ハイエストオナー

和名:ハイエストオナー

英名:Highest Honor

1983年生

芦毛

父:ケンマール

母:ハイリヴァー

母父:リヴァーマン

超大物は出さないがコンスタントに活躍馬を出し仏首位種牡馬に3度輝いたイスパーン賞の勝ち馬

競走成績:2~4歳時に仏米で走り通算成績14戦4勝2着5回

誕生からデビュー前まで

愛国の元一流ラグビー選手で後に事業家として成功したサー・アンソニー・ジョセフ・フランシス・オライリー氏の妻で、後に愛ナショナルスタッドの代表者にも就任するクリス・グーランドリス・オライリー夫人の馬産団体ペトラ・ブラッドストック・エージェンシー社により生産された仏国産馬である。オライリー夫人は生産した牝馬は自身が所有するが、牡馬は売却するという方針を採っており、本馬もエキュリー・マンヌヴィル氏という人物に購入され、仏国パスカル・バリー調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳9月にエヴリ競馬場で行われたランバル賞(T1600m)でデビューしたが、ダニラッドとシルヴァーバンドの同着勝利から7馬身3/4差の6着と振るわなかった。次走のテルネ賞(T1600m)では、大種牡馬ノーザンダンサーと凱旋門賞馬ゴールドリヴァーの間に産まれたリス賞勝ち馬シェルシュールドール(後に種牡馬として日本に輸入されている)に食い下がり、1馬身差の2着と好走した。次走のサンパトリック賞(T1600m)を2馬身差で勝って初勝利を挙げ、2歳時の成績は3戦1勝となった。

3歳時は4月のリステッド競走ジェベル賞(T1400m)から始動した。後にモーリスドギース賞を勝ちモートリー賞を4連覇するクリケットボール、後のドラール賞勝ち馬タクファヤームドといった実力馬達が対戦相手となったが、この時期は仏国を本拠地としていた米国の大騎手キャッシュ・アスムッセン騎手を鞍上に、2着タクファヤームドに4馬身差、3着クリケットボールにはさらに3馬身差をつけて圧勝(このレースには、アランベール賞の勝ち馬で後にBCマイルなどを勝つラストタイクーンも出走していたが6着だった)。この勝利で一躍仏国クラシック競走の有力候補に躍り出た。

次走の仏2000ギニー(仏GⅠ・T1600m)では、アスムッセン騎手がクリテリウムドサンクルー・フォンテーヌブロー賞と2戦2勝のファストトパーズに騎乗したため、フレデリック・ヘッド騎手とコンビを組んだ。結果はファストトパーズが勝ち、本馬は1馬身半差の2着に敗れた。

その後は距離が長いと判断してリュパン賞を回避し、仏ダービー前週のジャンプラ賞(仏GⅠ・T1800m)に出走した。リュパン賞をファストトパーズが快勝していた影響もあり1番人気に支持されたが、アスムッセン騎手が騎乗するジョンシェール賞勝ち馬マジカルワンダーに首差敗れて2着に終わった。

次週の仏ダービーは回避し、夏場のモーリスドギース賞(仏GⅡ・T1300m)に向かった。しかし同世代のクリテリウムドメゾンラフィット勝ち馬リードオンタイムが勝利を収め、本馬はそれから6馬身半差の10着と惨敗してしまった。その後は長期休養に入り、3歳時の成績は4戦1勝に終わった。

競走生活(4歳時)

4歳時は3月にエドモンブラン賞(仏GⅢ・T1600m)から始動した。ここではエリック・サンマルタン騎手が騎乗し、サンマルタン騎手の父親であるイヴ・サンマルタン騎手が騎乗するスペクタムを3/4馬身差の2着に破って勝利した。

次走のアルクール賞(仏GⅡ・T2000m)からは、アスムッセン騎手が主戦として固定される事になった。ここではグランドパヴォアの短首差2着だった。続くガネー賞(仏GⅠ・T2100m)では、マルセルブサック賞・愛2000ギニー・英チャンピオンSを勝っていた女傑トリプティクの3馬身半差3着に敗れた。

しかし次走のイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)では、2着グランドパヴォアに2馬身差、3着ヴェルティージュにもさらに2馬身差をつけて完勝し、ようやくGⅠ競走制覇を果たした。

夏場は休養に充て、9月のドラール賞(仏GⅡ・T1950m)に向かった。しかしタクファヤームドの1馬身差3着に敗れた。次走のフォレ賞(仏GⅠ・T1400m)では、仏2000ギニー・サセックスSを勝っていた3歳馬ソヴィエトスターの1馬身差2着に敗れた。

その後は米国に遠征して、ハリウッドパーク競馬場で行われたBCマイル(米GⅠ・T8F)に参戦。しかし、愛1000ギニー・サセックスS・ムーランドロンシャン賞を勝っていたソニックレディや、サラマンドル賞・マルセルブサック賞・英1000ギニー・仏1000ギニー・ジャックルマロワ賞・ムーランドロンシャン賞を勝っていたミエスク、クイーンエリザベスⅡ世Sを勝ってきたミリグラムといった強豪牝馬勢が大挙して欧州から参戦してきて、本馬は単勝オッズ16.5倍の7番人気止まりだった。そしてレースでも後方から伸びを欠き、勝ったミエスクから6馬身半差の7着に敗退。4歳時7戦2勝の成績で現役引退となった。

この年は仏国調教の古馬牡馬勢で傑出した成績を残した馬がいなかった(古馬出走可能な仏国の主要GⅠ競走のうち、ガネー賞は牝馬トリプティク、サンクルー大賞は英国調教馬ムーンマッドネス、ジャックルマロワ賞とムーランドロンシャン賞は牝馬ミエスク、凱旋門賞は3歳馬トランポリノ、アベイドロンシャン賞は牝馬ポロニア、フォレ賞は3歳馬ソヴィエトスターが勝利)ため、本馬がカドラン賞・ロワイヤルオーク賞を勝利したロイヤルゲイトを抑えて仏最優秀古馬牡馬に選ばれた。

血統

Kenmare Kalamoun ゼダーン Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Vareta Vilmorin
Veronique
Khairunissa Prince Bio Prince Rose
Biologie
Palariva Palestine
Rivaz
Belle of Ireland Milesian My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
Belle of the Ball Nearula Nasrullah
Respite
Geifang Belle Big Game
Foxtrot
High River Riverman Never Bend Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
River Lady Prince John Princequillo
Not Afraid
Nile Lily Roman
Azalea
Hairbrush Sir Gaylord Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Somethingroyal Princequillo
Imperatrice
Bug Brush Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Bonnie Beryl Fighting Fox
Bonnie Maginn

父ケンマールは現役成績11戦6勝。ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・トーマブリョン賞(仏GⅢ)・フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ)を勝ったマイラーだった。競走馬引退後は仏国で種牡馬入りし、1988・89年の仏首位種牡馬に輝く成功を収めた。1988年には豪州に輸出されていたが、1993年に愛国に輸入された。1996年に種牡馬を引退した後は豪州に戻って余生を送り、2001年に心臓発作のため26歳で他界している。ケンマールの父カラムーンはカラグロウの項を参照。

母ハイリヴァーの詳細な競走成績は不明。本馬を産んだ数年後に豪州に輸出され、彼の地で生涯を終えたという。ハイリヴァーの祖母バグブラッシュはケンタッキーオークス・サンタモニカH・サンアントニオH・サンタマルガリータ招待H等の勝ち馬で、その母ボニーベリルはフリゼットS・デラウェアオークスの勝ち馬。ボニーベリルの祖母の半兄には米国で種牡馬として活躍したブラックトニーがいる。→牝系:F10号族②

母父リヴァーマンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は仏国ケスネー牧場で種牡馬入りした。コンスタントに活躍馬を輩出し、1995年には1頭もGⅠ競走勝ち馬がいなかった(グループ競走を勝ったのも、GⅢ競走コンデ賞を勝ったゴービトウィーンの1頭のみ)にも関わらず仏首位種牡馬を獲得。その後は何頭かGⅠ競走勝ち馬を出したが、やはり超大物は出さなかった。それでも2000・02年にも仏首位種牡馬に輝き、最終的には3度のタイトルを獲得した(計算方法の違いにより、2002年の仏首位種牡馬はデインヒルであるとする資料もある)。産駒のステークスウイナーは71頭以上となっている。2008年に種牡馬を引退し、翌年2009年6月に繋養先のケスネー牧場において心臓発作のため26歳で他界した。

大物が少ないため後継種牡馬が出るかどうか不安視されていたが、現役時代はGⅢ競走止まりだったヴァーグラスが、仏2000ギニー馬シルヴァーフロストなどGⅠ競走馬を複数出し、やはり現役時代はGⅡ競走止まりだったテイクリスクスもGⅠ競走勝ち馬を含む複数のグループ競走勝ち馬を出して、本馬の直系を後世に伝えるべく頑張っている様子である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1989

Dadarissime

ヴィコンテスヴィジェ賞(仏GⅡ)・リューテス賞(仏GⅢ)・バルブヴィル賞(仏GⅢ)

1989

Gothland

サンフランシスコマイルH(米GⅡ)・イングルウッドH(米GⅡ)

1989

Take Risks

ジョンシェール賞(仏GⅢ)・メシドール賞(仏GⅢ)・エドモンブラン賞(仏GⅢ)

1991

Erminius

カウフホフ大賞(独GⅡ)

1991

Ravier

ナポリ市大賞(伊GⅢ)

1992

Admise

オークツリーターフCSS(米GⅠ)

1992

Saperlipoupette

ドイツヘロルト賞(独GⅢ)

1993

Baroud d'Honneur

プランスドランジュ賞(仏GⅢ)・ヴィシー大賞(仏GⅢ)

1993

Go Between

コンデ賞(仏GⅢ)

1994

Medaaly

レーシングポストトロフィー(英GⅠ)

1994

Verglas

コヴェントリーS(英GⅢ)

1997

Honorifique

マリオインチーサ賞(伊GⅢ)

1997

Perugina

エクリプス賞(仏GⅢ)

1997

Reve d'Oscar

サンタラリ賞(仏GⅠ)

1998

Do the Honours

モートリー賞(仏GⅢ)

1998

Homeland

アンドレバボワン賞(仏GⅢ)

1998

Sagacity

クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)

1999

Dedication

フォレ賞(仏GⅠ)・ボーゲイH(米GⅢ)

1999

Marotta

サンタラリ賞(仏GⅠ)・リディアテシオ賞(伊GⅡ)

1999

Vangelis

アルクール賞(仏GⅡ)・ヴィシー大賞(仏GⅢ)

2000

State of Art

ノネット賞(仏GⅢ)

2002

Santiago

独2000ギニー(独GⅡ)・リボー賞(伊GⅡ)・ヴィルトシャフト大賞(独GⅢ)

2003

Numide

オカール賞(仏GⅡ)

2004

Quest for Honor

グレフュール賞(仏GⅡ)

2005

Dunkerque

パレロワイヤル賞(仏GⅢ)・セーネワーズ賞(仏GⅢ)

2006

California Memory

香港C(香GⅠ)2回・香港金杯・香港チャンピオンズ&チャターC

2007

Dariole

ペネロープ賞(仏GⅢ)

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