バスティノ

和名:バスティノ

英名:Bustino

1971年生

鹿毛

父:バステッド

母:シップヤード

母父:ドーテル

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで14ポンドのハンデを与えた1歳年下のグランディと世紀の名勝負を演じた英セントレジャー馬

競走成績:2~4歳時に英仏で走り通算成績9戦5勝2着2回3着1回

誕生からデビュー前まで

英国の馬産家エドガー・クーパー・ブランド氏により生産され、1歳時にニューマーケットで行われたセリにおいて、レディ・ビーヴァーブルックことマーシャ・アナスタシア・クリストフォリデス夫人の代理人だったディック・ハーン調教師と、競馬アドバイザーに転身していたゴードン・リチャーズ元騎手の両名により見出され、2万1千ギニーで購入された。

クリストフォリデス夫人は1909年に英国で産まれた。加国の投資家だった初代准男爵ジェームズ・ハメット・ダン卿の個人秘書を務めた後、1942年に36歳年上のダン卿の3番目の妻となった。1956年に夫が死去すると、夫の友人だった初代ビーヴァーブルック男爵マックス・エイトキン卿と共に、夫の遺産を元手に教育・文化振興・野生動物保護などの慈善事業に勤しんだ。1963年にはエイトキン卿と再婚したが、翌年に夫は85歳で死去。その後は慈善事業だけでなく競馬にも興味を抱くようになり、複数の活躍馬を所有した。

彼女は自分が所有する馬の大半にアルファベット7文字の名前をつけていた。具体的には、騙馬としては当時英国最多のステークス競走12勝を挙げたロッキンジS・スプリントCなどの勝ち馬ボールドボーイ(Boldboy)、ベンソン&ヘッジズ金杯・ロッキンジSの勝ち馬レルキノ(Relkino)、愛セントレジャー・ロワイヤルオーク賞の勝ち馬ニニスキ(Niniski)、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの勝ち馬ペトスキ(Petoski)、英国際Sの勝ち馬テリモン(Terimon)、英2000ギニー馬ミスティコ(Mystiko)などであり、例外は英セントレジャー馬ミンスターサン(Minster Son)くらいである。その理由は、7という数字が彼女のラッキーナンバーだったほかに、過去の英ダービー馬には7文字馬名が多かったからという理由もあったらしい(もっとも、7文字馬名の英ダービー馬が極端に多いわけではない。あくまでも比較的多いというだけである)。本馬もアルファベット7文字の名前をつけられ、ハーン師に預けられた。父バステッドと同じく晩成の長距離馬であると目された本馬は早い段階から英ダービーを目標としていた。

競走生活(2・3歳時)

2歳8月にヨーク競馬場で行われたエイコムS(T6F)で主戦となるジョー・マーサー騎手を鞍上にデビューしたが、勝ったコンソラトリクスに12馬身差をつけられた3着に敗退。ハーン師は管理する有力馬を2歳時にはあまりレースに使わない主義の人物であり、本馬もまた2歳戦はこの1戦のみで終えることになった。

3歳時は4月のサンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ・T10F)から始動した。ここでは英シャンペンSで2着していたスノーナイトが1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ3.5倍の2番人気だった。結果は本馬が2着スノーナイトに半馬身差をつけて初勝利を挙げた。もっとも、このレースにおける斤量は本馬よりスノーナイトのほうが5ポンド重く、実力による勝利とは断定できなかった。しかし単勝オッズ2.625倍の1番人気で出走した次走のリングフィールドダービートライアルS(英GⅢ・T11F106Y)では、同斤量のスノーナイトを2馬身半差の3着に退けて、2着サインワイサインに1馬身差で勝利した。これで本馬は英ダービーの有力候補となった。

本番の英ダービー(英GⅠ・T12F)では、英2000ギニー・モルニ賞・サラマンドル賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム2着の6戦5勝馬ノノアルコ、ジムクラックS・英シャンペンSの勝ち馬で英2000ギニー2着のジャコメッティ、後に日本で種牡馬として記録的大成功を収めるエクリプス賞・トーマブリョン賞の勝ち馬ノーザンテースト、チェスターヴァーズ2着馬インペリアルプリンス、サインワイサイン、ディーSで2着してきた後の愛セントレジャー馬ミスティグリ、スノーナイトなどが対戦相手となった。ノノアルコが1番人気、ジャコメッティが2番人気、本馬とノーザンテーストが並んで3番人気となった。しかし当日のエプソム競馬場の馬場は非常に乾燥しており、どちらかと言えばスピードよりもスタミナを武器とする本馬には不適だった。レースは単勝オッズ51倍の11番人気まで評価を下げていたスノーナイトが中団からレース中盤で早くも先頭に立って押し切り、2番手で粘った2着インペリアルプリンスに2馬身差で勝利。それから1馬身差の3着に3番手で粘ったジャコメッティが入り、後方から追い込んだ本馬はジャコメッティから首差の4着だった(ノーザンテーストは本馬から5馬身差の5着、ノノアルコはそれから1馬身3/4差の7着だった)。

その後は渡仏してパリ大賞(仏GⅠ・T3100m)に出走した。しかしサガロの2馬身差2着に敗れた(後にコンセイユドパリ賞を2連覇してロワイヤルオーク賞で2着する仏ダービー3着馬カマラーンが本馬から半馬身差の3着だった)。もっとも、サガロは後にアスコット金杯を3連覇する名長距離馬であり、この距離ではサガロに一日の長があったようである。

帰国後は8月のグレートヴォルティジュールS(英GⅡ・T12F)に出走した。ここでは、愛ダービー・キングエドワードⅦ世Sの勝ち馬イングリッシュプリンス、ロイヤルロッジSの勝ち馬でキングエドワードⅦ世S2着のストレートアズアダイとの対戦となったが、本馬が2着イングリッシュプリンスに4馬身差、3着ストレートアズアダイにはさらに1馬身半差をつけて圧勝した。

翌月の英セントレジャー(英GⅠ・T14F127Y)では、単勝オッズ2.1倍で堂々の1番人気に支持された。同厩のペースメーカー役だったリボソンがハイペースの逃げを演出して、レースをスタミナ勝負に持ち込んで本馬を援護。本馬は直線に入ると悠々と抜け出し、2着ジャコメッティ(続いて出走した英チャンピオンSに勝利している)に3馬身差、3着に粘ったリボソンにはさらに4馬身差をつけて完勝した。3歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は6戦4勝となった。

競走生活(4歳時)

4歳時は5月のヨークシャーCで復帰する予定だったが、調整が遅れて回避した。本馬不在のヨークシャーCは、英セントレジャーで3着だった同厩馬リボソンが勝利した。一方の本馬は翌6月のコロネーションC(英GⅠ・T12F)で復帰した。単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された本馬は、ペースメーカー役のリボソンが作り出すハイペースの中を積極的に先行。直線では、ドーヴィル大賞・ジャンドショードネイ賞の勝ち馬でロワイヤルオーク賞3着のアシュモアとの叩き合いとなった。しかし本馬が競り勝ち、2着アシュモアに1馬身差、3着となったパークヒルS・ナッソーS・ランカシャーオークスの勝ち馬でヨークシャーオークス2着のミルズボムにはさらに6馬身差をつけて勝利した。このときの勝ちタイム2分33秒31は、1936年の英ダービーでマームードが計時した2分33秒8を更新する、エプソム競馬場12ハロンのコースレコードとなった。このコースレコードは1995年の英ダービーでラムタラが2分32秒31を計時するまで20年間も更新されなかった優秀な記録である。

続いてキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)に出走。この年からダイヤモンドの採掘・流通会社デビアスがスポンサーとなった同競走には、英ダービー・愛ダービー・愛2000ギニー・デューハーストS・英シャンペンSの勝ち馬で英2000ギニー2着のグランディ、同競走2連覇に加えてサンタラリ賞・愛オークス・ワシントンDC国際S・サンクルー大賞・ベンソン&ヘッジズ金杯・マンノウォーSとGⅠ競走で8勝を挙げていた女傑ダリア、バーデン経済大賞・ミラノ大賞・エクリプスSと3連勝中の独国調教馬スターアピール、アシュモア、ドーヴィル大賞・アルクール賞の勝ち馬でミラノ大賞・イタリア大賞・バーデン大賞・ガネー賞2着のカードキング、前年の愛オークス・ヨークシャーオークス・チェシャーオークスの勝ち馬ディビデイル、プリンセスオブウェールズSの勝ち馬リブラズリブ、サンクルー大賞2着馬オンマイウェイなどが出走していた。

欧州クラシック競走3連勝中のグランディが単勝オッズ1.8倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ5倍の2番人気となった。人気では水をあけられていたが、グランディの英ダービーにおける勝ちタイム2分35秒35と、その英ダービーの3日後に同じコースで行われたコロネーションCにおける本馬の勝ちタイム2分33秒31を比較すると本馬のほうが2秒以上も速く、単純に持ち時計だけで言えば本馬にとっては負けられない1戦となった。本馬陣営はハイペースの時計勝負に持ち込むのが有利と判断し、ハイエストとキングレットの2頭のペースメーカーを用意していた(リボソンは故障のため回避)。

ゲートが開くとすかさずハイエストが先頭、キングレットが2番手で馬群を先導。3番手にスターアピールがつけ、好スタートを切った本馬はその後方の4番手につけた。グランディは本馬をマークする形で進み、ダリアは後方に控えた。2頭のペースメーカーが効いて超ハイペースでレースが展開していった。ハイエストがレース中盤で失速すると代わってキングレットが先頭に立ち、そのままレースを引っ張っていった。三角手前で本馬鞍上のマーサー騎手が仕掛け、キングレットとスターアピールの2頭を抜いて先頭に踊り出た。それを見たグランディ鞍上のパット・エデリー騎手は本馬の追撃を開始した。2頭の差はなかなか縮まらず、3~4馬身ほどの差をつけて本馬が直線に突入して押し切る構えを取った。しかし残り2ハロン地点からグランディが猛然と本馬を追い上げてきた。残り1ハロン地点で2頭の馬体が並び、そしてグランディが前に出た。普通ならここまでだが、なんと本馬はここから凄まじい闘争心を発揮して差し返した。しかしグランディも負けずと差し返してきた。英国競馬史上最高の名勝負とも謳われるこの一騎打ちは、エデリー騎手が9回も鞭を使ったグランディに軍配が上がり、ゴール前で手前変えに失敗してバランスを崩した本馬は半馬身差の2着に惜敗した。

しかし3着ダリアが5馬身離されていたことを考えると、この2頭の力が抜きん出ていたことが良く分かる。また、3歳馬グランディの斤量119ポンドに対して、古馬である本馬の斤量は133ポンドであり、その差は実に14ポンドもあった(現在のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSでは古馬と3歳馬の斤量差は12ポンドとなっている)ことには留意するべきであろう。ハーン師は負けて悔いは無かったのか、レースが終わるとすぐに、グランディを管理していたピーター・ウォルウィン調教師の元へ駆け寄って握手をしたという。

この本馬とグランディの一騎打ちは名勝負として名高く、各方面から“The Race of the Century(世紀の一戦)”として讃えられている。“The Race of the Century”と呼ばれるレースは米国には複数存在するが、英国ではこの年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの半ば固有名詞と化している。また、グランディの勝ちタイム2分26秒98は、第1回の同競走でシュプリームコートが計時したレースレコード2分29秒66を約2秒7、アスコット競馬場12ハロンのコースレコードをも約2秒5も更新する驚異的なレコードタイムだった。コースレコードとしてはこの8年後の1983年に行われたハードウィックSで後のジャパンC勝ち馬スタネーラが2分26秒9を計時して更新されたが、レースレコードとしては、アスコット競馬場が改修されて速いタイムが出易くなった後の2010年にハービンジャーが2分26秒78を計時して11馬身差で圧勝するまで35年間も破られなかった。

しかしこの激走の反動は大きく、本馬とグランディの2頭はレース後には比喩でなく完全に燃え尽きてふらふらだった。その後の本馬は凱旋門賞を目標とすることになり、前売りオッズで単勝5倍の1番人気に支持された。しかし凱旋門賞に向けた調教中に前脚の屈腱炎を発症してしまい、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSから1か月後に現役引退が発表された。なお、グランディもその10日前のベンソン&ヘッジズ金杯でダリアの4着に敗れたのを最後に故障引退となっている。

血統

Busted Crepello Donatello Blenheim Blandford
Malva
Delleana Clarissimus
Duccia di Buoninsegna
Crepuscule Mieuxce Massine
L'Olivete
Red Sunset Solario
Dulce
Sans le Sou ヴィミー Wild Risk Rialto
Wild Violet
Mimi Black Devil
Mignon
Martial Loan Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Loan Portlaw
Borrow
Ship Yard Doutelle Prince Chevalier Prince Rose Rose Prince
Indolence
Chevalerie Abbot's Speed
Kassala
Above Board Straight Deal Solario
Good Deal
Feola Friar Marcus
Aloe
Paving Stone Fairway Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Rosetta Kantar Alcantara
Karabe
Rose Red Swynford
Marchetta

バステッドは当馬の項を参照。

母シップヤードは現役成績10戦3勝。本馬以外にはこれといった産駒はいない。シップヤードの半姉フォリーシュプリーム(父シュプリームコート)の子にはマザリン【フォルス賞・リス賞】がいる。

シップヤードの母ペイヴィングストーンの半姉キーストーン【チェヴァリーパークS】の曾孫にはマジックコート【英チャンピオンハードル】、玄孫世代以降には、ミホノブルボンの父マグニテュードの母であるアルテッスロワイヤル【英1000ギニー(英GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)】、エルハーブ【英ダービー(英GⅠ)】、ウィンチェスター【セクレタリアトS(米GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)・ジョーハーシュターフクラシック招待S(米GⅠ)・ソードダンサー招待S(米GⅠ)】、日本で走ったマサタカラ【カブトヤマ記念・ダイヤモンドS・オールカマー】などがいる。

ペイヴィングストーンの半姉ストーンオブフォーチュンの子にはフォーチュイティ【コロネーションS】、牝系子孫には、日本で走ったスイフトセイダイ【ダービーグランプリ・南部駒賞・東北サラブレッド三歳チャンピオン・ダイヤモンドC・不来方賞・みちのく大賞典2回・東北サラブレッド大賞典・シアンモア記念2回】、メイショウカイドウ【小倉記念(GⅢ)2回・小倉大賞典(GⅢ)・北九州記念(GⅢ)・七夕賞(GⅢ)】などがいる。

ペイヴィングストーンの半姉ムーンストーンの孫にはイーヴンスター【愛1000ギニー】、玄孫世代以降には、クアック【ハリウッド金杯・カリフォルニアンS(米GⅠ)2回】、ノクターナルスプリー【英1000ギニー(英GⅠ)】、ムーナックス【英セントレジャー(英GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】、フレメンスファース【リュパン賞(仏GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)】、ワイルドラッシュ【カーターH(米GⅠ)・メトロポリタンH(米GⅠ)】、 スキャットダディ【シャンペンS(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)】、インクルードミーアウト【サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・クレメントLハーシュS(米GⅠ)】、シャラー【モルニ賞(仏GⅠ)・ミドルパークS(英GⅠ)】、日本で走ったシャドウ【浦和桜花賞・関東オークス・報知オールスターC・キヨフジ記念】、カシワズプリンセス【東京三歳優駿牝馬・京浜盃・黒潮盃・羽田盃】、エビスヤマト【新潟ジュニアC・新潟ダービー・開設記念・新潟記念】、ネフェルメモリー【東京2歳優駿牝馬・浦和桜花賞・東京プリンセス賞・栄冠賞・フローラルC】などがいる。

ペイヴィングストーンの全姉コブルストーンの牝系子孫には、アマーヌッラー【ジョージメインS】、ペニーエディション【トゥーラックH(豪GⅠ)】、ロイヤルヒロイン【BCマイル(米GⅠ)・ハリウッドダービー(米GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)】、カーマインレイク【アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)】などがいる。

ペイヴィングストーンの従兄弟にはアリシドン【アスコット金杯・グッドウッドC・ドンカスターC・プリンセスオブウェールズS・ジョッキークラブS】などもいる。→牝系:F1号族①

母父ドーテルはプリンスローズの後継種牡馬プリンスシュヴァリエ産駒で、現役成績は17戦7勝。リングフィールドダービートライアルS・カンバーランドロッジS・ジョンポーターS・オーモンドSなどに勝ち、デューハーストSで2着、アスコット金杯とキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSで3着している。種牡馬としてもデューハーストS・オブザーヴァー金杯の勝ち馬プリテンドル(ケンタッキーダービー・プリークネスSを制したキャノネロの父)などを出して成功を収めかけたが、牧場内の事故により8歳の若さで他界してしまった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は50万ポンド(資料によっては60万ポンドとなっている)の種牡馬シンジケートが組まれて、英国ロイヤルスタッドで種牡馬入りした。種牡馬としても多くの活躍馬を出して成功したが、むしろ繁殖牝馬の父としての活躍が顕著である。特に牝駒ハイトオブファッションがアンフワインナシュワンネイエフなどの活躍馬を続出させ、ナシュワンが活躍した1989年には英愛母父首位種牡馬に輝いた。母父としては他にも、愛セントレジャー2連覇・メルボルンC勝ちの名長距離馬ヴィンテージクロップや、愛2000ギニー・ムーランドロンシャン賞・クイーンエリザベスⅡ世SとマイルGⅠ競走3勝のデザートプリンスなどを送り出している。本馬は1997年10月に26歳で他界した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1977

Easter Sun

コロネーションC(英GⅠ)

1978

Alma Ata

パークヒルS(英GⅡ)

1978

Bustomi

キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)・ゴードンS(英GⅢ)

1978

Kittyhawk

ロウザーS(英GⅢ)

1979

Dish Dash

リブルスデールS(英GⅡ)

1979

Height of Fashion

プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)・メイヒルS(英GⅢ)・フィリーズマイル(英GⅢ)

1980

Bedtime

ゴントービロン賞(仏GⅢ)・セプテンバーS(英GⅢ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)・ブリガディアジェラードS(英GⅢ)

1981

Borushka

パークヒルS(英GⅡ)

1981

Stufida

リディアテシオ賞(伊GⅠ)・ロイヤルメアズ賞(伊GⅢ)

1982

Rakaposhi King

ジョンポーターS(英GⅢ)・オーモンドS(英GⅢ)

1982

Supreme Leader

アールオブセフトンS(英GⅢ)・ゴードンリチャーズS(英GⅢ)

1983

Paean

アスコット金杯(英GⅠ)

1986

Terimon

英国際S(英GⅠ)・アールオブセフトンS(英GⅢ)2回

1988

Brockette

ドルメロ賞(伊GⅢ)

1989

Cunning

プリンセスロイヤルS(英GⅢ)

1990

Talented

サンチャリオットS(英GⅡ)

1991

Bulaxie

フレッドダーリンS(英GⅢ)

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