セントマルゲリート

和名:セントマルゲリート

英名:St. Marguerite

1879年生

栗毛

父:ハーミット

母:ディヴォーション

母父:ストックウェル

19世紀英国牝馬最強世代の英1000ギニー馬は繁殖牝馬としても世界的名牝系の祖となる

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績16戦7勝(確認できた範囲のみ。左記16戦は全て入着しているが、2着と3着の内訳は不明)

自身も栄光ある英国クラシックホースであるだけでなく、自身の牝系子孫から英米の三冠馬を送り出し、現在においても多くの有力馬を輩出している世界的名牝系の祖となった名牝。

誕生からデビュー前まで

英国の馬産家兼馬主であるウィリアム・スターリング・クローファード氏により生産・所有された。もっとも、名義上の生産者兼馬主は彼だが、事実上は彼の再婚相手であるモントローズ侯爵夫人ことキャロライン・アグネス・ベレスフォード女史(彼女の簡単な経歴はカンタベリーピルグリムの項に記載している)が仕切っていた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にストックブリッジ競馬場で行われたハーストボーンS(T5F)が、明確に記録に残る本馬の最初のレースである(このレースがデビュー戦だったかどうかは不明)。ここではいきなり後の好敵手の1頭ゲハイムニスと激突。結果はゲハイムニスが勝ち、本馬は3着に敗れた。その後は、7月にニューマーケット競馬場で行われたチェスターフィールドS(T5F)に出走して、ここでは勝利を収めた。このチェスターフィールドSは、一昨年のベンドア、昨年のイロコイと、いずれも後の英国クラシック競走優勝馬が勝った出世競走だった。ちなみに翌年の勝ち馬ガリアードも英2000ギニーを勝ち、4年連続で同競走の勝ち馬が英国クラシック競走を勝つことになった(後にはエアシャーラフレッチェセントフラスキンレンベルグなどもこの競走を勝って英国クラシック競走を制覇している)。

その後は同じくニューマーケット競馬場で行われたブレットビーS・ホームブレッドフォールポストSの2競走を勝利した。引き続きニューマーケット競馬場でジュライS(T6F)に出走した。このレースでは、これまた好敵手となるダッチオーヴンと顔を合わせた。しかし今回はニューSを勝っていた牝馬ケルメッセが勝利を収め、後にオールエイジドS(現ダイヤモンドジュビリーS)を勝ち英2000ギニーで3着する牡馬マーデンが2着に入り、本馬とダッチオーヴンは3着同着に敗れた。その後はグッドウッド競馬場でリッチモンドS(T6F)に出走。このレースでも、ケルメッセ、ダッチオーヴンと顔を合わせた。今度はダッチオーヴンが勝ち、頭差の2着同着に本馬とケルメッセが入った。

9月にはニューマーケット競馬場でクリテリオンS(T7F)に出走した。ここでは後にパリ大賞を勝つ牡馬ブルースが勝ち、やはり同世代の有力牝馬の1頭となる同じハーミット産駒のネリーが2着で、本馬は3着だった。10月に出走したミドルパークプレート(T6F)では、英シャンペンSでダッチオーヴンやネリーを破ってきたケルメッセに加えて、本馬と同じハーミット産駒の牝馬ショットオーヴァーも出走してきた。結果はケルメッセが勝ち、牡馬ジェラルドが2着、本馬が3着で、このレースがデビュー戦だったショットオーヴァーは5着に終わった。本馬はこの年ミュニシパルSも勝ち、11戦4勝着外無しの成績を残した。

競走生活(3歳時)

なお、ここまで書いてきたとおりに本馬の世代は牡馬より牝馬のほうが優勢だった。ニューS・ジュライS・英シャンペンS・ミドルパークプレートを勝ったケルメッセが筆頭格で、リッチモンドS・ロウス記念S・デューハーストプレートを勝ったダッチオーヴン、ハーストボーンS・チェヴァリーSなど7戦無敗のゲハイムニス、チャレンジSを勝ったネリーなどがいた。また、ショットオーヴァーも2歳時は目立たなかったが冬場に劇的に強くなっていた。

この勢いは翌年も衰えず、英国クラシック戦線は牝馬が席巻することになる。まず行われた英2000ギニーでは、当時未勝利だったショットオーヴァーが、後のプリンスオブウェールズS・シティ&サバーバンHの勝ち馬クイックライムや前出のマーデンといった牡馬勢を蹴散らして優勝。それから2日後の英1000ギニー(T8F17Y)では、単勝オッズ11倍の本馬が先に抜け出したショットオーヴァーを首差の2着に、追い上げてきたネリーをさらに頭差の3着に抑えて優勝。ハーミット産駒が上位3頭を独占する事になった。

英国クラシック競走第3弾の英ダービーでは、ショットオーヴァーが、クイックライム、マーデン、前出のブルースといった牡馬勢や、ダッチオーヴンを蹴散らして優勝した。その2日後の英オークス(T12F)にはショットオーヴァーは不在であり、本馬にとっては強敵が1頭いなくなった事になった。しかしこのレースにはショットオーヴァーの同厩馬でもあったゲハイムニスが満を持して出走してきて、単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持されていた。そしてレースでもゲハイムニスが勝利を収め、本馬は2馬身差をつけられて2着に敗れた(本馬から1馬身差の3着がネリーだった)。

本馬はその後コロネーションS(T8F)に出走したが、単勝オッズ21倍の伏兵ロジールとレオノーラの2頭に足元を掬われて、勝ったロジールから2馬身差、2着レオノーラから頭差の3着に敗れた。翌月に出走したナッソーS(T8F)では勝利。さらにミュニシパルSを単走で勝利した。秋の英セントレジャーでは、この年ヨークシャーオークスを勝っていたにも関わらず単勝オッズ41倍の人気薄だったダッチオーヴンが勝ち、ゲハイムニスが2着に入り、牝馬にして英国三冠馬を目指したショットオーヴァーは3着に終わった。ゲハイムニスはその後短距離路線に進み、オールエイジドS・クイーンズスタンドプレート・ジュライCを制した。ショットオーヴァーは牝馬版の英セントレジャーとでも言うべきパークヒルSを勝利した。

なお、本馬は3歳時に英1000ギニー・英オークス・コロネーションS・ナッソーS・ミュニシパルS以外のレースに出走したかどうかは資料不足で分からない(英2000ギニー・英オークス・英セントレジャーには出走していないと思われる)。古馬になって現役を続行したかどうかも不明だが、5歳時に初子を産んでいる以上、4歳時には既に繁殖入りしていたはずなので、3歳限りで競走馬を引退したと思われる。いずれにしても、この1882年の英国クラシック競走5戦は全て牝馬が優勝した事になり、これは史上唯一の出来事である。おそらく19世紀における牝馬最強世代の筆頭格であり、その中の1頭だった本馬の競走馬としての実力も相当なものだった事は確かであろう。

血統

Hermit Newminster Touchstone Camel Whalebone
Selim Mare
Banter Master Henry
Boadicea
Beeswing Doctor Syntax Paynator
Beningbrough Mare
Ardrossan Mare Ardrossan
Lady Eliza 
Seclusion Tadmor Ion Cain
Margaret
Palmyra Sultan
Hester
Miss Sellon Cowl Bay Middleton
Crucifix
Belle Dame Belshazzar
Ellen
Devotion Stockwell The Baron Birdcatcher Sir Hercules
Guiccioli
Echidna Economist
Miss Pratt
Pocahontas Glencoe Sultan
Trampoline
Marpessa Muley
Clare
Alcestis Touchstone Camel Whalebone
Selim Mare
Banter Master Henry
Boadicea
Sacrifice Voltaire Blacklock
Phantom Mare
Virginia Rowton
Pucelle

ハーミットは当馬の項を参照。

母ディヴォーションは現役時代チチェスターSなど6勝を挙げている。繁殖牝馬としての成績は素晴らしく、本馬の1歳年上の全姉テバイス【英1000ギニー・英オークス・ドンカスターC・ヨークシャーオークス・グレートチャレンジS・ナッソーS・アスコットゴールドヴァーズ・クリテリオンS・リヴァプールオータムC】、1歳年下の全弟クレルヴォー【ジュライC・ファーンヒルS】、5歳年下の全妹エロイーズ【コロネーションS】、8歳年下の全弟グランドプライヤー【アスコットトリエニアルS】と、ハーミットとの間に活躍馬を続出させている。なお、ディヴォーションの母父はタッチストンで、ハーミットの父ニューミンスターの父もタッチストンなので、これら本馬の全姉妹達はタッチストンの3×3のインブリードを有する事になる。テバイスの牝系子孫には、日本で走ったビンゴガルー【皐月賞・朝日杯三歳S】、アラホウトク【桜花賞(GⅠ)】などが、エロイーズの牝系子孫にはウォークラウド【プリークネスS・ドワイヤーS】、ルビトン【コックスプレート(豪GⅠ)・豪フューチュリティS(豪GⅠ)・アンダーウッドS(豪GⅠ)・マッキノンS(豪GⅠ)】などが、本馬の半妹ヴェネレーション(父セントサイモン)の玄孫にはパンペイロ【仏グランクリテリウム】がいるが、いずれも本馬の牝系子孫の発展度とは雲泥の差がある。→牝系:F4号族④

母父ストックウェルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はクローファード夫婦の元で繁殖牝馬となった。本馬の同世代の牝馬達はいずれも牡馬を上回る実力の持ち主だっただけでなく、それぞれが繁殖牝馬として成功を収めたが、繁殖牝馬としての成績では本馬が一枚上であった。また、本馬の全姉テバイスと本馬を比べると、競走成績ではテバイスの方が一枚上だが、繁殖成績や子孫の繁栄度では本馬の方が圧倒的に上である。

もっとも、本馬が5歳時に産んだ初子の牝駒エステレル(父セフトン)は競走馬になれずに独国に送られた。

その後は6頭連続してアイソノミーとの子を産んだ。本馬が6歳時に産んだ本馬の2番子に当たるアイソノミー産駒の牝駒はシーブリーズと名付けられ、1歳時にクローファード夫婦により他者に売却されたが、クローファード夫婦はシーブリーズを売った事を後悔したという。シーブリーズは、2歳時にハムS・バイエニアルS・バッケンハムS・トリエニアルS・ボスコーエンSを勝ち、ニューS・ジュライSで2着、ミドルパークプレートで3着などの成績を挙げた。3歳時には英1000ギニーこそ2着だったものの、英オークス・英セントレジャー・コロネーションS・ランカシャープレート・ニューマーケットオークスを勝利した。英セントレジャーやランカシャープレートでは同期の英ダービー馬エアシャーを破っている。本馬の直子としては最高の競走成績を残したシーブリーズだったが、繁殖牝馬としては、アドミラルブリーズ【ドンカスターS】、トムクリングル【アスコットS】を産んだ程度で、現役時代に匹敵するほどの成績を残せず、牝系も伸ばせなかった。

7歳時には3番子の牝駒アンティーブ(父アイソノミー)を産んだ。シーブリーズを売って後悔したクローファード夫婦はアンティーブを手元に残した。アンティーブはシーブリーズほどではないが、ヨークシャーオークス・ミッドサマープレート・ノウスリーディナーS・ゼグランドSを勝ち、英チャンピオンSで2着する活躍馬となった。ヨークシャーオークスでは英1000ギニー馬メンテーを2着に破っており、英チャンピオンSでは1歳年上のエアシャーに先着している。アンティーブも繁殖牝馬としては成功しなかったが、シーブリーズと異なり牝系を伸ばすことには成功した。アンティーブの牝系子孫から出た主な馬は、ファイアソーン【ジョッキークラブ金杯2回・ローレンスリアライゼーションS・サバーバンH】、サンドメニコ【オークレイプレート・ジョージメインS・豪フューチュリティS・オールエイジドS】、ノーサードチャンス【エイコーンS】、ヘイルトゥリーズン【サプリングS・ホープフルS】、アドミラルズヴォヤージ【ウッドメモリアルS・カーターH】、キャノネロ【ケンタッキーダービー・プリークネスS】、メドウレイク【アーリントンワシントンフューチュリティ(米GⅠ)】、ケンドール【仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・仏2000ギニー(仏GⅠ)】、インエクセス【メトロポリタンH(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)】、ショウイングアップ【セクレタリアトS(米GⅠ)・ハリウッドダービー(米GⅠ)】、アールオブティンスダル【ラインラントポカル(独GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)】、日本で走ったイスラボニータ【皐月賞(GⅠ)】などである。

8歳時には4番子の牝駒リヴィエラ(父アイソノミー)を産んだ。リヴィエラは、ウインザーキャッスルS・ハーストボーンS・ハムS・ロウス記念S2回・英シャンペンSを制した。しかしリヴィエラは3歳時に急死したため子孫は残せなかった。

9歳時には5番子で初の牡駒となるヴァロリス(父アイソノミー)を産んだが、競走馬になれなかった。

10歳時には6番子の牝駒イエール(父アイソノミー)を産んだ。イエールはこれといった競走成績を残せなかったが、輸出先の独国でハットアブ【独オークス】やハーゲン【独ダービー】を産むなど繁殖牝馬として成功を収めた。ハットアブはさらにホツァイト【独オークス】を産んだが、イエールの牝系はそれ以上発展しなかった。

11歳時には産駒はおらず、12歳時に産んだアイソノミー牝駒は死産だった。

13歳時にはアイソノミーとの最後の子となる7番子の牡駒ルヴァールを産んだ。ルヴァールは英ダービーでサーヴィストの着外に敗れたが、プリンセスオブウェールズSではサーヴィストを着外に破って勝利した。その後のエクリプスSで故障して引退。種牡馬としては成功しなかった。

ルヴァールを産んだ本馬は、モントローズ侯爵夫人の判断でセントサイモンと交配させるために、セントサイモンの所有者第6代ポートランド公爵ウィリアム・キャベンディッシュ・ベンティンク卿所有のウェルベックアベースタッドに送られた。そして翌14歳時に8番子の牝駒ロックブルーン(父セントサイモン)を産んだ。ロックブルーンは1歳時にモントローズ侯爵夫人が死去したためにジェームズ・ミラー卿に購入された。ロックブルーンは父に似たのか「調教師にとっての悪夢」の異名を取るほど気性が激しい馬だったために、競走馬としては3年間で3戦しかできなかったが、ニューS・ゼトランドSを勝利した。ロックブルーンは母としては英国三冠馬ロックサンド【英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャー・デューハーストS】を産んだ。また、ロックブルーンの娘でロックサンドの半妹に当たるロケットはダゴール【仏2000ギニー・仏ダービー】の母となった。さらにロケットの牝系子孫は後世に伸び、今世紀まで続いている。主なロケットの牝系子孫出身馬は、キングスウェイ【英2000ギニー】、ベラパオラ【英1000ギニー・英オークス・仏グランクリテリウム・ヴェルメイユ賞・英チャンピオンS】、ポーラベラ【仏1000ギニー・ムーランドロンシャン賞】、レフィック【仏ダービー(仏GⅠ)・パリ大賞(仏GⅠ)・クリテリウムドサンクルー】、ペルセポリス【リュパン賞(仏GⅠ)】、レインボーダンサー【ハリウッドパークターフH(米GⅠ)・オークツリーターフCS(米GⅠ)】、ナトルーン【仏ダービー(仏GⅠ)】、ミスサタミクサ【ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、ヴァラヌール【パリ大賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)】、インディアンインク【チェヴァリーパークS(英GⅠ)・コロネーションS(英GⅠ)】、ブルーバンティング【英1000ギニー(英GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)】などである。

15歳時はセントサイモンとの双子を死産し、その後モントローズ侯爵夫人の死去によってジェームズ・E・プラット氏により2千ギニーで購入された。

16歳時にはアイソノミーの息子ジャニサリーとの間に9番子の牝駒セントマリナを産んだ。セントマリナは不出走馬だったが、牝系子孫を大きく発展させた。セントマリナの牝系子孫からは、ピティーラック【トラヴァーズS・メトロポリタンH・サバーバンH】、ギャラントフォックス【プリークネスS・ケンタッキーダービー・ベルモントS・カウディンS・ウッドメモリアルS・ドワイヤーS・アーリントンクラシックS・ローレンスリアライゼーションS・ジョッキークラブ金杯】、ロード【アンダーウッドS2回・コーフィールドS3回・豪フューチュリティS・オールエイジドS】、ライフズホープ【ジャージーダービー(米GⅠ)・エイモリーLハスケルH(米GⅠ)】、オーバージエア【ダーバンジュライ(南GⅠ)・SAクイーンズプレート(南GⅠ)・グレイヴィルチャンピオンS(南GⅠ)・ターフフォンテンチャンピオンS(南GⅠ)・ホースチェスナットS(南GⅠ)】、トリリオン【ガネー賞(仏GⅠ)】、トリプティク【マルセルブサック賞(仏GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)2回・ガネー賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)2回・英国際S(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】、ジェネラス【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)】、イマジン【英オークス(英GⅠ)・愛1000ギニー(愛GⅠ)】、ランドシーア【仏2000ギニー(仏GⅠ)・キーンランドターフマイルS(米GⅠ)】、ブリッシュラック【安田記念(日GⅠ)・チャンピオンズマイル(香GⅠ)】、シェイムカ【クールモアクラシック(豪GⅠ)・TJスミスS(豪GⅠ)・オールエイジドS(豪GⅠ)】、エイブルワン【チャンピオンズマイル(香GⅠ)2回・香港マイル(香GⅠ)】、アルバータスマキシマス【ドンH(米GⅠ)・BCダートマイル】、ムーンライトクラウド【モーリスドギース賞(仏GⅠ)3回・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)】、トレヴ【凱旋門賞(仏GⅠ)2回・仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)2回・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、日本で走ったフリオーソ【全日本2歳優駿(GⅠ)・ジャパンダートダービー(GⅠ)・帝王賞(GⅠ)2回・川崎記念(GⅠ)・かしわ記念(GⅠ)】、ディーマジェスティ【皐月賞(GⅠ)】などが出ている。

17歳時は10番子の牝駒スイートマージョリー(父ケンダル)を産んだ。スイートマージョリーはパークヒルSで2着した程度に終わり、繁殖牝馬としてもあまり活躍しなかった。しかしスイートマージョリーは牝系子孫を21世紀まで伸ばすことには成功している。スイートマージョリーの牝系子孫から出た主な馬は、ソリヌス【キングズスタンドS(英GⅠ)・ジュライC(英GⅠ)】、コストロマ【イエローリボンS(米GⅠ)・サンタバーバラH(米GⅠ)・ビヴァリーDS(米GⅠ)】、マッシュワン【エルダービー(智GⅠ)・オークツリーターフCS(米GⅠ)・クレメントLハーシュ記念ターフCS(米GⅠ)】、ナショバズキー【ヴァニティ招待H(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)】、日本で走ったカシュウチカラ【天皇賞春】などである。

18歳時は11番子の牡駒ガレルト(父アイシングラス)を産んだ。ガレルトは不出走馬で、種牡馬としての成績も残せなかった。

19歳時は12番子の牡駒トレデニス(父ケンダル)を産んだが、その翌日に本馬は他界した。トレデニスは競走馬としては未勝利に終わったが、種牡馬としてはエクリプスS・アスコット金杯の勝ち馬ゴールデンマイス、ドンカスターCの勝ち馬ポンアシノラム、愛ダービー馬バチェラーズダブル、愛ダービー馬バチェラーズウェディング、愛セントレジャー馬チープポピュラリティー、愛2000ギニー馬ソルデニス、名短距離馬ホーネッツビューティなどを出す成功を収め、1926年の英愛母父首位種牡馬にも輝いた。こうして本馬の血を引く馬達は世界中に広がり、現在では本馬の血を引かないサラブレッドは殆ど存在していないはずである。

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