ロストインザフォグ

和名:ロストインザフォグ

英名:Lost in the Fog

2002年生

黒鹿

父:ロストソルジャー

母:クラウドブレイク

母父:ドクターカーター

北米大陸を西から東に東から西に横断しながら短距離路線で圧勝劇を連発し国民的人気を博したが悪性腫瘍により若き命を散らす

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績14戦11勝2着1回

誕生からデビュー前まで

米国フロリダ州においてスーザン・セパー女史により生産された。当歳時のセリで1万3千ドル、1歳時のセリで4万8千ドルの値で売りに出されたが、いずれでも買い手は付かなかった。2歳3月のオカラマーチセールにおいて、不動産業・保険業・投資業まで幅広く手掛けていたサンフランシスコの実業家ハリー・アレオ氏により14万ドルで購入された。アレオ氏は59歳時の1979年に初めて馬主となり、20年以上に渡ってサンフランシスコのゴールデンゲートフィールズで厩舎を構えていたグレッグ・ジルクリスト調教師という人物のみに所有馬を預けていた。当然本馬もジルクリスト厩舎の一員となった。馬名を直訳すると「霧の中で失われる」という意味で、生産者のセパー女史が霧に覆われた牧場の中で幼少期の本馬を見失った事に由来する。

主戦はラッセル・ベイズ騎手が務めた。カナダ出身のベイズ騎手は16歳時の1974年からゴールデンゲートフィールズ競馬場などカリフォルニア州北部の競馬場を拠点に勝ち星を積み重ね、10度の北米最多勝利騎手に輝き、後の2008年には米国競馬史上初めて1万勝を達成(現在は1万2千勝以上)し、1999年に米国競馬の殿堂入りも果たしていた名手である。ホーリックスが世界レコードで勝ったジャパンCにもホークスターの主戦として参戦しており、ブラジルのジョルジ・リカルド騎手と現在も世界最多勝争いを展開している事で、日本でも知る人ぞ知る人物である。

競走生活(2歳時)

2歳11月に地元ゴールデンゲートフィールズ競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦でデビューした。ここでは過去3戦未勝利ながら全て入着していたダンスシーフと人気を分け合い、本馬が単勝オッズ2.2倍の1番人気、ダンスシーフが単勝オッズ2.5倍の2番人気となった。スタートが切られると本馬は真っ先にゲートを飛び出して行き、ダンスシーフを引き連れて逃げ続けた。レース中盤でダンスシーフが後退して、代わりに単勝オッズ11.5倍の4番人気馬アイリッシュイミグラントが2番手に上がってきたが、本馬はアイリッシュイミグラントを直線でどんどん引き離し、最後は7馬身半差をつけて圧勝した。

その後はカリフォルニア州の隣アリゾナ州にあるターフウェイパーク競馬場に向かい、年末に行われたアリゾナジュヴェナイルS(D6.5F)に出走。本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、過去4戦3勝のフォーエヴァーフォクシーが単勝オッズ4.7倍の2番人気、フールジエキスパーツSというステークス競走を6馬身1/4差で圧勝してきたウォーカーが単勝オッズ7倍の3番人気となった。スタートが切られると、ウォーカーが本馬のハナを叩いて先頭を奪い、本馬は2番手につけた。しかしウォーカーが刻んだラップは最初の2ハロン通過が21秒8という非常に速いものであり、レース中盤でウォーカーは早々に失速。しかし2番手につけていた本馬にとっては楽なペースだったようで、ウォーカーに代わって先頭に立つと後は独走状態。直線入り口では既に勝負はついていたが、その後も後続を引き離し続け、最後は2着に入った単勝オッズ15.4倍の5番人気馬スコッツブラフに14馬身3/4差をつけて、1分13秒55のコースレコードで圧勝した。2歳時は2戦2勝の成績だった。

競走生活(3歳時)

3歳時は1月末にフロリダ州のガルフストリームパーク競馬場で行われたサンシャインミリオンズダッシュS(D6F)から始動した。このレースはラヴァマンの項で解説したカリフォルニア州及びフロリダ州産馬限定競走サンシャインミリオンズクラシックの3歳馬短距離戦バージョンであり、賞金はサンシャインミリオンズクラシックよりは低いがそれでも総額25万ドルと、並のGⅠ競走と同程度だった。ハリウッドプレビューS2着馬ブッシュワッカー、同3着馬シーズザデイ、シュガーボウルS2着馬サンタナストリングス、4戦3勝3着1回のランスルーザサンといった面々が、その高額賞金を狙って参戦してきた。しかし単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持されたのは本馬であった。シーズザデイとランスルーザサンのカップリングが単勝オッズ5.3倍の2番人気、ブッシュワッカーが単勝オッズ6.5倍の3番人気、サンタナストリングスが単勝オッズ9.1倍の4番人気となった。今回はそれほどスタートが良くなかった本馬に対してブッシュワッカーなどが競り掛けてきて、最初の2ハロン通過は22秒04というハイペースとなった。しかし本馬は向こう正面から徐々に他馬を引き離し始め、直線では持ったままで、後方からの追い込みで2着に入ったサンタナストリングスに4馬身半差をつけて完勝した。

それから5週間後の3月初めには、同じガルフストリームパーク競馬場のスウェイルS(GⅡ・D7F)に出走した。本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気で、サンタナストリングスが単勝オッズ5.8倍の2番人気、前走イロコイSを勝ってきたアーリントンワシントンBCフューチュリティ2着馬ストレートラインが単勝オッズ8.9倍の3番人気となった。今回は好スタートを切った本馬だが、単勝オッズ70倍の最低人気馬モアスモーク(次走のラファイエットSを勝利)が強引にハナを奪い、本馬は少し離れた2番手を追走した。モアスモークは最初の2ハロンを22秒07で飛ばしながらも直線入り口まで先頭を死守していたが、ここで本馬が悠々とモアスモークをかわして先頭に立ち、モアスモークと3番手を走っていた単勝オッズ26.3倍の6番人気馬アラウンドザケープの2着争いを尻目にゴールまで駆け抜け、2着アラウンドザケープに4馬身3/4差をつけて快勝した。

続いてニューヨーク州のアケダクト競馬場に向かい、4月上旬のベイショアS(GⅢ・D7F)に出走。完全に本馬とその他大勢による争いと目されており、本馬が他の全出走馬より7ポンド重い123ポンドの斤量ながらも単勝オッズ1.15倍の1番人気に支持され、未勝利戦を4馬身差で勝ち上がってきたばかりのホワイトソックスが単勝オッズ10.6倍の2番人気、スピナウェイS・メイトロンS・フリゼットSとGⅠ競走3勝を挙げたゴールデンアトラクションと大種牡馬ストームキャットの間に産まれた良血という血統を買われたビッグトップキャットが単勝オッズ11.5倍の3番人気となった。スタートが切られると本馬が即座に先頭に立ち、ビッグトップキャットの圧力を受けながら逃げ続けた。四角でビッグトップキャットを振り切って独走状態に入ると、中団から差して2着に入ったホワイトソックスに4馬身1/4差をつけて完勝した。

5月にはゴールデンゲートフィールズ競馬場が新設したゴールデンベアBCS(D6F)に出走するために、サンフランシスコにとんぼ返りした。本馬が出走してくると知った他馬陣営の回避が相次ぎ、対戦相手は2頭だけとなってしまった。124ポンドの本馬が単勝オッズ1.05倍という究極の1番人気に支持され、118ポンドのウインドウォーターが単勝オッズ12.1倍の2番人気、116ポンドのオリンピックマイラーが単勝オッズ21.3倍の最低人気となった。ここでは本馬が勝つかどうかよりも、本馬がどんな勝ち方をするかが焦点であり、鞍上のベイズ騎手もそのつもりだったのか、スタートから本馬を飛ばした。最初の2ハロン通過が21秒46という非常に速いペースで飛ばす本馬に他2頭は付いていくことが出来なかった。スタートからゴールまで着実に差を広げ続けた本馬が2着ウインドウォーターに10馬身差をつけて、1分07秒32のコースレコードで圧勝した。

その後は再びニューヨークに向かい、6月にベルモントパーク競馬場で行われたリヴァリッジBCS(GⅡ・D7F)に出走した。フランシスジョックラベル記念Sなど3連勝中のエッグヘッド、サンタカタリナS2着馬でケンタッキーダービーやプリークネスSにも出走したゴーイングワイルド、シャンペンS・ハッチソンSの勝ち馬プラウドアコレード、ゴーサムSの勝ち馬でウッドメモリアルS2着のサバイバリストなどが出走してきた。123ポンドの本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持され、フランシスジョックラベル記念Sを9馬身半差で圧勝してきた119ポンドのエッグヘッドが単勝オッズ5.9倍の2番人気、123ポンドのゴーイングワイルドが単勝オッズ12.6倍の3番人気、123ポンドのプラウドアコレードが単勝オッズ15.9倍の4番人気となった。このレースのみエドガー・プラード騎手に乗り代わっていた本馬は、スタート直後に先頭に立った。後続馬も本馬をすんなりと逃がすまいと圧力をかけてきた。最初の2ハロン通過は22秒22だったが、それでも本馬にとってはそれほど厳しいペースではなかった。直線入り口で対抗馬のエッグヘッドが本馬に迫ってきて、直線では2頭の勝負になるかと思われたが、本馬が少しずつ着実にエッグヘッドを引き離していき、1馬身1/4差をつけて勝利した。

その後はフロリダ州コールダー競馬場に向かい、7月上旬のキャリーバックS(GⅡ・D6F)に出走。率直に書いてしまうと本馬以外にはこれといった馬が出走しておらず、あえて書くならば、アファームドS・フーリッシュプレジャーSを勝っていたシンシンが目立つ程度だった。しかしこのシンシンも本馬の敵とは見なされておらず、122ポンドの本馬が2度目の単勝オッズ1.05倍の1番人気となり、ちょうど1年前のパイオニアSを勝っていた118ポンドのクローフィッシュキングが単勝オッズ11.8倍の2番人気、未勝利戦を3馬身差で勝ち上がってきたばかりの115ポンドのホットスペースが単勝オッズ12.5倍の3番人気、122ポンドのシンシンが単勝オッズ19.1倍の4番人気となった。今回もロケットスタートを決めた本馬は、2番手のクローフィッシュキングに1馬身ほどの差をつけて先頭を走った。本馬にとっては普通のペースである2ハロン22秒42のラップは、クローフィッシュキングにとっては厳しかったようで直線に入る前に大失速。他に本馬を追ってくる馬は皆無であり、2着に突っ込んできた単勝オッズ26.3倍の5番人気馬クレオールに7馬身1/4差をつけて、1分09秒3のコースレコードで圧勝した。

8月にはニューヨークのサラトガ競馬場で行われたキングズビショップS(GⅠ・D7F)に出走。前走の一般競走を12馬身差で圧勝してきたザダディ(次走のスーパーダービーを勝利)、アムステルダムSで2着してきたソーシャルプロベーション、スウェイルS4着後にアリシーバBCS・アムステルダムSを連勝していたサンタナストリングス、シュガーボウルS・ルコントSの勝ち馬ストームサージ、前々走サンヴィンセントSを勝っていたフサイチロックスターなどが出走してきた。しかし本馬に敵いそうな馬はおらず、123ポンドの本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持され、117ポンドのザダディが単勝オッズ10.8倍の2番人気、117ポンドのソーシャルプロベーションが単勝オッズ11.1倍の3番人気、121ポンドのサンタナストリングスが単勝オッズ12.6倍の4番人気、119ポンドのストームサージが単勝オッズ16.8倍の5番人気となった。スタートで本馬は珍しく躓いて出遅れてしまったが、すぐに加速して先頭を奪取。やはりスタートで後手を踏んでいたフサイチロックスターを引き連れて逃げ続けた。フサイチロックスターはやがてスタミナが切れて最後方に下がっていったが、本馬は失速するどころか逆に後続馬との差を広げ始め、直線入り口で4~5馬身ほどの差をつけて勝負を決めてしまった。最後は2着ソーシャルプロベーションに4馬身3/4差をつけて勝ち、GⅠ競走勝ち馬となった。

この年の最大目標は当然BCスプリントだった。この年のブリーダーズカップはベルモントパーク競馬場で施行される事になっていたから、本馬がBCスプリントの前哨戦として出るべきレースは同じベルモントパーク競馬場で本番4週間前の10月1日に行われるヴォスバーグSが最も適当のはずだった。

ところが本馬が10月1日に出走したのはヴォスバーグSではなく、カリフォルニア州北部にあるベイメドウズ競馬場で行われたベイメドウズスピードH(D6F)だった。この時点で既に本馬はカリフォルニア州北部における英雄的存在であり、当時経営不振に喘いでいたベイメドウズ競馬場(結局2007年に閉鎖された)にとっては集客のために本馬の参戦が絶対不可欠という事情があった。当時カリフォルニア州北部にあった競馬場はゴールデンゲートフィールズ競馬場とベイメドウズ競馬場の2つのみであり、本馬陣営にとっては参戦を断ることなど出来なかった。123ポンドの本馬が3度目の単勝オッズ1.05倍の1番人気となり、ベイメドウズBCスプリントH2着の実績があった116ポンドのヘイローキャットが同馬主同厩馬ジェフリーズベイとのカップリングで単勝オッズ7.7倍の2番人気となった。ここでも好スタートを切った本馬が先頭に立ったが、他馬達は本馬を無理に追いかけなかった。そのため単騎で逃げ続けた本馬が直線入り口で後続を引き離し、2着ヘイローキャットに7馬身3/4差をつけて圧勝した。

そして次走がBCスプリント(GⅠ・D6F)となった。本馬不在のヴォスバーグSを勝ってきたサンディエゴH・ヴァーノンOアンダーウッドSの勝ち馬テーストオブパラダイス、前年のFJドフランシス記念Sを勝ち前走テディドローンSも快勝してきたワイルドキャットヘア、ジェロームHを5馬身差で勝ってきたシルヴァートレイン、前年のシガーマイルHを筆頭にハッチソンS・リヒタースケイルBCスプリントCS・コモンウェルスBCSを勝っていたヴォスバーグS3着馬ライオンテイマー、3年前のキングズビショップSを筆頭にリヴァリッジBCS・ドワイヤーS・ウエストチェスターH2回を勝ちフォアゴーHで2年連続3着していたガイジスター、チャーチルダウンズHの勝ち馬でビングクロスビーH・フォアゴーHで2着のバトルウォン、サンヴィンセントS・サンラファエルS・パットオブライエンHの勝ち馬で前年のケンタッキーダービー3着のインペリアリズムなどが出走してきて、さすがに今まで本馬が出走してきたレースとは対戦相手の質量共に比較の対象にならなかった。しかし本馬が単勝オッズ1.7倍という断然の1番人気に支持され、ワイルドキャットヘアが単勝オッズ7.4倍の2番人気、シルヴァートレインが単勝オッズ12.9倍の3番人気、ライオンテイマーが単勝オッズ13.4倍の4番人気、テーストオブパラダイスが単勝オッズ13.5倍の5番人気と、本馬が勝って当たり前というムードだった。

普段なら本馬は好スタートを切ってそのまま先頭を走るのだが、今回はスタートで立ち上がって少し出遅れてしまった。そしてステークス競走勝ちどころか入着歴も無かったアッティラズストームという馬にハナを叩かれ、さらにワイルドキャットヘアやバトルウォンにも競り掛けられてなかなか先頭に立てなかった。三角に入ったところでようやく先頭に立ち、そのまま四角を回って直線に入ってきたのだが、既に本馬の直後にはシルヴァートレインを始めとする後続馬勢が押し寄せてきていた。直線ではアッティラズストームとの叩き合いになったが、残り1ハロン地点でシルヴァートレインにかわされたところで、アッティラズストームよりも先に失速。その後も次々に着順を落としてしまった。結局は直線で最初に本馬をかわしたシルヴァートレインがテーストオブパラダイスの猛追を頭差凌いで勝利。シルヴァートレインから6馬身差の7着に敗れた本馬は初黒星を喫してしまった。

敗因に関しては当時色々と言われたが、ニューヨーク州とカリフォルニア州、それにフロリダ州を行き来しながら休みらしい休みも無く走ってきた反動が出たのだという意見が最も強かった。そこで本馬にはようやく半年間の休養が与えられる事になった。

最大の大一番で敗れてしまった本馬だが、この年9戦8勝という成績と、勝ったレースの内容が評価され、エクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれた。カリフォルニア州調教馬がエクリプス賞を受賞した事例自体は珍しくなかったが、過去の例の大半はカリフォルニア州南部のロサンゼルス近郊を本拠地としていた馬であり、カリフォルニア州北部のサンフランシスコ近郊を本拠地としていた馬がエクリプス賞を受賞したのは、1989年の最優秀芝牝馬を受賞したブラウンベス以来16年ぶり史上2頭目だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月に地元ゴールデンゲートフィールズ競馬場で行われたゴールデンゲートフィールズスプリントS(D6F)から始動した。対戦相手は僅か3頭だったが、そのうちの1頭カルタゴは、サンカルロスH・フェアファックスSを連続圧勝するなど3連勝中と勢いに乗っていた。125ポンドを課せられた本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気で、117ポンドのカルタゴが単勝オッズ2.4倍の2番人気となった。スタートが切られるとカルタゴが先頭に立ち、本馬が2番手を追いかける展開となった。カルタゴが刻んだペースは最初の2ハロンが21秒35という非常に速いものだったが、直線に入ってもカルタゴは失速せず、逆に本馬との差を徐々に広げていった。最後はカルタゴが逃げ切って勝ち、本馬は3馬身差をつけられて2着に敗れた。

その後はケンタッキー州に向かい、6月にチャーチルダウンズ競馬場で行われたアリスティデスBCH(GⅢ・D6F)に出走した。124ポンドの本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、前年の同競走をコースレコードで勝っていたケリーズランディング(翌年にドバイゴールデンシャヒーンを勝っている)が単勝オッズ4.6倍の2番人気となった。このレースでは単勝オッズ9.4倍の3番人気馬エキサイティングメトロが先頭を奪い、本馬は好スタートを切ったにも関わらず2番手を追走した。それでも向こう正面でエキサイティングメトロをかわして先頭に立つと、そのまま直線へと入ってきた。2番手で直線を向いたケリーズランディングが追ってきたが、本馬がそのまま押し切って、2着ケリーズランディングに1馬身1/4差で勝利した。

翌7月にはフロリダ州に向かい、コールダー競馬場で行われたスマイルスプリントH(GⅡ・D6F)に出走した。ミスタープロスペクターHの勝ち馬ガフ、前走メリーランドBCスプリントHを勝ってきたフレンドリーアイランド、リヒタースケイルBCスプリントCSの勝ち馬ミスターフォティスなどが対戦相手となった。125ポンドの本馬が単勝オッズ2.1倍の1番人気、115ポンドのガフが単勝オッズ8.6倍の2番人気、117ポンドのフレンドリーアイランドが単勝オッズ9.2倍の3番人気となった。スタートが切られると同時に本馬はゲートを飛び出していったが、いつもの加速が今回は全く見られず、6~7番手の好位を追走する事になった。そして直線に入っても伸びず、勝った単勝オッズ15.7倍の8番人気馬ナイトメアアフェアーから8馬身差の9着と惨敗した。

このレース後に裂蹄を発症したためにジルクリスト師は4歳時の出走をここで終了させる事にした(この段階で競走馬引退という報道もあった)。

それからしばらく経った8月中旬、本馬に食欲不振や気力減退の兆候が見られ、さらには下半身の腫れと痛みも出てきた。そのために疝痛を疑ったジルクリスト師は、本馬をカリフォルニア州のデイビス獣医科大学病院に連れて行った。

ドナルド・スミス博士による診察の結果、脾臓にメロン大の巨大な悪性腫瘍がある事が判明。腫瘍の大きさからして1年程度は経過しており、初黒星を喫したBCスプリントの時点では既に発病していたものと推察された。ジルクリスト師は30年間調教師をしてきたが、管理馬が癌に罹った事例は過去1度も無かったそうで、彼にとっては全く想定外の病名だった。

この時点では確率五分五分ながらも外科的手術で完治可能と診断されたが、8月18日に行われた詳細な再検査で、腫瘍はこの1箇所だけではなく、脊椎の周囲など別の2箇所にも転移している事が判明した。もはや外科的手術は不可能とされ、余命は10日程度と宣告された。

そのまま病院で安楽死という選択肢もあったが、アレオ氏とジルクリスト師は住み慣れた場所で最期の瞬間を迎えさせたいと考え、本馬をゴールデンゲートフィールズの厩舎に連れて帰った。

厩舎に戻った本馬は、陣営から大切にされながら短い余生を送った。余命宣告から約1か月後の9月17日、放牧中の本馬は草を食べていた。食べ終わった時に本馬は痛みを訴えて倒れたため、そのまま安楽死の措置が執られた。

その後の検死で、本馬の悪性腫瘍は発見された箇所だけではなく、リンパ腺を経由して骨盤、腎臓、腸など下半身全体に広がっていた事が判明しており、後脚に繋がる大動脈も圧迫して競走能力に大きな影響を与えていたと判断された。

9月30日、ゴールデンゲートフィールズ競馬場で式典が行われ、本馬の遺灰は同競馬場内にあったシルキーサリヴァンの墓の隣に埋葬された。後にゴールデンゲートフィールズ競馬場において本馬の名を冠した距離5ハロンの2歳戦ロストインザフォグSが創設された。また、2008年には本馬のドキュメンタリー映画が製作され、ラスベガスで開催されていた同年のシネベガス映画祭において最優秀ドキュメンタリー賞を受賞している。

本馬はカリフォルニア州北部を本拠地とした競走馬としてはシービスケット以来最も人気を博した馬だったと評された。現役時代に出走した14戦全てで1番人気に支持されており、全米中を移動して圧勝を続ける姿から、“The Fog(ザ・フォグ)”の愛称で親しまれた。主戦のベイズ騎手は前述したとおりに1万勝以上を挙げた名手だが、自分が乗った馬の中では本馬が最高だったと言い切っている。

血統

Lost Soldier Danzig Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Pas de Nom Admiral's Voyage Crafty Admiral
Olympia Lou
Petitioner Petition
Steady Aim
Lady Winborne Secretariat Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Somethingroyal Princequillo
Imperatrice
Priceless Gem Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Searching War Admiral
Big Hurry
Cloud Break Dr. Carter Caro フォルティノ Grey Sovereign
Ranavalo
Chambord Chamossaire
Life Hill
Gentle Touch Chieftain Bold Ruler
Pocahontas
My Dear Girl Rough'n Tumble
Iltis
Wistful Maribeau Ribot Tenerani
Romanella
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Margaret's Number Native Charger Native Dancer
Greek Blond
Dungiven Correlation
Jacolee

父ロストソルジャーはダンチヒ産駒で、現役成績は45戦11勝。ドバイで行われたキーンランドマイルとナドアルシバマイル、それにルイジアナダウンズH(米GⅢ)などを勝っている。競走馬としては中級であり、種牡馬成績も本馬を出した事を除けば競走成績と同程度である。

母クラウドブレイクは不出走馬だが、クラウドブレイクの母ウィストフルはヘンプステッドH(米GⅡ)・ランパートHの勝ち馬で、ウィストフルの母マーガレッツナンバーはコロニアルH(米GⅢ)・マーゲイトH(米GⅢ)の勝ち馬。また、ウィストフルの半妹ルミネールはマッチメイカーS(米GⅡ)・ロングルックH(米GⅡ)の勝ち馬で、ルミネールの孫にはボナポウ【ヴォスバーグS(米GⅠ)】、玄孫には日本で走ったエーシンウェズン【サマーチャンピオン(GⅢ)】がいる。また、ウィストフルの半妹リッスンウェルの子にはリスニング【ハリウッドオークス(米GⅠ)・ミレイディH(米GⅠ)・プリンセスS(米GⅡ)・バヤコアH(米GⅡ)・リンダヴィスタH(米GⅢ)】、ビューティフルノイズ【サンタアナH(米GⅡ)】、孫にはリッスンヒアー【アムステルダムS(米GⅡ)・ナシュアS(米GⅢ)】がいる。マーガレッツナンバーの6代母パッサンは15戦無敗の歴史的名馬コリンの半姉に当たる。→牝系:F19号族①

母父ドクターカーターはカロ産駒で、現役成績は19戦6勝。レムセンS(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)・トレントンH(米GⅢ)を勝っている。種牡馬としてはあまり成功していない。

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