馬身差、3着シェアーウォークにはさらに3馬身差をつけて完勝した。鞍上のピゴット騎手にとっては9度目にして最後の英ダービー制覇となった。また、開業1年目のラグ師にとっては勿論英ダービー初制覇だったが、開業1年目の調教師が英ダービーを制したのは史上初の快挙だった。勝ちタイム2分49秒07は、20世紀以降では今日に至るまで最も遅いものだった(これより遅いタイムは1891年にコモンが勝ったときの2分56秒0まで遡らないと見つからない)。勝ちタイムこそ遅かったが、この年に英タイムフォーム社が本馬に与えたレーティングは132ポンドと高い部類であり、レベルが低いレースだったわけではないと判断されている。とは言っても、馬場状態が悪かったから勝てたのだという意見が一般的だったのもまた事実であった。

次走の愛ダービー(愛GⅠ・T12F)では、仏ダービー・アングルシーSの勝ち馬カーリアン、9日前のキングエドワードⅦ世Sを勝ってきたばかりのシャリーフダンサー、カーリングフォードキャッスル、英ダービーで14着だったワッスル、愛2000ギニー3着馬パーリアメントなどとの対戦となった。英国と異なり愛国は天候に恵まれ馬場状態は非常に良く、本馬がここで好走すれば単なる重馬場専用馬という評判を払拭する事が出来るはずだった。しかし結果はシャリーフダンサーが2着カーリアンに3馬身差をつけて完勝を収め、カーリアンからさらに2馬身差の3着に敗れた本馬は、重馬場専用馬という評判を返上する事が出来なかった。

その後は英セントレジャーを目標として8月のグレートヴォルティジュールS(英GⅡ・T12F)に出走したが、スコティッシュクラシックの勝ち馬ダザリと同2着馬シーモアヒックスの2頭に後れて、勝ったシーモアヒックスから3馬身1/4差の3着に敗退。レース後に左後脚の疲労骨折が判明し、一時期は現役続行が危ぶまれた。しかし幸いにも当初の見込みほど重症ではなかったため、3歳シーズン後半は棒に振ったが、シーズン終盤には調教を再開できる程度には回復した。陣営は本馬が重馬場専用馬では無いことを証明しようと思って現役続行に踏み切ったそうだが、はっきり言って自信は無かったという。3歳時の成績は6戦3勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月にニューベリー競馬場で行われたジョンポーターS(英GⅢ・T12F)から始動した。1番人気に支持されたものの、いずれも6ポンドのハンデを与えた単勝オッズ21倍の伏兵ゲイリーマーとダザリの2頭に敗れて、勝ったゲイリーマーから1馬身半差の3着に終わった。しかし単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持されたオーモンドS(英GⅢ・T13F88Y)では、陣営がミルプランテーションというペースメーカー役を投入してくれた事にも助けられて、残り3ハロン地点で先頭に立って押し切る横綱相撲で、ジェフリーフリアSの勝ち馬で前年のアスコット金杯2着・英セントレジャー3着のケアポーを1馬身半差の2着に破って勝利を収めた。

英ダービー馬が古馬になって勝ち星を挙げたのは、米国に移籍してマンノウォーS・加国際CSSなどを勝利して1975年のエクリプス賞最優秀芝馬に選ばれた1974年の英ダービー馬スノーチーフ以来9年ぶりだった。英ダービー馬が古馬になって欧州内で勝ち星を挙げたのは、1973年にコロネーションCを勝った1972年の英ダービー馬ロベルト以来11年ぶりだった。ちなみに本馬の次の例は1990年の英ダービー馬クエストフォーフェイムが米国移籍後の5歳時にハリウッドターフHなどを勝ったものであり、英ダービー馬は3歳時に競走馬を引退してしまうのがこの当時から当たり前になってしまっていたのである。英国では平地競走よりも障害競走のほうが、同じ平地競走でも12ハロン以下のグループ競走路線よりも超長距離路線やハンデ競走路線のほうが一般的な人気は高いが、その理由は馬券的な妙味に加えて、長きに渡って走る馬が多いから思い入れを深めやすいためでもある。活躍馬はさっさと引退させて種牡馬にしたほうが儲かるからこういう結果を招き、それがさらに大競走の賞金捻出を困難なものにしているという負のスパイラルに陥っているのが欧州競馬の現状である。その点では日本はまだ恵まれている事は理解しておかなければならず、古馬になっても走ったが活躍できなかった日本ダービー馬を貶すなどという行為は厳に慎まなければならない。

閑話休題、オーモンドSを勝った本馬はその後に渡仏してサンクルー大賞(仏GⅠ・T2500m)に出走した。オイロパ賞・ミラノ大賞の勝ち馬で英セントレジャー2着・仏ダービー・ジャパンC3着のエスプリデュノール、フロール賞・コリーダ賞の勝ち馬フライミーなどが対戦相手となった。馬場状態は良く、重馬場専門馬と思われていた本馬には苦戦が予想された。しかし4番手追走から残り400m地点で抜け出し、追い込んできたフライミーを短頭差の2着に抑えて勝利。決して重馬場専用馬では無い事を示した。なお、鞍上のピゴット騎手はレース直前に頭を持ち上げた本馬に頭突きを受けて右眼の上を切って大量に出血しており、騎乗に支障がある状態での勝利だった。

地元英国に戻った本馬とピゴット騎手のコンビは、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)に出走した。このレースには、前年の英ダービー着外後に出走したアーリントンミリオンSで米国の歴史的名馬ジョンヘンリーを破っていたトロメオに加えて、前年の同競走を筆頭に英オークス・英チャンピオンS・コロネーションC・サンチャリオットS・フォワ賞を勝っていたタイムチャーター、愛2000ギニー・エクリプスS・ベレスフォードS・デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬で仏ダービー2着のサドラーズウェルズ、仏ダービー・クリテリウムドサンクルー・グレフュール賞・オカール賞など5連勝中のダルシャーン、前年の同競走で3着していた英オークス・ヨークシャーオークス・英セントレジャーの勝ち馬で凱旋門賞・コロネーションC2着のサンプリンセス、リュパン賞の勝ち馬で愛ダービー3着のダハールといった初顔合わせの実力馬も顔を連ねており、本馬の真価が試される一戦となった。馬場状態は堅良であり、本馬の評価は単勝オッズ7.5倍といったところだった。スタートしてすぐに逃げを打った本馬は、道中ではサンプリンセス陣営が用意したペースメーカー役のヒズオナーに先頭を譲って2番手で折り合いをつけた。そして三角で先頭に立って直線を向いた。本馬のすぐ後ろにつけていたサドラーズウェルズが食い下がってきたが、最後は突き離して2馬身半差をつけて優勝した。勝ちタイム2分27秒95は同レース史上当時2番目の好タイム(1位が1975年にグランディバスティノの伝説の名勝負で記録された2分26秒98)だった。本馬より速いタイムでこのレースを制した古馬は、施行コースが変更されてより速いタイムが出やすくなった後の2010年のハービンジャーと2013年のノヴェリストの2頭しかいない事、このレースは古馬と3歳馬の斤量差が12ポンドもある事を考えると、本馬の実力が並々ならぬ物である事が完全に証明されたとも言える。

その後は秋の凱旋門賞に向かう事が表明されており、単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持されていたが、レース3日前に右前脚を故障してしまった。負傷の程度は軽かったが、陣営は獣医の助言に従い大事を取って出走を回避させ、本馬はそのまま4歳時4戦3勝の成績で競走馬を引退した。この年に英タイムフォーム社が本馬に与えたレーティングは135ポンドで、3歳馬エルグランセニョールに与えられた136ポンドよりは低かったが、古馬では凱旋門賞を勝ったサガスと並んでトップタイだった。国際クラシフィケーションの評価は135ポンドで、古馬勢ではサガスの133ポンドを上回り単独トップとなっている(エルグランセニョールは138ポンド)。なお、本馬は現役時代に鹿毛として登録されていたが、引退後に黒鹿毛に改められている。

血統

Youth Ack Ack Battle Joined Armageddon Alsab
Fighting Lady
Ethel Walker Revoked
Ethel Terry
Fast Turn Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Cherokee Rose Princequillo
The Squaw
Gazala Dark Star Royal Gem Dhoti
French Gem
Isolde Bull Dog
Fiji
Belle Angevine L'Amiral Admiral Drake
Hurrylor
Bella Canot
Bayan Kara
Furioso Ballymoss Mossborough Nearco Pharos
Nogara
All Moonshine Bobsleigh
Selene
Indian Call Singapore Gainsborough
Tetrabbazia
Flittemere Buchan
Keysoe
Violetta Pinza Chanteur Chateau Bouscaut
La Diva
Pasqua Donatello
Pasca
Urshalim Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Horama Panorama
Lady of Aran

ユースは当馬の項を参照。

母フリオーソは現役時代10戦(7戦とする資料もある)して勝ち星はサンドルフォードプライオリーSの1勝のみだが、1974年の英オークスでポリガミーの1馬身差2着している。繁殖牝馬としては本馬の半姉トプシー(父ハビタット)【サンチャリオットS(英GⅡ)・フレッドダーリンS(英GⅢ)・アスタルテ賞(仏GⅢ)・2着英1000ギニー(英GⅠ)】も産んでいる。トプシーの子にはモストウェルカム【ロッキンジS(英GⅡ)・セレクトS(英GⅢ)】、玄孫にはプリンスビショップ【ドバイワールドC(首GⅠ)・マクトゥームチャレンジR3(首GⅠ)】がいる。

フリオーソの祖母ヴィオレッタはかなり優秀な牝系を構築している。フリオーソの半姉にファヴォレッタ(父ボールドリック)【愛1000ギニー(愛GⅠ)・チャイルドS(英GⅢ)】がいる他、フリオーソの半姉リトルミス(父アグレッサー)の子にオールドカントリー【伊ダービー(伊GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)・ジョッキークラブC(英GⅢ)】、曾孫にギヴノーティス【カドラン賞(仏GⅠ)】が、フリオーソの半姉で日本に繁殖牝馬として輸入されたモスカテラ(父モスボロー)の孫にシンコウアンクレー【中山大障害春】、曾孫にスガノオージ【毎日王冠(GⅡ)・カブトヤマ記念(GⅢ)】が、フリオーソの半姉パーシカ(父パーシア)の子にギヴサンクス【愛オークス(愛GⅠ)・ムシドラS(英GⅢ)・ランカシャーオークス(英GⅢ)】、孫にアルシャカール【ファルマスS(英GⅡ)】、曾孫にハライール【英1000ギニー(英GⅠ)】、インペリアルダンサー【ローマ賞(伊GⅠ)】が、ファヴォレッタの子にアマランダ【クイーンメアリーS(英GⅡ)】、フェイヴォリッジ【ネルグウィンS(英GⅢ)】、曾孫にルールオブロー【英セントレジャー(英GⅠ)】、玄孫世代以降にオリンピックグローリー【ジャンリュックラガルデール賞(仏GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・ロッキンジS(英GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)】、日本で走ったベルカント【フィリーズレビュー(GⅡ)・ファンタジーS(GⅢ)・アイビスサマーダッシュ(GⅢ)・北九州記念(GⅢ)】が、フリオーソの半妹ラフィングガール(父ササフラ)の子にパーシーズラス【セプテンバーS(英GⅢ)】、ブレイズウィック【EPテイラーS(加GⅠ)・サンチャリオットS(英GⅡ)・ローズオブランカスターS(英GⅢ)】、孫にサーパーシー【英ダービー(英GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・ヴィンテージS(英GⅡ)】が、フリオーソの半妹ニコレッタ(父バステッド)の子にニコロッテ【ヴィットリオディカプア賞(伊GⅠ)・クイーンアンS(英GⅡ)】が、フリオーソの半妹グッドラッシー(父モールトン)の子にアシャイール【マルセルブサック賞(仏GⅠ)・プシシェ賞(仏GⅢ)】、孫にアカリード【フィリーズマイル(英GⅠ)】がいる。ヴィオレッタの半妹にはラッカー【愛1000ギニー】、ソブリン【コロネーションS】がおり、ソブリンの子には本邦輸入種牡馬ラッキーソブリン【ダンテS(英GⅢ)】、玄孫にはモンターレ【ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】や日本で走ったブラックエンブレム【秋華賞(GⅠ)】などがいる。→牝系:F3号族①

母父バリモスは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国ハイクレアスタッドで種牡馬入りした。しかし繁殖牝馬の質に恵まれず、あまり活躍馬を出せなかった。その後はシュロップシャー州シェイドオークスタッド、ドーセット州ピッツファームスタッドなどを英国各地を転々とした。晩年は障害用種牡馬として一定の活躍を示し、1999年10月に血栓症のためピッツファームスタッドにおいて19歳で他界した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1986

Starlet

ティームトロフィ(独GⅡ)

1988

Young Buster

セプテンバーS(英GⅢ)

1989

Carlton

ハンザ賞(独GⅡ)・ゲルゼンキルヒェン経済大賞(独GⅢ)

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