スーザンズガール

和名:スーザンズガール

英名:Susan's Girl

1969年生

鹿毛

父:クォドラングル

母:クウェイズ

母父:クィブ

長きに渡り一線級で活躍し現役中の骨折も見事に克服して米国競馬史上初の100万ドル牝馬に輝いた偉大なる名牝

競走成績:2~6歳時に米で走り通算成績63戦29勝2着14回3着11回

誕生からデビュー前まで

フロリダ州オカラにおいて、フレッド・ウィリアム・フーパー氏により生産・所有された(生産者名義は息子のフーパー・ジュニア氏になっている)。ジョージア州クリーブランド市の貧しい牧場に生まれたフーパー氏だったが、様々な仕事を転々とした後に、建設業で財産を築くことに成功した。馬主として最初に購入した馬に息子フーパー・ジュニア氏の名前をつけて走らせたところ、このフープジュニアが1945年のケンタッキーダービーを制覇してしまった。初めて買った馬がケンタッキーダービー馬になるという幸運に恵まれたフーパー氏は、アラバマ州モントゴメリーやフロリダ州オカラに牧場を購入して牛や馬の生産を開始。2000年に102歳で死去するまでの50年に及ぶ馬産人生において、本馬やプレシジョニストなど100頭以上のステークスウイナーを送り出した。

キューバ生まれの騎手エージェントであるカミーロ・マリン氏と共同で、中南米から優れた騎手を米国に連れてくることで知られた人物でもあり、いずれもパナマ出身であるラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手、ブラウリオ・バエザ騎手、ホルヘ・ヴェラスケス騎手は全てフーパー氏の専属騎手として米国におけるキャリアを開始している。米国ジョッキークラブの会員としてブリーダーズカップ創設に携わり、サラブレッド馬主生産者協会の初代会長も務めるなど、米国競馬界における彼の功績は非常に大きい。本馬はジョン・W・ラッセル調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にベルモントパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦でデビューしたが、後のアストリアSの勝ち馬ブレンダビューティから10馬身差をつけられた4着と完敗。2週間後に同コースで行われた未勝利戦では、ボールドイグザンプル(ジルザルポリッシュプレシデントの祖母)の半馬身差2着に惜敗した。さらに3週間後に行われたアケダクト競馬場ダート5.5ハロンの未勝利戦を2着アーリータイドに4馬身差で勝ち上がった。その2週間後に出走した同コースの一般競走では5馬身差で圧勝。その後はフィラデルフィアにあるリバティーベル競馬場で新設競走シグネチュアS(D6F)に出て、シェイディウェルSを勝ってきたヘンペンスソングを5馬身差の2着に破って圧勝した。その後はアディロンダックS(D6F)に出たが、アストリアSで2着してきたデビーデブの2馬身差5着(このレースにはナンバードアカウントも出走していたが3着に敗れている)に敗退。次走のアスタリタS(D7F)でも、デュラズナSを勝ってきたバーレイイーヴン(スティルインラブの曾祖母)の3馬身1/4差4着に敗れた。

10月にベルモントパーク競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走では2着ボールドロイヤルに5馬身差で勝ち、続いてフリゼットS(D8F)に出走した。しかしこのレースでは、アディロンダックSで不覚の敗戦を喫した以外はファッションS・スカイラヴィルS・スピナウェイS・メイトロンSと全勝していたナンバードアカウントが本馬の前に立ち塞がり、7馬身差をつけられて2着に完敗した(3着バーレイイーヴンには先着した)。続くガーデンステート競馬場ダート8ハロン70ヤードの一般競走では、ボールドロイヤルの2馬身半差2着に敗退。次走のガーデニアS(D8.5F)で、セリマSを勝ってきたナンバードアカウントと再度対戦したが、やはり敵わず2馬身3/4差の2着に敗れた。次走のデモワゼルS(D8F)もドレスデンドールの2馬身差2着に敗れた。しかしリバティーベル競馬場で出走したヴィレッジャーS(D8F70Y)では、2着ロイヤルキンに8馬身差をつけて圧勝して、4戦連続2着の鬱憤を晴らした。2歳時の成績は13戦5勝だった。

競走生活(3歳時)

3歳時も休み無く、1月のサンタアニタパーク競馬場開催から始動。初戦のパサデナS(D6F)では、翌月のサンタイサベルSを勝つ2着スマトラ(ベルモントSの勝ち馬サミングの母)に3/4馬身差をつけて、1分08秒6のレースレコードで勝利。次走のサンタイネスS(D7F)では、フォアシアー(名種牡馬カーリアンの母)を3馬身1/4差の2着に、デルマーデビュータントSの勝ち馬インプレッシヴスタイルを3着に破り、1分21秒8のレースレコードで勝利。サンタスサナS(D8.5F・現:サンタアニタオークス)では、2着ダンプティーズドリームに3馬身半差をつけて完勝した。

チャーチルダウンズ競馬場に場所を移して出走したラトロワンヌS(D7F)では、フリゼットS3着後にゴールデンロッドS・ジャスミンS・アッシュランドSを勝っていたバーレイイーヴンとの対戦になったが、バーレイイーヴンを1馬身3/4差の2着に破って勝利した。翌月のケンタッキーオークス(D8.5F)でも、バーレイイーヴンを1馬身差の2着に破って優勝し、12年前に母クウェイズが2着に敗れた雪辱を果たした。

その後はニューヨーク牝馬三冠路線に進んだ。まずはエイコーンS(D8F)に出て、2着ワンダに2馬身半差をつけて、1分34秒6のレースレコードで完勝。しかし続くマザーグースS(D9F)ではワンダに首差敗れて2着に終わった。CCAオークス(D12F)では、マザーグースS3着後にヘンプステッドHを勝ってきたブラックアイドスーザンSの勝ち馬サマーゲスト(カワカミプリンセスの4代母)、ワンダの2頭に屈して、勝ったサマーゲストから8馬身差をつけられた3着と完敗。

その後はハリウッドパーク競馬場に向かい、プリンセスS(T8.5F)に出走した。しかし初の芝レースだったことも影響したのか、ハネムーンSを勝ってきたルクレの頭差2着に惜敗。ハリウッドオークス(D9F)でも、パリシマの1馬身3/4差3着に敗れた。しかしリバティーベル競馬場に場所を移して出走したコティリオンH(D8.5F)では、ポストデブSを勝ってきたグロートンミスを4馬身半差の2着に破って復調。続くガゼルH(D9F)では、コティリオンHで3着だったオネストウスを1馬身半差の2着に、デラウェアオークスの勝ち馬ライトハーテッドを3着に破って勝利した。

次走のベルデイムS(D9F)では、CCAオークスで本馬を圧倒した後にモンマスオークス・アラバマSも勝っていたサマーゲスト、スピンスターS・ヴェイグランシーH・フォールハイウェイトHを勝っていた1歳年上のシュークルート、そしてこの年にプライオレスS・テストS・マスケットHを勝っていた前年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬ナンバードアカウントとの久々の対戦となった。しかし既に本馬とナンバードアカウントの立場は逆転しており、結果は本馬が2着サマーゲストに1馬身差をつけて勝利を収め、ナンバードアカウントは5着に終わった。3歳時は13戦9勝の成績で、この年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬に選出された。

競走生活(4歳時)

翌4歳時はチャック・パーク厩舎に転厩して本拠地を米国西海岸に移し、1月にサンタアニタパーク競馬場で行われた牡馬相手のマリブS(GⅡ・D7F)から始動した。しかし、デルマーダービー・ヴォランテHの勝ち馬ビッカー、ハリウッドジュヴェナイルCSS・カリフォルニアジュヴェナイルS・サンハシントSを勝っていたロイヤルオウルといった牡馬勢に屈して、勝ったビッカーから5馬身差の5着と完敗。次走のサンフェルナンドS(GⅡ・D9F)でも、前走と同じくビッカーやロイヤルオウル達に屈して、勝ったビッカーから4馬身1/4差の5着と、2戦続けて牡馬に完敗してしまった。

しかし牝馬限定戦に戻ったサンタマリアH(GⅡ・D8.5F)では、ヴァニティHの勝ち馬コンビニエンス、英国でサンチャリオットS・プリンセルロイヤルSを勝った後に米国に移籍してビヴァリーヒルズH・デルマーHを勝っていたヒルサーカス達を撃破し、2着コンビニエンスに半馬身差で勝利した。次走サンタマルガリータ招待H(GⅠ・D9F)でも127ポンドを背負いながら、コンビニエンスを3馬身差の2着に退けて優勝した。さらにサンタバーバラH(GⅠ・D10F)では129ポンドを背負いながらも、2着ヴェイルドデザイアーに4馬身3/4差をつけて圧勝。しかし次走ロングビーチH(GⅡ・T9F)では久しぶりの芝に加えて130ポンドの斤量が堪えたのか、15ポンドのハンデを与えたサンタアナHの勝ち馬バードブーツの頭差2着に惜敗した(120ポンドのヒルサーカスが3着だった)。

牡馬相手となったセンチュリーH(GⅠ・T11F)では、前年の同競走とサンタアニタH・サンガブリエルH・サンマルコスH・サンフアンカピストラーノ招待H・カリフォルニアンS2回・ハリウッドパーク招待ターフH・オークツリー招待H2回・カールトンFバークHを勝っていた西海岸最強牡馬クーガーに歯が立たず、7馬身3/4差をつけられて4着に終わった。128ポンドのミレイディH(GⅡ・D8.5F)では、本馬が勝ったサンタマルガリータ招待Hで3着だったサンタアナHの勝ち馬ミンストレルミスの1馬身差2着に敗退。127ポンドのヴァニティH(GⅠ・D9F)では、コンビニエンスとミンストレルミスの2頭に屈して、2連覇を飾ったコンビニエンスから1馬身3/4差の3着に終わった。

しかし過去3戦全勝だったリバティーベル競馬場に移動して出走したサスケハナH(GⅡ・D8.5F)では、ロングアイランドH・ホワイトマーシュHの勝ち馬トゥイクストを3馬身半差の2着に破って快勝。本馬がリバティーベル競馬場で出走したのはこれが最後で、この競馬場では4戦全勝となった。次走のデラウェアH(GⅠ・D10F)では127ポンドを背負いながらも、グレイラグH・ボーリンググリーンHを勝ってきた前年の好敵手サマーゲストを首差の2着に、モリーピッチャーH・ヘンプステッドHを勝ってきた前年のガゼルH3着馬ライトハーテッドを3着に破って勝利した。

続いて2連覇を目指してベルデイムS(GⅠ・D9F)に出走した。このレースには、モンマスオークス・デラウェアオークス・テストS・アラバマS・ガゼルHとGⅠ競走5勝を含む7連勝中と勢いに乗る3歳馬デザートヴィクスンとの、現役米国最強牝馬の座を賭けた対決となった。しかし結果はデザートヴィクスンが、2着となったトップフライトH・ベッドオローゼズHの勝ち馬でエイコーンS2着のポーカーナイトに8馬身半差をつけて圧勝してしまい、本馬はポーカーナイトからさらに3馬身半差の3着に敗退した。続くマッチメイカーS(GⅠ・D9.5F)では、ヴァインランドH2回・ポストデブS・コティリオンH・ブラックヘレンH・マーゲイトH・ベッツィーロスHを勝っていた1歳年上のアルマノース、デラウェアH3着後にマスケットHを勝っていたライトハーテッドの2頭に後れを取り、アルマノースの1馬身1/4差3着に敗れた。

しかしシーズン最後のレースとなったスピンスターS(GⅠ・D9F)では、ライトハーテッドを1馬身差の2着に、アルキビアデスS・ポストデブSの勝ち馬コラッジオソを3着に破って勝利。4歳時は14戦6勝の成績を残し、この年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれた。

競走生活(5歳時)

4歳時までに既に50万3000ドル以上を稼いでいた本馬は、シュヴィーが保持していた牝馬の獲得賞金記録(89万445ドル)更新、さらには史上初の100万ドル牝馬を目指して翌5歳時も現役を続けた。

しかし、サンタモニカH(GⅡ・D7F)では、チリから米国に移籍してモンロヴィアH・サンタポーラHを勝っていたティズナの半馬身差2着に惜敗。牡馬に挑んだサンパスカルH(GⅡ・D8.5F)では、ホーソーン金杯Hの勝ち馬トライジェット、ディスカヴァリーH・スタイミーHの勝ち馬フォレージの2頭の牡馬に屈して、トライジェットの3馬身差3着に敗退。サンタマリアH(GⅡ・D8.5F)では、コンビニエンス、ティズナ、サンタイネスSの勝ち馬タラートなどに屈して、コンビニエンスの2馬身3/4差5着に敗退。

そしてサンタマリアHの直後に左前脚の剥離骨折を発症して、競走馬引退の危機に瀕した。しかし本馬に100万ドル牝馬になってほしかったフーパー氏は、名獣医ロバート・コープラン氏に手術を依頼。コープラン氏の施術により3つの骨片全てが摘出され、8か月後の10月には復帰を果たした。なお、復帰前の2か月間は生まれ故郷フロリダ州にあるウィアー湖で泳いで訓練していたという。

復帰戦のチャーチルダウンズ競馬場ダート7ハロンの一般競走を半馬身差で勝利。続くフォールズシティH(GⅢ・D8F)も2着クリスタルストーンに鼻差で勝利した。西海岸に戻って出走したサンタアニタパーク競馬場ダート8ハロンの一般競走では、牡馬ナントゥワイスの5馬身1/4差3着に敗れ、5歳時は6戦2勝の成績となった。

競走生活(6歳時)

翌6歳時もJ・L・ニューマン調教師及びリー・フェンスターメーカー調教師の元で現役を続け、6戦しか出来なかった前年の分まで走りまくった。1月のサンタモニカH(GⅡ・D7F)では、ロングビーチHの勝ち馬シスターフリートの半馬身差2着。翌月のサンタマリアH(GⅡ・D8.5F)では、仏国でロワイヨモン賞・ノネット賞・アスタルテ賞を勝った後に米国に移籍してきたゲイスタイル(エイシンデピュティの曾祖母)、前年のサンタマリアH2着後にサンタマルガリータ招待H・ラモナHを勝っていたティズナの2頭に先着されて、ゲイスタイルの2馬身差3着。1年4か月ぶりのGⅠ競走出走となった翌月のサンタマルガリータH(GⅠ・D9F)では、2連覇を達成したティズナに1馬身半差をつけられながらも、3着ゲイスタイルに先着する2着と、勝てないまでも好走を続けた。

翌4月にアーカンソー州オークローンパーク競馬場で出たアップルブロッサムH(D8F70Y)では、2着トルチャスに3馬身半差で快勝。カリフォルニア州に戻って出たロングビーチH(GⅡ・T9F)では、リンダヴィスタHの勝ち馬ボールドバレットを半馬身差の2着に、ブラジルのGⅠ競走ブラジル共和国大統領大賞の勝ち馬デュルシアを3着に破り、初めて芝で勝ち星を挙げた。次走は牡馬相手のカバレロH(D8F)となったが、ここではジューンズラヴの13馬身差6着に敗れた(クーガーに代わって米国西海岸最強馬に上り詰めようとしていたチャールズHストラブS・イングルウッドH・マリブS・サンフェルナンドS・ロサンゼルスH・サンカルロスHなどの勝ち馬エインシャントタイトルが2着だった)。ミレイディH(GⅡ・D8.5F)では、サンタイネスS・レイルバードS・デルマーオークスの勝ち馬モーダスヴィヴェンディ、サンタマルガリータ招待H勝利後にホーソーンHを勝っていたティズナなどに屈して、モーダスヴィヴェンディの3馬身半差4着に敗れた。ウィルシャーH(GⅢ・T9F)ではティズナの頭差2着と惜敗。ヴァニティH(GⅠ・D9F)では、ウィルシャーHで3着だったデュルシアの3/4馬身差2着に敗れたが、伊1000ギニーを勝ち伊オークスで2着した後に米国に移籍してサンフアンカピストラーノ招待H・ビヴァリーヒルズH・リンダヴィスタHを勝っていたラザンザラには先着した。

そして東海岸に移動して出走した7月のマッチメイカーS(GⅠ・D9.5F)では、セリマS・モンマスオークスとGⅠ競走2勝を挙げていたアントジンを3馬身1/4差の2着に破り、1分54秒2のコースレコードを樹立して快勝。一昨年のスピンスターS以来1年9か月ぶりのGⅠ競走勝利を挙げた。続くデラウェアH(GⅠ・D10F)も2着パスアグランス(仏ダービー馬エルナンドの曾祖母)に2馬身3/4差をつけて、同競走2年ぶりの勝利を挙げた。

マスケットH(GⅡ・D8F)では骨折からの復帰後では最重量の128ポンドが響いたのか、デラウェアオークスの勝ち馬でモンマスオークス2着のレットミーリンガー、ヴェイグランシーHの勝ち馬オナラブルミスの2頭に先着されて、レットミーリンガーの3馬身半差3着に敗れた。しかしベルデイムS(GⅠ・D9F)では好敵手ティズナを首差の2着に破り、同競走3年ぶりの勝利を挙げた。その後はキーンランド競馬場ダート7ハロンの一般競走に出て、2着コストリードリームに首差で勝利。スピンスターS(GⅠ・D9F)では、2着フラマアーディエント(名種牡馬マウントリヴァーモアの母)に半馬身差で優勝。レディーズH(GⅠ・D10F)では、ティズナ、パスアグランスとのベルデイムS上位3頭対決に屈して、ティズナの半馬身差3着に惜敗。アケダクト競馬場において新設されたバーロH(D8F)では、コストリードリームの2馬身差3着に敗退。このレースを最後に長い現役生活にピリオドを打った。6歳時17戦7勝の成績で、この年20戦6勝だったティズナを抑えて、2度目のエクリプス賞最優秀古馬牝馬のタイトルを獲得した。また、フーパー氏もエクリプス賞最優秀生産者を受賞している。

獲得賞金総額は125万1667ドルに達し、米国競馬史上初の100万ドル牝馬となった(本馬よりも前に欧州調教馬アレフランスダリアの2頭がドル換算で100万ドル以上を獲得しており、世界競馬史上初ではない)。

また、米国で最優秀3歳牝馬が2度の最優秀古馬牝馬を獲得したのは、エクリプス賞創設前の最優秀ハンデ牝馬時代を含めても本馬以外にはフィレンツェプリンセスドリーンゲイムリーロイヤルデルタの4頭のみである(3歳時に最優秀ハンデ牝馬を受賞した馬を除く)。ステークス競走24勝は2003年にエクストラヒートに更新されるまで長い間北米牝馬最多勝利記録だった。

血統

Quadrangle Cohoes Mahmoud Blenheim Blandford
Malva
Mah Mahal Gainsborough
Mumtaz Mahal
Belle of Troy Blue Larkspur Black Servant
Blossom Time
La Troienne Teddy
Helene de Troie
Tap Day Bull Lea Bull Dog Teddy
Plucky Liege
Rose Leaves Ballot
Colonial
Scurry Diavolo Whisk Broom
Vexatious
Slapdash Stimulus
Tetrarchy
Quaze Quibu Meadow Fairway Phalaris
Scapa Flow
Silver Mist Craig an Eran
Silver Queen
Querendona Diadochos Son-in-Law
Diadem
Querella Fisherman
Ciruela
Heavenly Sun Olympia Heliopolis Hyperion
Drift
Miss Dolphin Stimulus
Tinamou
Daffy The Porter Sweep
Ballet Girl
Lady Pike Sir Barton
Hannah Pike

父クォドラングルは現役成績26戦10勝。ベルモントSでノーザンダンサーの米国三冠を阻止して優勝し、他にもピムリコフューチュリティ・ウッドメモリアルS・ドワイヤーS・トラヴァースS・ローレンスリアライゼーションSを勝っているスタミナ自慢の馬だった。種牡馬としてはヴァージニア州ブルーリッジファームで供用され、まずまずの成績を収めた後に1978年に17歳で他界した。クォドラングルの父コーホーズはマームード産駒で、ブルックリンH・ホイットニーH・サラナクH・サイソンビーH・グランドユニオンホテルS勝ちなど36戦13勝。種牡馬としての成績は並だった。

母クウェイズは現役成績19戦4勝。これといった勝ち鞍は無いが、1960年のケンタッキーオークスでメイクセイルの2着している。母としては本馬の半妹クアズキルト(父スペシャルマント)【アラバマS(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅡ)・テストS(米GⅡ)】も産んでおり、自身が勝てなかったケンタッキーオークス勝ち馬2頭の母となった。クウェイズの母ヘヴンリーサン(フーパー氏が1歳時に1万500ドルで購入した)は不出走馬であり、近親にも殆ど活躍馬が見当たらず、クウェイズは突然変異的に出現した名繁殖牝馬である。ヘヴンリーサンの曾祖母ハンナパイクの半妹ダークセッジの孫には英ダービー馬ワトリングストリートと牝馬として現時点における最後の英2000ギニー勝ち馬ガーデンパスの兄妹、牝系子孫には天皇賞春を勝ったコレヒサと天皇賞秋・有馬記念を勝ったコレヒデの兄弟、それに名種牡馬ピヴォタル【ナンソープS(英GⅠ)】がいるが、いずれも遠縁ではあっても近親とは言えない。→牝系:F7号族①

母父クィブは亜国を中心に南米で走り、ヘネラルベルグラノ賞・モンテビデオ賞・ムニシパル大賞などを勝っている。後にフーパー氏に購入されてフロリダ州で種牡馬入りして、そこそこの成績を残した。クィブの父メドウはフェアウェイ産駒で、現役時代は英国で走ったがニューSを勝ったくらいで、競走馬として大成はできなかった。引退後は亜国に輸出され、1950/51シーズンの亜国種牡馬ランキングで2位、1956/57シーズンの亜国母父種牡馬ランキングで1位になるなど成功した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のフロリダ州にあるフーパー氏所有の牧場で繁殖入りした。繁殖入り初年度である1976年には早くも米国競馬の殿堂入りを果たした。母としては11頭の子を産み、そのうち5頭が勝ち上がった。その中で最も活躍したのは4番子の牡駒コープラン(父トライジェット)で、ホープフルS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・サンフォードS(米GⅡ)・ファウンテンオブユースS(米GⅡ)に勝ち、フロリダダービー(米GⅠ)で2着、ブルーグラスS(米GⅠ)・ジェロームH(米GⅡ)で3着するなど17戦7勝の成績を残した。ちなみにこのコープラン、母の脚の手術をした名獣医コープラン氏の名前を貰っているところが面白い。他の活躍馬には、ドクターファーガーHを勝ち、エクワポイズマイルH(米GⅢ)で2着するなど35戦5勝の成績を残した、8番子の牡駒パラマウントジェット(父トライジェット)がいる。本馬は1988年10月にフーパー氏所有の牧場において19歳で他界した。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第51位。

繁殖牝馬としても活躍した本馬だったが、その牝系子孫はあまり発展しておらず、孫世代以降の活躍馬は見当たらない。本馬の血は主に、種牡馬入りしたコープランを経由して後世に伝わっている。コープラン自身は種牡馬としてそれほど成功しなかったが、母の父として出したレムセンSの勝ち馬ロックポートハーバーが種牡馬として成功した(ただしロックポートハーバーは2013年に11歳で夭折している)。

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