グランヴィル

和名:グランヴィル

英名:Granville

1933年生

鹿毛

父:ギャラントフォックス

母:グラヴィータ

母父:サルマチアン

距離が伸びて本領を発揮しベルモントS優勝を皮切りに6連勝、サラトガCでディスカヴァリーを8馬身切って捨てて米年度代表馬に輝く

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績18戦8勝2着4回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国メリーランド州ベルレアスタッドにおいて、父ギャラントフォックスと1歳年上の同父馬オマハの米国三冠馬2頭を生産・所有したウィリアム・ウッドワード卿により生産・所有され、ギャラントフォックスとオマハを米国三冠馬に育て上げたジェームズ・エドワード・フィッツシモンズ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳8月にサラトガ競馬場で行われたダート5.5ハロンの一般競走でデビューしたが、勝ったブレビティから3馬身半差をつけられた3着に敗退。この6日後には同コースで行われた一般競走に再度出走したが、ボールドヴェンチャーの1馬身差2着に終わった。このブレビティとボールドヴェンチャーの2頭とは後のケンタッキーダービーで再びまみえることになる。9月にはアケダクト競馬場に場所を移してバビロンH(D6F)に出走したが、ネッドレイ、後のサンフェリペSの勝ち馬スピードトゥスペアとのゴール前の大接戦で僅かに後れを取り、ネッドレイの頭差3着に敗れた。5日後のジュニアチャンピオンS(D6.5F)では、ネッドレイの3馬身3/4差5着に敗れた。その6日後に出走したアケダクト競馬場ダート6ハロンの一般競走では2着ゴーホームに3馬身差で勝利し、デビュー5戦目にして初勝利を挙げた。

それから3週間後にはシャンペンS(D6.5F)に出走したが、ブレビティ、同厩のグレートアメリカンSの勝ち馬スナーク(後にメトロポリタンH・サバーバンHを勝っている)の2頭に後れを取り、ブレビティの5馬身差3着に敗退。続いて出走したベルモントフューチュリティS(D6.5F)では、同年の米最優秀2歳牡馬に選ばれるティンタジェルの2馬身1/4差6着に敗退。2歳戦の成績は7戦1勝という平凡な結果に終わった。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にジャマイカ競馬場で行われたダート8ハロン70ヤードの一般競走から始動。初コンビとなったジェームズ・スタウト騎手を鞍上に、かつて苦杯を舐めさせられたネッドレイを5馬身差の2着に下して圧勝した。この4日後には同コースで行われたウッドメモリアルS(D8F70Y)に出走。レムセンSで2着していた同厩馬タフェルの鼻差2着と好走して、米国三冠路線に進む事になった。

そして迎えたケンタッキーダービー(D10F)では、フロリダダービーを世界レコードタイで勝ってきたブレビティが1番人気に支持され、マーチバンクHを勝ってきたインディアンブルームが2番人気、本馬はタフェルとのカップリングながら3番人気の評価を得ていた。ところが結果はスタート直後にスタウト騎手が落馬してしまい競走中止。2着ブレビティを頭差抑えて逃げ切ったのは、本馬のデビュー2戦目の勝ち馬だった単勝オッズ21倍の8番人気馬ボールドヴェンチャーだった。

次走のプリークネスS(D9.5F)では、ボールドヴェンチャーがスタートで出遅れながらも強引に進出して勝利を収め、本馬は鼻差及ばず2着に惜敗した。その後はベルモントSに直行せず、その前に古馬相手のサバーバンH(D10F)に出走した。108ポンドという軽量に恵まれた事もあり、前年のプリークネスSとベルモントSでいずれもオマハの2着に入っていたジョッキークラブ金杯・ローレンスリアライゼーションSの勝ち馬ファイアソーンの鼻差2着と好走することが出来た。

そして迎えたベルモントS(D12F)では、屈腱炎のため競走馬引退に追い込まれていたボールドヴェンチャーの姿はなく、ピムリコフューチュリティの勝ち馬でベルモントフューチュリティS2着のホリールードなどが主な対戦相手だった。レースでは本馬とミスターボーンズが写真判定にもつれ込む接戦を演じた末に、本馬が鼻差で優勝し、ステークス競走初勝利をこの大一番で挙げた。

少し間隔を空けて出走したのは、ギャラントフォックスやオマハも勝っていたアーリントンクラシックS(D10F)だった。対戦相手は、スターボーンズ、ホリールードのベルモントS2・3着馬だった。そして今回もベルモントSと同じ着順となり、本馬が2着ミスターボーンズに2馬身半差をつけて勝利した。さらにケナーS(D9.5F)に駒を進め、2着メモリーブックに首差で勝利した。それから4日後に出走したトラヴァーズS(D10F)では初の重馬場となったが、2着となったアーリントンHの勝ち馬サンテディを頭差抑えて優勝。

この2週間後に行われたサラトガC(D14F)は、ブルックリンH3回・ホイットニーS3回・スターズ&ストライプスH・アーリントンH・ホーソーン金杯H・サンカルロスHを勝っていた前年の米年度代表馬ディスカヴァリーとの2頭立てのマッチレースとなった。人気を集めたのはディスカヴァリーの方だったが、しかし長距離得意の本馬と、初経験の長距離戦となったディスカヴァリーの差は、スタミナを要求される不良馬場となった事でさらに顕著となり、本馬がディスカヴァリーを8馬身差の後方に切り捨てて圧勝した。

その後はローレンスリアライゼーションS(D13F)に出走して、2着ジャイアントキラーに2馬身差で難なく勝利した。しかし脚首の負傷のために、このレースを最後に3歳時11戦7勝の成績で競走馬を引退。しかし、ボールドヴェンチャーと共に米最優秀3歳牡馬に選出されたばかりでなく、ボールドヴェンチャーやこの年の米最優秀ハンデ牡馬に選ばれたディスカヴァリーを抑えて米年度代表馬のタイトルをも手中に収めた。過去の米年度代表馬等のタイトルは回顧という形で選定された後付けだったが、この1936年からデイリーレーシングフォーム紙やターフ&スポーツダイジェストマガジン誌が米国競馬の年度表彰を正式に実施するようになっており、本馬は史上初めて後付けではない米年度代表馬となった。

血統

Gallant Fox Sir Gallahad Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Plucky Liege Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Concertina St. Simon
Comic Song
Marguerite Celt Commando Domino
Emma C.
Maid of Erin Amphion
Mavourneen
Fairy Ray Radium Bend Or
Taia
Seraph St. Frusquin
St. Marina
Gravita Sarmatian Sardanapale Prestige Le Pompon
Orgueilleuse
Gemma Florizel
Agnostic
Mousse Des Bois Ajax Flying Fox
Amie
Rose Mousse Launay
Medeola
Gravitate Rock View Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Golden View Hastings
Fairy Gold
Lady Carnot Radium Bend Or
Taia
Gravitation St. Simon
Gravity

ギャラントフォックスは当馬の項を参照。

母グラヴィータは現役成績7戦未勝利。本馬の半妹サーブルスカーフ(父サーギャラハッド)の孫にはリジェクティド【サンタアニタH・ハリウッド金杯・ウェスターナーS・アメリカンH・ホーソーン金杯H・サンパスカルH】がいる。

グラヴィータの半弟にはサーアンドリュー(父サーギャラハッド)【クラークH】がいる他、グラヴィータの半妹グレード(父サーギャラハッド)の孫にはドレミ【ガルフストリームパークH】、牝系子孫には、カコイーシーズ【ターフクラシックH(米GⅠ)】、サブオーディネーション【ハリウッドダービー(米GⅠ)・エディリードH(米GⅠ)】、フィジー【ゲイムリーS(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)】などがいる。グラヴィータの曾祖母グラビテーションは名馬ウィリアムザサード【アスコット金杯・ドンカスターC】の1歳年下の全妹。→牝系:F2号族①

母父サルマチアンはサルダナパル産駒の仏国産馬で米国に輸入された馬だが、米国においては競走馬としてのキャリアが無いようである。種牡馬としても特筆できるような活躍は示していない。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はベルレアスタッドで種牡馬入りしたが、種牡馬としては不成功に終わった。1949年産まれの産駒がいるため、その前年の15歳時までは生存していたはずだが、没年や死因は不明である。1997年には米国競馬の殿堂入りを果たした。

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