イージーゴア

和名:イージーゴア

英名:Easy Goer

1986年生

栗毛

父:アリダー

母:リラクシング

母父:バックパサー

筋骨隆々の馬体を揺るがして走りベルモントSなどGⅠ競走を9勝を挙げ、競走馬時代のサンデーサイレンスの宿命の好敵手として日本でも良く知られる

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績20戦14勝2着5回3着1回

誕生からデビュー前まで

米国の大馬産家オグデン・フィップス氏の生産・所有馬で、クロード・R・“シャグ”・マゴーヒーⅢ世調教師に預けられた。その良血と素晴らしく見栄えが良い馬体のため、幼少期から期待馬だった。ただし、脚に複数の骨瘤が存在していた上に、しばしば裂蹄を発症したため、脚部不安と戦いながらの競走生活となった。主戦はパット・デイ騎手で、本馬の全レースに騎乗した。

競走生活(2歳時)

2歳8月にベルモントパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビュー。1番人気に推されたが、既にこれが4戦目だった後のブリーダーズフューチュリティ2着馬ロレンツォーニの鼻差2着に敗れた。しかし同月に出走したサラトガ競馬場ダート7ハロンの未勝利戦では、2着イズイットトゥルーに2馬身半差をつけて快勝した。このレース後にマゴーヒーⅢ世師は「この馬はレース本来の所要時間より2~3秒、着差にして10~15馬身は速く走る事ができます」と評した。

3週間後に出走したベルモントパーク競馬場ダート6.5ハロンの一般競走は2着ウィナーズラフに5馬身半差で圧勝。勝ちタイム1分15秒4はコースレコードに0秒2届かないだけであり、陣営の期待は高まる一方だった。

次走のカウディンS(GⅠ・D7F)では、未勝利戦を15馬身差で勝ち上がってきたイズイットトゥルーとの再戦となったが、本馬が2着ウィナーズラフに3馬身差をつけて完勝し、イズイットトゥルーは4着(3位入線後に降着)に終わった。

続くシャンペンS(GⅠ・D8F)ではイズイットトゥルーを4馬身差の2着に、後のヤングアメリカS勝ち馬アイリッシュアクターを3着に下して快勝。既にこの頃には、同じく栗毛馬で筋骨隆々の馬体を有していたセクレタリアトと本馬とを重ね合わせる競馬ファンが多くいたようである。

そしてチャーチルダウンズ競馬場で行われたBCジュヴェナイル(GⅠ・D8.5F)に出走。イズイットトゥルー、デルマーフューチュリティ勝ち馬ミュージックメルシー、仏国から遠征してきたサンロマン賞勝ち馬タゲル、4戦無敗のマハレスレッドなどを抑えて、単勝オッズ1.3倍という圧倒的な1番人気に支持された。しかしスタート直後に外側によれて他馬と接触し、後方からの競馬となってしまった。しばらくはそのまま後方馬群で走り、四角手前で上がっていき、4番手で直線を向いた。そしてスタートから先頭を維持していた単勝オッズ10.2倍の4番人気馬イズイットトゥルーを猛然と追い上げたが、最後まで粘りの走りを見せたイズイットトゥルーに届かず、1馬身1/4差の2着に敗れてしまった。水溜まりが出来るような不良馬場でレースが行われたのも、本馬に不利に働いたとされている。2歳時の成績は6戦4勝2着2回で、BCジュヴェナイル勝ちなど6戦2勝のイズイットトゥルーを抑えてエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれた。

競走生活(3歳初期)

3歳時は3月にガルフストリームパーク競馬場で行われたスウェイルS(D7F)から始動して、2着トリオンに8馬身3/4差をつけて圧勝。次走のゴーサムS(GⅡ・D8F)では、2着ダイヤモンドドニーに13馬身差をつけて大圧勝した。いつもどおりの走りをすれば1分33秒程度で走れるだろうと事前に言われていたが、実際に計時された勝ちタイム1分32秒4は、1973年にセクレタリアトが計時したレースレコード1分33秒4を1秒、1974年にフォレージが計時したコースレコード1分33秒2を0秒8更新するもので、ドクターファーガーが1968年のワシントンパークHで樹立した1分32秒2という驚異的全米レコードに0秒2及ばないだけという想像以上に素晴らしいものであった。勿論、3歳馬がダートの1マイル戦で計時したタイムとしては史上最速のものだった。この時点で本馬は「打破不可能」と評され、セクレタリアトの再来という名声を不動のものとした。

2週間後のウッドメモリアルS(GⅠ・D9F)も、フェデリコテシオSを勝ってきたロックポイントを3馬身差の2着に、ナシュアSとファウンテンオブユースSでいずれも3着だったトリプルバックを3着に破って完勝した。セクレタリアトはこのレースを落としていたため、これを勝った本馬はもはや三冠確実と評された。

競走生活(米国三冠競走):サンデーサイレンスとの対決

そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、同厩のフラミンゴS・エヴァーグレイズS勝ち馬オウインスパイアリングとのカップリングながら、単勝オッズ1.8倍という断然の1番人気に支持された。単勝オッズ4.1倍の2番人気が米国西海岸のカリフォルニア州から遠征してきたサンタアニタダービー・サンフェリペHなど3連勝中のサンデーサイレンスで、単勝オッズ6.5倍の3番人気がダービートライアルS・ベイショアSを勝ってきたヒューストンとフォアランナーS2着馬シャイトムのカップリング、単勝オッズ10.5倍の4番人気がジムビームS・ブルーグラスSを連勝してきたウエスタンプレイボーイ、単勝オッズ28倍の5番人気がアーカンソーダービーを勝ってきたダンシルだった。

当日はみぞれ混じりの雨が降り続き、レースは極端な不良馬場で行われた。スタートが切られると本馬は馬群の中団好位の外側につけ、その内側前方をサンデーサイレンスが走っていた。しばらくはそのままの状態でレースが進行し、三角から四角にかけてサンデーサイレンスが外側を通って上がっていくと、本馬もそれを追って上がっていった。そして直線では四角先頭に立ったサンデーサイレンスを同厩のオウインスパイアリングと一緒に追撃した。しかしオウインスパイアリングを首差抑えるのが精一杯で、勝ったサンデーサイレンスから2馬身半差の2着に敗れた。

鞍上のデイ騎手は、不良馬場に脚を取られて加速がつかなかった事を敗因として挙げた。実際にこのレースの勝ちタイム2分05秒0は1958年にティムタムが同タイムで勝って以降では最も遅いものであり、重の巧拙が勝敗を分けたとする論調が多かった。また、本馬はスタート後と直線半ばで前が塞がる不利も受けており、それも敗因であるとする意見も多かった。

そのため、次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、ケンタッキーダービーを上回る(下回ると書くべきか?)単勝オッズ1.6倍の1番人気に支持された(オウインスパイアリングが不在のためカップリングではなく単独での人気である)。サンデーサイレンスが単勝オッズ3.1倍の2番人気、前走8着のヒューストンが単勝オッズ6.4倍の3番人気、ウッドメモリアルS2着から直行してきたロックポイントが単勝オッズ23.8倍の4番人気、前走でオウインスパイアリングから3/4馬身差の4着だったダンシルが単勝オッズ29.3倍の5番人気と続いた。

サンデーサイレンスがプリークネスSの前に脚を負傷して一時期は出走が危ぶまれた話は有名だが、本馬の脚部不安もこの時期に悪化しており、エプソム塩に脚を浸したり、超音波治療を受けたりしながらレースの準備を行っていた。

スタートが切られるとヒューストンが逃げを打ち、サンデーサイレンスがそれを見る形で4番手につけ、本馬はその後方5番手を追走した。そしてサンデーサイレンスが徐々に位置取りを上げていくと本馬は外からそれを上回る勢いで上がって行き、サンデーサイレンスより先にヒューストンをかわして先頭を奪った。しかし四角で外側からサンデーサイレンスが並びかけてきて、この2頭が先頭で並んで直線を向いた。そして直線では2頭の壮絶な一騎打ちが展開された。本馬が僅かにリードしている状態が多かったが、残り半ハロン地点でサンデーサイレンスが盛り返して2頭が並んでゴールインした。写真判定の結果、サンデーサイレンスが勝利しており、本馬は鼻差の2着に敗れた(3着ロックポイントは本馬から5馬身後方だった)。

映像ではサンデーサイレンスが盛り返してきたときに、ちょうど外側に顔を向けていた本馬がそれを見て怯んだように見受けられる瞬間があり、気迫で敗れたような内容だった。本馬が顔を外側に向けた点について、馬を上手に制御しなかったとして鞍上のデイ騎手は非難を受け、デイ騎手自身も騎乗ミスだったと認めている。

次走のベルモントS(GⅠ・D12F)では、1978年のアファームド以来11年ぶり史上12頭目の米国三冠馬が懸かったサンデーサイレンスが単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、そのアファームドの前に米国三冠競走全てで屈した父アリダーに次ぐ史上2頭目の米国三冠競走全て2着という屈辱にリーチがかかってしまった本馬は単勝オッズ2.6倍で生涯唯一の2番人気(オウインスパイアリングとのカップリング)、米国三冠競走最初の2戦に不参戦だったピーターパンS勝ち馬インバイブが単勝オッズ7.1倍の3番人気、前走3着のロックポイントが単勝オッズ23.2倍の4番人気と続いた。

スタートが切られると、名牝ダヴォナデイルの息子ルヴォワジュールが逃げて、それを見る形でサンデーサイレンスが2番手を追走、本馬もすぐ後方の外側でサンデーサイレンスをマークするように3番手を追走した。先に仕掛けたのはサンデーサイレンスで、三角から四角にかけてルヴォワジュールに並びかけていった。しかしサンデーサイレンスを追って仕掛けた本馬が四角途中で外側から一気にサンデーサイレンスを抜き去り、先頭で直線に入るとサンデーサイレンスとルヴォワジュールの2頭をどんどん引き離し、最後は2着サンデーサイレンスに8馬身差をつけて圧勝。勝ちタイム2分26秒0は1973年にセクレタリアトが計時した2分24秒0には及ばないものの、2015年現在でも同競走史上2位という優秀なものだった。レース前にカリフォルニア州の競馬ファンから過大評価だと揶揄されていた本馬をそれでも応援していたニューヨーク州の競馬ファン達は、この痛快な勝利に胸のつかえが取れた気分だったという。

競走生活(3歳後半)

その後は2か月足らずの休養を経て、8月のホイットニーH(GⅠ・D9F)に出走。ブルックリンH・エクセルシオールH・ナッソーカウンティHを勝ちサバーバンHで2着していたフォーエヴァーシルヴァー、フロリダダービー・ペガサスH・ドンH・ワイドナーH・エヴァーグレイズS・ホーソーン金杯H2回・パターソンHを勝ちベルモントS・トラヴァーズSなどで2着していたクリプトクリアランスといった有力古馬勢との対戦となったが、2着フォーエヴァーシルヴァーに4馬身半差、3着クリプトクリアランスにはさらに半馬身差をつけて圧勝した。勝ちタイム1分47秒4は当時同レース史上2番目に速いタイムであり、奇しくも11年前の勝ち馬である父アリダーと同タイムだった。

さらに2週間後に出走したトラヴァーズS(GⅠ・D10F)は同世代馬との戦いであり、サンデーサイレンスも不在だったため本馬の敵はおらず、ケンタッキーダービー13着後にセントポールダービー・アーリントンクラシックを連勝していたクレヴァートレヴァーを3馬身差の2着に破って快勝した。

次走のウッドワードS(GⅠ・D10F)ではフォーエヴァーシルヴァーに加えて、メトロポリタンH・フィリップHアイズリンH・アーカンソーダービー・イリノイダービーを勝っていた4歳馬プロパーリアリティという新たな強敵が現れた。しかもレースは本馬にとって苦手な重馬場で行われたが、2着イッツアセデミックに2馬身差で勝利を収めた。

次走のジョッキークラブ金杯(GⅠ・D12F)では、前走3着のフォーエヴァーシルヴァー、フィリップHアイズリンHでプロパーリアリティの4着してきたクリプトクリアランスに加えて、前々走のスワップスSでサンデーサイレンスを2着に破っていた後のBCターフ馬プライズドの姿もあった。しかし本馬が2着クリプトクリアランスに4馬身差をつけて楽勝した。

BCクラシック:サンデーサイレンスとの最終決戦

そしてガルフストリームパーク競馬場で行われたBCクラシック(GⅠ・D10F)に参戦した。このレースはサンデーサイレンスと4度目の対戦となり、米国競馬界は「10年に1度の大一番」として大きく盛り上がった。この2頭以外にも、ケンタッキーダービー15着後にペンシルヴァニアダービーを勝っていたウエスタンプレイボーイ、クリプトクリアランス、ミシガンマイル&ワンエイスH・エクワポイズマイル・グッドウッドHなどこの年グレード競走6勝を挙げていたプレゼントバリュー、仏2000ギニーを勝った後に米国に移籍してハリウッド金杯・レイザーバックH・ワシントンパークHを勝っていたブラッシングジョン、パンアメリカンH・メドウランズCHなどを勝ってきたミセレクト、ガルフストリームパークH・オークローンHの勝ち馬スルーシティースルーの6頭も参戦していたが、6頭とも殆ど蚊帳の外だった。GⅠ競走5連勝中の本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、スワップスS2着後にスーパーダービーを勝ってきたサンデーサイレンスが単勝オッズ3倍の2番人気、3番人気のウエスタンプレイボーイは単勝オッズ17.9倍だった。

スタートが切られるとスルーシティースルーが先頭を奪い、サンデーサイレンスは中団好位の4番手を追走。一方の本馬はスタートから行き脚が付かず、サンデーサイレンスから離された6番手を追走した。本馬は三角で仕掛けて外側からサンデーサイレンスに並びかけようとした。しかし本馬に並ばれかけたサンデーサイレンスはここで仕掛けた。2番手追走からスルーシティースルーをかわしたブラッシングジョンが先頭で直線に入り、続いてサンデーサイレンス、離れた3番手で本馬が直線を向いた。サンデーサイレンスが前を行くブラッシングジョンに並びかけて競り合いに持ち込む中、本馬も必死に追い上げた。サンデーサイレンスがブラッシングジョンを競り落として先頭に立ち、そこへブラッシングジョンをかわした本馬が猛然と追ってきたが、結局サンデーサイレンスには届かず、首差の2着に敗れた。

この年11戦8勝(うちGⅠ競走を6勝)という見事な成績を残した本馬だが、エクリプス賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬の座は共にサンデーサイレンスに奪われてしまった。しかし、この年における本馬は、「ホイットニーH・トラヴァーズS・ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯を全て制した史上唯一の馬」「ホイットニーH・ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯を同一年に制した史上唯一の3歳馬(古馬ではケルソスルーオゴールドの2頭が達成)」など、米国競馬史上でも有数のパフォーマンスを見せたと評価されている。エクリプス賞の選考の席においても、年度代表馬はサンデーサイレンスだが、本当に強いのは本馬の方だとする意見が数多く出されたという。エクリプス賞創設以前のように、最優秀ハンデ牡馬というタイトルがあれば、本馬がそれを受賞していただろうという意見もあった。

競走生活(4歳時)

4歳時は5月にベルモントパーク競馬場で行われたゴールドステージS(D7F)から始動した。苦手な不良馬場となったが、2着ハーディフに7馬身半差をつけて圧勝した。

そして12日後のメトロポリタンH(GⅠ・D8F)に出走した。有力な対戦相手は、この年になって本格化してピムリコスペシャルH・サンパスカルH・サンアントニオHを勝ちサンタアニタHで2着していた5歳馬クリミナルタイプ、ハッチソンS・スウェイルS・ラファイエットS・ダービートライアルS・ウィザーズSなど8連勝中の3歳馬ハウスバスターの2頭だった(翌年のエクリプス賞年度代表馬ブラックタイアフェアーもいたが本格化前であり強敵ではなかった)。しかし斤量は本馬の127ポンドに対して、クリミナルタイプは120ポンド、ハウスバスターは113ポンドだった。それでも本馬は単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持されたが、先行して抜け出したクリミナルタイプとハウスバスターの首差接戦を捕らえる事が出来ず、勝ったクリミナルタイプから1馬身3/4差の3着に敗退してしまった。

その後は少し間隔を空けてサバーバンH(GⅠ・D10F)に出走。他馬より12~19ポンド重い斤量を背負いながらも、2着となったジェロームH勝ち馬ドローシュに3馬身3/4差をつけて楽勝した。

この後、アーリントンパーク競馬場が企画した特別招待競走アーリントンチャレンジCでサンデーサイレンスと5度目の対戦を行う予定だったが、右前脚の脚首を剥離骨折したために、サンデーサイレンスと再び顔を合わせることなく4歳時3戦2勝の成績で現役を引退することになった。それからしばらくしてサンデーサイレンスも故障のために引退している。サンデーサイレンスとの対戦成績は本馬の1勝3敗だった。

血統

Alydar Raise a Native Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Raise You Case Ace Teddy
Sweetheart
Lady Glory American Flag
Beloved 
Sweet Tooth On-and-On Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Two Lea Bull Lea
Two Bob
Plum Cake Ponder Pensive
Miss Rushin
Real Delight Bull Lea
Blue Delight
Relaxing Buckpasser Tom Fool Menow Pharamond
Alcibiades
Gaga Bull Dog
Alpoise
Busanda War Admiral Man o'War
Brushup
Businesslike Blue Larkspur
La Troienne
Marking Time To Market Market Wise Brokers Tip
On Hand
Pretty Does Johnstown
Creese
Allemande Counterpoint Count Fleet
Jabot
Big Hurry Black Toney
La Troienne

アリダーは当馬の項を参照。

母リラクシングは現役成績28戦13勝。デラウェアH(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)・フィレンツェH(米GⅡ)・ギャラントフォックスH(米GⅡ)・ジョンBキャンベルH(米GⅡ)などを勝ち、1981年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬にも選ばれた名牝。繁殖牝馬としても優秀で、本馬の全姉キャディラッキング【バレリーナS(米GⅠ)・ディスタフH(米GⅢ)】、半妹イージーナウ(父ダンチヒ)【マスケットS(米GⅠ)・アスタリタS(米GⅡ)】を産んでいる。キャディラッキングの子にはストローリングアロング【ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・ガルフストリームパークBCターフS(米GⅡ)・ローレンスリアライゼーションS(米GⅢ)】とキャットケイ【トップフライトH(米GⅡ)・サラブレッドクラブオブアメリカS(米GⅢ)・シャーリージョーンズH(米GⅢ)】がいる。リラクシングの母マーキングタイムもエイコーンSを勝った名牝で、マーキングタイムの曾祖母は名国有数の名牝系の祖ラトロワンヌであり、近親には数多くの活躍馬がいる。→牝系:F1号族②

母父バックパサーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州クレイボーンファームで種牡馬入りした。本馬に用意された馬房は、その2年前に他界したセクレタリアトが使用していたところ(セクレタリアトの前はボールドルーラーが使用していた)だった。本馬は前年に他界した父アリダーの後継種牡馬として期待され、優れた繁殖牝馬を多く集めた。なお、本馬とは対照的に繁殖牝馬が集まらなかったサンデーサイレンスは新天地の日本に旅立ち、そこで種牡馬として記録的大成功を収めることになる。

1994年5月、本馬は初年度産駒のデビューを目前にして8歳の若さで急死してしまった。直前までパドック内で元気に走り回っていたのに、突然倒れてそのまま息を引き取ったという。死因は治療用薬物投与によるアナフィラキシーショックに伴う心臓発作だった。なお、本馬は多臓器の癌を患っていた事が判明している。これについては、癌の進行は遅かったためアナフィラキシーショックさえなければ長生きしたとする意見と、いずれにしても長くは無かったとする意見の両方が存在しているが、あまり意味がある論争ではないだろう。遺体はクレイボーンファームに埋葬された。

本馬が残した産駒は136頭で、うち101頭が競走馬となった。ステークスウイナーは9頭(ステークスウイナー率は6.6%)で、GⅠ競走勝ち馬は3頭である。もっと余命があれば種牡馬として大きな成功を収めただろうという意見も多いが、繁殖牝馬の質を考えると上記の数字はやや物足りないものであり、他のアリダー産駒の多くが種牡馬として不成功に終わっている事からしても、余命があっても種牡馬として大きな成功を収めた可能性はそれほど高くなかったのではないかと筆者は思っている(勿論、初期の産駒が不振だったダンシングブレーヴの例などもある以上は断定出来ないし、余命があれば云々自体もあまり意味がある論争ではないのだが)。ただし、母父としては23頭のステークスウイナーを出しており、これは牝駒の数からすると優秀な数字である。

1997年に、好敵手サンデーサイレンスより1年遅れて米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第34位(サンデーサイレンスは第31位)。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1992

Composer

ジムダンディS(米GⅡ)

1993

My Flag

BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・アッシュランドS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・ガゼルH(米GⅠ)・ボニーミスS(米GⅡ)

1993

Will's Way

トラヴァーズS(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)

1994

Furlough

バレリーナH(米GⅠ)・ディスタフBCH(米GⅡ)・オナラブルミスH(米GⅢ)

1994

Relaxing Rhythm

モリーピッチャーBCH(米GⅡ)

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