サーチング

和名:サーチング

英名:Searching

1952年生

鹿毛

父:ウォーアドミラル

母:ビッグハリー

母父:ブラックトニー

名繁殖牝馬ラトロワンヌの孫で競走馬・繁殖牝馬として大成し祖母の牝系を大きく発展させた立役者の1頭となった米国顕彰馬

競走成績:2~6歳時に米で走り通算成績89戦25勝2着14回3着16回

誕生からデビュー前まで

本馬の生産者オグデン・フィップス氏の母グラディス・ミルズ・フィップス女史は弟のオグデン・L・ミルズ氏と共にホイートリーステーブルを設立して競走馬の生産を行い、シービスケットなど優秀な馬を多く送り出していた。叔父ミルズ氏にちなんで命名されたフィップス氏もその影響を受けて競馬に興味を持ち、名馬産家として知られたエドワード・ライリー・ブラッドリー大佐が1946年に死去すると彼が所有していた馬達を購入し、ケンタッキー州クレイボーンファームにおいて馬産を開始していた。そして、ブラッドリー大佐の馬産に大きく貢献した名種牡馬ブラックトニーと大繁殖牝馬ラトロワンヌの間に産まれた牝馬ビッグハリーに、米国三冠馬ウォーアドミラルを交配させて本馬を誕生させた。後に米国有数の名馬産家として名を馳せるフィップス氏にとって、最初に生産した大物競走馬が本馬である。

競走生活(2・3歳時)

しかし名門サニー・ジム・フィッツシモンズ厩舎に所属して2歳時にデビューした本馬は当初全く勝てなかった。2歳時は13戦を消化したが2着1回、3着6回で未勝利に終わった。本馬は年が変わっても振るわなかったため、デビューから通算20戦を消化した3歳6月時点でフィップス氏は本馬に見切りをつけ、ハーシュ・ジェイコブス調教師と妻エセル・D・ジェイコブス夫人の夫妻に本馬を1万5千ドルで売却してしまった。

ところがエセル夫人の名義となってハーシュ師の調教を受け始めた頃から本馬の競走成績は飛躍的に上昇した。9月にアケダクト競馬場で出走した分割競走ヴェイグランシーH(D7F)では、テストSを勝ちメイトロンS・アラバマSで2着していた同父同世代馬ブルーバナーを2着に、アラバマS・デラウェアオークス・ベルデイムH・フィレンツェH・デラウェアHを勝っていた4歳馬パルロ(前年の米最優秀ハンデ牝馬及び米最優秀3歳牝馬と、この年の米最優秀ハンデ牝馬を受賞)を3着に破って、ステークス競走初勝利を挙げた。

11月にはジャマイカ競馬場でフィレンツェH(D9F)に出走。ここではこの時点では無名だった同世代馬レアトリートの2着に敗れたが、パルロ(5着)や、メイトロンS・セリマS・ナショナルスタリオンS・ブラックアイドスーザンS・エイコーンS・CCAオークス・デラウェアオークスを勝っていた前年の米最優秀2歳牝馬及びこの年の米最優秀3歳牝馬ハイヴォルテージ(7着)には先着した。12月にピムリコ競馬場で出走したギャロレットS(D9F)でステークス競走2勝目を挙げ、3歳時の成績は26戦12勝2着8回3着2回となった。

競走生活(4歳時)

4歳時は、3月にボウイー競馬場で出走したバーバラフリーチーHで2着の後、5月にジャマイカ競馬場でコレクションH(D6F)に出走。スピナウェイS・マーメイドHを勝っていたガンダルヴァを2着に破って勝利した。同月には引き続きベルモントパーク競馬場でトップフライトH(D8.5F)に出走して、前年の同競走を勝っていたパルロを2着に、同世代のアラバマSの勝ち馬リコレトを3着に破って勝利した。

6月にデラウェアパーク競馬場で出走したニューカッスルS(D8.5F)では、シネマH・ハリウッドオークス・カリフォルニアオークス・カリフォルニアダービー・ラスフローレスHを勝ちアーリントンラッシーS・サンフェルディナンドS・サンタアニタマチュリティS・サンタマルガリータHで2着していたミズクレメンティーンの2着だった(アルキビアデスS・フリゼットSを勝っていたマートルスジェットが3着だった)。

8月にはサラトガ競馬場でアメリカンレギオンH(D7F)に出走。アンバーグリスの3着に入り、牡馬相手のステークス競走では最初で最後の入着となった。その12日後には同じくサラトガ競馬場でダイアナH(D9F)に出走。パルロ、リコレト、ブルーバナーといった実力馬達を蹴散らして、2着リコレト以下に勝利を収めた。

翌9月にはヴェイグランシーH(D7F)で連覇を狙ったが、ミズクレメンティーンの2着に敗れた。引き続き出走したベルデイムH(D9F)では、セリマS・CCAオークス・モンマスオークスを勝っていたレヴィー(シュヴィーの母)との対戦となった。後に繁殖牝馬としても成功を収める名牝の対決は、レヴィーが勝利を収め、ビヴァリーHの勝ち馬でアーリントンメイトロンH2着のアモレットにも後れを取った本馬は3着に敗れた。

翌10月には同じくベルモントパーク競馬場でマスケットH(D8F)に出走。ヴェイグランシーHで本馬に続く3着だったフィレンツェH2着馬ハッピープリンセスを2着に、ミスティアイルS・ジャージーベルSの勝ち馬パッカーアップを3着に破って勝利した。11月にジャマイカ競馬場で出走したインターボローH(D6F)では、ハッピープリンセス、ポリードルモンドSの勝ち馬でアディロンダックH2着のソーサレスの2頭に後れを取り、ハッピープリンセスの3着だった。連覇を狙ったギャロレットS(D9F)では、ジャージーベルS2着馬リトルパッチ、ブルーバナーの2頭に屈して、リトルパッチの3着だった。

4歳時の成績は21戦5勝2着3回3着4回だった。勝率は前年より低かったが、これは強豪古馬が重い斤量を課されるハンデ競走に多く出走する米国競馬界の宿命であり、獲得賞金は前年より増えていた。しかし米最優秀ハンデ牝馬の座は、モリーピッチャーH・リグレットH・アトランティックシティHを勝ち米チャンピオンSで2着したブルースパークラーのものとなった。

競走生活(5歳時)

5歳時のシーズン前半はあまりレースに出ず、本格的に出走を開始したのは7月になってからだった。まずはベルモントパーク競馬場でディスタフH(D7F)に出走して、この年のハネムーンHの勝ち馬ファンシフルミスを2着に、この年のトップフライトHの勝ち馬プロッターを3着に破って勝利。2連覇を狙ったダイアナH(D9F)では、メイトリアークHを勝ってきたパーダラの2着に敗れた(レアトリートが3着だった)。2年ぶりの勝利を目指したヴェイグランシーH(D7F)では、フリゼットS・ガーデニアSを勝っていた一昨年の米最優秀2歳牝馬ナスリナ(3着)には先着したが、ディスタフHで破ったプロッターの2着に敗れた。

10月にはケンタッキー州キーンランド競馬場に赴き、創設2年目のスピンスターS(D9F)に出走。この年のエイコーンS・デラウェアオークス・ガゼルH・マスケットHを勝ちCCAオークスで2着して米最優秀3歳牝馬に選ばれるバイユー、この年のベルデイムH・ワシントンパークH・アーリントンメイトロンHを勝って大きく開花していたパッカーアップとの対決となった。ところが結果はアーリントンメイトロンH2着馬ボーナスターが勝利を収め、本馬は2着、パッカーアップは3着、バイユーは4着と共倒れになった。しかしその後に出走したギャロレットS(D9F)では2年ぶりの勝利を収め、5歳時の成績は13戦3勝2着2回3着2回となった。米最優秀ハンデ牝馬にはパッカーアップが選ばれ、本馬はこの年もタイトルを逃した。

競走生活(6歳時)

6歳時は、4月に出走したコレクションH(D6F)で、ファンシフルミスを2着に、前年のマザーグースSの勝ち馬でテストS・トップフライトH2着のアウタースペースを3着に破って勝ち、同競走2年ぶりの勝利を挙げた。このレースは後に本馬の娘アフェクショネイトリーが2連覇する事になる。

翌5月に同じくジャマイカ競馬場で出走したベッドオローゼズH(D8.5F)では、アウタースペース、前年のケンタッキーオークス馬ロリエルの2頭に後れを取って、アウタースペースの3着だった。同月に出走したディスタフH(D7F)では、ハッピープリンセス、アウタースペースの2頭に続く3着だった。

翌6月にモンマスパーク競馬場で出走したモリーピッチャーH(D8.5F)では、前年の同競走2着馬レアトリートを2着に、パーダラを3着に破って勝利した。8月に同じくモンマスパーク競馬場で出走したメイトリアークH(D8.5F)では、レアトリートを3着に破って勝利した。同月にはダイアナH(D9F)にも出走して、この年のデラウェアH・レディーズHの勝ち馬エンディネを2着に、レアトリートを3着に破って勝利した。6歳時は16戦5勝3着2回の成績を残し、この年限りで競走馬生活に別れを告げた。この年の米最優秀ハンデ牝馬にはスピンスターS・ヴァインランドH・フォールズシティH・ビヴァリーHを勝ったボーナスターが選ばれ、本馬は結局米国競馬の年度表彰には無縁となった。それでも、獲得賞金総額32万7381ドルは、ジェイコブス夫妻がフィップス氏から本馬を購入した金額1万5千ドルの21倍以上に達した。結果論ではあるが、フィップス氏は本馬が宝石の原石である事を見抜けずに手放してしまった事になった。

血統

War Admiral Man o'War Fair Play Hastings Spendthrift
Cinderella
Fairy Gold Bend Or
Dame Masham
Mahubah Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Merry Token Merry Hampton
Mizpah
Brushup Sweep Ben Brush Bramble
Roseville
Pink Domino Domino
Belle Rose
Annette K. Harry of Hereford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Bathing Girl Spearmint
Summer Girl
Big Hurry Black Toney Peter Pan Commando Domino
Emma C.
Cinderella Hermit
Mazurka
Belgravia Ben Brush Bramble
Roseville
Bonnie Gal Galopin
Bonnie Doon
La Troienne Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Helene de Troie Helicon Cyllene
Vain Duchess
Lady of Pedigree St. Denis
Doxa

ウォーアドミラルは当馬の項を参照。

母ビッグハリーは根幹繁殖牝馬ラトロワンヌの5番子で、現役成績12戦4勝、セリマSを勝っている。繁殖牝馬としては母ラトロワンヌに引けを取らない程の成績を残し、本馬の半兄ビーフィアレス(父バーグーキング)【ビングクロスビーH】、1946年の米最優秀3歳牝馬に選ばれた半姉ブライダルフラワー(父チャレンジャー)【ガゼルH・ベルデイムH・ローマーH・ウエストチェスターH・ニューキャッスルH・レディボルチモアH】、全兄ジアドミラル【ユナイテッドステーツホテルS・トレモントS】、全兄グレートキャプテン【サラトガC・サンマルコスH】と活躍馬を次々に産んだ。

ビッグハリーは牝系子孫も大きく発展させており、ブライダルフラワーの牝系子孫には2014年のエクリプス賞最優秀短距離牝馬ジュディザビューティ【BCフィリー&メアスプリント(米GⅠ)・マディソンS(米GⅠ)】などが、本馬の半姉ノーフィドリング(父キングコール)の子には1967年の米最優秀ハンデ牝馬ストレートディール【ハリウッドオークス・レディーズH・サンタマルガリータ招待H・サンタバーバラH・トップフライトH・デラウェアH・スピンスターS】、孫にはリーガルグルーム【フリゼットS・セリマS】、ディザイアリー【サンタバーバラH(米GⅠ)】、曾孫にはロイヤルグリント【ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)・エイモリーLハスケルH(米GⅠ)・サンタアニタH(米GⅠ)】、日本の名種牡馬モガミ、アドード【サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・デラウェアH(米GⅠ)】、クオリファイ【デルマーフューチュリティ(米GⅠ)】、玄孫世代以降には、カーリアン【仏ダービー(仏GⅠ)・ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ)】、テュルジオン【愛セントレジャー(愛GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】、スキャン【ジェロームH(米GⅠ)・ペガサスH(米GⅠ)】、スカフルバーグ【ペガサスH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)】、ティッカネン【BCターフ(米GⅠ)・ターフクラシック招待S(米GⅠ)】、デンジャラスミッジ【BCターフ(米GⅠ)】、日本で走った1992年の中央競馬最優秀五歳以上牡馬メジロパーマー【宝塚記念(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】、サマリーズ【全日本2歳優駿(GⅠ)】などが、本馬の半姉ダッシングバイ(父メノウ)の孫にはトゥルーナイト【ジェロームH・エイモリーLハスケルH(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)】、曾孫にはゾーマン【イスパーン賞(仏GⅠ)・バドワイザー国際S(米GⅠ)】などが、本馬の半妹アルマンド(父カウンターポイント)の子にはマーキングタイム【エイコーンS】、孫には1981年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬リラクシング【デラウェアH(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)】、曾孫にはキャディラッキング【バレリーナS(米GⅠ)】、米国顕彰馬イージーゴア【ベルモントS(米GⅠ)・カウディンS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・ウッドメモリアルS(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)】などがいる。→牝系:F1号族②

母父ブラックトニーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ジェイコブス夫妻の一族がケンタッキー州レキシントンに所有していたビーバージェイコブスステーブルにおいて繁殖入りした。

8歳時には初子の牝駒アフェクショネイトリー(父スワップス)を産んだ。アフェクショネイトリーはソロリティS・スピナウェイS・ヴォスバーグS・ラスフローレスH・ディスタフH・トボガンH・トップフライトH・ヴェイグランシーHに勝つなど52戦28勝の成績を残し、米国競馬の殿堂入りも果たした(詳細は当馬の項を参照)。

10歳時には2番子の牝駒アドマイアリング(父ヘイルトゥリーズン)を産んだ。アドマイアリングはアーリントンワシントンラッシーSを勝つなど43戦7勝の成績を残した。

11歳時には3番子の牝駒プライスレスジェム(父ヘイルトゥリーズン)を産んだ。プライスレスジェムはベルモントフューチュリティS・フリゼットSに勝つなど15戦7勝の成績を残した。プライスレスジェムはベルモントフューチュリティSで名馬バックパサーを破った事でも知られている。バックパサーの生産・所有者は本馬の生産者フィップス氏であり、おそらくフィップス氏は本馬を手放してしまった事を改めて悔やむ事になったであろう。

12歳時には4番子の牡駒アリストクラティック(父ヘイルトゥリーズン)を産んだが、この子は13戦未勝利に終わった。

14歳時には5番子の牡駒パトリシアン(父スワップス)を産んだ。パトリシアンは31戦4勝の成績を挙げたが、ステークス競走には縁が無かった。

16歳時には6番子の牡駒リサーチング(父リボー)を産んだ。リサーチングは24戦3勝の成績を挙げたが、ステークス競走には縁が無かった。

17歳時には7番子の牝駒サーチングアラウンド(父ラウンドテーブル)を産んだ。サーチングアラウンドは18戦2勝の成績だった。

19歳時には8番子の牡駒サーチトラディション(父ナシュア)を産んだ。サーチトラディションは38戦4勝の成績に終わったが、血統が評価されて亜国で種牡馬入りした。

サーチトラディションが本馬の最後の子となり、その2年後の1973年に本馬は21歳で他界した。

米国競馬の年度表彰には無縁だった本馬だが、1978年に米国競馬の殿堂入りを果たした。本馬を押しのけて米最優秀ハンデ牝馬を受賞した牝馬勢はいずれも殿堂入りをしておらず、結果的に本馬が最高の評価を得たことになった。もっとも、本馬の殿堂入りには繁殖成績も影響していると思われる。

後世に与えた影響

そして本馬の娘達は繁殖牝馬としても成功した。アフェクショネイトリーは1970年の米年度代表馬パーソナリティ【プリークネスS・ウッドメモリアルS・ジムダンディS・ウッドワードS・ジャージーダービー】を産んだ。

アドマイアリングの娘グローイングトリビュート【シープスヘッドベイH(米GⅡ)2回・ダイアナH(米GⅡ)】は、ヒーローズオナー【ボーリンググリーンH(米GⅠ)・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)・レッドスミスH(米GⅡ)・フォートマーシーH(米GⅢ)】、ワイルドアプローズ【ダイアナH(米GⅡ)・カムリーS(米GⅢ)】、グローイングオナー【ダイアナH(米GⅡ)2回・リークサブルS(米GⅢ)】、シーヒーロー【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】、コロネーションカップ【ニジャナS(米GⅢ)】、マッキー【ブッシャーS(米GⅢ)】と6頭ものグレード競走の勝ち馬となった。アドマイアリングの孫には他にマジェスティアル【ブランドフォードS(愛GⅡ)】、曾孫にはイースタンエコー【ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)】、ライトライト【ケンタッキーオークス(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・サンタアニタオークス(米GⅠ)・ラスヴァージネスS(米GⅠ)】、2001年のカルティエ賞最優秀短距離馬モーツァルト【ジュライC(英GⅠ)・ナンソープS(英GⅠ)】、日本で走ったシーキングザベスト【武蔵野S(GⅢ)】、コアレスハンター【大井金盃2回・かちどき賞・サンタアニタトロフィー・みちのく大賞典・北上川大賞典】、玄孫世代以降には、マウィンゴ【ドゥーンベンC(豪GⅠ)】、イルカンピオーネ【ポージャデポトリジョス賞(智GⅠ)・ナシオナルリカルドリヨン賞(智GⅠ)・エルエンサーヨ賞(智GⅠ)・エルダービー(智GⅠ)】、日本で走ったアメリカンボス【アメリカジョッキークラブC(GⅡ)・中山記念(GⅡ)・エプソムC(GⅢ)2回】、ゲイリーイグリット【さきたま杯(GⅢ)・兵庫ゴールドトロフィー(GⅢ)】などがいる。

プライスレスジェムの娘には20世紀仏国最強牝馬アレフランス【凱旋門賞(仏GⅠ)・クリテリウムデプーリッシュ(仏GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)2回・イスパーン賞(仏GⅠ)・アルクール賞(仏GⅡ)・ドラール賞(仏GⅡ)・フォワ賞(仏GⅢ)2回】、孫にはアルマムーン【ジョンヘンリーH(米GⅠ)・アメリカンH(米GⅡ)・エディリードH(米GⅡ)】、ラグリエール【クイーンエリザベスⅡ世CSS(米GⅠ)】、スペシャルプライス【ゴールデンゲートH(米GⅡ)】、オードウェイ【シャンペンS(米GⅠ)】、玄孫世代以降にはオナーインウォー【ターフクラシックS(米GⅠ)】、アイコンプロジェクト【パーソナルエンスンS(米GⅠ)】などがいる。

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