和名:クルシフィックス |
英名:Crucifix |
1837年生 |
牝 |
鹿毛 |
父:プライアム |
母:オクタヴィアナ |
母父:オクタヴィアン |
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歴史上初めて英国クラシック競走3勝を挙げた生涯不敗の伝説的名牝は繁殖牝馬としても一流の成績を残し後世にも大きな影響を与える |
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競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績12戦12勝 |
誕生からデビュー前まで
英国保守党所属の政治家だった第6代チェスターフィールド伯爵ジョージ・スタンホープ卿により生産された英国産馬である。やはり保守党所属の政治家だった第4代ポートランド公爵ウィリアム・ヘンリー・キャベンディッシュ・スコット・ベンティンク卿の三男ウィリアム・ジョージ・フレデリック・キャヴェンディシュ・スコット・ベンティンク卿により、当歳時に母オクタヴィアナと一緒に65ギニーで購入され、ジョン・バーラム・デイ調教師に預けられた。
成長すると体高は約16ハンドに達したというから、当時としてはかなり背が高い牝馬だった。ただし、体格は細身であり、理想的な馬格からはかけ離れていたと評されている(海外の資料には“wiry”と記載されている。これには「細い」の他に「屈強な」という意味もあり、そのように解釈している日本の資料もあるが、文脈からすると原文では「細い」の意味で使用されているようである)。本馬の体格について“Thoroughbred Bloodlines”に具体的な記載があるので掲載すると、「痩せた頭部、長い耳、大きく開いた鼻の穴、細長い首、薄い肩、奥行きがあるが幅が狭い胸、短い肋骨、扁平な脇腹と太股、しおれたような四肢、バレリーナのように外向した小さな爪先」の持ち主であり、優れているのは大人しそうな目だけだったという(ただし、神経質な気性の持ち主だったようである)。このように馬格についてはかなり酷評されているが、それに続いて「猫のようにすばしっこく、努力することも無く僅かなストライドでトップスピードに到達できる能力を有していた」とも記載されている。
競走生活(2歳時)
2歳7月にニューマーケット競馬場で行われたジュライS(T6F)でデビューして、カレンシー(後に仏2000ギニー・仏ダービー馬サンジェルマンと、仏オークス・仏ダービー・グッドウッドCの勝ち馬ジュヴァンスの母となる)、スタンブール、カンビュセス、ペティートといった馬達を馬なりのまま蹴散らして、2着カレンシーに2馬身差で勝利した。引き続きニューマーケット競馬場で出た次走のチェスターフィールドS(T5F)では、前走より9ポンド重い斤量(トップハンデ)が課されたが、イリス、ヘレスポント、スタンブールなどに勝利した(ただしこのレースは実は2回行われている。メルルという馬がフライングして不成立となった最初のレースではイリスが1位入線して本馬は2位入線だった。2回目のレースはメルルが除外されて実施されている)。
次走のラヴァントSでは、馬なりのままファイアフライやエグジットといった馬達に勝利した。グッドウッド競馬場で出たモールコームS(T6F)では、イリスやディフェンダントを破って勝利。ニューマーケット競馬場で出たホープフルS(T6F)では、ジェフィー、カポウティ、レイモンド、ヘレスポント、ファイアフライ、ペルセウスなどを相手に1馬身差で勝利した。その後、スウィープSを単走で勝利し、ジュライSのときよりも7ポンド重い斤量を背負って出たクリアウェルSでは、ジブラルタル、カポウティなどに1馬身差で勝利した。さらにプレンダーガストS(T5F)では、ニコラス、カポウティなどに1馬身差で勝利。クリテリオンS(T6F)では、ジブラルタルと同着で勝利を収め、3着ポカホンタス(種牡馬の皇帝ストックウェルの母)を3着に退けた。2歳時の成績は9戦全勝だった。
競走生活(3歳時)
3歳時はいきなり牡馬相手の英2000ギニー(T8F)から始動し、コンフェデレート、アンジェロ、後のセントジェームズパレスSの勝ち馬スクタリ、カポウティ、ブラックベックなどを蹴散らして、2着コンフェデレートに1馬身差で勝利した。続く英1000ギニー(T8F)では、単勝オッズ1.1倍という断然の1番人気に応えて、後のナッソーSの勝ち馬ローザビアンカ、後のコロネーションSの勝ち馬スパングル、シリストリアなどを蹴散らして、2着ローザビアンカに1馬身差で勝利した。この単勝オッズ1.1倍というのは2015年現在においても同競走史上最も低い単勝オッズでの勝利である。また、英2000ギニーと英1000ギニーを1頭で両方制覇したのも史上初のことだった(後にフォーモサ、ピルグリメージュ、セプターの3頭が達成)。なお、英2000ギニーと英1000ギニーの出走順についてだが、複数の日本の資料では、先に英1000ギニーに出て次に英2000ギニーに出たとなっているが、海外の資料における本馬の競走記録には、英2000ギニー、英1000ギニーの出走順で記載されている。本馬の年は両競走の施行日が記録に無いのだが、後年に両競走を勝利したフォーモサ、ピルグリメージュ、セプターの3頭の時は全て英2000ギニーの2日後に英1000ギニーが行われたと明記されているから、多分本馬の時も同様であると思われる。
その後は英ダービーには出走せずに英オークス(T12F)に向かった。同父のウェルフェア、テレタ、ララロッホ、ポカホンタスなど14頭が対戦相手となったが、何度も何度もフライングがあり、発走が1時間も遅れる事態となった。どうも、他馬の騎手が本馬を焦ら立たせるために意図的にフライングを繰り返したのが真相らしく、後に本馬の馬主ベンティンク卿がこうした卑怯な戦術を禁止するために故意に発馬を遅らせた騎手には罰金を課すルールを制定させるきっかけになったという。ようやく15回目にして正規のスタートが切られると、フライングによる妨害など無かったかのように、2着ウェルフェア以下を蹴散らして優勝。これにより本馬は史上初めて英国クラシック競走に3度勝った馬となった。しかしこの英オークスのレース中に脚を痛めてしまい、そのまま3歳時3戦全勝の成績で競走馬を引退した。
本馬が英国クラシック3競走を制した1840年は、後の1853年にウエストオーストラリアンが史上初の英国三冠馬になる13年前である。本馬はいわゆる変則三冠馬として扱われていると記載されていた日本の資料を見かけたが、実際には英国で本馬を三冠馬として扱う事は無い(そもそも変則三冠馬なる表現は日本独自の表現であるらしく、本馬以外の馬に関しても海外の資料では全く見かけない)。また、英国クラシック競走を3勝以上した牝馬は本馬を含めて10頭いるが、その中で英セントレジャーを勝っていないのは本馬だけである(他の9頭は全て英国牝馬三冠馬)。
本馬の競走経歴を見ると、それほど他馬に差をつけて勝ったことは無いのだが、そのどれもが楽勝と言える内容だったらしく、「記録に残る中では最も非凡な動物の1頭」であると評されている。1886年6月に英スポーティングタイムズ誌が競馬関係者100人に対してアンケートを行うことにより作成した19世紀の名馬ランキングにおいては、第20位にランクインした。牝馬に限定すると、ヴィラーゴ、プレザントゥリに次ぐ第3位となっている。
血統
Priam | Emilius | Orville | Beningbrough | King Fergus |
Fenwick's Herod Mare | ||||
Evelina | Highflyer | |||
Termagant | ||||
Emily | Stamford | Sir Peter Teazle | ||
Horatia | ||||
Whiskey Mare | Whiskey | |||
Grey Dorimant | ||||
Cressida | Whiskey | Saltram | Eclipse | |
Virago | ||||
Calash | Herod | |||
Teresa | ||||
Young Giantess | Diomed | Florizel | ||
Sister to Juno | ||||
Giantess | Matchem | |||
Molly Long Legs | ||||
Octaviana | Octavian | Stripling | Phoenomenon | Herod |
Frenzy | ||||
Laura | Eclipse | |||
Locust Mare | ||||
Oberon Mare | Oberon | Highflyer | ||
Queen Mab | ||||
Sister to Sharper | Ranthos | |||
Sweepstakes Mare | ||||
Shuttle Mare | Shuttle | Young Marske | Marske | |
Blank Mare | ||||
Vauxhall Snap Mare | Vauxhall Snap | |||
Hip | ||||
Zara | Delpini | Highflyer | ||
Countess | ||||
Flora | King Fergus | |||
Atalanta |
父プライアムは当馬の項を参照。
母オクタヴィアナの競走馬としてのキャリアは不明。繁殖牝馬としては本馬の半兄クルセイダー(父セルヴァンテス)【ジュライS】も産んでいる。オクタヴィアナが本馬を産んだのは22歳のときであり、当時としては非常な高齢出産だった。本馬の半姉レディ(父ジンガニー)の牝系子孫は主に仏国や伊国で繁栄したが、20世紀中頃をピークに衰退し、現在ではほとんど見かけなくなっている。→牝系:F2号族②
母父オクタヴィアンは英セントレジャー馬で、種牡馬としてはやはり英セントレジャー馬であるアントニオも出した。遡ると、ストライプリング、英セントレジャー・ドンカスターCの勝ち馬フェノメノンを経てヘロドに行きつく血統。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は所有者ベンティンク卿の元で繁殖入りした。後の1846年にベンティンク卿が所有する馬全てを売却した(その理由は政治活動の続行のためであるとされている)際に、本馬は3番子の牡駒サープライス(父タッチストン)と共に、英国の政治家第2代モスティン男爵エドワード・ロイド・モスティン卿により1万ポンドで購入され、英国ハンプシャー州ストックブリッジ近郊のデインベリースタッドに移動した。なお、1848年にベンティンク卿が死去すると、彼が所有していた種牡馬ベイミドルトンもモスティン卿により購入されてデインベリースタッドに来ている。さらに本馬はサープライスが2歳時の1847年暮れに、息子共々第3代クリフデン子爵ヘンリー・アガー・エリス卿の所有馬となっているが、本馬自身はデインベリースタッドから動くことは無かった。
サープライスは1848年の英ダービー・英セントレジャーを制覇(この2競走を両方勝ったのは1800年のチャンピオン以来48年ぶり史上2頭目)して、母子2代合わせて英国クラシック5競走完全制覇を達成している。他の産駒には、種牡馬として活躍した初子の牡駒カウル(父ベイミドルトン)、本馬の牝系を後世に伸ばした6番子の牝駒ロザリー(父タッチストン)、ロイヤルハントCの勝ち馬で後に英オークス馬プラシダの祖母となった9番子の牝駒チャリス(父オーランド)がいる。
本馬は1857年にデインベリースタッドにおいて20歳で他界した(ただし“Thoroughbred Bloodlines”には1858年に他界したとあり、いずれが正しいか判然としない)。本馬の遺体は1857年に先に亡くなったベイミドルトンの隣に埋葬された。2頭の墓の周囲には杉の木や花々が植えられたという。
後世に与えた影響
本馬の牝系子孫を発展させたのはロザリーで、曾孫にレディスラス【デューハーストプレート・ジョッキークラブC】、玄孫世代以降にアジャックス(テディの父)【仏ダービー・パリ大賞・リュパン賞】、プリシピテイション【アスコット金杯】、パーシャンガルフ【コロネーションC】、メルド【英1000ギニー・英オークス・英セントレジャー】、シャルロットタウン【英ダービー・コロネーションC】、カラグロウ【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)】、シャフツベリーアヴェニュー【ジョージメインS(豪GⅠ)・ホンダS(豪GⅠ)・ライトニングS(豪GⅠ)・ニューマーケットH(豪GⅠ)・オールエイジドS(豪GⅠ)・コーフィールドS(豪GⅠ)】、ラムルマ【英オークス(英GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)】、ラモンティ【ヴィットリオディカプア賞(伊GⅠ)・クイーンアンS(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・香港C(香GⅠ)】、それに日本で走ったレッドイーグル【朝日杯三歳S】、ニシキエース【安田記念】、サクラゴッド【スプリンターズS】、キヨヒダカ【安田記念】、リードエーティ【阪神三歳S】、チャンピオンスター【帝王賞2回・大井記念・東京記念・報知オールスターC】、アブクマポーロ【川崎記念(GⅠ)2回・帝王賞(GⅠ)・東京大賞典(GⅠ)・グランドチャンピオン20002回・マイルグランプリ】、ヒカリルーファス【全日本三歳優駿・羽田盃】などが出ている。