和名:ハンナ |
英名:Hannah |
1868年生 |
牝 |
鹿毛 |
父:キングトム |
母:メントモアラス |
母父:メルボルン |
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史上2頭目の英国牝馬三冠馬だが、繁殖入りして間もなく他界したためにその優れた競走能力を子孫に伝えることは出来なかった |
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競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績29戦11勝2着4回3着7回 |
誕生からデビュー前まで
史上2頭目の英国牝馬三冠馬。有名なロスチャイルド家の一員である英国の政治家・事業家だったメイヤー・アムシェル・ド・ロスチャイルド男爵により生産・所有された英国産馬である。彼はユダヤ人として初めて英国ジョッキークラブの会員となった競馬好きでもあった。馬名はロスチャイルド男爵の一人娘ハンナ嬢(後に、英国首相も務めた第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズ卿の妻となっている)にちなんでいる。ただし、正式に命名されたのはデビューした後の話であり、しばらくは名前を付けられないまま走っていた。本馬は「骨が浮き出ているほど細身で軽い馬」と評されており、見てくれはあまり宜しくなかったようである。
競走生活(3歳前半まで)
英国ジョセフ・ヘイホー調教師に預けられ、2歳7月のジュライS(T5.5F)でデビューした。そして後のモールコームS・クリテリオンSの勝ち馬ジェネラルを半馬身差の2着に抑えてデビュー戦勝ちを収めた。さらにトリエニアルプロデュースSを2馬身差で勝利。クリアウェルSも1馬身半差で勝利した。そして10月のミドルパークプレート(T6F)に駒を進めたが、牡馬アルバートヴィクターと牝馬ステップの2頭に屈して3着に敗れた。しかし本馬に先着した2頭はいずれも本馬より斤量が7ポンド軽かった。その僅か2日後にはプレンダーガストS(T5F)に出走したが、4ポンドのハンデを与えた牡馬ディグバイグランド(後のシティ&サバーバンHの勝ち馬)の頭差2着に敗れた。2歳時の成績は5戦3勝だった。
3歳時はまず英1000ギニー(T7F178Y)に出走して、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。そして主戦であるチャーリー・メイドメント騎手を鞍上に、ミドルパークプレートで本馬に先着する2着だったステップを3馬身差の2着に破って難なく勝利を収めた。
引き続き英オークス(T12F)に出走。ここでも単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。そして英1000ギニーで3着だったノーブレスを3馬身差の2着に破り、これまた難なく勝利を収めた。
競走生活(3歳後半)
その後はプリンセスオブウェールズS(T12F)に出走した。クイーンズズタンドプレート・英シャンペンS・プリンスオブウェールズSの勝ち馬で英ダービー2着同着・英2000ギニー3着のキングオブザフォレスト、英2000ギニー2着馬スターリングといった同世代の強豪牡馬が対戦相手となった。ここではキングオブザフォレストが勝利を収め、本馬は2着に敗れた。なお、本馬が出走したのはプリンセスオブウェールズSではなくプリンスオブウェールズSのほうで、キングオブザフォレストの3着に敗れたとする資料もあり、本馬の競走成績に関しては今ひとつ不明瞭な部分が多い。
いずれにしても本馬はその後に英セントレジャー(T14F132Y)に向かった。この年の英ダービーを勝っていたファヴォニウス(本馬の全姉の子なので本馬にとって甥に当たる)は本馬と同馬主同厩だったためか、このレースには不参戦だった。ミドルパークプレートで本馬を破って勝った英ダービー2着同着のアルバートヴィクター、プレンダーガストSで本馬を破ったディグバイグランドなど9頭が対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。レースではオレイターという馬が先頭を飛ばし、本馬は好位を追走。直線に入ってメイドメント騎手が合図を送るとあっさりとオレイターをかわし、最後は2着アルバートヴィクターに1馬身差をつけて優勝。1868年のフォーモサ以来3年ぶり史上2頭目の英国牝馬三冠馬となった。
次走のトリエニアルプロデュースSでは単走で勝利。引き続き出走したニューマーケットオークス(T14F)では、いずれも7ポンドのハンデを与えた同父馬ヴェルデュールと後のカドラン賞の勝ち馬ヴェランダの2頭に屈して、ヴェルデュールの3着に敗れた。3歳時の成績は6戦4勝だった。
競走生活(4・5歳時)
4歳時も現役を続けたが、3歳時ほどの好成績を残すことは出来なかった。アスコット金杯(T20F)では、前年のアスコットダービー・ニューマーケットダービーの勝ち馬ヘンリーと、英セントレジャーを回避して出走した前年のグッドウッドCで2着していた甥のファヴォニウスの2頭に後れを取り、ヘンリーの3着に敗れた。暮れのケンブリッジシャーH(T9F)では、3歳馬プレイフェアの5着に敗れた。結局4歳時は、2頭立てのアスコットトリエニアルS(T16F)を頭差で勝ったのと、トリエニアルプロデュースSを3馬身差で勝ったのみで、9戦して2勝を挙げるに留まった。
5歳時も現役を続けたが、前年と同じくそれほど好結果は出なかった。前年と同じく9戦して2勝を挙げたが、勝ち星はいずれも下級ハンデ競走だった。4月のシティ&サバーバンH(T10F)では前年の英ダービー・パリ大賞を勝っていたクレモーン共々、単勝オッズ41倍の伏兵モーニングトンに足元を掬われて、クレモーンは2着、本馬は4着に敗退。6月のクイーンズヴァーズ(T16F)では、3歳馬ソーンの2着に敗退。同月のアスコット金杯(T20F)ではクレモーンの7着最下位に敗れた。現役最後のレースとなったジョッキークラブC(T18F)では、前々月のグッドウッドCで2着ファヴォニウスと3着クレモーンを30馬身ちぎってきたフラジオレット(前年のモルニ賞の勝ち馬で、この年の仏ダービー・アスコット金杯・パリ大賞ではいずれも2着だった)の3着に終わった。
血統
King Tom | Harkaway | Economist | Whisker | Waxy |
Penelope | ||||
Floranthe | Octavian | |||
Caprice | ||||
Fanny Dawson | Nabocklish | Rugantino | ||
Butterfly | ||||
Miss Tooley | Teddy the Grinder | |||
Lady Jane | ||||
Pocahontas | Glencoe | Sultan | Selim | |
Bacchante | ||||
Trampoline | Tramp | |||
Web | ||||
Marpessa | Muley | Orville | ||
Eleanor | ||||
Clare | Marmion | |||
Harpalice | ||||
Mentmore Lass | Melbourne | Humphrey Clinker | Comus | Sorcerer |
Houghton Lass | ||||
Clinkerina | Clinker | |||
Pewett | ||||
Cervantes Mare | Cervantes | Don Quixote | ||
Evelina | ||||
Golumpus Mare | Golumpus | |||
Paynator Mare | ||||
Emerald | Defence | Whalebone | Waxy | |
Penelope | ||||
Defiance | Rubens | |||
Little Folly | ||||
Emiliana | Emilius | Orville | ||
Emily | ||||
Whisker Mare | Whisker | |||
Castrella |
父キングトムは当馬の項を参照。
母メントモアラスは1853年の英1000ギニー優勝馬。母としては本馬の7歳年上の全姉ブリーズ【コロネーションS】も産んでいる。また、本馬の6歳年上の全姉ゼファーの子には本馬と同い年で対戦経験もあるファヴォニウス【英ダービー・グッドウッドC】がいる。メントモアラスの半弟にはキングオブダイヤモンズ(父キングトム)【英シャンペンS】がいる。ゼファーの牝系子孫は発展しなかったが、ブリーズの牝系子孫は主に南米で発展しており、今世紀も残っている。南米なのであまり馴染みが無い馬が多いのだが、1頭だけ挙げるとすれば米国顕彰馬パセアナ【エンリケアセバル大賞(亜GⅠ)・BCディスタフ(米GⅠ)・サンタマリアH(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)2回・アップルブロッサムH(米GⅠ)2回・ミレイディH(米GⅠ)2回・ヴァニティ招待H(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】だろう。→牝系:F3号族①
母父メルボルンはウエストオーストラリアンの項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、ロスチャイルド男爵が所有するメントモア&クラフトンスタッドで繁殖入りした。しかし当のロスチャイルド男爵は、本馬が繁殖入りした1874年の2月に55歳で死去してしまっていた。ファヴォニウスの項に記載したとおり、当時22歳で独身のハンナ嬢だけではロスチャイルド男爵の莫大な遺産を管理しきれなかったため、メントモア&クラフトンスタッドはロスチャイルド男爵の甥レオポルド・ド・ロスチャイルド氏が管理する事になった。ロスチャイルド氏の元で繁殖生活を開始した本馬は、翌1875年、7歳時に初子となる牡駒ホルムビー(父ロードクリフデン)を産んだ。ところが同年11月に身籠っていた双子共々命を落としてしまった。唯一の産駒ホルムビーはは競走馬としての経歴は不明であり、不出走だった可能性も高い。ホルムビーは血統が評価されて種牡馬入りしたが不成功に終わり、本馬の優れた競走能力を受け継いだ子孫は登場しなかった。